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長い放課後

 

 

「先生、あのう……今時間ありますか?」
 一人の女性徒が、おずおずと職員室にやって来ると、一番端に座ってなにやら小難しい本を読んでいた教師に向って、意を決したように話し掛けた。
 話し掛けられた30半ばぐらいのぱっと見冴えない教師は、慌てて本を閉じると顔をあげた。目の前に立っているのは、確か、ニ年B組の立花翔子(しょうこ)と言う名前の子だったような気がする。
 気がする、と言うのは、このぱっと見冴えない教師は担任のクラスを持っていない、このミッション系女子高の「宗教学」を教えるチャプレン(学校内礼拝司式牧師)だったからだ。

「ああ、大丈夫だけど。えーと、今日は教職員会議もないし」
 その教師、渡部(わたべ)稔は、立花翔子が実はかなり美少女だったと言うことを再認識しつつも、威厳を保とうとしてそう答えた。渡部はまだ未婚の教師だった。その上、しょっちゅう「きもい〜」と、廊下ですれ違いざまに言われ、それが本当か嘘かは別にして、内心は非常に腐っていたからだ。
 だから、こんな美少女が、なぜ自分のような冴えないチャプレンの所に来たのか「?」だったのだ。

 けれども、翔子はホッとしたように言った。
「あ、よかった。実は先生、相談というかなんと言うか……相談ほどではないかもしれないけど……でも話したいことがあるんです。あ、それって相談と言うのかな? ええっと、それで、実はわたし一人でなくて鞠弥(まりや)もいるんで、いっしょに3人で話したいんだけど、いいですか?」
「ま、鞠弥?」
 渡部の頭で、ぐるぐると外見と同じ冴えない脳みそが回転した。けれども、名前は何となく知っているものの、どうも顔が思い出さない。やはり、二年B組の女性徒なのだろうか?
 

「そうです、春日部鞠弥。先生、わたしと同じクラスの子ですけど。ほら、あそこに……」
 翔子が目で示した、職員室の入り口に心細そうにたたずんでいる、ほっそりとした女性徒の姿があった。


(ああ、あの子か……。確か……テストの成績はパッとしなかったなぁ〜)
 

「ああ、いいよ」
(だれであれ、女性徒大歓迎さっ)
 翔子が手招きすると、鞠弥は心配そうな面持ちで、「失礼します」ときちんと礼をしてから、中に入って来た。鞠弥は翔子の横に並ぶと、暗い顔のまま下を向いているばかり。翔子もなんとなく手持ち無沙汰の様子で、もじもじしている。

「どうした? 確か君達仲良し2人組だったよなぁ。はぁ、それで? 深刻そうな、そうでもないような顔して……。何かあったの。苛め、とか?」
 渡部は翔子と、少し背が低い地味な印象の鞠弥を見上げた。鞠弥は小柄で翔子ほど美少女ではないものの、近くで見ると肌が透き通り、案外かわいくまた色気のある子でもあったことに、遅ればせながら気付いた。

(おまえ、なんでも気付くの遅いんだよ。だから、34まで縁がないのかなぁ)  

 けれども、二人は目の前の冴えないチャプレンが何を考えているのかも知らず、相変わらず言いにくそうに目を見交わせていた。
「う〜ん、別にそんな深刻なこと、っていうわけでもないんだけど、ねえ、鞠弥。でも、やっぱり、深刻と言えば深刻かな〜みたいな」
「あ、うん、そうだね」と、鞠弥ははじめて気のない生返事をした。どうやら二人はどっちが先に言い出すか、そしてこの場でいいのかどうか迷っているらしい。
 

「そうか、分かった。じゃあ、何でもいいから話してよ。ここの職員室でいいかい」
「えーっと、先生に任せます」と翔子が答えた。この二人の中では、翔子がリードを取っているらしい。
「春日部はどうだ?」
「わたし、もっと人のいないところがいいか……な」
と鞠弥は遠慮がちに、けれども結構キッパリと言った。
「そうか、この時間だから、うーんと、教室か進路指導室だな。じゃあ、進路指導室に移ろうか」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  

 廊下を渡部は二人の女性徒を背後に引き連れて、得意満面に歩いた。すれ違う生徒たちが怪訝な顔で振り返る。
 進路指導室は、もうすぐ終業式近くの三月半ばだったので運良く誰も居なかった。部屋の中には衝立が二つあり、それで部屋を三つ仕切ってあった。その内の一番窓際に3人は陣取った。
 

「で、どんな相談なの? 二人とも改まって……」
 翔子と鞠弥は最初と下を向きもじもじしていたが、翔子の方が思い切ったように顔を上げた。
「えっとね、なんか鞠弥がなんか学校についていけないってわたしに相談したんです。それってけっこう深刻そうだし、でもわたしだけじゃ、どうすればいいのか分からないし」
「学校の問題か〜? 付いていけないって? 成績の事? 2人とも学校にはちゃんと来てるし授業にも出てるじゃないか。ところでさっきから立花ばかり話しているけど、当の春日部はどこか具合でも悪いのかなぁ? 黙ったままだし。立花に代弁させていいのか?」
「いや、そんなことはないよねぇ、鞠弥?」と翔子が言っている最中に、突如鞠弥は顔を上げてキッパリと言った。
 

「わたし、身体なんか悪くないです。でもね、学校がわたしにとって一体なんなのかよくわからないんです。いつも毎朝起きて、学校に行くのかな〜と思うだけで、もう頭が上がらなくなってしまって……」
「それって、学校の勉強が分からないのか、それとも、クラスのみんなと巧く行かないのか、どっち?……つまり、なにがわからないのかな?」
 
渡部は腕組みしながら、やんわりと聞いた。どうやら、問題は案外根深い物があるのかもしれない。
「時間は、たっぷりあるから、今日はとことん聞くよ」

「あのう……それが自分でもよく分からないんです。あのぅ、巧く説明できないというかぁ。だって、わたし勉強ビミョーだし、部活も入ってないし。それと……」
「それと?」
「あのう……」 
 鞠弥は急に声を落とし、囁くように答えた。
「みんなが何考えてんだか分かんない。クラスのみんなに付いて行けません」
 
その声音には静かな怒りがあった。

「う〜ん、やっぱりそうかぁ〜」
「だよね、分かんないよねぇ。わたしにだって、分かんないもん。みんな不気味なんだ。上辺だけはヘラヘラ笑っているし、金魚の糞みたいにぞろぞろ付いていって、みんなかたまってるけど、それって別に仲が良いわけでもないし、なんとなくつるんでるっていうか、信用できないっていうか……。自分とは少し違うクラスメートに、『うざいから寄るな』ってとか言うし」と翔子が頷く。
「そうそう、わたしも隣のクラスの奴から、そう言われた。むかつく」と鞠弥も、外見では想像できない激しさを持って言った。
 

 渡部は「う〜ん、うざい、ねぇ〜」と唸った。案の定、簡単な悩みのようで、実は全然簡単ではないらしいのだ。
「そうかー。でも、立花は勉強できる方だし、春日部だって、先生から見たら問題ないと思うけどな」
「勉強のこと言ってんじゃないです。勉強は大丈夫だと思うんだけど、なんかね、鞠弥の言ってることも分かるんだ。だから、少し考えさせられる気がしてるんです」
「んー……。そっか〜、難しい問題だなぁ。でも、お前達だけがそう言う風に考えてんじゃないんだぞ。先生も、昔は学校は嫌いだったんだよ。勉強だってからっきしだめだったしなぁ」
「その時先生は、自分がなんで学校にいるんだろう、いなくてもいいんじゃないか〜、って思ったこと、あります?」
と翔子が身を乗り出しながら、聞いてきた。渡部は思わず身を引いてしまったが、これではいかん、と思い直して姿勢を正した。
 

「もちろん、あるよ! えーとなー、はっきり言うけど……学校に来てもなんで来たんだろう、って思った日はあったな。いや、実は毎日そう思ってたね。僕の行ってた高校は第二志望で、最初はつまんなくてさ。ここは俺が来るべき場所じゃない、なんていきがっていたし、すねてたんだろうな。意味なんてな〜んもない、と思ってたな、そう言えば」
「は〜、そーですかぁ、先生もねぇ。今はそうは見えないけど」
 翔子は少しだけ、目が輝いて来た。

「そうは見えないとは、どういうことだい?」
「スイスイとここまで来たと思ってたから、迷いなんてないと思ってたから、先生には。だって、いつものほほんとしているんだもん」
「そう見えるだけでしょう」
 渡部は内心むっとして言った。

(俺ってそんなに能天気に見えてんのかな?)  

 しばらく無口でいた鞠弥が急に顔を上げた。
「あのう……先生はその時に生きていくことにどんな意味もない、と言っていましたが、結局どこかでそれを見つけたわけでしょう? なぜですか? わたし、興味があるんですけど……」
 

「同じような授業をただ漫然と受け、学校に来て、半分居眠りしながら礼拝に出席していたけどなぁ〜それって意味がないような気がしたときがあって……。その時は、うーーん、どうしようって、先生も、そう一人で悩んでたときがあったけどねぇ。それがどこでどうなったか、先生も考えたことがなかったな。うん、でもどこかでそれを吹っ切った訳だよな」
「なにが原因で吹っ切れたんですか?」
「学校に何で来ているんだろう、とは思っていたけれど、このままじゃいけない、って学校で何かを探そうと努力したね。ま、最初は空回りだったけど。その内友人が出来たし、将来のことなんかも漠然と考え出したし、本も読んだし。春日部は、そういうことを考えたことがある?」
 

「う〜ん、そうなんです。そういうこと、考えていたんです、わたしも。そうしたら、なんだか、学校にいてもしょうがないんじゃないかなぁ〜って、思い始めて」
「どうして、学校にいる意味がないと思ったんだい。色々考えたんだろう?」
「皆が来てるから来てる感じで、これと言った目的はないんじゃないかな。みんなだって、特別目的なんかないと思います。ただ偶然この高校に受かったから来たって人がほとんどでしょう。意味なんてない。だから気に食わない生徒に『うざい』とか『ブス』とか陰口して。ケータイで『シカト・メール』だしたりとか。下らないんですよ、もう!
 お母さんは、この学校、仕方ないけど学費出してるって。もう少し、いい学校には入れたのに、とかよく言うんですよね。わたし……親不孝してんのかなぁ、と思うと、お母さんまでなんか好きじゃない」
 

「そんなにくだらない学校なのかなぁ、ここは? ここだって、結構いい女子高だぞ。そう言われると、先生としてもなんか辛いよなぁ」
「あのぅ、率直に言うと、ここに居ても目標というか、目的がないんです。生きていく為の……。勉強しても、それがなんの役に立つのかわたしには分かんないんです」
「わたしも鞠弥の気持が良く分かります」と翔子も相槌をうった。

「そうか、二人とも自分が見えなくなっているんだな」
 渡部はちらっと時計を見た。今日の放課後は長くなりそうだった。
「じゃな、2人の生きるための目標設定をしようか。2人が将来にどんなことしたいかや、今嵌っていることが何かあるか、あったら言ってくれるかなぁ」
「特にないですね〜」と翔子があっさりと答えた。
「わたしも。ありま……せん……」
 鞠弥も小さな声で答えた。

「そんなことないんじゃない? 何にも興味ないの? 例えばーええっと、最近の事件とか何かでもいいんだよ」
「あ〜、わたし最近の事件というか、災害がね、少し気になる」
 翔子が小声で言った。
「つまり……どういうこと? 最近の災害って、地震とか津波とかかな? それともアフリカの内戦で飢えた子供達とか? あ、ちょっと難しかったかな」
「難しくはないですよ、それぐらい」と翔子がきっとなって言った。

「人生って、はかないって感じがしたんです。テレビで見たんですけど、なんも悪いことしていない人たちが、何であんなにひどい目に合っちゃうのかって。神様は居ないのかって。なんか、悔しいというか腹が立つんですよね、神様に」
「被災者の人に共感したんだね」
「共感……ってわけじゃないけど。なんか、考えさせられました。やっぱ、わたしたちって幸せなのかなぁ〜って」
「大勢の人が亡くなったけど、でも、生き残った人たちは、その中でも皆強く生きようとしているね。家も働く場所も希望もない中で、強い希望の光を何とか見出そうと頑張っているみたいだね」
「うん、その頑張りって昔はなんかダサい気もしたけど、でもそれって凄いと思った。わたしにはそんな頑張り出来ないと思う。一体わたしには何が出来るのかなあ、そんな時」
「何か出来ると思うけどな。何もしないで居るより、何かちょっとでも自分の出来ることをしたらいいんだよ」
「でも、私が出来ることといったらぁ、おこずかいの一部を寄付することぐらいかなぁ」
「それでも、すごいことだよ!」
「でも、ほんのちょっとですよ。高校生のおこずかいって、しれてるし、そんな額で何か出来るんですか?」
 

 渡部は急に居住まいを正し、咳払いまでした。
「ここが大事なことなんだけど……額の大きさじゃないと先生は思うんだよね。
 
一つの話が聖書にあるんだけど。ある未亡人が一日働いた額を捧げたんだけど、それを見た金持が笑ったんだよ。『たったあれだけの額かよ』って」
「まあ、少なかったからでしょうかね?」
「金持にとってはね。でも、それは間違ってるんだよ。未亡人の捧げた額の方が貴いんだな。だから、立花がちょっとした額だと思っていても、それは、とても大切なことなんだよな」
「額じゃないわけだ」
「そうだよ! それそれ! そういう事を先生は言いたいわけ」
「それって……何だか……なんだか、偽善っぽい」

 突然今まで黙っていた鞠弥が口を挟んだ。
「ぎ・ぜ・ん?」
 渡部は目を白黒しながら、大きな飴玉を飲み込んだような顔をした。
「それって偽善かなぁ?」
「偽善ですよ。未亡人なのに、自分の事で精一杯じゃないですか。それに、そんなはした金で、何人の人を救えるんですか?」
「論理的には、まあそうだよな……」
 渡部の声が小さくなった。
 

「でも何もしないより、何かをしたほうがいいと、立花だって思ったんじゃないのかな」
「そうかもしれませんが。それって大人の言い分です。
 お母さん、やっぱり口ではなんとかかんとかきれい事言ってるけど、本当はわたしのこと、嫌いなんだ。最低って思ってる」
「えー、なんでー?」
 翔子も驚いて鞠弥を見詰めた。
 

「わたし……本当はお母さんなんか大っ嫌いなんだ。嘘ばっかりだし。見栄ばっかりだし。何もかも偽善だし」
「そっかー、鞠弥、おかあさんと上手く行っていないのか〜」
 渡部はうなった。どうやら益々ことはややこしくなってきたようだ。

「わたし……ぶっちゃけ、この間援交しようと思って、渋谷に行ったの」
「ひぇぇぇぇぇ! 嘘でしょ? 鞠弥、そんな人間じゃないじゃん。信じらんない!」
 翔子もびっくりしたが、渡部は天地がひっくり返るほど驚愕した。
 

「そ、それで、どうした?」
「何もしなかった……」
「はー、そうだよねぇ」
「でも、へんな叔父さんが近寄って来て『遊ばない?』って言って来たんだ。ちゃんとした格好してるのに、やること偽善じゃない? 嘘つきじゃない?」
「そ、そうだけど、そのあと春日部、どうしたの?」
 渡部の声は上ずっていた。
「わたし、帰りました。急にいやになったの。自分もそいつらも、何もかも」

 鞠弥は下を向いた。涙が一筋、頬をつたっているのが分かった。

「先生、先生はいつも神様のお話しているけれど、クラスの奴らは全然聞いていないんですよ」
「ああ、それは知っている……残念だけどね」
「それは、先生の言っている神様が、わたし達と何の関係も無いからじゃないですか? 何かしてくれたり、助けてくれたりしないからじゃないですか!?
 痛いところを突かれて、渡部は「う〜む」と言ったっきり、暫く黙り込んだ。

「良い人が苦しんで、うざい奴らがのうのうとしているって、不公平。この世には神様なんか居ないのを、みんな知っているからですよ」
「おいおい、居ないなんて早計だよ、早計!」
「早慶? 野球?」
「違うよ、春日部は! 先生が言いたいのはね、神様は居ないと言ったけれど、じゃなぜ君達はこうして悩んでいるのかってこと。何も無かったら、悩む必要はないじゃないか。やりたいことやって、援交して人を苛めて、それでいいんならさ。
 だけど、それじゃ嫌だから、ここに来たんだろう? そんな生き方、苦しいからだろう?」
 

 鞠弥は涙を拭きながら、「うん」と小声で言った。
「春日部……それに気付いて先生は嬉しいよ。つまりだな〜、世の中の矛盾ちゅーのかな? それがそうなんだよ。生きるってことは、辛いし、なかなか思うようには行かないし、他人が醜く見えるんだよな。けれど、振り返れば一番醜いのは、自分ってことなんだ。だろ?」
「そんなにポンポン言われてもわかんないけど……そうかも知れません」
「へーー、鞠弥、結構考えてんだね。改めて感心した」
と翔子も頷いた。
 

「じゃ、どうすればいいんですか?」
「これにはね、正解なんてないんだよな。テストの点みたいにさ、0点とか100点とかじゃないんだ」
「それじゃ、ずーーっと悩むじゃないですか!」
「ま、そういうことだよ、立花。人生には、正解なんてない。だけど、そうやって色々悩んで相談してくれて、先生は嬉しいよ」

「先生の今の悩みは?」
「あるさ。例えば、まだお嫁さんが居ないって事とかさ」
「あはは。それは無理無理」
「なんだよ、それって」
 渡部はむっとしたが、目の前の二人の表情が先程よりも和らいでいる事に気付くと、自然と笑みがこぼれた。
 

「あ、それじゃもう帰らなくちゃならないし。塾もありますから」
 翔子が立ち上がった。鞠弥はまだぐずくずしていたが、俯き加減に立ち上がると、少しだけ礼をした。
「先生、ありがとうございました」
「すっきりした?」
「いや、全然」と鞠弥は応えたが、それでも翔子と目が合うと、少しだけニッと笑った。

(ふたりとも、結構美人だな〜)  

「それじゃ、又悩んだら、ここに来ていいヨ」
「うん、それじゃあ先生。又」
 

 渡部は歩み去って行く二人の背中に向かって、祈りを捧げていた。チャプレンができる事と言ったら、この程度だ。
 けれども、きっと神様が支えて下さる。それを信じるしかない。
 

 もう日が暮れかかっていた。

 

 

【終わり

2006/12/1