大正リベラリズムの残照に照らされる昭和モダニズム。昭和という響きには多少の悲しみが含まれます。前の大戦で実際に戦災に遭われた方もまだたくさんいらっしゃると思われます。その悲惨な戦争が始まる前、或いは激化する前の、まだ平和だった頃の日本の風景に、ノスタルジーを覚え、制作しています。
地下鉄が走り、ジャズのメロディが流れ、ネオンサインの輝きに、広告塔の電光ニュース。ラッシュアワーの喧噪と自動車の濁流。東京〜大阪間は旅客機が飛び、スチュワーデスならぬ 「エア・ガール」が活躍していた当時。カラーフィルムが小西六さくらカラーとして売り出され、テレビの試験放送さえされていたのを御存知ですか?
そんなに現代化されている情景の中、女性の風俗もまたしかりですが、まだまだ日本特有の文化は色濃く、梅田・心斎橋間を結ぶ大阪市営地下鉄に乗っている人々も半分以上は和服で、日本髪を結った人が已然目立つ様相でした。タイトスカートにハイヒール、髪はもちろんパーマネントという職業婦人と、丸髷を結った主婦が同席していたのです。当時独特の和洋混沌という様子でしょうか。
そんな平和な文化も長くは続かず、昭和16年12月の真珠湾攻撃を皮切りに、太平洋戦争に突入した日本は、日常生活が日々苦しくなり、昭和19年末から始まった本土爆撃によって、殆ど全てが瓦礫と化します。
当時を知る人の思い出、或いは当時を全く知らない若い世代の人々に、新鮮なニュアンスとして興味をもって御覧頂ければ幸いです
1796年、エドワードジェンナーによって、「種痘」が発見される。初めて接種されたのは、ジェームズ・フィリップという8才の少年だった。
「種痘」は当時最も恐れられていた伝染病「天然痘」を予防できるという画期的なもので、発見は奇妙な言い伝えからもたらされた。その言い伝えとは、「乳搾りなどをして手にできものができれば、天然痘に罹ることがない」というものだ。実はこのできものは「牛痘」という牛の軽い病気で、すぐ治る。ジェンナーはこの「牛痘」を事前に人に接種すれば、天然痘を予防できるのではないかと考えた。そこで、牛痘の膿をジェームズ・フィリップに接種する。ほどなくジェームズは発熱し、できものもできたがすぐに快復。1カ月半後、天然痘の膿を接種するが、発病しなかった。ジェンナーの考えは正しかったのだ。種痘法の確立である。これは牛痘と天然痘の基本分子構造の類似により、人体内で作られる牛痘への抗体が、天然痘にも反応するためにおこる。
日本でも天然痘は「もがさ」「ほうそう」などと呼ばれ、上古の昔から恐れられていた。聖徳太子の父、用明天皇もこの天然痘で亡くなっている。
江戸時代に入って1849年(嘉永2年)、緒方洪庵らが大坂に種痘所を開設して天然痘予防に努めるが、当時の人々は「牛の血膿など身体に植えれば自らが牛になってしまう」と考え、種痘には協力的ではなかった。緒方らが「種痘をすれば牛の神様の恩恵にあやかることができる」というふれこみで、牛の神様の絵を描いたお札を配り歩いている記録が残ってる。
そして文明開化の明治を迎え、種痘が法律として制定される。日本ではその後天然痘は幾度か流行するが、1926年(大正15年)の年間158人を最高に、後は数える程の罹患者が出るのみとなる。1955年(昭和30年)の患者1人を最後に、現在まで日本での天然痘患者は確認されていない。そして、1980年(昭和55年)、WHOは「世界天然痘根絶」を総会で宣言する。
表紙イラストは昭和8年頃の種痘の様子。普段の日本髪がまだ珍しくない頃だ。たもとをたくしあげて接種される様子は、当時の病院ではありふれた光景だった。
昭和12年(1937年)といえば、盧溝橋事件によって日中戦争が勃発し、世の中はだんだん戦時色が強くなってくる時代であるが、庶民の暮らしの中では、戦争はまだ遠い大陸での出来事であり、戦時中であるとか、非常時という意識は薄かった。
確かに、生活物資はいまだ潤沢にあり、デザートにフルーツみつ豆の缶詰めを食べたり、森永の缶コーヒーを飲んだりするのは当時当たり前のことで、子供向けの菓子類なども、洋菓子はショートケーキから和菓子、中華菓子と、欲しい物は何でも揃っていた。そのため、虫歯になる子供も結構たくさんいたものだ。当時の教育雑誌に「あまいおくゎしをたべすぎないやうにしませう。まいあさまいばんはをみがきませう。けふのあさみがいても、ゆふべみがかなければむしばになります。」とある。
このイラストの少女も、虫歯になって歯医者を訪れたところだ。丸髷に結った母親に付き添われ、歯を削る電気ドリルを前に説明を聞いている。虫歯は痛いだろうが、この後、太平洋戦争がおこり、虫歯などになりたくてもなれないほどひどい食料事情の日々がくるのだ。虫歯になるほど幸せだったと言うべきか。
今の平成の平和な時代と、この昭和戦前のまだ豊かだった時代の様子が似ているような気がしてならない。北朝鮮やイラク情勢など、不穏な気配が色濃いが、今現在がなんらかの「戦前」でないことを願いたい。
夏の行事といえば海水浴であるが、それは大正時代から同じだった。昭和に入ると大阪の浜寺や、神戸の香枦園などに海水浴場が設けられ、阪神や阪急、京阪電車、大軌電車(近鉄)、省線電車(JR)の、「海へ、山へ、快適なる省線電車」「紺碧なる空も海も、阪急電車の車窓から」などと電鉄会社の広告のオン・パレード。実際、シーズンごとには行楽ラッシュがおこってる。また、まだ豊かだった昭和13年頃までは、出かけるとなればこぞっておしゃれを競い、当時ファッションで流行した軍服を子供に着せたりするのも、親の楽しみの一つだった。このイラストの少年も、着せてもらった水兵服をいたく気に入って、可愛さのあまり缶コーヒーとチューインガムを差し入れてきた娘にちゃっかり敬礼などしている。ともかくも平和だったのだ。
これからしばらくたつと、日中戦争の激化により、鉄道輸送は軍部に重点的に廻され、私鉄各線や、また得に省線などは、一般市民の行楽のために広告を打つことはあり得なくなってくる。
都会の隆盛の象徴であったラッシュアワーの喧噪も、いつしか少なくなった列車の中でひしめく人々の、疲れた顔とため息に変わってゆく。そして、ファッションで着ていた水兵服も、もうおしゃれではなく実戦のためにこの少年は着ることとなるのだ。
時代の流れに平和など簡単に左右されてしまうものかと思われる。