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35年ぶりのムーミン谷

ちょっとしたわけあってムーミンの文庫本を読み始めた。小学校中学年以来だから35年振りである。
当時、ムーミンを呼んでいることで嘲笑されたことは憶えている。ちょうどTVでアニメのムーミンが放送された頃だったから だろう…当時はアニメという言葉でさえなかったかもしれない…マンガ。“あいつマンガの本を読んでる”みたいな…。

その時そう言った同級生は恐らく今でもムーミンの世界をTVアニメの中のものでしか捉えられない、否、それさえもなく彼 の人生にはムーミンなど何の引っ掛かりもなく、するりと滑り落ちていってしまうものに過ぎないのだろう。それはそれでま た幸せかもしれない。

ムーミンはダメで、ドリトル先生は良し。さとうさとるなら尚OK…担任の先生だってそんな感じだった。
そんな先生の下で国語・算数・理科・社会を習ったから、想像力は自力で何とかしなきゃいけなかった。

幸いにも自分の幼なじみは、同じようにムーミンを読んでいた。そしてビートルズを聴いていた。これは幸運ではなく、だか ら幼なじみになれたのかもしれない。
分厚く重たい本を開いて、やや細かめの活字と共 に飾られた様々な挿入画…もともと作者のトーベ・ ヤンソンは画家なのである…に描かれたムーミン谷 と、物語に登場してくる様々な生き物は、TVのアニ メのような大衆的で取っ付き易く可愛いものばかり ではない。
特に緻密に丁寧に細部まで描きこまれた絵を見て みると、人間達とは似ても似つかぬ異形たちの集 まりである。そんな“この世のものではない”生き物 が谷を闊歩する様は、ある意味でオバケ達の世界 の話に思えた。少なくとも当時、十数枚の挿し絵を 観た時は“カワイイ〜”なんて一瞬たりとも脳裏を過 ぎったことはなかった。今でもカワイイとは思わない が、この上なく愛すべきキャラだとは思っているけ ど。

ストーリーの読解力だって皆無に等しいお年頃であ る。小学生中学年に何が解ったろうか?ただただ 長く分厚い一冊の本が、シリーズで八巻もあるのだ からして、これを読書の時間だけで読むのは不可 能であり、かと云って学校を一歩出たらもう本など 放り出して遊ぶクチだった。図書館から本を借りて 読む類の小学生ではなかった…。仕方なく読書クラ ブに入って、半強制的に自分に読書を課していたよ うな気もする。だから、学校にいる時はとにかく本を 読みまくった。おかげでムーミンを読破するのにも 然程時間は掛からなかったと思う。
読んだと云ったって、誰がいつ何処で誰と何を何故 にしたか?という基本的な志向回路に当てはめて 読んでいたに違いない
しかしなぜ、当時ムーミンを読んでいたのだろう? 三十数年前の薄〜い記憶であるゆえ、正直なとこ ろは解らないけど、恐らく本能的に“ムーミン谷とい う世界観”をこれから先の人生の免疫として取り込 もうとしていたのではないか?

怖いけど不思議な世界を楽しませてくれる挿絵。冗 漫で長いストーリーをなんとかその挿絵の世界に置 き換えて想像力のありったけを駆使して展開させて いく楽しみ…小学生の感性の何処に響いてくるもの があったのか今は憶えていないが、多分そんなとこ ろだろう。

ムーミン谷の想像のし甲斐は、有り余るほどあっ た。マジンガーZの“機械獣”をオリジナルで想像画 を描くよりもっと楽しい想像だった。
ストーリーこそ直線的に解釈しながらも出てくる生き 物の動きや色、大きさなどを頭に思い巡らせながら 読んでいた。
それが三十数年前のムーミンだった。TVで放送さ れたムーミンは“TVのムーミン”として、自分の中 ではイコールではなかった。

で、齢四十を過ぎてから目にするムーミンの世界な のだけど、小学校の頃には気がつく筈もなかった “人生”や“哲学”がそこかしこに…いや、それのみ で構成されているといってもいいほど、濃いクチの、 感慨深い世界を旅することになった。
勿論、サラリとした物語展開そのものも、心地良い リズムのように響いてくるし、たんなる冒険小説とし ても面白い。
“ムーミンを読む”という行為に顔を曇らせる人は恐 らく、●登場人物が人間ではないからだろうし、● 学校に上がる前の子供が手を叩いて観るTVアニメ だからだろう。
そう思う人はそれで構わないし、無理に読んで欲し いとも思わないし、まして、その価値観は間違って いると指摘する類のものでも有り得ない

大人になった今の方が、其々の生き物のキャラクタ ーが、自分の周囲にいる…若しくはかつて周囲に いた…性格によって幾つかに都合よく分類された知 人・友人とダブるものだし、ムーミンの世界で巻き 起こる様々な事件や自然現象も、人間が生きて成 長していくうえで避けては通れない壁の乗り越えか た、橋の架け方を暗示しているような気がしてなら ない。
そしてどのキャラクターも自立していて、確固とした 自分の信念の基に生きているし、仲間や友人や家 族の大切さを説きながらも、だからこそ最終的には 自分独りで歩み終えるものであり、それによってよ り自分の人生とはいかなる時でも探検心を忘れて はいけないのであり、自分さえその気になれば、い つでも詰まらない日常が冒険のステージに取って 代わり得るものである事も教えてくれるように思う。
ムーミン谷に住む生き物としての異形に姿を変え て、彼等はそこにある…誰にでもある人生のちょっ とした喜怒哀楽、不安や哀しみを吹き飛ばす知恵 と、新天地に向い前に進む勇気を、不恰好な体を物 ともせぬ行動力と他愛ない言葉の中に教えてくれ
最近はヤンソンが挿絵を担当した「不思議の国のアリス」も再版になったとか…
ムーミン・シリーズは下記の文庫本が一番入手し易いけど、記念すべき第一作「小さなトロールと大きな洪水」も講談社から 「ムーミン童話全集」の第一巻として発刊されています。
因みにムーミン公式サイトはこちら…お子様向けだけどゲームはちょっと楽しいので思わず…
http://www.moomin.co.jp/
ムーミン谷の彗星(1946〜1968)
第一作目にあたる短編「小さなトロールと大
きな洪水」(1945)の次にあたる作品。ムーミ
ン谷の探検のみならず、彗星の秘密を調べ
に更なる冒険へ出発。
ムーミンがその後に登場する基本的な仲間
たちと出逢うのも、この淋しげで虚ろな作品
たのしいムーミン一家(1948)
ニョロニョロや飛行鬼、トフスランとビフスラ
ン、そしてモランなどが登場。飛行鬼が落と
した不思議な帽子を軸にムーミン谷に巻き
起こる騒動や、一家揃ってフラリと気ままに
難破船に乗って冒険にでてしまうあたりに、
磯野家にはみられないスケール感がある
ムーミン谷の夏まつり(1954)
洪水に襲われたムーミン谷から非難する途
中で流れ着いた、浅瀬に乗り上げた劇場を
舞台に、フィリフヨンカ・ホムサやミーサなども
加わった「劇中劇」のような手法で描かれた
作品。スナフキンの意外な一面や、皮肉屋
だけれど健気なミィのキャラクターも光る
ムーミン谷の冬(1957)
事もあろに、ふと家中で一人だけ冬眠から目
覚めてしまったムーミンが、冬の間だけ一家
の主の務めを果たさんと奮闘。ミィとおしゃま
さんを巻き込んで、初体験の冬のムーミン谷
を訪れる、みた事も無い珍客達との交流。氷
姫やご先祖さまも登場する
ムーミン谷の仲間たち(1963)
ムーミンたちが主人公ではなく、それぞれの
登場人物にスポットをあてた九つの短編集と
いった趣き。ニョロニョロの秘密も明らかにな
るが、フィリフヨンカやホムサのエピソードに
とても惹かれる。また「目に見えない子」「も
みの木」には思わず胸が熱くなる。名作
ムーミンパパ海へいく(1965)
ムーミンパパ曰くの“父親とは何か”“家族と
はどうあるべきものか”という問いに答えるた
めに、一家とミィ、スニフを連れて“彼の島”
へ向かい、そこでの困難な暮らしを描いた、
ちょっと異質な作品。これをどう読み取るか
は子供には難しいのかも
ムーミンパパの思い出(1968)
パパが“ママと出会うまでの半生”をムーミン
たちに語り綴っていく形で進行する物語。こ
の中でスナフキンの両親やミムラ家との繋
がり、スニフの両親のことにまで言及されて
いき、やがて物語りは夢のような結末を迎え
る。シリーズ一番のハッピーエンドかも?
ムーミン谷の十一月(1971)
本来なら冬眠の準備をしているはずなのに、
なぜか誰もいない十一月のムーミン谷を、知
人達が尋ね来て、暫く滞在して去っていく。
ムーミン達は前々巻の「海へ行く」のエピソ
ードの最中であるのかもしれないが、その不
在と来客の心理を噛み締めるように読める

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