マーケティングコミュニケーション

ワイズリンクは
あなたの投稿をお待ちしています。

 ワイズリンクでは、いままでのマーケティング手法を超えた、新しいマーケティングのあり方を探るため、このホームページの来訪者とともに模索していきたいと考えています。

  キーポイントは「生活者からみたマーケティングのあり方」と考えています。顧客としての体験はもちろん、顧客に向けての仕事を、ホームページの来訪者と共有することを通じて、生活者にとってのマーケティングを考えてみたいと思っております。

 投稿して頂いた内容を採用させて頂いた場合は当ホームページ中の「マーケティング・コミュニケーション」に掲載させて頂き、生活者としての体験を共有するとともに、ご了解を頂ければ弊社から出版される書籍にも、掲載させて頂く場合があります。またこれらの活動を通じて、新しいマーケティングの理念と戦略を改めて考えてみたいと思います。

 そこで、このページをご覧頂いた読者の方にはぜひとも、あなたが何らかの生活者として体験した内容(基本的にはどんな内容でも結構です)を投稿して頂きたいと思います。そのことを通じて顧客本位のマーケティングを、初心に帰って模索し直しましょう。採用させて頂いた場合には些少ではありますが、原稿料を支払わせて頂きます。

 そして投稿の内容は従来の売る立場からのマーケティング技法や考え方はここでは扱いません、あくまで生活者としての「体験」とさせて頂きます。

 投稿は、下記条件の元で直接送付して頂いても結構ですし、またメールにより問い合わせをして頂いても結構です。

募集テーマ

@顧客としての体験
あなたが顧客となったとき、どんなことを感じ、思い、考えましたか。
どんな顧客体験でも結構です。
洋服などの身の回り品の買物(ショッピング)の現場
それらを買うとき、買った後に思ったこと
住宅を買うとき、買った後
ペット商品を買うとき、買った後
レジャーランドで楽しんだとき、その後
銀行や証券会社とのつきあい
弁護士とのつきあい
自治体などの役所とのつきあい
寺とのつきあい
買い物に付随し、受けたサービスで満足したこと、不満足だったこと
(プレミアム商品をもらった、くじ引き抽選つき販売、ポイントカードでの割引など)
などなど。
どんな不満足や満足を感じましたか

A仕事の体験
あなたは仕事のうえで、顧客対応として どんなことを気を付けていますか。
気を付けて成功した体験または失敗してしまった体験など
あなたにとって良い顧客とはどういう人ですか
あなたにとって嫌な顧客とはどういう人ですか


送り先 KCH04616@nifty.com

先を読む

2005年8月20日
金成伊三雄

「先を読む」という表現は将棋のゲームから派生したもので、「先」とは数手先のことである。言いかえると「数手先の手順を確認すること」となる。転じて、未来という意味をこめて、私たちの将来の生活を考える、という意味合いで用いられるようになった。ビジネスの現場ではそういう意味でよく使われている。「先」という文字を分解すると「人」と「之(ゆく)」になる。進み行くという意味を持つ。従って、人が進んできた過去の意味を持つ言葉が生まれた。「先日」「先週」「先年」「先達(せんだって)」。さらに二つ重ねて「先先」となると「先先月」などと使い、前の前という遠い過去を表現することになる。
また、人が進み行く将来ということから未来の意味が生じ、「先延ばし」「先制」「先占」「機先」「先進」などの言葉ができた。これらの「先」の時間の幅は様々だが、いずれも将来、未来に関する意味を含んでいる。例えば「先占」は、人より先に占有する、という意味で、早ければ早いほど得をもたらすことを示す。同様に、機先を制すると、大もうけにつながり、勝利を決定づけることにもなる。その後、「先進国」となり、「先進者」として尊敬されたりする。そのために人々は一生懸命「先を読む」ことになる。
それでは、この「先」というのはどの位、先のことを考えればよいのだろうか。時間にしたら何分後か、何時間後、あるいは何日間か後なのか――。個々のプランニングは様々な展開を示すことになる。将棋ゲームでは、「三手先を読め」という。初心者へのアドバイスである。「自分がこう指したら。相手はこう来るに違いない。だから、次はこう指せば良い」という具合に三手読むのである。ところが初心者はなかなかコツをのみ込めない。将棋の感覚が備わっていないのだ。視覚化されない思考方法を訓練しなければならないのだ。先の三手順でさえ、頭の中で考えなければならない。盤面に三手の駒の動きを想定して考えていくことは、訓練が必要なのだ。思考することが好きなプロ棋士の子供時代は、この感覚が生まれながらに身についていたと思われる。「先を読む」ゲーム感覚に長けていたのだ。
私たちは日常生活で「先を読む」ことをどのように行っているのだろうか。意識的に先のことを考えながら行動はしていない。無意識のうちに次の行動パターンが決定づけられているように感じられる。私たちの脳は「先を読む」ことを宿命づけられている。目覚まし時計を止めた瞬間から脳は、朝食の準備を想定し、着替え、化粧、外出の準備と次々に行動パターンをつくり、微に入り、細に入り、動作の指令を出していく。将棋に例えると、数十手先までの手順が予め用意されているようなものだ。プログラムされたゲームのように、ある出来事が起きたら次はこうすると決めて進行していく。もし先を読むことがなければ、その都度立ち止まり、選択肢をつくり出し、思考し、決断する。ひとつの行動のなかで何回もこのような作業がくり返されることになる。生活速度の遅延が生じる。これは実際に記憶障害をもつ人々の日常の姿でもある。「先を読む」行為は、予め行った事の記憶の再生である。記憶野から「先」に関する事柄を取り出し、組み合わせる。思考はこの脳内作業の反復行為である。
日常生活での「先」は五分後のこともあれば、一時間後、半日後の場合もある。時には数週間後、数か月後の場合もあるだろう。私たちは時間の長さに関係なく読み進む。欲望に左右されながらも先を読む。こうしたい、ああしたい、だから、こうしなければ、ああしなければ――と。
脳の活動で獲得される記憶が、突発時に威力を発揮することになる。パニック状態から私たちを救ってくれる。未体験の状態にわが身をさらすと不安になり、さらに恐怖感を育てる。私たちは「先を読む」ことによって、この狂気から身を守ることができる。
例えば、五分後のことを考えてみよう。私たちはどのように読んでいるのだろう。実は、五分後に起きることは誰にもわからない。何が起きても不思議はない。爆弾が落ちる、地震が起きる、火山の噴火、交通事故――などのとんでもない事から、一円玉を拾う、外国人から道を訊かれる、偶然友人に会うなど、予測しがたい出来事にあふれている。それでも先へ進むために読む。
二つの方法がある。一つは、予測されるいくつかの出来事の中から行動パターンを選択する方法。自分が五分後にはこうなっているべきだ、という予測に従って、あるいは欲望を満たすために必要な行動パターンも導き出すのである。もう一つは、まったく未知の出来事に備える場合――。私たちの記憶は未知の出来事をも学習し、対応策をつくり上げ、保管している。だから突発的な出来事に対しても瞬時に対応できる行動パターンを選択できるのだ。
脳の記憶野は選択肢の集合体なのだ。赤い花を生けた青い花びんという記憶は、不思議な整理・分類方法で保管されている。ある刺激を受けると「赤」「花」「花びん」「青」と別々の項目に分かれていたものが集合され、再び組み合わされて、思い出されることになる。このシステムは脳研究の重要課題であり、まだ謎の多い分野だそうだ。
このような脳内システムの研究グループの中から、将棋ソフトをつくり出した人がいる。人工知能の研究者がつくった将棋ソフトの名は「激指(げきさし)」。コンピュータ将棋の大会で見事優勝を果たした。
将棋ゲームソフトの基本構造は、「先を読む」技術の結晶体といえる。戦略のパターンは過去の棋戦の局面が参考にされる。戦術もまた過去データを元に構築される。ゲームソフトの強さの秘密は「読みの深さ」にある。特に終盤にその差が現われる。なぜなら終盤の場合、勝敗がはっきりと決まる局面の連続だから、そこで読み違えたら終局するのだ。守らなければならない局面で攻めの選択をすれば無謀な攻めとして敗因になるし、攻めなければならない所で慎重になり過ぎて守りに入ると、相手の攻撃を助長する結果となり、事態は逆転する。「先を読む」深さというのは、いかにたくさんの局面を想定し、その局面に対する作戦を練り、対応する最善手を瞬時に選択できるかにかかっている。プログラミングする製作者の棋力、将棋センスが問われるところだ。因みに一般的な将棋ソフトの棋力はアマチュアの四段〜五段(設定を最強にした場合)と言われている。
プロの棋士への質問で多いのは「何手先まで読むのですか」だ。アマチュアにしてみれば最も興味深い事だし、プロとアマの差を知り、何手先まで読めば良いのか目標を得ることになると思うのだが――。プロの答えは数字にならないというものだ。何手という明確な手数はプロには問題ではない。プロ棋士は最善の手があるかないか、その局面の打開策としての有効な手を求めてひたすら読み続ける。何十分、何時間と読む。彼らは様々な局面を過去の記憶から出してきて、現在の局面と比較検討している。脳内で、視覚化されない状態で局面を想定して行われている。過去のデータが参考にならない場合もある。そういう場合は棋士の大局観――将棋に対する考え方――で勝負にのぞむと言われている。
何百手もかかる詰め将棋を記憶したり、目隠しで将棋を指したり、プロ棋士の記憶力は驚嘆に値するが、それ以上に驚くべきことは未知の世界を切り開く能力である。前述したコンピュータ将棋ソフト「激指」の強さは、終盤にある。同ソフトはプロ棋士羽生善治の将棋を参考にしている。羽生は九四年から九五年にかけて将棋界の七大タイトルを独占した。羽生マジックと言われる新手の研究にすぐれている。新手とは、今まで誰も指したことがない手のことで、言わば将棋の発明品だ。誰もが驚き、キツネにつままれているような思いのまま負けてしまう。誰にでもできることではない、彼独自の将棋センスがそうさせるのだ。
究極の「先を読む」行為は、宇宙空間へと進む。地球の成りたちから始まって、宇宙の源へと、計算の幅は広がっていく。一つの将棋盤も宇宙である。九マスかける九マス、計八十一マスの盤上には無限の広がりがある。約千五百年の将棋史の中で、何万、何億という将棋が指され、一度として同じ局面で終わったことがないゲーム。不思議なのだ。この他にも将棋には驚くべきことが多い。そんな未知の世界は魅力をもち、人をひきつける。人は宿命を背負い、勇敢に行動する。肉眼では見えない宇宙空間の星を見つけ、宇宙のはじまりを知ろうとする。何億、何十億光年先の星を見つけ出す計算能力は、最新のコンピュータ技術を駆使して行われる。最新鋭の未来の技術、すなわち量子コンピュータは、私たちの起源つまり生命とは何かを教えてくれるだろう。遠い過去と未来が地球を接点として結合し、私たちがどこから来て、どこへ行こうとしているのかを教えてくれる。
「先を読む」とは未来を知ると同時に過去をも知ることだった。だから「先」には二つの意味が含まれているのだ。私たちはもっともっと深く「先を読む」ことを学び、精を出すべきだ。どんな身近なことでも良い。「先を読む」ことを習慣化し、少しでも時間ができたら、ふっと我に帰り、自分について考えてみることだ。自分の記憶を頼りに楽しい時間を持つことだ。知力、体力、生活力を駆使して「先」を読もう。自分を知り、世の中を知り、少しでも「先」が良い方向に進むように努力したいものだ。(了)

 

私の業界新聞時代に長年にわたり、同業者であった友人の島田さんの作品。横浜の三渓園で、2002年7月の早朝、撮影して送ってくれました。

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