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19 せっかくの夏休みが…
もやもやした思いを抱きつつも、やはり芳人はれっきとした男子。片方では、友里菜に再会するのを待ち望んでいたのだった。
そして明日は、塾の合間を縫ってやっと友里菜に会えると言う日、どうしても鼻の下が長くなり、数学の“鬼の”高橋先生の言う事が耳に入らない。
「ちょ……大久保っ。鬼がお前を睨んどるでぇ」
と横の淳平が耳打ちしたが、遅かった。
「おいっ、そこの大久保! ちっとも聞いとらへんやないかぁ!」
と案の定高橋先生のドラ声が響き、他の生徒は自分でも無いのに身を引く。芳人だけがキョトンとして、目をパチパチさせた。
「え!? 僕? 僕ですかぁ〜?」
「そや。何をへらへらしとんねん! ふん、大方可愛い子とセックスでもしている妄想してたんとちゃうかいな」
みんながクスクスと忍び笑いをしている中、芳人は真っ赤になって言い繕った。
「ま、まさか〜。ちょっと別のこと考えてて」
「ま、いいさ。若い男子は当たり前やな。けどな、この代数、解いてみぃ? 解けへんかったら、居残りやでぇ」
「ええっ、そんなアホな!」
鬼の高橋は、黒板にスラスラと積分の式を書いた。
「ほら、これや。これ解けたら、勘弁してやる」
「ええ〜〜〜っ!」
芳人は素っ頓狂な声を上げた。みんなの視線が自分に向けられている。
慌てて机から飛び出したせいか、前の生徒の机の角に当たった芳人は、「いててっ」と言いつつ、前に出た。
「どや? 出来るんかぁ、その低脳頭には?」
芳人はむっとして高橋先生を睨み返す。一発触発の危機を感じたのか、クラス中が固まっていた。
けれども芳人は白いチョークを手にすると、カタカタという小気味良い音を響かせて、チョークを走らせた。
「むむっ。あいつ、出来るやんか」と淳平が思う間もなく、書き終えた芳人はチョークを置いた。
「解きました」
数秒の時が流れた。
「うん、見事やな」と言う高橋先生の声がしたと思うと、先生はパチパチと手を叩いた。
「してやったりやな、あいつ」と淳平は唸っていた。
「ようやったやん、お前」と机に戻った芳人に、淳平が感じ入ったように囁くと、芳人はニッと嗤ったのだった。
「実はな……昨日の晩、その式だけ解いてたんや、偶然」
淳平は呆れたように口を開けた……。
「……て感じやったんや、昨日」と芳人が久し振りに会った友里菜にそのことを言うと、友里菜は「あ、そう」とだけ、拍子抜けしたように答えたのだった。
友里菜は化粧していた。少し前まで、素ッピンに近い友里菜しか見ていなかった芳人は、たった数ヶ月の間に蛹から蝶に変化した友里菜の姿に、どぎまぎしていたのだ。
以前は素ッピンでも綺麗だな〜とは思っていたが、ほんのりルージュを引き、細いアイラインにブルーのアイシャドウの友里菜は、もう昔の友里菜ではないみたいに感じる。
「何じろじろ見てんのよぉ、芳人は」と友里菜は、相変わらず変化無しの芳人に向って拗ねたように言った。ドキドキ感はなぜか無いが、やはり落ち着くのだ。
「いいや、別に。ほら、久し振りやから、なんや〜奇妙な感じで」
「何が?」
「友里菜……オンナになったな〜とか」
「何よ、その言い方!?」と友里菜は噴出しそうになった。友里菜自身は、自分の変化に気付いて居ないのだ。
「色っぽい……」
「本当?」と友里菜は上目遣いに問いかけた。その眼差しに、芳人はぐらっとくる。
「てか……映画何にする?」と梅田を歩きながら、友里菜は言った。「『バージン・スーサイド』だったら嫌やから」
「へぇ、何で? 見たの?」
「え? ああ、ええっと、友達と向こうで見ちゃったし……何か分かり難い映画やったし」
友里菜の脳裏に、チラッと寛之の顔が浮かんだ。正反対の外見だ。
「友達、出来たんか?」
「うん、出来たよ、沢山」
「そんな感じやなぁ〜。青春してるって感じが漂って……いいよな、友里菜は」
「来年になったら、芳人も大学生になるんやし、それでいいじゃん」
「“いいじゃん”か。もう関東弁になったんかぁ」
「映画じゃなく、どこかに行こうよ、芳人。プールとか、山とか」
「思いっきりそうしたいけどなぁ〜無理やわ。今日も早く帰らんと」
「夕方は塾?」
「うん」
「そっかー」と友里菜は不貞腐れて言う。芳人がまだ予備校生なのは分かっては居るつもりだったが、けれども実際の所、どこか壁が二人の間に存在している……そんな気がしてきたのだった。
「ごめんな、友里菜。本当は……もっと友里菜と一緒に居たいんやけど」
「いいよ、仕方ないもん」
芳人はふと、友里菜が誰かと付き合っているのではないかと邪推し始めた。それが妄想のように膨らんで、一緒に居てもどこか不安で楽しめない。
― せっかくの夏休みなのにな……。やっぱり俺……宙ぶらりんやな。
塾に行く電車の中で、芳人は沈んでいた。
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