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その12
「ま、それはともかく」と東はゴホンと咳払いする。「この取引に乗ってくれまっか?」
「乗らざるをえねぇだろ、第一背後からチャカで狙われているんでね。断れるはずがないじゃねぇか、ちっくしょう」
「し、翔吾、翔吾ってば」と蘭が翔吾のTシャッを引っ張った。
「何ですかい、代行」
「いいの? 取引に乗っても」
「こういうの、乗りかかった」
「舟、というんでしょ」と翔吾にべったりとくっつきながら、蘭が精一杯明るく言った。
「そうです」と言いつつ、翔吾はこの場に相応しくない強張った笑みを浮かべる蘭を、バカなのかそれとも聡いのか計りかねていた。
東と妻幸子は、ニタニタ嗤っているばかり。
「じゃ、いいでしょ、その取引って何なの?」と蘭が精一杯虚勢を張って尋ねると、翔吾は覚悟を決めたように、東たちに向き直った。
「あんたたち、本当にお似合いっ! あ、取引はマーライオン」と幸子。
「またかよ」と蘭はガックリ。
「あのさ〜」と今度は幸子が言い始める。「あたしたちが作ったマーライオンのフィギュアを30個程、持って行って欲しいのさ、ただそれだけ。簡単だろ?」
「30個!?」と翔吾は絶句した。「つまり、もしかしてヤクの運び屋かよ、それってまずいだろ」
「そんな沢山……」と蘭も絶句。
「あのさぁ、これなの」
と言う幸子の掌には、高さ10cm程の可愛いマーライオンのフィギュアがあった。白いプラスチック製らしい。
「これでもシンガポールドルでは8ドル(≠700円)ぐらいするんだよ。ね、可愛いだろ?」
「それ30個、ですか……」
「布袋一つぐらいさ」
「それで?」
「つまり、このフィギュアの中には、このイケメンさんが言ったようにヤクが入ってるんだよね。埋め込んでるのよ。中に空洞があってさ」
「ヤク!? 俺はそんな危ない運び屋はやらない主義でね」
「てめえ」と今度は夫の東が、ドスの効いた声を出した。
「反対なんか、できねぇぜ。嫌だったら、あんたの大好きなこの可愛い代行さんを、今すぐ殺(や)るまでよ」
「ちっ」と翔吾は苦々しくつぶやいた。
「あたしもそんな事、やりたくない」と蘭も翔吾に囁いた。「けど! やんなきゃ」
「仕方ねぇなぁ。代行がそう言うんなら」
「このフィギュアの内、下の牙が欠けてんのがあるだろ、ちょうど半分。それはヤクの入ってないやつ、でちゃんとした歯の生えてんのが入ってるやつ。分かりやすいだろ?」
と東は面白そうに嗤った。「これ作るの、結構苦労したのよ。ぶははははは」
「で、その欠けてるやつをどいつに手渡すんで?」
「ちゃうやろ! 欠けてない代物だろうが!」と東がイラついた。「それじゃ逆だろ。そいつをプーケットのワンプーチャイへ渡せ」
「それじゃ……あの、あいつ?」
「そうだよ。あんたたちだって、都合がいいんじゃないかい? あたしたちの運び屋と見せかけて、あのムーに近付ける。あたしたち、まあやっぱり日本人ってことさ。同国人は助け合わなくちゃ〜ね」と幸子は言った。
「いいだろう」と翔吾は一息ついて手を打った。「ところで……報酬は?」
「報酬? そんなもんないなぁ」と東は冷淡に言った。「さっき言った情報が、報酬やな」
東はカラカラと嗤ったのだった。ほどなくして、取引は成立した。
東のところを出た蘭と翔吾は、裏通りをしょぼしょぼと歩いていた。
「ね、翔吾……これで良かったの?」と蘭は、マーライオンの小箱30箱の入った麻袋を肩に担いでいる翔吾を見上げた。
「だって、他にいい方法があります?」
「あたしはナイフは持ってたけど、やっぱりチャカには敵わないし」
「は? どこにナイフを?」
「う・ん……下着……つまりガードル……」
「う〜む」と翔吾は唸った。そして妄想した。
― いけね〜、またまた悪い癖が出て……ってこれって、オトコのサガだよな〜。下着を覗きたいっての。
「さあてっと、これ持って黄(ホアン)の所には行けないっしょ。ホテルに戻りますかね」
「黄(ホアン)の所に行っても、別に構わないんじゃない?」
「黄(ホアン)の中華料理の店は、夜しか開かないって。だから夕方に行きましょう。それに明日の夜、港に来いってあの糞東幸子が言ってたじゃないですか。高速フェリーでプーケットに行くって」
「飛行機じゃないのか〜」
とたんに蘭は無口になった。これから、先が思いやられてしまう。
「蘭ちゃん、タクシーに乗りましょう。結構これって重いですし」
「ねぇ翔吾」と蘭は情け無さそうに翔吾に寄って来た。それはまるで擦り寄ってくる仔猫のようでもあり、翔吾は多少ドキっとしながら耳をすます。
「なんっすか?」
「シンガポールにも、ライオンなんて居たの?」
「ああ……そんなことですかぁぁ。知りませんよ、そんなこと」
翔吾は途端に白けてしまう。
「あ、ケータイ」と蘭が鳴り響くケータイを耳に当てた。
「ああ、乙部かい? ん? 浩次が? えーーーーっ!? まじぃ? そんなこと、ありかよ。許せないじゃんか!」
段々と蘭の口調が乱暴になって行く。
「堂本と? あとの舎弟たちは? なにぃぃぃ、仲谷の言うなり? そんなぁ〜〜。バカヤロウ!! 何とかしろって!」
蘭はケータイをパチンと閉じた。どうにも憤懣やるかたないという表情だ。
「代行……?」と翔吾は珍しくそっと聞く。
「あいつら……裏切りやがったってよ。つまり……クーデターっつーかな」
「へ!?」
「浩次が、代行の座を乗っ取ったってさ。アハハハ、あたしもバカだよね〜」
「それって」と唖然とした翔吾。
「そう。浩次と仲谷がぐるになって、滝川組を乗っ取った。そして堂本組と合併するってさ。乙部は舎弟たちを説得しようとしたけど、ほとんどの舎弟たちは浩次に付き、今乙部は内藤と二人だけで逃亡中」
「そうか!」と翔吾は言う。
「なによ」
「最初から、これは仕組まれてたんですね」
「何のこと?」
蘭の足がピタリと止まった。熱帯だというのに、寒気がした。
「あ……もしかして?」
「さすが蘭ちゃんです。滝川組長さんは、やよいさんと浩次さんが仕組んだ罠に落ちたってこと」
「え?」
「最初から、ITOの取引なんて無かったんだ。全ては、蘭ちゃん、君をここにおびき寄せる為。つまり日本から、そしてあの組から出て欲しかったってことさ」
「そして……あたしと父が居なくなった後、浩次は滝川組を継ぐ……そういう筋書ね!」
「当たり」
「アナタタチ テヲ アゲテクダサイ」背後にバラバラと人の気配がしたと思うと、突如妙に柔らかい声がした。
「てめえら、誰だ!」と翔吾は後ろを振り返らず叫び返す。
「ホアントモウシマス。イゴ ヨロシク」
蘭と翔吾は互いに顔を見合わせた。
「うげー、何だよ、この急転回は!」
「俺、もう知らないっすから」と翔吾は蘭に囁いた。
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