A.政策論議
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A.政策論議
A-1. 今の公営電気は水力の意味を語られることもなく
97.12.23
A-2. 非現実的な論議である
97.12.23
A-3. 日本エネ研の資料で水・原の評価が低い訳は? 97.12.23
A-4.
水力のローカル性を何とか普遍的なものに
− 98.1.8
A-5. 京都会議で水力が俎上に揚がらない理由は?
98.1.8
A-6.電力不足は国際貿易で解決できる 98.7.14
A-7.日経の環境・エネルギー特集に異議あり 99.1.8
A-8.水力を国際世論に載せよ 99.2.1
A-9.ダムに対する誤解と偏見・水力への投資動機 99.2.1
A-10..不確かな情報が環境論者に利用されては困る99.3.21
A-11.北東アジアにおける日本の立場 99.4.1
A-12.経済理論と地球の将来 99.4.15 追補(99.4.17)
A-13.中国のエネルギー問題は脅威となるか 99.11.7.29
A-14. 第二電力構想について 99.11.17
A-15.
【賀正】
水力の遠景を眺望す 00.01.01
A-16.(その1)こうすれば地球持続は可能である 00.01.24
(その2)水力をク゜ローバルで考えるときの疑念
A-1.
コメント(H.9.12.23)
今の公営電気は水力の意味を語られることもなく
電気料金の低廉化の世論を必要以上に受けて、水力への理解が全くなってしまった今、地球温暖化京都会議の一応の決着は、石油ショック以来の水力の転機と考えたいと思います。
今の公営電気は、水力の意味を語られることなく、IPPに比べ高コストであるという大義名分で全く取り組もうとしない悲惨な状況です。IPPはやがて、CO2で頭打ちとなることは周知の事実です。
A:筆者所見(H.9.12.23)
日本の近未来のエネルギー事情は、まだしばらくは85%を占める化石燃料の輸入は可能だ。だからCO2対策として原子力導入は意味があるが、世間一般は省エネの方に関心が強い。また日本国内の残存水力は量も少なくコストも高い。従って水力資源を政策として検討する時は世界の包蔵水力を取り上げないと
論議の対象にしてもらえない。
かつて水力開発の担い手であった公営電気・電発が
、「水力の意味を語られることなく」
とは言い得て妙である。まさにこれが私がホームページを開設した理由なのです。
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A-2.
コメント(H.9.12.23)
非現実的な議論である
。
A:筆者所見(H.9.12.23)
此の論文を登録するに当たって、世間の反応は「無視」か「激しい反対」かのいずれかであると覚悟していた。このコメントは前者だ。もちろん覚悟していたのだからそれなりの理論武装を考えていた。
こと水力の話になると、「無視」されるばかりでなく「狂信的」だとさえ言われるのが現状である。上記A.1.で述べたように
論議の対象にしてもらえない
のである。電力会社が最も関心を持つのは
「量」と「コスト」
である。そういう点では日本の残存水力は落第と言わざるを得ない。
そこで視点を世界の包蔵水力に向けているのである。世界の包蔵水力は14兆Kwhと言われる。この量は現在地球上で供給している総発電力量12兆Kwhを上回る量であり、充分議論の対象になりうる「量」である。まして化石燃料の枯渇すると言う21世紀後半においておや。
従って水力の「量」を論ずるに当たっては、場所を世界に、時代を21世紀後半に求めている。また「コスト」も償却後も発電を続ける事の可能な水力の特性を考慮して100年以上の長期にわたって火力と原価を比較検討すると言う新しい手法を採った。こう言う論議の仕方が非現実的と言われるのかも知れません。
しかし、CO2による地球温暖化問題、少子化で2100年には6000万人に減少すると予想される日本もあれば、アフリカや東南アジアで爆発的に増えると言う人口問題等はいずれも100年単位の現実的な課題として議論されている。50〜60年で枯渇するという石油や天然ガス等の化石燃料の寿命問題を抱えるエネルギーも100年オーダーで考えるてしかるべきと思うが。
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A-3. コメント(H.9.12.23)
日本エネルギー経済研究所の資料で水力と原子力の評価が全く低いのはどういう訳か。
A;筆者所見(H.9.12.31)
日本エネルギー経済研究所のグラフで水力と原子力の伸びが殆ど考慮されていないのに驚きを禁じ得ない。担当の方に早速尋ねてみると「水力については資料が無い、原子力は最近の情勢から増強は無理と判断した」と言う意見であった。
その後、日本エネルギー経済研究所では水・原子力拡大案を作成されたので資料を拝見させて貰った。それによると水力を2.3倍、原子力を5.2倍にしている。しかし電気エネルギーには貢献するが、個体・液体・気体エネルギーの効果には限界があるとし、かえって液化・ガス化に期待する石炭の比重が高まり173億トンも計上している。しかも水力の増加は アジア・旧ソ連東欧・中南米に、原子力の拡大は殆どアジアに集中している。
私はこれには若干の疑問を持つ。というのは、一次エネルギーのうち電力に回る分を電力化率と呼ぶが、利用の便利性・清潔性などによりこの率は高まる傾向にある。日本の場合昭和40年で31.2%、昭和50年で32.7%、昭和59年で38.7%、平成3年で40.2%となっており2030年には62%になるという試算もある。世界の平均はハッキリした数字は手元に無いが概ね30%強と推定されるが、電力化率の上昇傾向は変わりは無いと思われる。
仮に第一テーマの
図3−2
の持続可能ケースで2100年の総一次エネルギーは石油換算で201億トン、電力化率を45%として電力は約90億トンとなる。これに対し水力10兆Kwh・原子力10兆Kwhで合計20兆Kwhを確保すれば、石油換算で約48億トンとなり約53.3%を占めることになる。後は石炭とバイオを含む新エネルギーが頼りとなる。
D-5.参照
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A-4. コメント(H.10.1.8)
水力のローカル性を何とか普遍的なものに
水力資源が基本的に化石燃料と違う点は,極めてその存在がローカルである,と言う点にあると思うのです。もし10兆KWhが化石燃料と同じ概念で存在した場合は,水力に対する評価は全く違ったものになっていたでしょう。例えば,あの昭和30年代の日本に,ラオスの水力エネルギーを運んでくることが可能であったならば,我々は躊躇なくそうしていたことでしょう。「備蓄出来ないから」と言われる方も居られますが,あの日本の高度経済成長の時に,シベリアから送電してきて有峰の巨大貯水池に揚水発電の形で貯めておこう,と言う発想もあったようですね。
私は,ヒマラヤの山奥に出かけて水力包蔵の調査を行うことは無意味と思うのです。メコンの水力包蔵が日の目を見ようとしているのは,地域の平和到来も重要な影響を与えたけれど,そこにバンコクという巨大な需要が発生したからに他なりません。これからも世界の中には,バンコクに匹敵する巨大需要が生まれる可能性を秘めているところが有るはずです。それはどこか,と言うことを睨んで次の手を考えるのが,今後の我々の重要な役割ではないでしょうか。
需要が発生したところでは,決して誰も水力の可能性を否定しません。もっとも重要で開発の可能性が高い電源は水力である,これはNGO等の一部の反対はあったとしても,優先開発されるのは緊急のディーゼル等の開発に続く,非常に高い優先度を,常に持っています。全く役に立たない僻地にある水力包蔵が,世界の経済発展の拠点が動くに従って,順次開発の機運が出てくる,このような動きは,更に来世紀も続くことでしょう。三峡ダムも,恐らく今の中国の高度経済成長がなかったならば,実現しなかったことでしょう。
私は,どこかに電力を必要としているところが有れば,そこにすっ飛んでいって手を貸したい,と思っています。場合によっては数百KWの農村電化かも知れません,それでもやはり水力技術者は飛び込んで行くべきと思います。世界に何人の水力技術者がいるのか分かりませんが,これらの技術者がそれぞれ,あるいはグループで,このような仕事をしていると思うのです。そのそれぞれの成果のインテグレーションが,世界10兆KWhの包蔵水力の,人類のエネルギー問題への貢献,となって現れてくるのではないでしょうか。だから私は,鈴木さんのHPを通じての啓蒙が大きく貢献するときが来る,と思って応援しています。
ただ,この水力のローカル性を何とか普遍的なものにしたいと言う努力が続けられていることも知っています。それは,長距離送電の技術であり,国境間の摩擦を減少させる努力であり,更には水力で水素エネルギーを生み出して運搬する,とか言う発想だと思うのです。
A;筆者所見(H.10.1.8)
このコメントの提供者は国際的に活躍している日本の数少ない水力技術者の一人であり、第一線の現場の極限状態から得られた体験から来る貴重な、力強い意見としてあり難く拝見しました。
このコメントでは、
需要が発生したところでは,決して誰も水力の可能性を否定しません。もっとも重要で開発の可能性が高い電源は水力である,
とし
これからも世界の中には,巨大需要が生まれる可能性を秘めているところが有るはずです。それはどこか,と言うことを睨んで次の手を考えるのが,今後の我々の重要な役割ではないでしょうか。
と述べています。
私はかつて資源エネルギー庁の水力新世紀計画策定委員会で、この委員会の趣旨が過去の100年の水力の歴史を踏まえてこれからの100年の水力を考えると言う格調の高いものであれば、国内の当面の水力はもちろん大切だが、世界の水力がかなり包蔵されていることから、これを視野に入れるべき旨訴えた。
委員会審議の中途段階では、世界の包蔵水力が取り上げられていたが、最終的には近年経済発展の著しいアジア地区の水力に取り組む必要があるという表現になった。やはりこのコメントが述べているように、世界の水力を取り上げるにはまだ抽象的で説得力を持つに至らなかったので、具体的に説明しやすいアジア地区を取り上げたものと思う。最後の委員会の会合で、世界の水力に言及されなかったのは残念でやむを得ないが、議事録には残してほしいと述べた記憶がある。
その後政府はアジア地区の水力調査の予算を獲得、平成8年度から3ケ年計画で実施していると聞く。この調査がいつか国際世論の支持を得て、世界にまで及ぶようになることを祈念している。
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A-5.
コメント(H.10.1.8)
京都会議で水力が俎上に揚がらない理由は?
京都会議においても、水力は全く無視。何故でしょうか? 我々の考えに基本的な問題があるのか? 風力や光発電については、それなりの世間の認知がある。
A;筆者所見(H.10.1.8)
私は2っの 理由があると考えている。
@.電気事業者は水力の恩恵を受けていたが「量」と「コスト」の面で石油火力に走った。確かに石油は輸送・貯蔵に便利、安価、豊富安定、発電所建設費は安く、建設期間は短く、変動が少ない。これに反し水力は燃料こそないが、水没反対の荒々しい筵旗、巨額な建設費は初期原価を高くし、会社の経理を圧迫する。しかも急成長の電力需要には追いつけない。そして更に償却期間が長く、資本の回収が遅いときている。
言葉は悪いが石油メジャーにやられたのである。しかしいまや化石燃料の枯渇が囁かれ最近は原子力に移行しているのである。
A.パリーに本部のあるIEA(国際エネルギー機構)が、1995年水力促進のため組織を設立した際、スペインの技術者のスピーチのなかで「−−−−−水力に
ファッション性がない
−−−−」と言う意味の発言があった。始めはよく判らなかったが、よく考えてみると、かつて日本でも黒四ダムや佐久間ダムのように若い土木技術者を身震いさせるような、さらには新しい技術・施工法を狙う企業者が虎視眈々としていた時代があったのである。これは一つの大きな
ファッション
であつたのである。いまは水力技術は完熟し、ファッション性がないと言うことを言いたかったのではないかと推測する。
それと比較してみると、確かに風力や光発電は必要とされる技術革新が山ほどあるわけだ。補助金をつけて量産に持ち込み一層の発展を望むと言う楽しみがある。
ファッション性がある
と言ってよいだろう。
しかしその一方、最近本場アルプス山中の工事中の水力発電所を見学して来た技術者の話では、水力にはまだまだ技術革新を必要とする
ファッション的な物
があると言う。
続く
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