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初めてダンスを見て衝撃を受けたのは、十七、十八歳の時に見た「日劇ダンシングチーム」のレビューでした。(中略)ぼくが当時所属していた劇団の講師の先生が日劇の演出家だった関係で、公演を見にいったんです。そこで見たダンスは、とにかく華やかで素晴らしかったですね。それまでぼくにとって、踊りといえば、もっぱら日本舞踊。西洋の踊りもこんなに素敵なものかと感動しました。 ぼくが実際に踊りを習い始めたのは、劇団に入ってからです。日本舞踊の先生は、時代劇の黄金時代を築いた大俳優、東千代之介さんでした。映画のスクリーンで見ていた憧れの方に教わるわけですから、稽古はいつも緊張しましたね。そのころ日舞のほかに、クラッシック・バレエを習ったこともあるんですよ。ある日クラッシックの踊りを習いたくて、ダンス・スタジオの初級クラスに行ってみたんです。バー・レッスンをしたり、くるくると回りながら一定方向に進んでいく動きをしたのをいまでも覚えています。バレエの動きは優雅だし素敵だと思ったのですが、残念ながら二日通っただけで断念してしまいました。というのも、白タイツ姿が恥ずかしくて抵抗があったんです。タイツが薄くて透けているような気がしたんですよね(笑)。あのままレッスンを続けていたら、いまもっと踊れたんじゃないかと思う。バレエはいろいろなダンスの基礎ですからね。 その後、俳優デビューしてからは、ニューヨークにミュージカルを見に行くようになりました。初めて見たブロードウェイ・ミュージカルは、『ドリーム・ガールス』。踊りはほどんどなくて、歌と芝居が中心の作品ですが、俳優たちの演技からあふれ出てくる感情、そして歌の表現が素晴らしくて、涙が出ました。そのときに一緒に見たのが、『フォーティーセカンド・ストリート』。こちらは、とにかくタップがすごかった。ダンスの迫力に圧倒されました。ぼくは何かを見ていいなと思うと、そのアイデアを自分の舞台でもやってみたくなるんです。そのときも帰国してすぐ、自分舞台で踊るためにタップを始めました。 商業演劇の座長公演では、ふつう前半が芝居、後半が歌謡ショーで構成されます。ぼくは、舞台の後半に、ブロードウェイ風のタップやフラメンコ、さらにはクレーンを使った宙返りなと、洋風なエンターティメントの要素を取り入れるようになりました。ところが、お客さんがノッてこなくて全然駄目。そこで八十五年ごろから、和モノに変えて、フィナーレで全員で踊ってみたんです。ちょん髷に着流し姿で。こうして「マツケン音頭」がはじまりました。お客さんに好評だったので、それから「マツケン小唄」「マツケン数え歌」「マツケンマンボ」、さらに「マツケンサンバT」「マツケンサンバU」と、時代とともに派手で速いテンポに進化していきました。ずっと同じ先生に振り付けていただいていますが、ぼくは振り付けを覚えるのが早いといわれます。時代劇の立ち回りを覚えるのと同じなのだと思うのですが。 この七月にCDがリリースされたことで、たくさんの方に「マツケンサンバU」を知ってもらうことができました。これまで、松平健=暴れん坊将軍というイメージが強かったと思うから、それが「まさかこんな格好で踊るとは」みたいな面白さがあったんじゃないかな。 (略)ぼくは、長い間、日本人の日本人による日本人のためのミュージカルをやってみたいと考えていました。今回の舞台(注:暴れん坊将軍スペシャル)は、時代劇とミュージカルを融合させた、新しい感覚のステージにしたい。もちろんフィナーレは「マツケンサンバU」ですよ。輝く衣装で、みんなで楽しく踊りたいと思っています。 (ダンスマガジン2004年10月号、「ダンスと私」より一部抜粋) |