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第29章 罠(2)
ノエルはラファエルの視線を捕えると、さっと顔を背けた。辺りには誰も居ないのに、ノエルは瞬間的に誰かに監視されているような怯えに包まれたのだ。
偶然だった。少し遅れて急ぎ足で歩いていたノエルの前に、遊戯室から出てきたラファエルが現れたのだった。
その時、ラファエルの青い瞳が見開かれ、切なそうにノエルの視線を捕えたが、ノエルは何も言わず彼に背を向けたのだ!
「ノエル……」
思わずラファエルの口から、愛する友の名前が出た。ノエルはビクッとして歩みを止めた。
「振り向かなくていいんだ、ノエル。でもこれだけは答えて欲しい! もう僕のこと嫌いになった? もう愛してはいないの?」
ラファエルの声はノエルにしか聞えないほどの小さな小さな声だった。けれどもその声音には、切羽詰った哀願が溢れていた。あまりの切なさに、ノエルは振り返りそうになったが、それは出来ないのだ。誰かが……姿を現さないが、邪悪な心を抱いた誰かが、今現在もどこかで見張っているのかも知れないのだから。
ノエルには明らかなる恐怖感があったのだ。自分が愛したラファエルと、そして今度は友情を抱くようになったパトリックにも不気味な悪魔の手が忍び寄っていること。そして自分が愛しいと思った者達が、自分から去っていくような気がすること。そしてそれを望み、どこかで哄笑している“サタンのような誰か”が確実にここに存在していることを!
自分の本当の気持を告げたいが、今はまだそれは出来ない。
― もちろん愛しているとも、ラフィー! 今でも、そしてこれからも。だのに今はそれを告げられない……。許してくれ。そして耐えて欲しい、僕が本当のことを告げるまでは……。
ノエルは狂おしいほどの苦悩を抱いたまま、静かに歩み去った。ラファエルの心に、絶望的な暗雲が広がり、それはラファエル全体を被い尽くしていくようだった。
ラファエルは去っていくノエルを、じっと見送ることしか出来なかった。
夕べの祈りの後、皆がそれぞれの寝室に戻って、就寝時間前のわずかな寛ぎの中、ラファエルはそっと自分の聖書を開いた。亡くなった、というよりも、“殺された”従兄のルークから貰った大切な聖書だった。
まだ21歳だったルークは捕まる前にラファエルにこの聖書を渡して、こう言ったものだ。
「従弟よ、僕は君が正義感が強いことを知っている。だから……もしも、もしも政治に興味がなくなった時は、信仰によってこの愛するアイルランドの人々を護ってくれ!」
ルークは自分が殺されることを予感していたのだろうか? 少なくとも、その確率が高いことぐらいは覚悟してはいただろう。ラファエルはその黒い皮表紙の聖書を優しく撫で、そして開いた。寝る前のお祈りのためである。
何かがヒラリと床に落ちそうになったので、ラファエルは慌ててその紙片を掴んだ。タイプライターで打ってある、何かの伝言か手紙のようだった。
― ノエルから!? まさか!
喜びがラファエルを満たす。彼はこっそりと、そして急いで読んだ。途端に彼は真っ青になると、その小さな紙片をとり落しそうになった。心臓が今にも止まりそうなほどに早く打ち始め、気分が悪くなっていく。
そこに書かれた言葉は、ラファエルを徹底的に打ちのめし、絶望と恐怖の淵に落とし込んだのだった。
『地獄に落ちろ! お前なんか死んでしまえ!』
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