滋賀県立琵琶湖博物館

LAKE BIWA MUSEUM


ヒアリング 実施日:
 1997年7月4日Fri. 総括学芸員 N氏
1997年7月31日Tue. 滋賀県農政水産部環境監 T氏


博物館DATA

〒525 滋賀県草津市下物町1091
Tel:0775-68-4811
Fax:0775-68-4850
交通 JR草津、栗東、守山からバスまたはタクシー。
   バスは、JR草津から近江鉄道バス「烏丸半島」行き「琵琶湖博物館前」下車、約22分。
   名神高速「栗東I.C』から国道一号線〜栗東湖岸道路を経て烏丸半島へ。
   琵琶湖汽船シャトルボートで「大津港」より「草津烏丸半島港」へ。
OPEN 1996年10月20日
学芸員 31名
面積 敷地:42,434平方メートル
   延床:23,987.0平方メートル
総工費 約230億円
管轄 滋賀県琵琶湖環境部
タイトル上のフタバマークから琵琶湖博物館のホームページへリンクできます。

設立の経緯

 滋賀県では、25年前から琵琶湖総合開発を推進してきた。これは琵琶湖から集水域全部に影響を与えるような大事業で、これに伴い民具の役割が失われてしまうのでは、と言う声があがった。そこで、民具の博物館を作る話が持ち上がったのだが、これは実現せず、その直後に県立博物館を作ろうという声が出始めた。その後昭和60年に、知事が自然系と歴史系の二つの博物館を作ることを宣言。これが直接のスタートである。そして昭和62年、仮称琵琶湖博物館の建設が決定した。

基本方針

 琵琶湖のなりたち、人と琵琶湖の歴史、人のくらしと湖の環境とのかかわりという、大きく3つのテーマからなる。環境の多様さを知り、「人と琵琶湖」をテーマに環境について考える。啓蒙の場ではなく、ともに考える双方向的な博物館をめざす。
 ここは、環境にかかわる様々な課題を自分で見、自分で選択してもらうという博物館である。博物館は啓蒙の場では決してない、環境を教えるような場にはしたくないという考えが念頭にある。そして、一人一人が環境をもう一度考え直すためには、環境の多様さを知ることが大事であるという認識に基づき、建物だけで完結しない、博物館を入り口に、来た人一人一人が琵琶湖というフィールドに広がっていけるような構成になっている。

 当初県には、県政のイメージを環境でアピールする、琵琶湖美化と総合開発を全面に出すような博物館にしたい、という考えが根底にあった。だが、館のコンセプト作りに関しては早くから学芸員に受け渡され、彼等によって話し合いが行われた。公共施設の建設では、大枠は先に行政側で決定し、ハコができ上がってから学芸員などに受け継がれるというやり方が一般的である。しかしこういうやり方だと、後になって使い勝手の点などで不都合が出てくる。だが、ここではそうならなかった。というのも、担当となった滋賀県の田口氏の方針に寄るところが大きい。
 田口氏には、まずどコンセプトをどうするか、そのためにどんなソフトが必要かを時間をかけて議論し、話し合う、そしてその後で、ソフトのためのハードについて考える方法が大切である、という哲学があった。この哲学は、準備期間中を通して、博物館建設の主要なポイントとなる。そのため、12年間にも及ぶ準備期間の早い時期から学芸員が採用され、学芸員同士で時間をかけて議論するやり方が定着した。琵琶湖博物館は、館の基本理念と運営方針に学芸員の意向が反映された、数少ない公共施設の一つなのである。

開館までの道筋

 建設が決定されたのは昭和62年。はじめは文化振興課が所管していたのだが、その後、琵琶湖ホールというオペラハウスの建設準備室と合併され、平成元年に文化施設開設準備室となる。このとき、県庁の外に移った、いわば独立した。そして平成4年、博物館開設準備室を設置。かなり早い時期から博物館の準備室として独立していたことになる。
 博物館に関しては、当時の館長候補者(平成5年に死亡)と数人のブレーンが中心になって決めていった。その人達が県のなかで非常に力を持っていたことも、このような博物館が実現した一つの要因である。長い期間をかけてゆっくりやるやり方や、早い時期から学芸員を採用すべきであるということなどは、その人達との協議のなかで決めた。そういった基本路線の他、どういう分野の学芸員が必要かなど、博物館の根本となる部分はその時に決定されている。そして、それから先博物館をどうしていくかに関しては、ある意味で学芸員にまかされた。また、運営のスタイルも学芸員が決めていった。
 また、学芸サイドで考えていた博物館のイメージと、現在の館長である川那部氏自身が持っていた博物館像ともうまく一致したという。現在琵琶湖博物館でよくいわれる、「博物館は入り口である」という言葉を始めに言ったのも川那部氏である。

 学芸員は、博物館開設準備室が設置された平成元年に最初の1名が採用され、その後、開館までに毎年1〜7名づつ採用されている。始めは博物館に関する情報収集が主であったが、平成3年ごろから理念や展示に関する基本的な話し合いがされるようになった。
 話し合いでははじめ、基本的な理念を積み上げて行くことに時間を費やした。それから現代の環境をどう扱うか、いわゆる環境観について一年も二年も議論された。学芸員の認識が一致できるようになるまでには非常に長い時間が必要だったが、このようにして博物館づくりは進められていった。
 基本の筋道が決まった後は、何を材料にして言いたいことを伝えるか、実際のストーリー作りにかかった。琵琶湖博物館の学芸員は個性が強く、自分の意見もたくさん持っている。そのため、全体のストーリーの中にどの挿話をちりばめたら見た人が面白いか、その選択が難しい。筋道が決まってからfixするまでにまた時間をかけている。
 それらの話し合いは、基本的に学芸員が責任を持って行った。学芸員がプランを煮つめ、それを県内部の検討委員会や、大学の研究者などの建設準備委員のところにもっていき、意見を聴きながら進めていった。建物に関しても、コンペにするとデザイン重視になりがちだが、ここでは建設会社に最初から入ってもらい、そこと話し合いながら進めるプロポーザル方式で行った。

運営

.管轄

 平成8年度までは教育委員会だったのだが、平成9年4月に滋賀県内部で大規模な組織の組み替えがあり、その関係で、琵琶湖を扱う部署をまとめた琵琶湖環境部に移った。

.年間予算

 始め、学芸側の希望も入れて割り出した予算が18億だったのだが、現在は人件費別で約12億円。

。.交流サービス部

 外に向けた活動、観察会やボランティアなどはこの部署に含まれる。昔でいう教育普及課である。
 ここでは準備室時代から、ハコはなくても活動はできる、「準備室なれども博物館」というコンセプトのもと、博物館活動が続けられてきた。平成4年度から始められた野外での観察会や、住民参加型の植物などの生態調査、各種講座やシンポジウムなどがそれである。これらは地域住民に博物館をアピールすると同時に、博物館を中心とした人のネットワークを形成するという役割も果たした。ボランティアをどう運営していくかついてはまだ未整備だが、はやくからこれらの催しに参加してきた人達のなかから、主体的に博物館にかかわっていく人達、ボランティアの基礎になる人達が出てきている。
 ボランティア養成のための講座も開館前から行っており、将来的にはボランティアの恒常的な運営も考えている。しかしボランティアというのは、あくまで博物館という場で自分が楽しんでくれる人、自分が勉強してしてくれる人という位置付けで考えている。博物館という場をうまく利用し、楽しみに来る。そういう人を受け入れる窓口であり、受け皿なのである。逆にいうと、ボランティアは組織ではない。仕事を依頼する都合上ある程度組織だったものにする必要はあるのだが、組織に従属するのではなく、もっと主体的にかかわっていってほしいというのが、基本的な考え方である。ここに、日本のボランティアに対するイメージの違いがある。それを混乱をしないよう、はっきりした線を持ってやっていきたいと考えている。

「.ホールスタッフ

 展示室には30人のインストラクターがおり、案内や受付の業務にあたっている。彼等は必要に応じて展示物の説明をすることもあるが、そういった解説を主な仕事にしているわけではない。あくまで運営スタッフとして存在している。
 というのも、展示の解説というのはかなり高度な知識と技術を必要とするものであり、展示に関しては毎日30分の研修を行ってはいるのだが、誰もが、どの展示についても自由に解説ができるというわけではないし、また全ての来館者が展示についてのより詳しい情報を求めているというわけでもない。それよりもインストラクターには、来館者の話し相手になってもらっている。展示を観ていると、感じたことや思ったこと、また展示に関連した実際の自分の体験談などを誰かに話したくなる時がある。そういう時、インストラクターの人達が話し相手になってくれる。そして話をすることで、その人自身も次のステップにいくことができる。彼等は様々な声に耳を傾け、アンケートをとるよりもはるかに有意義な話をきいてくるという。
 また、話を聞くことで情報を広く集めることができるという効果もある。たとえば、館内には復元した田子船が展示されているのだが、それは始め琵琶湖に浮かべる予定だったのが、動かす技術がないので仕方なく展示室に置いてある。しかし来館者の中には、それを昔、実際に動かしていた人もいる。そして、その人から田子船についての新しい情報を得ることもできるのである。このように、展示室を情報発信だけではなく、色々な情報が入ってくる双方向的な場にしていきたいと考えている。

」.学校に対して

 先生向けの博物館利用の手引きをオープン当時から配っている。しかし、博物館サイドから生徒に説明することはせずに、まず先生に下見に来てもらい、展示見学と併せた体験学習などの相談に応じている。そしてその上で、先生から生徒にアプローチするようにしてもらっている。

市側の理解と評価

 たくさん人が入っているからすごいね、という評価はある。また、ようやく県へのお客を案内する場所ができた、という声はよく聞いている。

その他

 琵琶湖博物館の学芸員は滋賀県の職員ではあるが、職員としてのしがらみは全くといっていいほど感じなかったという。日本の博物館に対する常識がどうというような考えは持たなかったし、もともと海外の博物館に詳しい人もいたので、「日本の常識ではやってられない」という思いもあった。
 どこかにモデルを置くのではなく、自分たちにできる最高のものを作りたい。その思いが非常に強く、また、それは当初のメンバーの中に暗黙のうちに存在した。そういったこだわりが細部にまで行き届き、現在の博物館を作り出したのだろう。ただ、議論をすればそれだけどんどん仕事が増える。そういう意味ではなかなか大変な準備室であった。

今後

 ボランティアにしても友の会にしても、もう少し主体的に博物館を利用する人の集団が必要だと考えている。最近になってようやく、行事の常連さんが増え、その人達がたまに用事があって研究室を尋ねてくるという状態になってきている。その人達がボランティアをしたいということも言ってきてくれる。そういった人達が実質的に博物館にかかわって活動できるよう、器を整えること、それが今現在の課題である。

 また、今の若手の学芸員を中心に10年後の展示を考える委員会を作りたいと考えている。準備室時代にコンセプト作りの中心になった人達は今は大体課長クラスになっているのだが、今の展示は彼等がかなり議論した結果としてできたものであり、それを批判する論理は、今さら発想として思い浮かばない。今の展示構想でなにか批判しようとすると、一番始めの環境観のところに戻って議論しなおさなければ意味がない。だから、開館後に採用された、当時議論に加わらなかった人達を中心に、根本から議論し直す必要があるのではないかと考える。今まで話し合ってきたこととは全然違う観点から意見がでるかもしれない。批判がでてきたら、当初議論してきたメンバーもまた正面切って議論するだろうとは思うが、いいものが出る可能性も十分にある。

 琵琶湖博物館は、現在考えられる範囲で、あるべき博物館をめざしてスタートを切った。でも、それに続く博物館があるのかなぁというのが現在の心境なのだそうである。


■滋賀県DATA■
人口 130万7306人(平成9年6月1日)
主産業 水産業、各種製造業主産業


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