治療院名

CONTENTS 目次
■治療院の紹介
■治療院ストーリー
■治療風景
■初めて来院される方へ
■治療コンセプト
■治療例
■健康のために
■自分でできる疾病対策
■プライベート写真館
■BBS
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自己紹介


院長 若佐 誠

(眩しくて目を細めていますが決して不機嫌なのではありません)

1961年9月22日生まれ。岡山の農家に生まれる。基本的にはベタベタの岡山土着民。将来人類が絶滅して地球外から探検者が来たら「ネイティヴ・おかやまン」と呼ばれるか?

カイロプラクティックとの出会い
私自身、体力が全然無く、子供の頃から何故か体が弱く、夏になればクーラーもない田舎なので夏休み中はどこにも出られず家でくたばっていました。姉も弟もスポーツ万能。勉強する体力も無いので勉強も運動も出来ない君人生まっしぐら。小5の頃は担任の依頼で脳波まで計らされました。 (この子は白昼夢を見ているトカ???)

21歳の頃、母親の股関節脱臼を何とかしたく、より良い先生を選ぶために解剖勉強を始めました。どこかに良い先生がいると聞けば、私が母を連れて行っていましたが、会社を辞めて自営業を始めて間もない頃、柔道整復師で療術師の故鳴本先生のところに母を連れていったところ、何故か弟子入りの話が 本人不在の内に進んでいました。(-_-;キイテナイゼヨ

それでも母の役に立つならと昼間時間を作って約一年通っていたら先生が突然死 (腹上死の疑いあり)。そこに通院していた患者さん達から治療依頼が来るので当時の本業が出来なくなり、本格的に勉強を始めました。当時所属していた協会の定期講習会で、広島市で開業されている「ロータス」の吉原先生からカイロプラクティックを紹介され、その世界に可能性を見いだし、語学研修とカイロの概念を学びに短期研修、留学を繰り返す。その間世間知らず故怪しげな団体や不可思議な協会に所属。なかにはマルチまがいの団体もありました。結局日本カイロプラクティックセンター三宮(078-222-9039)の院長一本木清高先生に東洋カイロプラクティック協会(TCAは退会しました)を通じて師事、やっとカイロプラクティックの基本を知ることができました。今でも度々体調管理と技術的なことでは度々お世話になっています。

私は姿勢を治すことが出来ることを知ってからは最良の姿勢のまま棺桶に入ることが出来るなら、楽しい人生じゃなかったかと思う今日この頃です。


病弱人生?(誰か信じて!)

今ではどなたに言っても信じてもらえないですが、中三の夏ごろまで本当に病弱で(記憶では138cm・37kg)ガリガリに痩せていました。なんで数字を覚えているかと言えば、保健委員の職権乱用で調べ、当時憧れていた女子より、体重も身長も低かったことがショックだったからです。

中三で英語の教科担任に無理やり柔道部に入れられるまでは本の虫で、体育のソフトボールの試合中、2アウトでバッターボックスに向かうと、皆守備の準備をしていました。

一本木先生(日本カイロプラクティックセンター三宮)によれば5歳の時、二階の窓から転落し、頸椎を傷め、脳幹の機能障害を負っていたとのこと。 頸椎の歪みを治すと同時に、どんなに鍛えても疲労し易く睡眠不足に極端に弱かった体質が消え、三十にして体力に自信を持つことが出来ました。一本木清高先生に感謝。(^人^)

H14年から取り組んでいる分子整合栄養学による血液検査で、デブで栄養不足の貧血野郎(174cm・85kg)であることが判明。原因はピロリ菌感染による萎縮胃。少年期の精神不安定の原因が強度の貧血にあったことが解り、トラウマがひとつ消えたような気がしました。

スポーツ歴
小学校時代のソフトボールは病弱で挫折。中三から柔道、勢いがついてしまって高校時代にハンドボール、柔道二段、古武術三段、合気道初段、極真会にほんのちょっと、スキー、 テニス、水泳、フルトライアスロン二回完走、フルマラソン(2時間58分)、スキューバダイビング、サーフィン。一番好きなスポーツはラグビーでポジションはフランカーやNo.8、左ウィングが兼任でしたがHBとFB以外は全部経験しました。病弱が無理をしたので骨折箇所は20を超えます。

そう言えば最近はバイクに乗ってばかりであまり体を動かしていませんが、事故で前腕粉砕骨折をしたというのにまったく懲りていません。

術後10日目の私の腕です。創外固定ってこんなにエグい。
友人にこの写真を送ったら「機械の体が欲しいなら999で」とか、「ロボコップ」とか、「やっぱりターミネーター?」慰めのコトバはついぞ聞かれませんでした。

約60km/hで衝突し、全体重を支えた腕の末路です。思えばこれだけで済んで良かったのでしょう。皆さん交通事故は痛いばかりでなく、家族や関係者に多大な迷惑を掛けますので、くれぐれも気をつけましょう。

 現在、術創は痛そうですが問題なく仕事は出来ています。後はピロリ菌の除菌が済めば虚弱だった理由が全て無くなります。ひとりでも多くの悩みを解消できたらこれに勝る幸せはありません。私の本性は修理屋なのだと、20代で気づきました。

天職に巡り合えたことを幸運に思います。


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