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〜10〜
最終話
ざざざ、ざざざとワイパーが雨粒を刻む音がする車内で、梨紗と牧人は奇妙な静寂に陥っていた。それはもう直ぐ来る別れのせいなのか、将来に立ち塞がる数々の障害のせいなのか、はたまたこの陰鬱な気候のせいなのか二人とも分からない。
分かっているのは、立ちはだかっている現実を直視したくないと言う儚い望み。そして昨晩の激しい逢瀬の余韻だった。
もう直ぐ自分達の街が近くなった頃、やっと梨紗が言った。
「短かかったわ……」
「もっと君と居たかったな〜」と牧人も相槌を打つ。
「でもいいの。昨日のこと、全部頭に叩き込んでいるから。それの断片を思い出しながら、生きていけるもの」
「淋しい言い方はしないで、梨紗。まるで永遠の別れみたいじゃないか」
「うん。分かってはいるんだけど。それに大阪に赴くのって、牧人にとっては昇級するんだし、本当は喜ばなくちゃならないのに、わたしって未練がましいのね。今頃それに気付いちゃった」
ざざざ、ざざざ……その音は、まるで二人の心象風景のように響く。
「さぁて、明日からは本格的に荷造りだぁ〜」
「本とかすごくあるんでしょ。でもわたしは手伝えないな。皆に見られちゃうし」
「見られてもいいじゃない?」
「そうかも知れないけど、でも牧人とのこと、あからさまにはしたくない」
「なぜ?」
「だって、様々なことを片付けなくちゃならないでしょ」
「例えば?」
「嫌だぁ、なんか尋問されているみたいじゃない!」
「そっか、ごめん」
運転しながら、牧人は謝った。
「お袋にはまだ何も言って無い」と牧人がポツンと呟いた。「言うべきなのかなぁ〜、ちょっと迷ってて」
「あたしは言った。てか、勘付かれちゃったよ、母に」
「お母さん、何て言ってた?」
「ええっとねぇ」と梨紗はチラッと脳裏に、香里の顔を思い浮かべながら言いよどんだ。
「イエスもノーもなし。てか、それ以上何も話が進展していないし。でもあたしは何となく分かるの。母、反対だと思うって」
「僕の職業の事とかかな」
「いや、それだけじゃないと思う。一人になるのが嫌なのよ、きっと。母って表向きはキャリアウーマンでバリバリ働いているみたいだけど、でもその実数年前ガンを患ってそれから恋人を失い、少しアル中っぽくなってた。陰では淋しがり屋なんだよね。
それでね……言い難いんだけど……でも言う! 母、なんかホストに入れあげてたみたい……なの」
暫く沈黙が続いた。
「ホストって人、悪い職業だとは思わない。でもわたし達ってそんなにお金ないじゃない? それに母って、なんか以前の恋人を振り切ろうとして、無理しているような気がすんのよ。身体も心配だし、それ以上に母の心が心配で、結局側に居てしまうんだと思う。
わたし、本当は母からは離れたいのに、それなのにどこかで母のことが気がかりで」
「そうか」と牧人は溜息と共に呟いた。「梨紗は優しいんだな」
「いや、それだけじゃないの!」と梨紗は叫んだ。「今の仕事、辛い事が多いけど、でもせっかく得たこの仕事、続けたいのよ!」
「こんな不況時に、梨紗のような手堅い仕事はなかなか手放せないよな」
と、牧人は梨紗のうな垂れた横顔を見つめながら穏やかに言った。
「そんなこんなで。色々あって。わたし、欲張りだよね」
「でも大切な何かを捨ててまで、次のステップに移るのはなかなかなんだよね」
「如何にも、牧師様的なお答えね」と梨紗は苦笑した。
「だけどわたし、絶対に牧人とは離れない! どこに居ても、何があってもそれは変わらないの」
梨紗は思い出していた。昨晩の甘い逢瀬を。牧人の締まった身体を、そして素肌を伝わる抱擁を。牧人の口からもれ出てきた熱い溜息を、それから牧人の全てを。その艶かしさを覚えている限り、牧人からは離れられっこない!
「牧人……それでも愛してくれるよね」
「何言ってんだよ。僕こそ、これからも僕を愛してくれるかなって思ってたとこなのに」
ざざざ、ざざざ……という雨音の響きが切ない。
「新幹線のホームには行かないよ、わたし」
「いいよ。未練が出て、梨紗を離さないかもしれない。それから映画のワンシーンみたいに、ギュッと抱き締めて、ベルが鳴るまで熱いキスをし続けるかもしれないからさ。あははは。僕も潔く一人で出発してくる」
「ごめんね、牧人」と梨紗は身を寄せた。その瞳が潤み、塩辛い涙が鼻をツンと刺す。
牧人は車を路肩に寄せて止まった。
「少しだけ」
そう言うと、梨紗を引き寄せその頬を掴んで口付けをした。短くて長い口付けを重ねたあと、牧人はサッと身を離した。
「じゃあ、行くかな。もう直ぐ市内だよね」
ざざざ、ざざざという音が再び車内を覆う中、その音は愛する二人を雨の中に運んで行った。
<終わり>
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