TOPページ    つれづれ日記 りんく
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  私が病気の猫を飼い続けたのは
  他人が思うように
  自分に慈悲心があるからではなく、
  その猫の存在によって自分の中に
  眠っている慈悲の気持ちが
  引き出されたからである
  つまり逆に考えればその猫は
  自らが病むという犠牲を払って、
  他者に慈悲の心を
  与えてくれたということだ。
           『ある野良猫の短い生涯について』 藤原新也


ペットの「死」。
それは私達人間に、人間の「生」を「いのち」を照射してくれる大切な仏縁です。



愛犬ゴールデン・レトリバーのらん丸が亡くなったことを契機に、自坊の境内地にペット塚(ペット専用の墓)を建てました。
ご門徒のご家庭でもペットを飼っておられる方が多く、ペットが亡くなった時にどうすればいいのかという相談をよく受けます。そこで門信徒をはじめ知り合いの方々にも自由にご利用いただけたらとの想いから建てたものです。



◆ペット塚(墓)の墓標には「大心海」と刻みました

 これは、「心」の限りなく広くて深いことを表した言葉です。
 浄土真宗で一番大切な御経である『無量寿経』には、真宗の教えの根幹である「他力本願」のことを「四十八願」として論じられています。
 これを簡単に言えば、「世界中の人々の一人でも救われない、つまり安穏とした幸せな生活が送れない人が一人でもいるならば、私は阿弥陀如来でありつづけること、佛であることをやめます」という大いなる誓い(誓願)として書かれているのです。
 ちなみに、「他力本願」のことを、ひと任せとかひと頼みなどと、無責任なこととして使う人がいますが、これはまったくの無知からくる間違いです。
 中国の故事に「人事を尽くして、天命を待つ」とありますが、真宗的にこれを言うならば、「天命に安んじて、人事を尽くす」となります。
 佛の誓願に絶対の信頼をおき、自力の限りを尽くすことなのです。
ペット達にとっては、ご主人の絶対の愛を信じきって「いのち」を輝かせるということでしょうか。


◆広大にして、はてしない佛の慈悲

 私共の浄土真宗の開祖の親鸞聖人は、このように佛の慈悲の広くて深いことを、そして限りのないことを、大きな海にたとえて「大心海」と表現されました。
 聖人は、ほかにも佛のはたらきのことを、「本願海」「宝海」「智願海水」あるいは「功徳宝海」などという言葉も使っておられます。
 これらは、計り知れない無量の智慧と雄大な心、そしておしみなく包み込む包容性を表現した言葉です。
 私達人間も、ペット達にとっては惜しみない無償の報酬を注ぐ「大心海」の佛として信頼された時、ペット達はさんさんと降り注ぐ光の中を、心の海を無心に泳ぐことができるのではないでしょうか。
 この世界を仏教では、極楽浄土と表現します。

◆「いのち」 ペットの死を通して・・・

.  ペットは所詮人間ではありません。当然のことですが犬達は一度も念仏を称えたこともありませんし、仏壇にお参りしたこともありません。だがペット達の「死」は私達人間に人間の「生」を、「いのち」を照射してくれる大切な仏縁なのです。
 「悉有仏性(しつうぶっしょう)」といい、いっさいの存在つまり「有」は仏性そのものであり、あらゆる「いのち」の存在の事実が、人間にとって「諸仏」なのだと気づいたとき、私達は真実に目覚めるのではないでしょうか。
 『犬の十戒』という、作者は不明なのですが、インターネット上で読み継がれているポエムがあります。
 この詩をとおして、私達もペットと人間の朋なる世界・関係をあらためて考えなおし、ペット達と共に降り注ぐ光の中を、心の海を自由に泳ぎたいものです。
 仏教では「弱いもの(社会的弱者=「障害」者・老人・女性・病人・貧者など)が住みやすい世の中こそ、強いものにとっても本当に住みやすい世の中なのである」と言います。