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岡 晴夫
のエピソード
NHKの放送の「昭和歌謡大全集第2回放送の録音テープが、他のジャンルのテープを探している時に、出て
きました.早速再生してみると、岡さんの全盛時代ののエピソードを座談形式で語られていました.何時頃放 送されて、録音したのか不明ですし、残念ながら前後の収録分も見つりませんでしたが、その内容の一部を 再現しました。
【司 会】 加賀美幸子アナウンサー(NHK)
【出席者】 岡 晴夫・夫人
矢野 亮氏(デビュー当時のディレクター・作詞家)
桜井 氏(岡晴夫・上原げんとの演歌師当時の仲間?)
加賀美「次の曲は、上原げんとさんではなくて八洲秀章さんの<港に赤い灯がともる>で、こ
れは矢野 亮さんの作詞ですね.」
矢野「そうです.。矢野 亮という名前が出た最初のヒット曲だと思います。.私は会社の内部に
居りまして、殆んど補作だとか全部やっていました。そんな時、岡くんがステージでセリフが入っ た曲を歌いたいと言い出しまして、これも岡くんの我儘でして歌の合間にセリフが入ると非常に うけるのではないかと言い出しまして、そんなことは偉い先生にお願い出来ませんので私が創 りました.。丁度、八洲秀章くんが、この方は後に<桜貝のうた>・<山のけむり>など、叙情歌 で知られるようになる人ですが、その頃はまだ作曲家になりたてで、いわゆる駆け出しの頃で、 キングで作曲をやらせてくれないかと売り込みみたいな話がありましたので、このうた(詩)に曲 をつけてくれないか頼んだのがこの<港に赤い灯がともる>です。これが意外に売れまして (笑)私の最初のヒット曲みたいに思われています。」
桜井「あのセリフじゃ奥さん、本当に笑ってしまいましたね.」岡夫人「そうでしたね(笑)」
加賀美「どんなようになるんですか?」
桜井「どんなって言われても・・・当人は一生懸命やろうと思っているんでしょうが、どうしても自
分の性格が出てしまうんでしょうね」
岡夫人「要するに下手なんですよ.。芝居気がないんですね。」
桜井「そう、゛・・この港に船がついて・・なんて抑揚が付かなくて、もう少し物語風にしゃべるいい
のにと思うんですね.」岡夫人「焦ってしまうんですね.。」
矢野「でも、あの頃は何をやっても受けた頃で、面白くて仕様がなかったんじゃなかったんです
ね.。」岡夫人・桜井「本当にそうでしたね、」
加賀美「それでは、矢野 亮作詞・八洲秀章作曲<港に赤い灯がともる>昭和22年です。」
加賀美「奥様も、桜井さんも矢野先生、セリフのところでは、思わず笑ってしまわれましたが.」
桜井「いや、本当に可笑しいんです.」 矢野「なつかしいですね。」
桜井「今、思い出しましたが、さっき歌った<啼くな小鳩よ>なんか、國際劇場(浅草)でね、一
番をマイクで歌っておいて、二番はマイクの横で離れて歌うんです.」 加賀美「それはどうしてですか.」
桜井「俺はこんなに声が出るんだぞっていうことなんです.私をわざわざ呼んで、[にいさん、ちょ
っと一番後ろの席で、ほかはいいけれど、この歌だけを聴いていてくれ]といいまして、後ろのほ うで聴いていましたら、あの大きな劇場の後ろまでマイク無しでよく聴こえるんです.僕は本当に ボロボロ泣きました.嬉しくて」 加賀美「声に自信があったんですね.」
桜井「ああ、これは昔の演歌師時代に鍛えた声はかわらないんだなって感動しました。お客さ
んもシーンとして聴いていましたが、二番が終わったとたんに、まだ三番があるのに割れんばか りの拍手でした.」
加賀美「セリフを入れることを考えたり、マイクを外して歌ったり、お客さんの喜びそうなことを常
に考えていたんですね.」
桜井「その他に、お芝居の真似をしたり、あの頃の大男の俳優の横尾泥海男サンを連れてき
て、自分がその背中に乗ったり、風船を割ったりしてお客さんを喜ばすことを色々アイデアを考 えていました。」 岡夫人「そう、色々、アイデアを考えていましたね.」
加賀美「ご自分で楽団をお持ちになっていたんですね.」
岡夫人「ハイ、その頃は楽団を持っていましたから、自分の楽団でなければ思うことが出来ない
といってました。歌も数多く自由に歌えますから、なんとしても持ちたいといってました.」
矢野「今では、歌い手サンが歌のほかに、色々のことをやるようになりましたが、それを一番早
くから取り入れたのは、岡ちゃんじやなかったのかな。.」
桜井「本当にそうですね、他に見た事なかったですね.」
矢野「何十曲もワンステージで歌うというのも、岡ちゃんがそれこそ最初でしょう。」
岡夫人「そうでしたね.緞帳が下りても、アンコールの声に応えることができる自分の楽団がほ
しかったんですね.」
加賀美「さて、今度の歌は、<東京シャンソン>ですが、あの頃は東京と名がつく歌が多かっ
たですね.」 矢野「敗戦後でしたから地方どころではなかったんですね.」
加賀美「<東京の花売娘>・<夢淡き東京>・<東京ブギ>・<ニュー東京ソング>などたく
さんヒットしました。」 矢野「東京の復興が、国全体から見ても一番大事だったんでしょうね.」
加賀美「それでは、吉川静夫作詞・上原げんと作曲<東京シャンソン>昭和22年です.」
加賀美「戦後、すぐの岡さんの歌は殖えるばかりに、あとからあとからヒットしましたが、岡さん は、普通他の歌手の方は1・2曲しか歌はないのに何曲も歌ったそうですね.」
矢野「そうですね.どうも沢山歌はないと自分の味が出てこないと言ってました.」
桜井「演歌師というのは、夕方食事をして場所に行っても例えば、8時頃から始めても、9時、10
時頃にならないと本当の調子が出ないんです.これは不思議なもので、そうゆうくせみたいなも のがみについてしまうんです。」 矢野「終わりに行くほど声が立つということは本当ですね.」
岡夫人「よく2・3曲では自分の味は出せないと言ってました.」
矢野「NHKさんのことを言うのも何ですが(笑い)」 加賀美「どうぞ、どうぞ」
矢野「当時はまだ、民放なんて無い頃でしたから、NHKで放送してくれることが、非常に大きな宣
伝力を持っていました。それをNHKさんとケンカしたのもこの頃でしたね.」.
岡夫人「そうですね、その頃でしたね.」 矢野「当時は、どんな有名な歌い手でも放送に出して
いただいても、1曲か2曲位しか歌えないです.あの人はそれでは満足出来なかったんです.」
岡夫人「浪花節なんか一人で30分やらせて貰うんだから、歌手にも30分番組を作ってくれ、
そうでなければ自分の味が出ないといってました.」
矢野「当時の、NHKさんには、到底無理なことで、しばらくの間、干されていたんですよ.」
加賀美「でも、それから実現しましたね.」 矢野「それから随分たってから、30分番組を作ってく
れました.今では当たり前のようになりましたが、その草分けみたいなものです.」
加賀美「では、此処で聴いていただきましょう<二度と呼ぶまい>吉川静夫作詞・上原げんと
作曲 昭和22年の作品です.」 岡 晴夫のエピソード つづき
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