松田博仁さんとの音楽談義 第2回

2007年9月22日 砂田⇒松田
 佐野まりさんが、南米(どこの国でしょうか)で演奏している映像をインターネットのYou Tubeで見ました。彼女もまた、「音楽」という表現に魅せられた一人なのですね。現地の民族衣装を着て、演奏している姿が印象的です。松田さんが、彼女たちとCDを出されたことは、貴重な経験であり、ぜひ聴いてみたいところです。
 私は、前期の講義の最後(砂田は2007年4月から、LEC大学で講師の仕事をしています)に、学生さんに対して、「何でもよいから表現手段を持ってください」と言いました。「音楽でも、写真でも、絵画でも、文章でも、漫画でも、そして服装のファッションでもよいから、表現手段を持ってください」と述べました。どれだけの学生さんがその意義を感じてくれたか不明なのですが。
 中野の部屋の話ですが、ご自分でやるしかないのでしょうか。手伝えることがあったら、言ってください。

9月22日 松田⇒砂田
 佐野ですが、アルゼンチンやブエノスを奔走しているようです。私たちが出したCDは邦楽でしたが、本人が段々カルトな民族音楽にのめり込んでしまい、私はほとんどついていけなくなってしまいました。また本人の自己主張があまりに強すぎて、周囲との摩擦もありました。商業ベースに乗せ損なった点が悔やまれます。しかし、楽しい思い出がたくさんできました。また、多くの人たちとの出会いをもたらしてくれました。そういう意味では感謝しています。
しかし海外では、なかなか日本の歌手は売れないですね。日本語の壁や、日本人アーチストへの差別が、なくなってほしいと思います。
 私は、今、流行している『千の風に乗って』を聴くと、涙してしまいます。やっと日本も良い音楽が売れる時代になったようです。
 砂田さんは以前、趣味のサークル「唄う会」に参加しようかどうか迷っているとおっしゃっていましたが、その後どうされましたか。私は趣味の集団に入る時はすごく躊躇するタイプです。いつも入り口のところで帰りたい衝動にかられます、これは一種の悪い性癖かと思います。結果はいつも思い過ごしであり、今も仲良くして頂けるので、ありがたいです。
 中野の部屋ですが、もしかしたらお願いするかも知れません。ほとんど処分するモノであふれており、どのような業者にどう頼むか、大家か中野区役所にでも相談したいと思います。一番心配なのは私の体調ですから、高円寺あたりのホテルを予約する予定です。また来週、考えてみます。

9月23日 松田⇒砂田
 実は今、舌の下が痛く、薬が今回なかなか効かないので、気になっています。また首に急に湿疹が出てきました。明日は病院が休みですから、明後日に行ってきます。大したことでないことを願っています。

9月24日 砂田⇒松田
 一昨日の夜は、東京・入谷で江戸賀あい子さんhttp://www2.odn.ne.jp/aiko.world/という歌手の、最近はじめたという小唄と、隅田川馬石師匠(真打ち)の落語を聴いてきました。江戸賀さんは、長崎出身のシング・ソング・ライターで、ジャズも唄います。ある居酒屋でピアノの弾き語りを聴いたのが、最初の出会いです。それ以来、彼女の演奏をときどき聴きに行きます。彼女の作った歌詞に、「忘れることは神様の贈り物」という意味のフレーズがあり、その言葉に感動しました。リズミカルで楽しい歌が多く、聴いていると元気が出てきます。
 佐野まりさんは、アルゼンチンやブエノスを奔走しているのですね。私の小学校の同級生に、「スプラング」という染物や織物をやっている女性がいます。彼女もよくペルーなどの南米に行きます。南米は文化や民族性をはじめ、魅力があるのでしょうね。
 舌の痛みや吹き出物はご心配ですね。快方に向かうことを祈念しています。くれぐれもお大事にしてください。

9月25日 松田⇒砂田
 こちらはまだ暑いです。今日は近くのクリニックで口と湿疹を診てもらいました。ところが、今朝起きたら全く症状がなくなっていて、念のため診てもらいましたけど、異常でなくて安心しました。ただ歯が気になるので、明日、歯医者に行きます。

 話が変わりますが、霊障の本を読みましたところ、マイナス感情が病気を呼ぶそうです。また自分が人を恨んだ場合、その相手の守護霊が強いと、たとえその相手が大悪人でも、自分に跳ね返るそうです。私が闘った一部の相手は、残念ながら全て私より強かったようです。恨むまでいかなかったのですが、「憎まれっ子、世に憚る」というのは、なんと不公平なことかと思います。

 南米はフランクで物価が安く、日本のフリーターが移住してきているという話を聞きました。現代人の一つの現象かも知れませんが、向こうの医療体制とかは大丈夫なのだろうかと、勝手ながら考えてしまいます。例えば、アメリカ在住の日本人が、現地でがん治療を受けると、猛烈な副作用で大変だという話を聞いたものですから。

 江戸賀さんの歌詞、「忘れることは神様の贈り物」というフレーズは良いですね。また、同級生の方については、一度佐野に知っているかどうか聞いてみます。

 話が跳びますが、不思議な現象が起こりました。実は飛騨の砂田君(松田さんの高校時代の同級生。「砂田」という姓が同じなので、親戚ではないかと聞かれましたが、関係ないようです)から、高校の合唱コンクールに関するメールがあって、その少し後に砂田さんから江戸賀さんの話があって、またそのすぐ後に、千葉のキャリア・コンサルタントの人から、合唱サークルでこういうのを唄っている、という話が来て、また続けて小学校の同級生から、合唱サークルの話題でメールが来ました。こういう一連のシンクロニシティは私の場合よくあるのですが、今さらながら驚いています。また昨日自分が作ったCDを何年ぶりかに聞いていたら、佐野まりから急にメールが来ました。実に不思議です。


9月26日@ 砂田⇒松田
 湿疹が何でもなくて良かったですね。歯医者にも行ったほうが良いでしょう。実は、私も先だって、2年間行っていなかった歯医者に久しぶりに行きました。私のかつて勤めていた会社が、中央区の小伝馬町で、そのときに通っていた歯医者に通っています。親切にきちんと治療してもらえるので、気に入っています。私の歯は最悪で、松田さんは気づいていたかどうか分かりませんが、入れ歯なのです。「数年後に奥歯が悪くなったら、大改造する必要がある」とのことで、しっかりブラッシングをするように、やかましく言われました。

 さて、同級生の女性については、佐野さんにぜひ聞いてみてください。意外に接点があるかもしれません。ただ、スプラング(織物・染物)と音楽では、まったくジャンルが違いますから、接点がないかもしれません。でも、尋ねてみてください。
 毎日が過ぎるのが早いですね。くれぐれもお身体をお大事にしてください。


9月26日@ 松田⇒砂田
 今日は幾分涼しくなりましたが、まだまだ暑さはあります。今、歯医者から戻りました。歯肉炎の治療だったのですが、今はレーザー治療という、非常によい方法があり、感動的でした。行ってよかったです。砂田さんも歯には辛い思いをされていたのですね。知りませんでした。

 ホントに毎日が過ぎるのが早く、怖いくらいです。私は以前、日曜が終わるのが怖くて、朝から1日に5件も喫茶店をハシゴしたり、中央線を各駅で降りて散歩したりしていました。そうすると、一日がすごく長く感じるのです。砂田さんは、そんなご経験はないですか。


9月26日A 砂田⇒松田
 私は、あらゆる歯の治療を受けていますが、レーザー治療という言葉を聞いたのは初めてです。私は、50歳くらいから悪あがきをして、ブラッシングを毎晩、15分くらいやっています。そのせいか、歯肉の具合が良くなり、おかげさまで、入れ歯はよく保たれています。

 「時間の経つのが早い」と言う話ですが、私も日曜日になると、サザエサン症候群ではないですが、「月曜日が来るのが嫌だ」という経験が何度もあります。私の場合、そういう日曜日は、アッと言う間に過ぎてしまいますね。「明日が来るのが嫌だ」という経験は、他にもたくさんあります。でも、人間はそうやって、大人になっていくのかもしれません。


9月26日A 松田⇒砂田
 私の場合、サザエサン症候群は小学生から始まっていました。中学からは日曜の夜はラジオの深夜放送に逃避したものです。それでも登校拒否することはなかったですが、やはり眠かったし、勉強はあまりできませんでした。確かに人間は、そうやって大人になっていくのかもしれません。ところが、私はLECに入ってからは、そういうことはほとんどありませんでした。LECに転職する前は、ツムラという医薬品会社で、専務直属の技術職でした。その前は営業職でしたが、その頃が一番辛かったです。

 さて、ずいぶん話がそれてしまいましたが、今は、由紀さおりの『夜明けのスキャット』が懐かしく、気に入っています。いずみたく先生の名作ですが、ただ、いつも引っかかるのは、同時代のアメリカのデュオ、サイモン&ガーファンクルの『サウンド・オブ・サイレンス』に、酷似しているのです。機会があれば、一度聴いてみてください。笑えます。


9月27日 砂田⇒松田
 昨晩は涼しかったのですが、今日の昼間はやっぱり暑い感じがします。天気予報では、明日は再び30度くらいになるそうです。まだ、油断できません。
 由紀さおりの『夜明けのスキャット』は知っています。「ルールールルルー」で始まる歌ですね。我々の世代には懐かしい歌謡曲です。そうですか、サイモン&ガーファンクルに似ていたとは。歌謡曲にはそういう作品が少なくないようですね。明日は、夕方からカラオケをやりに出かけるかもしれません。楽しみです。

9月27日 松田⇒砂田
 東京が明日、再び30度とはなかなか油断できませんね。こちらもまだ湿度が高いようです。そのせいか、体がだるく感じます。どうも私は、秋からメンタルダウンしてしまいがちです。体温を上げると精神的に落ち着くそうです。私みたいにメンタルの弱い者は、体を温める食事をとる必要がありそうです。

 『夜明けのスキャット』が流行った頃は、私はまだ小学校1年生でした。いしだあゆみの『ブルーライトヨコハマ』も好きでした。昔は忘れられない歌がたくさんあったように思います。

 私は明日からまた治療で、かなり緊張しています。副作用が軽いことを願っています。
また最近は、少しメール依存症かも知れません。いろいろな人とメールする頻度が増えました。しかし、これは今の私にとっては、非常に有り難いことです。


9月30日 砂田⇒松田
 今日の東京は、外は暑そうです。タバコを買いに行く以外は、終日自宅で過ごす予定です。私の吸っているタバコが、来月の1日から、290円から300円に値上げされるので、近所のタバコ屋さんが、2カートン(20箱)買い置きしてくれています。私もメール中毒になっていますから、それは気にしなくてよいと思います。

9月30日 松田⇒砂田
 現住入院中で抗がん剤治療を受けています。相変わらず食欲が落ちるのと、口の中が金属の味がするので、何も食べられない状態です。この副作用だけは何とかしてほしいものです。

 さて、私の音楽との出会いで最古の記憶は、昭和40年くらいです。時代はすでに学生運動が盛んでしたが、私はテレビ世代であり、「映画音楽」「当時の歌謡曲」「テレビアニメ・特撮もの」「グループサウンズ」など、私が楽しんだ音楽のジャンルは、かなり幅広いものです。ビートルズ、ベンチャーズなどは、中学生になってから後追いで聴き込みました。


10月1日 砂田⇒松田
 先に触れていますが、私とビートルズとの出会いは、高校生のときです。私は野球少年で、高校では硬式野球部に所属していました。2年生のときだったと思いますが、同級の野球部員が1枚のLPレコードを持って来て、「これはビートルズのLPなのだ」、と見せてくれました。彼は、私たちにそれを聴かせたかったのかもしれませんが、当時私はほとんど関心を示しませんでした。

 その頃、私は歌謡曲に魅かれていて、高校の京都・奈良の修学旅行のバスの中で、加山雄三の『君といつまでも』(「幸せだな、僕は君といるときが、いちばん幸せなんだ」という台詞のある歌です)を、大声で合唱したクチなのです。

 でもビートルズの、『アイ・ウォナ・ホールド・ユア・ハンド(抱きしめたい)』は当時から知っており、いいなと思っていました。それでもレコードは買いませんでした。それ以来、テレビやBGMで聴く程度の付き合いです。私と15歳の年齢差がある松田さんのビートルズとの付き合いはどのようなものですか。


10月1日 松田⇒砂田
 私の世代は、いわゆる新人類世代、オタク世代と言われています。高度経済成長期に生まれ、バブル経済と、その後の奈落も体験しています。

 ビートルズが登場したのは、私が生まれた昭和37年であり、リアルタイムでレコードを聴ける環境がなかったのと、両親がジャズやロック嫌いだったため、仮にラジオで流れても、直ぐにチャンネルを変えられてしまった、と思います。ビートルズを幼年期に聴いた記憶がないのは、そういうことだったと思います。

 さて、そこで私がビートルズを聴いたのは、中学生の頃です。やはり当時の修学旅行のバスの中で(笑)、ビートルズ初期の作品を聴き、そのキャッチャーな作品の数々にノックアウトされました。流れていたのはおそらく、『ビートルズ1963〜1966』という、初期のベスト盤だったはずです。それ以来、私は多くのレコード(日本盤、アメリカ盤、イギリス盤、各国盤のシングル、EP、LP)を集め、後追いで聴いてきました。ビートルズのコレクターと言ってもいいかもしれません。

 また、私が新入社員の頃、当時の上司は40歳で、砂田さんと同じ団塊世代でした。ビートルズ大好き人間で、よく話を聞かされました。私もそれまでの間、ずいぶん聴いてきましたから、その上司とは、一瞬でしたが意気投合したことがあります。

 それにしても、「当時ビートルズを聴いていた人は少数派だった」という事実を後から知って、やはりそうだったのかと思いました。ビートルズをミーハーな感覚でなく、後から真剣に探求したのは、私より数年先輩の世代で、音楽ライターもこのへんの年齢に集中しています。『アイ・ウォナ・ホールド・ユア・ハンド(抱きしめたい)』は、日本でもヒットしましたが、昭和39年のことです。ビートルズが来日するのが昭和41年ですから、砂田さんにレコードを持ってきた同級生という人も、少し遅れて聴いた人かと思います。

 当時は、加山雄三の人気は、絶大だったようですね。現在、70歳になっていますが、ずいぶん元気で、信じられないくらいです。『君といつまでも』は、大学時代にレンタルビデオを借りて、知りました。私も大好きで、カラオケでときどき唄っていました。


 この音楽対談をホームページで掲載することを、二人が意識しはじめたのはこの頃です。 共通の趣味としての「音楽」がテーマになったことは自然な成り行きだったと思います。

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