松田博仁さんとの音楽談義 第8回


2008年1月1日@ 松田⇒砂田
 新年おめでとうございます。

 昨年はいろいろとご心配をおかけ致しました。対談と言っても、応援していただけるたくさんの読者の方々を前にしてのことです。そういう意味でも頑張って生きていきたいと思います。砂田さんにはもちろん、読者の方々に対して、この場をお借りして改めて御礼申し上げます。


2008年1月1日@ 砂田⇒松田
 あけましておめでとうございます。

 この松田さんとの「音楽談義」は、私にとっても充実感のある作業となっています。その理由の一つが、松田さんの音楽観を理解し、探求することにあります。松田さんは、佐野まりさんが唄うCDを2枚出しており、表現者としての経験をお持ちです。でも私は、この間対談を続けていて、松田さんは、音楽に関して、「最高のリスナー」であり、「優れたリスナー」ではないかと考え始めています。私もまた、発信と言ってもカラオケを唄うくらいで、基本は同じ「リスナー」です。今年も、松田さんの音楽観を引き出し、松田さんの境地に一歩でも近づきたいと思います。その結果、読者の皆さんにも楽しんでいただきたいと思っています。今年も昨年以上によろしくお願いします。

 昨日、東京に帰ってきたのですが、風邪をひいたらしくて、今日は1日、寝ていました。今年の風邪は、発熱と胃腸炎が特徴のようで、胃腸の調子が悪いと思っていたら、今日は熱が37度7分まで出てしまいました。とんでもない正月になってしまいました。


1月1日A 松田⇒砂田
 お体の具合は大丈夫でしょうか。心配しております。温かくしてのんびり過ごすのが、今年の風邪の特効薬のようです。

 さて、新春ということで、今回、私はこの歌詞を取り上げたいと思います。前回で砂田さんが「よく知っている歌」とおっしゃっていた、ボブ・ディランの作品です。

『風に吹かれて』
 作詞・ボブディラン 訳・松田博仁

  一体どれだけ歩いたら
  人として認められるのか
  どれだけ海を越えたら
  白い鳩はくつろげるのか
  何回弾丸が降れば
  武器は永久に禁止されるのか

  友よ、その答えは
  風に舞っている
  この風の中に、舞っているのだ

  何年この山は存在するのか
  海に流されるまでなのか
  一体いつまで、ある種の人達は存在し続けるのか
  自由を許される日はくるのか
  何度人は顔をそむけ
  見て見ぬ振りをするのか

  友よ、その答えは
  風に舞っている
  この風の中に、舞っているのだ

  何度見上げたら
  青い空が見えるのか
  いくつの耳をつけたら
  偽政者は
  民衆の叫びが聞こえるのか
  一体何人死んだら、わかるのか?
  あまりに多くの人が、死んでしまった

  友よ、その答えは
  風に舞っている
  ただ、この風の中に、舞っているのだ


 この歌詞について砂田さんのご意見を伺いたいと思います。

 それから、私は3日に小学校同級生に会うために、しばらく滋賀県の長浜市に行って参ります。前日の2日には長浜入りします。私は小学校を3回転校しておりますが、ここの学校は2番目です。


1月1日A 砂田⇒松田
 『風に吹かれて』を翻訳した歌詞をお送りいただき、ありがとうございました。この曲は、「CDの束bQ」の22曲目に入っていますね。最後から2曲目の曲です。また、この曲は、1962年に発表され、その後フォークソングの代表曲として多くのミュージシャンに影響を与え、カバーされています。

 今、数回、聴いてみました。松田さんの訳詞を見ながら、もちろん、素晴らしい音楽だということを感じながら、一種の感動に浸りながら、ただ、聴き入ることしかできません。そのくらい大きなテーマを扱っていることが、訳詞からも感じ取れます。

 最後のほうの歌詞に、「何度人は顔をそむけ、見て見ぬ振りをするのか」という一節があります。この一節は、我々にとって痛切です。私など、「顔をそむけ」「見て見ぬ振りをしている」最たる人間だなと思います。とにかく重い一節です。でもそれらの歌詞が、軽やかで、自然で、フォークソングらしくて、リズミカルなメロディに乗って唄われています。メロディは知っていましたが、こんな歌だったのかと、改めて認識しました。重いテーマなのに、何度聴いても安らぎを感じます。

 私は、この『風に吹かれて』を聴いて、一つだけ思い出したことがあります。カラオケでときどき唄うのですが、はしだのりひこの『風』(詞:北山修 曲:端田宣彦 1969年)という歌です。「人は誰もただ一人旅に出て 人は誰もふるさとを振りかえる ちょっぴりさみしくて振りかえっても そこにはただ風が吹いているだけ」という歌詞です。結構好きな歌で、カラオケでときどき唄います。

 それで多分、『風』は『風に吹かれて』を意識して作られていると思います。「そこにはただ風が吹いているだけ」という『風』の一節が、「友よ、その答えは この風の中に、舞っているのだ」という『風に吹かれて』の影響を受けていると思います。これらの歌を知って、どちらの歌が良いかという比較をするつもりはありません。どちらも素晴らしい曲だと感じるだけです。音楽を聴いて親しむ行為は、人間の一つの営為なのだとつくづく思います。

 松田さんは、昔の友だちに会うことができるのですね。旧交を温めてください。それでは、道中、くれぐれもお気を付けてください。


1月2日 松田⇒砂田
 その後、お体の方は大丈夫ですか。冷えないように熱いお雑煮などで元気を出してください。
 確かに『風』は影響を受けている可能性がありますね。この歌も懐かしくて、私も大好きです。(笑)

 私は今、名古屋に向かっております。夕べは妹の調子が悪く、また私は今朝ひどく鬱気味だったのですが、私も妹も段々回復してきました。とりあえず着くまでが一仕事ですが、無事辿り着きたいと思います。


1月3日@ 松田⇒砂田
 今、長浜市内のホテルにおります。なんとか無事着くことができました。厚着してきましたが、私にとっては、こちらは冷えます。来る途中、名古屋までは元気だったのですが、雪のチラつく米原で北陸線を待っている間に、少し疲れてしまったようです。

 昨日からこちらは霙(みぞれ)です。この時期は、さすがに滋賀県北部(湖北地方)特有の空模様です。実は、こちらに着いてからやや鬱気味です。「もしかしたら、もうこれが最後の長浜かもしれない」といった、いろんな複雑な思いからか、過度に緊張しているようです。街は、半分は変わっています。昔住んでいた場所は跡形もありません。33年という時間はあまりに長すぎたようです。これまでメールをくれた同級生3名とは、今回仕事の都合で会えないのですが、お昼に同級生だった女性(旧姓・伏木さん)と、また明日は、男性(高橋君)と会う予定です。

 今日の夕方から同窓会があるのですが、この学校(市立長浜小学校)を、私は卒業していません。しかし、私を覚えていてくれた幹事さん達(後藤さんら)が、参加を促してくれました。また伏木さんが、昨年から私の背中を押してくれていたことは言うまでもありません。

 ドリンク仕様の葛根湯を飲みました。体調は回復してくれると思います。多分このだるさは、酔い止めの薬が原因ではないかと思っています。短い距離ですから、要らないはずでした。

 なんだかかなり緊張しています。「みんな自分より偉くなっているだろうな」とか、ひどく偏った緊張をしています。

 13時までホテルに籠ります。せめて天気が回復してくれれば良いのですが。ホテルで観ているテレビは、関西系ネットで、なかなか新鮮です。

 夢ネタですが、中古ビデオ店にいたら、なんと「松田博仁」というタイトルのビデオが2種類おいてありました。パッケージ写真はまったく私と関係ないお笑いみたいな内容でした。自分の人生が記録されたビデオが、もしレンタル店にあったら・・と考えると、怖いですよね。


1月3日 砂田⇒松田
 このメールを読むのは、同窓会が終わった後になるでしょうか。一人旅は、たいへんそうですね。

 私は、年末に妻と新神戸から新幹線に乗りました。岐阜羽島からの積雪による遅延は、幸いにも取り越し苦労に終わりました。5時頃の定時に、無事電車が到着しました。義父が留守番してくれていたので、夕飯のてんぷらを大丸百貨店で買い、帰宅しました。

 すでに、車内で腸の変調をきたしていましたが、翌日に発熱。風邪にかかったという自己診断です。昨日は少し良くなったと思ったのですが、午後から熱がぶり返し、今日は汗が出たから、そろそろ快方に向かうのではないかと期待しています。7日に講義が始まりますので、それまでに何とかしなければなりません。東京も寒いですが、私は一歩も外に出ず、暑すぎるくらいの部屋で寝ています。


1月3日A 松田⇒砂田
 今、同窓会が終わって、会場からホテルに戻りました。感無量です。

 ホテルの部屋では、あれだけ体がだるく、気分も憂鬱だったのが、不思議なことに、伏木さんに、車に乗せてもらってから、鬱状態と体調が一挙に回復。急に元気になりました。天気も晴れてきて、琵琶湖もきれいでした。

 北村さん(旧姓 伏木さん)は、現在、彦根在住で、今は三人のお子さんの母親です。私は治療中にメールを通じて、ずいぶんとメンタル面で助けられています。また今回の同窓会参加も彼女がつないでくれたのです。今日はご家族の方には申し訳ないのですが、半日ご本人をお借りして、車で長浜市内の案内をしてもらいました。

 また1〜2年の時のクラスメートだった、幹事の後藤さんが私のことをよく覚えていてくれて、彼女らの計らいで、皆さんにスピーチする機会を私に与えてくれました。そこで私は、「同情を集めるために来たのではなく、感謝の意を表すために来た」ことを強調しました。みんな拍手を送ってくれました。また、当時のクラス担任だった辻正明先生からは、最後の最後まで、エールを送っていただきました。大変有意義な一日でした。

 こちらではこんな感じです。砂田さんの体調が早く回復されることを祈っております。


1月4日 砂田⇒松田
 同窓会が終わり、今日はどのようにお過ごしでしょうか。昨日の同窓会は、北村さんや後藤さんの配慮で、松田さんにとっても、とても素敵な1日になったようですね。松田さんに聴いただけの話ですが、北村さんや後藤さんは、人生の達人と言うか、他者への配慮ができる達人なのでしょうね。そんな人に出会えた松田さんがうらやましく思います。同窓会の話を聴いて、何か、とても嬉しくなりました。

 私のほうは、風邪がまだ治らず、熱が37度になったり、35度台になったりしていて、安定しません。良くはなっているようなのですが、完全ではないようです。今日も、暑いくらいの部屋でテレビを見ています。また、年賀状を整理していたところ、何人かの近況が分かりました。今年の5月には中学校の同窓会があるそうです。楽しみです。

 それでは、長浜を十分に楽しんでください。


1月6日 松田⇒砂田
 一昨日、無事帰宅できました。しかし昨日も一日ぐったりでメールできませんでした。多分今日も寝ていると思います。くれぐれもお体に注意してゆっくりお過ごしください。


1月6日 砂田⇒松田
 いかがお過ごしですか。僕のほうは、体温が安定してきて、今日、暖かい時間を選んで、やっと風呂に入ることができました。熱は38度を超えなかったのですが、インフルエンザだったかもしれません。
 松田さんもお疲れのようで、たいへんですね。くれぐれもお体をお大事にしてください。


1月7日 松田⇒砂田
 ようやく歩けるようになりました。葛根湯+ビタミン剤+餅の連続投与?がやっと効いてきたようです。今週の金曜日からまた入院ですが、悪くなっていないことを祈っています。抗がん剤で体が悪くなっている可能性もあります。

 実はまだ長浜にいる気分で、少し精神的に現実感がありません。一緒に同行してくれたクラスメートの北村さんも同じことをメールしてきました。ヤボですが、もしかして、ずっと滋賀にいたら、人生変わっていたかもしれません。まさか小学校時代のクラスメート達と、34年の歳月を経てメールを交換し、写真を撮りあうことになるとは思いませんでした。


1月8日@ 砂田⇒松田
 いかがお過ごしですか。体調のほうはどうでしょうか。私のほうの「風邪」はやっときたようです。今日は、熱もなく、普通の生活に戻っています。それにしてもしつこい「風邪」でした。同じ「かぜ」でも、「風邪」ではなく、心地良い「風」に吹かれていたいものです。(笑)

 松田さんの体調が維持されることを祈念しております。くれぐれもお大事にしてください。


1月8日@ 松田⇒砂田
 実は夕べ救急車で運ばれました。今は治まりましたが、腸閉塞手前だったようです。今後普通に食事ができるかどうかわかりません。たまたまなる人もいれば、繰り返しなる人もいるそうです。たまたま運が悪かったと思いたいのですが、今後の検査は、経過観察次第になります。突然こうなるようでは、多分もう外出はできないと思います。今日はこんなところです。


1月8日A 砂田⇒松田
 今、居酒屋「さえずり」から帰って来たところです。私のほうは、動くと汗が出て仕方がないのですが、平温になっていると思いますので、直りつつあるようです。結局、医者には行きませんでしたが、やはりインフルエンザだったかもしれません。

 松田さんのお体も大変なようですね。自分ではどうしようもないもどかしさを感じていらっしゃるのではないかと、心配しております。腸閉塞が快方に向かってほしいものです。とりあえず、お見舞いのメールとさせていただきます。


1月8日A 松田⇒砂田
 突然ですが、今日は詩を書いてみました。

『まぼろしの人にはなりたくない』
 詩・松田博仁

  月夜の晩に、吹きすさぶ風
  救急隊に運ばれる我が子を見
  何の因果と泣き崩れる母を横目に
  今宵も運ばれる、担架の上
  この刑罰は誰のため
  私はまぼろしの人にはなりたくない。

  生かされるわけでなく
  殺されるわけでもない
  死霊達の微笑みが浮かぶ
  自分は一度たりとも偽政者だったか?
  一体いつまでの辛抱なのか
  私はまぼろしの人にはなりたくない。

  同じ空の下にあって
  人らしく生きようとすればするほど
  これでもかとせせら笑う
  なすがままに全てを受け入れれば
  悪魔は立ち去るのか
  私はまぼろしの人にはなりたくない。

  求愛すれば断窮され
  努力すれば貧を強いられ
  名誉を望めばこき降ろされる
  やっとこれからという時に
  常に様々な横槍が、
  これでもかと突き刺される
  私はまぼろしの人にはなりたくない。


1月9日 砂田⇒松田
 その後、体調はいかがですか。腸の具合を心配しております。詩を拝読いたしました。松田さんの悔しい想いが出ていて、心に響く詩となっています。自分ではどうしようもない、病身を強く訴えています。

 僕は、今日は講義です。12時過ぎに、水道橋に向かいます。講義は後、3回を残すだけとなりました。来期のことはまったく話はありませんので、仕事がつながるか分かりませんが、とても良い経験になりました。

 今はとにかく、病状の回復に努めてください。病院の医師とも話し合いながら、療養してください。今の医学は進歩していますから、その医療に期待しましょう。とりあえず、今日もお見舞いのメールとします。


1月9日@ 松田⇒砂田
 ご心配をおかけしております。

 今日は長浜の思い出を詞に託しました。写真は有名な大通寺です。 NHKの新日本紀行のテーマ曲と、井上陽水の『小春おばさん』のサビの部分以外がぐるぐる回っています。

 

『故郷(ふるさと)』
 詩・松田博仁

  ここは第二の故郷、城下町
  旧友のあの女(ひと)と、一緒に眺めた
  時の止まった大通寺
  「よう来やはったな」
  壮厳な山門が語りかけた
  お詣りついでに写真を撮ったら
  一人の少年が通り過ぎた
  少年は、見覚えのある顔だった

  ここは第二の故郷、伊吹の町
  旧友のあの女(ひと)と、一緒に歩いた
  時の止まった小学校
  「お帰りなさい」
  広大なグランドが語りかけた
  校舎の窓越しに廊下を覗くと
  一人の少年が通り過ぎた
  少年は、見覚えのある顔だった

  ここは第二の故郷、琵琶の畔(まち)
  旧友のあの女(ひと)と、一緒に語った
  時の止まった豊公園
  「久しぶりやな」
  きらきら輝く湖が語りかけた
  檻の猿に餌を向けると
  一人の少年が通り過ぎた
  少年は、見覚えのある顔だった

  ここは第二の故郷、私を包んだ街
  いにしえの記憶を辿り、独り呟く
  時が流れたわが家、永保町
  「変わってしもうた。何もかも」
  無機質に広がる駐車場は
  空襲を受けた焼け野原だった
  米川を架ける橋に目をやると
  少年の姿はなかった
  水面に映った少年は、大人になった姿でこう言った
  「辛くなったら、いつでも来(き)い。そやけど、時は待ってくれへんのや」

  北陸線の窓から旧駅舎を後にする
  ここは第二の故郷
  誰もが想う心の長浜(ふるさと)

※少年とは昔の自分がそこに存在していたという意


1月9日A 松田⇒砂田
 今日は、知的障害+精神病の妹について書いてみました。

『妹』
 詩・松田博仁

  世界は全て自分のもの
  時間も全て自分のもの
  それでもきっと
  いつか誰かが認めてくれる
  いつか誰かが愛してくれる

  この場は全て自分のもの
  未来は永久に今のまま
  それでもきっと
  いつか誰かが認めてくれる
  いつか誰かが愛してくれる

  やがてあなたは一人になる
  今の暮らしは永くは続かない
  いつ訪れるか知れない、その時がきても
  きっと誰かが認めてくれる
  きっと誰かが愛してくれる


1月10日@ 砂田⇒松田
 いかがお過ごしですか。私のほうは、昨日の講義を終え、あと2回で講義を終えることになります。1月21日に全てを完了します。来期の依頼はまだですが、どちらでも良いような気分です。講義がなくなれば、ちょっと寂しくなりますが、いくつか書きたいテーマがありますので、講義がなければ、そちらに集中できます。また、講義がなくなれば、診断士の仲間やキャリコンの仲間に、営業を兼ねた相談をしてみるつもりです。

 東京の今日は薄曇りで、寒い一日になりそうです。しばらく寒さが続きそうです。くれぐれもお体をお大事にしてください。


1月10日 松田⇒砂田
 腸のレントゲン結果について先生から話がありました。深刻な状態にはなっていなかったようで、少しずつ病院食と漢方薬で便の様子を見ながら治療をしましょうとのことでした。

 抗がん剤も来週の金曜日に延期になったので、少なくとも再来週の火曜までは入院です。何が原因か分からないのですが、祈りは通じたようです。


1月10日A 砂田⇒松田
 腸の具合が、深刻なものでなくて良かったですね。私も一安心しています。


1月12日@ 松田⇒砂田
 今日作った詩です。ちと暗いですが、すみません。

『病室の窓』
 詩・松田博仁

  ピーターパンが手招きした
  「ディズニーランドはもう飽々さ」
  大きな白鳥が飛んできた
  「雛の時はいじめられたけど、今は幸せでいっぱい!」
  ピーターパンと白鳥は、子供達を背中に乗せ、空中ではしゃぎ回った。
  向かいの病煉の屋上に
  紳士服の男がひとり
  病煉の下を覗いていた
  「危ない」と叫んだ瞬間
  男は消えていた
  「あまり外は見ない方がよいですよ」
  看護師は言った

  街のチンピラが笑う
  「俺と喧嘩したいだろ」
  ピエロがフルートを吹く
  「外はスリル満点さ」
  向かいの病煉の屋上からこちらの窓まで
  黄色のロープが引かれていた
  ピエロは綱渡りを始めた
  「危ない」と叫んだ瞬間
  ピエロは消えていた
  「あまり外は見ない方がよいですよ」
  看護師は言った

  ある国会議員が演説した
  「毎日やりがいがあります。行けるところまで行きます。名誉?全て私のものですよ」
  若手経営者が語った
  「私は夢を実現した。もっと大きな夢を築きます。なぜかって?もちろん自分のためですよ(笑)」
  有名歌手が唄い始めた
  「私は神様に生かされてるの。拍手喝采の毎日。なんて素敵なのかしら」
  向かいの病煉の窓に
  真紅のドレスの女がひとり
  毒薬を飲んだ
  「危ない」と叫んだ瞬間
  女は窓の向こうに倒れた
  「あまり外は見ない方がよいですよ」
  看護師は言った

  外車に乗った金髪のホストが、眉間に皺を寄せる
  「人生は一度きりですから。やりたいこと我慢してたら? 終わりでしょう」
  女性を囲んだビジネスマンが、自慢気に笑う
  「男の価値は稼ぎだ。太古の昔(とき)から女は、金についてくる。稼げない男?そんなの無能な独り猿だろう」
  軽薄な自称芸術家がつぶやく
  「今私はやりたい仕事で稼いでる。私は選ばれたのさ。君と違ってね」
  向かいの病煉の玄関に
  Tシャツ姿の若い男がひとり
  胸にナイフを突き刺した
  「危ない」と叫んだ瞬間
  多くの通行人が、彼の死体を踏んで行った
  「あまり外は見ない方がよいですよ」
  看護師は言った

  病室の外は、いつのまにか真っ白な煙でいっぱいだった
  火の粉が舞っている
  パチパチと燃えている
  バーンと大きな音がして、窓が開いた
  煙は、窓の反対側の廊下に、ぐんぐん吸い込まれていった
  「空気を入れ替えました」
  看護師が言った
  外はいつものように
  真っ青な空に、白い病煉がそびえていた
  紳士服の男がひとり
  病煉の下を覗いていた
  「あまり外は見ない方がよいですよ」
  看護師は言った


1月12日 砂田⇒松田
 30分くらい前に、妻と寿司屋から帰ってきました。メールの受信箱を開けたら、松田さんの新しい詩が届いていました。私の当座の感想ですが、どれも良い詩だと思います。
 くれぐれもお体をお大事にしてください。おやすみなさい。


1月12日A 松田⇒砂田
 『父親』
  詩・松田博仁

  デパートの屋上は、いつも混んでいた
  ピンボールに射撃、バスケットゲーム
  親父は言った
  「両替してくるまで、ここ離れたらあかんぞ」
  人気のあるピンボールだった
  小便がしたくなって、その台から離れた
  まもなく戻ると
  他の子供が、その台で遊んでいた
  親父は怒った
  「なんで離れた。あいつらにとられてまったやろ」
  「とうちゃん。僕は別にええ。そこまでせんでもええんや」

  夏休みの宿題で、植物採取を選んだ
  理由はなかった。簡単そうに思えた
  親父は言った
  「人に負けたらあかんぞ」
  親父は伊吹山まで私を乗せた
  たくさんの美しい花ばなが、咲き乱れていた
  親父は次々に花を刈った
  摘まれた花ばなは、雑草のように思えた
  家に帰ると親父は
  花を次々にノートに挟み、重しを乗せた
  学校に持って行ったら、他の生徒が言った
  「これ全部高山植物やで。採ったらあかんで」
  先生からは、「宿題は自分の力でやらなあかんな」と言われた
  「とうちゃん。僕は別にええ。そこまでせんでもええんや」

  私が生業を立てた頃、突然入院することになった
  重病ではなかったが、腎臓に大きな石があった
  簡単な手術で済む病だった
  親父は、「退院まで自分も泊まる」と言った
  手術が終わると、毎日血尿が出た
  「ほんなもん、大したことあらへん」と親父は言った
  痛みと疲れで食が失せ、一週間眠り込んだ
  看護師は、笑顔を見せない私について、親父にこう聞いた
  「いつもこうなんですか」
  親父は答えた
  「ボンは大袈裟なんや」
  退院の日、母の弟が私を迎えにきた
  親父は、療養先である母の実家までついてきた
  「とうちゃん。僕は別にええ。そこまでせんでもええんや」

  私が厄年の頃、親父が危篤になった
  母からの突然の電話だった
  親父は私に、自分の病を隠していた
  目の前が真っ暗になった
  私は新幹線で、病院に直行した
  幸いまだ、意識があった
  親父は、財布からなけなしの千円札を出して言った
  「これ持っとれ。貯めといたったでな」
  「ほんなもん要らん。自分が好きに使えばええやろ」私は怒った
  「とうちゃん。僕は別にええ。そこまでせんでもええんや」

  数週間後、親父は逝った
  その時もらった千円札は、
  二年間持っていたが

  今はもうない


1月13日 砂田⇒松田
 いかがお過ごしですか。5編の詩、ありがとうございます。私の感想を述べさせていただきます。

 私は、松田さんが詩を書いてくれたことをありがたいことだな、と感じています。別に、松田さんをけしかけるつもりはありません。でも、もっと書いてください、と激励すれば、そんなように聴こえる人がいるのかもしれません。でも、そんなつもりではありません。ただ、もっと書いてくれないかな、と切実に思うのです。

 唐突ですが、私たちは、「呼吸」をして生きています。息を吸い、息を吐いて、呼吸をして生きています。息を吸ったら、息を吐いて、その繰り返しの中で、生かされていると思います。実は、私もそうなのですが、松田さんもまた、「呼吸」という比喩を使わせてもらえば、これまでは「息を吸う」ことの多い人だったのではないでしょうか。今、私は、そんな想いに駆られています。

 松田さん、ここは肩の力を抜いて、もっと「息を吐いて」くれませんか。私もそうなのですが、松田さんもまた、「息を吐く」ことを忘れがちな人なのではないでしょうか。「息を吸ったら」「息を吐く」ことをしなければ、私たちは生きていけません。その繰り返しのバランスの中でしか、生きていけません。
 
 もう、受け身に「息を吸う」ばかりでなく、「息を吐く」行為が必要な時期かもしれません。本当の意味の「呼吸」をする時期なのかもしれません。

 「息を吐く」行為とは、「表現する」ということのような気もします。私たちは、そういう「表現の場」を持つ必要があると思います。これからも、「息を吐く」すなわち「表現する」人間であり続けようではありませんか。それが、5編の詩を読んで、感じたことです。

 今日は、東京は寒い1日になりそうです。岡崎はどうですか。くれぐれもお体をお大事にしてください。


1月13日 松田⇒砂田
 「呼吸」における比喩、新たなる発見をさせていただきました。何やら覚醒の感です。

 私の拙文をお送りする度に、恥ずかしい思いなのですが、同時に後から後から自分で改訂しています。ああ、また松田が何やらまた送ってきたな、と受け止めていただければ結構です。私にはむしろ、つまらないものでも受け止めていただける人がいることに、ひたすら感謝するのみです。感想も批判も最低限で構いません。私はこれから少しずつ、「息を吐いて」いきたいと思います。





 2008年の新しい年が、二人にやってきた。それぞれの思いを込めた新年である。松田さんは、訳詞だけでなく、自ら創った詩を送ってくれた。病身を抱える自身の思いを自然に吐露しているように感じられ、砂田にはこれらの詩をここに掲載し、読者に読んでもらいたいという想いを強くするものであった。読者の皆さんもこれらの詩に親しみ、松田さんの真情を感じてもらいたいものだ。

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