FileNo001
狂 犬 病


  はじめに

 日本では狂犬病が撲滅されて45年以上が経っています。なのになぜ狂犬病の予防接種を毎年行うのか疑問に思っておられる方も少ないないのではないでしょうか。ネット上でそうした質問をなさっている方も時折見受けられます。かくいう私も法律で決まっていることだからと深く考えたことがなく、ただ漠然と狂犬病は恐ろしい病気だという認識しかありませんでした。

 そんな折、某シェパ系HPのBBSで狂犬病が話題となったことがあり、管理人さんが狂犬病が発生していない国々を列挙してくださっていて、ふと、ある共通点に気がつきました。それは日本を始め、イギリス、オーストラリア、スカンジナビア半島の国々だったのですが、どの国も国土の大半を海に囲まれているという地理的条件を共有していることでした。この点に関しては後ほどまた触れさせていただきますが、今まで深く考えたことのなかった狂犬病やその歴史について俄かに関心がわき、調べてみるきっかけとなりました。それからというもの、少しずつ情報を集め、途中3ヶ月間ほどパソコンが使えない時期もありましたが、やっとUPすることができました(笑)。たいした内容ではありませんが、ご一読いただければ幸いです。なお、
2ページ構成になっております。

  狂犬病の概要

◎概要のまとめ

 はじめに狂犬病の予備知識として重要な点を簡単にまとめてみました。

@病原菌 


ラブドウイルス科の狂犬病ウイルス。


genotype1〜6までの関連タイプがある。


全て砲弾型の粒子形態(左側画像参照)。



A
感染動物

 人獣共通の伝染病で、犬、猫、人間は勿論のこと、ほぼ全ての哺乳類に感染する。

B感染経路
 通常は狂犬病ウイルスを保有する動物に噛まれるなどして、その唾液中に含まれるウィルスが、傷口へと侵入し伝染する。特殊な条件下の実験では気道感染も確認されている。実際アメリカでは コウモリが多数生息する洞窟入った人が気道感染したと思われる症例も報告されている(ただし、コウモリに咬まれても気づかない場合もあり、真偽のほどは定かでない。いづれにせよ極めてまれなケースと思われる)。

C発生の類型

都市型狂犬病
 人口密度の高い都市部でみられる狂犬病で犬・猫が感染源。最も人間に感染しやすい類型。かつての日本もこのタイプ。現在では発展途上国に多く見られる。

森林型
 アライグマ、コウモリ、スカンク、キツネ、コヨーテといった野生動物が感染源。欧米先進国をはじめ、世界じゅうに分布。現在、ヨーロッパの国々を中心に、この森林型狂犬病を撲滅するためのプログラムが実施されているが、根絶は困難な状況。アメリカではアライグマの感染と拡散が問題視されている。

コウモリ型
 コウモリが感染源で、森林に近い市街地や住宅地などでもみられる。アメリカの人間における狂犬病感染源のTOPになっている。コウモリは、自然界における食物連鎖に大きな影響力を持っているため、安易に駆除できない。コウモリの数が減ると農作物に被害を及ぼす害虫が大発生したり、自然界の生態系にも打撃を与えると言われている。

C感染から発症(発病)
 体内に侵入した狂犬病ウィルスは中枢神経を通って脳髄にいたった段階で発症(発病)する。ウィルスが脳髄に至るまでの期間は潜伏期となり、平均で30日〜60日前後と言われているが、咬まれた部位により発症までの期間に差が出る(頭部に近い部位を噛まれた方が発病が早まると言われている)。早い場合で数日〜2週間前後、遅い場合は1〜2年で発症し、まれに5〜6年経って発症するケースもある。

D発病後の症状

<前駆期:2〜10日>
  風邪に似た症状や咬傷部に痒み・熱感の異常感覚。不安や興奮。

<急性期:2〜7日>
 狂躁期、発狂期ともいわれ、まさに狂った状態となる。異常な興奮、錯乱、幻覚、激しい攻撃性等が顕著となり、手当たり次第なんにでも咬み付くようになる。また痙攣症状や恐水症状もでて、水が飲めなくなったり、怖がったりする症状も出てくる(狂犬病は別名恐水症とも言われる)。この時期の症状から狂犬病の名前が付いたといわれ、伝染の危険性が最も高い時期でもある。ただし、WHO(世界保健機関)によると牛、馬、ロバといった草食動物や人間からの伝染率は非常に低いとされている。咬むということが、伝染する上での重要な要因になっているためと思われる。ちなみに人間同士の感染例は報告されていないが、感染後に死亡した人の角膜を移植したことによる感染は世界で報告されており、思わぬ感染もありうることを示唆している。

<麻痺期:2〜7日>
 昏睡状態となり最終的に呼吸停止で死にいたる(脳炎の症状と似ている)。

E治 療
 一旦発病(発症)してしまうと有効な治療法はなく、最短では10日足らずで死に至る。死亡率は100%である。感染しても潜伏期間中(発病前)に、動物脳由来の不活性ワクチンの接種やガンマグロブリンなどの抗ウイルス抗体の投与等、適切な処置をすれば(発病)発症は阻止できる。ただし日本ではガンマグロブリンなどの薬剤は入手困難な状況である(狂犬病洗浄国であるため備えがない)。WHO及び我が国では接種開始日を0として3 ,7 ,14 ,30 ,90 日の計6回のワクチン接種プログラムを推奨している。

  狂犬病の歴史
 
 ◎狂犬病はいつ頃からあったのか

 歴史上狂犬病がはじめて登場するのは、諸説があるものの、症状や伝染性についてある程度科学的な記述が見られるものとして、紀元前のギリシャ時代とするのが有力な説となっています。デモクリトス(BC460-370年)やアリストテレス(BC384-322年)は、詳細な症状や咬傷によって伝染することを既に記述していますから、それよりずっと以前から人類と狂犬病の戦いは始まっていたものと思われます。

 日本では8世紀の律令時代に「狂犬(たぶれいぬ)」という記述がはじめて登場しますが(『養老律令』)、文脈の前後関係から考えて、咬み癖のある犬、あるいは気性の荒い犬といった意味で、狂犬病とは無関係と推察されます(『犬の日本史』谷口研語)。その後狂犬病を連想させるような記述は暫く見当たりませんが、江戸時代中期の享保年間に間違いなく狂犬病であると推察される記述がはじめて登場します。享保年間というと時代劇の「暴れん坊将軍」でおなじみの八代将軍徳川吉宗の時代です。

 『翁草』には享保17年(1732年)に、犬だけでなく、狼や狐、狸、人、牛、馬などが咬みつかれて高熱を出し、早くて30日、長くて1年後には「狂いはいまわりて死す」と記述されています。またこの「犬病(いぬやまい)」が、西国・中国を経て畿内、東海(九州から関西、関東地方)へと拡大していった様子も記録されています。

 その4年後の元文元年(1736年)には「近年、異邦よりこの病わたりて西国にはじまり、中国、上方へ移り、近頃東国にもあり」(『狂犬咬傷治方』)といった史料もあり、狂犬病が外国から日本へ入ってきたこと、そしてそれが九州から中国、関西、関東を経て東北地方にまで猛威を振るっていった様子が、記述されています。長崎から伝染していった狂犬病は、4年後には江戸、9年後には現在の山形県庄内地方にまで達し、その20年後にはとうとう青森の下北半島にまで及びました。

 こうしたことからも、どうやら狂犬病は日本に古来からあった病気ではなく(少なくとも大流行するような形では存在しておらず)、鎖国時代唯一外国との窓口であった九州(長崎)にこの時期初めて外国から持ち込まれた病気であったことがうかがえます。 

 全くの余談ですが、狂犬病の流行がもっと以前の五代将軍徳川綱吉の時代だったら、世界の狂犬病史上類を見ない被害が出たのではないかと、ちょっとゾッとしてしまいました。現在のJR中野駅のホームやその周辺には、<生類憐れみの令>により、数年かけて敷地面積29万坪もの犬の養育・保護施設が建てられ、最大でおよそ10万頭もの野良犬や捨て犬が保護されていたという記録が残っています。その中に1頭でも狂犬病の犬がいたら、当時世界一の大都市だった江戸は言語を絶する結果になっていたに違いありません。ちなみに生類憐みの令という法令は実際にはありません。動物に対して、これをしてはいかん、あれをしてはいかんという法令が乱発され、後にそれらの法令や政策を総称して生類憐みの令と呼ぶようになったそうです。対象は犬だけにとどまらず、馬や牛、鳥、魚貝類、果ては蝿、蚊、蚤、シラミにいたるまで生き物全般に及んでいます。


 ◎無力な狂犬病治療

 狂犬病は現代でも一旦発症すれば決して助からない病気ですから、そのメカニズムが解明されていない時代においては、全く手の施しようのない病であるとともに、もっとも恐ろしい病気の代表格でした。実際、悪魔や怨霊の仕業と考えられていた時代すらあったくらいです。
 
 上記の史料『狂犬咬傷治方』のなかで紹介されている治療法も、病理学的には全く有効性が期待できないような内容です。同時代の他の書物においても同様で、<冷水で傷口を流した後に糞汁につけて灸をしガマの油を塗る>、<金魚をすりつぶして傷口に塗る>、<生の大豆を食べる>、といったおよそ現在では考えられないような治療が行われていました。治療というよりオマジナイに近かったのではないでしょうか。ウィルスと言う概念がまだなかった時代ですから、原因も漠然としていたでしょうし、成す術がない状況下で恐怖心による一種のパニックが起こっていたのかもしれません。

 欧米でも事情は同じでしたが、紀元前から焼きゴテによる傷口の熱消毒や傷口の切除などが行われ、荒っぽいながらも日本よりはるかに有効性のある治療が行われていたようです。治療以外の対処法としては、野犬狩り、狼狩り、感染動物の殺処分といったことが、狂犬病の流行のたびに行われ、人にも動物たちにも受難の時代が続きました。 


 ◎狂犬病ワクチンの完成秘話

 そうしたなか、病理学史上でも最も功績の大きい偉業の一つといわれる狂犬病ワクチンが完成します。フランスの細菌学者(化学者)のルイ・パスツールが1885年にこのワクチンの製造に成功しました。パスツールは狂犬病ワクチンの他にも多くの偉業を達成した研究者として知られています(1865年 ワインの低温殺菌法、1879年 家禽コレラワクチン、1881年 炭疸ワクチンなど)。
 
 狂犬病ワクチンに関しては、美談となって語り継がれ、伝記などでも必ず登場するエピソードとなっていますが、近年パスツールの死後100余年を経て公開された研究ノート(パスツールやその子孫の厳命により彼の死後もずっと封印されていた)から、今まで公に知られていなかった事実も判明しています。

 というのも、一般には最初に狂犬病ワクチンを受けたのは、ジョセフ・メイステルという少年だったいうのが通説になっていました。狂犬病に感染した野犬に襲われて負傷したメイステル少年は、当時完成したばかりの狂犬病ワクチンを頼りにパスツールを訪ねました。人間への有効性がまだ確認されていなかったことから(動物への有効性もまだ不充分な状況だった)、パスツールは接種を躊躇しましたが、責任問題を恐れず最終的に接種し、メイステル少年は11日間のワクチン治療に耐え一命を取りとめました。メイステル少年は、その恩に報いるため、成長した後パスツール研究所の門衛として一生をささげたという美談です。

 またもう一つの美談として、メイステル少年の事件があってから3ヵ月後に、羊飼いの少年ジャンーバプテイスト・ジュピエ が一緒にいた仲間の少年5人を助けるため、独りで狂犬に立ち向かい負傷し、同じくワクチン治療で一命を取り止めたというお話もあります。パスツール研究所には、今もジュピエ 少年が狂犬と戦うシーンをモチーフにした像が建てられています。それが影響したのか、資料によってはジュピエ少年を狂犬病ワクチン接種第一号患者としているものもあります。

 これらの美談は、それ自体大筋で事実には違いないのでしょうが、研究ノートからこの二人に先立って二人の患者に接種されていたことが判明しています。つまりメイステル少年は3人目、ジュピエ少年は4人目の投与者だったのです。初めての投与者は助かり、二人目の投与者は唇を噛まれた少女だったのですが、残念ながら間に合わず死亡しています。

 こうした研究ノートの公開により、狂犬病の研究以外にも通説と異なる事実がいくつか判明したことで、近年パスツールを批判するような動きも多少出ているようです。しかしながら、これをもってして彼の功績を無にするような批判は妥当ではないような気がします。確かに極端に偶像化され、実像とかけ離れてしまった側面も否めませんが、批判的な評価の多くが単なる人格攻撃になってしまっており、残念でなりません。いづれにせよ、1885年10月には狂犬病ワクチンの論文がフランスアカデミーに提出され、パスツールのワクチンは全世界で脚光を浴びるようになりました。 

 
◎パスツールのワクチン

 
 ワクチン治療は免役の特性を利用したものですが、パスツールのワクチンよりもずっと以前に天然痘で既にその効果が立証され、治療法も確立していました。1796年イギリス人のエドワード・ジェンナーが発見した予防法で、牛痘(牛の天然痘)の苗を利用して天然痘を予防するというもので、種痘法と呼ばれています。ジェンナーは牛の乳搾りをしていて、牛痘にかかったことのある若い娘たちが、その後天然痘にはかからないという事実に着目し、牛痘の苗を使って免役をつくる種痘法を発見したと言われています。天然痘は死亡率が高い病気であったため、日本でも江戸時代後期にはこの方法が導入されて種痘所(種痘法を実施する施設)も整備され、かなりの効果をあげています(適塾の創立者である緒方洪庵がその先駆者)。

 しかしこの方法は、自然界に元々存在するウィルスの苗をそのまま使用したものであるのに対し、パスツールのワクチンは、対象となるウィルスの毒性を弱め、危険性を低下させたうえで人体に投与し、抗体を作って免役効果を得るという大変画期的な発見であり、実験的(人為的)に作られた世界初のワクチンと言われています。

 パスツールは、1879年の家禽コレラワクチンを皮切りに、1881年炭疸ワクチン、1885年狂犬病ワクチンを完成させました。狂犬病ワクチンは当初サルを使ってワクチンを作り出そうと試みられましたが、成績が安定せず、最終的に狂犬病に感染したウサギの乾燥脊髄を用いて完成させました。上の画像は、狂犬病ワクチンを開発中のパスツールの肖像画です(オルセー美術館所蔵)。手に持っている瓶には狂犬病ウィルスに感染したウサギの乾燥脊髄が入っているそうです。

 ちなみに、<ワクチン>という用語は、パスツールが種痘法を確立させたエドワード・ジェンナーに敬意を表し、その種痘法発見のもとになった<牛>のラテン語<ワッカ(Vacca) >から命名されているそうです。

  日本の狂犬病予防史
 
◎統計から見る狂犬病

 日本の狂犬病は享保年間に長崎から初めて流行したことは、前記したとおりです。パスツールのワクチン法を用いた暴露免役治療が日本で初めて行われたのも皮肉なことに1895年の長崎でした。この頃、長崎では慢性的なな狂犬病の流行があったそうです。

 幕末から維新、明治初期にかけては、戊辰戦争のゴタゴタや社会的な混乱もあり、野犬がかなり増え、長崎だけでなくあちこちで流行していましたが、まだ全国規模の統計すら始まっておらず、本格的な対策は全く取られていない状況でした。この後も各地で狂犬病はくすぶり続けます。

 1896年(明治29年)になって獣疫予防法が施行され、狂犬病に罹った犬の頭数もこの翌年からようやく統計が取られるようになっていますが、人の統計が取られるようになるには、1912年(大正元年)まで待たなければなりません。上のグラフは統計が取られるようなった明治から昭和までの年次別の狂犬発病件数(頭数・人数)をグラフにしたものです(厚生労働省HP内の資料より作成)。犬と人に分けていますが、人の件数はグラフを見やすくするために10倍にしてあります。

 このグラフを見ていただくと、人、犬の発病が全く同じように発生していることが見て取れます。人と犬との関わりが如何に密接であるかを表しているのではないでしょうか。またもうひとつ重要なのは、狂犬病の発病率が社会情勢に大きく左右されている点です。政治経済の混乱が、野犬の増加や犬の管理不足へとつながり、狂犬病の流行を誘発している様子が分かると思います。

 時期ごとに見ていくと、明治時代では、ようやく予防対策の準備が始まった時期です。本格的な統計も取り始めたばかりなので、実際の被害数値は統計結果よりもはるかに大きかったのではないかと思います。大正時代に入ると狂犬病はますます猛威を振るうようになります。工業化と都市化の進行で人と犬との人口密度が高まったことも、都市部における狂犬病の流行につながっていったのではないでしょうか。特に関東大震災のあった年をはさんだ数年間は、日本の狂犬病史上、被害がピークに達した時期です。東京での被害が甚大であったことは言うまでもありません。

 昭和に入ってからは、戦時下における食糧事情などもあって、犬の頭数自体が激減したため、発生件数も減っていますが、やがて戦争末期から終戦を迎えると、その混乱を待っていたかのように再び狂犬病が流行します。いよいよ抜本的な防止策を迫られた日本政府は、GHQの勧めのもと、昭和25年(1950年)、狂犬病予防法を施行します。

 狂犬病予防法は、「狂犬病の発生を予防し、そのまん延を防止し、及びこれを撲滅することにより、公衆術生の向上及び公共の福祉の増進を図ることを目的」とされ(同法第1条)、 登録、予防注射、抑留、輸出入の際の検疫等が規定されました。それまでルーズであった管理体制の徹底を前面に出したと言えます。登録によって飼い主の特定、継続的な管理責任、野犬との区別化を図り、予防注射では病理的な予防及び蔓延防止を、抑留では野犬や野良犬の一掃を、そして輸出入では狂犬病を国内に入れないという狙いがそれぞれ窺えます。ちなみにワクチンの予防接種は、現在では年1回ですが、昭和60年4月までは、半年ごとの年2回が義務付けられていました。さらに翌年には、家畜伝染病予防法も施行され、狂犬病予防がより一層強化される体制がとられています。なお、狂犬病予防法には罰則もあり、登録(第4条)や予防接種(第5条)などを怠った場合、同法代27条の罰則により、20万円以下の罰金が科せられます(平成10年改正)

 こうした法整備による管理の徹底が功を奏し、享保年間から220年以上蔓延していた狂犬病は、狂犬病予防法の施行後わずか7年目にして撲滅を実現させました。昭和31年(1956年)の犬6頭、人1人の発病が最後の被害となり、その後狂犬病の被害は出ていません。ただし、昭和45年(1970年)にネパールを旅行中の男性が現地で犬に噛まれ、日本に帰国後発病した例が1件あります。

時   期 犬の発病頭数 人の発病人数
明   治     2,527頭 全国的な
データなし
大   正    18,843頭      1,205人
昭和25年まで 6,164頭 383人
昭和25〜31年まで 854頭 21人
昭和32年以降 0頭 0人
   合    計 28,388頭 1,609人
 右の表は時期ごとの犬及び人の発病数をまとめたものですが、明治期の数値は、途中からデータが収集されたことや当時の情報収集体制を考えると、氷山の一角であると理解したほうが妥当だと思います。大正や第二次世界大戦前後にしても同様で、あくまでも国にきちんと報告された件数であり、実際はもっと多かったのではないかと推測します。また発病はしていなくても、疑いのある犬や家畜等も相当数殺処分されました。江戸期を含めこうした甚大な被害を蒙った後に撲滅が実現したということを忘れてはならないと思います。被害にあった方がたや動物たちに心から哀悼の意を表します。合掌。