白州みちくさ案内

望郷のページ

遠くに住んでいる人、なかなか帰れない人のための(?)、望郷ページです。

白州保育所

 保育所の統合が一番遅かったと思います。
 私が保育園の頃は、明星保育園、むつみ保育園とかだったと思います。今はNTTの交換局になってしまい、何の面影を残すものがないのは残念ですが。
 当然バスの送迎はなく、入学以前のこどもが、長くて数キロの道程を歩いていたように思います。
 統合は多分昭和50年代前半です。バス通園をしてみたかった気もしますが。
 明星保育園の園長先生は、自元寺の奥様(いまも元気です)で、たまにお寺にお邪魔すると、やっぱり「ちゃん」付けで呼ばれてしまいます。

白州小学校

 昭和52年の3月までは町内に菅原小学校・鳳来小学校・駒城小学校の3つがありました。
 統合により白州小学校になりましたが、中央の建物は菅原小学校のものです。左側が増築されて白州小学校となったわけですが、ここにあった遊具がなくなってしまいました。
 右側が体育館ですが、以前火事で焼失したため、建て直されています。前は、かまぼこ型でした。(鉄の扉が異常に重かった)体育館のステージ下の通路は、夏でも涼しく、暗かったので、非常に怖い場所だったような記憶があります。体育館の裏にトイレと水泳の授業のときの更衣室がありましたが、今はどうなったのでしょう。
 校舎の裏にはプールやランチルームがあります。冬でもプールには水が張ってありますが、これは、防火用水としての利用を考えてのことだそうです。

 校庭の北(東?)側からです。桜の木が多く、春にはお花見給食をやりました。手前の田圃かその隣の田圃でスケートをやった覚えもあります。昭和51年頃はプールにも氷が張っていたので、冬休み中にスケートをしました。最近は学校ではスキー教室のようですが、当時スキーは一部の人しかやったことがなかったように思います。スキーの道具を持っているといるというだけで驚きでした。
 こんなことを書いていて思い出すのは、やっぱりケガ。回旋塔(?)というので指を挟んで血だらけになったり、登り棒から落ちて背中を打って動けなくなったり、階段から飛び降りて捻挫したりと。今だったら管理責任とか色々うるさいでしょうが、当時はそん何は何もなかったですね。
 かえって、先生が慌てて、ガーゼも巻かずに直接油紙を巻いたりとか、笑い話にしかなっていないですね。

白州中学校

 菅原村・鳳来村・駒城村から白州町が誕生する直前に、すでにこの名前で誕生していたようです。
 昭和30年(1955)7月に町制施行ですので、47年経っていますから、最初の卒業生は、すでに還暦を向かえているということになるのでしょうか。
 校舎は昭和50年代に建て替えられ、現在のものとなっていますので、これ以前の方は木造の校舎のようです。所在地は変わっていません。
 よく見てませんが、校庭の西側にきれいなトイレができていたような。
 この辺は、土器が多いので、少し掘ればたくさん出てきたような気がします。遺跡関係は詳しくないのでよくわかりませんが、重要な場所なんでしょうか。