般若心経の解説
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摩訶般若心経

摩訶(マハー)「大いなる」 般若(プラシュニャー)「智慧」 
波羅蜜多(パーラミター)「彼岸に至る」{光り輝くところ} 心経(フリダヤ・スートラ)「真髄のおしえ」
般若心経は「大いなる智慧を持って光り輝く世界(彼岸)にいたる為の教え」
ここから始まります

「感動する」辞書には、美しいものやすばらしいことに接して強い印象を受け、心を奪われること、
ありますが感動している本人の状態や心の中は、言葉で表すことができません、
〜がすばらしくて心が震えた〜
状況説明や心が震えるメカニズムは伝えられても、感動の本体は言葉で伝えることができない、
ただほとんどの人が感動を体感しているために〜いいものだ〜をわかる

これが般若心経の色と空の関係です
色は説明できるが空は説明できない何か〜いいもの〜なのだ

般若心経は「大いなる智慧を持って光り輝く世界(彼岸)にいたる為の教え」
彼岸に至る(波羅蜜多)ための六つの行いを六波羅蜜という
経典の中には省略されているが、大事な手がかりです
布施 波羅蜜 (ほどこすこと)       持戒 波羅蜜 (戒めを保つこと)
忍辱 波羅蜜 (耐え忍ぶこと)       精進 波羅蜜 (はげむこと)
禅定 波羅蜜 (安らぎを得ること)    知恵 波羅蜜 (より正しく生きること)

あまり言葉の意味にこだわらないように、光り輝くほうに近づくにつれて
言葉の意味内容や理解が変化してきます
仏教では空に至るため六波羅蜜を行じることを説いてます
しかし、なかなかできないので年2回お彼岸の時にやりましょうというので、お彼岸があります
本当は、毎日の生活で行うことです。しかしこれが何だかわからないので
特別なこと、難しいこと、かんがえてしまう。
本当はもっとシンプルで明るい生き方のような気がします。
感動することは大なり小なり誰もが体感しているので感覚的にわかります
同じように光り輝く世界も意識に登っていないかもしれないが何回も体感している
世界のような気がしますそれに気づくこと・・・

般若心経は
「大いなる智慧を持って光り輝く世界(彼岸)にいたる為の教え」
そのために六波羅蜜と同じく八正道があります

正見  − 正しい見解    正思惟 − 正しい決意    正語  − 正しい言葉 
正業  − 正しい行為    正命  − 正しい生活     正精進 −正しい努力
正思念 − 正しい思念   正禅定 − 正しい瞑想

この八つの行いも、欲や怒りや不安に囚われていない時は自然と八正道を実践し
ています。まだ気づいていない。気づくことにより深くなります。


摩訶般若 波羅蜜多心経
「大いなる智慧を持って光り輝く世界(彼岸)にいたる為の教え」
観自在菩薩 
「宇宙の真理を自在に見る(観)ことのできる仏に近い人(菩薩)が」

行深般若波羅蜜多時
「六若波羅蜜を修行することのより、現れてくる真実の知恵を得たときに」
照見五蘊皆空 度一切苦厄 
「五蘊はみな空であることを理解し一切の苦厄からはなれた」

五蘊とは
  色:しき  (形ある実在するもの)
  受:じゅ  (ものの実在を知る感覚)
  想:そう  (対象となる物事を分析的に知る感覚)
  行:ぎょう (特定ノ対象に興味を抱く感覚)
  識:しき  (すべての感覚器官を働かせて対象を認識する感覚)

瞑想により深い宇宙のバランスの中心にいたると、すべてのものが安定して動きが止まる、
その安定したポイントはすばらしく心地よい光り輝いているために苦厄など一切感じない、
普段でも、この感覚に入るがほんの一瞬である、深く般若波羅蜜多を行じることで
一瞬が長くなってくる。この安定したポイントを空と呼んでいるここの入っていると世俗の垢が
きれいに流されていく

色不異空  色は空とちがいなく      空不異色  空は色とちがいない
色即是空  色はそのまま空であり    空即是色  空はそのまま色である
受想行色  受、想、行、識にしても    亦復如是  やはりそのとおりである

この宇宙を考えてみると、「大いなる意志」神仏と呼んでもかまわないのですが、
大いなる意志によって生まれてきたと考えることで色と空を見るともともとひと
つだったものが二つに別れ(陰、陽)(プラス、マイナス)お互いに引き合った
り反発しあったりして運動している姿か「色」と呼ばれる状態、(陰、陽)(プラス、マイナス)が
融合して安定して動きが止まっている、状態が「空」と考えるとわかりやすい

色即是空  色はそのまま空であり   空即是色  空はそのまま色である
ここでの受:(感覚) 想:(概念) 行:(意志) 識:(知識)として
人間の心の働きを言っています、それも同じである
受想行色  受、想、行、識にしても   亦復如是  やはりそのとおりである

したがって宇宙が存在しているあいだは、消滅することはありえない、
絶えず形を変えながら運動していることになる、昔から「時が解決してくれる」
「日にち薬」などと時間的変化をみんなちゃんと知っているのですそれをどう解釈するか、
般若心経では般若波羅蜜の智慧です

是諸法空想  この世の存在するすべての現象は実体がない(空相)
不生不滅   空という実態は生まれることも滅することもない
不垢不浄   清浄であるとも不浄であるともいえない
不増不減   増すこともなければ減ることもない


 「いろは歌」においては
いろはにほへど ちりぬるを (諸行無常)
わがよたれそ つねならむ  (是生滅法)
うゐのおくやま けふこえて  (生滅々己)
あさきゆめみし ゑひもせす (寂滅為楽)

世の中に不変なものは何一つない。すべてのものは変化し、やがて死滅する、しかし
その死滅したところうで、実は変化の姿の一つにすぎないのではないか。
あるものは変化ばかり・・・・
トータルとして
不生不滅   不垢不浄  不増不減・・である
しかし普段の意識では、生まれて死にゆき、きれいなものもあり、汚れているものもある、
増えることもあれば減ることもある体感の世界にいる、
観自在菩薩が深く般若波羅蜜多を行じた時にいたる「空」の世界(意識)と現実に生活している
意識の世界とは認識において違いがあるということみたいです
どれがいい、悪いと言うことではなく意識の視点によって見えるものが変わってくるということ
でしょう
いろいろな空の解説は参考意見として瞑想をとおして空を体感することで最終的
な答えが出てくるのだろうと思います
空の世界では一切の苦厄から解放されるということは魅力的なことです

是故空中       この故に空の中には
無色          色も無く
無受想行識      受も想も行も識も無く
無眼鼻舌身意     眼も耳も鼻も舌も身も意も無く
無色声香味触法    色も声も、香も味も触も法も無し
無眼界         眼界も無く
乃至無意識界     乃至意識界も無い

この故に空の中には、色(物質的現象)と受想行識(精神的現象)の五蘊は無く、
眼鼻舌身(肉体上の感覚器官)と意(精神上の意識)も無く、色声香味触法(感覚を受けるもの)
も無く、それを認識する意識も無い
これらを五蘊・十二処(六根・六境)・十八界(六根、六境、六識)といい、
この世界の中で存在する物質や精神や認識の働きを現している、これが空の世界に
入るとTVのチャンネルを切り替えるように消えてなくなる
色の世界で連鎖反応のように流れている因果の法則も、空の世界には無い、この世界に仏がいる
・・・・・・・確かめるには行ってみるしかないですね
色これすなわち空なり、と言っているのだから同じ世界に存在すると言うことなので
行けると言っているのが般若心経です・・・・・・・・・・・

無無明    無明も無く    亦無無明尽  また無明の尽きることも無く
乃至無老死  乃至老死も無く   亦無老死尽   また老死尽きることも無し
無苦集滅道   苦も集も滅も道も無く    無智亦無得   智も無く、また得も無し
以無所得故   得る所無きを以っての故に

迷いも無く、迷いの無くなることも無い。乃至は老いることも死ぬことも無い。
また老いと死がなくなることも無い。苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制することも
苦しみを制する方法も無い。智もなくまた得もなし。
得るところが無いのだからして・・・・・・



無明〜老死までのあいだに「十二因縁」が省略されています人が生まれ出て死ぬ
までの状態を表しています、「無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老死」
ひとつずつ、無いのだけれど・・・・無くなることもない
さらに、苦、集、滅、道という、人が生きていくために直面する苦悩の四か条
「四諦」(したい)もまた、無いのだけど・・・・・・無くならない

お釈迦様が説いた「十二因縁」 「四諦」の説明は省略します
どうも、色という形ある世界では色々な変化に対して苦悩として感じてしまうシステムなんでしょう、
ただ苦があるということは、その反対の楽もある。コインの裏表の関係でしょう、
片方が消えれば反対側も消えますが、無くならないから
コインの裏表は続く、そして空の世界はコインという物質が無いのだけれど裏と表が融合
している状態(調和)として存在する世界。
人の肉体じゃない、意識の感覚で空の体感が進むにつれて、陰陽が融合(調和)して感じられてくる、
自己の肉体の調和・精神の調和・他人と社会との調和、地球との調和・宇宙との調和、次第に調和の
枠が大きくなってきます。その宇宙の中心が空(大調和)になってくる。

「空」と「色」について
「色」は形あるもの眼に見える働きなど、それぞれに固有の名称で呼ぶことができます。
「空」は言葉で表せないもの・・・・すべて「空」と呼びます
たとえば気功法の「気」は、宇宙に遍満する命のエネルギーを気と呼ぶだけではなく、
太陽や月や地球が持っているエネルギーも気と呼び、樹木のエネルギーも気、人の体を流れている
エネルギーも気と呼んでいます。形あるものに流れてい
るエネルギーをすべて気と呼んでいます

「空」も同じようにすべての状態を「空」と言っています。老子のタオも同じです
言葉、文字あらわすことができないものをまとめて、とりあえず「空」と呼んでいる
たとえば、コンピュターはON/OFFの二進法の言語ですが、かならずONかOFFどち
らかを選択しなければいけない、そこに「空」が入るとONでもない・OFFでもな
い両方のまさに中間、選択できないものがでてくる、はっきりした形で表せない、何かになる

感覚・直感的理解になってくる。ONでもなくOFFでもなく、その両方を包括して
バランスよく調和がとれている中心であり全体でもあるものを空といい、無限に小さいもの
から無限に大きなものにまで内包されている、バランスの中心である。

「矛盾」(むじゅん)という言葉は、世界1の矛(ほこ)で世界1の盾(たて)
を突いたらどちらが勝つか???という意味ですが、矛と盾を別々に持つことで争(運動)いが
うまれます、もし一人の人が矛と盾を持てば最強になり矛盾はなく調和がうまれます。

日本の神話ではイザナギ・イザナミから陰陽二つに別れ形ある世界が生まれてき
ます、その前の神様は一人神で安定した調和(空)の中にいます。
すべてがひとつになったとき安定と調和がうまれる、そしてまた2つに分かれて動きはじめる。
「色」と「空」の関係もこんなものかもしれません。

なにかを行うとき計画的行う人と、直感的に行う人がいますが、言葉ではどちらかのタイプと
言うことになりますが実際は計画を直感で進めています、別々ではありません、
突然のことでもカンでやっていることがあたかも計画的にやっているように次々と、
うまくいくことがあります。「空」という全宇宙に任すと全てがバランスよくことが起こるっていくのでしょう。

般若心経は空に到達することで宇宙のバランスを手にする方法です。・・・・・
しかし・・言葉にすると、これも空の一側面でしかなくなってしまう・・・
〜があると肯定するとそれだけになりほかのものを否定しなければならない、般若心経で
不や無で否定しているのは、それ以外のすべてを肯定するための言葉の手法ととらえると
わかりやすいでしょう
菩提薩垂   菩提薩垂は   依般若波羅蜜多故  般若波羅蜜多に依るが故に
心無圭礙  心に圭礙なし    無圭礙故  圭礙なきが故に
無有恐怖  恐怖あることなく  遠離顛倒夢想    倒夢想を遠離して
空竟涅槃  涅槃を空竟する

すぐれた求道者は般若波羅蜜多を身につけているから心が自由であり自由である
から恐れがない一切のあやまった想念から遠く離れてついに平安の境地にいたる
三世諸仏 三世の諸仏も  依般若波羅蜜多故 般若波羅蜜多に依るが故に
得阿耨多羅三藐三菩提  阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり
過去、現在、未来の諸仏も、般若波羅蜜多を体得しているので
この上もなく正しい悟りを得られた

ここで仏にいたるには、般若波羅蜜多の体得であると説かれている
般若波羅蜜多とは六波羅蜜の完全な実践者の最高至善な智慧

檀波羅蜜多  (布施)  戒波羅蜜多  (持戒)  忍波羅蜜多  (忍辱)
進波羅蜜多  (精進)  禅波羅蜜多  (禅完)  般若波羅蜜多 (智慧)

宇宙・地球・人類・私がすべてと調和するために 
必要な六波羅蜜とは・・・・・科学もまた「空」に近づいてきています。
現代社会に負けないくらい智慧のレベルを上げていくことでしょう

故知般若波羅蜜多  故に知る、般若波羅蜜多は  是大神呪 是れ大神呪なり
是大明呪 是れ大明呪なり 是無上呪 是れ無上呪なり是無等等呪 是れ無等等
呪なり  能除一切苦 能く一切の苦を除きて 真実不虚故 真実にして虚しか
らざる故に 説般若波羅蜜多呪 般若波羅蜜多の呪を説く  即説呪曰 即ち呪
を説いて曰く
それ故に、般若波羅蜜多は、一切の苦厄をとり除くことができ、 真実であり、
虚妄ではないから、これは、大神呪であり、大明呪であり、無上呪であり、無等
等呪である
般若波羅蜜多の呪を説いて教えよう
すなわち、その呪とは
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
ギャーテイ ギャーテイ ハーラーギャーテイ ハラソウギャーテイ ボウジソワカ
般若心経
はやく、はやく、できるだけはやく、いますぐにでもはやく
彼の岸へと願い奉る

さいごの呪は祈りの言葉で意味はほとんど無く、「わっしょい」のような掛け声的なものだと思います。
彼岸、空の世界には、この世界の言葉では表現できない、ただ
昔から彼岸の世界について残している言葉を借りると、すべてが光り輝く永遠の
存在「命の輝き」であるといわれてきています瞑想していると確かにそんな感じがしてきます
すべてが光の命で満たされていることを考えると般若心経は「永遠の命の輝き」
を説いているといえます。羯諦 羯諦〜は
「無限の、無限の、輝きいっぱい、ありがとうございます」
になります(ありがとうおじさんと同じです)

さらに般若波羅蜜多の智慧は六波羅蜜
檀波羅蜜多  (布施)  戒波羅蜜多  (持戒)  忍波羅蜜多  (忍辱)
進波羅蜜多  (精進)  禅波羅蜜多  (禅完)  般若波羅蜜多 (智慧)
の檀波羅蜜多  (布施)の認識を宇宙が命の輝きを与えてられている、事に対する感謝から
はじめれば、何を戒め、何を耐え、何をがんばるか、そして心を鎮め、すべてを見通せる(観)智慧が
得られるのか、般若心経が教えてくれています

20世紀から、科学の発展には目覚しいものがあります、その裏を支える「おかげさま」の
認識も今以上に深まっていくことが陰陽のバランスです、般若心経はこれからますます
人類全体にとって「般若の智慧」として静かに深く浸透していくことでしょう



サンスクリット語から現在誤訳した般若心経

知恵を完成なされし聖なるお方に礼したてまつる

聖なる観自在菩薩が深い知恵の完成[般若波羅蜜多]のために修行をなさっておられたとき、
宇宙から見られて悟られた。見渡すかぎり、あるのはただ五つの宇宙構成要素[五蘊]ばかりである、
と。それら五つの構成要素のどれであれその実体は空であることを、見抜かれたのである。

この宇宙では、おおシャ―リプトラよ、形あるもの[色]は空であり、
そしてまさに空そのものが形あるものである。空とは形あるものと異なることなく、形あるものは
空と異ならない。形あるものとは空なのであり、空はすべて形あるものである。
感覚、知覚、衝動、そして意識についても同じことである。
この宇宙では、一切のダルマ[法]は空のありさまを呈している。それらは生まれるというもの
でもなく滅するというものでもなく、汚れるというものでもなく
清浄であるというものでもなく、増えてゆくものでもなく減ってゆくものでもない。

それゆえに空においては、ほんらい形あるものなど在りはしない。したがって感
覚も知覚も衝動も意識もほんらい在りはしないのだ。
言い換えると、目も、耳も、鼻も、舌も、身体も、心もほんらい在りはしないのだ。ということは、
形あるものもなく、音もなく、匂いもなく、味もなく、触れられるものも、心の対象も、
じつは在りはしない。

目に入るすべての世界から、心の浮かぶすべての世界にいたるまで、ことごとく何も在り
はしないのだ。であるから、無知もないから、無知の消滅もない。老いることも死ぬことも
はじめからないのだから、老いることがなくなることはないし、死がなくなることもない。

宇宙のどこにも苦しみもなければ、苦しみの原因もなく、苦しみの消滅もなければ、苦しみ
をなくす方法もありはしない。
いかなる認識もなければ、いかなる達成[得]もありはしない。
無達成ゆえに、また菩薩の深い知恵の完成にすがるによって、心に曇りがなくなるのである。
心に曇りがないゆえに、恐怖というものは起きない。したがっていっさい(の問題解決)にとんでもない
判断[顛倒]をするということがない。

そのような日常の行いの結果として涅槃に入るのである。
過去、現在、未来の三世にブッタとして現れる一切の人々も、深い知恵の完成によったがために、
無上の、正しい、そして完璧な悟りに目覚められたのだ。それゆえに、深い知恵の
完成[般若波羅蜜多]を知りたまえ。それは大いなる神の真言、大いなる知恵の真言、
無上の真言、無比の真言なるぞ。
一切の苦しみを沈める力として知るべきであるぞ。この真実に偽りはない。
ゆえに深い知恵の完成
[般若波羅蜜多]として、この真言を説かれたのである。
その真言とは

ぎゃーてい、ぎゃーてい、ぱーらーぎゃーてい、
                      ぱらさむぎゃーてい、ぼーじー、すわか。

(脱したるぞ、脱したるぞ、ここを脱したるぞ、完璧に脱したるぞ、
なんという目覚めかな、幸いなるかな、これぞ完全なる知恵なるぞ)

こころのに曇りがなくなる教え



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