
1999年4月13日更新
「人脈フォーラム」
が本になりました
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勉強会、サロンの案内 |
| 99年4月12日発売 祥伝社文庫書き下ろし 590円(税込) |
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| ◆「人脈づくり」の達人 全目次 | ||
| 第1章 誰もが創れる「T字型」人脈 | ||
| プロローグ 人脈創りは、もっともお金のかからない投資である
「T字型」人脈の時代がやってきた 最初から人脈のある人はいない 人的ネットワークは、よりよい人生を歩むための道具のひとつ 人と人が集う場所では、コラボレーション感覚が大切になる 地域社会は、絶好のコラボレーションフィールド ハガキ一枚書かない人間関係だってある 偶然の出会いが一生の付き合いに 社会的なステージの違う人とのネットワークの方法 人脈のプロに学ぶ三つのポイント 「名刺交換だけ」ならお断りします 百円玉一個で広がる人脈 人脈を食い荒らすオニヒトデになってはいけない 井の中の蛙、勉強会に出る 「人脈地図」の作り方 仕事の人脈をパーソナル人脈に変える自宅の連絡先 こんな時代だから逆リストラ あの人にできるんだったら、自分もできる ネットワークのための企画書を書く 生き残った勉強会は本物志向 |
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| 第2章 自然に広がるネットワークの仕掛け作り | ||
| 誰でもできる、人脈創りのコツを教えます 千人の人脈も会社から 社内ネットワーク作りには秘訣がある 異業種交流会には情報のおみやげを持って 人を大切にする三つの心がけ 目新しさで勝負 ハイブリッドメール 雑誌には旬のキーパーソンが満載 キーパーソンにどうやってアプローチするか 「袋入りのキーパーソン」たち 一歩前へ、フォローの手紙をだす 名刺探しのジレンマ 私の名刺管理法 「友達の友達は友達だ」の論理を最大活用する もはや常識、インターネット イージー・パーティの開き方 「通常残業症」から「逆残業」へ 朝投資して夜回収する 朝の人脈創り |
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| 第3章 興味が湧くと人脈も増える | ||
| 人脈は、ゆっくり深めていくことが大切 待ち合わせはジャストタイム 大根一本、人脈五人 ツールとしての自己紹介を極める 人脈はキーパーソンを中心に団子状態 キーパーソン・コンタクトファイルは人脈創りの種 二万八千九百円の海外旅行で人脈を築く 自分の勉強のための勉強会をまず作る 人脈創りフォーラムの実際 人脈を深める勉強会の作り方 勉強会のいろいろ−勉強型から遊び重視型まで |
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| 第4章 このひと工夫で人脈は広がる | ||
| 長い文章を書くのが億劫な人は一筆箋を使え
絵手紙に記念切手で勝負あり プライベート名刺は人脈拡大の“営業マン” 一枚の名刺で自分を表現できる時代は終わった プライベート名刺作成入門 名刺を忘れてしまった人のためにブランク名刺を P・Iシートの時代 私の場合、「本」は名刺がわりである 連絡待ちのときには必需品、コードレスホン 進化したポケベルはメールを受信する ファックスでつなぐ人と人 ファックスのジレンマ 電子メール時代の「お返事」作法 コスト面から見る住所データベースの「落とし穴」 住所録整理はテキストファイルと表計算ソフトで カード方式の電話番号簿はなくしても平気だ 毎月一册ずつ使い潰す私の「手帳」 電子手帳は単機能にして使う メモはコミュニケーションツール 写真はインパクトの強さでは右に出る者なし デジカメはもはや必需品である すてきな絵を前にすると人は和む 「メールチャチャチャ」を知ってますか |
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| 5章 人脈を味方につけるコツ | ||
| 自分に対して批判的な人を大切にする クレームが会社を、人間を大きくする サラリーマンの時間、経営者の時間 四季の移り変わりと人間関係のストレス ネットワーク型の電脳ログハウス計画 会社の人間関係に押しつぶされないためのマニュアル 「有言実行」は「有限」実行で 「分からない」と言う勇気から、人間関係は広がる |
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| 人脈創りの達人 小さなヒント集 | ||
どんなにたくさんの人と知り合って、名刺交換してもそれが血の通った人的ネットワークとして作用していなければ、せっかく人脈を創ったつもりでも全く活きてこない。 人的ネットワークの拡大など最終目標ではない。人生をいきいき、元気に、楽しく過ごす事が目的なのである。 積極的に社外人脈を創っている人達にとってみれば、会社の仕事にフィードバックしているという意識が強い、実際に貢献度は高い。しかし、限られたネットワークしか持たない会社オンリーの人間にはなかなか理解してもらえないようだ。 会社勤めも自己実現のためのひとつのツールである。会社において出世するということは自己表現のひとつに過ぎないのである。このように考えると、人的ネットワークも自己実現のためのひとつのツールと考えることができる。 実にケアに手間のかかる人脈がある。それの端的なものは恋愛である。男女関係もコネクション型の人脈だと考えているがこれが、実に手間がかかる。一時的にせよケアを怠るとあまり良い結果は待っていない。 ネットワークを維持するために頻繁に会ったり、パーティー開いたりしなければいけないようでは、時間的にも経済的にもネットワーク拡大の天井が見えてしまう。出来るだけケアの必要のない人的ネットワークを持ちたいものだ。 素敵な人というのはどこにでもいる。それを見抜く目を持っていないだけのことなのだ。 人間というものは、全てに百点という人はいない。どこか秀でた所があればその点を学ぶ姿勢が大切なのである。自分自身欠陥だらけなのだから、他人に完璧を求めてはいけない。 勉強会に参加さえすれば、誰とでも名刺交換ぐらいはできる。しかし問題はその後で、せっかく知り合った人との繋がりをいかに保つかという点が重要なのである。 どんなに情報加工機器や通信機器が高度化し、便利になろうとも、人と人のコミュニケーションが基本である。 できることなら面倒くさいことはやりたくない。限られた時間を有効に使おうという観点からすると「面倒くさい」ということは「あまり必要ない」という言葉と同義語なのである。 「キーパーソン・コンタクトファイル」とは、気になっている人や会いたい人のリストである。気がついたときにこのファイルにインプットして意識の上での引っ掛かりを作っておく。 雑誌には、なにがしかの分野で少し秀でているあるいは、変わった活動をしているという人が良く紹介されている。そんな若い人達こそ、赤丸急成長なのではないだろうか。 自分の興味分野や自宅の住所、経歴などを書き込んだ第二のパーソナル名刺を持ってみることをおすすめする。わずかなコストで人脈が大きく拡がると考えると楽しい。 1分から長くとも3分程度ですっきりと、しかも印象深い自己紹介をする人がいる。こちらが興味を持って聞くせいか、若い女性に自己紹介上手な人が多いように思う。聞き手が興味を持つと言うこと自体、素晴らしい能力のひとつなのである。 名刺の管理には本当にいつも頭を悩まされる。決定的な方法というのがないのである。 名刺を整理するにあたって、どの方法が一番いいのかよくわからないが、わたしは基本的に、時系列、五〇音順+分野別、重要度の三つの軸で分類している。 他人の人脈を活用するのが賢いやり方だという人がいる。一歩間違うと「あざとい奴」と言われる危険をはらんでいるが、ネットワークを拡大したり、なにか企画を実行するには、他人の人脈をちゃっかり利用するのが一番の近道かもしれない。 人脈を拡げるには、自分から積極的に何かアクションを起こしていく必要がある。机の前で待っていても決して人脈は向こうからやってこないのである。 他人の創った勉強会に参加して批判するよりも、独創的な発想で会を創って批判された方が勉強になることだけは確かである。 勉強会の三要素は、@テーマ、Aメンバー、B場所である。講師や会費さらには組織化はその後に考えればいい。 勉強会を創るにあたって一番大切なのが、その会のコンセプトすなわち目的意識をはっきりさせることである。 多くの人とネットワークを持つということは、一人ひとりに対して「企画書」を書くことだ 自分は相手に対してどんなことで寄与できるのか、自分は相手から何を吸収できるのか、そんなことを浮び上がらせることが大切なのである。 「カネの切れ目が縁の切れ目」、「地獄の沙汰もカネ次第」、「カネさえあれば愚者も旦那」などカネと人間関係にかんすることわざは多い。ネットワーク型の人脈では人と人を繋ぐ接着剤は問題意識である。カネとは全く違った価値感を基に拡大をしてゆく。 書斎の“三種の神器”とは「コピー」、「ファクシミリ」、「パソコン」である。そして、この三つは人脈ツールとして大きく機能するのである。 目的はどうあれ、自然になんんの違和感もなく、初対面の人に向かってシヤッターを切ることができるだけの人徳を身に付けたいものである。 人間、何年も社会人をやっていると、常識という名の変な習慣みまみれてしまい、新たな発想など湧かなくなってしまう。しかしそれでも、十分社会人をやっていける。これは、良くも悪くも常識に守られているのかもしれない。 「学ぶこと」や「勉強すること」ということは、今までの習慣を見直し、新しい能力を身につけることである。一方、「遊ぶこと」とは、自分に正直になるということだと考えている。こう考えると、気楽に学びに遊びに取り組めるのではないだろうか。 ビジネスパーソンが「学ぶ」という場合には、目的はどこにあるのだろうか。仕事の必要上から勉強をする場合がある。これは、社会人である以上、基本である。特に二十歳代は、自分の専門分野を拡げるためにも、必死になって勉強すべきである。 知的な体力維持のための活動は絶やしてはいけない。健康と違って、生活習慣を見直しただけでは数値が向上しないのが辛いところである。 肉体の健康を損なった時には、発熱したり、頭痛がはじまったり、てきめんに外的な症状が現れる。しかし、心の健康を損なっても、臓器で言えば、肝臓のようなもので、かなり悪化するまで、表面に現れない。 社会人にとっての広い意味での勉強とは、本や人に出会うことである。これは、わたしの考え方なのだが、社会人になって、削ってはいけない支出がふたつある。書籍代と飲食費である。 本当に忙しい人は、その分仕事や勉強、遊びをこなしている。 仕事というのは、本来クレームに対応したり、ミスをリカバリーすることなのである。人間はロボットではないのだから、ミスや失敗は折り込み済みである。 だから、いかに早くリカバリーするかが問題となってくる。 勉強するということを突き詰めると、自分のアイデンティティ(PI=パーソナルアイデンティティ)を確立するということに到達するのではないだろうか。 勉強するということは、リ・クリエイションである。recreationの語源を辿ると、re(再び)・creation(創造する)ということだから、なかなか意味深いことばなのである。 わたしの友人がボランティアの受け入れをやってみて、一番最初に感じたのは、ゲストを受け入れるというプロトコル(手順)が日本の家庭にはないということだそうだ。 これからは、知的余命を考えて生活する必要があると思う。あなたの知的寿命は何年だろうか。人生の終末をハッピーに迎えることは意外に難しいものである。 気ばかり焦って、成果が現れないと言う時は恐らく時間密度が粗いのである。 「学ぶ」ということの原点は人まねにある。しかし、人まねであって、猿まねでないのは、自分なりに解釈し、咀嚼して、少しでもいいから付加価値を積み重ねからである。同じ事をやったのでは、猿まねでしかないのだ。 改善せずにだらだらと前任者と同じ仕事を続けていくのは、人まねではなく猿まねなのである。他人から学んだら自分の付加価値を付け加えることを忘れてはいけない。 自分が一番正直になれるのは、安全な環境下で、自分との関係の薄い、しかし、環境的には自分と同じ様な境遇の人の前である。素直に自分のことが語れるようになる場のひとつが勉強会でもある。 本を購入したからといって、全部を読む訳ではない。全部読みこなして、全てを頭にたたき込むことが出来るなら、必死になって本を購入し、読書をするだろうが、これまた限界がある。私の頭は限界だらけである。 |
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