松田博仁さんとの音楽談義 第4回
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10月7日@ 砂田⇒松田 『恋』(作詞・作曲 平尾昌晃 補助作詞 水島哲) 逢っているときは なんともないが 逢えばそれだけで 楽しいくせに ロカビリー歌手として名をはせていた平尾昌晃が、転身して、歌作りをするようになった、その初期の曲です。それは、意外な転身でした。 一方、松田さんに勧められた『ラバー・ソウル』を聞き、また『恋』という歌を私が好きだということで、もう一つ考えたことがあります。それらに流れているのは、「青年の傷つきやすさ」「青年の危うさ」だと思います。私たちは、いつの年代でも、自分の心情に合う音楽を探しています。特に青年期はどこかで夢中に探していました。それはなぜかと考えると、「青年期の傷つきやすさ」がそうさせているのではないかと思います。そのことを、ビートルズは『ラバー・ソウル』の初期のアルバムで、とてもよく表現しています。 松田さんの音楽体験は、ほかにどのようなものがありますか。何か、具体的にありますか。とても好きだったとか、影響を受けたとか、若いときからのお話をもう少ししてもらいたいのです。 |
| 10月7日@ 松田⇒砂田 ありがとうございました。その前に補足しておきたいのですが、前述のグループサウンズの作品は、一部を除き、作詞も作曲も、ほとんどプロの先生方によって作られています。例えばタイガースの曲は、「すぎやまこういち」のベストと言えるものです。そこがボブ・ディランやビートルズをはじめとするロックと違っていて、またグループサウンズに関心があったのは、主に女性と子供でした。大人の、男性は、その計算された商業的ビジネスに冷ややかだったと思います。 また、フォークルセダーズの一発ヒット、『帰ってきたヨッパライ』ですが、遅いテンポで録音したものを、テープ・スピードを上げてレコード化されたものです。当時は珍しい音だったことが、大ヒットの原因だったと思います。子供だった私も、この歌ははっきり記憶しています。この歌を収めたアルバム『ハレンチ』は、マニア間で高額取引されており、日本の歌謡史における衝撃的な存在ですが、世界的名盤というわけではありません。 平尾昌晃は、日本のプレスリーとしてデビューしました。「ささきいさお」もそうでした。少年少女の悲鳴や失神は世界的現象でしたが、これは、人によっては、対象はある程度、誰でもよかったのだと思います。そのためビートルズも、世間は同じように見ていたのでしょう。しかし、昔のロックをレコードだけでじっくり聴いた我々の世代は、この人たちは、「やはり偉大なバンドだったのだ」と、音楽的再評価をしたわけです。それはビートルズだけではなく、ローリング・ストーンズ、キンクス、ヤードバーズなど、切りがないほどです。 前置きがずいぶんと長くなってしまいましたが、具体的な体験はたくさんあります。 私にとってあの映像と重なる歌があります。先にあげた、由紀さおりの『夜明けのスキャット』(昭和44年発売)と、その一年前に流行った、ザ・タイガースの『花の首飾り』(昭和42年発売、「花咲く娘たちは」ではじまる歌)です。前者は深夜の番組で、よく聴いた記憶があります(早寝できない子供だったようです)。というのも、私はよく父と一緒の布団に寝ていて、枕元には必ずトランジスタ・ラジオがあって、いろいろな歌謡曲が流れていました。そのときに聴いたから、そんな気がするのでしょう。 しかし、安田講堂の映像には、どちらかというと『花の首飾り』のほうが合うような気がします。青年のピュアな敗北感というか、一つの時代が終わる虚しさ、寂しさをこの歌に感じるのです。また同じように、ザ・タイガースの『青い鳥』もそうです。学生運動はどこでも盛んで、警察と機動隊は大変だったわけで、そのものものしさは、当時の私にはお祭り騒ぎのように見えていました。これらの歌が耳に入ってくるたびに、当時の安田講堂の攻防戦を思い出してしまうのです。 |
| 10月7日A 砂田⇒松田 全共闘時代を、名古屋にいて、小学校1年生の松田さんが見ていて、感じていらっしゃったことが語られ、たいへん興味深く聞かせていただきました。私のような世代の人間にとって、当時は渦中の大学生だったわけで、思い過ごすことのできない時代です。 そのずっと前のことなのですが、もう一つだけお話させてください。それは小学生の高学年の頃です。昭和34年に第1回レコード大賞を取った水原弘の『黒い花びら』(作詞 永六輔 作曲 中村八大)にも懲りました。 さて、私の大学入学は昭和43年、卒業は5年後の昭和48年です。もろに全共闘世代ということになります。松田さんがおっしゃるように、昭和44年には安田講堂が陥落します。 昭和45年に三島由紀夫が自決しています。その年は、70年安保闘争もありました。それから学園闘争は少しずつ退潮期に入っていく、そんな時代でした。当時の大学では、学生がストライキを打ったりして、授業はないことも多く、レポートを提出すれば単位をもらえる科目が多くありました。 |
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10月7日A 松田⇒砂田 さて、前に出てきた私の団塊世代の上司のことですが、当時、得意先だった病院の医師が同じ世代で、その先生から、「自分は大学時代、いかに悶々としていたか」という話を聞かされたそうです。アパートの隣の部屋には始終、人が出入りしていて、いつも楽しそうにフォークソングを歌っていて、それが辛かったというのです。仲間に入ればよいのにと思いますが、とにかく悶々としていた、とのことです。 ここで、私とフォークソングの出会いですが、チェリッシュの『てんとう虫のサンバ』とか、かぐや姫の『神田川』を小学校の遠足のバスで、初めて知りました。いずれも昭和48年の歌です。中学では赤い鳥の『翼をください』を合唱で唄いました。これは昭和47年にデビューした歌です。 さて、当時はこれらの歌が好きだったわけですが、それは、フォークソングに親しむ序章でした。 吉田拓郎は、ボブディランの影響をもろに受けていると思います。彼については、後日また触れたいと思います。
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| 10月8日 砂田⇒松田 私も井上陽水の歌である『夢の中へ』や『心もよう』(昭和48年発表)はよく聴きましたし、口ずさむように唄っていました。 吉田拓郎は、『旅の宿』(昭和43年発売)、「浴衣の君は ススキのかんざし」ではじまる歌に親しみましたし、『結婚しようよ』(昭和42年発表)も聴きました。どっちかって言えば、井上陽水のほうが好きだったかもしれません。 もうお気づきかもしれませんが、どんな歌手の歌にしろ、私は世間的に大ヒットした曲だけに親しんでいるようです。これは、これまでの人生に一貫していることで、アルバムを買って全体を聴き、その中から自分の好きな歌を探して、じっくりと聴くということをあまりしていません。中途半端な趣味にしかなっていないな、と思います。そういう意味では松田さんのほうが、アーチストと深い接し方をしていると思います。 |
| 10月9日 松田⇒砂田 蛇足ですが、昨日は誕生日でした。今年はめでたくない誕生日ですが、こういうこともあるでしょう。 さて、少し内容が前後してしまいますけれども、テレビ・ドラマ『横溝正史シリーズ』がブームになったのが、私の中学時代です。昭和50年代になって、角川グループが台頭してきて、『犬神家の一族』(原作 横溝正史 昭和51年・市川昆監督によって映画化)がブレイクしました。そして昭和52年にテレビシリーズが始まりました。そのエンディングに使われた歌が好きだったのです。茶木みやこの、『まぼろしの人』という歌です。この作品は、暗い感じの唄い方と、ピコピコしたキーボードの音が特徴です。 『まぼろしの人』 たわむれ遊ぶ 私は中学3年でしたが、勉強する意欲がわかず、また友人を増やす意欲もわかず、うつ状態のようでした。そんなときに、この歌は私の波長にぴったり合っていました。茶木みやこについては、ピンク・ピクルスという京都のフォークデュオの一人だったことを、最近になって知りました。
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| 10月10日@ 砂田⇒松田 横溝シリーズは、私も映画やテレビ・ドラマをよく観ました。小説も読んでいます。探偵モノですが、怪奇的でもありますよね。何か、別世界のことが描かれていて、日本的な探偵モノの原点という感じです。 でも、テレビのエンディングに『まぼろしの人』が唄われていたことは知りませんでした。今こうして松田さんが書いてくれた詞を読むと、とても良いですね。この詞を茶木みやこが、「暗い感じの唄い方」で唄い、「ピコピコしたキーボード」がリズムをとっているのですね。松田さんの話によって、ますます聴きたくなりました。 ちょっと冗談ですけど、松田さんは、あの金田一耕助(横溝シリーズの主役である探偵)のイメージに似てないですか。長髪の髪型といい、長身で痩せ型といい、ちょっと似ている感じがします。金田一の眼力と聴力で、これからも音楽を探索してください(笑)。 昭和52年というと、私が29歳の頃です。ある業界紙の会社に28歳で入って、駆け出しの記者をしていました。その時代は、私にとっては、音楽との付き合いが一番少なかった時期なのです。私たちの世代の29歳といえば、夢の実現にまい進していた明るさのある時期と思われがちですが、私の場合、ここでも暗い心情を持っていました。松田さんの中学3年生の頃と似ていますね。 |
| 10月10日 松田⇒砂田 横溝正史の作品は、江戸川乱歩のモダンな感じとは違い、風情のある神秘的な地域が舞台で、また奇をてらったところが人気となったようです。実は私も少しだけ探偵に憧れた時期がありました。確かに金田一の影響はいろんな点であるかも知れません。なれるものなら、なってみたい気がします(笑)。 「まぼろしの人」は茶木みやこのベスト盤などに入っています。これも持論なのですが、歌を作るとき、普段、気持ちがお気楽な人が作ると、マイナーで.暗い感じになりやすく、作者が暗さや辛さを、さらに一歩飛び越した瞬間に、明るい歌ができるのではないでしょうか。そんな感じを、私は持っています。 中島みゆき、ユーミンも、私の大学のときに流行りました。昭和57年くらいからです。この頃私は、昔の洋楽にはまっており、邦楽はあまり聴いていませんでした。その範囲で言うと、中島みゆきの暗さはダメでした。ちょっと「念仏」のようにも感じられ、あまりなじめませんでした。ユーミンもこの頃にレンタルレコードで時々は聴きましたけども、当時のアナログ盤は音が悪く、途中で聴くのを辞めたという経緯があります。しかし今はリマスターCDで、良い音で聴けますし、中島みゆきも含めて、じっくり聴いてみたいなと思います。 それから今、砂田さんにお送りするCDをたくさん用意しています。簡単な解説メモを書きましたので、聴いてみてください。たいへん勝手なのですが、これまで.どんな音楽を好んできたのか、今の私がどんな音楽に親しんでいるのか、が分かるようになっております。まず第一弾を、明日、お送りする予定です。この対談は、幅広い読者に読んでいただいておりますので、二人のそれぞれの音楽観にアプローチしやすいように、二人で活用できればと思います。 |
| 10月10日A 砂田⇒松田 CDを送っていただけるとのこと。ありがたいことで、楽しみにしています。私のプレイヤーは安ものですから、松田さんの構成してくれた音楽を聴き、音楽をテーマにした対談をする以上、もう少し高いのを買わなくてはいけませんね(笑)。 先日、70年前後の話がありましたが、少し思い出したことがあります。私がいた大学には、一号館という建物があるのですが、そこを全共闘が占拠していました。そこにサークルの同級生が「泊まり込みに入る」と言い出したのです。我々サークルの仲間は、彼が入ると言うのを「是とすべきか、非とすべきか」、喫茶店で議論をしたことがあります。そんな議論が成立するような時代でした。 20歳前後の私もまた、テレビの歌謡番組を観ることが楽しみでした。当時の歌謡界は、今考えれば最盛期、ブームと言っても良いかもしれません。『夜のヒットスタジオ』など、面白くて楽しみにしていたテレビ番組がありました。 |
| 10月11日@ 松田⇒砂田 今日CDをお送りしました。解説メモも同封しましたので、それに沿って聞いていただければ幸いです。 サークル仲間が、全共闘占拠の会館に入ることについて議論されたことは、ホットな事件でしたね。そういう議論が、当時はどこにでもあったように思います。私も「学割を使っている」という言い方は、誰かから聞いたことがあります。割と有名な話です。私たちの世代から見ると、彼らは社会人になってからは、社会と闘うどころか見事に順応していったように見えます。いずれにしても、全共闘とは一体何だったのか、その総括がいまだにされていないことに、疑問を感じてしまいます。 そういえば、大学の人形劇サークルが舞台になった映画がありました。『神田川』というタイトルで、草刈正雄が主演でした。高校時代にテレビで観ました。 |
| 10月11日 砂田⇒松田 サークルの仲間との議論がわき起こったことは、松田さんも感じていらっしゃるように、少なからず、自由感、解放感があった当時の学園風景を現しています。これは私たちの世代の良いところだと思います。 ただし、その一方で、悶々として暗い内面であったということも事実なのです。また、同世代として言いづらいのですが、否定的に考えざるを得ない面もあります。 一つだけ言っておきたいのは、当時の縦看板によく書かれていたのですが、「自己否定」「自己批判」を迫る標語がありました。これは、最悪のスローガンだったと考えています。「造反有理」とかは元気があっていいのですが、「自己否定」とか、「自己批判」というのはいけません。 それで、松田さんが観た映画『神田川』は、松田さんもご存知でしょうが、かぐや姫の南こうせつが歌った『神田川』(昭和48年 作詞 作詞 喜多条忠 作曲 南こうせつ)が原作です。喜多条忠という作詞家は、私と同世代です。「貴男はもう忘れたかしら 赤い手拭いマフラーにして 二人で行った横丁の風呂屋」という歌詞は、当時の雰囲気をよく伝えています。 松田さんたちは、ご自分たちはどのような世代だとお考えですか。よろしかったらお話ください。 |
| 10月11日A 松田⇒砂田 あの頃の自由感とか解放感は、私たちの世代にはうらやましいものです。 また、「自己否定」とは、本当に嫌な言葉ですね。まさに、自己を棚に上げ、都合の悪いときにだけ弱い人間を追及する。そのような低レベル組織が、いかにも好んで使いたがるスローガンです。そういう軍隊のような組織では、音楽を聴くことも、唄うことも許されず、制限されるように思います。 南こうせつの『神田川』は、確かにうまく、当時の雰囲気を伝えています。私が聴いたのは中学生でした。まず曲が良かったことと、「そんな青春もよいな」という、大学生以外の人にうけていたようです。私自身が心に響いたという記憶はありません。ただ、「そういう青春もありかもしれないな」と、思った程度です。 私の大学生時代は、閉塞されたあきらめ感、夢は描けず、「こんなことして何になるのか」という、つましい感じがしていました。私たちの学生時代は、山田太一の『ふぞろいの林檎たち』(1980年代にTBS系で放送されたテレビ・ドラマ)が、ブレイクしていました。私たちの世代の時代背景を描いた代表的な作品です。 |
| 10月12日 砂田⇒松田 CDの束が着きました。今、松田さんの構成してくれた順番で聴いています。ありがとうございました。それについては後日、対談の中で話していくことにしましょう。 |
ここでは、二人の会話は世代論に偏っています。青春期のことであり、二人にとって見過ごせない、それぞれの時代です。そしていつの時代にも、私たちのそばに音楽がありました。さて、ついに松田さんからCDの束が送られてきました。それは、松田さんの音楽ワールドそのものでした。