芦屋市立美術博物館
ASHIYA CITY MUSEUM of ART &HISTORY
ヒアリング実施日:1996年12月11日Wed.
学芸課長 K氏
美術館DATE
タイトル上のフタバマークから具体美術のホームページへリンクできます。
〒659 芦屋市伊勢町12番25号
TEL 0797-38-5432
FAX 0797-38-5434
交通 阪神芦屋駅から徒歩約15分
OPEN 1991年3月
職員 館長
学芸員 美術館5名(内嘱託1名)
博物館3名(内嘱託1名)
その他の職員 6名(内非常勤2名)
面積 延床:3,402F
総工費 約20億円(建物のみで約16億4000万円)
管轄 芦屋市教育委員会社会教育課
芦屋市文化振興財団
設立の経緯
市制50周年記念事業として建設が計画された。普通、人口8万8000規模の都市では美術館建設は難しいのだが、芦屋市は標準の3倍ほどの税収があったために建設が可能となった。
芦屋は明治の終わりごろから開けた場所で、金持ちが多く、文化レベルも高かった。そのため優れた作家やコレクターが多い。昭和23、4年頃から美術館建設を求める声が出ていたという記録もあり、そのころから土壌は出来ていた。この時は美術協会や新聞記者が中心となって声をあげたのだが、その後昭和60年頃にも、地域の絵の好きな人が集まって市民団体をつくり、具体の美術館を建設しようという運動を起こした。
美術館建設に踏み切ることができたのは、時代が一致したのと財政的に余裕があったためである。当時は税収がよく余剰金も出ていた。その余剰金を基金を設立し積み立てており、100億近い金額ができていた。
また、これは一部の市民の声を押し進めてきたものであるが、実際には市長の判断に依るところが大きい。美術館建設の実現は市民運動だけでは難しい。判断できる人、もしくは市長の公約にそれを盛り込めるだけの政治力のある人物が必要になる。それまで建設の要求が出ていたのに実現に至らなかったのは、そういう人がいなかったためである。
美術博物館という形になったのは、当時郷土資料館をつくる計画もあり、それと美術館の計画が結びついたためである。本来ならふたつの館ができるはずだったのだが、財政的に二つの館を運営するのは不可能だったため、今のような形態になった。
方針
はじめは具体の活動を残していくという方針だったが、市長の交代によって方針が変化し、郷土の作家とその周辺も盛り込むことになった。しかし活動としては具体の占める割合が大きい。
収集方針
芦屋ゆかりの作家、及びその周辺の作家の作品を収集している。また、収集は日本人のみ。作品購入予算は、開館当初が2億円、その後8000万、5000万となりそこで安定するはずであったのだが、地震のため今は0。あと3〜4年たち、仮設住宅が全てなくなった時点でまた復活する予定である。
運営
管轄は教育委員会社会教育課、運営は芦屋市が100%出資する文化振興財団が行っている。
最近は第三セクター式、財団方式をとる美術館が増えているが、それは文化行政などで仕事が増えても、市の職員は簡単には増やせないからである。仕事は増えたが人員は変わらないとなると、職員一人当りの仕事量は増え、はてはオーバーする。そこで財団を設立し、仕事を分担するのである。財団の職員は市の職員ではないが、給料は市から出ている。市の方も、身軽になりたいから仕事を財団に振るという形になる。
歴史分野は、以前は文化財係の管轄に入り出先機関として館で事務も行っていたのだが、今は分離して教育委員会の管轄になり、ここでは展示のみ行っている。
活動に対する芦屋市の評価
内容の良し悪しよりも「美術手帳」や新聞などで取り上げられるようになったことで評価されることが多い。しかし議会にも理解者はおり、美術館で取り上げられた内容をきちんと議事録に残るよう紹介してくれた人もいる。
しかし市側から、もっと具象ものの展覧会をやってくれと言われることもある。バランスを取ってやっているうつもりが、内容が大きいためどうしても具体や現代美術が目につくようである。地元の優れた作家がいるのにそれを取り上げないと、何故芦屋と関係ないものに市が予算つけなきゃならないのかという話になる。そうすると、他にやりたいことがあってもやらせてもらえなくなってしまう。そのバランスが難しい。
でも今の市長は文化的な人であり、現場の意見を尊重してくれている。
市とかかわっていく上で
現場としてやるべきことをはっきりさせ、市に対して、筋のとおった形で意見を伝える。予算にしても、きっちりした金額を割り出し、それぞれ裏付けを取って要求していかなければ通らない。行政に対して色々不満な点は出てくるが、いかにケンカせず、自分の理想に近づけていくか。それが現場の人間のかなり重要な才覚になってくる。
また内部だけでなく、外部の評価をつくっていくことが重要である。展覧会をするだけではなく、アンケート用紙をつくったり、他の館で具体の展覧会をするときにの手伝いをしたりして実績をつくり、新聞や雑誌で専門的な評価をしてもらう。それらの評価は、要求を通す時に有効に働く。
それから、トップダウン式で、こういう展覧会をしなさいといわれることもある。地方にいく程そういうものが多い。提携都市との友好を保つための展覧会などといったもので、芦屋の場合は、そういうものを受け入れる代わりに館からもやりたい展覧会の要求を出すというように、バランスを取って対処している。
子供向けの展覧会
芦屋市立美術博物館では毎年夏、子供の鑑賞を考慮に入れた展覧会を開催している。これは開館当初から行っており、当時としては先駆けであった。
こういった子供向けのものは、国立の美術館で行っても遠くの人は観にいくことができない。それよりも身近な、 市町村レベルの館で行う方が向いていると考えている。またここでは、小中学生は常設展を無料で観ることができる。そうのようにして子供が来やすくしたのだが、来やすくするだけではなく、学校の先生にもお願いして、子供に観ておいてほしい展覧会は学校に案内を配布し、先生から生徒に対して勧めてもらうようにしている。
学校の先生からは「連れていきたいけど、集団で行くと何か悪さをしそうで心配」とよく言われる。これは正直な意見である。しかし集団で見学することより、まず美術館で行っていることの情報を子供が得ることが重要である。そうすれば 観たい子が来る。そしてそれによって美術館にいくクセがつくだろうし、徐々に好きな子は増えていくと考えている。
美術館に子供を呼ぶことの必要性について
美術だけでなく、子供を日常的に創造的(想像的)な環境に置くことで、色々なものの見方、また人間対人間の見方が変わってくるのではないかと考える。それが結局情操教育というものなのである。ただあまり小さすぎても子供をスナックに連れていく様なもので、いくら刺激的な場所でも退屈するだけで終わってしまう。そこが微妙だが、小さい頃から美術館と親しんでいれば、畏まって観るのではなく、自分の好きなものを探すという見方ができるようになる。本物を生で観て、自分の中に積み重ねていることが重要なのである。
おじいさんが孫の手を引いて美術館に来て子供と話ができるような、そんな環境が日本には一番欠けている。今、日本で10人ぐらい小さい子を集めて、この中で美術館に行ったことのある人手を挙げてと言っても二人ぐらいしか手を挙げない。これが後20年たった時、みんなが手を挙げるようになっていてほしい。おじいさんも小さい頃から美術館にいっていれば、孫の手を引いていくことができる。
美術というのはコミュニケーションの媒体である。もう一人の人が入ってきた時に、美術を仲媒として話ができるようになってもらいたい。自分の世界観で絵を観ることができるのは、やはりいいことである。
美術館建設に際しての問題点
.構想作り
多くの政治家にとって、文化事業と名のつくものは内容ではなく一つの格上げである。そのため、現場の人間の目の届かない、政治家の間だけで話は出来上がってしまう。実際の美術館に対しても、具体的な話し合いがされないまま建設が始まってしまうので、専門家や現場を担当する人に知らされる頃には、もう変更できないところまで話が進んでしまっていることが多い。この館で行っている子供向けプログラムにしても、市が子供の体験教室を取り入れたいという意図を持っていたから実現できたのであり、そうでなければ難しかった。
また市の美術館担当者が他の館の視察に行っても、現場の人間ではなく議員レベルの人が応対することが多いため、実際現場には何が必要なのかという、本来されるべき説明がなされない。その結果、既存の美術館のイメージで考えてしまうため、どうしても中央を基本に考えてしまい、地域を考慮した構想にはなかなかならない。
美術館建設は多額の金銭が動くことであるし、一旦つくってしまったら否が応でも存続させなくてはならない。何十億かけてこの先ずっと続くものとなると、その決定にはかなりの責任を伴うことになる。一旦つまずいたら、一生市長の座は駄目になることもありえる。だから余計に建設には政治的な動きが必要になるのであり、また逆に、イエスマンを集めなくては話にならないところを、現場の人間が色々と口出しをしたら、かえって邪魔になる。だからある程度固まるまではこちらに話がまわってこないのだという見方も出来る。
. 建物
個人の住宅でも、台所はどうする、階段は‥‥と細かいことまで話し合うものだが、美術館ではこれから使っていく上でどんな設備が必要か、どういう構造にしたら使い易いか、現場の人間と話し合おうという姿勢がない。芦屋市立美術博物館の場合でも、準備室ができた時に建物の図面を見せられ、「何で四角い建物にしないんですか」と言っても「いやもう最終決定してますから今更変更できません」と何も聞き入れられなかった。
そして建築家任せになるのだが、建築家の方でも、名の残る立派な建物をつるろうと気を張るから、機能は二の次になってしまう。そうすると、壁面数の少ない、写真撮影できる部屋もない、その割りには無駄なホールがあるという美術館が出来上がることになる。
とんでもない建物でも、出来てしなったものは仕方がない。後は美術館側がいかに使いこなしていくかという力量の問題になる。
。.学校との協力関係について
ギャラリートークや造形教室を行う際、教育委員会を通して学校へPRしようとした。しかし、実際に話が通るのに2年もかかってしまった。これは同じ教育委員会内であっても、社会教育課と学校教育課の間に交流はあまりなく、他部署を巻き込むのは難しいからである。学校の先生に知り合いはいるので個人的に声をかければはやく話が通ったのだが、下同士でやるのではなく上を通して正式にと考えると時間がかかってしまう。
「.美術館で行う個展について
芦屋市美術博物館では海外の現代作家の個展を取り上げる方針であるが、美術館で個展を開くとなると、権威付けというものがついてまわる。極端な例でいうと、今はもう違うがNHKの日曜美術館がそうである。以前あの番組では、既に亡くなった作家の展覧会しか紹介してこなかった。
結局、若い作家の個展を開催するかどうかは、学芸員の押しと能力にかかっている。館長レベルの考えではもう古く、あの人をやるなら先にあの人をやらなければという、芸術とは一番関係ないはずの問題が出てきてしまう。
日本の美術館の問題点
.他の館の美術館教育活動について
最近では、色々な美術館で積極的な試みがなされている。ワークショップの講習会で聴いてきたことを、そっくりそのままやろうとしてうまくいかなかったという話がある。しかしそれは学芸員に責任のあることで、同じものを持って来てやろうとするのではなく、まず自分の館を生かして、そこで何ができるかを考えなければならない。
.巡回展について
巡回展は、海外ものなど、多額の予算がかかるため何館かで協力してやるものと、ほかの館のつくったものを巡回させるものという二つの性格がある。
日本の学芸員は研究者色が強いため、自分の館の規模や財政、方針、地域性に見合った企画を考えるのが苦手という傾向がある。その為、巡回展に頼ってしまうことが多い。しかし結局、自分のところで考えてつくっていかないと蓄積ができないし、評価も得られない。数をこなすだけで、美術館として成長していくことができなくなってしまう。
また、新聞社主催の巡回展は往々にして値が高い。同じ内容でも自主企画なら半分程度の予算ですむ場合もある。こういった展覧会は広報などの面でメリットにはなるが、良し悪しなのである。学芸員自身算盤をはじけるようになっていれば、予算の面でより効率的な展覧会を開催することが出来る。そしてまた議会に対して説得力のある予算をたて、次の展覧会につないでいくことが出来るのである。
。.話題性重視の展覧会について
美術館は、動員数重視の展覧会を行ってはいけない。いくら沢山の人が見に来ていても、その人達全員が美術から何かを学んでくれるわけではないからである。中にはただ見に行っただけで、何の蓄積にもなっていない人もいる。
絵とのコミュニケーション、一緒に行った人とのコミュニケーションができないまま終わってしまうのでは、あまりに哀しすぎる。美術のことがわからないならわからないなりに、自分の今持っているもので判断できるような、そんな鑑賞の仕方を見につけてほしい。
「.学芸員と美術館の状態について
.でも触れたが、日本の学芸員は全体として研究者であり、学校でも美術館運営や展覧会開催のノウハウについて教えてもらっていないため、現場に来ても吸収力が悪い。最近になってやっと、成安造形大学や慶応義塾大学で美術館そのものについて考えはじめた。
また日本の美術館は自分で修復や警備の機能を持っていない。それに終身雇用制というものが存在するため、アメリカのように常に動いている状態がつくりにくい。
」.美術館・博物館連盟について
色々な種類のネットワークはあるのだが、全体として活動は活発ではない。
96年2月、博物館連盟でボランティアの話がでた時のことを例にあげる。出席者は学芸員だけでなく役所の人間も来ていたのだが、そこで話し合われたことは、まず人集めになるイベントをやる…そのためには有名な作家を呼ぶ必要がある…当然お金がかかる…だから学生ボランティアを使うという論理であった。この世界は20年前から変わっていない。担当者が役所の人間なので、蓄積が出来る前に異動で変わってしまう。そうすると結局ローレベルから脱却できない。
以前美連協で、美術館教育会議を開催し、出席者みんなが刺激を受けたことがあった。しかしこれも一回こっきりで続きが行われていない。こういくことは、続けてはじめて価値が出てくるのである。
日本に必要なのは、日本なりの美術館のスタイルをつくっていく姿勢である。
芦屋市立美術博物館の今後の方針
今後の方針としては、作家の個展、海外のあまりメジャーでない作家の展覧会もあわせて行っていく予定である。美術館は、評価が下がることをしてはいけない。またどういう事をやっているか、一目瞭然でわかるようにしておかなくてはならない。市民の税金でつくったのだから市民のための活動をとよくいわれるが、美術館は、一旦つくったらそれは世界の人のものであるという発想が必要である。館としての個性を持たせ、それをどうみせるか。それもただ個性というのではなく、自分のところで何ができるかを考え、その上で無理のないもの、また何処かから持って来たものではなく、自分のところで考えてつくったものをみせていくことが重要であると考える。
地域の人達に美術を通じて色々なことを知ってもらう、そしてその一方で意欲的な展覧会を行っていく。それは裏返せば同じことである。こういうものは、はじめから方針を立ててできるものではなく、5年10年とかけて培っていくものである。そしてその上で、「ほら、芦屋でもあれだけのことをやっている」と他の館の意欲につながるようにしていくのが、一番いいことだと考えている。
所感
今まで耳にした美術館の問題点が網羅されていたと思う。しかし、今回話をしてくれた方は、美術館がどうあるべきか確固とした考えをお持ちであり、美術館の活動もそれにのっとって行われている。ここで開催される企画はをみていると、やはり美術館は人で決まるなと実感させられた。
また、美術館建設に関してここではかなり否定的に述べられているが、実際和歌山県立近代美術館や豊田市美術館、東京都現代美術館などでは理想に近い展示スペース、裏方スペースが取られているようである。そして構想段階ではあるが大阪市近代美術館(仮)でも、今までのやり方でを排除し、現場を重視して話を進めていくそうである(しかし構想は凍結している) 。これから、これらの美術館の前例をどう生かしていくかが課題になっていくのだと思う。
■芦屋市DATE■
人口:74,720人(平成8年11月1日現在)
主産業:なし(主に住宅地)
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