■I'm not Christian
私はクリスチャンではありません。
職業上「Gospel」を指導せざるを得ない立場に立ってしまった時、
引き受けていいのかどうか本当に悩みました。
ゴスペルとキリスト教は絶対に切り離せないものです。
それを商業的な音楽教室で取り上げることの後ろめたさ、だからといって、
「ここは音楽教室だから、宗教のことは考えないで歌おうね」
とドライに言うずうずうしさも持っていなかった私は、
自分のジレンマをごまかしながらずっとレッスンを続けて来たような気がします。
ボーカリストとして、また指導者として、
ゴスペルで一番大事な「言葉」の意味をすべてわかって歌っているのか?と言われれば、
クリスチャンでなもなく、英語がさほど得意でもない私にとっては、歌詞を心から理解するのはとても難しいです。
ただ、その曲自体が持つエネルギーみたいなものはとても感じます。落ち込んでいる時でもみんなと一緒に歌うとすごく元気が出ます。
しかし、ゴスペルを歌うということにずっとジレンマを感じていたのも事実です。
キリスト教について、ゴスペルのルーツについてもっと勉強しなくては、と思うようになりました。
そこで無宗教な日本人代表として、ニュートラルな立場で、私なりに感じた「キリスト教」について書いてみたいと思います。
決してキリスト教を批判するものではなく、かといって布教するつもりでもないことを御理解の上ご覧下さい。
■Gospelの魅力
「天使にラブソングを」
この映画のヒットがなかったら日本人はゴスペルを歌おうと思わなかったかもしれません。
私もご多分にもれずそんな日本人のひとりです。
宗教と言えば、お盆やお彼岸のお墓参りや、お葬式ぐらいしか縁のない日本人にとって、
「キリスト教ってのは、なんて自由でカッコイイんだろう!」
そんな風に印象づけられた映画でしたよね。
少し前の時代にもゴスペルを印象づけたものに
「ブルーズブラザーズ」という映画がありました。
「神聖な」場所で叫び、ジャンプし、どんどんテンションが上がっていく様子は
映画だから多少誇張してあるとしても、「ナンダコリャ!」な世界です。
音楽的なことで言えば、
それまでの日本の音楽界は「型にはまったメロディ」が当たり前でしたから、
1番と2番で違うメロディを歌う、いわゆるアドリブやフェイクがバンバン出て来る
ゴスペルスタイルはとてもインパクトがありました。
実は、これはブラックコンテンポラリーと呼ばれるジャンルでは
当たり前のように使われているテクニックなのですが、
普段日本の音楽だけ聞いていた人にとっては、とても目新しかったのだと思います。
そして、あの映画が日本人にもたらした一番大きな影響は
「合唱って楽しいんだ!」
ということではないでしょうか?
日本人は「合唱」する機会はたくさんあります。
「お母さんといっしょ」の童謡に始まり、
小学校〜中学校でも、いやというほど合唱させられます。
斉唱(全員で同じメロディを歌うこと)から、とても難しいハーモニーまで難易度は様々ですが、
声の出し方や、口の開け方、表情など、厳しく指導された経験のある人は多いはずです。
いわゆる合唱コンクールなどで「理想」とされるのは
ヨーロピアンスタイルのクラシックの発声と美しいハーモニーです。
もちろん私はこのような合唱も好きですし、きれいだなぁと思います。
しかし、求める声質の幅が狭いため、
子供の頃ちょっと声がハスキーだったり、大きかったりしたために先生からほめてもらえず、
「歌は大好きなのに、音楽の授業は大嫌い」
になってしまった人も結構たくさんいるんですよね。
■八百万の神サマ
日本には昔から八百万(やおよろず)のj神様がいると言われ、日本人はいろんな神様を漠然と拝んできました。
(「千と千尋の神隠し」という映画には「くされ神」なる神様まで出てる!)
初詣に行く神社に誰が祭られているのか、意識して拝む人はとても少ないし、
稲荷神社にいたっては「きつねの神様」を拝んでいると思っている人も相当いると思われます。
(実は私もそうでした。おほほ…)
悪い評判をとってしまったカルト教団のために、
「私は○○の宗教を信じています」と大っぴらに言えない雰囲気ができてしまったのも確かですよね。
私の母はある新興宗教に所属しており、熱心に活動していますが、
我が家の宗派は?と聞かれたら「浄土宗です」と答えています。
つまり同時にいくつもの神様を信じていて、いろんな神社にお参りに行き、
いろんな宗派のお寺を見学に行くけれど、その教典の内容は知らない、
という人が多いのではないでしょうか?
お経をちゃんと読んだことのない
(もしくは写経をしたことがあるけど意味はよくわからない、とか…)
仏教徒の日本人にとって、
宗教とは「何かの宗派に属すること」というよりは、
「神様を信じること」のような気がします。
今まで、そんな宗教感を持って生きてきた私にとって、キリスト教会はとても敷居の高いものでした。
クリスマス礼拝や、時々行われる音楽系の集会など、何度か訪ねたことはありますが、
その教会に所属している人たちの集いに、場違いな自分がいるような気になってしまうのは、
この宗教感のためだったんですね〜。
■ゴスペルのジャンル?
ゴスペルを音楽のひとつのジャンルだと思っている人は多いのですが、
もともとは神様の言葉を歌ったもので、決してノリノリ〜である必要はないのです。
だから映画で有名になったブラックコンテンポラリーなものだけでなく、
ロック、メタル、カントリー、ラップ、etc.なんでもありです。
しかし、様々なジャンルの中で、いわゆるブラックゴスペル(サザンゴスペルとも言われます)が
日本人に受け入れられたのには、映画のヒットだけではない何かがあるんじゃないか、
そんな疑問を抱えていた時、ニューオリンズへ旅行する機会がありました。
そこで見た本物のサザンゴスペルについては、旅行記に詳しく書いてありますので、
コチラをどうぞ。
■Amazing Graceのエピソード■
2001年のニューヨークのテロ以降もいろんなところで歌われることになり、
日本でも有名になったこの曲、
クリスチャンなら誰でも知っているエピソードがあります。
(ホントに誰でも、かなぁ?おそらく多くの、ということにしておこう。)
この詩を書いたジョン・ニュートンは、18世紀中頃に奴隷船の乗組員をしていました。
奴隷制度がまかり通っていたこの時代、奴隷商人は船でアフリカに渡り、
そこで罪もない数百万の人々を捕らえ、アメリカに運びました。
その船旅では囚われの人々はモノとして扱われます。ひとりでも多く積み込むために無駄なスペースを排除し、きっちり並ばされたのです。
衛生状態などもちろん悲惨なため疫病も流行ります。病に倒れた人はそのまま海へ捨てられました。
なんだか遠い夢の国の物語のようですが、これは実話なんです。
ジョン・ニュートンはある日航海で嵐に遭い、死の恐怖の中でなぜか神に祈るのです。
「主よ、お助け下さい」と。
クリスチャンではあったものの、人を人として扱わない最低の男が、です。
神はこの奴隷船を見捨てませんでした。
この後もジョン・ニュートンはすぐには奴隷船を降りず、キャプテンとなって奴隷を運び続けます。
しかし、あの嵐以来、心境が少しずつ変化し、数年後ついには改心して船を降ります。
時間がかかるんですね〜、人が改心するまでは。
その後彼は牧師となり、若かりし自分を反省し、あの有名な「Amazing Grace」の詩が生まれます。
この人は他にもたくさんの詩を残しているようです。
キレイな曲だなぁ、ぐらいにしか思っていなかったこの曲に、
こんな重たいエピソードがあったと知った時、
どんな風に歌っていいのか正直かなり悩みました。
歌を歌う時、詞の内容をどれくらい理解して、表現することができるのか、
それをどれくらい聞いている人に伝えられるのか、
突き詰めて考えて行くと、
「母国語」で歌うことに勝るものはありません。
では、なぜ英語で歌う人が多いんでしょう?
これも日本人ならではの習性だなぁと思うのですが、
ものごとをストレートに言う習慣のない日本人にとって、
少し意味がわからないくらいの方が受け入れやすいんでしょうね。
でも、それに甘えず、ちゃんと英語も勉強しなくちゃ!
英語を母国語とする人たちの前でも自信を持って歌えるようになることが目標です。