岡  晴夫と私

私が岡 晴夫の歌に出会ったのは、日支事変が次第に泥沼化し出した昭和14年の暮 れ頃だ
ったと思います。当時は、軍歌や軍国歌謡の時代で、先行きに不安を感じてい  ました。そん
な折に「上原げんと」とコンビでキングから出した<上海の花売娘>がヒッ  したのです。メ
ロディ・リズムともに暗い世相の中で、当時としては斬新な曲で今で言う カルチャーショックを
受けました。岡さんのハナにかかった高音がすごく魅力的でした
その後は<広東の花売娘>・<南京の花売娘>と、いわゆる大陸物の花売り娘シリ
ーズをヒットさせました。<港シャンソン>・<パラオ恋しや>・<花の広東航路>
など戦時中のヒット曲は全て外地を歌ったものでした。当時は戦時中のことで当然実 演など
見られるわけもなく、岡さんの姿はお目にかかれませんでした。

そして昭和20年8月終戦、私は17歳でした。昨日までの張りつめた心が一気にしぼみ
言いようのない虚脱感だけが残るむなしさは忘れられません。昭和21年3月に、戦後
第一号の<ニュー東京ソング>そして6月に出した<東京の花売り娘>が大ヒットとなり
日本中に岡 晴夫の名が知れ渡りました。その後、<青春のパラダイス>をはじめ次々とヒッ
ト 曲を出し、大スターとなったのでした。

岡さんの実演をはじめて見たのは、当時、芝(港区)の大門にオープンしたばかりの日活
スケートセンターで岡 晴夫・田端義夫・女優の高峰秀子の三人が出演(何故、この組み合わせ
だったか忘れました)した音楽会でした。
 はじめて見た岡さんの颯爽とした舞台姿に魅了されてしまいました。 それからは、浅草・國際
劇場・錦糸町楽天地・江東劇場を始め東京近郊に出演したときはよく見に行きました。
 岡さんの舞台は、西村小楽天の名調子の司会で盛り上げ、岡さん自らのアイデア  でシヨー
を盛り上げ、ファンを喜ばせることを モットーに頑張って本当の全盛期でした。この時代にめぐ
り合わせた私にとって唯一の青春時代の思い出です。

後年、健康を害されて長いブランクが有り、我々ファンは再起を願っていましたのに叶わず非常
に残念です。 岡さんのテレビで映像は「テレビ東京」のモノくらいですが、
このホームページを作成することは、いくらかでも岡 晴夫の思い出を残し、我が青春時代を振
り返ってみまし私にはあの興奮と熱気のあったステージの数々が瞼に焼き付いており、全盛時
代を共有できた者として本当に幸せだったとおもいます


   

 
         愛用のアコーディオンを抱えて       <男のエレジー>を扮装して歌う岡 晴夫
                                      いずれもよみがえる熱唱あヽ岡 晴夫より
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