松田博仁さんとの談義を、随時出来上がった時点で掲載していきます。

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  11月17日(月)の夕刻、松田博仁さんのお母様から、自宅に電話がかかった。松田さんが、11月14日0時30分に亡くなったとのことであった。あまりに急なことで、お母様にとっても予想外であり、数日が経過しても容認しがたい様子が感じられた。もちろん、私にとっても突然の知らせであり、呆然としていくつかのことを確認するのが精一杯であった。通夜は11月15日、葬儀は11月16日にすでに執り行われたとのことであった。

 2007年2月、松田さんがLECの正社員として勤務していたとき、会社の定期健診において重篤ながんに侵されていることが判明した。すぐに東京・御茶ノ水の順天堂病院に入院し、3月中には実家のある岡崎市の愛知病院(がんセンター)に転院して治療に努めた。以来、亡くなるまでの1年10カ月の間、入退院を繰り返しながら、抗がん剤治療に取り組んできた。医師の配慮は十分に感じられるものであったが、松田さんにとっては副作用が強い、過酷な治療となっていた。松田さんは、最後まで希望を捨てることなく、闘病生活を続けていた。

 年齢的には私のほうが上であったが、LECでの立場は松田さんが上司であった。入社したての、職場に不慣れな私に、書類立てを探してくれたり、困難なことがあると慰めてくれたり、いくつかの配慮をし、助けてくれた。信頼することのできる、親切な上司であった。

 私とは1年6カ月くらいの職場での付き合いであったが、その間の松田さんについて、いつも思い出すことがある。ある朝、私が出社すると、松田さんは今朝、喫茶店で礼儀をわきまえない若者がいたので、注意をしたというか、その若者をしかりつけるために追いかけたというのである。その若者に対して、怒ったというのである。当時の私は、けんかになり、けがでもしてはいけないと思い、そんなに向きになるものではないと感じたし、そんな意見を松田さんに言ったと思う。そしてそんなことは一度ではなく、何回か、あったのである。

 今考えると、松田さんは自分の価値観に自信を持っており、その無礼な若者に対して、「何でこんなことも分からないのか」という感慨があったのだと思う。だからこそ、追いかけて行って、怒ったのだと思う。松田さんの、信じる価値観を、その若者に伝えようという、強い意欲を持っていたのだと思う。松田さんはそういう正義感を強く持っている、稀有な人であった。

 その自分の正しいと思える価値観を伝えたいという意欲は、『松田博仁さんとの音楽談義』でも感じられた。松田さんは幼少のころから、学生時代、社会人時代を通じて、ずっと音楽を愛し続けてきた。あるときは、音楽ライターを志したこともあったと聞いている。さらには、CD制作にたずさわったこともある。松田さんの人生は、音楽を愛し続けたという意味で、音楽と切っても切れないものであった。

 そして、この『音楽談義』で松田さんが表現してくれた音楽観は、独自のユニークなものであるが、同時に松田さんだけに止めておくのはもったいないものであった。その松田さんが保持する貴重な音楽観を、ちょうど無礼な若者に自分の価値観を伝えようとしたように、我々全てに伝えようとしていたのではないか、私にはそう思えるのである。「ほら、こんなに素晴らしい音がここにあるよ」「ほら、こんなに素敵な詞がメロディやリズムに乗っているよ」「ほら、最高の音楽がここにあるよ」と、我々に、メッセージとして必死に伝えたかったのではないか。松田さんは、そういう自身の音楽観を、この『音楽談義』の中で存分に語ってくれているのであり、松田さんの真摯な音楽への姿勢が、そこに十分に感じられるのである。

 実は、松田さんはこの『音楽談義』を書籍にしたいという希望を持っていた。私も同調して、印刷会社や出版社に当たってみたのである。ただ、その方々の多くが、この作品はホームページに向いたものであり、書籍にするのは難しい、というご意見を示してくれた。書籍にしてしまうと良さが薄れてしまうと、私自身も感じていたし、また、金銭的な制約も当然ながらあった。そのため現在は、この作品をホームページに残し続けるだけにしたいと考えている。

 この選択は、必ずしも松田さんの希望に沿わないものかもしれない。でも二人で創作したこの作品は、ホームページという媒体向きの最良の作品だということである。そして言うまでもなく、最良の作品にしている要因は、松田さんが最良の音楽観をもっていたからである。そのことを確認しつつ、「どうか松田さん、この選択を了解してください」と、お願いしたいのである。

 この作品に表現されているように、私にとって、松田さんとのメール交換は楽しく、充実した時間をもたらしてくれた。そういう時間を、私と松田さんは共有できたと思う。今はただ、短い月日であったにもかかわらず、松田さんとお付き合いできたことに対して、深い感謝の気持ちを抱いている。「松田さん、本当にありがとうございました」「松田さん、本当にお疲れさまでした」「天国で存分に音楽を聴いてください」「私が彼岸に行ったら、音楽について再び語らいましょう」と述べて、この二人の作品に皆さんをいざなうコメントとしたい。

(2008年11月25日 砂田好正)