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第1章 クリスマス(ノエル)の前に(2)
ノエルはラファエルの上等なカバンを持って、立ち尽くしていた。荷物は思っていたより少ないようだった。お金持ちの大富豪の子弟なら、もっと沢山荷物があってしかるべきだったが、この新入生は物には興味ないのだろうか。それとも、神学生として入ってきたからには、物欲を世俗の中に捨てて来たのかも知れない。
グリフィス校長が、ラファエルに丁寧に挨拶した。少年の瞳には怯えがちらりと見えたが、それを巧みに隠している事に、敏感なノエルはすぐ気付いた。
「ラファエル、今日から君はここの神学校の生徒となるんだよ。本当はこのノエルとは年齢が少し違うのだが、君は家庭教師からラテン語や数学などを学んでいると言うので、ノエルと同じ学年となる。ノエルは今から君の学友で、そして寝る部屋も一緒だ。これからノエルが君の世話をするし、部屋に連れて行く」
校長の優しげな声音は、ノエルの方を向くと一変して厳しくなった。それは冷たい厳しさではなかったものの、どこか温かみに欠ける声音だった。
「仲良くしてあげなさい、ノエル! そしてラファエルの介助もするように。この子は足がお悪いのだからね」
「喜んでそうします!」
ノエルは心からの喜びに満たされてそう答えたが、ラファエルはチラッと年上のノエルを見上げただけだった。
「僕が君の世話をします。何でも言いつけていいよ」
と言うノエルの言葉にも、ラファエルは、
「ええ……」と曖昧に答えただけだった。
「寄宿舎の部屋へ案内しておやり」と言う校長の言葉に、ノエルは喜んで従ったが、ラファエルは下を向いたまま、頑なに松葉杖を頼りにのろのろと歩き出した。
「では、坊ちゃん。お元気で!」
背後から従者が呼びかけたが、ラファエルは振り返りもしなかった。反対にノエルはラファエルの口から出る、長いため息を聞いた。
(この新入生は、自分から進んでやって来たと言うけれど、そうのようには見えない。本当にこの子は、こんな神学校に本気で入る気で来たんだろうか?)
ノエルのこの疑問は当たっていた。ラファエルは、最初のこの日から、誰とも馴染まずそして自ら馴染む気もないことが、あとで分かったのだ。
クリスマスまであと数日。神学校では、生徒達がキャロルの練習をしており、その清らかで少々拙い歌声が、神学校と寄宿舎を結ぶ長い石畳の廊下まで響いていた。
グローリア!
インエクセルシス デーオ!
ホザナ!
インエクセルシス デーオ!
ハレルヤ!
そのキャロルが響く中を、ギクシャクと歩くラファエルの数歩あとを、カバンを持ったノエルが同じ歩調で従った。二人は黙ったままだった。
生徒達が寝る部屋は三つに分かれてあった。各々の部屋には大体20程の簡素なベッドが、ズラリと天井の高い部屋の中に並んで置かれてあった。飾りといえば壁面の大きな十字架像だけで、高い窓も鉄の枠が付いており、うっかりすると病院か監獄でもあるかのような雰囲気が漂っている。
「さあ、ここが君の部屋だよ。16人の生徒達と一緒だけど、大丈夫だよね。むしろ、こんなに大勢居るから、全然怖くないんだ。どんな嵐の夜だって、どんな暗闇の中だって、これからは仲間達が君の友達になるんだから」
そう言いながら、ノエルは一番端にある自分のベッドのすぐ隣のベッドに、ラファエルの荷物を置いた。キャロルの練習中なのか、他には誰も居なかった。
ラファエルは疲れたような溜息をもらしながら、ベッドに腰掛けた。不安げな目付きは相変わらずだ。けれどもノエルには、これも新入生誰もが味わう当然の感情だと思っていた。
今まで何不自由なく育って来たと思われるこの華奢な美少年が、そう簡単にここの生活に慣れるわけが無い。
「今度は教室やチャペル、それから厨房や食堂などを案内するよ」
「疲れているからいいよ」
初めてラファエルはものを言ったが、それは感謝の言葉ではなく、どちらかと言うと邪険な言い方だった。
けれどもノエルは少年のわがままにはすっかり慣れているかのように、いつもの暖かい微笑みを返しただけだった。
「そうだね……君は遥々ここまでやって来て、疲れていたんだ。すっかり忘れていた。しばらく休むといい。あとで又来るから」
「ほっといてくれ!」とラファエルは小さく叫んだ。
「僕のことはほっといて!」
「でも……」
この少年を介助するようにと、ノエルは言い付かっているのだ。そう簡単には離れるわけにはいかない。けれども、ノエルは他人に無理強いは出来ない性分の少年だった。年に似合わずノエルは妙に大人びていた。
そしてノエルは相手が何を欲しているか、瞬時に悟るような聡明な少年でもあった。
「それじゃ、僕はキャロルの練習に行くから、君はここで休んでていいよ。昼ご飯になったら、呼びに来るからね」
ノエルは黒い制服を翻しながら、立ち上がった。ノエルには生まれつきどこか優雅な物腰を備えている所があったので、ラファエルは不思議そうに年長の同級生を見上げた。
暖かい暗褐色の瞳が、そっとラファエルに注がれていた。それはラファエルが、家では決して味わう事の出来なかった、何かを溶かすような瞳だったからだ。
ノエルがそっとこの大きな寝室を出て行った途端、ラファエルは自分に割り当てられた粗末極まりない寝台に身を横たえると、あっという間に深い眠りに落ちて行った。それは泥のような眠り、やっと逃避できたという安堵の眠り、そしてこれから何が起こるんだろう、という不安な眠りでもあった……。
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