松田博仁さんとの音楽談義 第6回
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11月5日 松田⇒砂田 |
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11月7日@ 砂田⇒松田 |
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11月8日@ 松田⇒砂田 |
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11月8日A 松田⇒砂田
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11月9日 砂田⇒松田 |
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11月17日 砂田⇒松田 3曲目は由紀さおりの『手紙』(昭和45年)、4曲目が同じく『夜明けのスキャット』(昭和44年)となっています。 5曲目が「あみん」の『待つわ'07』です。この曲自体はもちろん知っており、「わたし待つわ いつまでも待つわ」というフレーズが、リズミカルで昔から好きでした。 その後に、佐野まりさんの『ピエロ』(平成10年度・社団法人音楽出版社協会・オリジナルソング・コンテスト特別賞作品。「FMむさしの」で何回かオンエアされ、特番をもらう)、『風にのって』(平成11年度・同・佳作)、『ラパスへの道』(平成9年・文化放送の帯番組、野村邦夫の「気分はルンルン」でコーナーをもらい、ライブ放送も行われる。この歌はテーマ曲として使用され、また 販売の問い合わせがリスナーから殺到した)となっています。 |
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11月17日 松田⇒砂田 由紀さおりの歌唱力はたいへん高いものです。 「再結成あみん」の『待つわ'07』は、飛騨の砂田君から借りたCDに入っているニュー・バージョンですが、オリジナルより出来映えが良く、私も満足しています。歌詞は変わっていません。実際、ここで唄われているような健気な女性像は、男性の心をも動かします。 昭和57年は、私が大学1年の頃です。 佐野のレコードについては、正直、不満な点が多いのです。 |
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11月18日 砂田⇒松田 全体の印象ですが、意外に知っている曲が多いのです。確かにアニメの主題歌や洋楽の一部は知らないのですが、邦楽のほうは、一度ならず聴いています。 しかし、松田さんが構成してくれたものを聴いていくと、新しい発見というか、「こんなふうにも音楽というのは聴くことができるのだな」という一種の発見があるのです。一曲一曲は知っていても、全体を聴いていくうちに、音楽の新しい側面を感じます。それは私にとって、新鮮な音楽体験でした。 |
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11月19日 松田⇒砂田 |
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11月21日 松田⇒砂田 |
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11月25日 砂田⇒松田 |
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11月26日 松田⇒砂田 昨日、ツムラ時代に私が、富山医科薬科大学に出張した時の議事録用の録音テープが出て来ました。私は20代後半で、声が若いという印象です。この頃は夢がたくさんありました。 そんなことを考えながら、さらに整理していたら、以前お話ししたことのある、浪人時代に聴いていた井上陽水のカセットが出てきました。陽水の顔は、黙って私を見ているようでした。明日はこのテープを27年振りに聴いてみようと思います。
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11月27日 砂田⇒松田 「CDの束bP」を聴いていきますと、佐野まりさんの3曲の後に、井上陽水の『あかずの踏切』『はじまり』『帰れない二人』『おやすみ』が入っています。 |
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11月27日 松田⇒砂田 『あかずの踏切』『はじまり』『帰れない二人』はメドレーになっています。私は井上陽水のファンの方には申し訳ないくらい、作品の背景は知らないのですが、『あかずの踏切』は切羽詰まった、何か、せかされている人間の心情が、ところどころ支離滅裂な歌詞とともに表現されています。またここでは、「踏切」について唄っているわけではなく、そのような気持ちを都会の「踏切」に例えているところに説得力があります。 『氷の世界』は大学時代にレンタルレコードからカセットテープに録音し、少し聴いただけで忘れていました。
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11月30日 松田⇒砂田 今回は入れていませんが、例えば、海の歌が多い初期のビーチ・ボーイズの作品では、脳天気な曲が有名です。しかし、彼らのほとんどは、サーフィンがまるでできないのです。およそ海とは無縁な人たちなわけです。スタジオで過ごすことが多かった、リーダーのブライアン・ウイルソンは、後に精神を病んでしまいます。こんな彼らが創造した作品かと思うと、非常に感慨深いものがあります。私もアウトドアレジャーとは無縁だったし、そういう理不尽さは理解できます。 |
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11月30日 砂田⇒松田 さて、「CDの束bP」に入っている4曲をもう一度聴いてみました。 歌詞のほうに注目しますと、私は、前出の2曲を比べると、『夢の中へ』よりも『心もよう』のほうに、ずっと親しみを感じてきました。. |
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12月1日 松田⇒砂田 この4曲が入ったアルバム『氷の世界』には、選び切れないくらい良い作品が入っています。本人の才能はもちろんですが、彼の作品づくりに関わった人たちの才能も、相当なものです。 ただどうしても古さを感じてしまう詞はあります。 『心もよう』もこのアルバムに入っていますが、今回、私が選択しなかった理由は、あまりにも有名な作品であるということと、この作品を聴くと、切実な気分になってしまうからです。その理由はまた追ってお話ししたいと思います。 昔は、ひとり暮らしの若者で、アパートの自室に電話があった人は珍しかったと思います。私の学生時代もそうでした。周囲の学生の中で電話を備えていたのは、私くらいでした。これは自慢でも何でもありません。 話を戻しますと、『心もよう』や『手紙』で唄われる叙情性は、私たちの世代の多くは、「大人(オヤジ)の文化」と思うのかもしれません。 さて、話が変わりますが、封筒や切手もまた思い出になります。封筒や切手について唄った歌は知らないのですが、郵便配達員について唄った歌に、マーベレッツの『プリーズ・ミスター・ポストマン』があります。手紙が来る待ち遠しさを女性の心境を通じて唄った楽しい作品です。ビートルズ.のカバーが有名で、こちらではより明るい仕上がりになっています。 |
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12月4日 松田⇒砂田 80年代はパンクからテクノへ経由し、産業ロックが台頭してきました。猫も杓子もマシン・サウンドのお手軽さを利用して、エコーの多い安上がり作品を氾濫させたのです。 この頃からMTV産業が登場、80年代の音楽と密接に繋がっていきました。MTVはいわゆるミュージック・ビデオを流すテレビ番組の略です。音楽に合わせたビデオを作ってテレビを通じてレコードの売り上げを上げようというものです。彼らのミュージック・ビデオは、大変な資金がかかっており、人目を引き付けるものでした。 私も大学生時代は、MTVで流れる作品を、ビデオに録画しては、くり返し観ていました。また、レンタル・ビデオ店の登場で、ミュージック・ビデオや映画を簡単に借りられるようになり、深夜に放送されていたMTVを視聴するのは習慣になっていました。私にとっての音楽体験としては、一番充実した時期でした。 しかし、こうした80年代全般を占める産業ロックは、私の中ではあまり面白みがなく、皮肉ですが、それが古い洋楽にはまっていくキッカケとなったのです。そして、こうした理由で60年代の洋楽に入っていった学生はたくさんいました。 そこで、サイモン&ガーファンクルも知ることになります。もちろん彼らもまた、60年代のアーチストです。 砂田さんが仕事三昧だった時期に対し、私の学生時代はまさに音楽三昧だったと言えます。 |
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12月6日@ 砂田⇒松田 松田さんの親しんできたビリー・ジョエルなどの洋楽に接してこなかった私ですが、「CDの束bP」に出ている楽曲を気持ちよく聴くことができました。やはり世界中でヒットした曲は、それなりの理由があり、優れたところが必ずあります。 23歳で大学を卒業し、28歳で入社した業界紙の会社に定着したと述べました。その頃の時代というのは、私にとってはすごく挫折の多い年代でした。私の人生テーマは、職場に定着するということであり、自分の力量で、十分な生活の糧を稼げないという悩みを抱えていました。 大学5年生の頃には、当然ながら就職活動をしなくてはいけません。ところが、当時は花形の職業は、出版・編集であり、私も出版社を受験するのですが、いずれも不合格になってしまいました。今考えれば、どんな職業でもよかったのですが、当時の私は一般企業への就職活動には無関心で、あてどのない生活になっていました。その一方で、自分で稼いで生活できないことに後ろめたさを感じ、また、焦燥感にかられていました。 それで、ある小さな出版社に2〜3年間くらい勤務したのですが、そのときに、妙に記憶に残っている歌謡曲があります。それは五木ひろしが唄った『夜空』(昭和48年レコード大賞受賞曲)なのです。私の仕事は、軽自動車に乗って、届け物をするようなことでしたが、その自動車の中で、ラジオからこの曲が流れていたことを、その場面とともに、妙に思い出すのです。 『夜空』(作詞・山口洋子 作曲・平尾昌晃 歌・五木ひろし) あの娘 帰っておいでよと 決して、好きな歌ではないし、歌謡曲としては、失敗の部類に入るのではないかと思っています。ただ、妙に気になっていて、先日、カラオケで歌ってみたところ、7割くらい唄うことができました。 なぜ、記憶に残っているかを考えてみたのですが、私の25歳前後のあてどなさ、不安、暗さ、挫折感、その一方での焦燥感というものに、ぴったりときたのではないかと思うのです。メロディも、歌謡曲らしいと言えば言えるのですが、まったく目新しいところのない平凡なものなのです。しかし、とにかく当時の心情にぴったりと合った、それでいつまでも忘れられない作品ではないかと思います。当時、職場に定着できない私は、細かい仕事ができないで、その出版社も2〜3年で辞めてしまいます。そのときの、心情にぴったりだったと思うのです。 |
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12月6日A 砂田⇒松田 『くちなしの花』(作詞・水木かおる 作曲・遠藤実 昭和48年) わがままいっては困らせた 小さなしあわせ それさえも ここまで来ると、恥ずかしくなってきますが、私の20代は、この不幸感という心情を持っていたことが分かります。今だったら、「ダイエットに成功した女の子の歌」とでも言って茶化すところですが、当時の私の心情にはぴったりだったのです。 失業などの挫折感や不幸感を持っていた私の20代は、小・中学校の同級生にたまに会うくらいで、友人と言える人もいませんでした。なんともいえない焦燥感にかられ、大人に脱皮できない、意外に幼い自分がいたように思います。そんな時代を経て、28歳から定職に着き、30代はその職場で試行錯誤しながら、仕事を続けていったということになります。 |
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12月6日 松田⇒砂田 砂田さんのご苦労は、今のいびつな競争社会に生きる若者に対して、ぜひ、語ってあげてください。なかなか仕事に就けないでいる30代の人たちが、私の周りにもたくさんいます。そこで乗り越えられた思いを語っていってほしいのです。 さて私のその後ですが、大学4年でゼミ以外全て単位は取得し、法学部の中では、おかげさまで成績は上位でした。 この頃は、音楽からは次第に離れていくことになります。ただ唯一ビートルズのソロ活動や海賊盤だけはチェックして、マニアの道をたどっていきます。 |
| 12月7日 砂田⇒松田 松田さんの大学後半の心情をお話しいただき、ありがとうございました。大学生活を5年間過ごしたことなど、私たち二人は、似ているのかもしれません。そこで、大学に5年間在籍していて、24歳で卒業した後のことを、もう少しお話ししたいと思います。でも、この時期のことは話しづらいところがあって、事実をお話しするのは、気が重たいのです。それで、ちょっと角度を変えてお話ししたいと思います。 今、私は、週2回、大学で経営戦略論という科目を教えています。それでレジュメがすでにあるものですから、時間が余るといけないと思って、前ぶりで私の体験談をお話しすることがあります。 その一つなのですが、「皆さんは自分の良いところを見るようにしてください。自己否定はしてはいけません」というお話をしたのです。「自分には良いところがたくさんある。それを伸ばすように心がけてください。良いところが見つかって、自分を許すことができれば、他人も許すことができる。 人間もそうだし、例えば書籍だって同じだ。どんなにくだらない書籍だと思っても、読んでいくと、必ず参考になるところが、一つや二つは見つかる。人間でも、書籍でも、良いところを見つけてください」と述べました。 なぜ、こういうことを言うかというと、前に全共闘世代についてのところでも述べましたが、どうも私は、20代を通して、「自分が許せなくて、自分の良いところを見つけることができない」という「自己否定」の心情を持っていたと思うからです。 どうも私の大学卒業後の20代は、価値観もできあがっていないし、何をすればよいかも分からない、アイデンティティを確立することもできない、その一方で、社会人として職場に定着しなくてはならない、という焦燥感を持っていました。 さて、音楽から、離れてしまいましたが、この時期、私は音楽と接する時間が少なくなっていたようです。学生時代はあんなに好きだった映画を観ることもなくなりました。音楽を聴いたり、映画を観たりする余裕がない時代でした。そして28歳で小さな業界紙の会社に就職することになります。 |
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12月7日 松田⇒砂田
更に私は、これとは別に、当時ブームだったサブカルチャーのミニコミ誌に参加します。 その中でもユニークだったサークルは、フォノ・シートを研究する集団です。フォノ・シートとは、「第1回」でも少し触れましたが、ペラペラのカラーシート・レコードです。主に朝日ソノラマが「ソノシート」として、多くのレコードを出していましたが、その内容は私たちがテレビで楽しんだテレビアニメ、怪獣をはじめとする特撮ドラマであふれていました。このサークルは今でも会誌を出しており、私も原稿を書かせてもらっています。 |
| 12月8日 砂田⇒松田 「CDの束2」を聴いています。聴く前に、メモを見た段階では、知っている曲は、『勝手にしやがれ』と『憎み切れないろくでなし』と『なごり雪』の3曲だと思ったのですが、聴いてみると、『憎みきれないろくでなし』は、記憶から消えていました。逆に、ボブ・ディランの『風に吹かれて』は、よく知っている曲でした。『風に吹かれて』は、とにかくよい曲ですね。改めてそう思いました。 |
| 12月8日 松田⇒砂田 私は、明日、豊橋交響楽団の演奏会に行ってきます。冨田勲さんに会えるチャンスで、朝から豊橋まで行きます。内容は手塚治虫のアニメ、ジャングル大帝で使われた楽譜を元に演奏される貴重なものです。当日は、手塚治虫の長女と冨田勲さんらとのトークもあります。実は冨田さんは岡崎生まれで、父も岐阜中部未来博で冨田さんと仕事をしています。 プレイガイドもホールも、バスで行く距離で大変ですが、天気も良いようで、がんばって行ってきます |
| 12月8日 砂田⇒松田 明日は豊橋交響楽団ですか。よいですね。大好きな曲を多く聴けますね。楽しんできてください。また、レポートも期待しています。 |
幸いにも松田さんの病状は、自覚症状も少なく安定しているようです。松田さんが送ってくれた「CDの束1」「CDの束2」を聴きながら、二人の20代、30代を振り返りながら、音楽談義が続いています。次回は、松田さんの豊橋でのコンサート体験記を掲載したいと思っています。