柏レイソル選手名鑑ダイジェスト  BACK

 

小林 祐三     (19歳)

  背番号 13

ポジション

DF

身長・体重

175cm・72kg

出身地

東京都
静学トリオの3人目。
今年入団したばかりのルーキーが、小林祐三である。

トリオの上2人が割とバカキャラなのに対し、彼は真面目な秀才タイプ。
試合でのプレーにもそれがよく見られ、相手の出方を読んでのクレバーな守備を得意とする。

彼の魅力は、何と言っても、守備的なポジションならボランチからサイドバックまでそつなくこなすユーティリティ性だ。
あちこちのポジションの補充を1人でこなせるため、交代要員として非常に扱いやすく、チームでもベンチにスタンバイされていることが多い。
そして投入された時には、確実に仕事をこなしてみせる彼は、監督からの信頼も厚いものとなっている。

高校時代から世代別代表に選出され、今もU−19日本代表で不動のレギュラーの地位を獲得している。
年齢的には、次の北京五輪代表を狙える歳だ。
今回のアテネ五輪には縁のなかったレイソル選手たちの分まで、是非とも頑張って欲しい選手である。

 

谷澤 達也     (20歳)

  背番号 15

ポジション

オフェンシブMF

身長・体重

175cm・68kg

出身地

静岡県
静学トリオの2人目にして柏レイソルが誇る次世代のファンタジスタ。
それが彼、谷澤達也である。

ボールを操るテクニックはチーム随一のもので、昨年入団したばかりでありながら、早々にレギュラーと同等の扱いを受けるようになった。
特に後半から投入されることが多く、チームのジョーカー的存在として使われている。

昨年はU−20ユース代表としてワールドユース大会に参加。
そこでも日本の切り札として重用された。
今大会で横浜の坂田が日本人初の得点王となり話題となったが、その坂田に最も多くのアシストを送り、日本のアシスト王となったのが、谷澤であった。

フィールド内で多くのファンタジーなプレーを披露し、観客を魅了する彼であるが、フィールド外でもファンタジーな行動が目立つ。

柏まつりに、額に「肉」、顔に中華ヒゲを書いて登場したり。(合体超人?)
ポンキッキーズのジャカジャカじゃんけんに登場して「鉄砲」を出したり。
記者のインタビューに「ザユウノメーって何ですか?」と答えたり。

そのたびに、さんざん周りからいじられるのだが、彼は笑顔を絶やさない。
そのポワーンとしたキャラは、チームのムードメーカーとして、選手だけでなくサポーターからも愛されている。
どんな場でも、いつの間にか自分を中心とした空気を作る事ができる。
そんな性格も、まさにトップ下にふさわしい選手であると言えるだろう。

現在、彼の課題とされているのは持久力。
瞬間的に良いプレーをすることはできても、それを試合の最後まで持続させることができないのだ。
試合でいつも後半から投入されるのも、切り札という意味合いがあるのと同時に、これが原因でもある。

まずはキックオフから90分間、フルに戦える体力をつけること。
そして、コンスタントに試合に出られるようになること。

そうすれば近い将来、必ずや日本を代表するファンタジスタへと成長してくれることであろう。

 

永田 充    (21歳)

  背番号 20

ポジション

センターDF

身長・体重

182cm・72kg

出身地

静岡県
名門・静岡学園出身の期待の大型ディフェンダー。
彼の翌年、翌々年に入団してくる静岡学園の後輩、谷澤・小林とともに、静学トリオと呼ばれる選手。
それがこの人、永田充である。

そんな彼が多くの注目を集めて柏レイソルに入団したのが2002年。
その時に託された背番号は20番であった。

背番号20は、柏レイソルにおいて特別な意味を持つ。
99年から2001年にかけて柏レイソルの最終ラインを統率し、外国人でありながらキャプテンまでも任された、永遠の闘将ホン・ミョンボのつけていた番号なのである。
その番号を託されるというのは、まさに永田へのディフェンスリーダーとしての期待の表れであった。

そして、その期待は早々に現実のものとなる。
2002年シーズン、残留の危機にあったチームの建て直しを考えたアウレリオ監督は、ディフェンスリーダーとして永田を抜擢する。
早すぎるデビュー。
このまま彼の才能を潰してしまうのでは?という不安の声もあった。
しかし、彼は一試合行うたびに急激な成長をとげていき、見事に最終ラインのリーダーとしての役割をこなしてみせた。
そして、チームのJ1残留に大きく貢献したのである。

それ以来、柏の最終ラインの中央は、彼の定位置となった。
その功績を認められ、U−20ユース代表、さらにはA代表にまで選出される。
A代表では出場機会こそなかったものの、大きな刺激となった。

今はまだ出場できないかもしれない。
でも、いずれは。

はっきりと見えた目標。
上手くいけば、2年後のドイツW杯の舞台に立つ事も夢ではない。
将来を嘱望されるディフェンダーは、これからも成長を続けていくだろう。

 

波戸 康広   (28歳)

  背番号 38

ポジション

サイドDF

身長・体重

178cm・70kg

出身地

兵庫県
その突然の移籍発表には誰もが驚いた。
元日本代表の右サイドが柏へ移籍。
フリューゲルス時代からずっと横浜でプレーしていた彼が、その地を去ることはあまりに衝撃的であったのだ。

とはいえ、その兆候が全くなかったわけではない。
怪我でシーズンを棒にふった2003年。
その間に横浜Fマリノスの右サイドには、佐藤由紀彦、ユ・サンチョルが加入し、若手の田中隼磨も台頭。
波戸が怪我から復帰した時、チームに彼のポジションはなかった。

選手層の厚いマリノスでは仕方のないことである。
岡田監督も、決して自分を過小評価しているわけではない。
2軍で成果を上げ、再びレギュラーに返り咲くのを待つという手もあった。

しかし、彼は自らの目標を達成するため、すぐにレギュラーとして使ってくれるチームへの移籍という道を選んだ。
そう、代表復帰という目標のために。

そんな彼に柏レイソルは絶好のチームであった。

この時の柏レイソルは、右サイドのできるカレン・ロバートが加入するという見込みで、それまで右サイドでレギュラーだった渡辺光輝を放出したところ、カレンがまさかのジュビロ磐田入団で、本職の右サイドプレイヤーが不在という状態に陥っていた。
仕方なく明神を右サイドで起用していたが、やはりチームとしては明神はボランチで使いたいところ。
そこで右サイドの即戦力を探していたところへ、波戸の移籍希望である。
波戸にとっても、チームにとっても願ったりかなったり。
まさに、柏レイソルと波戸の希望が上手く一致しての移籍であった。

彼の持ち味はJリーグでもトップクラスの俊足。
技術が特別優れているわけではないが、それを補ってあまりある身体能力を有している選手だ。
メンタル面でも非常にタフな彼は、調子が不安定な若い選手が多い柏で、コンスタントに力を発揮できる貴重な存在でもある。

「自分が新加入の選手だからと物怖じするのでなく、どんどん若手の見本となれるプレーをしていきたい。」

右サイドの俊英は、もう一度W杯の舞台に立つために、新天地で再び走り出したのである。

 

南 雄太  (25歳)

  背番号

ポジション

GK

身長・体重

185cm・75kg

出身地

神奈川県
若くして正GKの座を勝ち取り、以来ずっとレイソルのゴールを守り続けている、柏の守護神。
彼もまた柏レイソルの黄金時代を支えた一人である。
彼がいなければもっと点を取られていたという試合は、数えたらキリがない。
今、柏で最も替えのきかない選手は、間違いなく彼であろう。

彼の評価は、柏レイソルの関係者以外からも高い。
21歳以下の世界大会・ワールドユースにも2度出場し、ナイジェリア大会では日本を準優勝に導いている。

彼の魅力は、何と言っても高い成功率を誇るパンチングだ。
それを支えるのは、駆け引きの上手さと抜群の読み。
1対1の勝負になった時こそ、その真価を発揮する選手である。

今年5月22日の広島戦では、手に持ったボールを自陣のゴールに投げ込んでしまうという大ポカをやらかした。
普通ならこのまま2軍落ちさせられても文句の言えない大失態だ。
しかし、監督はそれでも彼を起用し続けてくれた。

その期待に応えたい。
広島戦での失敗は逆に、自分を奮起させる良いきっかけとなった。
長くレギュラーに定着していたせいで知らず知らずのうちに生まれていた、甘えを捨て去ることができたのである。

自分がボールを止めさえすれば、チームはJ2に降格しない。

熱い闘志を胸に抱いて、守護神はこれからもゴールを守り続けていくだろう。

 

大野 敏隆 (26歳)

  背番号 14

ポジション

オフェンシブMF

身長・体重

173cm・69kg

出身地

埼玉県
天才的なパスセンスを持ち、入団後若くして背番号10を渡され、司令塔を任された「柏の王様」。それが大野敏隆という選手だ。
その右足から繰り出される芸術的なスルーパスは、前線の選手を巧みに操り、チームの決定機を多く演出した。
まさに、99年から2000年にかけての柏レイソル黄金時代を支えた選手の1人である。

しかし、彼の王朝は長くは続かなかった。
2002年に就任したアウレリオ監督が、言い放った一言。
「走らない選手、守らない選手はいらない。」
中央でただ味方からのボールを待ち、あまり自らボールを取りに行こうとしない彼のプレイスタイルは、ブラジル人監督には認められなかった。
プロ入り以来、順調な道を歩んできた彼の初めての屈辱。
そのまま、ベンチ入りすらさせてもらえない日々が続いた。

やがて彼は出場機会を求めて、一度チームを出ることを決意する。
京都パープルサンガと名古屋グランパスエイトへレンタル移籍。
そこでも、レギュラーの座を勝ち取ることはできなかった。
しかし、知らない選手ばかりの新天地でボランチやサイドハーフを経験したことにより、彼は自らのプレイスタイルを見直す機会を得ることができた。

そして2004年。
セカンドステージから指揮を取ることになった早野監督は、J1残留という目的を達成するため、彼のレイソルへの復帰を要請する。
レイソルの得点力不足を解消するため、玉田を生かすことのできる中盤の選手が必要だという判断からであった。

レンタル移籍選手に、レンタル元からシーズン途中に復帰要請が出されるというのは珍しいことである。
それだけ早野監督が大野を評価しているということであった。
大野にとっても、自分を必要としてくれる人間からの要請を断る理由はない。
チームを救うため、彼は再び黄色いユニフォームを着ることを選んだ。

復活した「柏の王様」。
玉田とのコンビネーションは試合を重ねるごとに良くなっており、最近のチームの好調を支える要因となっている。
課題とされていた守備面も、少しずつではあるが確実に向上。
かつては見られなかった、前線から相手に激しく当たっていく彼の姿を見られるようになった。

ユース代表などでポジションを争った同年代のライバル・中村俊輔には大きく差をつけられてしまったが、まだまだ負けるわけにはいかない。
彼の挑戦はこれからも続いていく。

 

明神 智和 (26歳)

  背番号 7 

ポジション

ディフェンシブMF

身長・体重

173cm・66kg

出身地

兵庫県
前回紹介した玉田が新しい柏の顔であるならば、それまでの柏の顔にあたるのが彼、明神智和である。
日本代表の一員として日韓W杯に出場したのは記憶に新しい。
今年の柏レイソルでは、ゲームキャプテンとして試合中のチームをまとめる立場を任されている。

彼のプレイの特徴は「仕事をサボらない」ことだ。
チームが攻めている時も守っている時も、彼は常に先のことを考え、着実にフォローに回ろうと努力する。
時にはそれが終わってしまうこともある。
しかし、それでも彼は、チームのためにその仕事を休むことはない。
非常に地味な役回りではあるが、まさに「縁の下の力持ち」という形容がぴったりの選手であると言える。

前日本代表監督トルシエにも、そこを買われて重用された。
高い戦術理解能力を持ち、自ら黒子に徹することのできる彼は、各Jチームからの寄せ集め集団である代表チームにおいて貴重な存在であったのだろう。
「3人の個性派と、8人の明神がいればチームは出来る」というトルシエの発言からも、彼に対する信頼度の高さをうかがい知ることができる。

献身的なプレーでチームの危機を何度も救ってきた彼であるが、2002年の日韓W杯後は調子を落とし、一時は明神不要論がサポーターから出されるほどに至った。
しかし今季、チームがJ2降格の危機に立たされるようになると、頭を坊主にして気合を入れ直し、徐々に復活の兆しを見せるようになる。

そして、それがハッキリと表れたのが、10月3日の横浜Fマリノス戦。
悪天候の中、攻守に渡って獅子奮迅の活躍を見せた明神は、チームを前期王者への勝利へと導いた。
ある記者は、その日の明神を「まるでイングランド代表のジェラードを見ているようだった」と語っている。

全盛期のプレーを取り戻した明神。
このまま調子の良いプレーを続けることができれば、代表復帰も有り得ない話ではないだろう。
しかし、彼は何よりもまずチームをJ1に残留させることが第一だと言う。

柏レイソルユースから、そのままストレートに柏レイソルへと入団した、生え抜きの柏選手である彼。
地元ファンからの熱い声援を受けて、今日も彼はチームのため、サポーターのために、フィールド内を縦横無尽に走り回る。

 

玉田 圭司 (24歳)

  背番号 28 

ポジション

FW

身長・体重

173cm・63kg

出身地

千葉県
最初に紹介するのは何と言ってもこの男。
今年、日本代表に抜擢され、日本のアジアカップ優勝に大きく貢献。
一躍、全国にその名を知らしめ、名実ともに新たな柏の顔となった玉田圭司である。

高い瞬発力と足元のテクニックを生かしたドリブル突破が武器。
また、小柄でスピードばかりの選手と思われがちだが、実はフィジカル面も強く、相手DFを背負ってのポストプレイもこなすことができる。

その甘いマスクもあって、最近では単独でCMにも出演するようになり、すっかりスター扱いされるようになった玉田であるが、彼のこれまでの人生は決して楽なものではなかった。

高校時代は習志野高校に所属し、同じ千葉県下の名門・市立船橋を倒して全国へ。それが買われて99年柏レイソルへ鳴り物入りで入団。
その年の2節目にはJリーグデビューを果たすも、その後は出場機会にも恵まれず、サテライト(2軍)で不遇の日々を送ることとなる。

彼の潜在能力の高さを考えれば、非常にもったいない処遇であった。
出場機会を求めて他チームへと移籍するという選択肢もあった。
しかし、それを選ばなかったのは、人一倍負けず嫌いな彼なりの意地であったのだろう。

転機はアウレリオ監督就任の2002年夏に訪れる。
J1残留争いに勝ち残るため、チームを改革しようとした指揮官。
その目に止まったダイヤの原石が、玉田圭司であった。
彼は言う、「タマダはこんなところに収まっているべき選手ではない。いずれは代表入りも狙える逸材である」と。

かくして先発での出場機会を与えられた玉田は、監督の期待通りの活躍を見せて信頼を勝ち取り、ついに念願のレギュラーの座を射止めた。
翌2003年には二桁得点を挙げ、一躍チームのエースに。
前年にJ初得点を上げたばかりの選手としては異例の大躍進であった。

その後の活躍は皆様の知る通りである。
将来は海外への移籍も夢ではないだろう。
しかし、その前に日本でやり残したことがある。それは優勝の2文字。
99年のナビスコカップ優勝時も、2000年の優勝をかけた鹿島との最終戦時も、彼はベンチに入ることすらできず、ただ外で見ているだけであった。
しかし、今は違う。
彼にはチームを優勝へと導いていく機会がある。力がある。

彼は事あるごとに言う。
「自分が点を決めなければ、チームは勝てない。」
一見すると驕りでもあるかのような言葉であるが、そこには自分がチームのエースであるということの自覚と責任感が表れている。

チームを上昇させるため。
そして、自身をより進化させるため。

試合に出られる喜びを誰よりも強く知るレフティーのエースは、今日も黄色いユニフォームをまとい、ピッチへの一歩を踏み出していく。