
手をつなぐ育成会 兵庫県福祉大会 姫路文化センター
平成7年10月27日
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私の子供智昭は、平成6年3月県立姫路養護学校高等部を卒業し、 現在地域の中にあるおしぼり会社「 はくろ商会 」に勤 めていますが、 決して軽度の障害ではありません。 療育手帳 A 判定、字の読み書きも出来ません。自分の名前だけ書くのが 精一杯です。数も分からず、金銭感覚も全くなく給料日には、千円札、五千円、一万円札を一緒に数えては、「 いっぱいある 」 と喜んでいます。 こんな智昭ですが就職してから1年6ヶ月余り厳しい労働条件にも耐え、 一日も休むことなく現在に至っています。 健常児さえ就職が困難な今日、 どうして重度の子供が就職出来たかと不思議に思われる事でしょう。少し振り返ってお話しさせ ていただきます。 昭和51年1月7日我が家にも待望の男の子が生まれました。 喜びもつかの間ダウン症と診断され、 5年間家の中ばかりで 過ごしました。 ふとした事から、 ご近所にお住まいの1才年上になる同じダウン症をお持ちのお母さんと知り合い、それからと 言うもの、通園施設つくし児童園1年6ヶ月、 姫路養護学校小学部から高等部を卒業する迄の 1 2年間の教育期間は恵まれ た環境の中で何不自由無く過ごしてきました。 卒業の進路等考えたことなく 「行く所がありませんょ」 と毎年言われながら ど こかに収まっている状況を目の当たりにして、 当然通所授産施設か通所更生施設にお世話になればいいと軽い考え方をして いました。 高等部2年生の一学期には、 初めての現場体験実習が実施され、就職を目指しておられる通所産施設にお世話になりまし た。
1週間の体験実習の評価には、 「 全く仕事にならなかった 」と記されていました。 その時肩の力が抜けていくのを今でも覚え ています。 期末懇談を控え二学期の現場体験実習先も決めなければなりません。 相談がてらに市福祉課を訪れました。 担当の職員 の方は 「 施設はありませんよ期待しないで下さい 」 と言われたのですがそばにおられた係長さんが 「 施設ばかりに目を向 けないで外に目を向けられてはどうでしょうか 」 との助言をいただいたのです。 この一言が私の智昭に対する進路を施設から 企業へと大きく変えて行ったのです。でも甘くはありません、 懇談会の席、次回実習先は毎年現場体験実習の場として、また卒 業後の雇用の場としてお世話になっているおしぼり会社 「 はくろ商会 」さんに行かせて下さいと言うなり「 無理です 」 ・ ・ 前回授産施設での実習では仕事にならなかったとの評価を受けながら、 企業実習へと言った私の言葉に先生の答えは当たり 前だったのかも知れません。 夏休みを控え時間もなく無理を承知で、 個人でお願いに行きました。家の近くでありながら仕事内 容も全くわからずに「 夏休み実習させて下さい 」とお願いしました所、快く引き受けてくださいました。 40日間の夏休み親子で汗を流した日々、 そして私達親子を温かく見守って下さった、社長さん、奥さん、従業員の方々には感 謝の言葉もありませんでした。
仕事の内容はビニール袋に入った製品のオシボリが流れてきます。 不良品がないかチエックし、きれいに並べて束にする迄 の流れ作業の段階と、25個の束になったオシボリを箱の中に16束(オシボリにして400個) をいれ終わると、 重さ20Kgの箱 を順番に積み重ねていきますが、6段目には自分の背よりも高く積み上げて整理します。それらを午前と午後とに分けてするの すでが、なかなか簡単に作業が出来たわけではありません。 理解力も乏しく、動作も緩慢で随分時間もかかりましたが、毎日温かく見守り、時には厳しく、 時には優しく包み込み指導して 下さった社長さんはじめ奥さんのお蔭で働く意欲も芽生えてきたのです。 この夏休みの体験が認められ、それ以後の実習はすべて「 はくろ商会 」さんにお世話になり就職へと結び付けることができま した。 この時ばかりは重度の子供でもやれば出来るると言う確信と親が地域の中の扉を叩いて見る必要があると感じたのです でも、実際卒業後毎日働くとなると不安だらけでした。 こんな声も聞こえてきたのです。「 5月の連休迄続くかなぁ ・・・・・ 実習と就職とは全然違うのやなぁ・・・ 」と心配して下さっ ているのか、 反対を押し切って就労させた私への皮肉なのか、 どちらとも言えない言葉が返ってきたのも事実です。
けれぞも今も改めて就職、自立させていく為には行政、親、企業、 学校などが同じ方向に向かって努力 していかなければなら ないなど、 関係機関との連携の問題や就労に耐える体力づくりや根気、 集中力が必要かと思います。 そして就職できたからと言って喜んではおられません。絶えず企業と連携を保つことが大切か、その重要性を痛切に感じとって います。 また、こんな事もありました。 智昭が高等部3年生の秋、 おもいもよらない事が身に振りかかってきたのです。 朝元気に出掛けたはずの主人が夕方には入院との事、もっとも恐れていた成人病の一つ心筋梗塞で倒れしまったのです。 幸いにして、一命をとりとめましたが、二ヶ月間の入院生活のうち、親子でいろんな経験をしました。 ある日、郊外学習に神戸の南京町に行ったのですが、帰宅時間になってもなかなか帰ってきません、捜すあても無くひよっと するとという予感の元、 病院に行きますと集中治療室にいる主人の横に座っているのです。酸素吸入している主人の枕元には まだ蒸していない中華饅頭をおみやげに買ってきて 「 お父ちゃんこれ食べて元気になりおいしいで 」といっているのです。 また、検査結果がおもわしくなく子供達の前では涙を見せまいと思っていたのですが、つい涙涙・・・当時大学1年生の長女も私 と同様泣き崩れてしまう姿に「 お母ちゃん泣くな 」と力強く励ましてくれた時には、どんなにたくましく成長してくれたことかと思っ た事でしょう。 これまでの19年間道草もしました。まだまだ経験不足で飛び越えた部分もありますが、 今地域の街の中で多くの人達の支え により、 少しづつ働く意欲を示し働いて得たお金で毎週1回水泳、和太鼓にと余暇をエンジョイし、好きな物を買ったり貯金をす るのも楽しみの一つとなっています。 そして働く事により友達関係の輪も広がりつつ生きる喜びを感じとっているようです。 その智昭が来年早々成人式を迎えます。 大人の仲間入りとして、 また社会人として自立していかなければなりません。 これ からの長い人生いつどんな境遇に陥っても親から離れ、重度の子供でも地域社会のなかで生活しながら働くことにより喜び、苦 しみ、 楽しみを見つけ自分の持っている力を充分に発揮し、生きがいを見つけることが子供にとって素晴らしい生き方だと思っ ています。 4時間ケアがあり、何不自由なく生活できる入所施設ももちろん必要でしょうが、現在「 施設中心型 」福祉から 「 地域福祉 」への方向に変えていったり、 現行制度の改革、 特に予算の流れを地域福祉に変えていくこと等、 今一度見直していただける よう行政機関にお願いし、一人でも多くの知的障害者が地域の中で普通の生活を続けていける「場 」グループホーム・ 生活ホ ーム・ 通勤寮が地域のあちこちに出来るよう願っております。 みなさん、 これらの問題は今後手をつなぐ育成会を通じ、 私たち親に与えられた大きな課題ともいえるでしょう。 会員の皆さんと共に考えていきたいと思っています。
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平成7年10月27日 姫路文化センターでの体験発表です。