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第42章 歳月

 

 歳月が過ぎて行った。

 ノエルは全てを忘れ果てるかのように、リヨン神学校で勉学に励んだ。やがて“アラン・ピアース”と名乗ったアイルランドの留学生、ノエルのフランス語はみるみる内に上達し、学友の信頼も厚くなり、数年後は優秀な成績で卒業した。
 それからノエルはフランス、イタリアの各教会で助祭から司祭となり、後日出世して司教となった。また6〜7年に一度は故郷のアイルランドに戻り、家族達と数日間楽しい時を過していた。

 パトリックは約束通りノエルの妹アンと結婚し、『バトラー硝子工房』の親方となって、工房と商店を切り盛りしていた。その店は今、最も評判のいいガラス製品を生み出している。
 パトリックはノエルが唯一心を許す友達であり、そして信頼厚い義弟でもあり続けた。パトリックはノエルを実の兄のように慕い、二人は何か問題が起こると話し合った。
 

 そして時は移り変わっていく。

 馬車の時代は終わり、車が走るようになった。電話は次第に手紙を追い抜くようになった。第一次世界大戦は、飛行機の時代の到来を告げていた。そして人々はラジオや映画の娯楽を享受するようになっていった。又どの家にも電気がつくようになった。
 女性のスカートはみるみるうちに短くなり、もはやふくらはぎを見せないのは、お年よりの女性だけになっていったのは、男性にとってはいい時代になったと言えよう。全てが急速に変化していったが、と同時に、アイルランドからの人々の流出も止まらなかった。故国に留まる人達はごく一部になったが、ノエルはその頃ようやく故国に戻って来た。  

 1918年のスペイン風邪は、ノエルの家族の命も奪った。母のサマンサ・バトラー夫人と、嫁いでいたサラ、アンとパトリックの末の子、そして高齢だったグリーン先生が亡くなった。けれどもアンとパトリックは元気で、残りの4人の子持ちになっていた。
 もっと後にノエルは、この風邪が中部の都市ティッパラリーの教会の司祭になっていたイアン・マッコイの命をも奪っていたことを知った。あのイアンは、小柄ながら活発な神父になり、司祭となってティッパラリーに赴き、子供達に慕われていたということだった。  

 ジャックは皆が認めていた通り、説教上手で有名となり、時々ダブリンでも名が通る名説教者となっていた。
 けれどももっと驚いたことには、オーストラリアに流刑になっていたマークは、出所後、かの地のプロテスタント教会で認められ、そこの牧師の娘と結婚して、今はプロテスタントのマーク・ジョイス牧師として活躍しているというのだ。けれどもマークは二度とアイルランドには戻らなかった。恐らくオーストラリアの大地で、果てて行くつもりなのだろう。  

 その間、ノエルはラファエルの噂をほとんど聞かなかった。けれども例のスペイン風邪のあと、ラファエルが生き伸びて、首都ダブリンの貧民街に障害者専用のカトリックの病院を設立したという事実を知った。それは困難な道程だったらしい。
 ダブリン大学神学部を優秀な成績で卒業したというラファエル・マクブライド神父は、けれども世俗的な出世を望まず、そこで障害者達の先頭に立って、イギリス政府と堂々と渡り合っていたのだ。けれどもラファエルは決して暴力には訴えなかった。
 それを人づてに聞いたノエルは、思わず微笑んでいた。ラファエルのある種の頑固らしさと、そして外見に似合わない恐れを知らぬ態度は、多分英国政府をも震撼とさせているだろう。いかにもラファエルらしいな、と誇りに思ったものだ。  

 ある時、パリで開催されたカトリックの会議に出席した時、マクブライド神父も別の会議でパリに来ているという知らせがあった。けれどもノエルはあえて会いには行かなかった。ここで会うと、二人の今までの道が閉ざされるような気がしたのだ。そしてラファエルからも何の連絡もなかった。

 

 月日は過ぎて行った。

 すでに初老となり、故国ゴールウェイ教会の大司教に凱旋就任したノエルは、その地で非常に慕われる司教としてかなり有名になった。
 アンとパトリックの夫婦は、すでに孫も出来、パトリックは最良の義弟として又親友としてノエルに昔と変わらずに誠実に接し、そしてアンにとってはよく尽くす最愛の夫だった。
 32年前の“あの”出来事は、ノエルの脳裏に、遠い昔の出来事として記憶にあるだけになったが、時折ふとラファエルの顔を思い出すことがあった。
 

 あの柔らかい微笑みはどうなっているのだろう?
 一度だけ、新聞で『ダブリンの貧民窟の聖者』マクブライド神父の写真を見たことがある。それは、昔の思い出だけに頼るにはちょっと間違いそうな姿だった。
 優しげな、既に銀髪になった神父が、障害のある子供達を抱いて、にっこりと微笑んでいる姿だったのだ。けれども歳をとっても、ラファエルの純で美しい微笑みは健在だった。
 

「僕達も、おたがい年取ったものだな……」
と呟きながら、ノエルは自分の姿を鏡で見つめてみた。出世はしたが、どこか淋しげな微笑みを持つ、アラン・ピアース神父としての、品のいい面長な顔立ちの自分の姿があった。
「けれども、ようやくアイルランドは独立した。民族の半分以上は、ここには居なくなったが、僕達は何とか自分達の国を持てたんだ! 素晴らしい事だ! 実現したんだよ、ラフィー!」
 ノエルは早朝ミサの支度をしながら、呟いていた。

 

 そして、クリスマス前の嵐の晩、約束通りラファエルが現われた……。  

 

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2011/2/2