• E−12.筆者報告(H.16.04.1)  仮説「性弱説」その後の動き

     
    先日、infoseekの検索でたまたま「世界のエネルギー」を検索していたところ、右側に別枠のコラム欄に「infoseek検索TOP5」として「性弱説」が選ばれており、驚いてクリックしてみると、はたして私のHPの仮説「性弱説」そのものでした。時々「性弱説」に共感を覚えると言う話を聞いて、意を強くしていましたが、著名なサーバが読んでいて、このように私の仮説を取り上げて頂いているとは夢思いもしていませんでした。

     そこで、「性弱説」で検束して見ますと、かなりあることが初めて判りました。整理して以下に紹介してみたいと思います。 
    • 「性弱説」ウェブサイト一覧表

      その1.川合一民(川合吹きガラス工房)
      その2.陶山嵩弘さん ネットリサーチ(株)社長
      その3.木暮 仁(大学教授、1938年生まれ)
      その4.山崎 文明=グローバルセキュリティエキスパート副社長
      その5.片倉ともこ(中央大学教授)vis金子芳樹(独協大学教授)
      その6.内田 勝也 中央大学助教授
      その7.片倉ともこ
      その8.佐山一郎VIS永井洋一「デベート放談」(サッカー)
      その9
      .加藤秀樹(構想日本)
      その10.安本哲之助(阪大講師) 
      情報処理教育に対するビジョン--- システム監査人の立場から ---
      その11.東京都教育委員会(H.15.828)
      その12.大田和宏(豊田紡織取締役会長)  「性善説」と「性弱説」
      その13.飲み屋の哲人、または、中村さん大いに語る
      その14.週間情報通信ニュースインデックスno.447
      その15. 四日市市助役日記(2) 藤島昇
      その16.「イスラームと社会」 荒井研究室(東北大学)
      その17.
       「第4回:地球温暖化・エネルギー問題2」講 師:加藤秀樹教授・桝本晃章氏・飯田哲也氏

      その18.「私なりの精神論 -自分を鼓舞してる日記」ニックネーム earth_angel(女性)
      その19. 伊東義高 (ヤルデア研究所長)
      その20.名前: 考える名無しさん
      その21.大作戦日誌
      その22.小室忠夫(福島県教育庁スポーツ健康課主任指導主事)
      その23.アルゴリズムとデータ構造I及び演習
      その24.ニックネーム、ぶち弦(ゆづる) 
      (女優・物書きの卵、人間不信におちいる。

      その25.「企業不祥事防止と監査役の役割」
      ◆筆者総合所見(04.04.01)
        
      1.情緒的な「性弱説」 
        
      2.情報のセェキュリテイ対策として、人間は本来弱いと言う「性弱説」に立てば
        3.イスラムの「女性のスカーフ」「禁酒」の風習はアラブの「人間性弱説」に起因すると言う。
        4.政策決定に「性弱説」で説明を付ける。
        5.「性弱説」に向き合う
        6.サッカー論議に「性弱説」?
        7.結び
       

    • その1.川合一民(川合吹きガラス工房)

       長崎の人、19年前に吹きガラスの工場を見学し、吹きガラスに魅せられて、趣味から本職になった。不思議な人だ。自分でも今までの定職を投げ捨ててまでこのようになったのか判らぬと言う。好きでやつているととは言い切れないと言う。芸術家であり、詩人であり、且ついくつかの痛みを伴う闘病生活を送っている。

       HPのURLは http://homepage2.nifty.com/gallala/koubouno%20asa.htm です。毎日、朝の写真と詩を日記として記録しております。04年年3月10日の日記は次のように書かれている。その中に「性弱説」の話が出てくる。

         04年3月10日

           急に春。
           ほんとうにあったかい。

           私、寡聞にしてちっとも知りませんでしたが、
           「性弱説」 という言葉をはじめて聞きました。

           性善説でもなく性悪説でもなく性弱説。

           もしかすると、ただ、
           口当たりのいいだけっていうか
           肌触りの軟らかいだけっていうか、
           そういう もわっ とした言葉かもしれんけど、

           ものすごく腑におちる言葉ではある。

           自分の事考えてみても、
           そうなんだよなぁ なんて、
           「性弱説」によりかかってしまいそうになるもんな。

           ほら、この態度がすでに「性弱」以外のなにもんでもないし。

           組織とかの、「人間」のシステムのセキュリティーなんか
           考えるベースとしても、きっと役にたちそうな気がする。

           通報の遅れ とか
           不正流用 とか
           組織的隠蔽 とか
           情報の流出 とか
           なかなか進まない仕事とか(うわ、私の事情か・・・・)

           「性弱説」かぁ。

    • その2.陶山嵩弘さん ネットリサーチ(株)社長

       陶山さんは、大手企業にいましたが、自分の存在感を実感できる中小企業で働きたいと、一旦システムメーカーに入った後、昭和五十三年、三十四歳のときに独立しました。この会社は中小企業のネット経営・社員教育のコンサルティング(1978年創業)で、「月刊中小企業家」に”経営理念をかかげて”と言う対談を載せております。この中に出てくる「性弱説」の解釈では、悪人はいない、ただ誤解や忘れ物をしがちなだけとしている。これは私の考えの中になかった。 

       「性弱説」にたつ人材教育(03年7月号) URL:http://www.tokyo.doyu.jp/book/2003-7/rinen.html

      【陶山】 
       人は気づいていないだけで自分が思っている以上にすばらしいものを持っている、これを社員に語りかけることばにしています。人間を性善説と性悪説でみることがありますが、私は、基本的には性善説に立っています。つまり人格自体は決して悪人ではない、ただ誤解や忘れものをしがちなだけ。それを「性弱説」と称しています。

       表面の「問題」は憎んでも「人格」は憎まずです。「人在」も、本当に自社に合った人を採用すれば「人材」になりますが、無理に採用すれば「人罪」になってしまいます。これは採用した社長の責任です。自分たちの会社をきちんと説明する、これが経営指針だと思います。会社の弱みも含めて正直に説明します。理念に共感してくれる「人材」を集めて共に「人財」に育ちたい、その指導法がコーチングです。これをやって社内がすごく活性化しているのを感じています。

       自主・民主・連帯の自主について、私なりの思いがあります。自主的に参加というのは当たり前、自分の内面を見たとき、自分の足りない面ばかり見て自分が尊敬できなければ、他人も尊敬できません。自分なりに自分のいいところをいっぱい見つけると他人の話も聞けるし、人の強みも素直に尊敬できる。そういう自主ができて初めて民主的に物事が進められる。そんな思いを指針の中にちりばめています。

      【下村】 将来の会社づくりのイメージをどう描いていらっしゃいますか。

      【陶山】
       まだ漠然としていてまとまっていませんが、「顧客や同僚から信頼されて、あてにされる技術者の集団、家族や社会から生き方においても信頼される人の集団」。端的にいうと全員が経営者になってくれることを願っています。指針にも「社長をあと四年で交代する、その後社員の中から次期社長を選びます」と書いています。

      【下村】 仮に社員の中から独立したいという人がいたら認めますか。

      【陶山】
       かつては分社化を積極的に謳っていました。社長にしてくれないといってやめていった社員も実際にいました。しかし「待遇に不満あり」といって四年前に退社していった元社員が、昨年「ネットリサーチのみんなの一生懸命な姿勢の中で働きたい」と再び入社試験を申し込むといううれしい出来事がありました。今やリーダー的存在で頑張っています。

       いま二〇〇三年度の経営指針をリーダー中心に作成していますが、コーチングスキルを学んで、職場がもっと活性化することを今年の目標にしたいと彼らは書いてくれています。コーチングは、我が社では常識になってしまいました。その根底にあるのが、「性善説、だけど「性弱説」だと思います。

      【下村】 コーチングとは自分のなかにある力、考えをうまく引き出していく、エデュケーションと共通する部分で、それが陶山さんのいう自主という部分の布石になっているということですね。今日はどうもありがとうございました。  

    • その3.木暮 仁(大学教授、1938年生まれ)

       木暮さんはHPで”企業でのセキュリティ対策”と題して、企業のセキュリティ対策について,全般的な対策とインターネットによる不正アクセスやウイルスなどへの対策にわけて検討しています。

       彼のHPのURLは http://www.kogures.com/hitoshi/webtext/sec-kigyo/ です。その中に新しい重要な要素として「性弱説」を評価している。氏はこの素晴らしい考え方を、セキュリティ管理の専門家の内田勝也氏に教わり、さらに内田氏は氏の上司から聞いたと言う。さて、その上司は自分で発想したとすれば、その真意をお聞きしたいものですね。
       
      【1】.「性弱説」 (教材:企業でのセキュリティ対策−03年8月)

       社内不正行為への対策は仲間を疑うようで,なかなかいいだせません。

       また,「われわれは性悪説(人は悪いことをするという考え方)ではなく性善説(人を信用するのがよいことだ)に立っているのでそのような対策は無用だ」という人もいます。

       それに対して「性弱説」を提唱している人がいます。人は弱いものです。簡単な操作で不正ができて,しかもそれがバレる危険が少ないとすれば,つい出来心で不正をしたくなりますし,偶然に機密情報に出会えば好奇心で見たくなるでしょう。情報システムをそのような環境にしておくのは,社員を誘惑して不正を犯すのをそそのかしているようなことです。社員に対してセキュリティ対策をするのは,そのような危険から社員を守るためであり,企業の責任なのだというのがこの「性弱説」です。

       私はこの性弱説はすばらしい考え方だと思います。私はこれをセキュリティ管理の専門家の内田勝也氏に教わりました。さらに氏は氏の上司から聞いたといっています。

      【2】.性善説?(教材:情報セキュリティ対策と利用部門−03年11月)

       性悪説にたつべきか性善説がよいかとの議論があるが,私は「性弱説」が適切だと思っている(これは日本セキュリティマネジメント学会常任理事・中央大学助教授の内田勝也氏からの受け売りで,氏は以前に上司から聞いたとのこと)。

       人間はそもそも誘惑に弱い。人通りのない道でおカネを見つけたらネコババしたくなるのは人情だ。情報システムでもアクセスできるところに不正ができる環境があれば,つい魔がさすことがある。それを全面的に悪だといえるだろうか。むしろそのような誘惑をする環境のほうが問題ではないか。「汝,誘惑するなかれ」だ。

       不正行為ができないようの対処は,決して仲間を信用しない性悪説ではなく,仲間を不正行為のリスクから回避させるための保護対策なのだ。性善説だといって誘惑の機会を放置するのは,仲間を裏切る無責任行為なのだ・・・。

      【3】.IT社会における地方行政の役割(連続講座)第1回 (03年6月4日)
                演題 「組織で取り組む情報管理〜情報セキュリティ対策を中心として〜」
                http://www.masse.or.jp/gaiyo/jigyo/kenkyus/tokubetu/it1.doc

       
      ここでは外部から見た行政の情報セキュリティを論じていますが、情報セキュリティ対策の考え方として、
          (1)社会的責任
          (2)性弱説
          (3)情報セキュリティの特徴

      が述べられております。性弱説については次のとおりです。

       (2)性弱説

       公表されることは少ないのですが、内部者による犯行は多いといわれています。ところが、内部を対象にしてセキュリティ対策を講じるのは、仲間を疑っているようで、なかなかやりづらいものです。

       内部対策では、性善説や性悪説ではなく、性弱説に立つのがよいと思います。この性弱説という言葉ですが、私はこれを中央大学の内田先生から教わりました。

       人間は本来誘惑には弱いものです。その辺にお金がポンと落ちていて、だれも見ていなければネコババしてしまいます。機密データが容易にアクセスできるようなところに置いてあれば見たくなります。それで自分の給料が上がるのだとすれば、データを改ざんしたくなります。これらは、人間は弱い生きものですから仕方がないことです。

       むしろ、おカネやデータを野放しに置いていることが問題です。本当に社員を愛しているのならば、そういう誘惑の原因を事前に取り除いておくべきです。内部へのセキュリティ対策とは、「万一、出来心でネコババや改ざんをすると、罪人扱いになってしまう。それを防ぐために社内向けのセキュリティをするのだ。仲間を信用していないからではなく、仲間が罪人にならないように保護するのだ」という論理です。

       逆に言えば、内部に対してセキュリティ対策を講じていないのは、仲間を陥れる穴を作っておくようなことであり、裏切り行為だともいえます。


    • その4.山崎 文明=グローバルセキュリティエキスパート副社長
               BizTechイノベーター(nikkeibp.jpニュース):内部犯行の盲点、システム管理者の監督

       個人情報漏えい事件の大半は、内部従業者の悪意による漏えいである。

       人は善人でありたいと思いながらも、金銭的な理由や腹いせのために個人情報を持ち出す。 こうした気の迷いから生じる悪意を持った行動を制することができるとすれば、それは、確実な「検知」の仕組みだ。

       路上に1万円札が落ちていた場合、人は、拾い上げる前に必ず周囲を見渡すはずである。 だれも目撃する人がいなければ、懐にしまいこむ人も多いだろう。 一方、周囲に他人の目があったり、まして交番の目の前での出来事であれば、だれしもが善人を装って、あるいは善行が当然かのように、その札を警察官に届け出るはずである。

       筆者は、これを性善説でも性悪説でもない「 性弱説 」と呼んでいる。 人は、善意の人でありたいと願いつつも、ふとした気の迷いから悪行を働く弱い存在であるとの意味である。 内部犯行を防止するためには、すべての人に共通する性弱性を、確実な検知の仕組みで補強することが重要だ。


    • その5.片倉ともこ(中央大学教授)vis金子芳樹(独協大学教授)
                巻頭座談会(イスラムとは何か−イスラムは西洋文明と敵対するのか)
                URL:http://www.jpf.go.jp/j/media_j/publish_j/acn/pdf/asia22.pdf(アジアセンターニュース02年11月)

       金子:片倉先生の「イスラームの日常生活」の中で書かれている「人間性弱説」(注1.)の説明は実にイスラームの特徴をと
          らえていると思います。西洋近代文明の基礎となっている「性強説」と比べながら、「性弱説」の観点からイスラムを見直して見
          ますと、様々な面で納得がいきます。

       片倉:私は文科人類学ですから、下の方から潜り込んで観察していたら、「性弱説」と言うキーワードが見えて来たのです。
           キリスト教からきた「性強説」の西洋は、「人間は強くなれるんだ」と言う考え方だから「頑張れ、頑張れ」としょつちゅう発破をかけ
           られる。しかし本来、アジア全体には「そんなに頑張れないよ、頑張って強くなってどうなるの?強いのはむしろ悪ではないか」と
           言う受け止め方があるのではないかと思うのです。
           いまイスラム教徒が一番多いのはアジアでしょう。アジアはイスラムで言う神が宿りやすい環境にあるのでしょうね。「性弱説」
          
      をほかの言葉で言えば、「イエスかノーか」の文化ではなく黒白つけられない曖昧さであり、アジアってそうじぁありませんか。
        −−−−−−
        −−−−−−
       このようにイスラムの本質は「性弱説」に有りと言う出発点から、9.11テロ以来、世界各地でテロが多発する度に、イスラム過激派の関与が取りざたされているが、それには我々の知識に偏向があるのではないか。
       イスラムの価値観や倫理を知ることでイスラムを正しく理解したいとして、次のようなタイトルで対談談がすすめられている。

        1.3重構造でとらえるイスラム社会
        2.国家と民族・宗教
        3.イスラム的な日本人
        4.国家とウンマ(イスラム共同体)
        5.多数は優位の風潮に対する疑問
        6.デモクラシーの多様性

       となかなか読み応えのある内容で、「性弱説」はアジア特有のものであるらしいことが議論されている。成る程とこういう切り口もあるかと感心した。

       注1.「人間性弱説」
          神と人との領域が厳然と区別され、神を中心に社会が動くイスラムでは、人間は本来弱い者であるとみとめている。
          一方近代西洋社会では、本来キリスト教徒が持っていた原罪意識に基づく「人間性悪説」から、人間は強くあるべきだと言う「人間
          性強説」が支配的になった。近代西欧社会の「人間性強説」に対比させた「人間性弱説」

    • その6.内田 勝也 中央大学助教授

      【1】.新たな情報セキュリティの構築を! 
            http://it.nikkei.co.jp/it/njh/njh.cfm?i=20010619s2001s2  (01年6月21日)

       情報セキュリティを考えるというととかく技術中心の考え方になるが、実際には技術だけで全てをカバーできる訳ではない。運用・管理等の人的な面の対応も技術に劣らず重要である。しかし、運用・管理等の人的な面が絡むと、企業・組織では結構抵抗が強い場合が多い。

       少し前までは多くの企業、特に大企業では、セキュリティ製品を売り込みにいくと、「当社には、そんな忠誠心のない社員はいない。社員は常に悪いことをするという『性悪説』を前提に考えられたセキュリティ製品はいらない。」との話がよく聞かれた。もっとも、売る側もセキュリティ製品は犯罪防止に非常に有効ですなんて売り込んでいたが。勿論、今でも一部の企業に訪問すると同様な話がある。

       中略

       過去のコンピュータ犯罪、特に金融機関でコンピュータ犯罪としてマスコミに登場した人達を思いだすまでもなく、企業・組織内部の人が犯罪行為を行った場合、本当に最初から犯罪を目的としていただろうか?例えば、

       「全く人気のない所にお金が落ちていた。金額が不明だが、もしあなたならどうするか?」

             (1)警察に届ける。
             (2)無視する。
             (3)自分の懐に入れてしまう。

       の3つの回答の内、皆さんはどれを選ぶだろうか?

       この質問をセミナーで行うと、大金(2億円とか、5億円位)だと3と回答する方も結構いる。筆者自身も3を選ぶ可能性はゼロではない。

       5億円あれば、毎年1000万円使っても、50年は使える。筆者は今後50年も生きている可能性など殆どない。ある環境に入り込んでしまった時、一時的に自分の周りが見えなくなることがないとどれ程の人が言えるだろうか?
       
       中略

       そこで性善説・性悪説?

       人間の性格を善悪だけで判断できるのだろうか? 前記『内部犯行者について』で述べた「お金の話」を持ち出すまでもなく、それ程単純ではないと考えられないか?「魔が差した!」とか、「出来心で!」と言った言葉があるが、この様な言葉だけで済ませる気はないが、環境が人間を狂わす事がないと言えるだろうか。

       むしろ、そのような環境を作らない仕組み作りが今求められるのではないだろうか。人間の性は善悪だけでなく、弱いものでもあると考えている。

       「性善説・性悪説」と言った二進法的な発想でなく、これらに性弱説を加えて考えることも必要ではないだろうか?

       情報セキュリティにおいて、「性弱説」的な考えを取り入れることにより、塀の内側に落ちない仕組みを構築したいと考えている。

      【2】.第四回セキュリティ分科会 議事録(2001/11/30)
               http://www.quality.co.jp/ksug/bunkakai_2001/secu_gijiroku_20011130.html 

       ◆
      コンピュータ犯罪者像

        ・ セキュリティを考える上で犯罪者像を考察する事は重要事項である。
       
          コンピュータ犯罪者像は、組織内で簡単に内部犯行を行なえる立場の人(地位があり信頼されている)と重なる。このような立場の
          人も、一生暮らしていける金額を手にするチャンスがあれば、善良な人間も反社会的な行動を取る事がある。

       ◆情報セキュリティに対する心構え

       ・ 技術と管理・・・ 技術面で補える問題と管理で補える事を明確にする。
       ・ 部分と全体・・・ 垣根の低い部分が平均点と見る必要がある。
       ・ ブラックボックス・・・見えなくなる(管理できない)場所を作らない事画重要
       ・ 教育、啓蒙・・・ 重要事項。絶えず行なう必要がある。悪い事をする人間を作らない。
       ・ 性善説、性悪説VS性弱説
         性善説/性悪説では片付かない問題
         善良な人間でも犯行を行なう場合がある事を認識する。

      【3】 「ネット社会の未来と秩序」.内田勝也氏(関東学院大学)(03.12.7)
                      http://www.nikkei.co.jp/digitalcore/event/011207/03.html

       私も授業を持っているが、セキュリティに関しては、少なくとも加害者になるなと教えている。困ったときは、自分が被害者になったときに、どう考えるか。それを判断基準にしろと教えている。

       最近では、被害者であると同時に加害者になる可能性が大きい。性悪説をとるべきという人もいるが、私は性弱説をとる。人間は心が弱いので、悪いこともある。性善説、性悪説の2分法ではないだろう。

       ウイルスには、ハニーポットという害のないものがあるが、セキュリティでも擬似攻撃を受けてシミュレーションしておくと良いだろう。実際に攻撃されたときに、パニックになってしまうのことが問題だ。

    • その7.片倉ともこ

      【1】.(「イラン:ふしぎの国」<第2回> 北風と太陽-イラン女性はいつベールを脱ぐか?-)
                     http://www.motoko3.com/pc/iran/index.html

       弱き男を誘惑しないための服装

       シーア派イスラム教徒の国イランでは、女性の服装や素行に対して厳しい社会的戒律がある。服装はもちろん、女性の写真を新聞・雑誌に掲載することは許されない。全身写真はもちろん、顔写真だってだめだ。女性の歌手やタレントはいない。女性的魅力を売り物にすることは、法律で禁じられている。ファッション雑誌もないし、あたりまえだが美人コンテストもポルノ映画もない。映画女優はいるが、出演するときには必ずチャードル姿だ。テレビキャスターもきっちりマクナエをかぶって、長いコートを着ていた。

       片倉もとこ「イスラームの日常世界」(岩波新書)によれば、ムスリムの社会の人間観は「人間は本来弱いものだ」という「性弱説」なのだそうだ。誘惑に負けそうになるものだから「不特定多数の男女が肌をみせて接触していると、弱い人間のこと、乱れるにきまっている」。とくに男は誘惑に弱いから、女はベールをかぶって協力しろ、というのだそうだ。

       男が誘惑に負けないように精神を鍛えろ、と西欧的「人間性強説」にならされた身としては思うのだが、そこが大いなるちがいである。

      【2】.同上 <第3回>なぜイランだけがこんなに厳しく禁酒?)

       だが、やはり酒が使えないと、料理にいまひとつコクがない。 どうしてイランはこんなに厳しく禁酒なのだ? やはり「性弱説」によるもので、酒を飲むとロクなことをやらかさない、というイスラムの教えを厳しく守っているからだろうか。

       ムスリムの国でも、スンニ派ではさほど禁酒はきびしくないらしい。エジプトでは国が率先して酒を造って売っているというし、イラクをはじめとして、旅行客はホテルで酒が飲める国も多い。大っぴらにはできなくても、一般国民も家の中でならば飲酒もできるということだ。お酒の効用をある程度は認めているのだろう。

       イランでも闇でならば買えるというウワサも聞いた。闇ルートでこっそりと仕入れて、家で飲んでいる人もいるらしいい。ただ、そこまでやって飲む人がさほど多くないために、お酒の文化も料理も浸透していない。

       イランも革命前までは、とてもいいワインを作っていたとか。とくにシーラーズ・ワインは有名で、いまではオーストラリアで作られている。濃くのある重いボジョレ系の味だそうだ。そのころの料理は、いまよりもバラエティ豊かで、カラダに悪そうなツマミも多かったにちがいない。お酒は飲み過ぎさえしなければ、料理の味も人間の味も風味をつけると思うのだが


      【3】.沖縄教区時報 「人間は弱い者」(02年10月27日)

       片倉もとこ著「イスラームの日常世界」(岩波新書)の読書会を、有志で始めています。著者は、日本でも著名なイスラーム文化の研究家です。幅広い暖かい視点で、私たちの知らないイスラームの実際の生活を、本当に分かりやすく紹介してくださっていて感激しました。

       沖縄宣教研究協議会主催の講演会に著者を招くことになりました。非常に著名な方で、来てもらえるか不安がありましたが、私の友人を通してお願いしてもらったところ、「私は沖縄が好きですから参りましょう」と、快く引き受けてくださいました。来年の3月中旬に来てくださる予定です。良き準備をしてということで、読書会を始めています。お越しください。

       第1回は、第1章を読みました。イスラーム社会の原点は、人間は弱い存在だというところから出発します。−性弱説− だから、神の掟に従って、できるだけその弱さを互いにカバーできるような生き方が大切です。禁酒も女性のべールも誘惑に弱い人間を守るものです。

       それに対して、近代西欧社会(日本人も)は、人間は強い存在で、望むことは何でも適えられるという人間中心の生き方です。神の働く領域は狭められ信仰心も小さくなっています。−性強説−

       イスラームを鏡にすると色んなものが良く見えて来ます。特に、日本人キリスト者の信仰の有無が、良く見えます。(「マイター・ボックス」欄) 主教 ダビデ


    • その8.佐山一郎VIS永井洋一「デベート放談」
           
      ジーコには「型」がない
           http://number.goo.ne.jp/from_number/593/special_features/spe2/page2.html

       ――コーチングメソッドの話とも関係するのですが、ジーコ就任当初からずっと「約束事がない」「型がない」「全て自由でいいのか」といった面からの批判がなされてきましたが、それについてはいかがでしょうか。

      佐山: 偉大なるジーコに関する情報はかなり開示されている――実際に本はたくさん出ている――けれど、そのほとんどが人間としての彼をひたすら礼賛するもので、読んでも読んでも本当のジーコの姿はもちろん、彼のサッカー理論さえ見えて来ない。辛うじて拾えたのは、「攻撃のパターンは多彩である必要はない。1つの攻撃パターンでも十分なんだ」という持論(苦笑)。で、今、そのたったひとつの型を求めて苦しんでおられるわけですよ。

      永井: 正直に告白すると、僕もかつて少年たちを指導するときに、トゥルシエ流でぎちぎちに「型」にはめたことがあります。その方が短期間で目に見える成果が出やすい。指導する方もされる方も、努力と結果の結びつきが確認しやすい。

       やっぱりね、日本人は「型」にはまるのが大好きなんですよ。ベンゲルをはじめとする日本に来た外国人指導者が、「日本人の良さ」としてみんな判で押したように口をそろえるのは、「勤勉である、ディシプリンを守る、労を惜しまない……」。実際選手は実にスムーズに「型」にはまって、メディアもその「型」に照らし合わせて嬉々として試合を「徹底検証」する。つくづく「型」が好きな国民だなあと思います。

      佐山: まあ、あまり日本人論に収斂(しゅうれん)させちゃうと面白くなくなっちゃうんだけど。

       トゥルシエのフラット3の発端にあるのは、性善説ならぬ“性弱説”でしょう。極端な話、「モンキーGK」のいる日本人なんかにまともなサッカーができるわけがない、というところから出発してる戦術だからね。その点、ジーコはわりと冷静に日本人を見てるな、という気はする。

       一口に「自由」と言っても、freedomもあるしlibertyもある。僕はジーコのもとでやっている選手たちは実はそれほど「自由」とは感じていないんじゃないかと思う。彼らは、判断を委任されているだけだから。

      永井: まったくその通りだと思います。「自由」という言葉が一人歩きしてる。

      佐山: いずれにしろ、サッカーって、いわれてるほど「自由な」競技じゃないってことなんだよね(笑)。

      永井:
       ジーコの言う自由っていうのは、最良であるはずのものを自分で的確に判断しなさいという意味であって、好き勝手にやりなさい、という意味じゃない。

    • その9.加藤秀樹(構想日本) http://www.doshisha.ac.jp/syougai/info/sanwa/97/l03/03t04.html

       【1】.持続可能な発展のための政策手段

       環境と経済の統合へ向けて戦略的に取り組んでいくための主な政策手段として、直接規制、経済的手段、教育・啓発の3つが挙げられる。
      そのうち経済的手段において

       ◆経済的手法

       これは比較的有効な手法として注目されているが、具体的にはいろいろな形がある。例えば、税金、課徴金、料金、そしてごみの有料化もこれにあたる。ごみが有料になると、ごみを減らそうとするインセンティブが働く。これが経済的に合理的な意思決定になるのではないだろうか。意識の高い人だけが取り組むのではなく、単純にその行為が自分にとってすぐ得になるから動く、という仕組を作っていかないと社会的にしないのではないだろう。

       この他、排出権取引制度もこの手法に当てはめられる。これはCO2、NOX、SOX等工場の排出する大気汚染ガスについてその地域において排出できる量を決め、それから換算して一事業者あたりが出せるガス量の許可を事前に与える。仮にその事業所が努力して、排出量を90%に減らした場合、後の10%分を自分のもっていた権利ということで売れる。それを買う側は、110%排出してよそからその権利を買う必要のできた事業者である。努力をして出す量を減らせば減らすほど残るわけだから、それを売ることができる。事業者としてはその方がコスト的にも得である。

       他には、石油をつかうより環境面で望ましいという点で日本では太陽光発電の設置に対して国が出している補助金の制度、中身の消費後にビンや缶等の容器を返却する際に預かり金の戻ってくるデポジット制度もこの手法の1つである。

       得か損かで環境問題を解決しようとするこの手法は一見ドライである。しかし、残念ながら人間は性悪説と性善説のどちらでもなく、性弱説で説明される。つまり楽な方が良いのである。ごみをわざわざ100m向こうの箱に入れにいくより、自分のいるところで捨てることを選択して行動する。この性質を使って、少し無理した方が結局は得をする仕組を作ることが課題なのである。

      【2】. 「衆議院環境委員会参考人意見陳述」加藤秀樹(慶應義塾大学総合政策学部教授) 2002年4月2日
                   http://www4.ocn.ne.jp/~maki-y/data/question/question007a.html

       土壌汚染対策法案を議題

       一つは、調査と情報開示、これがすべてのスタートだということです。かぎは、汚染の可能性のある土地あるいは土については全面的に調査をするということ、そしてその調査した中身についてはなるべく詳細に情報公開をするということ、この二点に尽きると思います。

       しかし、残念ながらこの法案では、例えば原則として工場の操業を廃止したときといったような、調査の契機が極めて限定的になっております。

       それからもう一点ですけれども、その調査した中身、それの情報の出し方ですけれども、これは地表面の概況調査を行って、そこで汚染の疑いが強いとなれば、そこは汚染地の指定がされます。それは、いわばシロかクロかということを世の中に発表するということになります。

       この二点の問題についてですけれども、まず、シロかクロかということになると、やはり普通の、ここは先ほど申し上げました世の中の人はどう対応するかということなんですが、シロかクロかと言われると、往々にしてマスメディアというのはこういうときにはあおりがちな、そういう報道をしがちであります。今までもそういうことは多くありました。その結果、特に資力のない中小企業などの場合には、これはクロになると大変だと。調査をしないといけない。お金もかかる。あるいは、さらに浄化しないといけないかもわからない。売ろうと思ってもこれは買い手がつかないかもわからない。そうなると、あらかじめ操業を廃止する前に表面をきれいにして、それであたかも何も汚染がないかのようにして、それで売ってしまおう。これは、私は、特別に悪い人でなくても当然の人情ではないかなと。よく性善説あるいは性悪説というようなことが言われます。しかし、私はどちらも違うんではないかな、むしろ性弱説ではないかなと。人間とは、私なんかはその典型ですけれども、弱いものですから、やはりこっちの方がお金がかからないなと思ったらどうしてもそっちの方に行く。これは、それを責めてもしようがないんではないのかな。

       私も霞が関で二十年余り仕事をしてまいりましたけれども、やはり霞が関の中だけ、あるいは法律のことばかりやっていると、ひょっとしたらそういう世間の人の動きがわかりにくくなるのかもわからないなと、私もやめてようやくそういうことが少しわかるようになってきたのかもわかりませんが、この委員会で御審議いただく国会議員の先生方、皆さんその辺は最もよくおわかりだと思います。ぜひ、世の中の人たちの機微、これを勘案した上で、今の点についてぜひ十分な御審議をいただきたいと思います。

       この法案をつくるに当たって、作成の担当省である環境省の方、恐らくいろいろなことを御検討されたんだと思います。例えば、今私が申し上げました中小企業にとって負担にならないかとか、あるいは地価に悪い影響が及ばないかとか等々を配慮した、あるいは配慮せよとの力がいろいろあった、そういう結果こういうことになったのではないかと思います。

       しかし、私は逆に、いろいろな例を見てまいりますと、抜け穴が大きければ大きいほど、あるいは小出しにすればするほど問題は裏に潜って、結果的には悪い結果になる。そのことは、薬害エイズであっても不良債権の問題であってもあるいは狂牛病であっても、問題の中身は違っても同じような結果をもたらしている。ここは、やはり十分に注意をする必要があると思います。

       そういうことを考えますと、私は、最初に申し上げましたとおり、望ましいのは、全面的に調査を行って、それをなるべく丁寧に詳しく世の中に出していくこと、そのことに尽きると思います。

    • その10.安本哲之助(阪大講師) 情報処理教育に対するビジョン--- システム監査人の立場から ---
                http://www.ime.cmc.osaka-u.ac.jp/kouhou98/katsudo/yasumoto.html
       
       情報システムのセキュリティを適切に確保する事が重要になったとして、種々述べられているが、「3. コンピュータの不法行為を抑止する対策面からみた情報システムの特性」の中に8項目の問題点を摘出している。その第8項目目は次のように指摘している。

       8.内部犯行が多い。

       コンピュータ犯罪の実行者は組織体内部の関係者が圧倒的に多いのが特徴です。

       組織体の管理者は所属員が黒い誘惑に負けないように性弱説に立った不祥事故防止のための管理が必要です。つまり、人は弱い存在である。誘惑に負けやすい,あるいは脅迫にあった場合、心ならずも実行するといった側面があることを理解し、所属員を悪から護ってやるといった意識が必要です。

       この程度は許されるだろう。心ならずも軽い気持ちで実行する。自分の不始末を糊塗する。たのまれて引き受ける、脅迫されて実行するといった場面が実に多くあることを監査人は経験しています。

       事例としては大学関係では以下のものがあげられます。

       イ.学生のネットワークのIDを売り渡したもの,パスワードファイルの窃盗
       ロ.学生であっても犯罪行為に巻き込まれる危惧があります。
       ハ.ネットワークエチケットに違反による迷惑行為 ネットワークエチケットを知らないもの、
       ニ.大量,多数情報の発信 でメールサーバをダウンさせるもの、迷惑なチェーンメールでネットワーク資源に過剰な負荷をかけるもの等
       

    • その11.東京都教育委員会(H.15.828)
             
      http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/gaiyo/gijiroku/1514teirei.pdf

       学校経営調査委員会(養護学校で不適切な性教育が明らかになって、これを契機に設置された委員会である)

       −−−−だから、やはり告発制度についても、弁護士を立てたきちっとした救済措置をとれるような、例えば教育委員会なり、あるいは教育庁に対して、そういう告発したいという人もいると思うんですが、なかなかできない。

       それからまた、した場合には相当大きな圧力で、相当大きな問題を、その告発した人が受けるということがあると思うんです、それを救済してやるシステムはつくっておいてやるべきだと思うのです。それには東京都から一歩下がったところの弁護士などを都庁外から募ったらいいと思うのです。

       アメリカやヨーロッパに行くと、彼らの考え方は性悪説です。それは、宗教性の問題や教育の問題ではっきりしているわけなのですが、どうしても日本人は性善説なのです。私は、人間というのは基本的に弱いんだと、性弱説なんです。人間の弱いところが犯罪にもなり、このような行為になってくるのだと思うのです。

       だから、このような受け止め方を社会全体がしなければならないと思うのです。之は教育だけの問題ではなく、都庁全体について考えるべきではないか。

    • その12.大田和宏(豊田紡織取締役会長)  「性善説」と「性弱説」
               http://www.jsqc.org/ja/kankoubutsu/news/articles/2001-05/news228.pdf

       
      管理の法則には「性善説的管理」(方式1)と「性悪説的管理」(方式2)とあります。(方式1)は性は善なりとし、人間は正義を愛し、向上心があり、不正を憎み、嘘を言わないことを前提とする方式で、この考えに立てば、管理の手間も少なく、そのシステムも簡単にすみます。

       一方(2の方式)では、人の性を本来ずるく、怠慢で−−−とするのですから、きちんと細部まで管理の網を設定しておくことになり、複雑で莫大ななシステムとその運用は大変なものになります。しかしどこまで細かくしても信用できない人間がシステムを動かすのですから、やはり問題は残ります。従って管理は性善説的を基本とすべきで、それに関わる人々が性善なる人に近づくように常に仕向けて行く行くことがキーでしょう。そのためには

        1.システムを運用する人を信用すること
        2.そのシステムを正しく機能させる事の重要性を繰り返し説くこと
        3.個々のルールについて、それが決められた理由、守れなかった場合の不具合をきちんと理解させること。
        4.組織として上記1〜4をきちんとやることのルール、さらに風土化して行けば、かなりしっかりした管理ができる。

       しかし人間は弱い者です。つい心のゆるみから安易にはしり、ルール違反などをし勝ちです。この「弱さ」をどうみつけ、トラブル発生を防ぐか、すなわち「性弱説的管理」(方式3)が必要になります。(方式3)は(方式2)と異なり、あくまで(方式1)にのつとりつつ、人間の持つ「弱さ」の出るのを見出し、防ごうと言うものです。従って個々の人間の自主性を尊重しつつ「ゆるい」けれども、肝心な所はきちんと締めようと言うものです。

       この(3の方式)は日本なら出来ると思います。是非十分な組織体を造り上げて再び世界に誇れる日本の品質体質にしてゆきいものです。

    • その13.飲み屋の哲人、または、中村さん大いに語る 2000.6.19
            http://www.iscb.net/mikio/200006/0619.htm

       「性悪説とか性善説とか言われるけれど、俺は性弱説を前から言っているんだ」と、十代の少年の犯罪を伝えるテレビを見ながら、中村さんは語り始めた。

       「人間は悪でも善でもないんだ、弱いというのがほんとうなんだ」

       「性弱説って、なんかあっちのほうが弱い男性ってイメージを連想してしまうけど」と、ぼくは頓珍漢な事を言って話の腰を折る。かまわず中村さんは、続ける。「弱いからいろいろしてしまうんだ、そう言う前提で、人間を見ていかなければいけないんだ」という。

       中村さんによれば、結局人間は、強くはなれない。「ただこの弱い存在たる人間は自然に触れ合うことが必要なんだ」つまり、この考える葦は自然という風に逆らわず吹かれるままにいることがなによりも大切らしい。

       「自然の本質は、ブナに集約されている」と中村さんは主張する。「ブナの保水力、二酸化炭素を吸収し、酸素をだす機能は、他の植物に比べて比類なく、おまけに、その保水されていた水は滋味豊かで、他の生命をいきいきさせるんだよ」という。

       急に中村さんが静かになった。今日も中村さんは眠り込んでしまった。どうやら、中村さん自身の「性弱説」は酒に対してであるらしい。

    • その14.週間情報通信ニュースインデックスno.447 2004/03/13

       1.BizTechイノベーター:内部犯行の盲点、システム管理者の監督(3.9 日経BizTech)

       個人情報漏えい事件の大半は、内部従業者の悪意による漏えいである。 人は善人でありたいと思いながらも、金銭的な理由や腹いせのために個人情報を持ち出す。
      こうした気の迷いから生じる悪意を持った行動を制することができるとすれば、それは、確実な「検知」の仕組みだ。

       路上に1万円札が落ちていた場合、人は、拾い上げる前に必ず周囲を見渡すはずである。だれも目撃する人がいなければ、懐にしまいこむ人も多いだろう。 一方、周囲に他人の目があったり、まして交番の目の前での出来事であれば、だれしもが善人を装って、あるいは善行が当然かのように、その札を警察官に届け出るはずである。
       筆者は、これを性善説でも性悪説でもない「性弱説」と呼んでいる。人は、善意の人でありたいと願いつつも、ふとした気の迷いから悪行を働く弱い存在であるとの意味である。 内部犯行を防止するためには、すべての人に共通する性弱性を、確実な検知の仕組みで補強することが重要だ。

    • その15. 四日市市助役日記(2) 藤島昇(四日市市助役)
             http://plaza.rakuten.co.jp/nfujishima/diary/2003-09-26/

       
      性弱説 03.09月26日(金)

       性善説、性悪説という言葉があるが、僕は性善説の方を支持している。しかし同時に、人は非常に弱いものであるという「性弱説」とでもいうべきものが、一番妥当な考え方なのではないか、と思う。

       こういうことを考えた直接のきっかけは、マスコミで連日報道される「不祥事」のことからだが、もう一つ、最近読み始めた「悪習慣をぶっ飛ばせ!なりたい自分になる法則」というメルマガを読んで受けた感じから。

       このメルマガ、まだ始まったばかりで、具体的なノウハウの紹介には至っておらず(まさか、ノウハウを引っ張りに引っ張って、説明したら最終回とかいうことは、ないだろうな?)、いかに禁酒・禁煙ということが難しいか、さらに広く一般的に「耐える」ということが難しいかということ、そして、悪習慣を断ち切るには、「耐える」という方法論が間違っており、別の考え方が必要、というところまでがこれまでのところだが、非常に共感するところがある。

       これまで、子供の頃からのしつけや学校教育で、「がまんしなさい」という忍耐の重要性を、どれだけ教えられてきたかわからない。そして、忍耐力に欠ける自分に自己嫌悪を感じてきた人も、非常に多いことだろう。もちろん僕もそうだ。

       忍耐力がないのは「悪」であり、克服しなければならない、苦痛に耐えて訓練すれば克服できる、克服できていないのは訓練が足りないからだ、という考え方で、忍耐力の訓練を強いられた人も多いのではなかろうか。

       しかし、最近になって、大きな疑問を感じるようになってきている。人間の純粋な苦痛に対する忍耐力というものは、本当にそんなに訓練によって高まるものなのか?人間というものは、所詮弱いままのものでしかないのではないのか?ということだ。

       そう考えても、実はあまり問題はないのではないか、というのが最近の考え。精神的な「忍耐」に頼るのではなく、外部環境をそうせざるを得ないように調整したり、そうすることが苦痛ではなく楽しいと感じるようなやり方を工夫することができるのではないか。そして、実はその方が、「忍耐」に頼るよりも、効率的・効果的なのではないか、と思う。

       先のメルマガのこれからの号に、期待している。
       
       筆者注(04.04.01):上記文中にあるメルマガ「悪習慣をぶっ飛ばせ!なりたい自分になる法則」(http://plaza.rakuten.co.jp/nosmoke/)の発行者はニックネーム「煙んバス」と言う人らしい。その「煙んバス」さんから、藤島氏の上記のHPを見て次のような感想文が藤島氏に届いた。

       Re:性弱説(9/26) 煙んパスさん

       うーん、まともな人がまともに論評してくれると、品格ってもんが出てきますな。メルマガご紹介ありがとうございました。

       性弱説って言うのは、いい言葉ですな。原稿に使わせてくださいm(_ _)m

       藤島さんおっしゃるとおり、教育や指導で忍耐力がつくことは基本的には無いと私も思っています。もしそれが事実なら、武道家やスポーツ選手はひとりも自殺しないんじゃないか! と。極端だけどそういう事でしょ?

       弱さを認めたところから人は強くなれる、って言うこと、自分の弱さを認めずに強くなろうとしてもそれはできないことを理解すると、とってもラクに生きられると思います。

       そんなことをメルマガで書けたらなぁ、と思っています。お、なんか俺まともなこと言ってるやん(^^;;キャラ違うキャラ違う(^^;;  (03年9月27日1時46分)

       これに対して藤島氏から煙んバスさんへ感想文

       Re:Re:性弱説(9/26) 藤島 昇さん

       煙んパスさん、ご感想ありがとうございました。 性弱説って言うのは、いい言葉ですな。原稿に使わせてくださいm(_ _)m

       「性弱説」については、この日記を書こうとしてふと思いついたことばだったのですが、今 google で検索をかけてみると、この用語を使ったかなり本格的な論評がありました。

          http://homepage2.nifty.com/w-hydroplus/seijakusestu.htm   

       「登録商標」ではないので法律上の問題が発生することはないでしょうが、著書に書かれるときには、一応気をつけられた方がいいのかもしれません。

       「教育で忍耐力がつくことはない」と言い切った方が、確かによさそうですね。教育によって忍耐力がつくように見えるのは、成果達成の喜びなどによって苦痛を苦痛でなくするようなマインド・コントロールに成功した、ということであり、「我慢」の練習で「苦痛への耐久力」がつくというのは、おそらく全くの錯覚ですね。人間性に反する、効率の悪い方法だと思います。       (03年9月27日6時12分)

       筆者注(04.04.01):藤島さんに私のHPの「仮説性弱説」を読んで頂き、感想を述べて頂いたことを知りありがたく感謝申し上げます。この言葉は、昔から存在していたのか、同時多方面で自然発生したのか全く判りませんが、共鳴されている方がおられるようで大変愉快に思っております。しかし学説として真実であるかどうかこれからいろいろの検証・分析を経て固まるでしょう。「登録商標」などの問題は今のところないでしょう。大いにみなさんで議論を展開してほしいと思います。

       上記私のHPは4月から次に移行されます。
        新URL: http://www013.upp.so-net.ne.jp/u-hydroplus/seijakusestu.htm#Label0 

       たばこをやめた話は大変おもしろいですね。私もやめました。この悪戦苦闘も独特のもので、いつかHPに書きたいと思っていますが、チャンスがありません。

    • その16.「イスラームと社会」 荒井研究室(東北大学) 第2回(1999.11.30)
             http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/6866/islam.html

       
      人間性弱説

       孟子は人間性善説を、荀子は人間性悪説を唱えましたが、イスラームは、人間は本来は悪くないのですが、いろいろな誘惑に負けて悪いこともしまう、弱い動物だという立場をとります。

       そこから、ヴェールをかぶるという発想がでてくるのです。本当は男女問わず手足以外を出してはならないのですが、特に男性は女性の肌の露出に弱く、冷静な判断ができなくなるため、女性の肌の露出は厳しく取り締まられています。

       それから、飲酒の禁止も同様な説明が可能です。

       貧しい人、困っている人を助けるという相互扶助の精神も、ここから出てきます。このような考え方は、自然破壊や個人主義を押し進める欧米の人間性強説と対照的です。

    • その17. 「第4回:地球温暖化・エネルギー問題2」講 師:加藤秀樹教授・桝本晃章氏・飯田哲也氏
            http://www.zeroemission.co.jp/B-LIFE/SFC/speech99/sp9904.html

       まず桝本さんのお話しですが、人間というのは性善説とか性悪説ということではなく、性弱説ではないかと思います。「やはり楽なことは良い」というように弱いものなのです。

       ですからそこから来る国民の欲求というものがあり、それに対して応えようとする企業の動機がある。そういうことの結果、経済規模というのはどんどん増えていく。それ自体が悪いことではないけれども増えていく。それとほとんど平行して少なくとも今まではエネルギー需給というのはどんどん増えてきた。ところがそこに蓋をするようなかたちで温暖化の問題が出てきて「さあどうするか」という状況をいろんなデータでご説明していただいたわけです。

    • その18.「私なりの精神論 -自分を鼓舞してる日記」ニックネーム earth_angel(女性)(03.12.16)
             http://plaza.rakuten.co.jp/earthangel/diary/2003-12-16

       パワフルで善き人格

       先日に書いた、弱き善き人格っていう言葉があったけれど、人は、善きものを持っていても、弱いところがあると、パワフルな悪(まよい、無明)に影響されちゃうってことだと思った。

       「パワフルな悪(まよい、無明)」は、持っているその人を結果的にはどつぼにはまらせるだけでなく(一見、いいことがありそうではあるけれど)、他人にも悪影響があるし、いやな感じを与えるから、誰のためにもならないじゃないかな?と思った。

       中略

       だから、目指すものはただ一つ。「パワフルで善き人格」。これしかないんだと思った。パワフルといっても、地平線から朝日が出てくるような静かさのパワフルもあれば、大きな音を立てるパワフルもある。

       「弱き善き人格」も、わるかーないけど、すぐ変なものに影響されやすくってそれじゃ本人もまだ辛いでしょうし、策を講じて、パワフルになるといいんだよね!どうすれば、パワフルになれるんだろうね。

      ◆ これに対して、ハタハタさん(男性、神奈川県、1959年生まれ)が次のような感想文をよせている。

       欲やら恐れやらあって、人間は弱い存在ですよね。楽天日記にどなたかが書いていたのか、あるいは別のどこかだったか忘れましたが、人間のそういう弱さを取りあげて、(性善説や性悪説ならぬ)「性弱説」を唱えている人がいました。言いえて妙だなと思いました。

       いずれにしろ、そういう弱さを超えて、善き人格を保ちたい―――そのためのパワフルさということになると、自分の弱さに勝つパワーということでしょうね。
         (12月17日21時44分)

    • その19. 伊東義高 (ヤルデア研究所長)、静岡県・昭和9年生まれ)
                    ヤルデアとは「やる気」と「アイディア」の合成語、著者は会社退職後、人材開発などの助言・執筆をしている。
                    http://homepage2.nifty.com/yarudea/index.html

       
      「優しさと弱さ」

       ・優しさとは弱さに対する共感・いやしである。
       ・優しさを他人に与えていると自分が強くなる。
       ・優しさを他人に求めていると自分が弱くなる。
       ・近年、いたるところでいやし系が溢れている。
       ・人は強くなっているのか弱くなっているのか。

       ・古来、性善説と性悪説があるように、性強説と性弱説とがあるのか。
       ・性強説は「頑張れ」と言い、性弱説は「癒しをどうぞ」というのか。
       ・近年の迎合商法は「癒し」と「甘やかし」の区別なく乱用している。
       ・こんな調子では打たれ弱い、根性のない民族になるのでは…の心配。
       ・年寄りの命取り…風邪・骨折・詐欺商法

    • その20.名前: 考える名無しさん 投稿日: 02/03/10 22:59  
                     「お前ら、性善説か性悪説かどっちよ?(2ちゃんねる) 」
                
       悪に決まってる。

       そうおもうと善に出会えたときの喜びが大きい。 善とおもって生きていると辛いこと多すぎ。 よって、性悪説、これ最強。
       
       同感ですね。性善説ならば、私たちは生まれた時が一番美しい(善)のに、生きていく過程で汚れていくと云う事になる。そうだとすると、生きる意味はなんなのだろうか?

       性悪説のほうが前向きな気がする。それに、子供の時の自分の方が今よりもずっと性格が悪かったと思うし、いろいろな辛い経験をして、自分が成長している(善になっていってる) と信じたい。いうならば“性弱説”が一番近いとは思うが。

    • その21.大作戦日誌  (2001・06・10)
              http://www12.ocn.ne.jp/~tusk2/diary/2001/0106.html

       『想像力戦線』 陰鬱な気分になる事件が続く。

       “命を侮辱した者の命は侮辱されるべきだ”とも思ってしまう。“性善説”“性悪説”以前に、人は“弱い”・・・そう、思う。性弱であるからこそ、暴力を弱き者に向ける愚者が出現する。

       己にしか通用しない誤解され曲解された屑プライド。その無為を悟った者こそ“強さ”を獲得する鍵を持つのだ。弱さに言い訳して怠惰が日常になれば、その迷宮から出られない。想像力が枯渇し、不作法な自意識だけが突出する。

       日常の中で、誰かとの肉体的接触が皆無に近くなってたとしても、ちいさな命に触れる事がとても少なくとも、誰かを抱きしめる事が無くとも、誰かに抱きしめられる事が無くとも、人と人の間に生きる“人間”ならば想像できる筈なのだ。

       誰かが、何に喜び、何に笑い、何を空想し、何を夢見ているかを。想像できない筈は無い。それは、誰ならぬ己自身に内在する記憶の中にも在るのだから。

       その記憶を知らないと言い、自分が歩けなかった頃に糞尿を拭いてもらった事すら忘れて、虚勢を張る。そんな人生は、嫌だ。

    • その22.小室忠夫(福島県教育庁スポーツ健康課主任指導主事) H.08年10月
               http://www.db.fks.ed.jp/txt/47000.kyouiku_fukushima/00198/html/00033.html

       人間は弱い (森村誠一著”人間の証明”を読んで)

       森村氏は「社会派」と言われることを嫌う。「私は、人間のドラマを描きたい」と言っている。その代表作が本書であろうと思う。

       『歎異抄』という本の中で親驚は「性善説」と「性悪説」を説いている。「本質的に人間は善である。やむにやまれぬ環境で悪いことをするのだ。百姓一揆だってそうだ。一方人間はもともと邪まで悪い心を努力によって杭を打ち、頭が出ないようにしている」と説いている。

       本書を読んで、私は「性弱説」を考えた。人間はもともと弱い、その弱さのために、どんどん悪い方向に入ってしまう人がいる。人間の美しさとは、少しでもその弱さを克服しようとする姿ではないか。

       オレは強い、絶対に間違っていないという人間に会うと私はぞっとする。他人の心を認めない人で、友達にもなれなく、つまらない人だと思ってしまう。強がらないで、ほんとうの自分の心に忠実になりたいと、一人になると思う。

    • その23.アルゴリズムとデータ構造I及び演習 (T030) 講義 #1 資料  03年
             http://joshua.cs.inf.shizuoka.ac.jp/2003/T030/lecture/guidance.html

       5.
      成績評価

       阿部は「試験は必要悪である」と考えている。 性善説でも性悪説でもなく、性弱説 (?)

    • その24.ニックネーム、ぶち弦(ゆづる) (女優・物書きの卵、人間不信におちいる。山口県、80年生まれ)
             http://sir.peewee.jp/KeepDiary0204.html

       徒然日記 02年4月23日(火) 曇り・・・でいいのかな。

       「性善説?性悪説?いえいえ、性弱説です。」

       そう感じないかい?ねえねえ。胃が痛い!胃がイガイガ痛いたい!!
       
       というわけで、今日はぶるーなぶちゆづるですが。 旅行がしたいです。CMもしていることだし、日光にでも行ってこようかな。 それとも、もっと北へ行こうかしら。南?
      私は船が大好きなので、落ち着いたら沖縄まで船で行ってこようと思います。 でも、これから暑くなるので沖縄へ行くのは涼しくなってからだなあ。 ということは、まだし ばらくはどこへも行けないようです、とほほ。

    • その25.「企業不祥事防止と監査役の役割」  (H15.9.24)
              http://www.kansa.or.jp/PDF/ns_031016_01.pdf

         44 性善性悪ではなく性弱を前提に経営に立ち向かっています 

    • ◆筆者総合所見(04.04.01)

       「性弱説」で検索すると3800件位出て来ますが、これに「性悪説」と「性善説」を加えて絞りますと109件になります。この中でも「性弱説」の字句のあるサイトは20数件となりました。上記25件が該当した訳であります。テーマが表現する内容だけに大変人間の心の深奥に迫る中身で、読んで分析するのに大変愉快な数日を過ごすことが出来ました。便宜上、理解を早めるために、僭越だがいくつかのカテゴリーに分けてみた。

      1.情緒的な「性弱説」
          (イ).弱い−−弱々しい−−かわいらしい−−美しい−−優しい−−癒し−−と言う具合に、
                情緒的に「性弱説」と言う言葉に共感する情緒派がある。        (その1、13、19、21,24等)
          (ロ).性善−性悪−性善−性弱。生まれた時は善で、子供の頃か悪で、長ずるに及び善となり、老熟して弱となる。(その20)

      2.情報のセェキュリテイ対策として、人間は本来弱いと言う「性弱説」に立てば
         (イ).単なる誤解や忘れもの (その2)
         (ロ).でき心や好奇心(その3)
         (ハ).魔が差す(その6)
         (ニ).誘惑に負ける(その3)
         (ホ).気の迷い(その4、14)
         (ト).善良な者が犯行を犯す(その6)
         (チ).こころならずも−この程度なら許されるかも(その10)
         (り).心のゆるみが安易にルール違反(その12)
         (ヌ).楽の方がよい(その17)   
       と言うことから、社員(当事者)を守るために組織を整備して改良すること、こそが第一である。
       筆者注:「性弱説」がこのように情報のセェキュリテイ対策として考えられ、立案され実行されることになれば、社会的認知を得たことになる。

      3.イスラムの「女性のスカーフ」「禁酒」の風習はアラブの「人間性弱説」に起因すると言う。(その5、7、16)
       筆者注:この話は初めて聞いた。
            前者は男は誘惑に弱いから女性の肌を隠すため、後者は酒におぼれて乱れるからと言う。
            さらに、貧しい人、困っている人を助けるという相互扶助の精神もこの性弱説からくると言う。
            断食(ラマダン)というのは王様をふくめ万民が等しく断食の苦しみを共有するのである。
            だから、イスラムがテロの震源地というのは大変な誤解だと言う。
            イスラムが「性弱説」の起源だとすれば、数千年にさかのぼるではないか。

      4.政策決定に「性弱説」で説明を付ける。
         (イ).楽の方がよい。(その9)
            環境と経済の統合と言う戦略で、得か損かで環境問題を決めるのはドライだが、結局楽の方がよい。
         (ロ).国会で参考人が「性弱説」を引用して説明した。(その9)
           土地汚染対策法案問題で汚染土地の指定に関して意見を求められた参考人が、調査と公表を厳密に迅速に公平にすべき
           とする主張の理由を、汚染土地所有者はコソコソと表面きれいにして、損しないように早く売ってしまう、これは「性弱説」から
           言って「人情」であるとする。
       筆者注:損・得は人情だ、その方が楽に決められる、人間の弱さだ。だから法規制も「性弱説」から裏付けるべき。
            ついに国会で、法案審議のため呼ばれた参考人から「性弱説」論が飛び出たことは、洛陽の紙価を高めることにな
           るばかりでなく、社会的にも学問的評価が権威付け
      られることになる。

      5.「性弱説」に向き合う
         (イ).「我慢」「耐える」だけでは問題の解決にならない。自分の弱さを認めてこそ強くなれる。(その15)
         (ロ).自分の弱さにうち勝つパワーを!(その18)
         (ハ).弱さを克服(その22)

      6.サッカー論議に「性弱説」?(その8)
       筆者注:ジーコの「型がない」「自由にやれ」と言う批判に議論が進むが、「性弱説」とどう結び着くのかよく判らない。(その8)を
            見た上で諸兄のご意見を賜りたい。
             (その8)によれば、ジーコは「むしろ攻撃は多彩でなく、1っでよい」としているがその1つ型に苦しんでいる。トルシェは「性
            善説」でなく「性弱説」で多くの型をぎしぎし教え込む。そして日本人はまじめでこの型を忠実にまもる。素直なよい国民性だ
            とほめる。その上で、ジーコの自由とは「最良であるはずのものを自分で的確に判断しなさいという意味であって、
            好き勝手にやりなさい、という意味じゃない。」と評価している。
             すなわち私の推測では、人間の心は本来弱い(迷う)から型にはめた方がよい。しかしジーコは型にはめないで自由にや
            れと言う。偉大な天才ジーコの本当の心は知る由もないが、
               (イ).型はいる。しかも一つでよい。そのひとつが難しくて苦しんでいる。
               (ロ).自由にやれと言うのは、最良のものを自分で判断してやれと言う意味だ。.

      7.結び 

       私のHPに述べた「仮説性弱説」はこの【5.「性弱説」に向き合う】に近い。社会的には大きな影響を及ぼすが、まだ非常に個人的な問題対処に限られている。

       「性弱説」の考え方が、情報管理のセキュリテイの組織論や、法案審議で国会の聴聞会で証人がキーワードとして証言、或いは東京都庁の教育委員会で委員の答弁に引用される等ということが公式の表舞台に出てくるようになって来れば、まだかなりの成熟期間を必要としようが、大いに議論を重ねて、整合性をつみかさね、体系付けを行っていけばおもしろい結果が得られるかもしれない。

       しかし世界の現状を見ると、今の世の中は「性悪説」がまかり通り、「平和」と「自由」は「先制攻撃」と「大量破壊兵器」のみでしか確保できないとしているのである。「性悪説」と「性善説」とは相対的に戦争と平和の対立に相当するのか。一度世界全体が「性弱説」に向き合って、力強い「秩序と安定」を確立する事に同意出来れば、平和が訪れると思うのだが。

       国内的に見ても、なんとおどろおどろしい事件が毎日のように報道されるのか。秘書給与の詐取、鳥インフルエンザの浅田農産社長の迷い、警察の裏金作り、、厚生年金積立金利用に関する醜聞、公金横領、医療ミス、回転ドアの事故は全国で140件、そのほか諸々の殺人等々あきれてしまう。末世か!

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