前回放送の《レクイエム》同様、この作品には今まで全く馴染みがありませんでした。ドラマ性よりも歌唱技術をひけらかす傾向の強いヴェルディの初期の作品は食わず嫌いなので、彼が歌わなければ、恐らく聴く機会すら持てなかったと思う作品です。
ぶっつけ本番でもいいかしら?とも思ったのですが、真夜中〜明け方にかけての中継放送ですから、全く知らない状態では途中で寝てしまう可能性もあるかも…と思って、予習がてら地元の図書館から簡単な解説付きのCDを借りてきて、一度だけ通して聴いておきました。
そのCDでは、低声3人(伯爵、ウルム、ミラー)の声が、みんな似たように聴こえ、誰がどこで歌っているのかが、あまりピンときませんでした。
とりあえず、伯爵には「やつが力強く幸せになるためには〜Il mio sangue, la vita darei」というアリアがあることだけは認識できたので、このアリアだけは、聴き逃さないようにしよう!と思って、放送に臨みました。
実際に放送を聴き始めると、キビキビした感じのテンポで、伯爵が出てくるまで30分くらい時間があるのですが、そういった時間の長さは全く感じませんでした。そして、おや?と思ったのは、伯爵が歌う場面が意外と沢山あること。
CDの解説やネットのあらすじで読んでみても、ヴァルター伯爵については殆ど触れられていないですし、テノールとソプラノの為の作品+低声ではどちらかと言うと、ルイザの父親ミラーの方が有名なアリアもありますし、美味しい役ですから、ホントに「添え物」みたいなものかと思っていたのです。
また、この作品の原作は《たくらみと恋》というシラーの戯曲ですが、その割には安手のメロドラマのような、随分稚拙な台本だなぁともいうのが、最初に思った印象でした。
ところが、放送を聴いている時に、一箇所気になった部分がありました。1幕終了間際の、息子ロドルフォとのやり取りのさなか、狼狽したような声色になったところです。これは、予習用のCDを聴いていた時には、全く気がつきませんでした。
そして、この部分は音楽的にも《ドン・カルロ》の異端審問の場で、カルロがフィリッポを脅すシーンに類似していると思いました。
身分違いの恋に翻弄される若い恋人達…が主役であることは確かですが、伏線には《父と息子の確執》があり、息子が父の「人に言えない秘密」を握っていて、父を脅すけれど、息子は父を乗り越えることが出来ない…というシチュエーションは、正に《ドン・カルロ》に重なるテーマでもあるのではないのかしら?
だとすれば、こじつけかもしれませんが、将来《ドン・カルロ》のフィリッポをも歌いたいと希望を持っている彼にとっては、勝手な憶測ですが、ヴェルディのこうした激しい気性を持つ「高貴な悪役」における適性を図る為のいい機会、また役作りの上においても、共通点があるんじゃないかしら…と思ったのです。
今回の公演では、「エレガントで貴族的だった」という、とっても嬉しい言葉も頂きました。こういう「汚れ役」にこそ、そのような雰囲気が不可欠だと思うのですが、それとは全く正反対の批評、すなわち役に対する性格付けが過剰すぎ、音程も不安定…と一部の批評家から指摘を受けました。ヴェルディの初期の作品という性質上、ただひたすら楽譜に忠実に音符変換し、演劇性を追求するべきではないとでも言うことなのかしら?
別の批評では、男声低声3人はヴェリズモに走る傾向があるとも書かれています。
それを言ったら、ルイザだって、ロドルフォだって、かなりヴェリズモ寄り(様式よりも、劇的優先との表現が適切かしら?)に偏っているように私には思えました。最も、そのくらい劇的にやってくれたお陰で?この作品に全く馴染みのない私など、眠くならずに最後まで聴けたようなものです。
指揮についてもテンポがめちゃくちゃで、ブーイングまで出たそうですが、いくら好きな人が出ているからと言っても、出ずっぱりじゃないですし、演奏自体が好みに合わないと、殆ど馴染みのない作品を、聴きとおすなんて出来なかったと思います。
また、若すぎる、声が軽い…という、もう聞き飽きたようなお決まりの「ご指摘」も受けました。ここで言われる「若すぎる」は、見た目だけの問題ではないと私も思っています。
それにしても一体いくつになるまで「若すぎる」と言われるのかしら…(尤も、そう言われるうちが花、という見方もできますけどね^^;)
何しろ、これまでに全く馴染みがない作品ですから、今のところはこれ以上深く追求できませんが、そういう意味では先入観ナシで作品に向き合い、素直に受け入れられたことに、感謝したいです。25日と28日にはRAIのカメラが入っていたとの情報も頂いたので、DVDが発売されるかもしれませんし、その時が来たら、映像でじっくりと、エレガントで貴族的な「悪いお父さん」を観察してみたいと、楽しみにしています。