ビクトル・ユゴー『レ・ミゼラブル』    第5部2章 巨獣のはらわたについて

   学生の卒業論文、関心ある人の研究テーマとして推奨
   佐藤 朔 訳 新潮文庫(35刷版)で読んでいます。
                                                     へちまや安藤

                              はじめに

●このテーマを考えた時、すぐにでも着手して100枚ー200枚ぐらいの論文をものして、
それをここで公表しようと思っていた。が、ややや、あれれ。やってみるとこれが意外
と大変、1年や2年はかかりそうだ。もしかして睡眠時間を削り、飲まず食わずでやっ
てもそれくらいかかるかも知れないと最近はびびってる。といっても内容の上では、そ
うむつかしいことではないように思う。甘いかもしれないが、人を納得させるだけの資
料を集め本を読み込み、説得力を持たせるには時間と労力がかかるということだ。

●で、これは私の仕事ではないとさっさと見切りをつけた。いわゆる研究者の領分だ。
あと何年かたってもまだ誰もやってなかったら、その時、再考することにした。先日、
ある大学で「まん前の席に座り、自己紹介すれば聴講生になれる」と聞いて(いわゆる
もぐり学生の公認ですね。詳しく知りたいかたは、メール下さい。こっそり教えます)
講義を受けてきた。その時、講義のテーマからは、ややそれて申し訳なかったが、発言
を求めて、学生に「し尿処理・水処理やトイレをテーマに卒論を書いてください」とお
願いしてきた。本当に先入観を持たずに研究してほしいですね。

【既に同じテーマの論文や書物が出されていましたら、是非、教えてください。インタ
ーネットのサイトでは、『水処理通信へちまや編』第4号で紹介した上中啓さんの山岳
トイレ研究の論文。また、横山さんの「1996年のスカトロジー」が卒論として公表され
ています。】

                         私の立場

● 私は水処理を業としているが、私の立場と論旨は単純明快である。生活排水処理は、
もっと単純にすべきだ。
1、発生源処理を原則にする。(管渠は最小限にする)
2、物質循環の一環としての処理=再生。捨てるものではない。
3、機械薬品のハイテク化、スケールと量のメリットを追求しない。
総じて、下水道に代表される現在の大規模水処理技術の否定、批判になるようなものだ。

●TSS汚水処理システムをはじめ代替しうる技術は、ハイテク幻想さえ取り払って現実
を見れば既に芽を吹いている。要は、実現しうる社会システムと関係者の構想力、実現
への行動でしょう。その前提作業として下水道の歴史、その功績と影を振り返っておく
こととが必要だと思う。特に、日本の近代化は、水処理の分野はほとんど西洋の下水道
方式の導入とおなじであったためこの点の整理が必要だろうと思う。(但し、いくつか
の点で日本独自なものが考案されてきたことは事実。し尿処理場の技術等、これはこれ
で評価すること)

●さて、こうした批判の視点は実は当のヨーロッパから出されていた。
それが、ビクトル・ユゴーの下水道についての言及である。第5部第2章 巨獣のはら
わた とくに「1、海のために痩せた土地」からの箇所に書かれていることは今も有効
だと思う。

ジャン・バルジャンが下水道へ入った瞬間、波乱のドラマが、一転、NHKドキュメンタ
リー番組『クローズアップ現代』に変わったような雰囲気でめんくらう。小説の展開の
中に岩波新書1冊になろうかとというレポートを挿入する手法は、19世紀の小説の通
有であり、同時にユゴーが独自の用い方をしているもののようです。(詳細は文庫本の
訳者解説。他に研究書はあるだろうと思われます)


●「パリは年に二千五百万フランの金を水に捨てている。これは比喩ではない。どうし
て、どんなふうに?夜も昼もである。なんの目的で?なんの目的なしに。どういう考え
で?なんの考えもなしに。何をするために?なんのためでもなく。どんな器官を使って?
そのはらわたを使って。はらわたとはなにか?パリの下水道である」

★現在、東京は、ニューヨークは、・・・先進国の大都市はどれだけの金を水に捨てて
いるのか。この数字の算出が一仕事だ。でもまあ、専門家がいてどこかにデータはある
はずだ。
★その目的については、当然「立派な目的、意義がある」という反論が山とあ
るだろう。もうこれだけで、いわゆる衛生工学の専門家の先生たちがわーっと寄ってた
かって襲いかかってきそうな感じがする。でもまあ、1800年代半ば、遠くはパリの一小
説家がいってることだ。そう、むきになってもらわず先に進もう。

●「科学は長い探求のすえ、今日では、肥料のうちで最も養分の多い、もっとも有効な
のは人肥であることを知った。」

★これはどうであろう、衛生工学者に加えて肥料会社からも関係者が飛んでくるだろう
か。人糞の有効性が言われるが実際、どうなんだろう。戦後の衛生思想、いま抗菌グッ
ズまで行き着いている風潮が、一方にある。しかし他方、江戸は世界一衛生的な都市で
あったという事実もある。何よりも農業にとってどうなんだろう。農業に大量の化学肥
料は何をもたらしたのだろう。今年4月から始まる有機農業農産物の表示は、大量施肥
大量農薬の戦後農業の反省だ。

                           東洋、日本の紹介

「中国の百姓は、町に出ると必ず、われわれが汚物と呼ぶものを一杯入れた二つの桶を
竹竿の両端にさげて、かついで帰るそうだ。人肥のおかげで、中国の土地はいまでもア
ブラハムの時代と同じくらい若々しい。」

★この報告はエッケベルクという人によってもたらされたようだ。東洋へ出かけた宣教
師か商人か。いずれにしろ、中国というのは疑問がある。日本なら間違いない。中国も
含む東洋全般も考えられる。情報の伝わり方、原文がどうなっているかの検討。
★中国の農村のし尿処理の歴史と現状を正確に知ること。野つぼがなかったことはわか
っている。現在は、バイオガス方式が主流のようだ。
★韓国、済洲島では豚の餌にするというのは有名。
★どちらにしても「肥え桶をかつぐ農民の姿」は日本の江戸時代であることは間違いな
い。その肥料のおかげで江戸近郷の土地が豊かに保たれた。江戸だけでなく地方の都市
と近郊も同じ。鎌倉時代から始まったといわれている「野つぼと畑の関係」の歴史。詳
細に。

「中国の小麦は一粒が120粒もの収穫をもたらす。肥料性の点でどんな鳥糞石(グワ
ノ)も一都市の排泄物にかなわない。大都市は、盗賊かもめのうちでも、もっとも強力
である。田野の肥料に都市を使えば、きっとうまく行くだろう。われわれの黄金が糞尿
だとすれば、逆にわれわれの糞尿は黄金である」

★都市から見た時、資源として農村に売るものであった。文献とエピソード多数。長屋
の店賃、大家の収入、辻便所、武家屋敷と町人の町の肥料度の違いと価格の違い、城や
屋敷から水路を船で運ぶ(数々の時代劇シーン)、し尿をめぐる利権争い(藤田雅也
著『糞袋』新潮社、京都を舞台に、前半部)、農民間であらそいと入札(戦後1950年代
まで確認されている)糞尿で財をなした話、明治初期横浜の商人、公衆トイレの先がけ。
★北陸(富山?)では火薬にしていたという記録もある。
★付随して、野つぼのエピソードも多数。落ちた話など。井上ひさし『コメの話』新潮
文庫、111〜112頁、図解入り)知ってる世代はこの話だけで夜なべ談義はおろか3日や
そこら話は尽きないと言われている。知らない世代は?お気の毒さまでした!
★当時の生産額、土地面積、人口、労働人口、消費人口。あるいはひとつの藩や都市で
の生産額と肥料の割り出し、糞尿の生産量の割り出し。概算は出来るはず。

                             世界を養うに足りる

「この肥料を人はどうしているか?深淵に掃き捨てているのである。多くの船団が莫大
な費用をかけて、南極でウミツバメやペンギンの糞を採集しに送り出されているが、手
元にある無限な富の要素は海に送り込まれている。世界が無駄にしている人間と動物の
排泄する肥料をそのまま、水に投じることなく土地に施せば、世界を養うに足りるであ
ろう。」

★鳥の糞を肥料として集める習慣、調べること。おそらくリン(P)を求めてのことだ
ろう。現代は南極へ船団を送り出す代わりに工場で化成肥料の大量生産を行っている。
商社・農協は農家に売りつけ、農地に大量散布している。そして、当時のパリと同じよ
うに富の要素は、機械設備、薬品、人員そしてコストをかけて「放流」して海に流しこ
んでいる。高い費用をかけて買い、高い費用をかけて捨てている。

★海に捨ててるものを肥料として土壌に還元すれば世界を養うにたりるということを現
代において、可能とする数字を示すこと。

「・・・それを大きなるつぼに入れよ。そこから富が出てくるだろう。野を肥やすこと
は、人間を養うことになる。
 この富を無駄にすることも、また私の考えを笑うことも自由である。だが、それはこ
の上なく無知をあらわすものだろう。
統計は、フランスだけで毎年5億フランを諸河口から大西洋に流失すると計算している。
5億あれば国の予算の4分の一がまかなえることに、注意してほしい。人間の賢さは、
この5億を川に投げ捨てるほうがいいと思っている程度である。」

★処理水の放流だからこの当時よりは、下水道の技術も処理性能もあがっている、とい
う反論は当然あるところだ。いまごろ、ユゴーの時代と同じ水準でものを言ってほしく
ないというわけだ。でもそれは、単によりいっそうコストをかけるようになっただけの
ことで資源を捨てる金額と労力を増やしたというだけのことではなかろうか。

                          パリ(都市)の才知と愚かさ

「モデル都市パリ、各国民が真似ようとするよくできた首都の典型であり、理想の首府
であり、独創と推進と試みの荘厳な祖国であり、清新の中心地であり、一国をなす都市
であり、未来を含む蜜房であり、バビロンとコリントスのすばらしい合成であパリが、
今指摘した見地からすれば、福建省の百姓に肩をすくめさせることだろう。パリの真似
をしたら、身の破滅である。・・・・」

★日本の農民や漁民が、下水道にたいして合併浄化槽の放流に対して、「なじめない、
もったいない」と循環資源の廃棄に対して本能的な忌避感をしめした時、行政は「遅れ
ている」といって一蹴してきたのである。

「この驚くべき無能は、事新しいことではなく、決して若げのあやまちでない。古代人
も現代人も同じことをしていたのである。『ローマの下水は』とリービッヒ(訳注 ド
イツの化学者)は言っている。『ローマの農民の福利をすっかりすいつくした』。ロー
マの田野がローマの下水道のために荒廃した時、ローマはイタリアを衰微させ、さらに
イタリアを下水道を流しさったのち、シチリアを、ついで、サルジニアを、ついでアフ
リカも下水に流しさた。ローマの下水は世界をのみつくした。その下水は、この都市と
世界にむかって口をあけていた。『都市と世界』にむかってである。永遠の都市、底知
れぬ下水道。他の点と同様に、この点でもローマは手本を示している。この手本にパリ
は従っている、才知の都市に固有の愚かさをもって。」

★以上で、ユゴーの引用の基本部分を終わる。写して引用したい箇所はまだあるが、是
非、皆さんで直接あたって確認してほしい。基本的な考え方はご理解いただけたと思う。
私たちの課題は、文学的表現のなかにはらまれている本質的な批判を、「気のきいた表
現」から歴史的な各段階の整理、今日のデータと技術とで再構成して、「21世紀の水
処理法」を構想することだと思う。少なくとも、「下水道が今あるから下水道が正しい
のだ」ということではなくて創造的な視点と技術を作り出してゆくべきだろうと考える。

                          文献の補足

★引用はしなかったけれど鯖田豊之著『水道の思想』(中公新書、1996年)を参考にし
ながらユゴーの文章を読んでいました。この本はほとんど上水道のことしか触れてませ
んが、しかしその中でも、ヨーロッパでの「潅漑法」という汚水処理法の紹介は興味を
ひかれました。8頁から11頁参照。汚水処理と農業用水を結びつけたものです。今は
消滅しているそうです。なぜヨーロッパで広がらなかったのか?は大事なテーマです。
(私の試論ですが、気象条件以上に下水道的な大規模技術と設備で対抗しようとして敗
れ去ったのではないかと思います。発生源でそれぞれ極力、小規模で処理するという思
想が欠けていたのではないかと見当をつけています。これはいずれまた詳しく考えます。)

★また、1999年11月、農水省と環境庁の検討委員会から『有機性資源循環利用の促進
のための基本方針』という文書が出されています。環境庁のホームページで私は読みま
した。その中に、こう書かれています。「生ごみ、食品産業廃棄物、家畜排せつ物、下
水汚泥等の有機性資源(廃棄物)は、有用な資源として再生していくことが可能。しか
し、現在は、その多くが逆にエネルギーを使いながら処分。人口・食料・環境・資源等
が地球規模の問題となりつつある中で、有機性資源の循環利用に取り組んでいくことは、
物質循環の回復や生態系の保全を通じ、こうした地球規模での問題の解決に大いに貢献。」

ビクトル・ユゴーがこれを読んだら「なんだ、お膝元の日本(東洋)でもやっと今ごろ
になって資源再利用を言い出した程度なのか」と笑うかもしれません。江戸の農民の知
恵に追いつき、現代にアレンジするためには、まだまだやることは多いようです。
                                                      (ひとまず、終わり)
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この試論は、『水処理通信へちまや編』第15号、16号に掲載したものです。若干の加筆、誤字脱字の訂正、見出しをつけたものです。                       (2000年1月30日)

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