medaka

haiku

 わたしが育った家の前には幅3メートルほどの道があり、その向こうに跨げるほどの小流れがあり、その向こうにわたしの家の畑があった。戦後すぐのころ、道を馬車や牛車がゆくと、馬や牛はぼたぼたと道に糞をこぼしていき、母は湯気の上がる糞を塵取りに取って畑にまいていた。
 その畑の、隣の家の畑との境には茶の木が一列にあって季節がくると白っぽい花をつけた。母は時に、少しだけどこれがウチの新茶よ、といっていたから、茶の木はわたしの家のものだったかもしれない。
 母は父と駆け落ちしたあと感動されていたが、それでもわたしやわたしの妹を連れて隣村の実家に帰ることがあった。わたしは、その実家の縁側が随分高かったこと、家の柱が相当太かったことを今も覚えている。そしてその庭のまわりには茶の木が生垣をなしていた。冬に母の実家にいったとき、その生垣がいっぱい花を咲かせていて、母はそれをゆっくり見て歩いていた。そして、母が実家を訪れた日は、母の父、つまりわたしの祖父はいつもいなかったこともよく覚えている。

大崎紀夫
(『WEP俳句通信 52号』より)