光 永 寺 を 紹 介 し ま す




光永寺本堂
しんごんしゅうぶざんは
真言宗豊山派

えんめいざんこうえいじ

延命山光永寺



栃木県佐野市飯田町874

TEL.0283-22-5648
FAX.0283-21-4280

住 職 榎本光司
副住職 榎本博司


 当山は寛永九年(1632)に、雄慶和尚により創建されました。村全体の鎮火守護のため、あえて赤城おろしの烈風を直接うける集落の北西部を選んで建立されたと伝えられています。
 しかし、開山後の歩みは必ずしも順風ではありませんでした。一帯は低湿地であり、渡良瀬川・秋山川の度重なる氾濫のため、甚大な被害を受けること頻り、年とともに伽藍(がらん)は荒廃の度を深めていったようです。
 なお、享保五年(1748)の古文書によれば、寺号は「光栄寺」と記されています。いつ現在の「光永寺」に変わったのかは、はっきりしていません。
 現在の本堂が建立されたのは、天保五年(1835)のことです。寺門の復興と本堂再建に力を尽くしたのは淳栄和尚という方でした。
 近くにあった茂呂山(もろやま)神社が、数多の参詣人をあつめていたため、そこの賽銭を再建のための基金にしたと伝えられています。これは当時、光永寺の住職が茂呂山神社の別当(べっとう)を兼ねていたことによるものです。なお、残念ながら茂呂山神社は現存していません。


光永寺庭園


 しかし、本堂再建後も水害の猛威は衰えず、檀徒の疲弊は依然はなはだしいものがありました。寺院の維持も困難を極め、正住職のいない状態がしばらく続いたようです。
 大正七年(1918)、渡良瀬川の堤防工事が完成してからは、水害に悩まされることもなくなり、鴨の定住していた湿地帯も、ことごとく美田とかわりました。
 当山にも榎本来俊が正住職として赴任、以後、檀徒の方の御協力を得て、伽藍の整備拡充いちじるしく、護摩祈願を始とした様々な行事も回を重ねるごとに盛んとなって今日に至っております。
 現住職光司の代には、特に花木による境内の荘厳に力を入れ、四季を通じて花の絶えることのないよう心がけています。
 現在、当山は「佐野七福神霊場会」の本部をつとめるとともに、「東国花の寺百ケ寺」にも加盟しております。お蔭様にて、県外からも多数の参拝者の方に御来訪頂いております。




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