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7 忌まわしい過去
その1
東西会元会長、故東郷佳吉の長男であり、本来は跡目を継ぐはずの剛史は、まだ少年だった頃、自分が直ぐには継げない理由を知っていた。
実の母由希子は、今は認知症でホームに入っている。そして実の弟で一番末っ子の三男聡(さとし)は、極道の世界を嫌って今は行方知れずだ。風の噂では、あろうことか警官になっていると言う。
そして腹違いの弟、憎っくき翔吾を佳吉は一番可愛がっていた。
ただそれだけなら良かったのだが、佳吉は正月の祝いの席に集まった東西会配下のヤクザの親分連中たちの前で、高らかに宣言したのだった。
それはもう18年も前のこと。自分が17歳で翔吾は15歳、そして聡は10歳だった……。佳吉のすぐ隣には、なんと!自分ではなく翔吾が座っていたのだ。そして佳吉は絶えず翔吾の頭を撫でている。
遠くから見ても、翔吾は彼の母親に似て、眉毛がくっきりとした整った顔立ちで、そしてそのどこか不敵な面構えを、生まれつき漂う可愛らしさで巧みに隠しているような趣が在った。けれども、それがかえって、翔吾を未来の東西会会長に相応しく見せているのがシャクなのだ。
黒い羽織り姿の盛装をしてきていたヤクザの組長たちは(たしかその中には、端っこの方に滝川高志も居たはずだが)、佳吉の言う事を固唾を呑んで聞いている。
「皆さんお揃いの所、口上奉ります。わたくし、東郷佳吉はこの度、跡目をこの次男翔吾に譲ることにあいなりました。つきましては、皆皆さん方にご通知申し上げるべく、ここに宣言いたす所存であります。
ご一同の皆皆さん方、どうか宜しくお願い申しあげ奉ります」
そう述べると、佳吉はずらりと並ぶ組長たちの前で、深々とお辞儀をしたのだった。
一番真っ青になったのは、剛史だった。彼は立ち上がりそうになってよろけた。流行らないし似合わないリーゼントに、派手目の羽織を着て、なんとかして目立とうと母子揃って散々努力して来たと言うのに、単なる中学の制服姿の翔吾よりもひけを取るとは! 剛史は今の父親の言葉が信じられなかった。
案の定、組長たちの間から異議ありの声が出た。
「会長! そのご次男は、まだ姓が違っているのではないでしょうかな。そのご次男は、失礼ながら、ご嫡男ではないと言われておりますがね」
「妾腹の子とな?」と佳吉はジロリと目を剥いた。
「確かに! けれども、近々我が名を継ぎ、正式にわたくしの次男となります。あとは、お役所の仕事が残っているだけでさぁね」
「ご養子にと?」
「その通り!」
と佳吉がきっぱりと告げるのを、横の翔吾は口元に微かに勝ち誇ったような笑みを浮かべて聞いていた。
確かに翔吾は見た目は申し訳なかった。頭もいいし、度胸もありそうだ。どことなく漂う優越感も、かえって翔吾を次期会長として相応しく見せている。剛史が幾ら逆立ちしても敵いそうに無いことは明白で、悔しさに歯噛みしてもしきれない。
「剛史、それでいいな」と佳吉は、ジロリとこの出来損ないの長男を見つめてそう言った。
「え? あ、はい。はい、分かりました。異存ありません」
― 異存、ありまくりや! くそぉぉぉぉぉぉぉっ!
「ま、恨んでくれるなよ、剛史」と佳吉は剛史の心を見透かしたかのように続ける。
「これは、東西会を存続させる為の、わしの苦肉の選択なのだからな。決して私情ではない。翔吾は必ずや、関東一円随一の、ま、広域暴力団とサツは言うが、伝統ある仁侠の大親分になる器なのだ。分かってくれ」
「あ、ああ、はいっ、分かりました」
そう答えながら剛史は頭を下げたのだったが、腸(はらわた)は煮えくり返っていた。
― 何が苦慮かよ。最初から仕組んでいたんじゃねぇか! あの翔吾め、親父を誑しこみやがって!
全てが終わり、呆然とした剛史が母である由希子に、鼻水垂らしてすすり泣きながら事の次第を告げに言った時のこと、由希子は持っていた檜の箸をバッキーンと二つ折りにしたのだ。そして何も言わず、唇の端を曲げてこう言い放った。
「物事は分かりゃしませんよ、剛史。泣くのはお止め! みっともない!」
そして次の日、佳吉は玄関で倒れたのだった。
「ね、あたしが言った通りでしょ、剛史」
そう不気味に由希子は剛史に囁いていた。そして……全てが変っていったのだった。
東郷剛史はそういう昔の出来事を思い出しながら、たった一人でそっと東郷邸の上階に上がった。三階建ての豪邸の更にその上には、屋根裏部屋がある。そこに登るのは、実は久し振りだ。
ヤクザの家には、何かしら隠し部屋や隠し扉があるものだが、この東郷邸にもそれは幾部屋か存在する。けれどももっとも陰惨で暗い、そして余り誰も入った事の無い部屋は、三階の廊下の端に入口が隠されている屋根裏部屋だ。
廊下の端にあるドアを開けると、上に登る梯子段が斜めに見え、そこを登りきると東郷邸でも最も高い場所であり、文字通りの屋根裏部屋だった。そこは夏暑く、冬は凍えるほど寒い、酷い場所。
外からは飾り窓にしか見えない六角形の窓が遥か上にあるだけで、電球が一つ付いているものの、そのスイッチは外壁だ。
今そこには、あちらこちらに箱やわけの分からない物が散乱しており、すえた臭いが漂う。ただ、頑丈な鉄製のベッドが半分傾いたまま、さび付いていた。そのベッドはもう20年近く使われてはいないが、以前は剛史が目にしていた、忌まわしい思い出の染み付いたものだった。
「もう捨てなければ……けれども、今では触るのも嫌だしな。あいつが遂にヤラレた暁には、今度こそ永遠に葬り去る時だ」
剛史はつぶやいた。
「あの滝川蘭さえ居なければ、そうなったものを!」
蘭はクシャミをした。南国だというのに、これは一体!? ふと見ると、翔吾はニタニタ笑っている。
首領たちは、マーライオンのフィギュアを集めるのに血眼になっていた。その間、二人の屈強な手下たちが、蘭と翔吾を見張っている。生臭い汐の臭いがし、辺りはのどかだ。
翔吾はぽりぽりと首筋を掻いた。
「あ〜あ、シャワーか風呂に入りてぇや」
「ふん、綺麗好きだね、あんたは。てか、腰はどうなの?」
「おや? 心配してくれているんですかね、代行は」
「じゃないよ。首尾よくフィギュアを手に入れたら、それを持ってずらかるんだろ?」
「海賊たちは、恐らく敬けんなイスラム教徒だから、ヤクはやらないはず。けど金は欲しい。多分俺たちを、あのアリって首領の手先に仕立てて、プーケットに連れて行くはずですぜ」
「え!? 又、船で?」
「ここは島ですよ、島っ!」
「でも、ペナンには橋があって、本国と通じてるはずだけどな」
「こいつらと一緒に、マレーシアを陸から脱出できるとでも? アホらし」
蘭がプイと横を向くと、例の楚々妻が右手にペットボトル、左手に袋を提(さ)げて近付いて来た。俯き加減で、なるべく翔吾を見ないようにしている。けれどもかえって、その様が色っぽく見えるのは蘭でも分かった。
「ほら、来たよ来たよ。あんたの崇拝者が」
近付くと、楚々妻は見張りをしている手下たちに、そのペットボトルのジュースのようなものを飲ませた。
「ちょっとぉ! あたしにも飲ませてよお〜!」
と蘭は恥も外聞もかなぐり捨てて、その妻に向って叫んだ。
「あたしたちにはくれないなんて、失礼じゃんか! ねえってば」
「代行。あの人には、代行の日本語なんて分かるわけないじゃないですか。そんな子供じみた事を言うのはやめて下さいよ」と翔吾は蘭の手首を掴んだ。
それ見たことかと、手下たちはわざと蘭にジュースを掲げてみせる。
「代行も、色仕掛けで手下たちをノックアウトさせます?」
「出来っこねぇだろ、このあたしには。手を離せよ、このどアホ」
翔吾はやれやれと言った趣きで、やっと手を離した。けれども、その瞳がキラリと光り、目線で手下たちを指し示している。蘭が気付いて見上げているその間に、手下たちの足元があやしくなり、フラフラしたと思ったらバタンと倒れた。
すると今まで楚々としていた妻が、突然すっくと立ち上がり、翔吾の方を向き手招きする。
「さあ、あの綺麗な奥さんと逃げるか〜」
「えええええっ!?」と蘭は硬直したまま動けない。
翔吾は差し出されたその若妻の手を取った。
「あばよ、代行っ!」
「そ、そんな……」
「俺は行かなくちゃならねぇんです。それじゃ」
蘭は生まれて初めて、『開いた口が塞がらない』という意味を理解した。
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