朝日新聞に直言

読売と朝日の社説を、比較検証した結果は?
         
「読売vs朝日  社説対決50年」を読んで

平成20年7月30日

1.朝日新聞の論調が特に中国に対して偏向しているというのは、多くの知識人が指摘している事実であるが、一般
 人には、なかなか浸透していかないことでもある。私事であるが、我が家でも、「また、お父さんの批判が始まった」 と言われて久しいが、最近娘から、「お父さんが余りしつこく言うから、影響を受けてきた」という発言が出るようにな  った。嫌がられてもしつこく言うことはやっぱり大事だなと思ったところだ。しかし、「お父さんも、一度中国へ行って
 きた方がいいよ。朝日と中国への偏見が強いから」という反論は受けているため、まだまだ道は遠いのが実態であ る。

2.さて、朝日に対する批判は、従来からも行ってきた。しかしながら、一方的な見方が多い本をどうしても取り上げる
 傾向が強かった。そこで、今回は発行部数が多い全国紙2紙の比較という企画でその特徴を明確にする、「読売と 朝日の社説を比較検証」した本を見つけたので、以下に紹介する。

3.書  名:読売vs朝日  社説対決50年
 編  者:読売新聞論説委員会
 解  説:井沢 元彦
 略  歴:作家。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の80年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を       受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓いた。

4.
はじめに                               読売新聞論説委員長  朝倉 敏夫
 
  「新聞はどれも似たりよったり」、などと左翼的知識人・評論家たちがよく言っていた時代がある。
  そうした”進歩的知識人”たちの多くは、本気でそう思っていたのかもしれない。なにしろ、ソ連を先頭とする社会
 主義国に、理想もしくはコンプレックスを抱くことが”進歩的”であると信じていたらしい人たちなのだから、資本主義 体制を攻撃しない新聞などどれもこれも同じ、というわけである。

  情けないことに、そうした”進歩的知識人”たちの言辞が一定の影響力をもっていた時代の後遺症からか、いまだ に、新聞をよく読み比べもせずに、同じようなことを言う人も少なくない。若い人の中にも、である。

  実際には、新聞によってこれほど論調が違うーーー。それをわかりやすく知ってもらう1つの方法として、読売新聞 と朝日新聞の節目節目の社説を対比してみた。要約や抜粋では恣意的な引用と思われる可能性もあり得るので、 それぞれの社説はすべて全文を引用した。結果的に、戦後ジャ−ナリズム史を研究する上でも、簡便でかつ資料性 の高いものになったかと思う。ただ、論調の違いがより鮮明にわかるようにしたかったため、同一テーマに関する論 説ながら、両新聞の掲載日付がかなり離れているものもある。

  読んでもらえればわかる通り、読売新聞と朝日新聞の論調は、サンフランシスコ講和条約への賛否問題からして 異なっている。朝日新聞はソ連圏諸国を含む「全面講和」「非武装」「中立」を主張し、読売新聞は西側陣営の一員 としての「単独(多数)講和」優先を主張した。その当時の主張の違いが、現在に至るまで、読売、朝日両新聞の論 調の、通奏低音の違いになっているように思える。


5.60年の安保条約改定でも、読売新聞と朝日新聞の社説は基調を異にした。70年安保をめぐる文脈では、朝日新
 聞は「安保解消・中立路線」を掲げ「数年以内の国民合意」を主張したが、もとより読売新聞の主張とは方向が180 度異なっていた。

  朝日新聞の主張の根底には、社会主義国は本質的に侵略とは無縁であるとする「社会主義平和勢力論」が暗黙 の前提としてあってのことではないかと思われる。これに対し読売新聞は、社会主義国の実態は一党独裁の専制  恐怖支配体制であり、社会主義国の直接・間接の侵略から自由と民主主義という西側陣営共通の価値観を守らな くてはならない、というのが精神的基調だった。つまりは、世界の実像に関する認識が異なっていた、ということであ る。


6.80年代に入ると、読売新聞と朝日新聞の論調の違いは一段と鮮明になる。それを象徴するのが、ソ連のアフガニ
 スタン侵略に伴うモスクワ・オリンピックへの参加の是非問題だった。読売新聞は、侵略行動真っ最中の国の首都 で「平和の祭典」などできぬと主張し、朝日新聞は参加論を主張した。80年代を通じて、SS20戦域核ミサイルの
 展開に代表されるソ連の軍事力増強と、これに対抗する米国および西側諸国の軍事的対応に関する一連の論調
 は、くっきりと異なっていた。要するに、読売新聞から見れば、朝日新聞の基調は「親ソ反米」的だった。


7.80年代の後半からは、消費税の導入問題で、読売新聞と朝日新聞は真っ向から対立した。2紙の対立というより
 は、各種の世論調査が圧倒的に消費税導入に反対を示している中で読売新聞が孤立しているような状況だったが 、読売新聞は、国家財政の将来を展望すると消費税の導入は不可欠である、との立場から導入支持を貫いた。

  当時から、読売新聞論説委員会室の”合言葉”の1つは、「30年後の批判に耐える社説を」である。これには二重 の意味がある。1つは、30年後に読まれても恥ずかしくない長期的視野に立つ質の高い社説の作成に努めようと
 いう、未来に向けた心構えだ。もう1つは、戦前の諸新聞が、大衆の「それ行けドンドン」ムードに迎合して、結果的 に軍国主義に協力してしまったような過ちは繰り返してはならないという、過去の新聞史への反省を踏まえた戒めと しての心構えである。今も、「大衆迎合せず」は、読売新聞の社説の一貫した基本姿勢である。

  なお、現在の朝日新聞は、消費税を容認するようになっている。


8.90年代を迎えると、89年のベルリンの壁崩壊以降の流れでソ連・東欧社会主義圏が崩壊し、世界構造が歴史的  変化を遂げたが、その過程で世界に衝撃を与えたのが90年8月のイラクによるクウェート侵略だった。この事件は
 日本の国際的責務、国際貢献の在り方をめぐり、深刻な議論をもたらすことになった。

  読売新聞は、国連平和維持隊(PKO)への自衛隊参加を主張し、朝日新聞はPKOへの日本の参加が必要だとし ても新たに別組織を創設して参加すべきであり、自衛隊の参加だけには反対するとの立場をとった。その後、自衛 隊のPKO参加は、ごく当たり前のことになった。


9.ソ連崩壊が日本国内にもたらした衝撃も大きかった。世界的な”体制間対立”を反映していたともいえる自民党と
 社会党が連立政権を樹立、社会党党首の村山首相は、日米安保堅持、自衛隊合憲へと政策の大転換に踏み切り 、「非武装中立」路線も放棄した。「中立」の看板を維持したくても、社会党がそれまで身をもたせかけていたソ連が 消失したのだから、掲げ続けようがない。このころ、社会党と表裏一体だった「護憲連合」の大会決議も、「これまで の護憲運動は親ソ反米運動だった」との反省総括をしている。


10.PKO問題をめぐる国内論議が混乱している中で、読売新聞は、本格的な憲法論議を避けている限りいつまでも同 じような混乱が繰り返されかねないと判断し、92年初めから社内に憲法問題研究組織を設置、研究を重ねた結果
 として94年11月3日の憲法公布記念日に、憲法改正案を発表した。この提言手法は、従来からのニュース報道、
 調査報道に加えて、「提言報道」と呼ばれる新聞ジャーナリズムの新しい分野を開拓することにもつながった。

  続いて95年5月3日の憲法施行記念日には、読売新聞は集団的自衛権の行使容認を内容とする「安全保障大
 綱」を発表したが、同じ日付で朝日新聞は「良心的兵役拒否国家」なる提言報道社説特集を打ち上げた。読売新聞 からすれば、社会党的護憲運動の修正版の1つにしか見えなかった。


11.いわゆる歴史認識においても、読売新聞と朝日新聞の基本姿勢はかなり違う。その1つの現れが戦後50年国会 決議についての対応だった。読売新聞は、早くから、国会決議そのものに反対した。何よりも歴史認識というものは 、個人の内面の自由、思想・信条の自由のかかわる問題であって国会決議になじまない、と考えるからである。し
 かも、国会決議を主唱したのが”日本一国性悪説”ともいうべき自虐史観に立ち、それを論証するためには明々
 白々の事実までねじ曲げるのを常套手段とする社会党だった。

  歴史認識では、いわゆる従軍慰安婦についての事実認識についても、読売新聞と朝日新聞とは異なる。朝日新
 聞は、戦時中の「女子挺身隊」をいわゆる従軍慰安婦強制連行のための制度だったとしているが、読売新聞として は、戦時勤労動員だったものを”従軍慰安婦狩り”だったとするのは、歴史の捏造だと認識している。

  捏造といえば、石原東京都知事のいわゆる「三国人」発言につて、朝日新聞が「不法に入国した」という形容を省 いて騒ぎ立てたのも、一種の事実歪曲現象と見ている。

  歴史認識のありようの違いは、歴史教科書問題をめぐる姿勢の違いにもつながっている。朝日新聞は「新しい歴
 史教科書をつくる会」を構成する人たちの”思想”を理由に特定の教科書だけを排除しようとし、事実上、政府が排
 除のため政治介入するよう求めた。これに対し、日本は思想・信条の自由を基本的価値とする国であり、共産党の 一党独裁下で1つの思想。1つの歴史観しか許さない中国や、1つの国定教科書しか存在しない韓国からの干渉で 特定の”思想”を排除するのは、自由と民主主義の根幹にかかわる、というのが読売新聞の立場である。


12.経済関連問題一般に関する状況認識についても、消費税問題に限らず、しばしば、両紙の主張の差は大きい。

  96年の住専問題にしても、読売新聞は当時から、公的資金の注入もやむを得ないとしていたが、大衆感情に
 迎合したほとんどのマスコミは反対し、それ以降、公的資金注入問題はタブーのごとき雰囲気となって、金融危機が 日本沈没の危機を招くまで、公的資金の注入を遅れさせる原因となった。

  また、ゼロ金利問題への認識も、読売新聞は朝日新聞は正反対だった。その後、日銀が読売新聞の主張と同様 の措置をとらざるを得ない醜態を演じたのは周知の通りである。

  所得税の累進性緩和や相続税の上限税率引き下げなど、その他の経済問題に関する主張にしても、あるいは教 育基本法の改正問題などについての論調にしても、読売新聞の社説の多くは、編集局、調査研究本部、論説委員 会が横断的に議論した結果としての、「提言報道」と有機的な関係で展開されている。紙幅の都合があって、数々
 の提言報道の内容を紹介できないのは残念である。


13.全国紙の発行部数は、70年代から2大新聞の時代に入っていると言われる。2001年春の時点では、大雑把に いうと読売新聞が1,030万部、朝日新聞が830万部、毎日新聞が400万部、日経新聞が300万部、産経新聞が 200万部である。

  読者の数が多ければ、それだけ日本社会全体への責任も一段と重くなると身を引き締めつつ、今後とも、長期的 視野に立つ先見性と現実感覚とのバランスがとれた、質の高い社論を展開するように心したい。


14
.「解説」にあたって                       井沢 元彦

  読売新聞社から、この「読売vs朝日 社説対決50年」のレフリー(?)になってくれという依頼を受けた時、正直言 って躊躇した。

  私は日本の社会では、もっと討論(ディベート)が盛んになるべきだ、という意見を持っている。
  そういう観点から言えば、こうした企画には双手を挙げて賛同すべきなのだが、一つ引っかかったのは、朝日新  聞側の社説も読売新聞側が選ぶ、ということだった。つまり、読売にとって都合のいい選び方をされるのではないか 、という疑問が生じたのである。

  それでも敢えて引き受けたのは、2つの理由がある。

  第1に、こうした企画がもっと行われるべきであり、その呼び水としたい。たとえば朝日も自分たちの方が正しいと  信じるなら、対抗して同種の企画を実行すればいいのである。そうすれば、読者はさらに新聞の社説、論説に対し  て理解を深めるだろう。

  第2に「不公平」の問題は、戦後の重要なポイントでの社説を網羅的に取り上げることによって、ほぼ解消されて  いる、ということだ。これが読売側の「得意」な分野だけを取り上げたというなら不公平だが、これだけ政治・経済・文 化の全般にわたって範囲を広げれば、そういうことはなくなる。もしも朝日側の視点で不満があるとしたら、もう一度 言うが朝日も同じことをやればいいのである。

  全31の項目を見て、私が最も印象的だったのは「石原三国人発言」の項だろう。もっとも「三国人発言」という
 朝日的表現は使うべきではないのだが(詳しくは本文参照)、とにかくこの問題に関しては、読売の意見が100%  正しく、朝日の意見は完全な誤りである。他の項目だと、朝日の言い分にも「そうも言える」あるいは「そう言えない こともない」という部分がある。それどころか単に「建前」だけなら朝日の言っていることの方が「妥当」(しかし現実  性・具体性がない)という項目すらある。

  しかし、この「石原発言」の項目に関しては、ジャーナリストとしての基本認識、あるいは報道機関の倫理からいっ ても、この社説は読売にとっての「名誉」であり、朝日にとっての「汚点」であろう。

  大学の新聞学科やマスコミ専門学校では、とくにぜひこの部分は、社説の書き方の教材として使ってもらいたい。 読売の社説は「こう書くべき」教材として、朝日の社説は「こう書いてはいけない」教材として。

  ただし、こういう企画が成立するのは、読売は読売として「社論」を統一し、朝日は朝日として「社論」を統一してい るからだ。それは個々の論説委員の「顔」が見えない、ということでもある。

  このあたりが私の大新聞の社説に対する不満だ。21世紀に入って、日本の新聞社説の課題は、統一性に配慮し つつも個性や多様な価値を認める。つまり「顔の見える」社説を作り出すことではないだろうか。


15.石原都知事「三国人」発言(上記のあとがきで、この部分が取り上げられているため、本文の解説より転載)

  たとえば次のようなケースを考えてみるといい。

  アメリカのカリフォルニア州(別にどこの州でもいいのだが)で、不法入国した日本人による窃盗団が凶悪な犯行を 続け(あくまでも仮定の話だが)、そこで州知事が次のように言ったとしよう。

  「不法入国したジャップが悪質な犯行を繰り返している」

  これを新聞が、「カリフォルニア州知事が『ジャップが悪質な犯行を繰り返す』と問題発言!」と報じたら、あなたは  その新聞を支持するか?という問題なのである。

  「ジャップ」という日本人に対する蔑称が使われたことには、確かに抗議していいかもしれない。しかし、「知事が言 わんとしたことは明白で、「不法入国した日本人」ーーー不法入国とは犯罪であるから「犯罪者である日本人」と言
 い換えてもよいーーーはケシカランという意味だろう。もちろん一般の日本人とは別である。それ以上に考えようが ない。

  仮にその「知事」の心の底に日本人に対する蔑視感情があったとしても、発言自体は事実なのだから封殺しては ならない。それを「不法入国」、つまり「犯罪を犯している」という形容詞を外して報道するのは、故意ならば捏造記  事であり、故意でないにしても重大な過失である。

  もしこんなことがまかり通るならば、新聞はどんな人間でも「殺す」ことができる。たとえば私が、「韓国人のスリ団 の横行は目に余る。韓国人のスリは品行下劣だ」と発言したとしよう。この「スリ」という言葉を取って、「井沢元彦が 『韓国人は品性下劣』と発言!」などと報道されたら、いったいどうなるか。こんなことが許されるわけがない。朝日  にとって石原慎太郎氏が自己の主張に反する人物、すなわち「論敵」であることは事実だったが、いかに「叩くべき」 人物であっても、捏造記事で叩いてはいけない。それはルール違反である。この点では石原氏が被害者であること は明確だろう。

  それをおさえた上で、「三国人」や「治安出動」を問題にしようというなら、まだ話はわかるが、そうではないのだか ら、朝日の社説こそ「はき違えも甚だしい」と言えるだろう。

  ちなみに「ジャップ」と「三国人」はニュアンスは全然違う言葉である。前者は完全な蔑称だが、後者はかっては朝 日も紙面で使用していた言葉だ。また治安出動に関する見解も、読売の見方こそ世界の常識であろう。


16.
歴史教科書(朝日と読売の社説が大きく違う例として、本文より転載)

  歴史教科書問題に関する朝日の論説を読んで、つくづく思うことは、朝日の人々は本当の意味で民主主義を理解 しているのか、という根本的疑問である。

  民主主義の大原則に「思想の自由」があり、それを実質的に保障するものに「言論の自由」がある。しかし、この
 自由は侵害されやすい。先人がわざわざ「たとえ私があなたに反対でも、あなたが意見を述べる権利を尊重する」と 念を押したのも、人間は自分の認めたくない意見をさまざまな手段を用いて妨害しようとする傾向があるからだ。人 間は感情を持つので、どうしてもそうした傾向は出てきてしまう。それを理性で抑えさまざまな価値観を認め、どうし
 ても納得できないなら、まさに言論を用いて相手を説得するのが、民主主義の世界の基本ルールである。

  以上のような原則を理解しているならば、朝日のような社説が本来民主主義国家の新聞に載るはずがない、とい うことがわかるだろう。

  中国や韓国の主張していることは結局、「われわれは『つくる会版』の教科書の史観(つまり歴史解釈)が気にくわ ない。だから(自分たちの好みに合うよう)修正せよ」ということだ。

  この場合、中国・韓国が問題にしているのは「事実」ではなく、「史観」つまり思想であることが重要だ。明白な事実 関係に誤りがあるというのではない。簡単にいえば「そう考えることがケシカラン」というのである。これが思想そして 自由の弾圧でなくて一体なんだというのだ。

  しかも滑稽なことに、そう主張している中国も韓国も、採用している教科書はすべて「国定」だ。つまり政府の、露
 骨にいえば「大本営発表」しか認めない教科書なのである。実は、戦前の日本も歴史教科書は「国定」だった。その 国定教科書がどのような国民を作り出したか。排他的、独善的、偏狭なナショナリズム。それが日本を破滅に追い
 やったことは、朝日の論説委員も異論はないはずだ。国定教科書というものは、異論を認めない「反民主的」なもの であるがゆえに、こうした国民性を作ってしまう。

  そして今、昔の大日本帝国と同じ過ちを中国・韓国は犯そうとしている。読売の主張の通り、彼らの理不尽な要求 を毅然としてはねのけることこそ、まさに真の民主主義へ通ずる道であろう。

17.
以上が転載記事の全文である。従来は、表面的な事象についての指摘が多かったが、今回は広範な社
 説の比較という、地道な方法が採られたため具体的な偏向が明らかになったと思う。このようなやり方で
 一番重要なことは、自社(読売側)に有利な社説を多く取り上げることの弊害である。これについては、まえ がきで、読売新聞論説委員会でも、あとがきにおける井沢氏のコメントでも最も注意を払っていることが、わ かる。読売が1,030万部、朝日が830万部と公称されていることを考えれば社会的な影響力は大きく、こ のような企画はもっと多くされても良いだろう。例えば産経新聞と朝日新聞では、その論調の差がもっと大
 きいと思われるので、読者には、強いインパクトを与えるだろう。


18
.しかしながら、実際は、一般家庭の主婦や余り本を読まない男性にとっては、上記のような指摘はなかな か受け入れてくれないと思われる。新聞をよく読む層でも、世論調査の結果が、調査主体によって違ってく ることも指摘されなければならない。というのは、テレビに比べ、新聞は「頭を使って、理解する作業」が多
 いため、一層自分の家庭で購読している新聞が何であるかが重要である。複数の新聞を購読している、家 庭はそう多くはないだろう。ただし、サラリーマンにとっては、日経新聞は仕事上でも大事な情報源のため
 購読者は多いと思われる。しかし、同じサラリーマンが他の一般紙を常時目を通しているか否かは、不明で ある。
  結論は、朝日新聞の影響力は大きいため、その偏向論調を警告し続けることが、大事である。

以上

「共同通信」という、隠れた第2の朝日新聞に騙されるな!
       ーーーー「これでも朝日新聞を読みますか?」を読んで

平成20年3月11日

1.朝日新聞ほど、「反日」が明確なメディアは珍しいが、日本人はこの朝日が好きなようである。なぜなら、しつこい位 の反日記事を書いても、「無知なといったら失礼だが、本音で言えば、このとおりの多くの日本人」は、購読を止めな いで、逆に、朝日の肩を持ったりする。わが家の家族もその典型である。

2.今回紹介するのは、ジャーナリストでは、有名な著者である。内容は、従来各種の雑誌に掲載されたものを集大成 しているため、総論として、「はじめに」を転載し、中間に目次を入れて、全体の内容を示す。そして今回の目玉とも  言える、表題にある「共同通信」については、内容を詳しく紹介しよう。

3.書  名:これでも朝日新聞を読みますか?
 著  者:山際 澄夫
 略  歴:ジャーナリスト。産経新聞政治部で首相官邸キャップ、外務省キャップなどを歴任。その後ニューヨーク
       支局長、外信部次長などを経て退社。

4.はじめに

  駄洒落の好きな新聞記者の先輩が朝日新聞は「うどん屋の釜」だとよく言っていた。その心は「湯ぅばっかり(言う ばっかり)」で責任などとったためしがない、である。
  だが、朝日新聞と比較されてはうどん屋も面白くはなかろう。温かくておいしいうどんは人の胃袋を満たし心まで幸 福にするが、朝日新聞が日々垂れ流すプロパガンダ満載の”ニュース”や空虚な論評は、コンピューターを汚染する ウィルスのように日本を根本から蝕むからである。それも「言葉の力を信じたい」(朝日新聞のキャッチコピー)などと いう薄っぺらな「正義」を振りかざしてのことだから始末に負えない。
  朝日新聞は戦前、軍部に従って戦争を煽り、占領下にあっては米占領軍に迎合し、独立回復後は共産主義の
 ソ連や中国、北朝鮮の走狗となってきたーーーと、よく言われる。
  戦前の罪につては朝日新聞も認めていて、「我々にも戦争を煽った歴史があった」などとしきりに反省して見せる。 最近では2.26事件で朝日新聞社に乱入した反乱軍将校にピストルを突きつけられながらも堂々と対応したという 緒方竹虎まで戦争協力者とあげつらって、心あるOBを悔しがらせた。
  ところが朝日新聞が奇妙なのは、自らは生きたわけでもない戦前については進んで言及するのに、自らも関わっ たであろう戦後のことどもについては決して反省する素振りは見せないことである。
  確かに戦前の日本が足をすくわれた背景には新聞の熱狂的な戦争報道があった。とりわけ朝日新聞は、ゾルゲ  事件に朝日新聞出身の尾崎秀美が連座したことの象徴されるように誰よりも戦争遂行に熱心で、国民から浄財を  募って戦闘機を軍へ献納する運動を展開したり、新聞の販売拡張の狙いもあって皇居前で戦車を先頭にパレードを 行なったりまでした。
  では翻って戦後の朝日新聞はどうであったのかというと、それこそ目を覆いたくなるほどに無残である。
  独立回復後の全面講和論の主張に始まって、非武装中立、日米安保反対、毛沢東の文化大革命礼賛、湾岸戦  争への後方支援妨害、自衛隊のPKO派遣反対、教科書改ざん協力、靖国参拝の政治問題化、北朝鮮拉致事件  の無視ーーー等々、戦後のマスメディアの誤謬を一社で代表してきた観さえある。
  だが、これだけ酷い報道を繰り広げながら、戦後報道の恥部については、見てみむふりを決め込んでいるのであ る。これ以上の自己欺瞞、自己冒?があろうか。
  むしろ、今の朝日新聞に比べれば戦前の朝日新聞はまだもともだったというのが本当ではないだろうか。
  支那事変が起こって間もなくして、日本軍が南京を占領したときの朝日新聞の報道をまとめて読んだことがあるが 、文章の端々に従軍記者の素朴な愛国心が感じられ、また、陥落後に再び生活を始めた中国人のバイタリティあふ れる姿が活写されていてさもありなんと感じられた。
  支那事変から大東亜戦争に至るあの時代、日本は国を挙げて戦争に突入したのである。新聞の報道の自由も本 来、国家の運命と無縁ではないはずである。朝日新聞が戦争に協力したからといって一体誰が非難出来ると言う  のだろうか。
  ところが、敗戦後の朝日新聞はまるで自らが占領軍でもあるかのように「東京裁判(極東軍事裁判)」を根拠に戦 前の日本を叩き続けてきたのである。中国や韓国に協力して「南京大虐殺」や「百人斬り」、「従軍慰安婦」もでっち あげた。つい最近も沖縄戦での住民の集団自決を「軍命令」とするウソのキャンペーンを展開した。
  その報道からも論評からも、「黄人の重荷」を背負って必死で独立を守ってきた「近代日本」に対する愛惜の念が 微塵も感じられないのである。
  戦争を知っている世代が残っている時代はまだよかった。しかし、戦争を知らない世代が増えるにつれて朝日新  聞の欺瞞的な態度は益々、甚だしくなっている。戦後、60年以上経って、朝日新聞ほど嬉しそうに父祖の時代を断 罪するメディアはない。
  朝日新聞が読むに耐えない新聞であることは、ネット好きな若者の間ではとうに常識になっているが、今なお
 テレビや新聞などのマスメディアや教育界などでは無視できない影響力がある。
  朝日新聞のどこがクォリティペーパー(高級紙)と言えるのだろうか。こんな政治ビラまがいの新聞に振り回されて きたことこそ、戦後の日本の不幸である。
  「戦後レジーメ(体制)からの脱却」を掲げた安部政権が倒れたのも朝日新聞の社を挙げての異常な安倍攻撃
 キャンペーンと無縁ではない。そのすさまじさは紙面やグループメディアをp使って倒閣運動を行っていると言ったほ うが適切なほどだったのだから。そしていつのまにか他のマスメディアをも巻き込んで反政府機運の醸成に成功し  た。
  安倍首相は歴代斧どの首相とも違って明確な歴史観と国家目標を掲げた首相だった。そして、そこで掲げた政策 の数々、憲法改正にしても教育改革にしても、拉致事件に備える体制づくりにしても、それらも最大の抵抗勢力が  朝日新聞だった。朝日新聞は自らの歪んだ主張が否定されるのが恐くて、安倍降ろしに狂奔したのである。
  ここに収容された論文の大半は月刊『WILL』に掲載されたもので、朝日新聞の偏向報道を告発したものだ。また 、朝日新聞と見紛うばかりばかりの地方紙や、その地方紙にニュースを配信する共同通信も取り上げてている。論 文には一部に重複部分や執筆後に情勢の変化したものもみられるが、そのときどきの読み物としての手直しは最  小限にした。お許し願いたい。

5.目次

第1章 安倍政権を潰した朝日新聞の”言論テロ”

  1.戦後ジャーナリズムの恥
  2.参院選 争点すり替えで民主に加担
  3.もはやブラックジャーナリズム!『週刊朝日』にみる安倍叩き
  4.「富田メモ」 天皇をも政治利用
  5.「中国様の意向」で自民総裁選に介入

第2章 「南京大虐殺」からNHK「従軍慰安婦法廷」番組改変まで、その捏造体質

  1.また「アサヒった」!「集団自決」をねじ曲げる
  2.「慰安婦」問題という不都合な真実
  3.社長も認めるでっちあげ体質
  4.安保反対、非武装中立、文革礼賛・・・・・・、戦後社論は全部間違い!
  
第3章 ニッポン憎し!中国・北朝鮮との「友好」

  1.北に核保有を許した悪魔の囁き
  2.本音が出た「しおかぜ」騒動
  3.日本版「人民日報」と言うしかない
  4.「日中友好」ならウソも公認

第4章 朝日新聞がお手本?迷走する地方紙

  1.オラが郷土の”アサヒ”
  2.地方紙を蝕む共同通信のトンデモ配信

第5章 三つ子の魂、朝日新聞の歪んだ「正義」

  1.荒唐無稽な「地球貢献国家」
  2.国連幻想にひそむ”反米”感情
  3.内なる敵の正体見たり!

6.地方紙を蝕む共同通信のトンデモ配信

  新しい保守政権の誕生を前にこの夏、この国に問われたのはマスメディアのあり方ではなかっただろうか。そうで なくとも夏は鬱陶しい。自分だけは善人面をして父祖の時代を糾弾したり、無責任な「平和主義」を振り回したりする 輩が湧いて出るからである。
  終戦の日や原爆忌にあわせてこのような偽善を扇動するのが新聞、テレビなどのマスメディアである。これはもう 年中行事なのだが、今年は特に酷かった。
  北朝鮮が7月(2006年)に日本に向けてミサイルを発射し、また、小泉首相が終戦の日に靖国神社を参拝したか らである。ミサイル発射について多くのマスメディアは北朝鮮のミサイル発射の原因が日本や米国にあるかのよう  になじったり、日本がj国連安保理に提案した制裁決議を強硬論と断じて失敗を予想したりした。
  日本を守るための敵基地攻撃論に対しても「軍拡」との容赦ない非難を浴びせた。
  また、靖国参拝についても大多数のメディアは、中国や韓国の反対を理由に、歴史的価値がはっきりしない「富田 メモ」まで持ち出して、首相を攻撃した。

7.社説も共同通信”製”

  この「亡国のメディア」ともいうべきメディアの筆頭はもちろん『朝日新聞』(約800万部発行)だが、忘れてならな  いのは全国で80紙あまり、日々2,00部も発行されている地方紙の存在である。これがまた、ごく一部を除いて軒 並み朝日新聞に劣らぬ酷い内容だったのである。
  都道府県など一定地域を販売エリアにする地方紙報道の極端な歪みを『WILL』7月号の新聞特集で報告したとこ ろ、大きな反響をいただいた。いずれもひたすら中国や韓国に媚び、反日、反米報道を行う地元新聞の偏向ぶりを 嘆いたものだ。
  地元ではこうした新聞をさして「○○の朝日新聞」とか、「××の人民日報」などと面白おかしく呼んでいるという。 だが、地方紙の地元でのシェアは全国紙を上回ることが多いから、その弊害は笑い事では済まない。
  それにしても北は北海道新聞から南は沖縄タイムスまで数ある地方紙の多くがなぜ偏向しているのか。その大き な要因のひとつに、地方紙にニュースを配信している共同通信の問題がある。
  地方紙に掲載される中央の政治、経済、他県の事件、事故、また国際ニュースなど大きなニュースはほとんどが  共同通信の配信記事なのだ。
  ところが地方紙はこれを、外国からの特派員電や署名入りの記事を除いては、共同通信の記事だとは断らずに使 っている。このため読者は、それが共同配信のニュースだとは気がつかないだけなのである。正確な数字は分から ないが、紙面の半分は共同配信のニュースという地方紙も珍しくないのではないか。
  ニュースだけではない。共同配信は社説も「社説参考資料」として、加盟社に毎日配信する。これを多くの地方紙 は一字一句手を入れることなく使用したり、多少中身を入れ替えたりして使っているのだという。
  知名度は決して高くはないが、共同通信というのはそれほど大きな影響力を持つ存在なのである。
  共同通信のホームページによると、現在、加盟新聞社は北海道新聞、中日新聞、河北新報、京都新聞、
 中国新聞、西日本新聞、産経新聞、日本経済新聞など61社で、主要な地方紙は全て加盟している。このほか
 ニュースを配信するテレビ、ラジオは189社に達している。その取材拠点も多く、特に海外支局は全国紙の
 朝日新聞32ヶ所、読売新聞の34ヶ所を上回る40ヶ所に及んでいる。
  このため、朝日新聞、読売新聞といえども海外ニュースに限っては共同通信と契約している。つまり共同通信が歪 めば、地方紙もテレビもラジオも偏向するのが日本のマスメディアの仕組みなのである。ところがその共同通信の  報道たるや、朝日新聞と見紛うばかりなのである。
  日本を震撼させた北朝鮮によるミサイル発射を共同通信がどのように報じていたのかを具体的に検証してみよう。

8.ミサイル発射は日本の失態?

  北朝鮮によるミサイル発射という挑発に対して、日本がかってない素早い対応をしたことを疑う人は少ないだろう。 首相官邸に対策本部を設置したのも、万景峰号の入港禁止措置をとったのも、さらには国連安全保障理事会での 決議案の提案から決議まで、そのスピードといい、その周到な根回しといい、今回ほど日本外交が機能したことは  なかった。
  舞い上がる必要はさらさらないが、拉致事件で北朝鮮経済制裁になかなか踏み切れず、靖国参拝や教科書で中 国や韓国に内政干渉されても満足に抗議もできなかったこれまでの日本外交とは大変な様変わりだった。その原  動力となったのは日米同盟がかってなく強固であるという事実である。
  だが、共同通信の報道、論評では、ミサイル発射はむしろ日本外交の失態のようにも描写された。
  ミサイルが7発、日本海へ向けて発射されたのは、2006年7月5日である。
  翌6日の地方紙各紙はそれぞれこの事実をど迫力で伝えたが、茨城新聞は「北朝鮮ミサイル発射」との一面トップ 記事の脇に大型の解説記事を掲載した。長方形にレイアウトされているからよく目立つ。見出しは「なぜ無法止めら れぬ 日米の外交力手詰まり」である。無署名だったが、トップ記事とともにこれが共同の配信記事だった。
  調べてみると、見出しはそれぞれ微妙に違っているが、同じ日の地方紙各紙に同じ内容のものが一斉に掲載され ていたからである。特に熊本日日新聞は文末に「共同通信編集委員 会田弘継」の署名があった。
  それにしてもミサイル発射を報じるその日の新聞にいきなり、ミサイル発射は日本と米国に責任があるかのように 解説するのは穏やかではない。どうしてミサイル発射で日本や米国が攻撃されなくてはならないのか。会田記者は こう言っている。
  「なぜ、小泉首相とブッシュ大統領がワシントンで『世界の中の日米同盟』を高らかにうたい上げ、一致して北朝鮮 にミサイル発射中止を強く要求して1週間もたたぬうち、発射を許してしまったのか。軍事力による抑止を含め、日米 同盟が持つ外交の力を、まゆにつばをつけて、見直してみる必要がある」
  「象徴的なのは日本と中韓の関係だ。北朝鮮のこれほどの横暴を前にしても日本と両国は円滑な連携がとれない 。靖国神社参拝がのどにささった小骨のような状態のままで、首脳同士が対話できない。(略)今度のような事態が 起きたとき、首相が中韓のトップとすぐにでも電話会談ができる、それが外交の力であり、外交による抑止というも  のではないだろうか。東アジア主要国間の関係が維持されていれば、瀬戸際外交の北朝鮮といえども、慎重な態  度をとるだろう」
  その上で米港と日米同盟についてこう述べていた。
  「米国も北朝鮮に足元を見られた。(略)米ドル札偽造への制裁に反発する北朝鮮」の無法を、中国やロシアを動 かしてでも外交で抑え込めないようで、大国といえるのか」
  「そんな無法を押さえきれない日米同盟は機能しているのか。『世界のなかの日米同盟』が『世界のなかで孤立  する日米同盟』だったら、国連安保理の論議も長引きかねず、北朝鮮の無法を正すことは難しい」
  語るに落ちるとはこのことだが、まるで小泉首相が靖国参拝をしているから北朝鮮がミサイルを発射したと言わん ばかりではないか。
  それに、中国の首脳と話し合えば中国が同盟国である北朝鮮を押さえ込み、北朝鮮がミサイル発射を考え直すな どと本気で考えているのだろうか。本当は小泉首相が中国にひれ伏さないからこんあことになる、「ざまあみろ」と言 いたかっただけではないか。
  「世界のなかで孤立する日米同盟」というのもよくも言ったりである。日米同盟につては朝日新聞ですら表面上は 「日米同盟は重要だ。だがそれだけでは十分ではない」などと言う。最早、日米同盟の重要性を正面からは否定で きないからであろう。だがこれではハナから日米同盟こそが諸悪の根源であると言っているに等しい。こういった主 張をする手合いは、世界で起こることはすべて悪いのは日本と米国と主張するであろう。
  核保有宣言に次ぐミサイルの発射という恫喝に対して、北朝鮮を非難するのではなく、これに対抗する日本とその 同盟国を叩くというのは日本国民に対する背信行為と言ってもいいのではないか。だが、この倒錯こそが共同通信 の共同通信である所以なのだ。

9.日米同盟を中傷

  ミサイル発射を受けて、日本は5日の午前中に安倍晋三官房長官、麻生太郎外相、額賀福志郎防衛庁長官が首 相官邸で米国のシーファー大使と会談し、間髪を入れずに安保理に制裁決議案を提出した。さらにその日のうちに 独自の経済制裁を発表している。なぜこのように速やかに出来たのかというと、何度もシュミレーションを重ねてい  たからである。
  安倍官房長官がこのほど上梓した『美しい国へ』のなかでこう明らかにしている。
  「実はわれわれ政府は、かなり前からこの事態が起こりうることを想定していた。だからこそ迅速な対応ができた。 たとえば、シーファー駐日大使をはじめアメリカとは緊密に連携して、対応策や段取りを決めていた。シーファー大使 が当日早朝に官邸を訪れて、わたしと防衛庁長官、外務大臣と会談を持ったのもその一環である。日米の情報交  換と連携、そして日米同盟の強さを国内外、特に北朝鮮に示すためであった」というのだ。そのために、官房長官の もとに密かに対策チームをつくり、情報収集から対応策まで協議していたというである。
  1998年(平成10)のテポドン発射のときも日本は今回と同様に安保理非常任理事国で、北朝鮮非難決議を提案 した。だが、このときは今回のようにミサイル発射を「脅威」とし、各国にミサイル製造の技術や物資の移転の中止を 求めることもしていない、いわゆる非難するだけの決議案だったのに、安保理常任理事国、中国の反対で実現しな かった。
  筆者はこのときに新聞記者としてニューヨークの国連本部で安保理をカバーしていたのだが、米国との密接な連  携もなく、実にあっけなく日本の試みが挫折したのを目撃している。それに比較して今回、日本は米国との緊密な連 携でやれることをやったのである。はっきり言ってしまえば官房長官が安倍氏で外相が麻生氏だったからこそでき  たのであろう。
  ところが国連安保理決議をめぐって共同通信が出稿した数々の記事は徹頭徹尾、日本の試みを嘲り、米国を中傷 するものだったと言ってもいい。時系列で記事の見出しを拾っただけでも「(安保理決議案)議長声明に格下げも」
 (信濃毎日新聞 7日)との誤った見通し記事に始まって、「背景に米の強硬路線」(茨城新聞 9日)「はしごを外さ  れた強硬路線」(新潟日報 12日)「踊らされた強硬路線 頼みの米、心変わり」(下野新聞 12日)「『強硬』の
 日本孤立」(茨城新聞 14日)と続いている。
  決議には中国とロシア、特に中国が頑強に反対した。止むなく10日に予定されていた制裁決議案の採決は延期 された。これを受けて共同通信が「米国の後押しを頼りに強硬路線を走った日本は、米中両大国の駆け引きのはざ まで『はしごを外された』(外務省幹部)形となった」「米国の真の狙いは6カ国協議の再開にあり、制裁決議案は
 中国にプレッシャーをかけ『北朝鮮への強い影響力を発揮させる』(ヒル氏)という構図が浮かびあがってきた」と
 報じたのが前述の「はしごを外された強硬路線」「踊らされた強硬路線」の見出しの記事である。
  だがこれは誤報である。採決延期は中国が北朝鮮説得の時間稼ぎを行うのを見届けるためで、米国が日米連携 のはしごを外したわけではない。だいたい、関係国の利害が激しく対立する安保理決議は1ヶ月からそれ以上かか ることも珍しくない。米政府は終始一貫、北朝鮮に対する制裁支持発言をしていたのが事実である。しかも結果的  には提案からわずか10日目の7月15日に、全会一致の決議にこぎつけている。
  その内容もミサイル発射を明確に国際社会の「脅威」だと認定し、ミサイル計画に関するすべての活動を凍結する よう求め、ミサイルをつくる物資や技術の北朝鮮への移転を中止することを国連加盟国に求めたものだ。今後は誰 であっても北朝鮮を公然と支援することは難しくなるのである。
  当初は国連加盟国に対する拘束力が生じる決議ではなく、言いっぱなしの議長声明を主張していた中国やロシア も最後には妥協したわけだ。これが日米連携の外交勝利でなくてなんだろうか。
  それでも共同通信の春名幹男特別編集委員はご不満のようだった。
  「(中国は巧みな外交で)北朝鮮の核・ミサイル問題を取り仕切るのは中国だ、と言わんばかりの存在感を示した」 とする一方で、日本に対しては「現実はそれほど自慢できる内容ではなかった。日本が国連外交にたけていれば、 もっと迅速に国際社会の一致した『北朝鮮非難』を発する事ができたのではないか。(略)
  日本は『国連憲章第7章』に最後までこだわったが、その戦略的意味を詳細に検討した形跡が無い事も問題だ。
 7章の39条、51条は『平和に対する脅威、平和の破壊および侵略行為』について定めてある。小泉政権は、果たし て東アジアの平和維持のため『軍事行動』まで想定していただろうか。拙速で決議案を提出したとのそしりは免れま い。今回の安保理決議は、小泉政権の『日米同盟万能論』の限界を示す結果となった」(四国新聞 17日)というが 、どうしてかくも悪意に満ちた言説しか吐けないのだろうか。
  日本が7章に最後までこだわったのも、実は中国を決議に誘い込むための戦略だったというのが正しい。春名氏  は決議の採択は難しいとみていたようだが、はしごを外されたのは日本ではなく、中国に入れ込む春名氏や共同通 信ではなかったか。
  また、共同通信の報道は日本を終始、「強硬派」「最強硬」などと呼んでいたが、いったい北朝鮮の核、ミサイルの 脅威にさらされる日本が国連憲章に基づいて制裁を求めることがどうして「最強硬」なのか。あたりまえのことをすれ ば「タカ派」とか「強硬」とかいって非難するのが偏向メデイアの証である。

10.中国つかって日本けん制

  今回の一連の動きで重要なことは、日米両政府が安保理決議を通すために「中国」を明確に見据えていたことで ある。筆者の聞いたところでは、安倍、麻生両氏の間では当初は中国の拒否権の行使を恐れない覚悟で臨むこと を確認しあっていたという。
  逆に拒否権行使を余儀なくされることを恐れていたのは中国である。拒否権を行使すればテロ国家と同列とみな  されるからである。日本はその足元をみて米国との連携のもとで中国の譲歩を勝ち取ったのである。このあたりが  中国にへつらうことしか知らぬメディアには逆立ちしてでも理解できないことだろう。
  日本が自国を守るためにあたりまえの行動をとると、中国や韓国の名前を使って制止しようとするのも見慣れた光 景である。額賀防衛庁長官が敵基地攻撃論を問題提起したときにも、アジア各国は日本が北朝鮮を先制攻撃する のではないか、軍拡に走るのではないかと懸念していると騒ぎ立てた。
  「日本軍拡」に中韓警戒(新潟日報 13日)という記事がそれだが、これをよく読むと、アジア各国といっても北朝  鮮が非難、韓国の盧武鉉大統領が「(先制攻撃論は)北東アジアの平和に、普通ではない事態を引き起こす可能  性がある」と発言、それに香港紙の『明報』が「日本は北朝鮮を上回る脅威になりかねない」と論評したというのに過 ぎない。これで「アジア各国」とは羊頭狗肉もいいところだ。
  敵基地攻撃論は、北朝鮮が日本攻撃の準備を始める直前に北朝鮮のミサイル発射基地を攻撃しようとするもの  で、額賀氏はその能力を自衛隊に持たせることを検討してはどうかと提案したのである。
  現状では「私たちの持っている対地誘導弾は北朝鮮まで届かない。戦闘機は相手方の領域で作戦をして戻ってく るだけの航続距離を確保できない。相手のレーダー探知を無力化するシステムもない」(守屋武昌事務次官)から  である。
  そうだとすれば、ミサイルの迎撃態勢が確実ではないなかでは、日本は「座して死を待つ」ことになりかねない。し かも政府は1956年(昭和31)に当時の鳩山一郎首相が「誘導弾の基地をたたくことは法理的には自衛の範囲に 含まれ、可能である」と答弁もしている。
  具体的にどのような状況で敵基地をたたくかどうかは議論が残るにしても、それが抑止力になるのなら直ちに整  備してもらいたいし憲法改正が必要というならそれも含めて議論すべきだというのが普通の国民の感覚ではないだ ろうか。
  ところが共同通信は「戦後日本の防衛基本方針である『専守防衛』との整合性も問われ、具体化へのハードルは 高い」(茨城新聞 12日)。「自衛権の範囲内と強調しても、攻撃用兵器を導入すれば防衛政策の大転換になる。  北朝鮮が弾道ミサイルを発射するたびに出る議論だが、あらゆる意味で現実的でない」(大分合同新聞 13日)と  する記事も配信した。
  さらに社説配信でも「軍事大国化に踏み出すかのような、痛くもない腹を探られぬよう額賀長官は発言を撤回した らどうか」(大分合同新聞 14日)と主張した。そして翌日には外国にも波紋を広げているとする記事で追い撃ちを  かけた。
  いったい共同通信は、核や生物化学兵器を搭載したミサイルが着弾しても仕方がないと言うのだろうか。それとも 北朝鮮の金正日に限って実際に日本を攻撃することはないと確信しているのか。読者に明らかにする必要がある  のではないだろうか。

11.噴飯ものの記者座談会

  連載記事もおかしなものばかりだった。地方紙各紙には「北朝鮮 ミサイル発射」という共同通信の連載記事が掲 載されているが、このなかでミサイル発射の第1報が米早期警戒衛星からの情報だったことを取り上げて、「在日米 軍関係者は『日本はすばらしいパートナーシップを示した』と絶賛するが、そこには米国の思惑も透けてみえる。
 (略)米国にとって日本列島は本土防衛の絶好の『盾』。それを実証した今回の事態を機に、本土防衛に日本をさら に組み込もうとする可能性は高い」(信濃毎日新聞 7日)と述べていた。
  「暗闘の帰結 米政権の北朝鮮政策」(下野新聞)という8回続きの連載企画も一貫して「立ちはだかる強硬派」
 「暗躍する超強硬派高官」「超強硬派」などとしてブッシュ政権とブッシュ政権の要人のうちチェイニー副大統領、
 ラムズフェルド国防長官、ボルトン国連大使らをひたすら攻撃するものだった。
  なぜそこまで米国を嫌うのか。日本と米国は自由と民主主義という価値観を共有する。そこが中国や北朝鮮と違  うところで、同盟国である所以だ。そんなイロハが分かっていないようにみえる共同通信は、冷戦時代にソ連や中  国、北朝鮮に与した左翼の対米観から一歩も抜け出ていないのだろうか。
  共同通信の配信に出てくる識者談話がこれまた一方的なものである。例えば、6日の地方各紙には静岡県立大  学の伊豆見元教授が登場している。
  伊豆見氏はミサイル発射をめぐって多分、日本のメディアに一番顔を出したのではないだろうか。だがおっしゃるこ とはいつも首を傾げることが多い。筆者がたまたま見たNHKでは、「北朝鮮は孤立しているわけではなく、米国と日 本に対して孤立しているだけなのだ」というような仰天話を披露していた。
  共同通信出稿の談話(茨城新聞 6日)でも「北朝鮮も米国を『まともでない相手』と考えており、それを理解したう えで行動を読み解く必要がある」とか、「少なくとも韓国、中国が同調して制裁しなければ、北朝鮮に対する実質的  な効果はない」とか、「日本側に切る軍縮カードがないとすれば、最終的には北朝鮮に対して『別の見返り』を示さざ るを得ないだろう」とか言っている。北朝鮮をまともな国のようにいう人物のどこが識者なのだろうか。
  また、米戦略国際問題研究所客員研究員の渡部恒雄氏も、ブッシュ政権の北朝鮮政策を「悪意ある北朝鮮無視  政策」と決めつけ、「(ミサイル発射は)小泉純一郎首相の『日米関係がうまくいけばアジアともうまくいく』という言葉 に代表される奇妙な思考停止への大きな挑戦だ」(茨城新聞 7日)と放言していた。
  ニューヨーク市大教授の霍見芳浩氏は「ブッシュ政権があおる『北朝鮮の脅威』に踊らされて振り回されないことで ある」(埼玉新聞 13日)と主張する一方、訪中した民主党の小沢一郎氏は「日本の国益を守る器」と激賞していた 。
  米国務省で北朝鮮問題を担当してきたというケネス・キノネス氏もブッシュ政権にやたらに批判的な印象のある人 物だが、ここではミサイル発射は金正日が「国内向けに決意を示した」(茨城新聞 8日)と常識的な分析を行ってい た。あるいはさらに調べればほかにもっとまともな識者談話があるのではと地方紙をひっくり返してみたが、目につ  かなかった。
  共同通信記者座談会(茨城新聞 11日)でもおかしな記述が随所にみられた。平壌特派員は「市内は平穏で、
 日米への挑発的なスローガンも見当たらなかった」、中国の武大偉外務次官の訪朝について北京特派員は「メンツ にかけても自制などの説得工作を強めるだろう」、政治部記者は「(日本は)米国追随の形で圧力路線を継続するこ とになる」などと述べていた。調べてみると、共同通信は中国の「メンツ」という言葉をよく使っていたが、中国にどん な立派なメンツがあるというのだろうか。
  こうして日本の取り組みをさんざんけなしてきた共同通信も安保理決議そのものは「国際社会は安保理決議など  で北朝鮮を包囲し、引き続き一致して厳しい姿勢で臨まなければならない」(山形新聞 17日)と評価せざるを得な かった。
  しかし、共同通信の社説は日本の努力を正当に評価したものではなく、日本がイニシアチブをとった初めての安保 理決議であることや日米連携が決議実現の原動力であることにも触れず、この期に及んで、「(米国と)日本とは温 度差があった」と述べていた。その一方、あれだけ日本の試みを妨害した中国に対しては「北朝鮮は中国も手に負 えない情勢になっている」と温かい眼差しを向けていた。
  だが日本は北朝鮮に対してその後も手を緩めなかった。安保理決議の直後にロシアのサンクトペテルブルグで行 われた主要国首脳会議の議長総括でも安保理決議への支持を表明し、拉致事件に早急な解決を求めるとの文言 を盛り込むことに成功した。しかし、ここでも長同通信は、「首相は一定の成果を挙げた」としつつ、ゲスト参加してい た胡錦涛主席との会談が見送られたことに「小泉外交の手詰まりを印象づけることになった」(新潟日報 18日)と  の原稿を送ってきていた。
  どこが手詰まりなのだろうか。実際には日本が安保理決議を通じて北朝鮮とその同盟国の中国を追い詰めてきた のは見てきたとおりである。

12.靖国はデートクラブ

  小泉首相の靖国参拝でも共同通信は、よくぞここまでと感嘆するほどの参拝阻止キャンペーンを展開していた。
  8月15日は社説配信で「(分祀や新しい追悼施設の建設などは)いずれも検討に時間がかかる。直ちにやれるこ とは小泉氏個人の小さな『心』を生かすために国の大義を犠牲にすべきではない」(岐阜新聞 、日本海新聞など) と、幕末以来の戦争で倒れた246万人の兵士らをお祀りした靖国に首相が参ることを「小さな心」と決めつけた。
  8月16日には、@小泉政治は自由競争を優先し、敗者、弱者の痛みを脇においてきた。靖国参拝問題はこうした 「勝ち組政治」の延長にあるA首相は違憲論には「思想、良心の自由がある」と居直っているBA級戦犯を祀った靖 国参拝は日中共同声明違反というのが中国の主張C自民党総裁候補は、まず先の大戦の評価を含めた歴史認識 を提示すべきだーーーなどと中国の主張だけを並べ立てた共同通信政治部長・梅野修氏の解説が各紙に掲載され ている。
  また、「(小泉首相の外交は)隣国との溝を埋める手立てを何ら講じることなく官邸を去るのは開き直りであって外 交とは言えまい」とする編集委員・山崎剛氏の囲み記事もあった。それにしても「居直り」とか「開き直り」とか、そろ  いもそろって、共同通信には中国の主張には耳を傾けても自国の首相の発言は居直りとしか映らない記者ばかり  なのだろうか。
  社会面の雑感原稿は「首相は昨年の『拝殿前』ではなく、『モーニング姿、本殿』で臨んだ。『心の自由』『参拝を問 題にする勢力がいる』。参拝後は記者団に持論をとうとうと語った。神社を訪れた遺族からは歓迎の声とともに『首  相参拝には反対』と批判のこえも上がった」(上毛新聞)というのだが、首相が行ってはいけないデートクラブにでも 出かけたという印象が残る書きっぷりだった。
  ところが周知のように国民は小泉首相を支持した。共同通信が15日午後から16日にかけて行った緊急世論調  査でも「参拝してよかった」が「参拝すべきではなかった」を大きく上回ったのである。
  となると、記事はまず首相参拝そのものへの国民の判断がまず強調されて当然だろう。なのに共同通信は、「次  期首相の参拝問題」に焦点を当てていたのである。
  共同通信が配信した記事は「首相の『8・15参拝』について『参拝すべきではない』が44・9%、『参拝すべきだ』  が39・6%で反対派が上回った」(岩手新報 8月17日)とするもので、本文には首相の「参拝すべきではない」が 41・8%だったことすら記されていなかった。
  これを受けて地方紙の大半は、小泉首相の靖国参拝を過半数の国民が支持したことではなく「次期首相参拝
 44%が反対」と見出しをとっていた。やはり小泉参拝で賛成が反対を12ポイントも上回ったにもかかわらず、次期  首相参拝反対が上回ったことで見出しをとった朝日新聞(8月23日)と同様のごまかしであった。
  共同通信は靖国参拝問題でこれまでも経済同友会の反対は何度も報じるが、日本経団連の御手洗富士夫会長 が反対と言わないことpにはあまり触れない。同様に米下院のハイド外交委員長の靖国参拝反対発言は大々的に 報じても、シーファー駐日大使やラムズフェルド国防長官、それにアーミテージ前国務副長官らが中国の干渉を批判 していることは充分に伝えないと言われてきた。
  そもそも日中関係の悪化も日本の立場に立てば日本の追悼に対する中国の内政干渉が原因なのに「小泉首相  の靖国参拝で悪化した日中関係」と枕詞のように使う。これでは日本のメディアというより中国の手先と言われても 仕方がないだろうか。
  共同通信は9月に次のような記事を配信した。
 「共同通信社は1日、北朝鮮の平壌に支局を開設した。日本の報道機関が北朝鮮に支局を開設したのは初めてで 、同社41番目の海外支局となった。同社は核・ミサイル問題や日本人拉致問題などで世界の注目を集める北朝鮮 に取材拠点を置くことにより、正確かつ客観的で質の高い報道を目指す」としている。
  だが、独裁国家で日本のメディアがしばしば嘘を書くのは朝日新聞の中国報道が示してきた通りである。そのこと を暗示するように、支局開設の少し前にはミサイル発射による日本の経済制裁で入国を拒否されたという北朝鮮関 係者を平壌に取材した「遺骨返還 届かぬ思い」と題する怪しげな記事(上毛新聞 8月5日)を配信していた。
  共同通信はせんご、同盟通信社が解体されたあと、新聞社とNHKが社員となって設立された社団法人である。そ の社員である地方紙の経営者は共同通信の実態をどう感じているのだろうか。繰り返すが、地方紙の偏向は共同 通信こそ元凶なのである。

13.大変長文になってしまい、読者には大きな負担をかけてしまった。前半の朝日新聞の偏向報道は多くの識 者が指摘しているが、後半の「共同通信の偏向と地方紙の関係」は、本文を転載しなければ、説得力に欠  けると筆者が判断したためである。

14.上記のように目に見える「朝日の偏向」よりも、「目に見えない、隠れた共同通信と地方紙の偏向」の方が 、実際の国民への影響は大きいと思える。このために、「多くの意識調査が、反日傾向を示している」ので  はないか。
  我々憂国の志士は、この事実を広く国民に広める責務があると考える次第である。


以上

「赤報隊」の正体ーーー朝日新聞阪神支局 襲撃事件  を読んで

平成19年10月23日

1.朝日新聞の偏向報道については、従来から各書を読んで、様々な切り口でコメントをしてきた。最近の「沖縄集団  自決」に関する記事を読んでみると、無知の国民および政治家を誤った方向に導こうとする傾向が顕著になってき  た。このような状態のときは、抽象論ではなく、過去の具体事例に関する本を紹介した方が、説得力があると思える 。

2.その中でも、朝日新聞は「アメリカに対する9.11テロ」については、アメリカ側にもその原因があるとの論調をとっ  ている。しかし、以下の自社に対するテロについては、しつこいくらい、報道を続けている。すなわちダブル・スタンダ ードの典型である。以下の本はこの問題を明確にできると思われるので、そのポイントとなるような部分を紹介しよ う。なお変則だが、最初に資料編から紹介する。その理由は、赤報隊の「布告」は、後半の処刑等の部分を除けば 、筆者の朝日新聞に対する認識とまったく同じであるからだ。

3.書  名:「赤報隊」の正体ーーー朝日新聞阪神支局 襲撃事件
 著  者:一橋 文哉
 略  歴:通常は略歴が必ず巻末に書いてあるが、この本にはない。そこで、仕方なく著者がこれまでに書いた本を       記載して推測してみよう。
       「闇に消えた怪人」ーーーグリコ・森永事件の真相
       「三億円事件」
       「オウム帝国の正体」
       「宮崎 勤事件」ーーー塗り潰されたシナリオ
       「ドナービジネス」
       これらは未解決の事件もあり、最後のドナービジネスなどは、世界的規模に広がり、「中国の法輪功信者      に対する生体臓器移植」が大問題となっている。以上からフリーのジャーナリストで難事件に挑むタイプであ      ることが推測される。
       
4.資料編より
 [朝日新聞東京本社銃撃事件]
     (87年1月24日)

     告

  われわれは日本人である。
  日本にうまれ 日本にすみ 日本の自然風土を母とし
  日本の伝統を父としてきた。
  われわれの先祖は みなそうであった。
  われわれも われわれの後輩も そうでなければならない。
  ところが 戦後41年間 この日本で日本が否定されつづけてきた。
  占領軍政いらい 日本人が日本の文化伝統を破壊するという悪しき風潮が 世の隅々にまでいきわたっている。
  およそ人一人殺せば死刑となる。
  まして日本民族全体を滅亡させようとする者にいかなる大罰を与えるべきか。
  極刑以外にない。
  われわれは日本国内外にうごめく反日分子を処刑するために結成された実行部隊である。
  1月24日の朝日新聞社への行動はその一歩である。
  これまで反日世論を育成してきたマスコミには厳罰を加えなければならない。
  特に 朝日は悪質である。
  彼らを助ける者も同罪である。
  以後われわれの最後の一人が死ぬまで この活動は続くであろう。
  日本人のあるかぎり われわれは日本のどこにでもいる。
  全国の同志は われわれの後に続き 内外の反日分子を一掃せよ。

  2647年 1月24日

                               日本民族独立義勇軍 別動
                                        赤報隊 一同


 [朝日新聞阪神支局襲撃事件]
     (87年5月3日)

     告

  われわれは ほかの心ある日本人とおなじようにこの日本の国土 文化 伝統を愛する。
  それゆえにこの日本を否定するものを許さない。
  1月24日 われわれは朝日新聞本社東がわに数発の弾を発射した。
  だが 朝日は われわれが警告文をおくった共同時事と共謀して それを隠した。
  われわれは本気である。
  すべての朝日社員に死刑を言いわたす。
  きょうの関西での動きはてはじめである。
  警告を無視した朝日には 第二の天罰をくわえる。
  ほかのマスコミも同罪である。
  反日分子には極刑あるのみである。
  われわれは最後の一人が死ぬまで処刑活動を続ける。

  2647年5月3日
 
                                         赤報隊 一同


[朝日新聞名古屋本社新出来寮襲撃事件]
    (87年8月24日)

    告

  わが隊は 中京方面で予定どおり反日分子の処罰をした。
  処刑はこれからも続く。
  阪神での処刑を 朝日は暴力にすりかえた。
  ほんとうの暴力は 暴力の形をしていない。
  うその言論で 日本民族全体をほろぼそうとしてきた朝日は 暴力でないのか。
  わが隊の処刑は 42年間つもりつもった日本民族のうらみの表れである。
  わが隊は いつかは権力とのたたかいで 玉砕する。
  けれども 後には一億の赤報隊が続く。
  ひとりでも日本人が残っていれば 反日分子に安全なところはない。
  朝日をたすける者も ゆるさない。
  反日朝日は 50年前にかえれ。

  2647年 8月24日
                                          赤報隊 一同


[朝日新聞静岡支局爆破未遂事件]
    (88年3月11日)

    告

  わが隊は 静岡で反日分子を処罰した わが隊は正しい。
  朝日は 日本人の心から大和だましいをとってしまった。
  朝日は言論の自由をまもれというが そんなものは初めからない。
  朝日のいう言論の自由は 連合国の反日宣伝の自由である。
  七年間の占領のあいだに連合国に検閲されて書かされたうその記事を 朝日はまちがっていたとみとめたことが あるか。
  わが隊の布告をのせたことがあるか。
  今もうそをつきつづけている。
  わが隊は日本民族をうらぎる者をゆるさない。東京より大阪の朝日のほうが反日的である。
  一人一殺 一殺多生はもう古い。
  これだけ反日分子が多ければ 一人多殺 多殺多生しかない。
  日本を愛する同志は 朝日 毎日 東京などの反日マスコミをできる方法で処罰していこう。

  2648年 3月11日
                                          赤報隊 一同

5.プロローグ 追悼  
 物言わぬ石碑の前で・・・・・・・
  言葉を失っていた。
  まず、衝撃。そして、悔恨の情がこみ上げてきた。
  <もっと、彼から話を聞き出しておくべきだった・・・・・・>
  目の前に小さな石の塊があった。
  2002年2月中旬。大阪府郊外の山中。時折、梢を揺るがす冷たい風の音と、小鳥のさえずりだけが聞こえる静  寂の世界で、私は物言わぬ石碑を見つめながら、一言も発せずに佇んでいた。
  真新しい石碑には、《真田茂之墓》(仮名)と刻まれていた。
  真田氏と初めて会ったのは、2000年3月中旬の暖かい夜。この山を切り開いて造成された霊園からさほど遠くな い、大阪府の北河内地方にある新興住宅街の外れに建つアパートの彼の部屋であった。
  真田氏は、私が警察庁指定広域重要116号事件(以下、116号事件と呼ぶ)の実行犯ではないか、と睨んでい  た男だった。

  116号事件は、1987(昭和62)年5月の朝日新聞阪神支局襲撃事件(以下、阪神事件と呼ぶ)をはじめ、同一  犯人によると見られる8件の殺人、放火、爆破未遂、器物損壊、脅迫事件である。
  阪神事件は5月3日午後8時15分ごろ、兵庫県西宮市与古道町の朝日新聞阪神支局に、目出し帽を被り、散弾  銃を持った男一人が侵入。二階の編集室にいた小尻知博(29歳)=年齢は事件当時、以下同じ=、犬飼兵衛(42 歳)両記者に向けて散弾銃を2発発射し、小尻記者を死亡させ、犬飼記者にも全治3ヶ月の重傷を負わせたもので 、犯人の冷酷かつ不気味な手口は人々を恐怖のどん底に落とし入れ、言論に対する初の殺人テロとして社会に衝  撃を与えた。
  この事件から3日後、時事、共同の両通信社に、「赤報隊 一同」と名乗る人物から、《反日世論を育成してきた朝 日を処刑した》旨の犯行声明文が送りつけられた。
  その中で犯人は、同年1月24日の東京本社への銃撃(同日午後9時ごろ、東京都中央区築地5の朝日新聞東京 本社2階の窓などに散弾2発を撃ち込んだこと)も明らかにした(東京事件)。
  「赤報隊」を名乗る人物は、その後も犯行を重ね、9月24日午後6時45分ごろ、名古屋市東区新出来2にある朝 日新聞名古屋本社の単身寮「新出来寮」に侵入、無人の居間兼食堂で、テレビに向けて散弾銃1発撃ったうえ、逃 走中に西隣のマンション外壁にも1発発砲している(名古屋事件)。
  さらに、翌88年3月11日午前11時から午後3時の間に、静岡市追手町の朝日新聞静岡支局の駐車場に、時限 発火装置付きのピース缶爆弾を仕掛けて、不発に終わったり(静岡事件)、同じ11日付の消印で、高崎市の中曽  根康弘前首相の事務所と、島根県掛谷町の竹下登首相(肩書きはいずれも当時)の実家に脅迫状を郵送している (両首相脅迫事件)。
  また、8月10日午後7時20分ごろ、東京都港区南麻布の江副浩正・リクルート元会長宅玄関のガラスドアに散弾 1発を発砲(江副宅事件)。90年5月17日午後7時25分ごろにも、名古屋市中村区亀島1の在日本大韓民国居留 民団愛知県地方本部の事務所が入っている愛知県韓国人会館の玄関前に、灯油をまいて発炎筒で放火した(愛  知事件)。
  犯人は犯行後、通信社などに犯行声明文(両元首相脅迫事件では脅迫状)を送りつけ、東京事件では「日本民族 独立義勇軍 別動 赤報隊 一同」、後は「赤報隊 一同」と名乗っている。
  因みに、これらの犯行声明文や脅迫状の全文を巻末の資料編に掲載しているので、参照して欲しい。
  兵庫、静岡県警などはそれぞれ捜査本部を設置したが、警察庁は東京、阪神、名古屋、静岡の各事件と、朝日新 聞の広告主であることを批判した声明文が届いた江副宅事件の計5件を広域重要116号事件に指定。声明文に「 朝日」の文字はないものの、字体などが酷似している愛知事件を類似事件、両元首相脅迫事件を関連事件として  合同捜査に乗り出した。
  だが、警察当局の総力を挙げた捜査にもかかわらず、犯人の正体はおろか、犯罪動機さえハッキリしないまま、阪 神事件発生から15年の歳月が過ぎた。
  その間、91年3月に両元首相脅迫事件が時効を迎えたのを皮切りに、92年1月に東京事件、同年9月に名古屋 事件、93年8月に江副宅事件、95年5月に愛知事件の時効が、次々と成立した。
  そして、116号事件の原点とも言える阪神事件も、2002年5月3日午前零時を以って、とうとう時効を迎えること になった。あとは、2003年3月の静岡事件を残すだけというのが現状だ。
  116号事件は果たして、右翼団体など政治色や思想性の強いグループによるテロ活動と言えるのか。それとも、 朝日新聞社や記者個人への遺恨なのか。はたまた、事件の約3年前に発生したグリコ・森永事件の影響を受け、  言論の自由を揶揄する愉快犯、もしくはその陰で別の目的を狙う知能犯であろうかーーー。
  捜査本部は、「赤報隊」から送りつけられた犯行声明文の内容や、標的となった人物の身辺捜査などから、一連  の事件は右翼・新右翼関係者の犯行である、との見方を強めてきた。
  新右翼とは、警察庁によれば、戦後の右翼活動を本質から逸脱していると批判し、真正右翼の伝統を正しく受け  継ごうというグループ。ヤルタ・ポツダム体制打倒を掲げ、過激派集団同様の行動をとるなどして、「今までになかっ た右翼」とされている勢力だ。
  しかし、私には、阪神事件だけはほかの事件と違って、犯人の強烈な殺意や、周到な準備と計画性を秘めている ように思われてならなかった。事件そのものに、犯人のアピールのようなものが感じられるのだ。
  そこで、私は、阪神事件に的を絞り、小尻記者ら被害者周辺に事件に繋がる接点はなかったか、などを重点的に 取材してきた。
  そんな中で、小尻記者と接点を持つ人物として浮上してきたのが、冒頭で紹介した真田氏だったのである。

 小尻記者は事件を追っていた
  目の前に、幾何学模様の海が広がっていた。力強い直線や緩やかな曲線が縦横無尽に張り巡らされ、それぞれ がまるで生き物のように、自信たっぷりに波打っている。
  それらは複雑に絡み合い、あるいはお互いに巧みを繋ぎ合わせながら、一つの巨大な構図を作り出していた・・・ ・・・。
  
  「これを見たまえ」
  男はそう言って、背広の左内ポケットからB4判大の紙切れを取り出し、テーブルの上に広げた。
  99年秋の深夜。都内のシティホテルの一室で、私は一人の中年男と会っていた。
  その男がテーブル上に置いた一枚の紙切れこそが、幾何学模様の正体であった。
  「”ある事件”に関して、公安当局が作成したチャートだよ」
  チャートとは、警察当局などが一つの事件に登場する人々の相関関係を、それぞれの事情や背景をもとに示した 一覧図表で、個人、団体名が複数の”意味を持った線”で結ばれている。
  政府官界を巻き込んだ疑獄事件や、バブル期に頻発した大型経済事件などでよく見かけるが、作成者さえ定かで ない”怪しげなもの”も多い。だが、この男は私が信頼している警察関係者であり、目の前のチャートは未公開の捜 査資料だった。
  チャートには、住銀・イトマン事件の公判中に逃亡し、99年11月に収監された許永中被告をはじめ、暴力団や右 翼団体の幹部、企業舎弟、さらには、首相経験者を含む大物政治家や、銀行頭取ら企業トップの名前がひしめき合 っていた。
  <お馴染みの顔ぶればかりだが、いったい、何の事件のチャートだろうか>
  そんな疑問に答えるように男は、
  「このチャートは、実は、もう一枚あってね。二枚で一つなんだ」
  と言って、その半分程度の大きさの用紙を背広の内ポケットから取り出し、二枚を繋げるようにして置いた。
  その新しい紙には何と、大きな字で、
  《朝日新聞阪神支局》
  と書かれてあった。
  「えっ、それじゃ、これは・・・・・・」
  「そう、116号事件のチャートなんだ」

  116号事件の原点は、阪神事件にある。被害者の周辺を調べていけば、必ず真犯人に辿り着くはずだーーーそう 意気込んで取材を始めたものの、”いい手掛かり”を掴めず、行き詰まりを感じていた私にとって、このチャートは頼  もしい援軍であった。
  ただ、そのチャートを見て、
  <「赤報隊」の背後に、こんな大がかりな図式が隠されているとは・・・・・・>
  という驚きと戸惑いを隠せなかった。
  「実は、亡くなった小尻記者の取材ノートに登場しながら、きちんと裏付け捜査ができていない人物がいる。小尻  記者は密かに、その人物と、チャートに出てくる”ある事件”を追いかけていた形跡が見られるんだ」
  「本当ですか。で、ある事件って・・・・・・」
  と尋ねる私を制し、この警察関係者はチャートを鉛筆で指しながら、耳元で事件名を囁いた。
  それは予想もしなかった事件であった。
  しかし、チャートを眺めながら、その事件の概要を思い起こしていくうちに、確かに二つの事件には関連性があるよ うに思えてきた。
  「なるほど!それなら、犯人が朝日新聞はもちろん、中曽根、竹下両元首相や江副元会長まで狙ったのも理解で きますね」
  詳細な説明を聞けば聞くほど、その事件が116号事件を引き起こしたのではないか、という気がしてきた。
  <だが、ここは一度、冷静になって考えなければならない>
  そう思った私が、
  「しかし、その話はあくまで、状況証拠だけで・・・・・・」
  と言いかけると、この警察関係者はこう言った。
  「決定的な証拠がない、と言いたいんだろう。だからこそ、警察も朝日新聞も、そのことを薄々とは知っていながら 、手を出せなかったんじゃないかな。でも、全く手がかりがないわけではないんだよ」
  彼の説明は取材意欲を十分にかき立てるものだったが、取材自体は難航が予想された。それでも、各種捜査資  料をはじめ、小尻記者が使っていたシステム手帳や取材メモのコピーなどを順次入手し、裏付け取材を進めるうちに 、116号事件の構図が少しずつ見えてきた。
  そして、ようやく真田氏の存在に辿り着いたのだ。

  「赤報隊」からの電話                    
  真田氏とはこれまで2回、会って話を聴いていた。
  その時の様子や詳しい内容は第4章以降で明らかにするが、ごく簡単に言えば、真田氏と小尻記者の接点をはじ め、小尻記者が追いかけていた事件の内容、真田氏の背後に蠢く”闇の紳氏たち”の正体を解明する糸口をつかん だ、と思っていた。
  それだけに、今度こそ事件の核心に迫る話を聞き出そうと、真田氏が転居した先のマンションを探し出してたずね たところ、驚くべき事実に遭遇した。
  約4ヶ月前、真田氏が急病で亡くなった、というのである。
  彼は40代半ばで、酒もタバコもやらず、特に重い持病などは聞いていなかった。それどころか、尊敬する人物が  主宰する団体に所属し、武道や独自の精神鍛錬で心身ともに鍛え上げていたはずである。
  それに、彼が死んだ日が、私が2回目のインタビューを行なった直後だったことご気になり、その周辺を取材した。
  真田氏はマンションの自室内で倒れていたのを、無断欠勤を心配して訪ねてきたという仕事仲間が見つけた。変 死扱いとされ、地元の警察が死因などを調べたが、彼の身体にこれといった外傷はなく、室内にも争った形跡がな  いことから、病死と断定されている。
  もっとも、死因に不審な点がなかったことから、警察による検視だけで、司法解剖は行なわれていない。
  真田氏の仕事仲間から葬儀の様子や墓の場所を聞きだし、霊園に行きついた時、
  <もしかすると、真田はしゃべり過ぎたと思われて、始末されたのではないか・・・・・・>
  漠然とだが、そう感じた。
  いや、実は、そう思ったのには訳があった。
  私が最初に真田氏に会い、その周辺を取材し始めたころから、誰かに尾行されたり、監視されているような不穏な 気配を感じることが増えた。神経を張りめぐらせて取材していたこともあって、最初は気のせいだと思っていた。
  しかし、必ずしもそれだけとは言えない、と思える出来事があった。
  当時、私は「赤報隊」の記事を月刊誌『新潮45』に連載していたのだが、真田氏へのインタビュー記事が掲載され た号が発売された直後、編集部に恐ろしい電話がかかってきたのである。
  受話器を取った編集部員に、電話をかけてきた男は「赤報隊」と名乗った。そして、男はこう言った。
  「小尻のように楽には死なせんからな」

6.以上が「プロローグ 追悼」の全文である。本文自体は、取材の過程を詳細に記したものであり、犯人は特定されて いない。しかし、本文にもあるように、「朝日新聞」、「中曽根元首相」、「竹下元首相」および「江副元会長」に共通す る人物は「右翼の大物で暴力団関係者」としか、筆者には思い浮かばない。そして疑問に思うのは、「なぜ、一介の 記者である、小尻氏を狙ったのか?」である。簡単に言えば、「もっと、大物を狙えば、社会的な影響が大きくなり、 彼らの目的も達成されたであろう」という、まことに「不謹慎な推測」である。

7.確かに、朝日新聞にとっては、明白な「テロ攻撃」であり、断じて許すことが出来ない事件であろう。一方、  朝日新聞の主張が、アメリカの同時テロ以来、テロ擁護ではないが、アメリカ側に攻撃を受ける理由がある との論調で主張をしているのも、事実である。それは、最近の自衛隊の海上給油問題でも、同様である。テ ロには明白な対象を狙ったものと、無差別に関係者以外を狙ったものがあるが、いずれも、民主主義国家  に対する、ゲリラ的挑戦であるため、絶対に許されないものである。

8.筆者が、朝日新聞を非難しているのは、その主張に一貫性がなく、アメリカのようにテロ攻撃を受ける側に もその原因があるとの論調である。まずはじめに結論ありきであり、「アメリカ憎しの反米思想」である。そし て、この本では触れていないが、「自虐史観に基づく、反日思想」である。この点については、戦前と戦後を 比べてみれば、「その主張に一貫性がない」ことは、明白な事実である。これらの「ダブル・スタンダードの  論調」は、民主主義国家のメディアとして、許されないことである。

9.追記(23日17時)
  私見だが、朝日新聞が従来のように、「反日、反米、媚中の主張」を続けている限り、「第2、第3の赤報隊 によるテロ攻撃」に見舞われる可能性を否定することはできない。

以上

「朝日新聞の大研究」ーーー国際報道から安全保障・歴史認識まで  を読んで

平成18年12月31日

1.朝日新聞については、最近発行部数が減少しているとのこと。実態は、読売・800万部、朝日・500万部が目安で あろう。筆者の自宅でも、「朝日、静岡および日経」の3紙を購読しており、筆者以外の家族は、朝日を非難すると、 すぐ反論してくる。その内容は「朝日は、戦争放棄の憲法を守っている、人権問題に強い、天声人語が良いおよび  文化面が充実している」である。おそらく、一般国民の意識もおおよそこれらに近いであろう。実態は、「個々の内容 そのものが、問題あり」であるが、なかなか既存の考え方を変えようとしない。

2.そこで、今回は、少しは、内容の濃い本を選んでみたので、以下に紹介しよう。

3.題   名:朝日新聞の大研究ーーー国際報道から安全保障・歴史認識まで
 著   者:古森義久、井沢元彦、稲垣武
 著者略歴:古森 義久ーーー慶応義塾大学経済学部卒。米国ワシントン大学大学院留学。毎日新聞社会部記者、
                   サイゴン・ワシントン両特派員、政治部、編集委員を歴任。87年に産経新聞社に移り                   、ロンドン・ワシントン両支局長、初代中国総局長を経て、2000年12月からワシント                    ン駐在編集特別委員兼論説委員。

        井沢 元彦ーーー早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の80年に『猿丸幻視行』で第26回江戸                   川乱歩賞を受賞。歴史推理小説分野で活躍する一方、日本史と日本人の謎に鋭く迫                   る評論活動を展開。
        稲垣 武ーーーー京都大学文学部卒。朝日新聞入社後、福井支局・神戸支局勤務。64年大阪本社整                    理部。72年『週刊朝日』編集部員、同10月副編集長就任。81年出版プロジェクト室
                   幹事。85年調査研究室主任研究員。89年退社。現在、フリージャーナリスト。

4.通常はここで、まえがき、目次およびあとがきを紹介するが、この本は3名の著者による共同執筆のため、そのうち の序章を紹介する。

 序章 いまなぜ朝日新聞の検証が必要かーーー自らを絶対正義とする報道体質

  ◎念仏平和主義と権威主義的体質が蔓延ーーー稲垣

  まず「いまなぜ朝日新聞の検証が必要か」という点についてですが、朝日新聞は、これまで戦後民主主義を後生 大事に守って、いわゆる観念的な平和論、いいかえれば空念仏平和主義を唱えてきました。
  そういした巨大メディアの存在が、日本国民の現実認識を妨げる結果を招きました。
  具体的には、憲法問題をめぐる論議を神学論争化し、健全な世論の醸成をむずかしくしています。
  もう一つの問題点として、朝日新聞の権威主義的体質、独善的体質をあげることができます。これは私がかって、 朝日新聞社の社員であった頃から痛感していましたが、「無知蒙昧な大衆を善導しなければ、よくない方向に暴走 してしまうのではないか」と考えている節があります。一種のエリート意識からくる権威主義といえます。
  その権威主義を裏返せば、朝日新聞自身の「報道の過ち」や「論評の過ち」をなかなか認めないという独善主義  につながっていきます。
  たとえば、朝日新聞は、従軍慰安婦の強制連行問題で、これを捏造した吉田清治氏の著作『私の戦争犯罪 
 朝鮮人強制連行』と同氏の「わたしが済州島で何百人もの女性を慰安婦として強制連行した」という証言を大々的  に報道しました。(1992年1月23日付夕刊、同年5月24日付朝刊)。
  この吉田証言は、秦郁彦日大教授の韓国・済州島での現地調査によって、まったくの虚偽であることが判明しま  す(『正論』92年6月号)。動かぬ証拠を突きつけられ、反論の余地がない状況にいたってもなお、朝日新聞は誤報 であったことを明確に認めず、ごまかそうとします(97年3月31日付)。これは「過去には一定の誤りを犯したが、い まは無謬である」とする日本共産党式の無謬論と軌を一にしているように思います。
  加えて最近は、わが国の世論は、朝日新聞の志向するする方向とは全く違う方向に大きくうねり始めています。  朝日新聞は、これに怯えて、なりふり構わぬ強引な報道や論調をあえてする傾向が強まりました。
  それが左翼系の市民運動や、いわゆる進歩的文化人の残党と結びついて、日本の進路を誤らせているように思 われます。まさに朝日新聞の報道姿勢や論調は、戦後民主主義の歪みを凝縮したものといっても過言ではありませ ん。
  その結果、かっての中曽根政権やいまの石原慎太郎東京都知事のように、「戦後の清算」や「戦後民主主義の見 直し」を前面に打ち出す存在に対しては、すさまじい敵意を剥き出しにしてバッシングを続けています。
  石原バッシング、反石原キャンペーンは、朝日新聞の期待した効果はみられず、逆に石原都知事の支持率を上げ る結果になりました。これも朝日離れの傾向の表れと思われます。
  2001年(平成13)年4月26日、小泉純一郎内閣組閣の際のことでした。
  新閣僚の記者会見に際して、朝日新聞は判でおしたように「靖国神社に公式参拝しますか」と質問し、それは経済 閣僚にまでおよびました。他のメディアがもっと大切な質問を用意していたにもかかわらず、朝日新聞の愚にもつか ない質問に時間を取られ、この一件は他のメディアの顰蹙を買いました。毎日新聞編集委員の牧太郎氏は毎日新 聞に連載しているコラムで「こんな朝日は要らない」と手厳しく批判しました。
  こうしてさまざまな破綻を呈している朝日新聞を丹念に解剖し分析することは、単に報道機関としてのあり方だけで なく、これまでの日本の歩みを解明することにもなるのではないでしょうか。だからこそ、いま朝日新聞を客観的に  検証する必要があろうと思われます。

5. ◎世界を映すカガミとメディアの使命ーーー古森
  
  いま「朝日新聞を吟味し、研究し、批判する、あるいは礼賛する」という作業がなぜ意味があるのでしょうか。
  朝日新聞社という存在は、経済的な視点、社会制度的な視点からみれば一私企業にすぎません。
  だから「一私企業が出している新聞という製品は、あくまで私企業の商品にすぎない。一私企業の商品について、 あれこれと目くじら立てるのはおかしいじゃないか」というシニカルな見方も成り立ちます。
  しかし、別な見方からすれば、いまこの時点で朝日新聞をじっくりと吟味することの意味もまた、より公的な次元で 十分にあるのです。
  その根拠は、少なくとも3つあります。
  第1には朝日新聞に限らず、大新聞は日本国民の多数にとって、日本や世界を映すカガミとしての公の役割を果 たしていることです。
  そのカガミの役割とは、新聞が日本の国のあり方、世界の現状、さらには世界がこうあるべきだという論調などを  照らし出す指針になっている、ということです。
  そうした新聞のなかで、好むと好まざるとにかかわらず、朝日新聞はとりわけ大きな役割を演じてきたということで す。
  朝日新聞はただの一報道機関とか一企業という次元にとどまらず、日本の国のあり方、世界を映し出すカガミとし ての機能を果たしてきたのです。
  第2の根拠はいわゆる政治勢力としての朝日新聞という位置づけです。
  朝日は、なんともいえない独特の臭気を持つイデオロギーのような政治的空気を放ちながら、機能しています。時 として支離滅裂になることもありますが、なんとなく方向としては一つの方向に進んでいます。
  英語でいえば政治的な「advocacy(主張・鼓舞)」の役割を発揮しています。そうした政治勢力としての朝日のあ り方、存在の意味は、研究する価値が十分あると思います。
  これは後でも指摘しますが、日本国内では、たとえば加藤周一氏や、小田実氏、大江健三郎氏という一見政治と は距離をおくようにみえて、じつは非常に政治的な人たちを集めてきて、その種の人たちに主張や発言の場をどん どん与えています。最近ではタリバン援護の作家の辺見庸氏をたびたび、登場させたり、いまや不正が明白となっ  たピースボート出身の社民党・辻本清美氏に再三再四、政治宣伝の機会を与えています。
  もちろん朝日新聞みずからが社説やキャンペーンで政治主張を表明することも始終あります。しかしときには自分 で主張せず、社外のその種の発言者たちに本当なら自分で述べたいイデオロギー的主張をいろいろアクセサリーを つけて、発表させるわけです。
  しかし朝日新聞の政治的主張あるいは政治的誘導については、私はかねがね思うところがあります。それはまあ 、多少の皮肉をこめてですが、朝日新聞はひょっとすると、日本の国宝に相当するのではないか、という思いなので す。
  なぜならば、わが日本国は戦後の長い時代に国としての重要な政治的決断を迫られた節目節目で、朝日新聞の 政治主張と正反対の選択をしたことで、すべてうまくいき、立派に平和と繁栄とを果たしてきた、からです。
  日本国民のわれわれは講和条約とか安保条約とか、重大な選択に直面した際、まず朝日新聞の主張をみて、と  にかくその主張とは反対の道を選べば、だいたい日本はうまくいくという事実が立証されてきました。
  だから価値のある反面教師という意味で、朝日新聞は国宝級の存在なのです。アメリカでもそいうメディアや学者 が存在します。
  第3の朝日新聞研究の意味の根拠は、現代社会での大新聞のマスコミとしての役割や重要性という側面です。
  現代の大衆社会、民主主義社会ではマスメディアが果たす役割については、こうあるべきだ、こうであってはなら ない、という議論がつねになされています。そういうジャーナリズムの規範、マスメディアの指針の背景には、民主  主義社会に固有の言論の自由、あるいは言論や表現の多様性があります。さらには複数の政党が競合する政治  に基づく「自由民主主義の価値観」があります。
  そうした文脈のなかで、朝日新聞を含めてマスメディアはどうあるべきか、またこれまでどうあったのか。こうした
 ジャーナリズムの見地からの意味づけです。
  以上のような3つの根拠、3つの理由が考えられます。
  ちなみにアメリカでは、日本の新聞の認知度は、いまだに低い状態です。
  日本の5大紙の名を断片的に知っている人もいますが、だからといってみなが知っているわけではありません。
  朝日新聞は、そうした条件下ではもっともよく名を知られているかもしれません。ただし日本をよく知っている人、
 日米関係を研究している人は、朝日のこれまでの論調はなんとなく反米志向であり、どうも緊密な日米関係の堅持 というスタンスとは違うという認識を持っていることもたしかです。
  しかしごく最近の現象としてアメリカでの日本研究者の世界では、中道穏健のライシャワー派が後退して、『敗北を 抱きしめて』でピューリツァー賞を受賞したジュン・ダワー氏(マサチューセッツ工科大学教授)とかジェリー・カーティ ス氏(コロンビア大学教授)という左翼、リベラル志向の人たちが主舞台に出てきました。
  昭和天皇の批判的な研究書で同じような賞を受けたハーバード・ビックス氏(ニューヨーク州立大学教授)もアメリ カでの基準ならば、強烈な左翼です。かってベトナム反戦で猛烈な政治運動をしたような左翼陣営の人がアメリカ  の日本研究でも力を持ってきています。そういう層には、朝日新聞は受けがいいといえます。

6. ◎「鏡」と「鑑」を意識的に混同ーーー井沢

  古森さんが使われた「カガミ」という言葉は、非常に象徴的な言葉だと思います。
  日本人が古来、文化的に使ってきた「かがみ」という言葉には2つ意味があります。
  1つはいわゆるミラーの「鏡」です。ものを映し出す。これは客観的にどういう状況をしているかを知らせるということ です。
  もう1つはお手本の「鑑」。「あの人は記者の鑑だ」という言い方をしますが、「かがみ」という大和言葉はこうした2 つの意味を持っています。
  ただ私は、マスコミはまず第一義的には「鑑」であるべきだと考えます。つまり、極力、予断や偏見などの私的なも のを排除するという姿勢です。
  人間のすることですし、新聞も商品ですから、百パーセント客観性を持たせるのは無理ですが、それでも情報に関 しては、鏡に映すがごとくその実態を曲げずに知らせて、あとは国民の判断にゆだねる。いわば国民に判断の材料 を提供する、というのが民主主義社会におけるマスコミの責務であると考えられます。
  ところが、どうも朝日新聞は「鑑」に行きたがる傾向がみうけられます。鏡と鑑を、無意識のうちに混同しているとい うよりは、あえて意識的に混同しているような節があります。
  私は、もとはテレビの記者でしたが、小説家というフィクションを扱う職業に転向し、いまは歴史ノンフィクションや
 マスコミ評論を発表しています。そうした経緯もあって、ノンフィクションとフィクションの両方の面白さを体験すること ができました。
  そうした私の立場からすれば、朝日新聞への関心は、マスコミ機関であるのになぜ「自分の理想とする方向」に、 人を「善導」したがるのか、ということです。理想を持つことは結構ですが、なぜその方向に人を誘導しようとするの  か、それがまず1つです。
  もう1つは、朝日新聞を研究するということは、実は日本文化を研究することだということです。たしかにいま、朝日 新聞はオピニオンリーダーの位置から滑り落ちつつありますが、私の主観的判断からいえば、日本人のいやな面を 代表しているような部分があります。そこのところを逆に克服することによって、日本はより良い国になれるのでは  ないかという意識もあります。
  朝日新聞はいまだに8百万人の読者がいる、いやいるかどうかはわかりませんが、公称8百万部は売れていると いうことですから、それは無視できない大きな力です。これを正確に、鏡のように映して捉えるという作業は絶対に 必要なことだと考えます。

7.以上が、序章の記事の全文である。筆者の読後感では、この本のエッセンスが、この章に凝縮されていると思えた ので、まえがきやあとがきを省略した。ただし、古森氏の指摘にあるような、朝日新聞を「反面教師」として扱えるの は、ごく一部の知識人だと思える。この点では、稲垣氏のように、細部にわたり、過去の記事の誤りを執拗に追及し て、少しでも多くの日本人に、「朝日新聞の呪縛」から解き放って、「普通の国の国民」に目覚めさせるのが、我々の 責務だと考える。

8.筆者の希望としては、読売のような娯楽性の高い新聞が第1位は、仕方がないと思えるが、せめて第2位が「産経 新聞」で、3位、4位は、日経、毎日として、第5位が「朝日新聞」であれば、納得がいくであろう。しかし、新聞の購読 については、各社とも「独占禁止法の適用外」という主張をしているが、これは、日本独自の朝刊・夕刊のセットで
 戸別配達という制度は、もう賞味期限を過ぎているであろう。その証拠に現在の大学生は、ほとんど新聞を取らな  い、と言うことを、息子が住んでいる神奈川県と東京都の境目の新聞店から聞いた。これは、文章を読まないという マイナス面と携帯やパソコンをはじめとする、メディアの多様化というプラス面を含んでいるので、簡単には結論付け できないが。

9.ただ、いえることは、いくら便利になっても、最終的に自分で物事の判断を下す時には、「受身の情報だけ  を、習慣として取得している者」と「自分で意識して読まなければ、理解しできないものを、読むように努力し ている者」とでは、雲泥の差があり、この集合体である国家の存亡を考えれば、「ローマ人の物語」を読まな くても自明のことであろう。

10.この点では、「学問には、王道はなし」という古来からの格言は、「モバイル革命」と呼ばれる、多次元
 メディアの中で情報に振り回されている、現代人こそがかみしめて、反省すべき言葉であろう。


以上

朝日新聞の言論テローーー何がなんでも安倍総理を阻止したい!

平成18年6月30日

1.朝日新聞の論調については、従来から「偏向」しており、「媚中派の代表メディアである」ことは、多くの識者が指摘 している通りである。月刊誌WILL6月号に以下の記事が載ったので、著作権違反を承知の上で、紹介したい。

2.投稿者:山際澄夫
 略歴:産経新聞で首相官邸キャップ、外務省キャップ、ニューヨーク支局長などを経て退社。現在ジャーナリスト。
 記事の題名:何がなんでも安倍総理を阻止したい朝日新聞の言論テロ
 なお、以下の部分は、前半の一部を省略している。

3.強引に靖国参拝を争点化
   厳命(日中友好七団体に対して、胡錦涛主席が発言した内容を指す。)を受けて早速、野田氏は靖国参拝をす  る可能性のある人物は次の首相の資格はないと日本国民に訴えたわけである。
   なんとまあ中国に忠実なことかと驚かされるが、こうした言動が中国による媚中政権樹立の対日工作に手を貸  すことになることに気付いていなのであろうか。
   それにしても、これまた胡錦涛発言に疑問をさしはさむことなく、「ポスト小泉は<アジア外交>が鍵となるが(靖 国参拝は)総裁選の争点にならざるをえないか」と誘導したキャスターの筑紫氏の狡猾さに舌をまく。
   中国の対日政策が日本人の協力者によって、気がつかないうちに日本人の意識の奥底に対して行なわれてい る好例だろう。
   そしてここで筑紫氏がやっていること、つまり、さも中立的な立場を装いながら中国の媚中政権擁立という対日  工作に加担することを組織的、継続的に行なってきたメディアがある。いうまでもなく筑紫氏の出身母体で、中国か ら「広範な大衆を代表する進歩的メディア」(中国外務省傘下の半月刊誌<世界知識>)とお墨付きを得る朝日新  聞である。
   朝日新聞はこれまで、日中関係の悪化をすべて小泉首相の靖国参拝のせいにして参拝中止を求めてきた。
   ところが今年早々に、「小泉総理にはもう期待していない」(唐家せん国務委員)という中国の方針に合うように  他紙に先駆けてポスト小泉の自民党総裁選報道を開始、そこで強引に行なったのが筑紫氏も触れた「靖国参拝」、 「アジア外交」の争点化の試みである。
   1月13日には2面の社説でこう述べている。
   「<ポスト小泉>を決める総裁選のレースで、靖国神社の参拝問題をめぐる駆け引きが活発になってきた。小泉 首相や安倍官房長官が<争点にすべきではない>と主張すれば、<アジア外交の修復>を掲げる山崎拓前副総 裁らベテラン議員の一部は争点になるとの考えを繰り返す。内政面では<小泉改革>に異論を唱えにくい状況の  なか、アジア外交の路線選択につながる対立の構図が浮き上がりつつある」(<時々刻々>)
   この時点では総裁候補と呼ばれる4氏で靖国参拝が争点になり得るかのような発言をした者はいないが、朝日 新聞はこのような早い段階から争点化に躍起だったわけだ。
   そして靖国参拝の争点化に抵抗する小泉首相を、「そもそも01年の総裁選で小泉首相は靖国参拝を公約し、遺 族会にも伝えた」と非難し、さらに安倍氏については社説でこう延べている。
   「(靖国参拝は)現実に争点になってしまっているのは明らかだ。中国や韓国との政治的なパイプは詰まり、苦労 して作った日中韓の三カ国首脳会議まで流れてしまった。東アジア共同体構想をはじめ日本のアジア外交が行き詰 まり、欧米からも懸念の目を向けられている。(略)
   安倍氏は自分が首相になっても参拝するというなら、それでもアジア外交はこうするという展望を語る責任があ  る。もともと参拝支持派の安倍氏はこの問題を避けたいように見える。最近は、先の戦争やA級戦犯をどうするかに ついて<政治家は言わないほうがいい。歴史家に任せるのが賢明だ>とのべている。
   だが、昨年8月の小泉首相談話にあるように、植民地支配と侵略の歴史を認め、被害にあった国の人々に謝罪 するというのは政府の基本方針である。この認識まで語れないというなら、首相候補の資質が問われる」
   中国が靖国参拝を理由に首脳会談を拒否するという暴挙に出ているいまの状況で、靖国参拝を総裁選の争点  にするのは好ましくないというのは政治家のたしなみであろう。
   それこそ中国の介入を招くだろうが、教科書や慰安婦など歴史問題で中国や韓国の内政干渉を進んで呼び込  んでは日本を断罪してきた朝日新聞にとっては、媚中政権に誘導するためのレバレッジ、つまり梃子としてどうして  も争点化が必要であるということであろう。

4.捏造、印象操作で国民を欺く
   それと気付かないように日本人を自らの政治目的のために誘導する。そのために朝日新聞は事実をねじ曲げた り、巧みな印象操作を行なったりするのは朝飯前である。
    例えば、アヒア大洋州にはASEANもインドも豪州も台湾もあるのに、中国、韓国が批判しているだけでアジア外 交全体が行き詰っていると断じ、その打開策として、中国や韓国のいいなりになることだけが「アジア外交」であるか のようにいうのが朝日クオリティである。
   胡錦涛氏の重要講和の直前に一面に大きく掲載された、自民総裁選について自民党の都道府県連幹部に質  問した記事も、事実をねじ曲げた印象操作にあふれていた。
   記事のリードにはこうあった。
   「9月の自民党総裁選は安倍官房長官を軸に展開する構図となってきた。同党都道府県連幹部を一部取材した ところ、安倍氏への支持が多数を占め、世論調査同様、党内にも期待感が広がっていることが浮き彫りになった。
   一方、幹部の約半数がアジア外交を総裁選の争点に挙げた。対中関係悪化への懸念も広がっており、アジア外 交を重視する福田康夫元官房長官の動向がカギを握る。小泉首相は27日の記者会見で靖国参拝批判に改めて  反論したが、後継レースでは安倍氏もアジア外交でどんな姿勢を打ち出すかを問われそうだ。
   この記事につけられた見出しのうち一番大きく目立つのは「地方もアジア重視」という横見出しである。
   一見、何の変哲もない記事で、このリードと見出しをみれば、読者は当然、自民党の地方組織の幹部は、中国、 韓国の靖国参拝批判を心配していて、今後「参拝は自然」とする立場を強調していた安倍官房長官も靖国参拝を自 重するなどの対応を迫られることになるとの印象を受ける。
   ところが、記事本文や調査結果をよく読むと、実際の都道府県連幹部の回答は見出しやリードと明らかに違って いる。例えば「最も重要な争点」として「アジアなどとの外交」を上げたのは47都道府県幹部のうち3県にしか過ぎな い。「中韓との関係修復」が1県、「外交」が2県だけだった。
   残りはほとんど「小泉構造改革の継続」「小さな政府推進」「地方分権の推進」など言葉は様々だが、要するに改 革路線の継続を訴えている。
   つまり都道府県幹部が自民党総裁選で「もっとも重要な争点」と考えているのは、見出しにあるような「アジア重 視」などではなく、「小泉改革路線の継続」なのだ。
   記事の別の部分では「<党総裁選で@もっとも重要な争点Aその次に重要な争点ーーー>とそれぞれ聞いた  結果、@だけだと<小泉構造改革><地方振興・分権>が多いが、@Aを含めると<アジアなどとの外交>が最  多となる」というのだが、無理な印象操作といえないだろうか。
   しかも、「アジアなどとの外交」と答えた幹部で小泉参拝を正面から批判した者はなく、その中味も、「関係改善に 期待する声と強硬論の2グループに二分される」のだという。
   これでどうして安倍氏に靖国参拝をするなといわんばかりのリードが出てくるのだろうか。
   また、都道府県連幹部が答えた次期総裁にふさわしい候補は、安倍氏が13人、福田氏6人、麻生氏が5人ーー ーの順だった。しかし、見出しは「安倍氏が軸、追う福田氏」とあるだけ。麻生氏は見出しからもリードからも完全に  スルーされていた。
   翌日には調査の続きが政治面に掲載された。
   これは都道府県連幹部に総裁の資質として「若さ」を重視するか「経験」を重視するか、また「国民的人気」と「党 内の支持」のどちらを重視するかを選ばせたというのだが、この記事につけられた大きなイラストも安倍氏の似顔絵 は実際の調査結果とは違って、「若さ」、「国民的人気」の側に大きく隔たって位置づけられていて、いかにも安倍氏 は若くて人気先行というように印象づけられていた。
   加えてこの記事の見出しは「強権か融和か」。その意図するところは、「強権」=安倍氏、福田氏=「融和」であ  ろうか。

5.保守本流への言論テロ攻撃
   月刊のミニコミ誌<ざっくばらん>を発行する編集者の奈須田敬氏は、安倍官房長官と麻生太郎外相を 、岸信介、吉田茂両元首相の流れを汲む「保守正流」と呼んでいる。
   吉田、岸こそが昭和天皇とともに戦後の復興にあたって重大な役割を果たしたという観点から、55年体 制下でしきりに使われた保守本流という言葉とは区別して使っているのである。
   靖国参拝にすら中国の顔色をうかがい、北朝鮮による拉致被害者を取り返すこともできない日本の現状を憂え ている国民の、安倍、麻生両氏に対する大きな期待も、そこにあるわけである。
   ところが中国の代弁者と化している朝日新聞は、まさにそれゆえにこそ保守正流に対して執拗な攻撃を行なうの である。
   こういえば読者はすぐに昨年1月に朝日新聞が安倍氏と当時の中川昭一農水大臣が「NHKの番組に介入」し  たという言論テロとも呼ぶべきでっちあげ報道を思い浮かべられるだろうが、あの事件も起こるべくして起こったの  である。
   昨年11月の小泉内閣の改造では、外相に麻生氏、官房長官に安倍氏が就任したことをとりあげて、社説でこう 述べている。
   <靖国問題で譲る気はない。関係修復はそのことを前提に考えましょうーーー。今回の布陣から中韓などが首  相の意図をそう読み取ったとしても無理はない。国内では改革の旗をふり、アジア外交の停滞には目をつぶり続け る。この小泉路線があと1年続く。その痛手の深さが心配である>(11月1日)
   それでも足りないと思ったか、ポスト小泉で圧倒的な国民的な人気を誇る安倍氏に対してはさらに追い討ちをか けた。
   <安倍人気がここまで盛り上がったのはなぜなのか。51歳という若さ。首相の座を目前に病に倒れた悲運の政 治家、安倍晋太郎氏を父に、岸元首相を祖父に持つ毛並みのよさもあるだろう。
   だが、世間が注目するようになった大きな理由に、その「毅然とした」発言ぶりがあることは間違いない。代表例 は北朝鮮に対する強硬姿勢だ。経済制裁の必要性を訴えて対話を重視する官邸や外務省と対立した。(略)首相  の靖国参拝の急先鋒に立ってきた。A級戦犯を裁いた東京裁判批判でも知られる。(略)保守的な価値を主張する のはいいとしても、次代のリーダーとして危うさを指摘する声は自民党内でも少なくない>(11月3日)
   「毅然とした」をわざわざ括弧でくくったり「靖国参拝の急先鋒」としたり、どうあっても安倍氏を危険な政治家と印 象づけたいということだろう。ほかの記事でも安倍氏の枕詞には意地悪く「タカ派」「強硬派」というレッテルを貼るこ とが多い。
   麻生氏も社説で繰り返し槍玉に挙げられている。
   麻生氏が昭和50年を最後に中断している天皇のご親拝について言及すると、<深刻な外交問題になっている のは首相の参拝であり、その収拾策こそが外相に求められている。(略)問題をさらに広げるかのような発言は不  見識のそしりを免れない>(1月31日)
   さらに日本の台湾統治では教育に力が注がれたとの趣旨の話をすると<日本の植民地支配の負の部分は素  通りして、プラスの側面ばかりを強調する。これでは植民地支配を正当化しようとする勢力の主張と重なり合ってみ られても仕方がない>(2月11日)とかみついた。
   台湾統治については、ただちに中国メディアが引用して日本を批判するおまけがついたが、歴史を直視しろと
 いいながら事実を指摘しただけで言論封じに回る。これが自由な国のメディアといえるのだろうか。
   そこまでいうのは保守正流をどうしても小泉後継にしたくはないということだろう。
   そして福田氏に対しては<「アジア通」福田氏動く 日韓改善に意欲総裁選絡み注目>(3月18日)また、かっ  て、自分の選挙区に江沢民の銅像まで建てたいといった二階経産相が訪中して温家宝首相と会談すると<小泉後 へスタート 日中始動双方改善へシグナル>(2月23日)と対照的に明るく報じるのである。
   朝日新聞は世論調査でも福田氏の数字が高いという結果がでている。例えば3月21日に掲載された調査では 、安倍氏が47%であるのに対して福田氏は20%となっている。ちなみに▽共同通信は安倍氏54%、福田氏10%
 =3月12日▽読売新聞は安倍氏43%、福田氏10%=2月14日▽産経新聞は安倍氏47%、福田氏18.3%= 4月11日ーーーである。福田氏が社民、共産、民主などの支持層に支持を増やしているのは事実なのだろうが、不 思議なことだ。

6.ポスト佐藤でも内政干渉
   中国が日本の首相選びに介入するといってもピンとこない人もいるかもしれない。だが、中国が日本の首相選び に介入するのは今回が初めてではない。いまから34年前の日中国交樹立(1972年=昭和47年)の際に現実に  起こっていたことなのである。
   当時、日本は佐藤政権が末期を迎え、佐藤は後継者に、自派の田中角栄ではなく、親台湾の福田赳夫を考え  ていた。このため、当初は福田優位で推移したが、結果は田中の大逆転だった。
   田中自らは中国との国交正常化についてそれほど熱意はなかったといわれたが、国交正常化に熱心だった大  平派、三木派を抱きこんで勝利したのである。
   このとき中国は功名心や現実的な利益、また使命感を抱いて続々と訪中する「友好人士」に対して、佐藤亜流  政権では国交樹立が遅れることと、台湾を切れということを耳にたこが出来るほどいい、当時の日本はひとつずつこ れに従ったのである。
   <周恩来の決断ーーー日中国交正常化はこうして実現した>(日本放送協会)という本がある。1992年の日中 国交樹立20年にあたってNHK取材班がまとめたもので、そこには周恩来がいかに日本との国交樹立を熱望してい たか。また、周恩来が「友好人士」に対して示した最大の関心が日本の後継首相が誰になるかであったことが「友  好人士」の証言として記されている。
   それによると周恩来は当初は、訪中団に「福田さんなら正常化が少し遅れるかもしれない」といったこともあった が、1972年の5月の公明党の代表団に対して自信たっぷりにこう語った。
   「皆さんは、次の総理は田中角栄さんだとおっしゃっているようですが、間違いありませんか。私たちも、次の総  理は田中さんだと思っております。もしそうであるならば、田中さんに伝えてください。<もし総理になられてご自身  で中国へお見えになるならば、北京の空港はいつでも開けてお待ちしております。そして、私がホストで田中さんを お迎えいたします。田中さんには恥はかかせません。>」
   訪中団の一人、大久保直彦氏は帰国後直ちに田中にこのことを報告したと証言しているが、それから2カ月後、 田中は自民党総裁選での激しい戦いの末、福田を下して首相となり、9月には中国に乗り込んで日中共同声明を  発表し、共産中国との国交を樹立(正常化)したのである。
   「中国へ中国へ」と形容されるほどの熱狂のなかで誕生し、拙速とも思えるほどのスピードで国交樹立を行なっ  たのが田中内閣であった。そのどさくさのなかで、国民の意思に反して台湾は切り捨てられた。
   上海バレエ団が来日し、愛想を振りまいたのもこのころのことである。
   日本人にとって共産中国は大躍進政策に失敗し、文化大革命という武装闘争を繰り広げる不気味な国であった 。しかし、いつのまにか国交正常化それ自体が法と正義にかない、道徳的にも正しいという雰囲気が醸成されてし  まった。
   もちろん、いずれは共産中国との国交樹立は果たさざるを得なかったであろう。だが問題は国交樹立の時点で、 日本の首相の選出に中国の意思が反映されていたことである。日本の戦後の対中外交の歪んだ構図は間違いな くここに始まっている。
   そして日本人を狂わせたこの熱狂をつくり出すことに大きな役割を果たしたのが、共産党独裁国家である中国の 悲惨な現実を報じなかった当時の日本の新聞である。
   特にひどかったのが、社命で「真実」よりも日中友好を優先するよう打ち出して中国のお先棒を担いだ朝日新聞 だった。

7.真実よりも友好を優先
   日本の新聞が中国で、戦後ジャーナリズムの恥部といわれるほどの偏向報道を行なったのは、特派員を送るた めに中国の気にいらない報道はしないという条件をのんだことがきっかけだった。
   北京に日本の新聞、テレビ計9社が常駐を認められたのは1964年のことである。
   ところが2年後に文化大革命がはじまり、中国は翌年から日本のすべての記者を呼び出し、朝日新聞を除く各社 の記者を次々に追放していった。理由はいずれもささいなことで、たとえば、産経新聞に対する容疑は「毛沢東の似 顔絵を新聞に載せた」というものであった。
   そのときに中国が日本のメディアにつきつけたのが@中国敵視政策を行なわない。A二つの中国をつくる陰謀  に加わらないB日中国交正常化を妨げないーーーの「政治三原則」だった。
   産経を除く各社はこれを受け入れ、その後、1974年ごろまでの間に相次いで再入国を許されたが、そのことが 日本のメディアの中国報道の偏向につながったのである。
   文革では中国国内は大混乱に陥り、2,000万人が虐殺されたといわれている。しかし朝日新聞をはじめ日本の 新聞には「本当の共産主義が始まった」と礼賛するような知識人の見解や報道が踊った。北朝鮮を「地上の楽園」  と礼賛した報道が中国報道でもあったわけである。
   特に朝日新聞は各社の追放が始まったときに、当時の広岡知男社長が「わが社だけでも残ろう」と真実の報道 よりも日中友好を指示したといわれている。
   広岡氏は1970年に中国を訪問して、その訪問記を一面に掲載し、「彼ら(中国人)はいまの生活に満足し、これ から大建設に進むのだという気概に満ちているいるように思う」とまで書いている。
   その後、広岡氏の日中友好の精神に沿って朝日新聞に掲載されたのが、毛沢東の友人で共産主義者だったと いわれるエドガー・スノー氏の「中国をたずねて」の連載、さらには本多勝一氏による「百人斬り」など中国のいう日 本軍の残虐を無批判に垂れ流したウソ満載の、「中国の旅」シリーズなどである。
   1971年には、林彪が毛沢東暗殺に失敗してソ連に亡命する途中で航空機の墜落事故で死亡したいわゆる林 彪事件が起きたが、こtれにも日本のメディアは否定的であった。とりわけ朝日新聞は、外電が報じて2カ月も経て  から、「林彪失脚説を笑う」との秋岡家栄特派員の記事を掲載して笑いものになった。
   こういう風にして朝日新聞は日本人の目を欺き、日中友好ムードを煽った。そのことは国交樹立時点で日本の  首相選びへの中国の介入に間接的に加担していたといっても間違いではないだろう。
   そして日本の新聞というより中国共産党の機関紙といったほうがいい反日性は、いまも脈々と続いているのであ る。
   中国による媚中政権樹立工作である胡錦涛氏の重要講和についても、朝日新聞の社説は<これほど強く、靖  国参拝の断念を首脳会談再開の条件に掲げてしまうと日本では事態をかえって難しくする面がある>とは述べたも のの、<(胡主席は)日中関係を「最も重要な2国間関係」とも述べ、幅広い分野の協力を積極的に進めたいと語っ た。靖国問題を抱えても、日中関係全般を滞らせるつもりはない。交流は続ける。そんなトップの発言は、上層部の 政治方針に敏感な中国社会では意義がある。各階各層の人たちが安心して日本との交流を進められるからだ>( 4月2日)と日中友好重視の姿勢が示されたという内容だった。
   靖国神社に参拝して国のために死んだ者を慰霊する小泉首相や安倍氏や麻生氏に対する罵倒と比べて、なん という違いであろうか。
   かって韓国の盧泰愚大統領が<文藝春秋>誌上で「(慰安婦問題は)実際は日本の言論機関の方がこの問題 を提起し、我が国の国民の反日感情を炊きつけ、国民を憤激させてしまいました」と語ったように、歴史問題とされる ものはすべて朝日新聞の創作といえるものだ。このポスト小泉に対する中国の介入も、本質的には朝日新聞が誘 導したというべきかもしれない。
   朝日新聞よ、いったいいつまで国を売り続けるつもりなのか。

8.以上が、投稿記事の全文である。余りにも長文のため、要約しようと思ったが、かえって原文のニュアンスを壊して しまいかねないと判断したため、そのまま全文を掲載することとした。もちろん、これは、著作権法違反であることは 、承知している。

9.しかしながら、いつも思うことは、中国の狡猾さと朝日新聞の反日性である。この一心同体ともいえる主張は、なぜ 日本全体から、糾弾を浴びないのかという単純な疑問である。朝日が、販売部数800万部といっているが、実際は 、500万部を割っているはずである。

10.そして、筆者の結論は、日本人の500万世帯が、「平和と人権の朝日新聞」を今日も、読み続けており、その主張 に疑問を抱かず、日中友好を金科玉条を思っていることである。「問題は、日本人の心の中の自虐史観ではないのか」。これを解決するためには、「憲法9条の改正と教育基本法の改正が遠いようで、最も速い方法である」。

北一輝の、「国体論及び純正社会主義(緒言)」について

平成18年1月7日

1.北一輝とは
、右翼における「理論的支柱」といわれている。しかしながら、その実態につ いてはよく知られていない。本来は、朝日は左翼と言われているため、この項目で述べ ることは、おかしいのかもしれない。しかし、著書に「社会主義の言葉」があり、「朝日等 の左翼」に対して、「右翼の本物」について述べることも、両者を比較するうえで必要と  感じたからである。筆者も本人はもとより、その著作さえもほとんど知らない。知っている のは、2・26事件の「主犯」として、処刑されたことぐらいである。なお、蛇足ながら、左  翼について批判・反論するについては、理論武装が必要である。少なくともマルクス・エ ンゲルスの「共産党宣言」、マルクスの「賃労働と資本」、エンゲルスの「空想から科学  へ」ぐらいは読んでおいて欲しい。これらを読めば、いかに、現在の社民党、共産党、中 国共産党や社会主義国が本来の理論から、かけ離れているかが、判明する。笑い話に ある、「マルクスが苗字で、エンゲルスが名前であるという、同一人物説」などを、本気  で信じている人が、結構多いのが現実なのである。
 引用著書:「社会主義事始」ーーー「明治」における直訳と自生 
    著者:山泉 進氏

 なお、下線は筆者が引いたものである。

 本編は北一輝「国体論及び純正社会主義」の「緒言」の部分である。本書は、北一輝
23歳の処女作であったが、発行直後に発禁処分を受けた。
 初期社会主義者のなかには、後に国家革新運動、つまりは右翼運動に走る人たちがいる。大川周明もその一人であり、1919年北一輝と猶存社を結成した。


2.略歴
  本名北輝次。佐渡中学、早稲田大学(聴講生)に学ぶ。週刊「平民新聞」などで社会  主義への関心を抱く。「国体論及び純正社会主義」発禁後、幸徳秋水等を訪ねる。中国 革命同盟会に参加、1911年の辛亥革命後中国に渡るも13年に追放される。この頃国 家社会主義の思想を抱く。「支那革命党及び革命の支那」を執筆。19年上海に渡り、「 国家改造案原理大綱」を書く。この頃法華経信者となる。20年大川周明等の招きで帰 国、猶存社に参加、右翼運動に従事する。1936年2.26事件の「首魁」として処刑。

3.「国体論」刊行の序          北 ヤ吉

  兄(一輝)はこの書の出版に自信を持って、日本第一の書であり、自分の存在も鮮明 になるし、金も取り返しうると考えた。取次店は東京堂、有斐閣、同文館に頼み、自分で 広告文を書いた。曰く「東洋のルーソー、現代のマルクス、明治の頼山陽出でたり。
 一千頁の大冊人をして狂喜せしむ。」という、物すごいものである。民主主義はルソーの ごとく、社会主義はマルクスのごとく、名文は山陽のごとしというところであったと思う。し かし、兄はあるいは刑事事件が起こるかも知れぬが、見苦しいふうではいかぬと、紋付 羽織や袴を新調せしめた。社会主義で洒落者で気取り屋の点は、ラサールに似たとこ  ろがある。だが、ラサールが恋愛闘争の決闘で負けて死んだのと異なり、2.26事件の 断罪で刑死したのが、ラサールよりは好運である。

4.「国体論及び純正社会主義(緒言)」
 現代に最も待望せられつつあるものは精細なる分科的研究にあらず、材料の羅列事  実の豊富にあらず、まことにすべてにわたる統一的頭脳なり。もとより微小なる著者の かかることの任務に堪えうるものにあらざるは論なしといえども、僭越の努力は、すべて の社会的諸科学、すなわち経済学、倫理学、社会学、歴史学、法理学、政治学、および 生物学、哲学等の統一的智識の上に社会民主主義を樹立せんとしたることなり。

5.著者は古代中世の偏曲的社会主義と革命前後の偏曲的個人主義との相対立し来たれ る思想なることを認むといえども、それらの進化を請けて承けて今日に到達したる社会  民主主義が、国家主義の要求を無視するものにあらざるとともにまた自由主義の理想と 背馳すというがごとく考えられるべきものにあらずと信ず。ゆえに、本書は首尾を一貫し て国家の存在を否む今の社会党諸氏の盲動を排するとともに、彼らのごとく個人主義の 学者および学説を的に鉾を磨くがごとき惑乱をなさざりき。すなわち本書の力を用いたる ところはいわゆる講壇社会主義といい国家社会主義と称せらるる鵺的思想の駆逐なり 。第一編「社会主義の経済的正義」において個人主義の旧派経済学につきて語るとこ ろ少なくして金井、田島諸氏の打撃に多くを尽くしたるごとき、第二編「社会主義の倫理 的理想」において個人主義の刑法学を軽々に駁して樋口氏等の犯罪論を論破するに努 めたるごときこれなり、社会の部分を示す個人がその権威を認識さるるなくしては社会  民主主義なるものなし。ことに欧米のごとく個人主義の理論と革命とを経由さざる日本  のごときは、必ず、まず社会民主主義の前提として個人主義の充分なる発展を要す。

6.第三篇「生物進化論と社会哲学」は社会哲学を生物進化論の見地より考察したるもの なり。すなわち正確に名づくるならば「生物進化論の一節としての社会進化論」と云うべ し。しかしながら今日の生物進化論はダーウィン以後その局部的研究においては著しく 発達したるにかかわらず全体にわたりてなお混沌たり。すなわち「組織」と「結論」となし 。ゆえに本書はその主たるところが社会哲学の攻究にあるにかかわらず、単に生物進 化の事実の発見として継承せられつつあるものに整然たる組織を建ててすべての社会 的諸科学の基礎となし、さらに目的論の哲学系統と結びつけて推論を人類の今後に及 ぼしもって思弁的ながらも生物進化論の結論を綴りたるものの始めなる点において、著 者は無限の歓喜を有することを隠蔽するあたわず。もとより人類今後の進化につきては 今日の科学は充分なる推論の材料を与えずかつかかるものの当然として著者その人  の傾向に支配さるるところの多かるべきは論なしといえども、これ慎重なる欧米思想家 の未だ試むるに至らざるところ、後進国学者の事業として最も大胆なる冒険なり。しかし て著者は社会民主主義の実現がすなわちその理想郷に進むべき第一歩たるべき宗教 的信念としてこれを社会民主主義の宗教と名づけ、社会主義とキリスト教との調和衝突 を論争しつつある欧米社会主義者とまったく異なれる別天地の戸を叩きたり。由来キリ スト教の欧米において思想界の上に専権を振るうこと今なおローマ法王のごとくなるは あたかも日本において国体論というものの存するがごとし。日本の社会主義者にとりて は「社会主義は国体に抵触するや否や」の問題にてすでに重荷なり。さらに「社会主義 はキリスト教と抵触するや否や」という欧米の国体論を直訳によりて輸入しつついある  社会主義者のある者のごときは解すべからざるもはななだし。しかしながら本論はもと  より宗教論にもあらずまた生物進化論そのものの説述が主題にあらざるは論なく、人類 社会という一生物種族の進化的説明なり。著者は、憐れむべきベンジャミン・キッドの「 社会進化論」(著者註:イギリスの社会学者。特に進歩は生存競争によっているとして  社会主義を論駁した。)が人類社会を進化論によりて説明せるダーウィン以後の大著な りとして驚嘆させたるごとき今日、この編を成したるにつきていささかの自負を有す。

7.第4編「いわゆる国体論の復古的革命主義」はすなわち日本のキリスト教につきて高等 批評を加えたるものなり。すなわち、社会主義は国体に抵触するや否やの論争にあら  ずして我が日本の国家そのものの科学的攻究なり。欧米の国体論がダーウィンおよび その後継者の生物進化論によりて長い努力の後に智識分子により掃蕩せられたるごと く、日本のキリスト教もまた冷静なる科学的研究者の社会進化論によりて速やかにそ  の呼吸を断たざるべからず。この編は著者の最も心血を傾注したるところなり。著者は  今のすべての君主主権論者と国家主権論者との法理学をことごとく斥け、現今の国体と 政体とを国家学および憲法の解釈によりて明らかにしさらに歴史学の上より進化的に説 明を与えたり。著者はひそかに信ず、もし本書にして史上一片の空名に終わるなきを得 るとせば、そはすなわち古今すべての歴史家の挙りて不動不易の定論とせるところを  全然逆倒し、書中みずから天動説に対する地動説といえるごとく歴史解釈の上における 一個の革命たることにありと。この編は独立の憲法論として存在するとともに、さらに始 めて書かれたる歴史哲学の日本史として社会主義と係わりなく見られうべし。

8.第5編「社会主義の啓蒙運動」は善悪の批判のまったく進化的過程のものなることを論 じ第2編「社会主義の倫理的理想」において説きたる階級的良心の説明と相俟って階  級闘争の心的説明をなしたり。しかしてさらに国家競争に論及し帝国主義がまた世界主 義の前提なることを論じたり。権威なき、個人の礎石をもって築かれたる社会は奴隷の 集合にして社会民主主義にあらざるごとく、社会主義の世界連邦論は連合すべき国家 の倫理的独立を単位としてのことなり。百川の海に注ぐがごとく社会民主主義はすべて の進化を継承して始めて可能なり。
個人主義の進化を承けずして社会主義なく、帝国  主義の進化を承けずして世界主義なく、私有財産制度の進化を承けずして共産社会な し。ゆえに社会民主主義は今の世のそれらを敵とせずしてすべてを包含しすべての進  化の到達点の上に建てられる。かの、社会主義の理想は可なりといえどもはたして実  行せられうるやというがごとき疑惑は、今日の社会民主主義をもって人為的考案のもの と解して歴史的進行の必然なる到達と考えざるがゆえなり。本書が終始を通じて社会主 義を歴史的進行に伴いて説きまた多く日本歴史の上にその理論と事実とを求めて論じ 、ことにこの編において儒教の理想的国家論を解説したるがごときこのゆえなりとす。

9.すべての社会的諸科学は社会的現象の限られたる方面の分科的研究なるをもって、  単に経済学もしくは倫理学のごとき局部のものをもって社会主義の論述に足れリとすべ からず。ことに本書は煩瑣なる多くの章節項目のごとき規矩を設けず、議論の貫徹と説 明の詳細を主として放縦に筆を奔らしたるがゆえに一つの問題につきても全部を通読し たる後ならずしては完き判定を下しえざるもの多し。もとより一千頁にわたる大冊を捧げ てかかる要求をあえてする著者の罪は深く謝するところといえども、全世界のまえに提 出せられたる大問題の攻究として多少の労力は避けざるべきなり。

10.著者は弁護を天職とするいわゆる学者等にあらず、また万事を否認することをもって任 務とする革命家というものにあらず。ただ、学理の導きに従いて維持すべきは維持すべ きを説き棄却すべきは棄却すべきを論ずるにとどまる。学者の論議は法律の禁止以外 に自由なり。ゆえに、著者は本書の議論が政府の利益に用いられて社会党の迫害に  口実を提供するに至るとも、もしくはまた社会党それ自身の不利と悪感とを挑発するに  至るとも少しも係わりなし。例えば、万国社会党大会の決議に反して日露戦争を是認せ るごとき、全日本国民の輿論に抗して国体論を否認せるごときその例なり。政府の権力 といえども一派の学説を強制するあたわず。社会党の大勢力といえども多数決を挿んで 思想の自由を軽視するあたわず。一学究の著者にとりては政府の権力といい社会党の 勢力といい学理攻究の材料たる以外に用なし。

11.ゆえに、著者の社会主義はもとより「マークスの社会主義」というものにあらず、またそ の民主主義はもとより「ルーソーの民主主義」と称するものにあらず、著者は当然に著  者自身の社会民主主義を有す。著者は個人としては彼らより平凡なるは論なしといえど も、社会の進化として見るときにおいては彼らよりも五十歳百歳を長たる白髪禿頭の祖 父曽祖父なり。

12.新しき主張を建つるには当然の路とさひて旧思想に対して排除的態度を執らざるべか らず。破邪は顕正に先つ。ゆえに本書はもっぱら打撃的折伏口吻をもって今のいわゆる 学者階級に対する征服をもって目的とする。

13.著者は絶大なる強力の圧迫のもとに苦悶しつつある日本現時の社会党に向かって最 も多くの同情を傾倒しつつあるものなり。しかしながらその故をもって彼らの議論に敬意 を有するや否やはおのずから別問題なり。彼らの多くは単に感情と独断とによりて行動 し、その言うところも純然たる直訳のものにして特に根本思想は仏国革命時代の個人  主義なり。すなわち彼らは社会主義者と云わんよりも社会問題を喚起したる先鋒として 充分に効果を認識せらるべし。著者は社会民主主義の忠僕たらんがために同情と背馳 するの議論を余儀なくされたるを遺憾とす。

14.本書征服の目的なりという学者階級に至りてはただもって可憐なりと云うのほかなし。 率直の美徳を極度に発揮して告白すれば、あまりに鶏をい割くがごとくにしていたずらに 議論の筆を汚辱するにすぎざるの感ありといえども、それぞれの学説の代表者として大 学の講壇に拠り智識階級に勢力を有すということのみの理由によりて指定したるもの多 し。言責はもとより負う。しかしながら今の日本の大学教授より一言の弁解だも来るがご とき余地を残しおくことあらばこれ著者が義務の怠慢にして弁解そのことが本書の不面 目なり。ゆえに著者はある学者ーーー例えば丘氏のごときーーーに対してはもとより充 分なる尊敬をもってしたりといえども、大体においてーーー特に穂積氏のごときに対して はーーーはなはだしき侮弄を極めたる虐殺を敢行したり。かくのごときは学術の戦場に ジュネーブ条約なしというがためにあらずして、今の学者等が長き間勝ち誇れる驕傲と  隠忍卑劣とが招きたる復讐とす。

15.文章は平易の説明を旨としたり。しかしながら寛恕を請わざるべからざるは、開放せら れたる大地に論議しつつある学者等の想像しえざるべき筆端の拘束なり。ために学者  階級との対抗に当たって土俵の七八分までを譲与し、時に力を極めて搏たんとしたる腕 もことに後えより臂を制せらるるを常とす。加うるに今の大学教授輩のある者のごときは 口に大学の神聖を唱えながら、権力者の椅子に縋り号泣して援護を求むるに至っては いかんともすべからざるなり。権力者にしてこの醜態を叱斥せざる間は決して思想の独 立なし。

16.社会民主主義を讒誣し、国体論の妄想を伝播しつつある日本の代表的学者なりとして 指名したるは左の諸氏なり。ゆえに本書は社会民主主義の論究以外、一つは日本現  代の思潮評論として見らるべし。
         (上記の下線に当たる、諸氏及び書物は筆者の判断で、省略した。)
 
                                      日露戦争の翌春

17.以上が原文の全てである。いくら著者が平易の説明といっても、筆者にとっては、まず 文体が漢文調であり、かつ形容詞句が多い「いわゆる美文体」であるため、数回読んで もなかなか、要点がわかりづらかった。それでもポイントは下線を引いて、理解の助けと した。

18.筆者としては「素朴な疑問である、右翼と左翼の違いがかえってわかりにくくなってし  まった」。そこで辞書で調べてみた。
    右翼:保守的・国粋的な思想傾向の団体や分子。
           (国粋主義:自国の国民的特殊性を最も優秀なものと信じて、それを
             維持発展させるように行動する主義)
    左翼:急進的・革命的の思想傾向の団体や分子。
  山泉氏の注にあるように、初期の社会主義者は後に右翼になっていったものがいると のこと。しかしながら、北一輝は「皇国史観」の持ち主ではなく、「天皇機関説」であると の説明が別書にあったので、単純な右翼ではないことがわかる。筆者なりに極論すれ  ば、右翼とは、「自国こそが唯一優秀な国であり、国のシステムは問題としていない、中 には天皇を頂点とする皇国史観を信じるものが多い」。と思われる。
  一方の左翼とは、「資本主義は資本家が労働者を搾取することで成り立つものであり 、限界までいくと社会主義になり共産主義が最終目的である」。
  いずれの主義者であってもその目的を達成するために、過激な行動をとることが多い 。例えば、右翼で言えば、「一人一殺主義」であり、左翼で言えば、「労働者による革命 」である。

19.長文になってしまったが、筆者の結論は「北一輝がなぜ2.26事件の首魁として銃殺 刑に処せられたのかが、勉強不足のため、よくわからない」のである。ただ、23歳にし  て1,000ページに及ぶ論文を書いていることには、驚くべきことである。

 歴史的に見ても、「右翼と左翼は相対的な部分がおおく、メディアにおいては厳密に区別されていない」ということであり、それは、中国・韓国が日本の現状を「右傾化」と呼んでいることからも明らかである。私見というより、多くの識者が現在の日本こそが「正常」であり、中国については、「左傾化というより危険な独裁による全体主義国」であり、韓国は「中国の子分であり、その尻馬に乗って政権基盤を強化しているに過ぎない」のが実態なのである。

追加コメント:(1月8日)  
  朝日新聞は、他の新聞同様、戦前・戦中を通じて、「日本の戦争観を鼓舞してきた」の である、これ自体は、大きな時代の趨勢では仕方がないとの認識をもっている。しかし、 戦後になって、「従来の報道観を訂正する、文章を全く載せてはいない」のである。また 、朝日の特徴である「反米思想から、ニューヨークに対するテロ攻撃を擁護する論調が  みられる。つまり、テロ攻撃を受ける方にもその理由があるからである」ということである 。この理論で言えば、朝日が「赤報隊という右翼テロによって、自社の阪神支局が攻撃 されたことを、執拗に追及しているが、前述の理論で言えば、朝日の方にもテロ攻撃を  うける理由があったことになる」。これを「自己矛盾」というのであり、実際に他のメディア は朝日新聞がテロ攻撃を受けたことについて、ほとんどフォローしていない。結論として 言いたいのは、「朝日新聞は、完全に自己中心主義の塊である」と言うことである。


以上

朝日新聞の「ゆがみ」について                         ーーー小森氏の著書より引用

平成17年11月28日

1.小森義久氏の著書である、「国の壊れる音を聴け」の中で、「朝日新聞の ゆがみ」について、非常に的確な記事があったので、以下に部分引用させ てもらう 。

2.対象は2003年元旦の朝日新聞「社説」、「千と千尋」の精神でーーーー の初めに考えるである。ここでは内容は省略する。な お 、著者は、最初に朝日新聞の全体の印象について記述しているが、あえて 、その部分も省略して、具体的な論考を紹介する。(論考は便宜上、7点に区分されている)

3.省略が多いため、7点の区分を先に示しておく。
 @ 価値観のゆがみ
 A 日本という概念の否定
 B 原因と結果の倒錯
 C 日本のナショナリズム意識の否定
 D 「抑止の現実」の否定
 E 反対陣営の悪魔化(ディモナイゼーション)
 F 言葉の詐術と呼べるゆがみ

4.第1は、価値観のゆがみである。
朝日新聞の元旦社説はアメリカや日本の価値観とイラクや北朝鮮の価値観とを同列において論を進めている。この点は朝日が前者の価値観のなかにしか存在しえない事実をみれば、大きなゆがみである。
  社説は、冒頭から「不穏な年明けである」として、まず、「米国のイラク攻撃は間もなく現実になるかもしれない。北朝鮮は拉致問題が片付かないまま、核開発をめぐって再び自らの恐怖を振りまいている」と書く。
  米国のイラク攻撃こそ「不穏」だとし、本来なら日本にとって最大の不穏要 因である北朝鮮の核兵器開発には妙にもってまわった表現で言及するだ けだ。また、9・11テロの衝撃で「米国も変わってしまった」とし、ワシント ン・ポストの投書子がレロリストをテロリストと同じような方法で破滅させよと 主張するのを例にあげて、「衝撃と悲嘆と恐怖が重なり合って生んだ熱狂に 、この国は染まっていく」と書く。
  自国の中枢を破壊され、数千人の同胞を殺された直後の怒りに満ちた一 読者の投書をいまのアメリカ全体のあり方と決めつける手法のゆがみもさる ことながら、こうした筆致は比較できない異質の対象を同列におき、重複させて、本来の本題をぼかしてしまう結果となる。
  アメリカの「イラク攻撃」論や北朝鮮に対する強固な姿勢と、テロリスト集団アルカイダや、その首魁ビンラディンによる無差別殺戮、北朝鮮による日 本人拉致、イラクの大量破壊兵器開発などを同列において「不穏な」ものに してしまっている。その同列扱いは両者を支える価値観の相違を明らかに 無視している 。
  アメリカはいまいくら強硬な軍事対決姿勢をみせているとはいえ、本来は 個人の自由を基盤とする民主主義の法治国家である。市民社会でもある。 国家の首脳はは国民の自由な選挙によって選出され、国家の意思はそうし た選良の多数決で決まる。日本も政治システムとしてはそのカテゴリーに入ることはいうまでもない。
  一方、、アルカイダは排他的なイスラム過激主義のテロ集団であり、北朝 鮮はカルト的な個人崇拝の超独裁国家である。イラクもフセイン批判は抹 殺される侵略的な独裁国家でしかない。
  無差別の大量殺戮を存在理由とするテロ集団や、一人の人間の恣意で 国の統治がどうにでもなる異常国家の価値観と、アメリカや日本のような民 主国家の価値観とは、天と地ほどの差がある。

5.第2のゆがみは、日本という概念の否定である。
  この場合の「否定」は「忌避」といいかえてもよいだろう。この点の全体の構図は冒頭で提起したとおりである。
  社説のどこを読んでも、日本という国にとっての具体的な利害という視点がまったくみあたらない。日本の国益、とくに安全保障への配慮が示されていない 。
  たとえば、北朝鮮の核兵器開発の動きは日本の安全保障にとって最大  級の脅威であるのに、そのことへの懸念の表明がまったくない。日本の安 全保障への脅威に関する論評さえない。北朝鮮の核兵器についてはただ の一行、「核開発をめぐって再び自ら恐怖を振りまいている」という記述が  あるだけだが、日本の安全という視点からすれば、これほど無機質で冷淡 な姿勢は日本のマスコミとは思えないほどである。
  日本への脅威や危機には触れないまま、日本側でそうした脅威や危機  に対応する動きだけをあたかもそれが危険な動きであるかのように切り離 し、拡大して非難する。
  北朝鮮の脅威を日本の国益という立場から批判する現実主義マスコミの 一部記事の「ガタガt抜かすなら締め上げろ」というような見出しを取り出し て、その背景を無視して拡大する。隣国の核やミサイルの脅威への不安を 伝える報道を「感情をあおるばかりの報道」と断じる。
  そもそも北朝鮮が国際合意を踏みにじって核兵器を開発し、弾道ミサイ  ルを発射することと、その日本にとっての脅威を理由に北朝鮮を単に言論 で非難することと、どちらが危険だというのだろうか。
  朝日の元旦社説は北朝鮮による拉致についても、「同胞の悲劇に対して これほど豊かに同情を寄せることができるのに、虐げられる北朝鮮民衆へ の思いは乏しい。ひるがえって日本による植民地時代の蛮行を問う声は< 拉致問題と相殺するな>の一言で封じ込めようとする。日本もまた<敵に 似てきている>とすれば危険なことである」と書く。
  この前半の記述は拉致された「同胞の悲劇への同情」と、他国の独裁者 に弾圧される「北朝鮮民衆への思い」が同等でなければならないと主張するのに等しい。社説は北朝鮮への食糧援助への反対を批判しているのか もしれないが、援助反対論は援助が金正日独裁体制と軍事力の強化にしか寄与しない状況に反対の矛先を向けているのだ。
  その反対を批判する社説の立脚点はん日本側ではなく、北朝鮮側とはいえないまでも、両国の中間のどこか、日本海上にでもあるのかと疑いたくなる。要するに主張の拠って立つ基盤としての日本とか日本国民という概念がきわめて薄いのである。
  社説が叩く「拉致問題と相殺するな」という主張は過去の「植民地時代」の戦時の「徴用」を拉致と同じ「強制連行」として扱い、現在の北朝鮮の国家犯罪を軽くみせようという議論への反論にすぎない。

6.第3のゆがみは原因と結果の倒錯である。
  この欠陥は「因果関係のゆがみ」と呼んでもよいだろう。元旦の社説は不穏の新年の特徴として、もっぱら「ひたすら戦争へ突き進もうとするかにみえる米国」といった表現でアメリカの強硬態度や対決姿勢を批判的に強調する。
  だがアメリカをこんなふうにしたのは9・11テロなのである。無差別大量殺戮であるテロが原因であり、アメリカの強硬態度は結果なのだ。
  社説は「米国が嫌われるのはなぜか」という問いかけをも、ハイライトをあ びせる形で批判する。こういう文章構成はあたかもアメリカがまず悪であり 、他の存在はすべてその犠牲者になっているような印象を与える。アメリカ がまずテロの被害者であり、犠牲者だったという事実はうかがわれないよ うな筆致なのだ。
  アメリカのいまの強硬姿勢はあくまで9・11テロに端を発する反応、つまり アクションである。イラクや北朝鮮への出方をみても、すでに立証、あるい  は自認した大量破壊兵器開発というアクションに対するリアクションだとい  える。だが朝日の社説はこのアクションをはぶいて、リアクションだけを拡大 する。原因と結果がすっかり入れ替わっているのである。
  社説は「パレスチナ紛争はやまず、テロの脅威は世界に広がる。地球を  覆う恐怖と憎悪の再生産。始まったばかりの21世紀は、早くも危機的な様 相だ」とも書く。
  パレスチナ紛争は、自爆テロが先にあってイスラエルが反撃しているの  か、あるいはイスラエルが先に攻めたからパレスチナが自爆テロで反撃し ているのか、いささか混沌としているのは事実である。
  だが、この1年ほどむごい流血をもたらしてきたのは、まずパレスチナ側  の自爆テロや無差別テロが先だった。あえて「テロの脅威」というならば、  パレスチナ側の殺戮のほうがまずふさわしいだろう。だがここでも社説は「 原因」に匹敵するそのパレスチナ側のテロ行為はまったくぼかしてしまうの である。
  もっとも社説は「9・11の惨劇が狂信のテロ集団を地球上に強く印象づけ たように、9・17は異常で危険な国家が日本のすぐ隣りにあることを再認  識させた。冷戦の崩壊から10年余、これが悲しい現実である」と書いては いる。
  だが、これは「一行アリバイ」ともいうべき文中の装飾でしかない。この記述の後にはアメリカの対イラク姿勢や日本の対北朝鮮姿勢への批判がこれでもか、これでもか、とつづくからである。
  社説は北朝鮮の日本国内の反応にも、一方的な筆誅を加える。日本側のマスコミなどが北朝鮮に対する怒りを表明し、その結果、日本が北朝鮮に似てきたとまで述べる。だがこの点も原因と結果の倒錯である。
  日本側に激しい反北朝鮮感情を生んだのはひとえに、非人道きわまる拉致という国家犯罪が原因なのだ。しかもその犯罪行為を長年にわたり、頭から否定し、犯罪を指摘する側に対して、逆に犯罪人扱いの侮蔑の言葉をあびせてきた北朝鮮の厚顔無恥の冷血さこそ、日本国民の怒りを招いたのである。その北朝鮮の犯罪のむごさにはほとんど触れず、日本側の反応ばかりを糾弾するのだから、これまた原因と結果の倒錯というしかない。

7.第4のゆがみは、日本のナショナリズム意識の否定である。
  この特徴は中国や韓国のナショナリズムは認めるのに、日本の同様の国家や民族への意識は否定し、排除するというゆがみだともいえる。
  社説は「気になるナショナリズム」という小見出しのあとに、「中国をことさら敵視したり、戦前の歴史を美化しようとしたりの動きも見られる。深まる日本経済の停滞と歩調を合わせるように、不健康なナショナリズムが目につくのは偶然ではあるまい」と書く。
  そのすぐ前段では日本国内に拉致事件を機に北朝鮮への強硬な態度が生まれたことを批判的に指摘しているから、「不穏なナショナリズム」には北朝鮮へのいまの日本国民の態度までが含まれるのだとも読める。
  となると、朝日新聞が「不健康なナショナリズム」と呼ぶ反応は、北朝鮮による日本への核の恫喝やテポドン発射、邦人拉致、日本人妻の弾圧などが原因となって、日本側に生じた傾向である。だが朝日はその原因には触れずに、結果としての日本側の反応だけを危険なナショナリズムと断じる。「中国をことさら敵視」する日本のナシュナリズムを批判しても、その原因となる中国側の日本に対する高圧的な言動にはなにも触れない。
  北朝鮮や中国の日本に対する威嚇的な言動こそ、彼らのナショナリズムの発露なのである。朝日新聞はその中韓両国のナショナリズムには筆誅を加えず、ひたすら日本側の国家や民族への意識をそれ自体、悪として責める、という感じなのだ。しかも日本のナショナリズムは中国や韓国のそれとくらべれば、ずっと弱いのである。
  朝日の社説は日本のナショナリズムについて、どの部分が「健康」で、どの部分が「不健康」なのかを判断する資格は朝日しかもっていないようにも思える論法を展開する。
  「健康なナショナリズム」らしき例として、社説は、ワールドカップの際の「韓国チームを応援する日本人の姿」に言及する。そして「思い思いに外国チームのユニホームを着て声援を送る日本人も、世界には新鮮に映った。顔に日の丸を塗って声をからす若者たちのナショナリズムは、軍国日本の熱狂とは異質のものだった」と書く。
  だがここでも思わせぶりに、本来、ナショナリズムとは「軍国日本の熱狂」と一体であることを示唆するのだ。この点は「戦前の歴史を美化」することは「不健康なナショナリズム」だと断じる思考と一致している。
  だがナショナリズムとは一般には「民族国家の統一・発展を推し進めることを協調する思想または運動、民族主義・国家主義・国粋主義などと訳され、種々ニュアンスが異なる」(広辞苑)とされる。
  ナショナリズムといってもいろいろな側面がある一方、何らかの形、ある程度のナショナリズムはどこの国家にも民族にも不可欠の共通の絆意識として存在するのだといえる。だから、ある国家に住む人々が、その中にあって共同の連帯感や共通の価値観、誇りを保持していく意識という意味のナショナリズムは、どこの国にも存在しており、本来はそれ自体、不健康でも不健全でもない。

8.第5は「抑止の現実」の否定というゆがみである。
  この点は国の安全保障、あるいは平和の守り方に関する論調のゆがみと呼んでもよい。
  すべての主権国家は、自国の独立や安全、平和を守るために一定の軍事力を保持している。他国が侵略、攻撃、あるいは武力での威嚇をしてくれば、どの国も自国の判断で武力により対応する。その結果、実際の攻撃をはね返す場合もあるし、侵略を未然に防いでしまう場合もある。
  軍事力による抑止とはこういう効用を示す。
  軍事力という言葉が嫌いなら、防衛力と呼んでも、抑止力、さらには物理的パワーと呼んでもよい。東西冷戦でも、アメリカとソ連のともに強大な軍事力の相互抑止が「恐怖の均衡」などと呼ばれながらも、平和を保ってき  たことは万人が認めるところであろう。ただし朝日新聞はこの冷徹な現実を 認めることを多様な方法で避けてきた。社説もその例外ではない。
  同社説は述べる。
  「この地球には、実は矛盾と悲哀に満ちた妖怪があちこちにはびこって、 厄介者になっている。それらを力や憎悪だけで押さえ込むことはできない」
  この記述は朝日の年来の「力(軍事力)だけでは平和は守れない」という  主張のバリエーションである。ただ今回は従来よりもいささか狡猾なレトリッ クとなっている。
  それは「力」に「憎悪」を加えて、一括しているからだ。「力」は軍事力、防 衛力という物理的なパワーであり、「憎悪」は他者を憎む感情であって、両 者はまったく異質の存在である。とくに国や社会の安全を守る手段としては たがいにまったく無関係な事柄である。だが社説は具体的な事柄と抽象的 な事柄とを同じ項にくくっているのだ。
  憎悪だけで厄介者を押さえ込むことができないのは自明である。そもそも こんな命題は情緒的すぎて、意味がない。だが力だけで厄介者を押さえ込 む、という命題は国際安全保障上も意味を持ってくる。軍事力だけでは無  法国家やテロ勢力を押さえ込むことができるか、という設問につながるから だ。
  この設問に対する直接の答えは朝日の社説が望むように、ノーだろう。  だが実際の世界ではこの設問自体に致命的な欠陥がある。安全保障のい かなる課題に対しても「力だけ」というアプローチはないからだ。
  現実的な設問は「力なしに厄介者を押さえ込むことができるのか」である 。
  この設問はそっくりそのまま朝日新聞の社説氏に呈したい。軍事力なしにテロ勢力や無法国家を押さえ込むことができるのか、である。
  同社説はアニメ映画の主人公の千尋が「ひとり果敢に、しかし優しく彼ら(化け物たち)と向き合う。そうすることで、逆に彼らの弱さや寂しさを引き出すのだった」と書く。この世の悪者たちにはとにかく「優しく向き合う」べきだというのである。
  社説は同時に「軍事力を背景にひたすら戦争へ突き進もうとするかにみえる米国」、「<それなら日本だって>と核武装論をぶったりする(日本の  )政治家」への攻撃の手をゆるめない。軍事力の効用をとにかくあの手、こ の手で否定ふうにけなすのである。だが狡猾にも、安全保障政策の核心  である「では軍事力なしに不安定要因に対処せよというのか」という問いに は、決して答えないの  だ。
  世界の歴史は朝日社説が説く「優しく向き合う」方法では平和が訪れないことをいやというほど立証してきた。一方が「優しく向き合う」ことを選んだために他方を戦争へと誘うという悲しい因果関係は、イギリスの対ナチス宥和を回顧するまでもない。
  そもそも朝日が忌み嫌う「軍国日本」は、アメリカや中国が「優しく向き合う」ことによって滅亡したのだろうか。それとは正反対に原爆投下も含めての徹底的な軍事力行使によって破壊され、押さえ込まれたからこそ崩壊し たのである 。

9.第6のゆがみは反対陣営の悪魔化(ディモナイゼーション)である。
  この特徴は朝日が自分たちの意見に反対する側を「悪魔」のような悪い存在にみせるため、その反対意見をゆがめて、ことさら過激、極端あるいは邪悪にまで描こうとする手法である。
  この悪魔化では気に入らない相手を悪名がすでに定着している他の対象に重ねるという手法がよくとられる。元旦社説はブッシュ大統領をテロリストのビンラディンに重ねているのだ。
  「-------<この世界から悪を取り除く>と高揚するブッシュ大統領の言葉は、米国の著名な宗教社会学者をして<奇妙にビンラディンと似ている。我々は敵と似てきているようだ>(ロバート・ベラー博士)と嘆かせている」
  ブッシュはビンラディンと似ているというのは極論である。だがどんなに異なる二人の人間でも何らかの共通点はある。「小泉首相の朝食は軽い。ヒットラーの朝食も軽かった。だから小泉首相はヒットラーに似ている」という論法も成り立つのだ。だが、元旦社説のブッシュ=ビンラディン悪魔化方程式は、後者の大量殺戮の非道などをあっさり無視している。またこの悪魔化のためにアメリカ国内でもあまり知られていない超少数派と目される人物の言葉を金科玉条のごとくに使っている。
  ベラー氏はカリフォルニア大学バークレー校の教授である。バークレーはアメリカ国内でも「バークレー人民共和国」と揶揄されるほど左翼の力の強い孤島とも呼ばれる存在なのだ。ブッシュ政権のアフガニスタンでのタリバン攻撃に連邦議会上下両院合計535議員のうち、ただ一人反対した黒人女性下院議員がこのバークレー地区選出だった。
  バークレーにいるからといって、それだけで過激な意見の持ち主というわけではない。だがベラー氏は過激な非武装平和主義者である。第二次大戦でのアメリカのドイツ空爆をも間違いだったと批判しアメリカの歴代政権を帝国主義だと叩いてきた。
  リベラル系新聞のサンフランシスコ・クロニクルも2002年9月の社説で、ベラー氏の意見を紹介し「これほどの無抵抗平和主義者の主張をまじめに受け取る人はほとんどいない」と述べていた。同社説はまた「ベラー氏の言辞は大多数のアメリカ人にはまったく説得力がない」と断じていた。
  にもかかわらず、朝日の元旦社説はベラー氏の言をいかにもアメリカ多数派の代表のように取り上げているのだ。
  社説は同様に、日本国内で北朝鮮の国家犯罪である拉致行為を日本の朝鮮半島統治時代の徴用によって帳消しにしようという議論に反対することは「北朝鮮に似てきている」というのだから、悪魔化もいいところである。
  どんな「議論への反対」も所詮は議論、言論の範疇である。だが朝日からみて気に入らない特定の言論を述べることは「北朝鮮に似てきている」となるのである。北朝鮮といえば、カルト的な絶対独裁の軍国主義国家であり、実際に多数の人間を無差別に殺すテロを実行してきた。朝日新聞の主張に反対する意見を単に述べることが、その「北朝鮮に似ている」というのだから、悪魔化もこれにきわまれリ、である。
  朝日の元旦社説はさらに日本側の北朝鮮非難について次のような表現を使う。
  「感情を煽るばかりの報道」「外交官を<国賊>と呼んだり」「勇ましく<戦争>を口にしたり」「核武装をぶったりする政治家」
  「因果関係のゆがみ」でも触れた点だが、こうした断片的な記述だけみれば、日本国内でも非常に不穏で理不尽な動きが起きているような状況が連想される。まさに悪魔化の効用である。だが、これらの記述は部分的にはそのとおりだとしても、みな不穏で理不尽な出来事や行動に対するそれなりのリアクションなのだ。たとえば、北朝鮮が初めて拉致を認めた直接のわが外務省高官たちの重要情報隠しは、拉致された肉親の安否を憂う家族たちから「国賊」と呼ばれても仕方ないほど冷酷だった。

10.第7は、言葉の詐術と呼べるゆがみである。
  発言者側の主観や感情以外にはなんの意味がない言葉をいかにも意味があるかのように使う手法と評してもよい。
  元旦の社説には前述のように「中国をことさら敵視」「軍国日本の熱狂」「植民地時代の蛮行」という表現が次から次へと登場する。みな朝日新聞の主張に反する動きや価値観への一方的な描写である。
  こうした描写には一見、客観的な意味があるかのようにもみえる。だがほとんどの場合、書き手の感情以外には意味がないのだ。意味があるかのようにみせるのは言葉の詐術だといえよう。
  私は朝日新聞を読むときには、セマンティクス(意味論)の教えを思い出すように努めることが多い。意味論というのは言葉の意味や機能を体系的に研究する学問である。カナダ生まれの日系アメリカ人で上院議員にもなったS・I・ハヤカワ氏がその先駆の研究者として知られている。
  ハヤカワ氏の一連の著作によると、人間の言葉や文章はだいたい以下の三種類に分けられるという。
  第一が「報告」で、「今日は天気がよい」とか「1+1=2」という証明可能な客観的な記述である。
  第二が「推論」で、わかっていること、証明が可能なことを基礎にして、わ からない部分について述べる記述である。ある人物の知能指数を基礎に「彼は指導者の器だ」と述べるようなことがこの記述に相当する。
  第三が「断定」で、その言葉の使い手の好悪の感情、好き嫌いを評すだけの記述を指す。もちろん事実か否かの証明は不可能であり、客観性はない。
  ハヤカワ氏は、この「断定」とされる記述の中に、「犬の吠え言葉」と「ネコなで言葉」とがあるのだと指摘する。
  たとえば「彼はファシストだ」というのが「犬の吠え言葉」であり、逆に「彼女は世界一の美女だ」というのが「ネコなで言葉」になるという。どちらも一見、客観的な事実を伝えるようにひびいても、実は言葉の発信者の感情や思い込みを表すだけの「断定」にすぎないというのだ。たしかに「彼女は世界一の美女だ」というような記述の証明は不可能である。むしろ単なる主観的なレッテル貼り言葉でしかないわけだ。
  私は朝日の社説や記事を読む際、「これは<報告>だ」「これは単なる<断定>の中の<犬の吠え言葉>だな」と区分けを試みることがよくある 。
  その区分でいくと、「敵に似てきている」「不健康なナショナリズム」「中国をことさら敵視」などはみな意味がありそうで、実は発信者の好悪の感情以外には意味のない単なる「断定」の「犬の吠え言葉」でしかないことは明白である。「ことさら」などという表現が出てくると、もうその後につづく言葉には発信者の断定以外になんの意味もないことが露呈するのである。

11.以上、朝日新聞の元旦社説を細かに論考してきたが、私自身の希望としては、朝日はこれからもこうしたゆがみの数々を特徴とする社論の表明をぜひとも続けてほしい。その理由はこれほど貴重な反面教師はないからである。
  私は、わが日本は朝日新聞社が社説で主張することはだいたい正反対の進路を歩めば、うまくいくと思っている。戦後の長い歳月、そのアイロニーは事実として何度も証明されてきた。
  日本の独立を決めた1951年の対日講和条約についても、アメリカとの同盟を堅固にした1960年の日米安保条約の改定についても、わが日本は朝日新聞の当時の主張と反対の道を選んで、自由と繁栄と平和を得た。大成功の選択だった。
  もし日本が朝日の主張どおりにしていれば、独立は遅れ、安全は乱され、ソ連共産主義圏に組み込まれる危険性が大だった。
  だからこそ、朝日新聞の社説は「そうしてはならない」という教訓として限りなく貴重なのである。

12.以上が、小森氏の著書である、「日本の壊れる音を聴け」の中の、第5章「朝日新聞のゆがみ」よりのかなりの部分の引用である。これほどの本文からの引用は、初めてであり、当然著作権の侵害をしていることは、承知している。しかし、これだけの「長文引用」をしなければ、「朝日新聞を具体的な例で、論破できない」と思ったからである。

13.読者には、大変負担をかけて申し訳なかったが、上記の理由のため許していただきたい。私見としての感想は、「本文が十分説明しているため、特にない」が、強いてあげれば、なぜこれほど「極左」の新聞を多くの一般家庭が購読していることの驚きである。通常のバランス観でいえば、中国等が「極右」と名づけている、産経新聞こそが、「中道」だと思われる。
  しかし、実際は、約500万部の発行数を見れば、日本人全体に対する朝日新聞の影響は大きすぎる。実際には、一般紙では「極右」の新聞jは日本には、存在しない。「赤旗」は、共産党の機関紙であるから、これは除外すべきである。自民党は「自由新報」を、公明党は「聖教新聞」(「公明新聞」もあるが、発行部数からみれば、創価学会の機関紙の方が知名度が高い。)をそれぞれ発行している。
  朝日新聞も「中国共産党の日本支部の機関紙」であることを表明すれば,国民全てが納得するであろう。そうすれば、「親中派」だけが朝日を購読することになり、日本全体から、「悪魔払い」が行なわれ、日本人が「本来の民族の誇りを持つことになる」のである。
  結論としては、朝日新聞の発行部数を「赤旗」と同じくらい(赤旗の発行部数はかなり多くて<隠れ共産党支持者は非常に多い>びっくりするが)に、落とすのが、日本のためであり、アジアの平和にも貢献するはずである。

以上

朝日新聞の「単純な戦争観」こそ大問題!


平成17年8月30日

1.8月13日放映のフジ系2時間ドラマ
 実録・小野田少尉 遅すぎた帰還
  「孤独・信念・死ーーー時代に翻弄された昭和の獅子が今空白の30年の 真実を明かす渾身の生命の記録」
  このドラマに対して、朝日新聞の「試写室」は後半で次のように 述べている。
 「ジャングルに潜む中村(獅童)は、眼光鋭く異様な存在感を放っ ている。迷いを見せる部下や、戦後生まれの冒険家との対比がおも しろい。部下の死は戦後から9年後と27年後。小野田さんも青春 と戦友を失った。何のための犠牲なのだろうか。切なさ、むなしさ が心に残った。」(中村真理子)
           (下線は、筆者)

2.このドラマの最後に、「このドラマは、事実にもとづいて制作した ものである」という文字が出たため、実際に図書館で彼の書いた書 物を探して読んでみた。

以下の3〜5は原文の引用である。

3.書  名:小野田 寛郎ーーーわがルバン島の30年戦争
 
著 者 名:小野田 寛郎
 著者略歴:元軍人。戦後30年もの間、フィリピン・ルバング島で
      ゲリラ戦を展開。帰国後半年でブラジルへ移住。大地を      切り開き、牧場を経営。さらに子どもたちのための”自      然と人間の共生”をテーマにして「小野田自然塾」主宰      。

4.あとがき
  国民の皆さんの暖かい配慮と声援をうけて、30年ぶりに祖国の土 を踏んで以来、早くも半年が過ぎました。
  そのあいだ、いまなおルバンで戦いつづけているような気持で、 一気にこの報告を書きあげました。これは、いまは亡き2人の戦友 の在りし日の姿と、彼らとともに生きてきたルバン島の日々とを記 録したものです。もちろん、限られた紙数では、30年のすべてを報 告することはできません。しかし、ルバンの戦争の悪夢を1日も早 く忘れ去るためにも、また、鮮やかな記憶をそのまま報告するため にも、執筆を急ぎました。
  脱稿したいま、放心したような気持です。そして、あらためて2 人の戦友の死を悼み、「なぜ死んだのだ。たとえ弾は身を貫いたと しても、生きてもらいたかった」。と叫びだしたい気持です。
  私の戦後はこれからはじまります。ご心配いただいた国民の皆さ んへの感謝、マルコス大統領以下フィリピン国民への感謝をこめな がら、私は生きていきます。

5.本文より(最後の部分)
  口にこそ出さなかったが、闘いきって3人そろって内地の地を踏む 日が必ずくることをひそかに期待していた。
  それなのにいま私は、かけがえのない戦友の2人の魂をこの島に 残して、自分だけが日本に還ろうとしている。30年も前に戦争に負 けてしまったという日本へ。つい、きのうまで戦っているとばかり 思っていた祖国へ。もし、まわりにだれもいなかったら、私は地に 顔を押しつけ、声を放って、慟哭していたにちがいない。
  10分後、私をのせたヘリコプターは、あたりの草をなぎはらって ルバンの地を離れた。
  風防ガラスの向こうに、小塚の墓標が、やがてルバンの島全体が 、見る見る小さくなっていった。
  はじめて眼下に見る私の”戦場”
  この島で、私はいったい、だれのために、何のために、30年も闘 ったのか。
  マニラ湾が朝陽に光っていたーーー。

以上の3〜は原文引用である。

6.筆者の読後感は、確かに戦争の悲惨さと非人間性を強く感じた。し かしながら、この悲劇は例外的なものであることも、記しておきた い。具体的には、以下のとおりである。
  @ 小野田少尉は、秘密工作員であった。
  A 彼は、その任務を最後まで、忠実に実行した、類まれな人物    であった。
  B 結果的には、無駄な30年間だったが、彼にとっては1日たり    とも無為に過ごしていなかった。つまり、この件は、「極限    状態における、人間のサバイバルの実話」である。
  C 上記に対して、平和な現在の日本に生きている我々一人一人    は、「30年間という長い年数を、このように目的を持って、    生ききれる」という自信があるだろうか?

7.筆者は戦争肯定論者ではないが、単純な否定論者でもない。このた め、朝日新聞記者のように、安易に「対比がおもしろいとか、切な さ、むなしさが残った」などという感想はもたなかった。
  筆者の感想は、「極限状態における1人の人間としての生きざま と、かっての日本人が持っていた愛国心をこれほどはっきり示して くれたものはない」というものである。であるから、これを命をか けて教えてくれた小野田さんにあらためて、敬意を表したい。
  そして、帰国後の彼の選んだ道が、平和な日本ではなく、未開の 地であるブラジルであることも、我々に対して、「生きることの目 的とはなにか?」を身をもって教えてくれたのではないだろうか。

8.戦争に対する朝日新聞の論調は、概ねワンパターンである。つまり 、戦前の日本に対する自虐史観と、戦後の日本に対する贖罪意識し かないのである。
  この論調をすべての戦争ものに当てはめるため、上記の記者のよ うに上滑りの、薄っぺらい感想しか出せないのである。

9.そして、何より恐ろしいのはこの朝日新聞の論調に、多くの日本人 が洗脳されているという事実である。
  上記のドラマのような場合に、少しでも疑問を感じたら、すぐ原 資料を探して、自分の目でその内容が事実か否かを確認することが 、大事であるということである。

10.結論として言いたいのは、以下のとおりである。現在の日本人は、 テレビ、新聞は良く見るが、自分で探して本を読む習慣がない。
  つまり、日本の現在の状態を、自らの頭で考えない国民が多すぎ るのである。
  この習慣が続けば、日本は必ず衰退していくだろう。

以上

「朝日新聞の正義」を読んで

平成17年7月19日

1
.朝日新聞がどうして衰退しないのか不思議で仕方がない。日本人全体が、「洗脳」されているのか?それとも日本人は、根本的に「愚民」なのか?「では  、なぜ天声人語が大学入試に出るのか?」という質問が我が家でも出る。この 答えは本書の中にあった。理由は、簡単明瞭であった。つまり、朝日新聞の購 読者の3本柱は、「主婦」と「教員」と「団体職員」であり、大学教授が天声人語 を読んで、入試問題に出題する。このために高校の教師が生徒に天声人語を 受験のために読ませる。高校生は、母親に朝日新聞を購読しなければ大学 入試に不利になると説得するのである
  
昔は天声人語もレベルが高かった。それも荒垣秀雄氏くらいまでであり、 最近のレベルは中学生の作文程度であり、そのうえ無理なこじつけが多く、読 むに耐えない。当然である。書き手が三流記者だからなのだ。

2.そこで、古くて新しい問題である、朝日新聞の正義について、知識人の書物を 読んでみた。
 
 書名:朝日新聞の正義
  著者:井沢元彦と小林よしのりの両氏による対談
  著者略歴:井沢元彦
           作家。TBS報道局記者であった80年に「猿丸幻視行」で第            26回江戸川乱歩賞を受賞した。その後、執筆業に専念し、「義           経幻殺録」、「言霊」などベストセラーを発表。現在は「週刊ポス          ト」で「逆説の日本史」、「サンデー毎日」で「水晶玉の風景」、「          SAPIO」で「逆説のニッポン歴史観」などを連載し、鋭い論考で          日本人の常識を覆している。

         小林よしのり
           漫画家。75年に「東大一直線」でデビューし、86年より「コロコ          ロコミック」で連載した「おぼっちゃまくん」が大ぶーむ、ギャグ漫          画に新風を巻き起こした。現在は「SAPIO」連載中の「新・ゴー          マニズム宣言」で薬害エイズ、従軍慰安婦問題、歴史教科書論          争と次々に社会の核心にある問題に切り込む。あくなき闘いの          日々が続く。
     (いずれも1997年当時の略歴)

以下の3〜17は原文引用である

3.まえがき・「凶悪なおせっかい」宣言・小林よしのり
 人は、新聞が特定の思想を普及させているなどとはつゆ知らない。たいていの 人は、新聞には淡々と「事実」が書いてあると思っている。今日はどんなことが 起こってるかな、世の中どうなっているかな、ほう、弱者を切り捨てるようにな った「ゴー宣」という本があるのか、マンガらしいが、これを書いた小林よしのり というのは「右翼」と関係があるのかーーー新聞に今なお何らかの信頼性があ るのならば、最近の「朝日新聞」の一連の流れの中で書かれるわしと「ゴー宣 」に対する中傷記事がそのように読まれてゆく可能性は十分にある。こんな恐 怖の決めつけをした者の名はというと、なんと(飛)という。姓名を明らかにした 署名原稿ではない。ただ(飛)としか名乗らぬ者がわしのことを半ば匿名で攻  撃してくるのだ。

4.個人との論戦ならば向こうも堂々と名前を出しているのだから、どっちの言うこ とがスジが通っているのか、どっちがより信用できるのかを競えばいい。それ  がどんなものであれ、個人が名前を出して公然と相手を非難するにはそれなり の覚悟がいる。しかし、何百万部も刷られる大新聞の記者が、宅配制度によっ て新聞がばらまかれる仕組みの中で、さしたる覚悟もなく匿名で個人を非難し てきた時、こちらとしてはほとんどなすすべがない。その圧倒的な物量をタテに した無責任の前には、わしなどはせいぜいドン・キホーテのような闘いを挑ん  で、いつか圧殺されてゆく運命なのかもしれない。

5.大きな力を持つ者には、、本来大きな責任が問われてしかるべきもののはず である。マンガ家としてのわしの場合は、20万人から30万人の読者を相手に  マンガを描き、商売するだけの責任というのは、たとえばくだらないスキャンダ ル雑誌での数限りない中傷記事や、多くのもの書きたちからのありとあらゆる 批判や攻撃、揶揄、ひがみ、あてこすりの類、さらにははっきり「殺すぞ」とまで 言われるような脅迫などのどれにも屈することなく発言することで、ひとまず果 たそうとしているつもりだ。わしはわしの「ゴー宣」を買って読んでくれている読 者の存在にかけて、黙ってしまうことはできないのだ。
  なのに、新聞は組織の背後に隠れた匿名の記者が、何の危険も覚悟もなく 、リスクも冒さず、巧妙にわしに「悪」のレッテルを貼ってくる。そういうイメージ  操作を行ってくるのだ。

6.そう、「朝日新聞」の攻撃方法は実に単純だ。邪魔者を悪魔化(デモナイゼー  ション)する、それだけなのだ。一番わかりやすい単純な方法としては、たとえ ば「右翼」と結びつける。あるいは「タカ派」、「反動」、「保守」、「軍国主義」と結 びつける。はっきりとした理詰めの証拠などなくてもいい。そのような印象を持 つような記事の書き方をすれば、それでいい。

7.先にあげた[「この国」を思う]と題されたシリーズ記事の中では、そのようなや り方が実にわかりやすい形で行われていたし、「よしりんウォッチ」に関する記  事などでは、あたかも自分でものを考えられないやつが「ゴー宣」を読むのだ、 と思わせるような手法さえとっていた。「ゴー宣」の読者にわざわざインタビュー し、彼らを自分でものを考えない若者の代表に仕立て上げて記事にしていた。 わしにはそう読めたし、わしや「ゴー宣」のことなど何も知らない世間のおばち  ゃんやじいちゃんなどでも、素直に日本語を読める人が読んだならばそのよう な印象を持った人は決して少なくないはずだ。ある素人の一読者が、「朝日新 聞」の書きたいような方向に書かれる記事のために、いわばいけにえにされた のだ。このことの経緯もこの本の中で書いているけれども、本当に最近の「朝 日新聞」は、わしを攻撃するのに手段を選ばなくなっているようだ。

8.目次 第1章 ワシらも「朝日少年」だった
 ●右翼の抗議文が”解除トリガー”になった
 ●あんな日本刀で百人斬れるか
 ●朝日の「正義」に異を唱えると右翼?

9.第2章 これは「人権真理教」の新聞なんよ
 ●「従軍慰安婦」論争は終わっている
 ●現実を見ないで善人ぶりっこ
 ●チョー失礼だった朝日の女性記者
 ●「カンボジアで虐殺はない」と書いた記者
 ●戦争の語り口がワンパターン化しとる
 ●「朝日新聞」は大衆紙
 ●朝日読者の3本柱は「主婦」と「教員」と「団体職員」
 ●「謝罪しろ」と言いながら自らは謝罪しない

10.第3章 なぜ朝日は尊大でいられるの?
 ●居丈高に説教垂れた朝日の記者
 ●煽っても集まらなかった女性基金
 ●有事立法反対なら対案を出してみろ
 ●まんまとA少年に騙された朝日の論説
 ●戦前は「空想的軍国主義」、戦後は「空想的平和主義」

11.第4章 朝日の民主主義ほど怪しいものはない
 ●間違いから目をそむけまい
 ●「超法規的に保障せよ」ってか?
 ●オウムへの破防法不適用は「民主主義の健全さ」か
 ●「偏りコメンテーター」という技術

12.第5章 「ショッカー」から「善人」への挑戦状
 ●朝日が望んでいたのは日本人民共和国?
 ●朝日にはムツゴローの心がわかる
 ●たとえ「悪」のレッテルを貼られようとも

13.あとがき・冷静な「情報の提供者」たれ!・井沢元彦
 抽象的な話をしてもしょうがないから、個人名を出そう。大谷昭宏氏というジャ ーナリストがいる。この人は、「ダカーポ」(マガジンハウス刊)97年9月17日号 で、従軍慰安婦がなかったなどという人間の言葉を「たわごとを言っている」な どと決めつけている。しかし、少なくとも私が知っている限りは、従軍慰安婦が あったと言った人間のほうが嘘つきであったわけで、これを「たわごとを言って いる」と言われるのは心外だ。もし大谷氏が自分の取材結果に基づいて確か  に銃運慰安婦、言葉を換えて言えば日本軍による無辜の女性の強制連行が あったと確信するならば、その実証的なデータを挙げて、相手に提示すればい いのである。それでも、そんなものは認めないという人間がいたら、その時に  なって初めて倫理的非難をすればいいのであって、単に疑問を呈した人間に  対して、倫理的な非難を持ち出してそれを封じるのは、はっきり言う、ジャーナ リストとして完全なる間違いである。

14.また、このことは南京大虐殺にも言える。中国側の言う南京で虐殺された人 間、30万人という数字はどう考えても白髪三千丈的誇大表現であり、私には  信じられない。しかし、従軍慰安婦問題において、慰安婦の存在を私は否定し ていないように、わたしも、あるいは多くの良心的な研究者も、虐殺があったこ とは自体は否定していない。問題は、数がそんなにあったのかということなの である。少なくても30万人というのは、当時の日本軍の状況から見て、仮に殺 そうと思っても不可能な数字ではないかと私には思えるのである。もしそうで  ないと言うならば、そのことも先ほど言ったように、実証的なデータを挙げて、  逐一反論すればいいわけだ。それをしないで、30万人について疑義を挟む人 間を右翼だの、軍国主義者だの、人間のクズだと決めつけるのはおかしい。こ れもジャーナリストとして、絶対やってはいけないことではないか。

15.なぜ、こんなことをくどくど言うかというと、実は日本のジャーナリズムの原点  にこれがあるからだ。これというのは、相手に対して実証的なデータを挙げる  のではなく、情緒的に判断を規制するなり、情緒的な感性を刺激して、そして  相手を悪魔化するという方法である。

16.私は推理作家もしているが、戦前の江戸川乱歩は日本に探偵小説を土着さ せようとした時に、しみじみと言ったという。・
 「日本人は論理のおもしろさに向いていない」
  つまり日本は”言霊”の社会だから、論理を飛び越えた情理の世界、理性よ りも感情の世界にいるのだろう。しかし、この国際化時代にそれではいけない 。ジャーナリストとして、もっとも果たさなければいけないことは、冷静な情報の 提供者になるということである。その意味で、もし従軍慰安婦問題について、  従軍慰安婦がいた、女性が大々的に朝鮮半島で連行された、あるいは南京  の大虐殺の実数は中国の言っているとおり30万人であるという証拠が出て、  それが確実な検証のもとに成立したならば、私も含めて誰も否定しない。ただ し、疑問を出す自由はあるはずだということを言っているのである。

17.いちばんいけないのは、人の感情を扇情的に煽ることによって、自分の報道 が正しいと見せあいての反論を封じる態度である。大谷氏の方法が正しいなら 、私も小林氏も「従軍慰安婦はない」(少なくとも確たる証拠はない)と主張して いるのだからこの本の内容はまるごと「たわごと」ということになる。本当にそう か、読者自身の目で判断して頂きたい。そのような感情的なジャーナリストが いなくならない限り、日本の報道状況は少しもよくならないと思う。

以上3〜17は原文引用である

18.これ以上言うことはない。これだけ言っても朝日新聞は、少しも改善されない のである。その原因は、江戸川乱歩の言うように「理性より感情の世界」にドッ プリ浸かっているためなのかのか。私には、戦後の日本人の持っている何か  別の要因があるのではないかと思える。

以上

問題をすりかえる悪質新聞

平成17年1月23日

1.NHKへの政治介入事件は、肝心の放送内容が不明のまま、お互いに相手を 非難しているために、非常に分かりずらいものになっている。

2.2001年に放送された番組は、4回にわたる元朝日新聞の女性記者(すでに死 亡)が企画した模擬裁判である。その内容は、従軍慰安婦をめぐるもので、検 事と弁護士の弁論の結果、もちろん双方の証人も登場するが、最終的に裁判 長の結論が出されるものである。
  
問題となる部分は、弁護側の人間の政治的意見の偏向と、結論として天皇 が戦争に対して有罪の判決となるところである。

3.通常の裁判では、検事と弁護士が自らの意見を数回に分けて主張し合い、そ の内容を審査の結果裁判長が採決を下すものである。上記の問題は、弁護側 の人間が検事側の人間と全く同じ政治的な意見(具体的には、従軍慰安婦は 全て日本軍によって組織的に行われ、外国人女性を強制連行したものである という主張)を持つため、争論になるより、検事側の主張に自動的に結論付け られることにある。
  また、結論が天皇を戦争犯罪者として有罪判決にするという前代未聞のもの だからである。

4.「従軍慰安婦問題」は、とくに日韓双方の紛争問題として長期にわたってもめ ているものである。そして、いまだに結論は出ていない。朝日新聞は、従来   からこの問題は全て日本政府が組織的に行った悪質な戦争犯罪であり、海外 、とくに韓国からの賠償請求にも応ずるべきであるとのスタンスを取っている。
  もちろん、反対意見があるわけであり、その内容は、様々である。具体例とし ては、事実としては、存在したが、組織的ではない。また、強制的ではない。賠 償問題は、すでに決着している。などが主なポイントであろう。

5.今回問題となったのは、自社の主張を公共放送である、NHKを使って全国に 流すというやり方である。一般国民は、「NHKが流す番組内容は公正なもの  である。」と頭から信じ込んでいる人びとが大多数のため、この考え方が全国 へ浸透してしまうことは、「日本の国益」を損なうことに直結してしまうのである 。

6.なお、さらに問題となったのは、結論である、「天皇は、戦争犯罪者として、処 罰されるべきである。」という部分である。歴史的な事実としては、この問題は 占領軍のマッカーサー元帥の最終決断により、回避されている。
  補足説明として、もしも実際に東京裁判で「天皇の有罪判決」が出た場合は 日本人の天皇に対する考え方から、日本に暴動が多発して、内乱状態となり 、再び日本と連合国側に大量の犠牲者が出ることが容易に推測されたからで ある。これは、アメリカ単独で日本統治を行い、共産主義国の介入を排除して 、民主主義国家を建設するという、アメリカの世界戦略にとって大きな障害とな る、極めて重要な問題であったからである。
  そもそも、東京裁判自体が、戦勝国の勝手に行った裁判であり、無効である という主張も少数意見ではない。そして、歴史的事実として、実際の東京裁判 において、インドのパール判事は全員の無罪を主張しているのである。

7.NHKの番組担当者は、この内容に危惧を抱き政治家に連絡をとり、政治家の 圧力を利用して番組内容を変更したものと思える。この点では、メディアに対す る政治介入は行われているはずである。(しかしながら、メディアに対する政治 介入はとくにめずらしいことではない。)

8.当初、NHKの幹部が朝日新聞の取材に対して話した内容を訂正したのは、  海老沢会による政治決断だと思われる。彼は、自分自身および複数のNHK  職員の不祥事で窮地に立たされており、ここで朝日新聞の言い分に妥協して しまえば、自分の立場はもとより、NHK全体の体質的な問題に発展することを 防いだものと判断される。

9.ではなぜ、4年も前のことが、今表面化したのかという疑問がある。これは、従 来NHKの体質が閉鎖的であり、問題提起できる状態ではなかったが、現在  のようにNHKに批判的な世論が沸きあがってきて、千載一遇の機会と考えた 番組担当者が告発したものである。内容は、「政治介入」の形をとっているが、 本来の狙いは番組内容の偏向性を公にすることにあったはずである。

10.それというのも、NHK自体が朝日新聞に近い偏向体質を持っているという、 複雑な要素が絡んでいるからである。つまり、内部調査では、問題提起がつ  ぶされてしまうために、外部の第三者機関の調査を要求しているのである。
  この点では、No.9で述べたことが間違えており、番組担当者が朝日新聞の シンパである場合は、「政治介入」だけを取り上げていることも否定できない。  この場合は、NHKも同罪ということになる。

11.結論として言いたいのは以下の通りである。朝日新聞のやり方は政治介入  だけを取り上げて、その番組内容をオープンにしていないのであり、非常に悪 質な犯罪と言うべきである。
  朝日新聞は、いつもこのように本質的な問題を隠して、ごく一部の事実だけ  を大袈裟に報道する傾向が顕著な全国新聞なのである。この事実に気づいて ない読者の多いことに、「日本の危機」を感じる次第である。

以上

骨の髄まで腐った、反日新聞
 平成16年8月18日

1.最近朝日新聞の体質を顕著に現す出来事が、続いているので以下に記し  てみる。

2.朝日新聞社の販売店事件。
 各新聞社の販売が、各地域の販売店によって行われていることは、衆知の事 実である。販売店は、複数の新聞社を扱っているため特定の新聞だけを拡販 することはできない。実態は、現状維持がやっとであり、拡販の余裕はないで あろう。このため、「拡張員」という専門の営業マンを各社が別組織で持ち、   販売部数を増やすため、しのぎを削っている。大きな販売店は、自前で拡張員 をもっている可能性もある。なぜなら、新聞社にとっては、販売部数の数字が 全てなのである。最近は、朝日新聞の発行部数が減っているため、本社として は、全社を上げて拡販に力を入れており、強引な販売手法が問題となってい  る。このことが、事件をおこしたものと思える。
   しかし、問題はこれではなく、この事件に対して朝日新聞が記事にしている 書き方なのである。自社の販売店が起こした事件であり、通常ならお詫び等  のコメントがあるのが当然だと思える。しかし、文面は、全然自社には関係が  ない、いわば他社の販売店が起こした事件のごとく、いわゆる「ベタ記事」なの である。この事件の真相は、上記に述べた朝日新聞の部数減少を取り戻そう という、本社からのノルマの厳しさなのである。

3
.朝日新聞社の社員による、取材源漏洩事件。
  これは、社員自身による事件であり、弁解の仕様がない。新聞記者として、  守るのが当然という、「取材源守秘義務」という最低限のモラルが欠けていると いう、前代未聞の事件なのである。過去の事件であるが、朝日新聞社のカメラ マンが沖縄の海で自ら、さんご礁に傷をつけて、それを平然と「自然環境を破  壊している日本人!」としたスクープの記事を覚えているであろうか?この事  件と種類は違うが、同じレベルの事件であり、過去の教訓が全く活かされてい ない。はっきり言えば、「全国規模の新聞社として、存在価値のない」のが、朝 日新聞なのである。

4.イラクの自衛隊基地への着弾報道について。
  過日の朝日新聞の報道は、次の通りである。「反政府組織からの砲弾が、サ マワの自衛隊基地内に数発打ち込まれた。自衛隊基地も戦闘地域であり、危 険である。」この報道に対して、防衛庁から文書にて抗議が朝日新聞社に申し 入れられた。いわく、「そのような事実は、全く無い。事実であるなら、証拠を示 してほしい。」つまり、サマワは、オランダ軍が守っている場所であり、朝日の言 うような報道があれば、当然オランダが把握するべき事実であり、日本の自衛 隊が隠しようがないのである。では、朝日新聞は、どこから得た情報なのか?  アメリカが厳重な情報管理をしているイラクから朝日新聞が情報を入手するこ とは、通常は不可能であろう。おそらく、朝日は、反政府組織からの一方的な  宣伝報道 を、そのまま確認なしに記事にしたとしか考えられないのである。こ こでも朝日の得意な「反日報道」であれば、すぐに記事としてしまう、報道姿勢 が明らかなのである。

5.アジアカップの反日報道について。
 当日の朝日新聞3面記事の見出しは、「反日の封印」である。この言葉の意味 を分かる人がいたのであろうか?つまり、一番大事な主語を隠しているのであ る。朝日の言いたいのは、主語は日本であるとのことであろうが、テレビで、実 態を見ている全世界の人は、主語は、中国であり、それも封印に失敗した中  国共産党の、紛れもない事実である。具体的には、中国が報道している「一部 のサポーターによる騒ぎ」ではなく、「サポーター全員による暴動」が事実であ る。真相は、中国共産党が政策的にすすめてきた「反日教育」が、完全に裏目 に出て、全世界にその「反日教育」の実態をさらけ出してしまったのである。今 後注目すべきは、中国共産党指導部内の権力闘争か?それとも人民解放軍 主導による、より一層の反日攻勢か?のいずれかであろう。いずれにしても、 朝日新聞の報道がかくも事実を歪曲するかの赤恥をさらした事件であり、朝日 の報道姿勢に無関心な一般市民がやっと気がついた一件なのである。

以上

朝日新聞の偏向報道に、気付かない多くの日本人よ!平成16年5月9日

1.さる3月の卒業式で、国歌斉唱の際、起立を拒んだ176人の教職員に対し、都  教委が戒告などの処分を行った問題があった。

2.事の起こりは、朝日が3月31日付け社説で都教委の処分に対して、「起立せず で処分とは」と題して、「式を妨害したのならともかく、起立しないからといって処 分する。そうまでして国旗を掲げ国歌を歌わせようとするのは、いきすぎを通り 越して、何とも悲しい。」と書いた。

3.これに対して、4月1日付け「産経抄」は、「そうまでして国旗・国歌を貶めようと する論調は、何とも悲しい」と逆ねじを食わせ、「公立学校の教師も私人として  ならどんな信条をもとうと構わぬ」が、「学校の入学式や卒業式は、教育の場に あっては大事な節目であり、欠かすことのできないけじめである。その儀式に  立つ教師はもはや私人ではなく、れっきとした”公人”である。自分勝手な甘っ たれは許されないのだ。」と指摘した。

4.そのうえで、「都教委はあらかじめ”起立して国歌を斉唱する”ことの通達を出し 、それに反した場合は懲戒処分の対象になることを伝えていた。176人はそれ を承知していた教師失格者である。”起立せずで処分とは”当然の処置と言わ ねばならない。」と反論した。

5この反論は至当である。日の丸・君が代に反対している特定のイデオロギーを 持った教師らやそれを支援している朝日は、「思想・良心の自由」を呼号してい る。たしかに憲法には第19条で「思想・良心の自由は、これを侵してはならない 。」. と明記されているが、それはあくまで「内心の自由」であって、思想や良心 に従って外部に行動を起こした場合、それが法律に触れる行為であれば処罰 される。(以下後略。なお、上記の1〜5は、月刊誌の「正論」6月号の稲垣武氏 の「マスコミ照魔境」よりの部分転載である。)

6.識者の間では、朝日新聞の日の丸・君が代反対は、公然たる主張である。然 るに、その点を公然と追求された場合は、論理的に筋の通らない言説を弄する 知的不正実さは、日本の左翼の特徴であり、朝日新聞も全く同じである。

7.これが、「赤旗」であれば、共産党の機関紙であり、「聖教新聞」であれば創価 学会の機関紙であるため、一般読者は基本的な意識をもって読むであろう。

8.しかしながら、朝日新聞は、仮にも「全国紙」なのであり、読者も最近減少して  いるとはいえ、かなりの数にのぼる。

9.このような「羊の皮を被った狼」について、一般の読者は、基本的な知識がな  いため、「朝日新聞は、知的で、知識人の読む新聞である。」などと、信じて疑  わないのである。現に、私の家族もそうであり、私の反論に対して、逆に私の  ほうが変人であるといわれる始末である。

10・これは、非常に大きな問題である。この原因を考えてみよう。まず第1は、「  全国紙が間違ったことを記事にするはずがない。」という単純な理由があげら  れる。次は、「NHKや、新聞は、公正であり、偏っていない。」という先入観があ る。

11.このような単純な信じ込みは、訂正することが非常に難しい。これに加えて、 日本人の特性である「主体性の欠如」が輪をかけている。この点は、他の直言 でも度々指摘しているが、青年期までの教育の問題に行き着くであろう。

12.日本の教育は、「自己主張」よりも、「周りとの協調」を第一義としているので  ある。

13.グローバル・スタンダードは、「先ず、最初に自己主張ありき。」なのである。

14.この根本的な点を修正しなければ、日本の将来はないと断言できる。

以上

「反日」の朝日新聞よ、その正体を現せ!
平成15年5月4日

1.貴紙の憲法記念日の新聞報道について、異議を申し立てたい。

2.内容は、全国の小学校6年の教科書に、愛国心に関する記述が増えていると  のこと。

3.私見では、非常に喜ばしいことであり、やっと本来の日本人の教育が戻ってき たと思っている。

4.この事実に対して、貴紙は相変らず、押し付け教育だとか、思想の自由を奪う  もの、最後には、得意の大学教授の言葉を引用して、さも自社の意見が正当で あるとのワンパターンである。

5.世界の教育事情を見てみよう。貴社の大好きな中国、北朝鮮、ロシアではどう か?全てが、愛国心教育の塊である。

6.独裁主義の全体主義国家であっても、愛国心教育に熱心なのは、どういう理  由なのか?理由は単純である。愛国心こそが教育の根本であり、「アイデンテ ィティー」の源なのである。

7.この事実に対して、貴紙は、日本の愛国心だけに批判を加えている。

8.貴紙の狙いは何なのだ。「羊の皮を被った狼」よ、その本性をあらわせ!

9.日本を革命で共産主義国家にしたいのか。残念ながら、今あるのは、一党独  裁の全体主義国家だけである。

10.日本を中国の属国にしたいのか。それとも北朝鮮のような、たった1名による 独裁国家にしたいのか。

11.それでなければ、日本全体を無政府状態にして破壊したいのか。

12.あいにく、日本は思想の自由のある、民主主義国家である。だから、貴紙を廃 刊することができない。

13.しかし、赤旗なら、読者もその主張について、基礎知識があるから、その報道 内容が偏向していることは、一般国民も承知している。

14.これに対して、貴紙は、全国紙というカムフラージュをしているため、単純な一 般の読者を騙すことができる。

15.これが、恐ろしい「洗脳」ということである。

16.朝日新聞は、はっきり言って、「売国新聞」である。日本には必要がない。大  好きな中国へでも行け!

以上

「人権報道が大好きな」朝日新聞よ、なぜ、SARSの実態を報道しないのか?
平成15年5月1日

1.5月1日の貴紙一面は、SARSの一号感染者が見つかったとの、特集記事であ る。

2.こんな程度の記事は、他紙では、ニュースの価値はなく、数行のベタ記事であ る。

3.SARSで、はっきりしているのは、発生場所が中国の貧困部であること、感染  を広めたのが中国共産党の指導部であることである。

4.SARSは、原因不明のウイルスであり、死亡者も中国本土に広がっている。中  国人が死亡しているのは、自国の政府のためであり、自業自得といわれても仕 方がない。

5.しかし、中国以外の人にとっては、突然襲ってきたいわばテロ、実態は、生物化 学兵器ともいえる。

6.中国共産党の指導部で混乱が起きているのは明白である。すなわち胡新主席 が担当大臣の更迭に踏み切ったのは、従来の体制では考えられないことであ る。なぜなら、担当大臣は、江沢民前主席の側近だからである。

7.今回の初期対応が遅れたのは、独裁国家の持つ宿命だが、それに輪を掛けた のが指導部内の内紛であろう。

8.さて本論に戻ろう。イラクの戦争で一般市民を殺しているとヒステリックに報道し ている、朝日新聞がなぜ、関係のない外国人を感染のうえ、病死させている中 国を糾弾しないのか。

9.理由は簡単明瞭である。朝日新聞は、人民日報の日本支局なのである。北朝 鮮に対する報道も同様である。

10.朝日新聞の人権報道は、中国、北朝鮮およびロシア以外についてだけの限  定報道なのである。

11.朝日新聞は、反日の、自虐史観の塊であり、わかりやすく言えば、偽善者そ  のものなのである。

12.この単純な事実に、日本人の多くがきずいていないという、事実の恐ろしさよ 。これが、日本の全国紙なのである。

13.何度でも繰り返すが、日本人の一人一人がもう一度、「真実は何か」を、自ら の頭で、考え直すべきなのである。

以上

反日、反米、親中、親北朝鮮の朝日新聞の存在について
平成15年4月24日

1.相変らずの偏向報道がなぜ変わらないのか?

2.結論を言う前に、最近の報道内容に触れよう。

3.アメリカのイラク戦略(私があえてこの言葉を使っている。)に対して、人道的な(?)観点から、一般市民を標的にする戦争は許されないと報道している。

4.それを言うなら、中国が文化革命当時、何百万の市民を殺している事実について、なぜ報道しないのか。

5.また北朝鮮においては、現在も餓死で何百万の市民が死んでいる。また、独裁国家の宿命である反体制派の粛清という名の殺人が日常的に行われていることを、なぜ、報道しないのか。

6.中国の天安門事件の決定者であるケ小平は、殺人の単位を次のように考えている。つまり、中国の百万人は、日本の1万人程度にしか感じていない。

7.私は、アメリカのイラク戦略を認めているわけではない。しかし、もし北朝鮮が日本に向けてミサイルを打ち込んできたときはどうなるのか?現在の憲法では、交戦権はないのであるから、一般市民が殺されているのを黙ってみているしかないのである。

8.古来、戦争においては、殺人罪は適用されていない。そして、戦争目的にあた る大義名分も、所詮味方を増やしたいだけの便法に過ぎないことは、過去の歴 史が証明している。

9.人権問題に対して、ヒステリックなまでの朝日新聞は、ロシアのチェチェン弾圧、 中国のチベット弾圧、イラクの反体制派の弾圧については、一切報道しない。

10.そして、極めつけは、日本に対する自虐史観というより、「反日」と言う信念で あろう。

11.朝日新聞社には、「愛国心」と言う言葉は、存在しないのである。

12.私の言いたい結論は、以下のとおりである。なぜ、日本人は、このような新聞 社を全国紙として、認めているのか。

13.極論で言えば、日本人には、愛国心がないのである。だから、朝日新聞の報 道についても疑問を抱かないのである。

14.人間のもつ「アイデンティー」の根源は愛国心であると思っているのは、少数  派であることが現在の日本を駄目にしている根本原因なのである。

15.まず、物事を考えるのには、「日本にとって利益となるか」ということが、大前  提でなければならない。

16.その証拠には、世界の大国は、全て、自国の国益のために行動しているでは ないか。

17.日本人よ。いい加減に平和ボケから目を覚ませ。今のままでは、中国の侵略 により、日本は消滅してしまうのだ。

18.外交とは、先手必勝なのである。「やられる前に、やっつけろ」が基本戦略で  なければならない。

以上

朝日新聞社の支局襲撃事件の時効について
平成15年3月15日

1.この事件に対しては、素朴な疑問がある。

2.まずあげられるのは、なぜ朝日新聞社だけが標的になっているのか?

3.つぎに、組織的な犯罪だと思われるのに、なぜか協力者も現れないし、警察の 捜査も本腰を入れているようには見られない。

4.他の新聞社の追求姿勢が、同業者が標的になっている割には、それほど大袈 裟ではない。

5.全くの私見だが、以下に感想を述べよう。

6.おそらく、犯人は、右翼系の犯罪グループであろう。

7.当事者の朝日新聞社は、ヒステリックなほど言論に対する「テロリズム」とわめ  いているが、同調者が少ない。

8.この事件とは、比較にならないかもしれないが、朝日新聞社の報道姿勢で言え ば、同じ線上に位置付けられる。

9.それは、アメリカのニューヨークに対する、民間機のハイジャックによるテロリズ ムである。

10.朝日新聞社は、テロリズムは許されないが、その根底には、アメリカ自身の外 交姿勢が大きな原因となっていると執拗に報道している。

11.この論法でいえば、朝日新聞社に対するテロリズムは、朝日新聞社の報道姿 勢が大きな原因となっていると推定できよう、はっきり言えば、それしか考えら れない。

12.朝日新聞社の報道姿勢は、かなり昔から偏向しているとの指摘が多いのにも かかわらず、いっこうにその態度を改めない。
13.そのような会社には、テロリズムしか方法はない。と、右翼系のグループが考 えるのは不自然ではない。

14.私は、テロリズムを認めているわけではないが、朝日新聞社の場合は、「自業 自得」といわれても仕方がないと思える。

15.再発を防ぐには、朝日新聞社の上層部の総退陣が不可欠である。

16.以上は、極論かもしれないが、朝日新聞社の報道姿勢は、極論そのものなの である。

以上

貴社の偏向報道について
平成13年4月4日

取締役社長殿

 4月4日付け第1面の見出し「自国美化の歴史観」を見て唖然とする一方、ついにベールを脱いだなと確信しました。
 従来からも、多くの知識人にとって貴社の偏向報道は有名であり、国外では以前はソ連、そして現在は中国偏向の報道に加えて、国内では自虐史観です。
 今回は、米軍機と中国軍機の接触事故と教科書検定問題が同時に発生しているため、貴社の偏向報道が素人でもはっきりとわかります。

1.接触事故
 そもそもの原因は、中国が台湾を武力で威嚇するため、移動ミサイルを台湾に近い沿岸部に配備していることの事実を、米軍機が高性能の機器によって把握するためです。
 そして、これを阻止するため人民解放軍がスクランブル発進をかけて邪魔をし、直近では挑発までしているうちに起きた事故です。
 なぜ、米軍機が偵察を何度も行う必要があったのかについては、中国が偽りの発言をしているために、その証拠をつかむためです。中国共産党指導部が人民解放軍を抑えられないのは、世界中に知れ渡っている事実です。
 この問題で、米国との関係がこじれれば、台湾へのイージス艦売却、北京でのオリンピック開催、WTO加盟問題等中国にとって不利になる材料が目白押しのため、共産党指導部は人民解放軍からの突き上げと、外交交渉との板ばさみになり苦しい選択が続くはずです。
 しかしながら、中国と言う国は「中華思想」と言う世界にまれに見る特殊な(=危険な)国であるため、外交の一般常識が全く当てはまらず、軍事力を背景にした恫喝外交を基本概念としています。

2.自虐史観
 本来、国の教科書検定問題は、その国独自の方法で行われるべきである。これに文句をつけるのは「内政干渉」そのものであり、今回はじめて日本が反論したものです。
 逆に、中国および韓国が反日教育を徹底して行っていることは既成の事実であり、これに対して日本がクレームをつけないのがおかしいくらいです。
 反日教育が事実に反することについては、来日した人達が一様に発言するのは,「今まで学んできたことと、現実が全く違う」と言うことで明らかです。
 また、第2次大戦でドイツがユダヤ人を虐殺した事実に対して、近隣諸国が貴社のようなキャンペーンを行っていないことも事実です。
 従来より、週刊誌、月刊誌等が貴社の偏向報道を徹底的にたたいていますが、一般市民も貴社の存在に危機感をもっています。このような偏向全国紙は国民の判断を誤らせるばかりです。今後は、機会あるごとに貴社の偏向報道について、インターネットを使って日本全国に発信していき、貴社が方針を変えない場合は、廃刊に追い込む決意で望んでいきます。

以上


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