宗良親王歌碑(北杜市白州町白須地区)
甲斐に志らすといふ(う)所の 松原のかげにしは(ば)しやすらひ(い)て
かりそめの行きかいち(ぢ)とはききしかと(ど) いさ(ざ)や志らすにまつ人もなし
(甲斐と行き交い、まつと松の掛詞になっています。)
国道20号沿いではなく、旧道を走り、白州小学校から約1km西に進むと右側に広場があります。この広場の北側には2つの石碑が建っています。
向って左が宗良(むねなが)親王歌碑で、右が白須松林址となっています。
中央にある案内看板には、歌碑の説明として、次のように書かれています。
「鎌倉時代の末期の1331年から、室町時代の1392年まで、日本には2人の天皇が在位し、南朝と北朝に分かれて争っていた。
南朝方の征東将軍宗良親王は、甲斐の国(山梨県)の武将たちを味方につけようと、駿河の国(静岡県)から入ってこの地まで来たが、味方につく者はなく、松のかげで野宿し寂しく信濃の国(長野県)佐久地方へ向われた。そのとき詠まれた歌を歌碑として、大正十一年菅原村が建立したものである。」(案内看板より 白州町教育委員会製作)

歌碑

白須松林址の碑
また、遠州伊井谷から信濃の保科氏に赴くときに山伏の姿に変装していたという言い伝えもあるようです。
菅原村は、昭和30年の町村合併でなくなりましたが、台ヶ原地区の「ヶ原」と白須地区の「須」をあわせた「すがはら」にこの字を充てたもので、国道20号で言えば、甲府方面より白州に入ったところから神宮川(濁川)までの間でになります。実際にはもう少し広がりがあり白州中学校方面なども含みます。釜無川と尾白川、神宮川に囲まれた地域といった方が適切かもしれません。
松林の碑の説明としては、次のように書かれています。
「平安時代(794年〜)頃からこの地にはすばらしい松林が約4キロメートルにわたって続き、白須松原、また茸の産地として都にまで知られていた。惜しくも昭和10年代につごうにより伐られてしまった。」
また、歌碑の左には蚕神様や馬頭観音様などの石祠があります。以前は別のところにあったものをここに移したようです。ちょっと気になったのは、最後列中央の石祠です。
「鞍掛山二代開山三カ行者」と書いてあり、ほとんど人の訪れることがないであろう鞍掛山との関連がわかりません。行ったことはないのですが、明治後期に登山者が初めて鞍掛山に入ったときには、すでに石祠があったとのことなので、もしかしたら貴重な山岳信仰のものなのかもしれません。(浅学なので、憶測です。ご了承ください。)
