TEL 0868-36-5811
交通 JR津山からバスで約30分
OPEN 1994年4月5日
職員 館長(図書館と兼任)、学芸員2名
面積(図書館、ギャラリー含めて)
建物:1,545.03F
延床:1,887.21F
管轄 奈義町教育委員会
バブル崩壊後、どこの市町村も独自のカラーを持つ町おこしについて考えており、奈義町は文化を押し出すことで一致した。普通は工場誘致などを行なうのだが、なぜ奈義町では文化が対象に選ばれたのか。それには二つの理由がある。
一つ目は、田畑の整理や道路の整備など、基幹的な整備は比較的早い時期にやってしまっていたこと。二つ目は、奈義町では今まで何度か大きな書道展を開催する機会があったのだが、それが既存の文化センターでは手狭になっていたこと。美術館の構想自体は10年前からあったのだが、早急の必要性がないまま今まで手付かずでいた。それがこういった形で実現されるが運びとなったのである。
現代美術の常設展示という特徴的な建設方針で知られる奈義町立現代美術館だが、当初の計画ではごく普通の美術館になるはずであった。それが今のような形になったのは、奈義町が建築を依頼した磯崎新氏に依るところが大きい。建築を誰に依頼するか決めかねていた時、当時美術館建設委員をしていた岡山県の美術教員が磯崎氏と仕事をしたことがあり、その関係で話を持ちかけてみることになった。そして磯崎氏が現場に訪れたとき、奈義の町と景観を見て現在の構想が出来上がったのである。
構想自体は磯崎氏が以前から温めていたものらしいが、手持ちの作品もなく、年に何回も企画展を開いたり、そのために沢山のスタッフを抱える余裕も予算もない奈義町にとって、比較的安価な現代芸術、それも常設のみの美術館は理にかなったものであった。しかし新しいものをつくる時、本当に人は来るのかという不安がまず先に来る。だが町長が、「わかる人だけ、質のいい人だけ来ればいい。集客狙いではない、本当にいいものを。」という磯崎氏の言葉を信じた。また、幸か不幸か町の職員は誰も芸術のことはよくわからなかったので、さして反対する人も現われなかった。かくて奈義町立現代美術館は完成したのである。
一つの建物のなかに、図書館、市民ギャラリー、美術館が収まっている。市民ギャラリーでは書道展などの企画展を行なうが、ここはあくまで美術館への導入部分であり、美術館本体とは異なるものであると位置付けている。美術館部分は、全ての構図が磯崎氏と作家らのコラボレーションによって決定された。建物全体で一つの芸術作品なのである。そのため、この先も今以上建物を増やすようなことはない。しかし館はこの「作品」を「半永久的なもの」としている。何故なら作家たちはまだ生きており、自由に作品に手を加えることができる。そして来館者は、常に作家の「今」に触れることが出来るのである。
場所が駅からバスで40分と離れたところにあり、そのバスも昼間は1時間に2本程度と交通の便は悪い。しかしそれだけに、何かのついでに来るのではなく、美術館のためだけにここまで来るという人が多い。そのため来館者の質はいいという。美術館が来る人を選ぶ形になっているのである。 来館者にはリピーターも多く、もう10回来ているという人もいるらしい。訪れる季節や時間によって見え方が代わってくるので、それに気付いてもらえれば何度来ても飽きられることはない。開館以降約7万5000人の人がここを訪れている。町民が7400人いるので、全員が一回づつ来ているとしてても、6万7000人以上の人が奈義を訪れていることになる。これは、過疎の指定は受けていないにしても、それに近い状態の田舎町にとって、革新的なことなのである。
前述したように、奈義町立現代美術館は図書館とギャラリーが同じ建物内にある。ギャラリーは地元の書道展などをやっているのだが、どうしても「美術館の方にも壁が余っているのだから、もっと絵を飾ったらどうか」という声が出てくる。しかしそうしてしまっては、当初のコンセプトを壊してしまうことになる。建物と作品の一体化をなし崩しにしてはいけない。このコンセプトを守っていくことが今一番しなければならない大切なことであると、館職員は考えている。 それから、美術館を中心として、そこから町全体に文化が広がっていって欲しいという期待もある。例えば橋を一つつくるとしても、ただつくるのではなく、環境にあった、それを見に人が集まるようなものをつくりたいと考えている。美術館がきっかけとなって、町全体が一つの美術館になるように高めていくこと、「フィールドミュージアム」の構想が奈義町の理想である。そしてそれによって、活気づけ若者の流出を防ぎたいとの思惑もある。
地元の人達から「絵はないの?」「壁があるのに掛けないの?」といったような素朴な質問はよく出ている。そして議会がそれを出して美術館を批判することもある。作品「太陽」に至る螺旋階段も、暗くて危ないから電気をつけた方がいいのではないかと言われているし、美術館の広い庭を使って野外彫刻のコンペをしようという声もある。 しかし、階段に明りをつけてしまうと作品のコンセプトを崩すことになるし、野外彫刻にしても、安易にそういうことをすると、景観に合わないひとりよがりの彫刻が林立する「野外彫刻公害」もおこりかねない。すると美術館自体が壊れてしまう。そうしてはならない、作品が作品でなくなるようなことをしてはならないという強い意思が館にはある。それにまだ階段で怪我をした人はいない。障害者の人が入れないところはビデオを設置して説明するなど、できる限りのフォローも行なっている。 また奈義町立現代美術館では、今までに3回のワークショップを行なっている。しかし今まで近くに美術館などの十分な文化施設がなかったため、町民の芸術に対する理解は深いとはいえない。特に年配の人には、「辛抱することが美徳」という概念があり、芸術を楽しむ、面白がるという考えは受け入れられにくい。しかしそれはそれでその人の考え方であるので、館がどうこう言うことはできない。だが子供たちは素直に対応してくれる。子供達を中心としたワークショップを継続的に行っていけば、そこで経験を積んだ子供達が大きくなった時、奈義町全体の芸術に対する考え方も変わるのではないかと期待している。 実際、設立当時にはアンチだった人も、時がたつにつれ慣れてきていることは事実である。また自分達で盛り立てていこうという町民の動きも出てきている。そういう人達が隣町から婦人団体を連れてくるといった活動もしており、また来館者にはリピーターも多いことから、将来については楽観視している。
.美術館に付属した図書館が出来る前、奈義町には図書館はなく、小さな図書室があるだけであった。そこは月に80人の利用者しかなく、従って増設などの改善も行なわれなかった。しかし今回図書館ができてみると、今度は日に80人の人がそこを利用するようになった。よくマスコミで、ソフトもないのに箱だけつくってどうするんだという批判があるが、まず箱がなければできないこともある、箱ができなければソフトはそろわないと美術館兼図書館館長のT氏は強調する。使う人がいないからつくらないのではなく、表面に現われていないだけで潜在的なニーズは存在しているのである。
奈義町立美術館の試みは今までにないものであり、これからどうなっていくか非常に楽しみである。作者が亡くなり、作品が固定したものとなり、コンテンポラリーがコンテンポラリーでなくなった後はどうなるのか。好奇心を持った人が一通り訪れた後も、本当に来館者は定着するのか。またこれは全国的にいえることであるが、今現在ワークショップによって「楽しい」芸術に触れている子供達は、大人になってからどんな考えを持つようになるのか。そして奈義町のフィールドミュージアムの構想は?
しかし奈義町立美術館は、ロケーションといい内容といい、心を落ち着ける、リフレッシュするには絶好の場所である。それだけでも、一つのスポットとなるのではないだろうか。また海外のメディアでも取り上げられていることから、意外な文化の交流地になる可能性もあるかもしれない。
人口:7400人(平成8年9/1現在)
主産業:米作、麦作、畜産