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第14章
夏休みの始まり
6月が来て夏休みが始まった。ラファエルの父親は、とうとうラファエルに会いに来なかった。そしてダブリンに戻る時にも、来た時と同じ従者がラファエルを迎えに来ただけだった。けれどもラファエルと接触するのを禁じられていたノエルは、寝室の窓からラファエルが馬車で出て行くのをじっと見つめている事しか出来なかった。
けれどもそれは悲しい別れではない。むしろもうすぐ二人が心置きなく会うことが出来る為の、ニセの“別れ”の演出に過ぎなかった。
昨日の晩、ノエルが自分の祈祷書を開けて祈ろうとすると、薄く小さな紙片がはさまっていた。ノエルは自分の机のランプの下で、密かに微笑んだ。紙片にはラファエルの特徴のある文字が並んでいたからだ。その文字は躍るように跳ねていた。
『愛するノエル
僕は明日ダブリンに戻るけれど、7月になったらウッェクスフォードの別荘に家族と一緒に行って、一夏逗留するつもりだ。場所はこの下に書いてある。ウェックスフォードの修道院から自転車で一時間とは掛からない距離だ。少し丘になっているけれど、そこは木々に囲まれ、東屋(あずまや)からは海が見える。ステキな海がね。
そこで君と再会出来るように祈って欲しい。僕もまた切に祈っている。
僕は君を愛する事が信仰に反しているとは絶対に思わない。むしろ君を愛するようになって、愛の苦しみを知った。そのことは僕の信仰にとっても、重要な出来事だったと思っているよ。
早くそこで君に会いたい、二人だけで。
君の
ラフィー 』
ノエルはそれを読むと目を閉じ、しっかりと自分の脳裏に刻み付けると、それからすぐにそれを噛み砕き飲み込んだ。その行為すら、ノエルにとっては至福の時のように思われた。
それから彼は長い間祈り、床に付いたものの、なかなか眠る事が出来なかった。その部屋の9人居た生徒達は、もうほとんど家に戻り、そこには帰るところのないパトリックと自分しか居なかった。
三日後パトリックは、ウォーターフォードの遠縁の所に行き、同じ日ノエルもまたウェックスフォード修道院へ見習い神学生として、赴く。そこは結核の施療院を兼ね、その場所での辛いお勤めや下働きが待っていたが、けれどもノエルの心はウキウキしていた。
あと少しでラファエルと出会える! そこは誰にも邪魔される事は無い場所なのだ……多分。
けれどもパトリックは浮かなかった。
パトリックの遠縁というのは、新大陸には行けなかったかなりの貧乏な家で、ウォーターフォードの地場産業であるクリスタル工場で働く、義理の叔父の家だった。その妻がパトリックの母方の叔母で、小さい子供達が大勢居る典型的な肉体労働者だった。
そこではパトリックは自分の勉学よりも、その家の手伝いで忙殺されそうだったが、他に誰も引き取り手の無いパトリックにはそこへ行くしか選べる道は無かったのだ。オハイラン先生がパトリックに会いに時々来てくれるという話だったが、パトリックは余り信用していなかった。
けれども三日後、最後まで残っていたノエルとパトリックは、馬車を待つ間、玄関で二人だけで長い間座っていなければならなかった。
ノエルはパトリックがいつもラファエルに抱いている敵愾心のせいで、パトリックとは余り話をしたことがなかったし、パトリックの方も気まずい思いをノエルに抱いていた。けれども待っている間、二人はチラチラと顔を見合わせ、やがてパトリックの方から言いかけた。
「ノエル……君は僕が芋虫を入れたと今でも疑っているんだろう?」
古ぼけたカバンに座っていたノエルはこちらを振り返った。
「最初はね。でも今はそうじゃないと思っている」
「なぜ?」
「君は違うよ、犯人じゃない。むしろ……何と言うか、僕が信じて疑わないような“良い奴”がそうじゃないかと、最近そんな感じがするんだ」
パトリックはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「ノエル……きみは手紙を書いた本人じゃないね。僕には分かるよ。君は小さい子達が食事を抜かされると知って、自分で他人の罪を被ったんだ。だろ?」
ノエルは驚いてパトリックを見つめた。
「どうして……」
「だって、君ってタイプライター、余り打っているのを見たことはないもの」
パトリックは微かに微笑んだ。
「資料室隣のタイプライターが置いてある狭い自習室にはね、よく出入りしている生徒達が居るけれど……でもそれは・……」
「誰?」
「イアンさ!」とパトリックは思わぬ生徒の名前を言った。
「それからマーク! そしてピートって子。その三人が多いよ。僕はその部屋の横の資料室によく篭っていたからね。それから言いたくないけど、ジャックも時々来ていた。そしてウォーレス先生がなぜか僕達のその部屋でタイプを打っていたよ」
「何だって!?」
驚愕の余り、ノエルは呆然とした。イアン、マーク、ピート、ジャック、そしてウォーレス神父……。彼らの顔がノエルの頭の中でグルグルと廻った。
「でも、ピートってよく知らないけど」と言うノエルの声は、しわがれていた。
「ああ、ピートって子はね、僕と同じクラスのなよなよした子なんだ。いかにもって感じだけど、ただそんなにラテン語は上手くないんだ……。あんなラテン語の手紙を書けるような能力はない」
「今の話、僕には信じられない……」
ノエルは、資料室に居たと言うことは、パトリックにもそのチャンスがあったと言うことなのだと気付いたが、あえて黙っていた。
それにしても、考えもしなかった人物ばかりだ。ノエルの頭は益々混乱して来た。彼らは一見正直で善人そうな生徒達、そして先生なのに、本当にパトリックの言うことを信じていいのだろうか?
けれども反面、いつか犯人を必ず捕まえて見せる、と誓っても居たのだ。パトリックを含むこの中に、真犯人はきっと潜んでいるはずだ!
「あっ、馬車が来た!」
と言いつつ、パトリックは立ち上がった。
「今の話、気にしなくていいよ。それじゃ行くか。じゃあ又秋に会おうぜ!」
けれどもこれが気にせずにはおられるだろうか? パトリックが先に乗った馬車に、ノエルは古くてボロボロのお布施のカバンを持ち、黙ったまま乗り込んだ。
「君達! 元気でもどっておいで! 神のご加護を!」
オハイラン先生の野太い声が、玄関口でした。すぐに馬車は、何百年間もの長きに渡って生徒達を見下ろして来た石の天使像の下を潜り抜けて、二人を運んで行った。幸福な期待と、そして底知れぬ不安を乗せて……。
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