History 



「転校生のベテラン」

音楽好きな母親と機械好きな父親のもと、3600gという立派な身体を持って、夏まっさかりの7月28日に誕生。 そのせいかとっても寒がり。 生まれたのは福岡らしいが、父親が転勤族でとにかく引っ越しが多かったので自分ではよくわかっていない。 小学校を6つ、中学校を2つ経験した転校生のベテランだった。

「ネコふんじゃった」

保育園時代に買ってもらった電気オルガン(電子じゃないよ)で「バラが咲いた」や「ネコふんじゃった」を勝手に弾きまくっていたが、その才能に薄々気付いた母親が、 小学校入学時にヤマハ音楽教室に通わせ始めた。 しかし3ヶ月後に転校。以後しばらくは教室が近くになかったため、やっぱりネコふんじゃったばかり弾いていた。

小学校3年生の時に引っ越した家の隣がたまたまピアノ教室で、やっとここでバイエルをまともに習うことに。木目の高級アップライトピアノが家にやってきたのもこの時。 ピアノ教室と器楽クラブで音楽の腕を磨いていたが、この頃は歌うことより鍵盤を弾くことの方が好きだった。

「♪あなた♪」

そんな私が「ピアノ弾き語り」に目覚めたのは小坂明子の「あなた」が大ヒットした頃だ。 「エリーゼのために」とか「乙女の祈り」以外の楽譜のピースを初めて手に入れ毎日弾いていた。
歌うことの楽しさにも目覚めた私は中学校の時にヤマハボーカル教室に入会。
ここで出会った人たちとは今でも仕事上で繋がっている人が多い。

「バンド」

その後バンドブームに乗っていろんなライブを経験。学生時代にやっていたのは「チューリップ」「オフコース」のコピーに始まり「金子マリとバックスバニー」(マニアックすぎるか…)「高中正義」 他にもいろいろ経由してオリジナルを作りはじめ、コンテストにもいろいろ出場。

高校で所属していたのは「フォークソング愛好会」。フォークソングとは名ばかりの集まりで、洋楽、邦楽いろいろやっていた。 秋の文化祭には「酸漿」(ほおずき)という名のライブハウスを作って、暗幕をひいた教室でコーヒーを出してライブをやっていた。 この部の創設者は「岩渕まこと」氏らしいとのウワサがあるが、詳細は不明。

ライブの楽しさにすっかり味をしめて「私は音楽で生きるわ!」と勝手に思い込み、高校の担任の「お前、就職も進学もしないでどうするつもりなんだ?!」 という叱咤激励を無視してこの世界へ。

「職歴?音楽歴?」

ライブ活動の他に、レコード店で働いてみたり、新しいキーボードのデモンストレーターをしたり、
仙台市内の飲食店でピアノ弾き語りをしていたり(※1)、
テレビの番組でオープニング音楽とレポーターを担当したり(※2)、
ボーカル教室の先生をしてみたり、
ミュージカルに出てみたり(※3)、
VictorからCDを出してみたり(※4)、
CMソングを歌ってみたり(※5)、
Jazzをバックに方言民話を語ってみたり(※6)、
和太鼓を叩いてみたり、

うーん節操がないかも…。でも一応みんな音楽関係だよね…。
最近の活動では、榊原光裕氏とのステージ「昭和チャイルドソングブック」「20世紀音楽の夜〜洋楽、邦楽シリーズ」での進行と歌。
東北ゴスペルグループを集合しての「Sing out festival」の企画など。

※1 「カミヒコーキ」「Back Page」「シャンソニエ エル」など。

※2 ミヤギテレビ土曜11:40~12:00「ちょっとブレイクタイム」(現在も放送中)で、'84~'90まで6年間レギュラーを務めていた。

※3 仙台市制100周年を記念して作られた市民ミュージカル「OH!ZEI」他

※4 「愛…そしてラーメン〜喜多方編〜」というちょっぴり演歌風の曲。1990年。(他に長浜編、ススキノ編がある)「たんぽぽ」というユニット名で、相馬里吏氏とのデュエットだったが、私事により活動は3ヶ月で終わってしまった。 その時の所属事務所の社長は国会議員の「今野東」氏。

※5 「仙台放送ハウジングプラザ」
「キラキラコンビニリトルスター」
「毎日乾杯!酒のヤマダ」
「620」(立体駐車場)
「仙台銘菓正宗」
「夕刊Catchテーマ」(仙台放送)
「米沢市制100周年記念テーマソング」
「YBCサウンドロゴ」(山形放送)
「昼までご一緒〜AM」(東北放送ラジオ) 
他思い出せない…

※6 福岡出身だが、今では仙台弁の方が得意。


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