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短編小説

 

 

ヌードな日

 

 一之瀬亜紀はただのOLだ。彼女の自慢は、い・ち・お・う、霞ヶ関に勤めているという事ぐらいである。年ももう30はとっくに越えている。離れて暮らしている親からは時折、「一体いつになったら、あんた結婚すんのよ」と言ったような、恨みがましい電話が来るぐらいだったが、最近はもうあまり来なくなった。

 よく電話がある時は、うざい、と思っていたが、今は逆にちと淋しい気持がする事も無くはない。けれども亜紀はいつも何気を装って仕事し、まだ未婚の友人達と、旅行だ、映画だ、芝居だと、日々目まぐるしく明け暮れていた。  

 そんな折、亜紀の同郷の友人、山元美香が、ある日あっけなく死んでしまったのだ。前から悪かったらしいが、入院したことも誰にも話していなかったらしい。亜紀もその友人とはしばらく会っていなかったが、相当のショックを受けた。  
 美香は華奢で綺麗な友人だった。何よりも、精神的に自分よりは遥かに上に居る、そんな感じの人間……。

 映画や芝居の中の架空の「死」がなんとなく身近にひたひたと押し寄せているように感じ、亜紀には珍しく虚しくなり、仕事中もぼんやりしていた。  

 亜紀を案じた先輩のお局様が、ある日の仕事帰りに亜紀を映画に誘った。華々しい映画の隣にひっそりと掛かっているような、そんな映画で、総勢100席も幾つか空席があるほどだった。お互いに彼氏の居ない年増の女が二人、ど真ん中で映画を見る。こんな時って、何となく居辛い雰囲気だが仕方ない。

 その映画の中のワン・シーン。主人公のやや太り気味の外国のOLが、一人鏡の前で服を脱ぎながら独白する。  
「ああ……あたしって何の為にダイエットしているんだろ? あたし……あたし、自分の身体に嫌悪感を持っているくせに! こんな身体、もういやっ! 誰も愛してはくれない」  
 そしてスッポンポンになった主人公は、そのままベッドにドサーッと倒れこんで、腕枕をしながら、将来について思い悩んでいく……。恋人が去って行くような不安が主人公を悩ませているのだ。何故か亜紀はその時、鼻がツンとした。  

「あんな奇麗なカラダしているのに、何を悩んでいるんだよ。役の為に太ったって言うじゃないさ」とお局様はブツブツつぶやいている。  
「でも、こういう感じって誰でもありますよね〜」  
 亜紀も辺りに気を配りながら、声をひそめてお局様に囁いた。お局は露骨に顔をしかめて、亜紀の方に振り返った。  
「あんた……あんの?」  
「え? ああ、いや、その、あるといえばあるし、ないといえばないし……」  
 それっきり、話は途切れた。  

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 映画が終ると、二人は駅で別れた。亜紀は東横沿線のさるマンションに住んでいる。以前はアパートだったが、最近の凶悪犯罪が怖くなった亜紀は、女性専用のガードのしっかりしたマンションに越したのだ。おかげで自分のこずかいは減ったが、それでも安全は金で買わなくてはならない時代なのだ。  

 今の場所にしたって、結局は見栄で決めたような物だった。同郷の友人達に「東京都○○区―――」と言う住所を彼女達のアドレス帳に書かせたいだけだった。実際は、かなりしけた駅のマンションに過ぎない。  
 それでも2K。仕事を始めて10年にしては、まあまあの所だった。  

「あ〜あ、つまんねー」  
 そう独り言を言いつつ、亜紀はドサッと自分のベッドに身を投げ出した。フワフワした羽根布団の感触が、なぜか嬉しい。  
 明日は土曜日。何もない日だ。  
 亜紀は彼氏居ない歴約2年。以前の恋人とは、2年前に別れたが、どうしたことかそれから“恋人”と呼べるようなオトコはまだ現れない。  

 亜紀は髪をぼりぼり掻きながら、風呂に湯を入れに行った。風呂だけは女性専用だけあってかなり立派で、人造大理石っぽい壁には、等身大の鏡があった。  
 亜紀はふと、自分の姿をその大鏡に写してみた。最新流行の服を着、雑誌に載っている美容院でカットした髪。けれどもくたびれ、疲れ果てた冴えないオンナの姿がそこにあった。  

 亜紀は服を脱ぎ、下着姿になり、それから下着も脱いだ。何も着ていない無防備な、オンナが一人。もうピチピチに若いとは言えないが、まだまだ肌もツルンとしており、自分でもまあまあ美人の方だと思っている。  
 そしてダイエット中の裸のカラダ。パットを入れていない胸はどちらかと言うとペッチャンコで、あばらの浮き出た胸、不健康そうな小さなお尻。映画の主人公のように、太ってはいないものの、どこかパッとしない精気の無い顔が、じーっと自分を見つめていた。  

 亜紀はしばらくして、ハタと思い出した。  
「これって、『シンドラーのリスト』じゃんか……収容所に引かれて行く痩せた女達……」
 亜紀は首を振りながら風呂に入ったが、タオルで身体を拭いただけで、そのまんまベッドにバタンと倒れ込んだ。横に黒いパジャマが散らかっている。朝、そのまま出てきたのだ。
 
 亜紀はパジャマなんかいらない、とふいに思った。急に映画の中のOLの独白を思い出した。

『あたし、自分の身体に嫌悪感を持っているくせに……』

 そう……亜紀もまた、自分のカラダを好きではない。痩せても太っても、自分のカラダを愛する事が出来ないのだ。  
「明日は何にもない日だし……このまんま寝ちまおう。それから、明日はスッポンポンで一日過しちゃおう! あー、なんか、外国のオンナみたいじゃん! クーラーも要らないかも? 一石二長だったりして!」  
 我ながら、下らないがすごいアイデアだと思った亜紀は、ニタリと微笑んだ。それから、羽根布団にくるむと、すぐに寝てしまった。午前二時だった。  

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 翌朝は、雨。けれども蒸し暑い。  
 最初は何も着ていない自分にびっくりしたが、「ああ、そうそう」とすぐに思い出した。  
「今日は、“ヌードな日”、だったんだよね」  
 亜紀はベッドの上で、フフフと笑った。  

 それから亜紀はインスタント・コーヒーを入れ、新聞をドアから引き出してきて、裸のままソファに座り、足を組んで読み出した。始めはなんだかスース―するような気がした。何一つ着ていないんだから、当然といえば当然だ。  
 こんなみっともない姿を誰かが見たら、仰天するだろう。けれどもヌードであるという事は、無防備だが気持がいい。土曜日だから、誰も来やしない。クーラーも必要ない。  

 亜紀はぼんやりとテレビを見出した。例によってバカバカしいお笑いばかりが続くが、全然面白くもなんともない。チャンネル・サーベイしていると、恋愛映画が出てきた。  
 上半身裸の男女が、抱き合いキスをし、女は男の肩に手をやっている。  

「フハハハハハ……」  
 亜紀はなんだかおかしくなって、一人笑いをした。自分も今全裸だが、誰も居ないし、まして恋愛シーンでもない。ただ一人裸で生活しているだけだ。ちょうど、アマゾンに住んでいるという裸族のように。  
「つまらん」  
 そう一言吐くと亜紀はテレビを消し、一週間分溜まった郵便物を見出した。それはテーブルの上に、どさっと積まれてあった。大抵は下らないカタログや明細書、旅行関係の雑誌などだったが、ある苗字にふと手が止まった。  

「山元亮子……誰だろう?」  
 山元と言えば、この間亡くなった友達だ。彼女とは同じ高校で、ブラスバンド部に所属していた。けれども亮子って誰? もしかしてそれは、美香の姉さんかお母さん?  

 その手紙を開こうとした時、ピンポーンとインタホンが鳴った。  
「誰だよ! こんな時に来やがるのは!?」  
 亜紀は慌てまくった。何しろスッポンポンなのだ。ショーツすら履いていない。タオルを巻いて出るのもおかしい。  

「はい」  
「宅急便で〜す!」  
「分かりました。ちょっと待って下さいっ」  
 亜紀は寝室に乱暴に置いてあった、黒いパジャマを慌てて着た。気が急いているせいか、いつもはなんてことはないパジャマなのに、なかなか着る事が出来ない。パンツを逆にはいたが、そんなこと言ってられない。  

 亜紀がやっと玄関のドアを開けると、まるで漫画の囚人のような横縞服の配達員が、待たされて不愉快そうに立っていた。  
「はい、これ。ハンコ」  
 差し出されたのは、覚えの無い白い箱だった。「なんとかモナカ」と箱にはロゴが書いてある。配達員は、黒いパジャマ姿の亜紀を見ているような、見ていないような妙な素振りをした。  
「は、はい……」  
 亜紀は急いでハンコを押し、それから箱を引っ掴んで中に戻った。

「誰だあ、これ送ったの?」  
 差出人は「山元亮子」だった。  
「あっ!」と亜紀は小さく叫んだ。そしてその箱を持ったまま、ソファに沈み込んだ。  
 中を開けると、モナカではなく、小さな額縁付きの刺繍だった。可愛い女の子と、犬。ただそれだけだった。手紙等は入っていない。箱だけがモナカの箱だったというわけ。

 亜紀はパジャマを脱ぎながら、さっきの手紙を探した。どこかにポーンと置いたらしい。その手紙は、床に落ちていた。  
 開けて見ると、一枚の簡素な便箋が入っていた。  

一之瀬亜紀様

先程、生前美香が病室でコツコツと刺繍していた額をお送りしました。  
美香はこれをあなたに手渡すつもりでした。上京して、あなたに会いたい、といつも言っていました。生前のあなたの思いやり、感謝申しあげます。  
どうか美香の作った額、お受け取りくださいませ。  
あんなにふっくらしていた美香は、最後見る影もなくやつれ痩せこけて、お棺が大きく感じたほどです。一番好きな服を着せてあげました。  
ありがとうございました。     かしこ
 

美香の母 亮子

 

 亜紀はしばらく裸のまま、立ち尽くしていた。美香のお母さんは、亜紀が生前美香に思いやりを見せた、と書いていたが、亜紀には美香に何かをしたという記憶が全く無いのだ。せいぜい、病気だと聞いたとき、月並みな葉書を出したか、元気な時には電話で話したぐらいで、メールすら交換しては居ない。
 けれどもお母さんは、亜紀に感謝の言葉を捧げていたし、美香自身も亜紀にこの額を作って手渡したいと言っていたという。

「あたし、何もやってないよ。美香にはなんにもしてやってないのに」  
 亜紀は裸のまま、白いレースのカーテンを少し開けて、外を見た。お母さんの涙のように、雨が降り続いていた。  

 亜紀はカップヌードルをすすりながら、改めて美香の作ったという額付き刺繍を見つめた。美香は子供や動物が好きだった。もっと生きていたら、子供を産み、犬を飼いたかったのだろうか?  
 子供は帽子を被っていて表情は見えない。ワンコは子供の側で、尻尾を振っているようだ。

「美香……」  
 弔電すら打たなかった自分が恥ずかしかった。美香は最後は痩せこけて、裸でお棺に横たわっていたに違いない。亜紀は涙を飲み込んだ。  

 

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 最後に会ったのは確か去年の夏だった。帰省した亜紀は美香と落ちあい、いつものサテンに寄った。分かれるとき、美香が言った言葉。  
「亜紀……そんなに無理してダイエットしなくていいよ」  
「だってぇ、あたし、太りやすい体質なんだよ」  
「でも、誰だって死ぬ時は痩せちゃうの。だから太っていようが痩せていようが関係ないの」  
「ヘンな事言わないでよ!」  
 そう言った亜紀に向って、美香は「ごめん、ごめん」と微笑んでいた。  

「あっ!」と再び亜紀は叫んだ。  
「あの時……美香、自分の病気、知ってたんだ」  
 自分が情けなくて、腰砕けになりそうになった。けれども亜紀の号泣が始まる直前に、突如マンションがぐらぐら揺れ出した。

「じ、地震だあ〜〜〜!」  
 真っ先に頭をよぎった事は、自分はスッポンポンである、という事実だった。こんな姿で、家具の下敷きになったりしたら、恥もいいとこだ! 相手がいて、ラブラブの最中ならともかく、一人でこんな格好で居るとは! それにしてもなぜこんな日に地震なんか!  

 亜紀は恐怖も忘れ、何か着る物を目で探した。玄関に、しまい損なったスプリング・コートがクローゼットにかかっている。それ〜っ!   
 亜紀がダッシュしようとした時、唐突に地震が収まった。けれども亜紀は、ガタガタ震えながら、その季節はずれのコートを身にまとった。やっと安心感が押し寄せ、亜紀は長い長いため息を付いた。

 こうして亜紀の「ヌードな日」は半日で終った。  

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 人が本当に裸になる時は、ラブラブの時か温泉か、そして死ぬ時しかないのだ。映画のように、そんなに優雅な生活なんてない。生きていく事は弱肉強食。そして弱いものは死んでいく。  
 けれども死んで行く者に、奇麗な服を着せ、精一杯の憐憫の情を与える事はできる。お母さんはそれをしたのだ。そして娘の願いを届けてくれたのだ。自分は美香に何をしてあげたのだろう? 黙って聞いている美香に向かって、だらだらと愚痴ばかり喋っていたような気がする。  

自分はまだまだ幸せ者だ。オシャレもできる。仕事もできる。彼氏だって……いつか又現れるかもしれない。裸になって思いっきりラブラブする事だって……。その時が本当の「ヌードな日」だ。でも美香は……美香はもう……。  

 亜紀は額の後ろに、美香の震えるような小さな字を発見した。

 

 亜紀へ

 今度会う時は、もっとオシャレしたい。亜紀はいつもキレイだよ。だから、自信持って!

                    美香

 

 亜紀は美香の作った小さな額を胸に抱くと、号泣した。

 fine

 

 

亡き友に捧ぐ
2006−10−28

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