松田博仁さんとの音楽談義 第6回

11月5日 松田⇒砂田
 私は金曜日からまた入院です。私の方にもぼちぼち、読者の皆さんから反応が来ています。


11月7日@ 砂田⇒松田
 明日は、日暮里(東京)の「さえずり」という居酒屋に行きます。もう、20年くらい通っています。今、65歳のママが切り盛りしています。
 その店と店で唄うカラオケについては、後日、お話したいと思います。


11月8日@ 松田⇒砂田
 今日は快晴です。再就職に絡めて、『週刊東洋経済』を買いました。愛知経済は良いようです。しかし、記事の内容に関しては、トヨタ依存の構造が説明されているだけに過ぎず、期待はずれでした。
 私は、残念ながら車には全く関心がないので、どうにも興味がわきません。ただ大企業なら車に関わらない仕事もありそうです。
 まだその時期ではないのですが、少しずつ情報を集めたいと思います。


11月8日A 松田⇒砂田
 こんな雑誌を購入しました。ちょうど、この「音楽談義」の内容と重なり、楽しい構成です。


11月9日 砂田⇒松田
 いかがお過ごしですか。確かに、愛知県は景気が良いようですね。
 東京と大阪の中間にあるのも、地の利があるのでしょう。


11月17日 砂田⇒松田
 松田さんが送ってくれた「CDの束1」の最初の2曲が、茶木みやこの『まぼろしの人』と『あざみの如く棘あれば』です。
 『あざみの如く棘あれば』は、阿久悠の作詞ですね。最初の曲としてインパクトがあり、楽しませてもらいました。
 松田さんが中学生の頃、「やや落ち込んでいる気分にマッチしていた」ということでしたね。分かるような気がします。
 茶木さんの歌声にはとても魅力を感じました。もともと個性的であると同時に、「歌手として熟達した発声技術の持ち主」、という印象を持ちました。低く、抑制の効いた声が、とても歌に合っていて、気持ちよく聴けました。

 3曲目は由紀さおりの『手紙』(昭和45年)、4曲目が同じく『夜明けのスキャット』(昭和44年)となっています。
 松田さんは、メモに「言うまでもありません」とお書きになっていますが、おっしゃるとおり、私もずいぶんと聴いた曲です。
 でも、改めて松田さんが構成してくれた順番で聴くと、新しく聴こえるから不思議です。女性らしい高音が、とてもピュアです。

 5曲目が「あみん」の『待つわ'07』です。この曲自体はもちろん知っており、「わたし待つわ いつまでも待つわ」というフレーズが、リズミカルで昔から好きでした。
 昭和57年にシングルがリリースされています。これは、今年、「あみん」が再結成され、再リリースされたほうのバージョンですね。
 松田さんが大学生時代の曲ですから、私が30代のときにヒットした曲です。前よりも良くなっています。これも楽しめました。

 その後に、佐野まりさんの『ピエロ』(平成10年度・社団法人音楽出版社協会・オリジナルソング・コンテスト特別賞作品。「FMむさしの」で何回かオンエアされ、特番をもらう)、『風にのって』(平成11年度・同・佳作)、『ラパスへの道』(平成9年・文化放送の帯番組、野村邦夫の「気分はルンルン」でコーナーをもらい、ライブ放送も行われる。この歌はテーマ曲として使用され、また 販売の問い合わせがリスナーから殺到した)となっています。
 松田さんたちが作った音楽をやっと聴くことができました。どの楽曲も個性的で、斬新な試みがなされており、皆さんの意気込みを感じました。


11月17日 松田⇒砂田
 茶木みやこの『まぼろしの人』と『あざみの如く棘あれば』は、それぞれ横溝テレビシリーズのエンディング・テーマです。
 茶木さんは、まだベスト盤しか聴いたことがなくて、彼女の音楽性がよく把握できていないのですが、その中でもこの2曲は突出しています。
 ベスト盤の他の作品は、低音を生かした唄い方でないものがありますし、正直つまらないものもあります。更に「ピンクピクルス」時代は、これらの作品を想像できないほど、朗らかなフォークソングです。
 この唄い方と印象的なキーボードには、昭和40年代のアメリカのグループ、ドアーズの影響を感じます。ドアーズは演奏の腕前が素晴らしく、歌詞もサウンドもユニークです。
 また茶木さんは現役で、新曲をいろいろなライブハウスで披露しているようです。全国にファンが多く、今後の活動が注目されます。

 由紀さおりの歌唱力はたいへん高いものです。
 『手紙』『夜明けのスキャット』は、彼女の歴史からみれば、いかにも売れ線狙いという感じですが、演歌は個人的に受け付けないので、この辺りがベストとなります。
 それにしても『手紙』は歌詞の内容が暗すぎて、子どもの私にはショックでした。特に絵を燃やすくだりは、「何もそこまで」と思ってしまいます。
 実はこの歌、小学校の時に体育館で合唱の練習に使われました。終わった後は暗い気持ちになりました。(笑)
 レコード・バージョンは今聴くと非常にスッキリとした、シンプルな感じです。歌番組ではもっと演歌チックに唄われていたせいかもしれません。

 「再結成あみん」の『待つわ'07』は、飛騨の砂田君から借りたCDに入っているニュー・バージョンですが、オリジナルより出来映えが良く、私も満足しています。歌詞は変わっていません。実際、ここで唄われているような健気な女性像は、男性の心をも動かします。

 昭和57年は、私が大学1年の頃です。
 当時の若い世代の間では、「あみん」は結構バッシングされていました。アイドルみたいにアクションや愛嬌を振り撒くわけでもなく、「棒立ちの唄い方が暗い」とか言われていました。「一発ヒットのまぐれ当たりだ」とか、「ブリッコしているのでは」とか、当時周辺にいた女性からも厳しい意見が聞かれました。「なぜそこまで」と思いましたが、恐らくその理由は、例えば、最新アルバムのラストに、白々しいとしか思えないクリスマス・ソングを、唐突に入れてしまうようなセンスにあるのではないかと思います。これは最大の失敗であり、その点は残念です。

 佐野のレコードについては、正直、不満な点が多いのです。
 彼女の欠点であるボーカルをダブルトラックにしたり、テープ・スピードを変えたりして苦労しました。ライブは素晴らしいのですが、どういうわけか、当時はスタジオ・レコーディングがダメで、何回もテイクを重ね、ミックスにかなりの時間を費やしました。
 もし本人のベスト・トラックを選ぶならば、これまでDATに録音したライブ・テイクになるでしょう。また全国のラジオ曲でライブ 演奏していますから、本人のライブラリーを当たれば、興味深いものがたくさん見つかるはずです。
 私の記憶では沖縄のラジオ局で披露された『ポトシの星空』はベスト・テイクだったと思います。


11月18日 砂田⇒松田
 これまで、「CDの束1」「CDの束bQ」をお送りいただきました。時間があるときにじっくり聴くこともありますし、仕事で疲れたときに、BGMとして聴くこともあります。いずれにしても、とても快適に聴くことができます。やや落ち込んでいるような時間もあるのですが、このCDを聴くと気分が和らぎます。

 全体の印象ですが、意外に知っている曲が多いのです。確かにアニメの主題歌や洋楽の一部は知らないのですが、邦楽のほうは、一度ならず聴いています。
 それで松田さんの聴いている曲と私との間に、音楽の趣向にそれほどの違いはないのではないかという感想を持ちました。

 しかし、松田さんが構成してくれたものを聴いていくと、新しい発見というか、「こんなふうにも音楽というのは聴くことができるのだな」という一種の発見があるのです。一曲一曲は知っていても、全体を聴いていくうちに、音楽の新しい側面を感じます。それは私にとって、新鮮な音楽体験でした。


11月19日 松田⇒砂田
 今日は岡崎も快晴でした。「CDの束bP」と「CDの束2」をお気に入りいただき、うれしく感じます。
 今日は、国民年金を納め、印刷済み年賀ハガキを取りにいきました。今から毎日少しずつ書こうというわけです。
 また来月、豊橋で冨田勲のジャングル大帝の生演奏がありますので、チケットを買いたいと思います。体調がよければ、ぜひ行きたいのです。ちなみに冨田勲は岡崎出身です。


11月21日 松田⇒砂田
 また偶然にしてタイムリーなのですが、今、懐かしの歌謡特集の雑誌や本がたくさん出ています。今月発売の「ミュージックマガジン」でも歌謡曲が特集されています。ざっと立ち読みしたら、評論家のコメントが、私と同じようなものが多く、驚きました。一度書店でご覧ください。


11月25日 砂田⇒松田
 いかがお過ごしですか。今日は小春日和のような気候で、暖かい一日でした。昨日、義理のお父さんと神宮外苑のいちょう祭りに行ってきました。いちょうの色づきはまだで、今年は相当遅れているようです。
 信濃町から千駄ヶ谷まで、外苑の中を歩いて、新宿に出て、買い物をして帰ってきました。久しぶりの気分転換になりました。明日も、東京は暖かいようです。


11月26日 松田⇒砂田
 最近は、岡崎は暖かく、体調も良いのでガレージの整理をしていました。
 ツムラ時代の資料はアッサリ廃棄できましたが、昔のLEC時代の業務日誌、自分が作った資料やノートがたくさん出てきました。今も重要な財産と言える資料ばかりですが、社員を軽んじている会社には、会社にとっても不要と判断して、廃棄しました。
 新しい社員が入っては、一から苦労して、また辞めていくような会社ですから、社員が積み上げたノウハウに関心がないと思ったからです。
 また、私を簡単に切り捨てた会社など、たかが知れたものです。どうぞ、お偉い方々で、また一から苦労してください、という感じです。このような稀にみる定着率の悪い会社は、社会問題だとさえ思います。
 この頃は会社に希望を持ち、いかに尽力したか、この頃の自分は一体何だったのか、喪失感に陥ってしまいます。

 昨日、ツムラ時代に私が、富山医科薬科大学に出張した時の議事録用の録音テープが出て来ました。私は20代後半で、声が若いという印象です。この頃は夢がたくさんありました。
 またテープには、仕事を終えて富山駅に向かうタクシーの中で、運転手さんとの楽しい会話が録音されていました。また、駅でそばを食べる音まで入っていました。おそらくウオークマンの録音スイッチを切り忘れていたのでしょう。
 あの頃、一生、同じ会社でがんばろうと思っていたのに、住まいを離れると同時に転職することになろうとは思っていませんでした。

 そんなことを考えながら、さらに整理していたら、以前お話ししたことのある、浪人時代に聴いていた井上陽水のカセットが出てきました。陽水の顔は、黙って私を見ているようでした。明日はこのテープを27年振りに聴いてみようと思います。


11月27日 砂田⇒松田
 会社という組織は、従業員が考えるほど、個人を尊重してはくれないですね。会社として売り上げが上がり、利益が上がればそれでよいと、経営者は考えがちのようです。
 日本の企業のほとんどが、個人を尊重しない会社だと思います。今、2007年問題で、団塊世代が退職を迎えています。大企業の退職者で、退職金をたくさんもらっているような人でも、会社に貢献したのに、こんなに一生懸命に働いたのに、会社はこんな辞めさせ方をしたと、少なからず感じています。22年間、業界紙の小企業で働いた私なども、そんな疎外感、孤独感を感じています。

 「CDの束bP」を聴いていきますと、佐野まりさんの3曲の後に、井上陽水の『あかずの踏切』『はじまり』『帰れない二人』『おやすみ』が入っています。
 私にとっても井上陽水は、語りたいシンガー・ソング・ライターなのですが、私が話す前に、松田さんの陽水評というか、感想というか、思い出も含めた批評を聞きたいところです。


11月27日 松田⇒砂田
 井上陽水の『氷の世界』は大変すばらしいアルバムです。
 ゲストも豪華です。村上修一、細野春臣、高中正義、深町純らが参加しています。どの作品も素晴らしく、また録音もミックスも満点です。この中からはとても選べなかったのですが、今回はその4曲が気になったという、それだけの理由です。

 『あかずの踏切』『はじまり』『帰れない二人』はメドレーになっています。私は井上陽水のファンの方には申し訳ないくらい、作品の背景は知らないのですが、『あかずの踏切』は切羽詰まった、何か、せかされている人間の心情が、ところどころ支離滅裂な歌詞とともに表現されています。またここでは、「踏切」について唄っているわけではなく、そのような気持ちを都会の「踏切」に例えているところに説得力があります。
 『はじまり』で、一転明るい曲になり、ホットします。高中正義のギターが気持ちよく鳴ります。
 『帰れない二人』は忌野清志郎との合作ですが、本当にまだ若い清志郎が彼らしいメロディを入れていて驚かされます。また林立夫のドラムスと、後半出てくる深町純のメロトロン、エレピが良い音を出しています。
 『おやすみ』は、嫌なことは忘れ、すっと眠れるような歌です。

 『氷の世界』は大学時代にレンタルレコードからカセットテープに録音し、少し聴いただけで忘れていました。
 このアルバムの思い出は卒業した後のことです。就職が決まってしばらく富士市のハイツで研修があり、何カ月も合宿生活が続きました。私は一人暮らしが長かったせいもあってか、いつまでも続く集団生活がストレスになっていました。しかし5月のゴールデン・ウィークには外出許可が出て、私は東京に行ったか、名古屋に行ったか、記憶にないのですが、新幹線の中でそのカセットテープをじっくりと聴きました。社会に飛び出す不安や期待が入り混じった自分の気持ちは、このアルバムにマッチしたようです。特に最初の3曲を聴くと、あの頃を思い出します。


11月30日 松田⇒砂田
 「CDの束1」は、ほとんど何も考えないでぶちこんでいたような気がします。
 そこで「CDの束2」は、歌詞の流れもよく考えてまとめました。いずれ詳しくお話ししますが、明るく楽しい歌は少ないかもしれません。私が無条件に明るい歌を選ぶ場合、それは明るい歌でも、暗さを乗り越えた、達観した作品のことが多いようです。

 今回は入れていませんが、例えば、海の歌が多い初期のビーチ・ボーイズの作品では、脳天気な曲が有名です。しかし、彼らのほとんどは、サーフィンがまるでできないのです。およそ海とは無縁な人たちなわけです。スタジオで過ごすことが多かった、リーダーのブライアン・ウイルソンは、後に精神を病んでしまいます。こんな彼らが創造した作品かと思うと、非常に感慨深いものがあります。私もアウトドアレジャーとは無縁だったし、そういう理不尽さは理解できます。


11月30日 砂田⇒松田
 昨日、「スパイラル・メソッド」という劇団の「すしくらゑ じゃぱにいじゅ」という題名の演劇を、新宿で妻と見てきました。
 近所のおすし屋さんの協会が、劇団と提携して、半額で見ることができました。素人芸のようなものだと聞いていたので、あまり期待していなかったのですが、これがとても面白かったのです。
 若い役者さんが元気いっぱいに舞台を駆けずり回っているのを見て、大いに気分をよくしました。笑いあり、涙ありの演劇で、楽しいものでした。

 さて、「CDの束bP」に入っている4曲をもう一度聴いてみました。
 その感想ですが、陽水の音楽には、とても「自由感」があると思います。この「自由感」は、好き勝手に音を作っているといった簡単なものではないような気がします。音楽に対して、相当鍛錬していて、その結果生れる「自由感」だと思います。
 例えば、松田さんが選んでくれた4曲は、どれも違った旋律をかもしだしています。1曲1曲が、相当、違うのです。私には、井上陽水が音楽の世界を自由に飛び交っていると感じました。音楽によって羽ばたいているのです。
 陽水というと、『夢の中へ』と『心もよう』の2曲に親しんできました。この2曲を聴いても、まったく違う音を打ち出しています。井上陽水という音楽家は、器用すぎるくらいにそのどちらでも羽ばたいています。幅があるなと感じます。

 歌詞のほうに注目しますと、私は、前出の2曲を比べると、『夢の中へ』よりも『心もよう』のほうに、ずっと親しみを感じてきました。.
 『心もよう』は、「さびしさのつれづれに、手紙をしたためています、あなたに」ではじまります。また、松田さんが推奨してくれた由紀さおりの『手紙』も、文字通り「手紙」を唄っています。こちらは「涙にぬれた手紙」がテーマです。
 
 それで思うのですが、これらの歌がヒットした頃は、まだ「手紙」というものが成立していたのだということです。手紙が友人同士の交流で、十分に機能していました。
 その頃の「手紙」は、例えば地方に送ると、少なくても2日間はかかりました。その返事が来るまでには、短くても1週間はかかっていたのです。私なども友人に手紙を書いて、着くときを想像しながらそれが待ち遠しかったし、さらに返事が来るまでの数日間が待ち遠しかった経験があります。その間に、さまざまな想いが心の中を通りすぎていきました。
 
 今考えれば、ずいぶんとアナログの世界だったと思うのですが、そのアナログの世界はもう決して戻ってきません。今だったら、携帯電話のメールか、そうでなくても、電話で直接話して、済ませてしまいます。ですから、例えば恋愛をしても、その相互の心象はずいぶんと違っているのだと思います。


12月1日 松田⇒砂田
 入院2日目ですが、予定通りに月曜日に退院できそうです。今のところ無事に進行しています。処置の後は、くっついていて安心しました。また副作用は、今のところ軽く済んでいます。
 最近は演劇の質も上がっているようですね、よい時間を過ごされましたね。

 この4曲が入ったアルバム『氷の世界』には、選び切れないくらい良い作品が入っています。本人の才能はもちろんですが、彼の作品づくりに関わった人たちの才能も、相当なものです。

 ただどうしても古さを感じてしまう詞はあります。
 『白い一日』では、陶磁器を眺めているシーンが唄われますが、陶磁器自体が身近に感じられないのです。その陶磁器が、今はいない知人や、家族の誰かが作った物というような一節があればよかったと思います。
 『小春おばさん』は大変プライベートな歌で、サビの部分は口ずさめないです。
 また、『桜三月散歩道』では「川のある土地に行ってみたい」とあるのですが、都会の「川」しか連想できない人には説得力が弱く、「川」という単語を深読みして聞く感性が求められます。
 もちろん、だからと言ってこのアルバムが悪いわけではありません。

 『心もよう』もこのアルバムに入っていますが、今回、私が選択しなかった理由は、あまりにも有名な作品であるということと、この作品を聴くと、切実な気分になってしまうからです。その理由はまた追ってお話ししたいと思います。

 昔は、ひとり暮らしの若者で、アパートの自室に電話があった人は珍しかったと思います。私の学生時代もそうでした。周囲の学生の中で電話を備えていたのは、私くらいでした。これは自慢でも何でもありません。
 そこで手紙が通信手段になるはずですが、私たちの世代になると、それでも圧倒的に電話が多かったようです。私たちの世代は、どこまで叙情性を持った手紙が書けたか、その経験は、残念ながら乏しかったと思います。
 丸文字文化の時代にあって、その内容や文書は、今で言う「メール」そのものでした。
 女性からの手紙も「フロム××」とか、「バイ△△」とか、非常に軽いものでした。あえて辛辣な書き方は避け、コーティングした文体にし、相手に負担をかけまいとしていた、一つの工夫と言うか、進化(退化)した知恵だったのではないかと思います。
 今の若者はよく「〜みたいな」、「かもしんない」という会話をしますが、これには相手や自分に逃げ道を与える知恵を感じるのです。これに対して、「それって〜だよ。違う?」といった昔の会話体はちょっときつく感じてしまいます。
 もちろん若者言葉は、およそ文学的ではないのですが、これも「大多数の人が対象になるメール文化の影響」ではないかと考えてしまいます。
 私たちの世代以降は、本来の手紙文化を、「何やら重苦しいもの、厚苦しいもの」として、疎んじていると思います。

 話を戻しますと、『心もよう』や『手紙』で唄われる叙情性は、私たちの世代の多くは、「大人(オヤジ)の文化」と思うのかもしれません。
 私たちの世代以降はおそらく、書体や文体など、ビジネスの場においては、これまでの文化を踏襲しながら書いています。それがパソコンによって書かれていても、踏襲されていると思います。
 しかしながら、「手紙」の叙情性がなくなっている事実について、「これは時代の流れだから、今さら振り返る必要はない」というのは、ちょっと寂しく思います。手紙は注意して書く必要があり、お互いの文章に責任が生じます。電子メールだと意思の疎通が悪くて相手に誤解を与えても直ぐに取り消しできますから、お手軽です。
 しかしその人の肉筆だからこそ伝えられる、「手紙」の原点は見直す必要がありそうです。

 さて、話が変わりますが、封筒や切手もまた思い出になります。封筒や切手について唄った歌は知らないのですが、郵便配達員について唄った歌に、マーベレッツの『プリーズ・ミスター・ポストマン』があります。手紙が来る待ち遠しさを女性の心境を通じて唄った楽しい作品です。ビートルズ.のカバーが有名で、こちらではより明るい仕上がりになっています。


12月4日 松田⇒砂田
 ビリー・ジョエルはポール・マッカートニーの影響かと思いますが、分かりやすい作品でヒットをたくさん出していました。
 最初は『ストレンジャー』という作品が高校1年の時に日本でヒットし、クールでメロディアスな曲に、ヒュー・マックラケンの鋭いギターが響く作品でした。当時は何回も聴きましたし、アルバムをよくクラスの仲間に貸しました。
 ヒュー・マックラケンは、後で気づいたのですが、後年射殺されたジョン・レノンのアルバム『ダブルファンタジー』でも弾きまくっています。
 しかし当時の私は、ビリー・ジョエルのコンサートに行くまでのファンではありませんでした。単に音楽だけを楽しんでいました。今でも彼を生で観たことはありません。

 80年代はパンクからテクノへ経由し、産業ロックが台頭してきました。猫も杓子もマシン・サウンドのお手軽さを利用して、エコーの多い安上がり作品を氾濫させたのです。
 そんな中で、今回はお送りしませんでしたが、プリンス、マドンナ、マイケル・ジャクソン、デビッドボウイ、ポリス・U2をはじめとするヒット曲は、他のアーチストを日陰に追いやる勢いでした。

 この頃からMTV産業が登場、80年代の音楽と密接に繋がっていきました。MTVはいわゆるミュージック・ビデオを流すテレビ番組の略です。音楽に合わせたビデオを作ってテレビを通じてレコードの売り上げを上げようというものです。彼らのミュージック・ビデオは、大変な資金がかかっており、人目を引き付けるものでした。
 そこで、ビリー・ジョエルもアルバム『ナイロンカーテン』あたりから、この方法を使っていました。
 当時はカウチポテトという生活スタイルがブームになり、音と映像をよい環境で楽しむことが一つのファッションでした。今考えると、これこそがオタク文化の引き金になったと思います。
 まだ自宅にパソコンのない時代です。テレビの両わきにオーディオ・スピーカーを置いて、アンプを通じてテレビやビデオをステレオ音声で楽しむことは、この上ない「ミニ・シアターの到来」をもたらしました。

 私も大学生時代は、MTVで流れる作品を、ビデオに録画しては、くり返し観ていました。また、レンタル・ビデオ店の登場で、ミュージック・ビデオや映画を簡単に借りられるようになり、深夜に放送されていたMTVを視聴するのは習慣になっていました。私にとっての音楽体験としては、一番充実した時期でした。

 しかし、こうした80年代全般を占める産業ロックは、私の中ではあまり面白みがなく、皮肉ですが、それが古い洋楽にはまっていくキッカケとなったのです。そして、こうした理由で60年代の洋楽に入っていった学生はたくさんいました。
 FMでも、ビートルズの貴重なBBCライブ、当時レコードが廃盤状態だったロックのオンエアが盛んになってきました。ザ・フー、ヤードバース、初期のストーンズ、アニマルズ、ザ・バーズ、ジェファーソン・エアプレイン、ドアーズ、CCRなどです。

 そこで、サイモン&ガーファンクルも知ることになります。もちろん彼らもまた、60年代のアーチストです。
 『アメリカ』は、アメリカという大都会に出てきた若者の期待や不安を唄っています。
 『サウンド・オブ・サイレンス』は大ヒット作品ですが、「CDの束1」では、歌詞よりも、曲の良さで選びました。
 しかし何でも後追いの私は、彼らの音楽もまた後追いです。この時期にテレビで観た映画、『卒業』のサントラは彼らの作品で占められており、『スカボローフェア』『四月になれば彼女は』など、すばらしい曲の数々に感動したのです。

 砂田さんが仕事三昧だった時期に対し、私の学生時代はまさに音楽三昧だったと言えます。
 しかし残念ながら、私の周囲に音楽好きは皆無で、身近に語り合える友人はいませんでした。ほとんどの友人は毎日アルバイトで忙しく、私もアルバイトくらいしていた方が見識を広め、人との出会いも多かったと思います。サークルもそんなに数はなく、退屈な時間を送ってしまいました。やがて私は自分が世間から浮いてきてしまった現実を味わうのでした。レコードやビデオ、雑誌との日々と、講義を完璧にクリアしていく勉強で私の精神状態は、やがてうつに向かって行きます。運動神経もなく、体の弱い私は、アウトドアライフは向いておらず、失意に満ちた時間も多くありました。


12月6日@ 砂田⇒松田
 ご自宅で療養しているものと思います。胸の処置のあとが、くっついてくれてよかったですね。

 松田さんの親しんできたビリー・ジョエルなどの洋楽に接してこなかった私ですが、「CDの束bP」に出ている楽曲を気持ちよく聴くことができました。やはり世界中でヒットした曲は、それなりの理由があり、優れたところが必ずあります。
 80年代には仕事とか職場のことにかまけていて、音楽とはかけ離れた生活をしていたということを前回にお話ししました。それが私の30代だったこともお話ししました。今日は、ちょっとその前の時代について語ってみたいと思います。

 23歳で大学を卒業し、28歳で入社した業界紙の会社に定着したと述べました。その頃の時代というのは、私にとってはすごく挫折の多い年代でした。私の人生テーマは、職場に定着するということであり、自分の力量で、十分な生活の糧を稼げないという悩みを抱えていました。

 大学5年生の頃には、当然ながら就職活動をしなくてはいけません。ところが、当時は花形の職業は、出版・編集であり、私も出版社を受験するのですが、いずれも不合格になってしまいました。今考えれば、どんな職業でもよかったのですが、当時の私は一般企業への就職活動には無関心で、あてどのない生活になっていました。その一方で、自分で稼いで生活できないことに後ろめたさを感じ、また、焦燥感にかられていました。

 それで、ある小さな出版社に2〜3年間くらい勤務したのですが、そのときに、妙に記憶に残っている歌謡曲があります。それは五木ひろしが唄った『夜空』(昭和48年レコード大賞受賞曲)なのです。私の仕事は、軽自動車に乗って、届け物をするようなことでしたが、その自動車の中で、ラジオからこの曲が流れていたことを、その場面とともに、妙に思い出すのです。
 あまり気になるものですから、先日、カラオケ居酒屋に行ったとき、歌詞を書き写してきました。

 『夜空』(作詞・山口洋子 作曲・平尾昌晃 歌・五木ひろし)
  あの娘 どこにいるのやら
  星空の続く あの町あたりか
  細い風の口笛が
  恋の傷あとにしみる
  ああ あきらめた 恋だから
  なおさら逢いたい逢いたい もう一度
  夜はいつもひとりぼっち

  あの娘 帰っておいでよと
  流れ星に乗せ そっと呼んでみた
  誰も答えはしないよ
  白い花が散るばかり
  ああ 届かない 夢だから
  なおさら淋しい淋しい この胸よ
  夜空 遠く果てしない

 決して、好きな歌ではないし、歌謡曲としては、失敗の部類に入るのではないかと思っています。ただ、妙に気になっていて、先日、カラオケで歌ってみたところ、7割くらい唄うことができました。 

 なぜ、記憶に残っているかを考えてみたのですが、私の25歳前後のあてどなさ、不安、暗さ、挫折感、その一方での焦燥感というものに、ぴったりときたのではないかと思うのです。メロディも、歌謡曲らしいと言えば言えるのですが、まったく目新しいところのない平凡なものなのです。しかし、とにかく当時の心情にぴったりと合った、それでいつまでも忘れられない作品ではないかと思います。当時、職場に定着できない私は、細かい仕事ができないで、その出版社も2〜3年で辞めてしまいます。そのときの、心情にぴったりだったと思うのです。


12月6日A 砂田⇒松田
 大学卒業後の20代において、もう一つ、よく口ずさんでいた歌謡曲があります。渡哲也の『くちなしの花』という歌です。これも歌詞を書いてみます。

 『くちなしの花』(作詞・水木かおる 作曲・遠藤実 昭和48年)
  いまでは指輪もまわるほど
  やせてやつれた おまえのうわさ
  くちなしの花の 花のかおりが
  旅路の果てまでついてくる
  くちなしの白い花
  おまえのような花だった

  わがままいっては困らせた
  子供みたいな あの日のおまえ
  くちなしの雨の 雨のわかれが
  今でもこころをしめつける
  くちなしの白い花
  おまえのような花だった

  小さなしあわせ それさえも
  捨ててしまった 自分の手から
  くちなしの花を 花を見るたび
  淋しい笑顔がまたうかぶ
  くちなしの白い花
  おまえのような花だった

 ここまで来ると、恥ずかしくなってきますが、私の20代は、この不幸感という心情を持っていたことが分かります。今だったら、「ダイエットに成功した女の子の歌」とでも言って茶化すところですが、当時の私の心情にはぴったりだったのです。

 失業などの挫折感や不幸感を持っていた私の20代は、小・中学校の同級生にたまに会うくらいで、友人と言える人もいませんでした。なんともいえない焦燥感にかられ、大人に脱皮できない、意外に幼い自分がいたように思います。そんな時代を経て、28歳から定職に着き、30代はその職場で試行錯誤しながら、仕事を続けていったということになります。


12月6日 松田⇒砂田
 『夜空』は、聴けば思い出せそうですが、たとえ平凡な作品でも、その当時の心情にぴったりと合った、忘れられない歌は私にもたくさんあります。
 そう言う作品に限って、今聴くと大変リアルに当時を思い出します。どうでも良いことが記憶から離れなくて、よい思い出と悪い思い出の両方が蘇ってきます。
 その時、「本当にこの世界は厳しい修業の場だ」と思うのです。

 砂田さんのご苦労は、今のいびつな競争社会に生きる若者に対して、ぜひ、語ってあげてください。なかなか仕事に就けないでいる30代の人たちが、私の周りにもたくさんいます。そこで乗り越えられた思いを語っていってほしいのです。

 さて私のその後ですが、大学4年でゼミ以外全て単位は取得し、法学部の中では、おかげさまで成績は上位でした。
 しかし、勉強し、目標にしていた地方公務員の受験はしませんでした。それは私の最大の失敗だったかもしれません。合格してから考えてもよかったと思います。その一方で、私はバブルの足音が少しずつ近づいていた時代に思いをはせていました。私は名古屋という地方を捨て、とにかく東京本社の上場企業で活躍してみようと思いました。
 当時は、あまりに人生の選択肢が多く、可能性に満ちた時代だったと思います。
 本当のところ、私は芸大志望でした。しかし、危ない橋は渡らず、企業に勤めながら、何か小説を書いたり、絵を描いたりする人生を選択したかったのです。名古屋のマスコミ受験でさんざん不快な目に遭った私は、ようやく「自己理解できた」と思いました。
 そこで親には無理を言って、もう1年大学にいたいと言って、大学5年生の選択をしたのです。

 この頃は、音楽からは次第に離れていくことになります。ただ唯一ビートルズのソロ活動や海賊盤だけはチェックして、マニアの道をたどっていきます。
 とにかく私は、彼らの音源をできるだけ聴きたかったのです。ラジオでは、頻繁にビートルズのBBCライブの特集がかかるようになり、私は海賊盤専門店に通い、音が悪くても、彼らが演奏した記録を集めていくようになります。


12月7日 砂田⇒松田
 松田さんの大学後半の心情をお話しいただき、ありがとうございました。大学生活を5年間過ごしたことなど、私たち二人は、似ているのかもしれません。そこで、大学に5年間在籍していて、24歳で卒業した後のことを、もう少しお話ししたいと思います。でも、この時期のことは話しづらいところがあって、事実をお話しするのは、気が重たいのです。それで、ちょっと角度を変えてお話ししたいと思います。

 今、私は、週2回、大学で経営戦略論という科目を教えています。それでレジュメがすでにあるものですから、時間が余るといけないと思って、前ぶりで私の体験談をお話しすることがあります。

 その一つなのですが、「皆さんは自分の良いところを見るようにしてください。自己否定はしてはいけません」というお話をしたのです。「自分には良いところがたくさんある。それを伸ばすように心がけてください。良いところが見つかって、自分を許すことができれば、他人も許すことができる。  人間もそうだし、例えば書籍だって同じだ。どんなにくだらない書籍だと思っても、読んでいくと、必ず参考になるところが、一つや二つは見つかる。人間でも、書籍でも、良いところを見つけてください」と述べました。

 なぜ、こういうことを言うかというと、前に全共闘世代についてのところでも述べましたが、どうも私は、20代を通して、「自分が許せなくて、自分の良いところを見つけることができない」という「自己否定」の心情を持っていたと思うからです。
 だから、学生さんに話すことは、実は私の20代の体験から言って、相当、切実なのです。

 どうも私の大学卒業後の20代は、価値観もできあがっていないし、何をすればよいかも分からない、アイデンティティを確立することもできない、その一方で、社会人として職場に定着しなくてはならない、という焦燥感を持っていました。
 その裏側に、「自己否定」があったのではないか、そんな気がして仕方がないのです。そして職場に定着できない、無為な時間が通り過ぎていったように思います。

 さて、音楽から、離れてしまいましたが、この時期、私は音楽と接する時間が少なくなっていたようです。学生時代はあんなに好きだった映画を観ることもなくなりました。音楽を聴いたり、映画を観たりする余裕がない時代でした。そして28歳で小さな業界紙の会社に就職することになります。


12月7日 松田⇒砂田
 先にご紹介いただいた2曲は、機会がありましたら、ぜひ聴かせてください。自己否定とは、「支配者に都合の良い、一種のマインドコントロールではなかったか」と思います。
 私は社会人になってから、それらに対して「常に抵抗し、もがいていた」ように思います。また自己否定をしていた「振り」を演じたこともあったと思います。
 資本主義であれ共産主義であれ、支配者は、絶対に得をするのです。しかし芸術は違います。自分の表現は何者にも支配されません。
 そこで私は社会人になってから、いろいろな活動をしていきます。写真は私がツムラ時代の頃に掲載された社内報です。私の趣味は、絵画というのは恐れ多いのですが、まだ数点しか描いていません。仕事しながらよく描いたと思います。これから描きたいものはまだたくさんあります。

 更に私は、これとは別に、当時ブームだったサブカルチャーのミニコミ誌に参加します。

 その中でもユニークだったサークルは、フォノ・シートを研究する集団です。フォノ・シートとは、「第1回」でも少し触れましたが、ペラペラのカラーシート・レコードです。主に朝日ソノラマが「ソノシート」として、多くのレコードを出していましたが、その内容は私たちがテレビで楽しんだテレビアニメ、怪獣をはじめとする特撮ドラマであふれていました。このサークルは今でも会誌を出しており、私も原稿を書かせてもらっています。
 私はそこで、昔に親しんだアニメや特撮ドラマの主題歌を見直しました。実に精巧に作られており、本編とは関係なく、純粋に歌謡曲として成立するものだと分かりました。


12月8日 砂田⇒松田
 「CDの束2」を聴いています。聴く前に、メモを見た段階では、知っている曲は、『勝手にしやがれ』と『憎み切れないろくでなし』と『なごり雪』の3曲だと思ったのですが、聴いてみると、『憎みきれないろくでなし』は、記憶から消えていました。逆に、ボブ・ディランの『風に吹かれて』は、よく知っている曲でした。『風に吹かれて』は、とにかくよい曲ですね。改めてそう思いました。

12月8日 松田⇒砂田
 私は、明日、豊橋交響楽団の演奏会に行ってきます。冨田勲さんに会えるチャンスで、朝から豊橋まで行きます。内容は手塚治虫のアニメ、ジャングル大帝で使われた楽譜を元に演奏される貴重なものです。当日は、手塚治虫の長女と冨田勲さんらとのトークもあります。実は冨田さんは岡崎生まれで、父も岐阜中部未来博で冨田さんと仕事をしています。
 プレイガイドもホールも、バスで行く距離で大変ですが、天気も良いようで、がんばって行ってきます

12月8日 砂田⇒松田
 明日は豊橋交響楽団ですか。よいですね。大好きな曲を多く聴けますね。楽しんできてください。また、レポートも期待しています。


 幸いにも松田さんの病状は、自覚症状も少なく安定しているようです。松田さんが送ってくれた「CDの束1」「CDの束2」を聴きながら、二人の20代、30代を振り返りながら、音楽談義が続いています。次回は、松田さんの豊橋でのコンサート体験記を掲載したいと思っています。

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