シネマパラダイス(映画・ビデオ評)
2009年
*4月up作品:「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」
*3月up作品:「紀元前1万年」
*2月up作品:「ミスト」、「ライラの冒険 黄金の羅針盤」、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」
*1月up作品:「ブーリン家の姉妹」
過去のup作品: ア行、カ行、サ行、タ行、ナ行、ハ行、マ行、ヤ行、ラ行、ワ行
「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」
監督 スティーヴン・スピルバーグ
出演 ハリソン・フォード
シャイア・ラブーフ
ケイト・ブランシェット
(2008年/アメリカ)
やっとやっとインディ・ジョーンズが帰ってきた!
第4作が製作されていると知ってから、早や4年。昨年の夏休みに劇場公開されたが観に行くヒマがなく、先日ようやくDVDで観ることができた。
今度の舞台は1957年、反共産主義の嵐が吹き荒れているアメリカ。世界を統べる力を持つ秘宝を手に入れるべく、ソ連の情報将校イリーナ(ケイト・ブランシェット)がジョーンズ博士(ハリソン・フォード)を捕らえようとする。あわやのところで逃れたインディに近づいてきたのは、マット(シャイア・ラブーフ)と名乗る若者。彼がもたらしたのは、インディの旧友の考古学者が秘宝クリスタル・スカルを求めて危機に陥っているという知らせ。さっそくインディとマットは南米に飛ぶが、そこに待ち受けていたのは冒険に次ぐ冒険だった。
インディ・ジョーンズ好きにはうれしいことに、ストーリーはすべてお約束どおり。第1作のラストシーンに登場した、あのアメリカ軍の国家機密倉庫からファーストシーンがはじまるのもワクワクさせられる(しかも、“失われたアーク”がチラリと見えるサービスぶりだ)。同じく第1作に登場したインディの恋人マリオン(カレン・アレン)が重要な役どころで絡んでくるのも面白い。
次から次へとアイディアが提供され、観る者を飽きさせない展開も同じ。スティーヴン・スピルバーグ×ジョージ・ルーカスという2人の天才が10年近く構想を練ったというのだから、面白いのも当然かもしれない。ハリソン・フォード(第4作をつくりたいと最初に言い出したのは彼だったらしい)が66歳とは思えぬ若々しさだったのもうれしい。
「スター・ウォーズ」といい、「インディ・ジョーンズ」といい、長くつくられるシリーズものというのは、観る人の人生に重なる部分がある。いつまでも続けられるものでもないが、シリーズ復活には旧友に再会したようなうれしさがある。
(2009・4・6 宇都宮)
「紀元前1万年」
監督 ローランド・エメリッヒ
出演 スティーヴン・ストレイト
カミーラ・ベル
クリフ・カーティス
(2008年/アメリカ・ニュージーランド)
大作づくりが得意なローランド・エメリッヒが、今度は紀元前1万年の世界をCGを駆使して創り上げた。
山間の村に住む若者デレー(スティーヴン・ストレイト)はエバレット(カミーラ・ベル)と愛を誓い合っていたが、エバレットが騎馬軍団の無法者にさらわれてしまう。愛するエバレットを追って旅に出たデレーは、その先でピラミッドを建造中の先進文明に出会うが・・・
マンモスの群れが移動し、サーベルタイガーが闊歩した1万年前の地球をCGで再現し、映像は見ごたえたっぷり。ただし、科学的な検証は???だし、登場人物の言動がみな現代人。野性の恐ろしさを知る1万年前の人間が、ケガをしたサーベルタイガーを救うなんて、あり得ないと思うのだが。
アルプスらしき山岳地帯にある村から出発した主人公が、砂漠の中のピラミッドに行き着くまでにアフリカ系の人々の村に行き当たるのも???。どういう位置関係なのか。白人である主人公とアフリカ系の人々が無二の戦友になるのも、カンタン過ぎていただけない。人は自分と異なる人を排除したがる。その弊害が21世紀の今も続いているわけだが。
CG映像をかる〜い気分で楽しむには、いい作品だ。109分という上映時間も手ごろでいい。
(2009・1・29 宇都宮)
「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」
監督 ポール・トーマス・アンダーソン
出演 ダニエル・デイ=ルイス
ポール・ダノ
ディロン・フレイジャー
(2007年/アメリカ)
ダニエル・デイ=ルイスが2度目のアカデミー主演男優賞を獲得した作品。
20世紀初頭のカリフォルニア。鉱山労働者のダニエル(ダニエル・デイ=ルイス)は幼いひとり息子H.W.(ディロン・フレイジャー)を連れて、油田が眠る土地の買い占めに奔走する。過酷な採掘作業を経て見事に油田を掘り当てるのだが、その際の事故がもとでH.W.は聴力を失ってしまう。しかし、富を求めて事業をどんどん拡大するダニエルにとって、障害を持つ息子は邪魔でしかなかった・・・
ダニエル・デイ=ルイスが演じるのは、アメリカンドリームを実現し、一代で富を築いた男。立志伝中の人物なのだから、さぞかし前向きで元気をもらえる内容では?・・・と思っていたら、大違いだった。人間の欲深さ、醜悪さをこれでもかとばかり描き続け、デイ=ルイスが達者な演技でそれに応えていく。男性にとっては魅力的な人物なのかもしれないが、女性から見ればサイテー。あくまでも人を信じられず、孤独に富を追い続けることに、いったいなんの意味があるのか。成功者として大きな屋敷で暮らしても、心は全然満たされていない。どこまでも不幸だ。
特に、ひとり息子との相克が痛ましい。「幼い子どもを連れていけば、土地の買い取り交渉を優位に進められる」とセリフにもあったが、本当にそれだけ? もっと温かな理由が彼の中にあったのでは?とも思う。しかし、あくまでも人との信頼関係を認められないのであれば、所詮そこまでの人物ではないか。過酷な環境で鬼のように働き、知恵をめぐらせて大金持ちになったものの、幸せな老後はあり得ない。
(2009・2・2 宇都宮)
「ライラの冒険 黄金の羅針盤」
監督 クリス・ワイツ
出演 ニコール・キッドマン
ダコタ・ブルー・リチャーズ
ダニエル・クレイグ
(2007年/アメリカ)
児童文学の世界的ベストセラー『ライラの冒険』を映画化した第1弾。
舞台は私たちの世界によく似ているが、少し異なるパラレル・ワールドのイギリス・オックスフォード。子どもが誘拐される事件が相次ぎ、12歳のおてんばな女の子ライラ(ダコタ・ブルー・リチャーズ)のまわりでも、親友のロジャーが行方不明となる。ライラは真実を教える黄金の羅針盤を手に入れ、ロジャーを助けるために北極圏に向かうが、謎の女性コールター夫人(ニコール・キッドマン)からたびたび妨害を受ける。困難に立ち向かうたびに勇気と知恵を発揮するライラは、旅の途中で出会った鎧グマの王や気球乗りの冒険家、北の国の魔女たちの心を捉えていく。やがて、子どもたちが誘拐される真の理由が明らかになり・・・
友人から「原作読んでないと、内容が理解できないよ」と聞いていたため、この作品を見る前に原作の3部作を一気読みした。いざ映画を見てみると、確かにこれでは映画だけ観た人には理解できないと感じた。
舞台がパラレルワールドであること(でもイギリスがあるし、オックスフォードがある)。そして、この世界の人間はすべてダイモンと呼ばれる守護精霊を持っていること。ダイモンは動物の姿をしており、子どものうちはいろんな動物に姿を変えるが、大人になると1つの姿に定まる。ライラのダイモンはパンタライモンという名で、普段はオコジョの姿をしていることが多いが、ライラの危機となれば猛獣にも変身する。ダイモンは生まれたときから人間に寄り添う心の友であり、その人が死ぬとダイモンも消滅する。・・・こんなふうに文章で説明できれば簡単なのだが、映画では「人にはダイモンがいるのが当たり前」という設定なので、行き届いた説明がされていない。なんの予備知識もなければ、おそらく作品の半分以上を経過しなければ、ダイモンの存在を理解できないのではないだろうか。
ストーリーの展開が早くて、登場人物が多いのも理解を難しくしている。コールター夫人の黒幕組織がいったいなんなのか、アスリエル卿(ダニエル・クレイグ)はいったいなにをしようとしているのか、ストーリーの鍵である“ダスト”とはいったいなんなのか? 謎だらけのまま本作はあっけなく終わり、第2章へと謎が持ち越される。
消化不良気味の作品だが、キャストの豪華さは特筆モノ。ニコール・キッドマンは美しさと怖さを兼ね備えたコールター夫人をうまく演じているし、ダニエル・クレイグも存在感がある。中でも原作のイメージにぴったりなのは、魔女のセラフィナ・ペカーラを演じたエヴァ・グリーン。3部作を通じた重要な役どころなのだが、本作ではチョイ役だったのが残念だ。
(2009・1・28 宇都宮)
「ミスト」
監督 フランク・ダラボン
出演 トーマス・ジェーン
マーシャ・ゲイ・ハーデン
ローリー・ホールデン
(2007年/アメリカ)
原作スティーヴン・キング+監督フランク・ダラボンのコンビといえば、思い出すのは『ショーシャンクの空へ』と『グリーン・マイル』。特に『ショーシャンクの空へ』はプロットの巧みさ、人間の底力を感じさせる内容にとても感動した。本作の『ミスト』は前2作より小作りだが、充分に楽しめる。
舞台はアメリカのどこにでもありそうな田舎町。幼い息子とともにスーパーで買い物をしていたデヴィッド(トーマス・ジェーン)は、視界を遮る深い霧に遭遇する。ほどなく霧の中から近所の老人が命からがらスーパーの店内へ逃げ込んでくる。「霧の中になにかいる!」と叫びながら・・・。霧はいっこうに晴れる気配を見せず、それどころか正体不明の怪物に店員の1人が命を奪われる。怪物の姿にパニックを起こした数十人の客たちは、スーパーに篭城しようと主張する者、脱出を図る者に分かれ、意見がまったくまとまらない。中でも混乱に拍車をかけたのは、狂信的クリスチャンの中年女性カーモディ夫人(マーシャ・ゲイ・ハーデン)が語る“最後の審判”の一節だった・・・
霧の中にいる怪物は、『エイリアン』を彷彿とさせる。というよりむしろ、『エイリアン』シリーズがその後のホラー映画・SF映画に残した影響の大きさに驚いた。軍隊でもないフツーの人たちがエイリアンばりの怪物と闘えるわけがないから、スーパーの客たちはみなオロオロと逃げ惑い、パニックを起こすのみ。こんなときこそリーダーが必要だと思うのだが、リーダー格の人間同士がいがみあって協力できない。このあたりのアメリカ人のアグレッシブさは農耕民族の日本人から見ると、「なんでそこでケンカになるの?」と思ってしまう。客たちは四分五裂し、気の合う者同士が小さなグループになるだけ。主人公のデヴィッドもそんな1グループのリーダーに過ぎないのだが、ストーリーの展開上いちばんマトモに見える。
本作の怖さは、恐怖に駆られた人間の集団心理という“内なる怪物”。最初は変わり者扱いされていたカーモディ夫人が次々に襲いかかる恐怖の中で自分を預言者だと思い込み、聖書の句を唱え続けるうちに、彼女を信じてついていきたいと考える人たちが現れる。恐怖のあまり、考えることを放棄した人・・・その集団心理が起こす非道の数々は、オウム事件を思い出させる。
予測がつかない相手、情報のない相手と闘うのは、本当に困難なことだと思う。しかし、人に従うのではなく、自分の頭で考えるのがいちばん。たとえ間違っていたとしても、自分の判断ならしかたがない。そして、可能性がある限り、最後まであきらめないこと。ラストシーンがなによりもその大切さを物語っている。
(2009・2・2 宇都宮)
「ブーリン家の姉妹」
監督 ジャスティン・チャドウィック
出演 ナタリー・ポートマン
スカーレット・ヨハンソン
エリック・バナ
(2008年/アメリカ・イギリス)
16世紀、ヘンリー8世統治下のイングランド。地方の一貴族だったトーマス・ブーリン卿には、美しい2人の娘がいた。姉は才気にあふれ、上昇志向の強いアン(ナタリー・ポートマン)。妹はおとなしく控えめなメアリー(スカーレット・ヨハンソン)。ブーリン卿はアンをヘンリー8世(エリック・バナ)の愛人に送り込み、一家の繁栄を築こうともくろむが、国王の心を捉えたのはメアリーだった。
宮廷に仕えるようになったメアリーはやがて王の子どもを出産するが、その間にアンが策を弄して国王の関心を惹きつけ、彼を夢中にさせる。しかし、アンの目的は愛人になることではなく、王妃になることだった・・・
歴史上有名なアン・ブーリンの処刑とヘンリー8世のカトリック教会破門事件を、ブーリン家の視点から描いた作品だ。ヘンリー8世による英国国教会の設立は、世界史の歴史でも習う大事件。のちのエリザベス1世の母親であるアン・ブーリンの悲劇も知識として知ってはいたが、妹のメアリーの存在はこれまであまりフィーチャーされなかったのでは? 本作でも姉妹は対照的な性格に描かれ、一時はヘンリー8世を巡って反目しあう。
当初、この作品のキャスティングを聞いたとき、「ナタリー・ポートマンとスカーレット・ヨハンソンの役は逆の方がいいのでは?」と思った人も多いのではないだろうか。かくいう私もそうだった。が、115分間の濃厚なドラマを見て、キャスティングの疑問は吹っ飛んだ。当たり前といえば当たり前だが、どちらもさすがは女優! 特にナタリー・ポートマンはひと皮剥けた気がする。
単なる愛人ではすぐに王に飽きられてしまう。王妃になって、自らの地位を固めなければ・・・と、アンが考えたのはよくわかる。しかし、考えるのと実行するのとでは天と地ほどの開きがある。王にはれっきとした王妃がいるし、カトリックでは離婚は認められていない。ムリを通せば・・・結果は歴史が物語るところだ。
女性が政治の道具にされた時代。女好きのヘンリー8世はどうしようもない男に見えるが、跡継ぎの男の子が欲しいという妄執にかきたてられていた部分もある。しかしその後、イングランドに史上最高の繁栄をもたらしたのは、アンが生んだ女の子だった。卑見になるが、私も周囲を見ていて「能力に性別は関係ない」と、つくづく思う。むしろ、この作品のヘンリー8世のように、自らの中の制御できない本能や意味のないプライドに振り回されている男性が気の毒にすら思える。
(2009・1・24 宇都宮)
「ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛」
監督 アンドリュー・アダムソン
出演 ベン・バーンズ
ジョージー・ヘンリー
スキャンダー・ケインズ
(2008年/アメリカ)
前作の「第1章:ライオンと魔女」から約2年。「ナルニア国物語」の第2章「カスピアン王子の角笛」をさっそく観に行った。
原作を忠実に再現した第1章に比べて、第2章は構成を大幅に変えている。
冒頭のシーンは4人の子どもたちがナルニアに戻るシーンではなく、カスピアン王子がミラース王の城を脱出するシーン。原作の3分の1を占める回想シーンをセリフと映像で説明し、リアルタイムなストーリー展開に構成し直している。そのため、カスピアン王子がなぜナルニアの民にすぐ心を許すのか、映画だけ観ている人には伝わりにくいかもしれない。
また、人間対ナルニアの民の闘いに説得力を持たせるためか、ミラース王の城に奇襲をしかけたり、戦闘場に仕掛けを作ったりするのも映画ならではのオリジナル。創り手たちが知恵を絞って映像化しているのがわかる。
そんな作品を生み出す苦労に加えて、映画の成否を決める大きな要素がカスピアン王子のキャスティングだ。原作では10代の金髪の少年というイメージだが、これは原作シリーズの挿絵の影響がとても大きい。しかし、父王を殺した叔父への復讐と人間との戦闘に勝利するという事業を10代の少年がなし得るにはムリがあるため、映画では20代の青年に設定。1年がかりのオーディションで、イギリス人の若手俳優ベン・バーンズを抜擢したらしい。新聞広告で初めて彼を見たときは原作のイメージと違うので驚いたが、映画では冒頭から違和感がない。映画界では新人なので、まだ色がついてないせいだろうか。ハムレット的苦悩を抱く王子そのものだ。
4人の子どもたちはそれぞれ成長していたが、特に下の2人・エドマンド役のスキャンダー・ケインズとルーシィ役のジョージー・ヘンリーがずいぶん大きくなっていた。子役が登場するシリーズは、子役の成長を親戚のおばさん(?)のように見守れるのがうれしい。スキャンダー・ケインズは数年後にはすごくカッコよくなるんじゃないか、なんて予想するのも楽しみのひとつだ。
いずれにせよ、世界的なロケと大掛かりな城のセットまで建てて再現した空想の国は見ごたえがある。ストーリー展開も早く、ナルニアを知っている人も知らない人も、充分楽しめるのではないだろうか。人々が待ち続け信じ続ける存在“アスラン”が、(ライオンの姿を借りてはいるが)実はいったいなにを指すのか。原作シリーズを最後まで読めばわかるのだが、本作でも暗喩を含んだセリフがあちこちに登場する。そこまで掘り下げることができれば、もっと楽しめるかもしれない。
次は「第3章:朝びらき丸、東の海へ」。私は7冊あるシリーズの中で、実はこの第3章がいちばん好きなのだが、主役のベン・バーンズも同じらしい。カスピアン王子の夢と冒険にあふれる航海を、きっとディズニーが最新VFXやCGを駆使して見せてくれることだろう。
(2008・5・24 宇都宮)
「ミス・ポター」
監督 クリス・ヌーナン
出演 レニー・ゼルウィガー
ユアン・マクレガー
エミリー・ワトソン
(2006年/アメリカ・イギリス)
ピーター・ラビットの作者ビアトリクス・ポターの半生を描いた作品。20世紀初頭のイギリス上流階級を舞台に、自分の意思を貫く女性の姿が印象的だ。
1902年、ロンドン。ベアトリクス・ポター(レニー・ゼルウィガー)は、子どもの頃から描きためた動物たちの絵本を出版社に持ち込み、出版が決定する。しかし、上流階級を自認する両親は、30歳を過ぎた娘が結婚もせず、アーティストとして生きようとすることが理解できない。親の勧める縁談を断り続け、創作活動に励む彼女は、やがて担当編集者のノーマン(ユアン・マクレガー)と恋に落ちる。しかし、ノーマンとの結婚に反対する両親を説き伏せるためロンドンを離れているあいだに、ノーマンが病に倒れ・・・・・・
ミス・ポターと両親とのやりとりを観ながら、「ジェネレーションギャップの悩みは、いつの時代も同じなんだな」と思った。自分たちの世代と同じ生き方を娘に強要する両親。しかし、娘にはクリエイティブな才能があり、それを活かすだけの意思の強さがあった。仕事をはじめてみたら当然世界が広がるし、出会いも生まれる。自分のいちばんの理解者である編集者と恋に落ちるのに時間はかからなかった。これって、現代の日本でもよくある構図だ。
印象に残ったのは、父親と母親の対応の違い。母親は娘がいくつになっても自立を認めようとしないが、父親は娘がベストセラー作家になったことを認知し、娘を経済力のある自立した人格として認めていく。社会性の違いというか、視野の広さの違いというか、社会でもまれている人と家の中しか知らない人の差が顕著に描かれている。
物語のキモは、ノーマンが亡くなってから。唯一無二と思える恋人を亡くした後のミス・ポターの生き方が素敵だ。あえて両親から離れ、心のふるさとともいえる湖水地方に農場を購入して自立する。それもこれも経済力があるからできること。やはり、女性の自立はまず経済力だ。
作品中にはピーター・ラビットの舞台である湖水地方の風景がよく登場する。私も1度だけ行ったことがあるのだが、とにかく美しいところで、わずか1泊だけで移動するのが惜しくてしようがなかった。いつかまたゆっくりと滞在したい場所だ。
(2008・5・12 宇都宮)
「アイ・アム・レジェンド」
監督 フランシス・ローレンス
出演 ウィル・スミス
アリーシー・ブラガ
ダッシュ・ミホック
(2007年/アメリカ)
2012年、人類は新種のウィルスにより絶滅に瀕していた。米軍に所属する科学者ロバート・ネビル(ウィル・スミス)は、ウィルスに先天的な免疫を持つ稀有な男。人々が死に絶えた後も、たったひとり無人となったニューヨークで愛犬とともに生き抜いていた。彼の願いは人類を救うワクチンを開発すること。昼は食料探索とワクチン開発に打ち込みながら、生存者からの連絡を待つ。夜はウィルスで変異した感染者が、人肉を求めてニューヨーク市街をさまよう中で、ひたすら息を潜めて朝を待つ。感染者は太陽の光の中には出て来られないため、彼の安息は昼間にしか存在しない。そんな日々が3年間も続いていたある日、愛犬が感染犬に襲われ、ネビル自身も危機に瀕し・・・
有名なSF小説の3度目の映画化らしい。
作品の前半を覆うのは、たったひとりの生き残り・ネビルの壮絶な孤独感。唯一の家族であり友人であるのが愛犬。マネキン人形たちも友だちだ。「毎日正午、サウスポートで待つ」と、どこかにいるかもしれない生存者に向けて終日AM電波を流し続け、約束どおりサウスポートに日参するのだが、もちろん誰も現れない。3年前に亡くした家族の思い出も悲しい。
後半は襲いかかる感染者の群れとのアクションシーンの連続。SFというより、アクションホラーの趣が強い。このまま登場人物はウィル・スミスだけなのかと思いきや、後半で意外な展開がある。
私は「人類最後の1人」という設定に、手塚治虫さんの『火の鳥 未来篇』を思い出しながら観ていた。
これ以上の孤独はない、究極の孤独――
私自身の経験でも、家にこもる仕事で誰とも話さず誰とも会わない日が3〜4日も続いたら、精神的に煮詰まってくる。そんなときは友人に連絡し、食事やおしゃべりをして発散するのだが、それがムリならせめてマンションから外へ出て、街を歩いている人たちを見るだけでもいい。コンビニで「いらっしゃませ」と言われるだけでも、多少の気晴らしになる。人間とは、かくも孤独に弱い。
ゾンビたち(本当は生きている人間の感染者たちだが)との死闘シーンも面白いが、この作品が人の記憶に残るとすれば、孤独と闘うウィル・スミスの表情だと思う。登場する人間は彼だけだから、独白のようなセリフが多く、難しい演技だったのではないだろうか。そういえば、無人島で4年間過ごす設定の『キャスト・アウェイ』のトム・ハンクスの演技もすごかった・・・
今、新型インフルエンザ流行に備えて、国が準備をしているらしい。人類誕生以来、絶えることなく続いてきた人間とウィルスの闘い。最終的にどちらが勝つのだろうか。
(2008・5・11 宇都宮)
「キングダム/見えざる敵」
監督 ピーター・バーグ
出演 ジェイミー・フォックス
クリス・クーパー
ジェニファー・ガーナー
(2007年/アメリカ)
サウジアラビアの外国人居留区で自爆テロが発生。100人を超えるアメリカ人やサウジアラビア人が殺された。同僚のFBI捜査官を殺されたフルーリー(ジェイミー・フォックス)は、優秀な部下を選抜してチームを組み、現地へ乗り込む。しかし、犯人を突き止めようと意気込むフルーリーたちを妨害するのは、味方であるはずのアメリカとサウジアラビアの機関。フルーリーは知恵を絞り、コネクションを最大限に利用しながら障壁を1つ1つ乗り越え、犯人に迫っていくが・・・
地味な映画だが、よくできている。サウジアラビアという新米派の王国、アメリカが最大の敵とする国際テロ組織、そして彼らに干渉し、コントロールしようとするアメリカ合衆国。三者の微妙な関係が「FBI捜査官による自爆テロ捜査」というストーリーを通して、三者三様の顔が見えるように描かれていた。
フルーリーはじめ、個性あふれるFBI捜査官たち。たたみかけるような展開。要所要所に散りばめられた印象的なセリフ。ラストの銃撃戦まで観る人をぐいぐい引っ張るテクニックはお見事。監督のピーター・バーグは聞き慣れない名前だが、トム・クルーズ主演の『コラテラル』などに役者として出演していた人らしい。この作品で、監督としての評価が一気に高まったのではないだろうか。
それにしても、アメリカに代表される欧米文化とイスラム文化の相容れない関係はどうしたものだろう。どちらも「目には目を」とばかり、受けた攻撃には必ず報復で返すから、諍いに終わりがない。目の前で家族をアメリカ人に殺された子どもは、長じて自爆テロ犯になる。ラストのセリフにこの作品のテーマがはっきりと見え、作品全体の価値を上げているのだが、同時に絶望的な気持ちにさせられる。
命が軽く扱われる世界に生きる子どもたちに、本当の意味で平和な暮らしをさせてあげたい。何代も続く紛争や戦争で、誰も平和を知らない地域が21世紀になってもなお、地球上に存在することがやるせない。
(2008・5・11 宇都宮)
「マリー・アントワネット」
監督 ソフィア・コッポラ
出演 キルスティン・ダンスト
ジェイソン・シュワルツマン
リップ・トーン
(2006年/アメリカ)
言わずと知れたマリー・アントワネットの生涯を描いた作品。絢爛豪華なロココ文化の世界を描いた従来の作品と異なり、ポップでキュートな映像と音楽で見せる。
オーストリア皇女マリー・アントワネットはわずか14歳でフランス王太子ルイ・オーギュスト(ジェイソン・シュワルツマン)に嫁ぐ。母国から彼女に課せられた使命は、1日も早く跡継ぎを産み、両国の絆を深めること。しかし、夫ルイは彼女に指1本触れようとしない。アントワネットは宮廷の好奇の目にさらされながらも、フランスで生きていこうと懸命に努力を続ける。しかし、孤独を忘れようと取り巻きとのパーティが続くにつれ、宮廷の出費がかさんでいき・・・
14歳で親元を離れ、異国の宮廷で1人闘う女性像というのは、見ていて心が痛む。オーストリアの女帝マリア・テレジアの末娘として生まれ、愛情を注がれて育った女性だけに、余計嫁ぎ先との落差がつらい。しかし、尊敬する母のため、故国のために、夫の関心を惹きつけようと幼いながらも懸命に努力する姿は、「ああ、ぜいたくな暮らしができるとはいえ、王族も大変なんだな」と思わせる。
フランス革命に至った国の窮状や民の暮らしの実情を知らなかったのは、教えなかった周囲にも問題があるし、知ろうとしなかった本人たちの資質の欠如もある。この作品では、想像を絶する貧困に喘いでいたフランスの民衆が描かれていないのだが、アントワネットがぜいたくをすればするほど空しさが募り、破滅の足音が近づいてくる。
いちばん驚いたのは、なんといっても作品の終わり方だ。誰もが歴史上有名な最期を知っているだけに、あの残酷な死に方と本作のキュートな映像が相容れない。それに、国家のために嫁いだ先で殺されることになる女性の最期というのは、やはり見たくないものではないだろうか。そんないろいろな配慮があってのラストシーンだとは思うが、終わった瞬間、「えっ、ここで終わるの?!」と思った人が9割以上存在するはず(と、私は思う)。
ほかに意外だったのは、主演のキルスティン・ダンスト。子役の頃から知っており、これまで美人と思ったことがなかったが、この作品の彼女は本当に美しい。細身のからだで14歳のあどけない少女の役もこなしており、年齢不詳の演じっぷりはお見事。売れっ子女優になった理由がよくわかった。
また、フェルゼン伯爵が女たらしの外交官として登場するのが、『ベルばら』で育った世代としては、ちょっと寂しい。
(2008・4・10 宇都宮)
「エリザベス:ゴールデン・エイジ」
監督 シェカール・カプール
出演 ケイト・ブランシェット
ジェフリー・ラッシュ
クライヴ・オーウェン
(2007年/イギリス・フランス)
前作「エリザベス」から早や9年が経過したと聞き、時のたつ速さに驚いた。前作ではケイト・ブランシェットの演技力に圧倒されたものだが、本作もその点はまったく同じ。しかも9年たってもトシをとっていない。その美しさと演技力に脱帽だ。
物語はエリザベスがイングランド女王に即位し、スペイン無敵艦隊を破ってイングランドの黄金時代を築くまで。独身の女王を狙って次々と求婚者がやって来る。味方からも跡継ぎを望む声が上がるのだが、「国家との結婚」を貫くエリザベスの意思は変わらない。明晰な頭脳と自分の信念を貫く意思の強さは見ていてホレボレするが、デキる女が孤独なのはいつの時代も同じ。ましてや国家のトップに立つ人は、底なし沼のような孤独をいつも見ていることだろう。
そんなエリザベスの心を動かしたのが、新世界帰りの航海士ローリー(クライヴ・オーウェン)。これが水もしたたるセクシーな男ぶり。宮廷の干からびた男たちばかりの中であんな自由な海の男に出会えば、エリザベスでなくとも惹かれてしまうに違いない。結局、この淡い恋は成就しないが(そんなことはエリザベス自身、最初からわかっていることなのだが)、ローリーはイギリス海軍の一員としてその後大活躍する。現代にたとえるなら、女社長は孤高の独身を貫くが、有能な幹部候補をしっかり社内に取り込んだ、といったところだ。
サブストーリーとしてスコットランドのメアリー女王の運命の変転も織り込み、この時代のイギリスは映画や戯曲の題材に事欠かないと実感させられた。
(2008・4・10 宇都宮)
「ボーン・アルティメイタム」
監督 ポール・グリーングラス
出演 マット・デイモン
ジュリア・スタイルズ
デヴィッド・ストラザーン
(2007年/アメリカ)
ジェイソン・ボーンシリーズは、私の中で「絶対見逃せない」存在だ。
「ボーン・アイデンティティ」でマット・デイモンが初めてカッコよく見え、「ボーン・スプレマシー」で恋人マリーを亡くしたボーンの傷心に胸をしめつけられた。本作「ボーン・アルティメイタム」は物語上の時間でも「ボーン・スプレマシー」のラストシーンにつながっている。過去の登場人物が意外なシーンで次々に現れ、シリーズ全体の総決算であることを感じさせる。
アクションシーンは相変わらず息もつかせぬ展開で、アイデア満載。モスクワ→パリ→ロンドン→モロッコ→ニューヨークと舞台を次々に変えながら、CIAとボーンの知恵&体力比べが続いていく。例によってCIA上層部の過去の機密事項隠しがあり、「ボーン・スプレマシー」に続いて登場したCIA女性幹部パメラ(ジョアン・アレン)が内部機密を探りながらボーンを追う。このパメラの切れ者ぶりが見ていて実に爽快。男性上司の無能ぶりもリアルだ。
愛国心から志願した仕事なのに、いったん命令に背くと命を狙われる。上司も同僚も友人も、誰も信じられない。この“誰も信じられない”という状況がいかにつらいものか。これほどの孤独とひきかえに得るものは、いったいなに? 現実のスパイがどういうものかは知らないが、どんなに報酬がよくてもやりたくない仕事だ。もちろん、私みたいなボンヤリした人間にできるわけもないが、優秀な人材がこんな仕事で命を落としているとすればもったいない話だと思う。
(2008・4・10 宇都宮)
「幸せのちから」
監督 ガブリエレ・ムッチーノ
出演 ウィル・スミス
ジェイデン・クリストファー・サイア・スミス
タンディ・ニュートン
(2006年/アメリカ)
ホームレスから億万長者になった実在の人物をモデルにしたサクセス・ストーリー。
新型医療機器のセールスマン・クリス(ウィル・スミス)はこれと見込んで買い込んだ医療機器が思うように売れず、妻も愛想を尽かして家を出る。経済的に安定した生活を夢見て、証券会社の幹部社員養成コースに申し込むが、研修期間中は無給。家賃を滞納したため、幼い息子とともに家を追い出され、ホームレス生活に突入してしまう・・・
いわゆる薄っぺらなサクセス・ストーリーではなく、主人公の奮闘ぶりと苦悩を丁寧に描いているので、予想以上に楽しめた。
大の男でもホームレス生活はキツイのに、幼い子どもを連れてなんてムチャにもほどがある。・・・と思うのだが、主人公のクリスは安宿や福祉施設を泊まり歩き、それにもあぶれたときは公衆トイレで一夜を明かす。子どもだけなら預かってくれる施設もあるのだが、「親子一緒じゃなきゃダメ」という強い信念を貫き通すところがスゴイ。私だったら、「せめて子どもだけでも屋根のある場所に寝かせてあげたい」と、児童福祉施設に預けてしまうだろう。たいがいの人は私と同じでは?
しかし、子どもというものはものすごく順応性があるので、守ってくれる大人がそばにいれば貧乏にも慣れてしまうのかもしれない。掛け値なく自分を愛してくれる存在が、身近にいてさえくれれば。
証券会社研修中の奮闘ぶりも身につまされる。研修といっても、実践型の電話営業。あの手この手でターゲットに近づき、自社の商品を売ろうとするのは、どこの国のセールスマンも同じこと。同時に証券会社の現役幹部たちに忠義を尽くす必要もあり、きれいごとを言っていられない世界だ。・・・が、クリスはぐっとこらえて正社員への採用をめざす。
これって80年代のアメリカが舞台だが、現在の日本社会に通じるものがある。身分の安定しない非常勤労働者同士が結婚し、子どもが生まれる。思うように働けなくなると、とたんに家賃に困り、生活に行き詰まる。めざすは正社員なのだが、その道は険しい。この作品ではクリスが頭がよく目端が利くので、変なストレスなく観終えることができるが、実際にはクリスみたいに優秀でない人の方が多いはず。現実のその他大勢はどうしているのか。クリスのように億万長者になれなくても、親子揃って平和に暮らせれば、私はそれで充分幸せだと思うのだが。
(2007・10・21 宇都宮)
「007/カジノ・ロワイヤル」
監督 マーティン・キャンベル
出演 ダニエル・クレイグ
エヴァ・グリーン
マッツ・ミケルセン
(2006年/アメリカ・イギリス)
007シリーズの21作目。ジェームズ・ボンド役は6代目となり、ダニエル・クレイグが演じている。
ジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)が殺しのライセンス“00(ダブルオー)”を手に入れ、最初に向かった任務はテロ組織の資金源ル・シッフル(マッツ・ミケルセン)と接触すること。モンテネグロのカジノのポーカー対決でル・シッフルの資金を巻き上げたボンドだが、パートナーの女性ヴェスパー(エヴァ・グリーン)を誘拐され・・・
最新兵器やハイテクカーに彩られたこれまでのシリーズと違い、人間くさいジェームズ・ボンドを見ることができた。作品の中枢を占めるのも、豪華なカジノルームでのポーカーシーン。マシーンvsマシーンではなく人間同士の情念がぶつかる闘いや、誰が味方で誰が敵なのかわからない心理合戦を楽しめた。最近の007シリーズの中では、かなりの秀作では?(全シリーズを観たかどうか定かではないので、断言できないが)
また、ボンド役のダニエル・クレイグがいい。演技力も確かだし、身のこなしもちょっとした感情表現も板についていて、“生身の男性”感がある。まだ青いボンドがパートナーの女性と真剣な恋に落ちるシーンでも、男の切なさみたいなものを感じさせてくれた。撮影時に40歳近いので、“若き日のボンド”というには外見的にちょっとムリがあるが。
ボンドガール役のエヴァ・グリーンはやや垂れ目でカンペキな美人ではないのだが、アメリカの女優さんにはない艶っぽさ、ミステリアスな雰囲気の持ち主。若い頃のシャーロット・ランプリングを思い出してしまった。
オフィシャル・ホームページを見ると、「ボンドを原点に戻す」のはプロデューサーの狙いだったらしい。その点でも狙い通りの成功作と言えるのではないだろうか。
(2007・10・20 宇都宮)
「ドリームガールズ」
監督 ビル・コンドン
出演 ジェイミー・フォックス
ビヨンセ・ノウルズ
エディ・マーフィ
(2006年/アメリカ)
トニー賞6部門を受賞したブロードウェイ・ミュージカルの映画化。
歌手を夢見るディーナ(ビヨンセ・ノウルズ)、エフィー(ジェニファー・ハドソン)、ローレル(アニカ・ノニ・ローズ)の3人は「ドリーメッツ」を結成。やり手マネージャーのカーティス(ジェイミー・フォックス)の目に止まり、ビッグスターのアーリー(エディ・マーフィ)のバックコーラスに抜擢される。ところが、落ち目のアーリーに代わり、「ドリーメッツ」を売り出そうとするカーティスの思惑や、歌唱力のあるエフィーよりルックスのいいディーナをメインボーカルに起用したことでメンバーに亀裂が走り・・・
歌手を夢見る少女たちがトップスターになり、それぞれの人生を歩んでいく様子を描いた“ミュージカル大河ドラマ”といった作品だ。売れるまでの苦労もきちんと描かれているし、売れた後の不協和音や家庭不和、空しさもちゃんと押さえてある。「歌手デビューできるだけで幸せ」だった少女たちが、次から次へとステップを上るうちに見たくないものまで見えてしまう。どんな世界にもありがちな話だが、舞台がショービジネスというこれ以上ないゴージャスな世界だけに、光と影の落差が激しい。
合間に挟まれる歌やショーのシーンはさすがで、見ごたえ聴きごたえたっぷり。ジェニファー・ハドソンの歌唱力には圧倒されるし、ビヨンセの美しさにも改めて脱帽。ジェニファー・ハドソンはこの作品でアカデミー賞助演女優賞をはじめ数々の賞を総ナメにしたが、納得の歌と演技だった。“実力はピカイチだが、わがまま”な女性を、「いるいる、こんな子」と実感を伴う演技で見せてくれる。彼女のボーカルを聴き慣れた後でビヨンセの歌を聴くと、正直もの足りない。現実のトップスターであるビヨンセが、よくこの役を引き受けたものだ。ちなみに、ビヨンセの役どころはダイアナ・ロスがモデルだそうだ。
男性陣では、エディ・マーフィの歌のうまさにも驚いたが、ジェイミー・フォックスの演技がいい。やはり今、ノリに乗ってる俳優さんという印象である。
同じトニー賞から映画化されたミュージカル『シカゴ』よりも、私はこちらの方が楽しめた。
(2007・10・20 宇都宮)
「トランスフォーマー」
監督 マイケル・ベイ
出演 シャイア・ラブーフ
ミーガン・フォックス
ジョン・ヴォイト
(2007年/アメリカ)
製作総指揮がスティーブン・スピルバーグ、監督がマイケル・ベイという豪華組み合わせが実現したSF超大作。
今までいろんなエイリアンが地球侵略を試みたが、今度は“あらゆるハイテク機器に変身できる金属生命体”が相手だ。あっという間に携帯電話に、中古車センターのクルマに、果てはジェット戦闘機にまで変身してしまう。
ストーリーはこの手の映画によくあるパターン。中東のアメリカ軍基地で、海兵隊の精鋭は次々に姿を変える未知の生命体との闘いを経験する。同じ頃、アメリカの小さな町で、どこにでもいる高校生が父親から中古のカマロを買い与えられた。このカマロが地球の存亡を賭けた闘いで重要な鍵を握ることになり・・・
よくあるストーリーが予想どおりに展開する。前半はそれなりに見ごたえがあるものの、後半に入るとマンガっぽくなってしまう。いつも思うのだが、エイリアンがなんで英語をしゃべるのか?(今回はインターネットで学んだらしい) エイリアンがなんで性格や仕草までアメリカ人なのか? 謎解きもそれなりにあるのだが、あまりにもマンガちっくで正直後半は白けてしまった。これなら「インディペンデンス・デイ」の方が見ごたえがあった。
楽しめるのは世界最大のVFX工房ILMが手がけた最新の映像。あっという間にロボット(?)がハイテク機器に変身していく様子は、これまで見たことのない世界だ。でも、映像というものは呆れるほど早く見慣れてしまう。常に新しいものを求められる映像クリエイターという仕事の過酷さが想像できる。
私は知らなかったのだが、トランスフォーマーのネタ元は日本製のオモチャらしい。スピルバーグの子どもたちがまだ幼いころ、日本製のロボットのオモチャで一緒に遊ぶうちに、スピルバーグの方が夢中になってしまったのだとか。そのためか日本製品や日本文化へのリスペクトが感じられて、日本人としては素直にうれしく思った。
(2007・10・14 宇都宮)
「パンズ・ラビリンス」
監督 ギレルモ・デル・トロ
出演 イバナ・バケロ
セルジ・ロペス
マリベル・ベルドゥ
(2006年/メキシコ・スペイン・アメリカ)
各メディアで「これまで見たことのないファンタジー」と絶賛されていたせいか、平日の昼間にもかかわらず、映画館はほぼ満員。うわさに違わず、観終えた後のこの感触(感覚というより、感触という言葉が近い)。ハリウッド製のファンタジーとはまるで違う。確かにこれまでに見たことのない作品だ。
1944年、内戦のスペイン。大尉(セルジ・ロペス)と母が再婚し、オフェリア(イバナ・バケロ)は母とともに大尉の駐屯地に住まわされる。山間部の駐屯地は独裁国家の前線基地で、ゲリラの攻撃や虐殺が日常茶飯事。そんなある日、オフェリアは森の中に古い迷宮を発見する。そこは牧神パンが支配する、この世とは異なる世界だった。オフェリアはパンから「あなたは長く行方不明になっていた王国の姫君」と告げられ、自分の王国へ帰るための3つの試練に耐えることになる・・・
ここに描かれるファンタジー世界はハリウッド作品と違って、1度も陽光が射さない地下の王国というイメージ。パンをはじめ登場する生き物も不気味だし、気持ちがなごむことがない。幻想の国の様子やクリーチャーは確かに見たこともない世界で、“ダーク・ファンタジーの傑作”という意見ももっともだと思う。
しかし、それ以上にこの作品、現実世界の描写が秀逸だ。その証拠に、ファンタジー世界の映像時間は現実よりもかなり短い。現実世界は専制君主の大尉が支配し、大尉の子を妊娠した母は無力で、オフェリアの感受性が理解できない。そんな現実に絶望し、決して夢のようでも美しくもない幻想の世界に逃避する少女が切なくて、ラストは涙が止まらなかった。心やさしい天使にも恐ろしい怪物にもなることができる生き物、それが人間なのだ。
オフェリアを演じた12歳のイバナ・バケロが名演! 大尉役のセルジ・ロペスもうまかった。大人にはぜひ見ていただきたいが、子どもたちには残念ながらオススメできない。というのも、私も思わず目をそむけてしまうほど、残酷なシーンが多かったから。R-12指定されているのも当然だろう。逆に中学生ぐらいでこの作品を見たら、一生記憶に残るのではないだろうか。
(2007・10・14 宇都宮)
「ナイトミュージアム」
監督 ショーン・レヴィ
出演 ベン・スティラー
カーラ・グギーノ
ディック・ヴァン・ダイク
(2006年/アメリカ)
博物館で動物の骨格標本や剥製を見ながら、「この標本が実は生きていて動き出したら・・・?」と想像したことはないだろうか。
私は、ある。子どもの頃の話ではない。今だって想像する。特に恐竜の骨格標本は圧巻だ。あの威容、あの迫力。「もし、この生物が今、動き出したら?」と、気がついたら考えている。
だからこの作品を知ったとき、「私だけの妄想じゃなかったんだ」と少しホッとした。しかも舞台はニューヨークの自然史博物館! 自然史博物館は私の大好きなスポットで(とはいっても、まだ2回行っただけなのだが)、時間さえ許せば終日滞在したい場所。恐竜骨格のコレクションがとにかくオススメだ。
自然史博物館に行った気分になれるだけでもうれしいのに、その上、展示物たちが動いてくれるというこの映画、どんなふうにストーリーが味つけされているのか観てみると・・・
予想どおり、典型的なドタバタコメディ。夜間警備員に雇われたダメ男が、閉館後に館内警備をしてみてビックリ。ティラノザウルスの骨格が、セオドア・ルーズベルト大統領のろう人形が、西部開拓時代のミニチュア人形が、みんなみんな動き出す。展示物たちに振り回されて死ぬ思いをした男は、一念発起して彼らのことを調べはじめる。するとそこには、歴史と知識の玉手箱のような世界が広がっていた。
ドタバタするにも理由が必要だから、博物館のヒミツを狙う犯罪や、ひとり息子に博物館のヒミツを見せてあげたいと思う親心が絡んで、ストーリーは進行する。ドタバタぶりも最後のオチも、バカバカしいが楽しめた。
セオドア・ルーズベルト役にロビン・ウィリアムズ、先輩警備員役にディック・ヴァン・ダイクやミッキー・ルーニーなど往年の名優をそろえたところもよかった。
それにしても、また自然史博物館に行きたくなった。あんなスゴイ場所が身近にあるニューヨーカーがうらやましい。
(2007・8・12 宇都宮)
「硫黄島からの手紙」
監督 クリント・イーストウッド
出演 渡辺 謙
二宮 和也
伊原 剛志
(2006年/アメリカ)
クリント・イーストウッド監督の硫黄島2部作のひとつ。日本から見た硫黄島攻防戦を描いた。
太平洋戦争末期の1945年2月、硫黄島に栗林中将(渡辺謙)が赴任する。アメリカ留学経験もある栗林は米軍の底力を知っており、部下の将兵たちに従来の戦法を捨てて地下要塞を築き、ゲリラ戦を展開するよう指示。しかし、本土からの応援はなく、部下たちは次々と息絶えていき・・・
硫黄島の激戦でなにがあったかは知らないが、日本軍が玉砕したことは知っている。だから、ストーリーの大筋は見る前から見当がつく。
栗林中将の存在はこの映画で初めて知った。一軍の将として負けるとわかっている戦闘を繰り広げながらも、部下には「自決するな。生きろ」と言い続けた。将校も一兵卒も、みんな生きて家族のもとに帰りたい。しかし、「捕虜の屈辱を味わう前に自決せよ」と教えられてきた日本の兵士たちは、次々と自決していく。中には部下に自決を強要する軍曹もいる。
物語は妊娠中の妻のもとへなんとしてでも生きて帰りたい西郷(二宮和也)の目を通して描かれる。戦場では生と死は本当に紙一重。死にたくなくて降伏した兵士が、アメリカ兵の気まぐれであっさり殺されたりもする。生きて帰れるのは、運がよかったごく一握りの人間たち。しかし、「生きたい」という強い気持ちがなければ、運もついてこないのではないかと思わせられた。
本作と「父親たちの星条旗」を続けざまに観て感じたのだが、どちらも戦闘シーンは悲惨で、相手をやっつけるより、やられる場面が多い。戦争には勝者も敗者もないというメッセージだろうか。アメリカでどのような評価を受けたのかは知らないが、この作品がアメリカ映画として創られたことがとてもうれしい。
(2007・8・12 宇都宮)
「父親たちの星条旗」
監督 クリント・イーストウッド
出演 ライアン・フィリップ
ジェシー・ブラッドフォード
アダム・ビーチ
(2006年/アメリカ)
クリント・イーストウッド監督の硫黄島2部作のひとつ。アメリカから見た硫黄島攻防戦と、戦後のエピソードが語られる。
硫黄島のすり鉢山にアメリカ兵たちが星条旗を立てる有名な写真。ピューリッツアー賞を獲得し、誰もが知っているあの写真には、華々しい勝利だけでなく戦争の悲惨な現実を語るエピソードがあった。
星条旗を立てたのは、5人の海兵隊員と1人の衛生兵。その写真はアメリカのマスコミが大々的に取り扱い、厭戦気分が広がっていたアメリカ国民に勇気を与え、戦争の勝利を確信させた。しかし、硫黄島ではその後も35日間戦闘が続き、旗を立てた6人のうち半分が戦死。生き残った3人はアメリカで「硫黄島の英雄」として戦争国債募集キャンペーンに駆り出され、戦争の記憶から逃れることができないまま人生を踏み外していく・・・
あの有名な星条旗はアメリカ軍の硫黄島制圧を示しているのかと思いきや、実は海兵隊上官の気まぐれだったことにまず驚いた。しかも、最初に立てた旗を随行していた議員がほしがり、旗を交換したところを撮影したショットがピューリッツアー賞に。中学生の頃、歴史の教科書で見て以来、劇的な戦争の勝利を想像していた私の長年の思い込みは見事に打ち砕かれた。
しかも、生き残った3人が国家と軍によって「硫黄島の英雄」に仕立て上げられ、国債募集キャンペーンに利用されていく様は、見ていて痛々しい。戦争が終われば「英雄」だって使い捨て。「英雄」の1人アイラ(アダム・ビーチ)はネイティブ・アメリカン出身のため、戦中も戦後も人種差別にさらされ、酒で身を持ち崩してしまう。
ところでこの作品、秀作には違いないが、ちょっとストーリー構成がややこしい。物語の語り手は、「英雄」の1人・衛生兵のドク(ライアン・フィリップ)の息子。父親が生前決して語ろうとしなかった硫黄島の真実を、息子が生存者を訪ねて調べ、書籍にしたものが映画の原作らしい。ところが、戦後数十年を経た息子の調査と硫黄島での戦闘シーン、国債募集キャンペーンの3つの時間軸の物語が同時進行するので、慣れないうちは「今、どの時間軸のシーンなのか」がわかりづらい。しかも、よく登場する兵士が7、8人おり、名前も顔も覚えられないうちにそれぞれの親や婚約者が登場したりして、余計ややこしくなる。ご覧になる前に、映画の公式ホームページで登場人物だけでも確認した方が理解が早いかもしれない。(私は見終えた後でホームページを見て、「あ、この人がそうだったの?!」的な理解度の低さを自覚したが)
構成はややこしいが、テーマは明確。「戦争に英雄などいない」。まさにその通り!負けた日本軍にはもちろん、勝ったアメリカ軍にもヒーローなどいなかった。あるのは虚構で塗り固められた国家の戦略と、それに振り回された人々の悲劇だけだ。
(2007・8・12 宇都宮)
「マイアミ・バイス」
監督 マイケル・マン
出演 コリン・ファレル
ジェイミー・フォックス
コン・リー
(2006年/アメリカ)
80年代アメリカのテレビシリーズの映画化を、オリジナルのエグゼクティブ・プロデューサーだったマイケル・マン監督が手がけた。
マイアミ・バイスとはマイアミ警察特捜課のこと。そこでコンビを組むソニー(コリン・ファレル)とリカルド(ジェイミー・フォックス)は、南米の麻薬組織に潜入する特別危険な任務につく。捜査の目的は、合衆国司法機関・FBI・マイアミ警察合同捜査陣に潜む内部通報者をあぶりだすこと。やり手の運び屋に扮した2人は麻薬組織のアジトに乗り込み、次々に危険な仕事をこなしていくのだが・・・
小型ジェット機を自ら操縦したり、パワーボートを飛ばしてハバナで休日を過ごしたりと、とにかくド派手な動きっぷりだ。「マイアミ警察ってそんなに予算があるの?」という疑問と「ハリウッド映画って予算があるのね」という納得を交互に繰り返しつつ、ストーリーはテンポよく進む。
2人の刑事はとにかくカッコいい。プレイボーイのソニーとまじめなリカルドという好対照なコンビは、のちのちの刑事ドラマに大きな影響を与えていそう。なによりオドロキなのは、「こんな危険な仕事を自ら志願する人間がいるのか?」ということ。裏社会の人間は危険とひきかえに莫大な富をつかめるから理解もできるが、公務員である刑事やFBI捜査官にいったいどんなメリットがあるのか。正義感? スリルと冒険? いやいや、ちょっと私たち凡人の想像を超えている。
しかし、ストーリー的にはやや拍子抜け。特にラストは「もうひとオチいるだろう!」と、画面に向かって突っ込んでしまった。マイケル・マン監督って「コラテラル」でも、ひとオチ足りなかったような気がするのだが。
(2007・1・31 宇都宮)
「愛の流刑地」
監督 鶴橋康夫
出演 豊川悦司
寺島しのぶ
長谷川京子
(2006年/日本)
渡辺淳一のベストセラー小説を、鶴橋康夫監督が映画化した。
ある男が情事の末に女の首を絞めて殺し、逮捕される。男は小説家の村尾(豊川悦司)。女は彼の不倫相手の人妻・冬香(寺島しのぶ)。村尾のファンだったという冬香は知人の紹介で彼と知り合い、逢瀬を重ねていた。村尾は冬香により枯れかけていた創作意欲を刺激され、冬香は夫とのあいだにはない濃密な愛を知る。しかし、やがて情事のたびに冬香が村尾に「殺してください」と懇願するようになり・・・
見終えた最初の感想は、「『失楽園』と同じじゃないか」。
ただし、心中シーンで終わった「失楽園」とは違い、なぜ愛する女を殺したのか、その理由が法廷で明らかにされていく。「失楽園」ではなぜ心中したのかさっぱりわからない観客が多かったろうが、本作では少しわかった気分になれる。本当に愛されるとはどういうことかを知り、愛のない夫との生活に絶望する人妻が、「愛しているなら殺してくれ」と繰り返す。愛するがゆえに願いをかなえてやりたいと思う男。しかし、願いがかなえられたとき、待っていたのは厳しい現実だ。
聞くところによると、渡辺淳一さんは若いころ、恋人に自殺された経験があるという。彼の作品には、その恋人が少しずつかたちを変えて繰り返し登場しているようだ。「阿寒に果つ」もそうだった。「失楽園」ももちろんそうだし、昔読んでタイトルすら忘れた短編にも同じような主人公が登場していた。
しかし、殺された人妻は願いがかなったからいいが、残された遺族はたまらない。本作でも夫役の仲村トオルや母親役の冨司純子が大事な役どころを担っているが、それ以上に幼い3人の子どもたちが不憫でたまらない。子どもにとって母親の代わりはいない。母としてより女としての人生を選んだといえばそれまでだが、そのあたりの視点が描かれていないのだ。むしろ、子どもとの関係を描くことを、あえて避けているように感じた。
濡れ場の多さが話題先行気味だが、演技陣はトヨエツも寺島しのぶもよかったし、みな熱演だった。検事役の長谷川京子ががんばってはいるものの、やや役不足。佐藤浩市の使い方がいかにももったいない。
(2007・2・11 宇都宮)
「ブロークバック・マウンテン」
監督 アン・リー
出演 ヒース・レジャー
ジェイク・ギレンホール
ミシェル・ウィリアムズ
(2005年/アメリカ)
1963年アメリカ西部。夏じゅう羊を放牧し、野宿して過ごすカウボーイの仕事で出会ったジャック(ジェイク・ギレンホール)とイニス(ヒース・レジャー)。雇い主の横暴に耐えながら自然と闘い、毎日ともに過ごすうちに、2人の間に友情以上の愛が芽生える。しかし、同性愛には厳しい視線が注がれた時代。カウボーイ仕事が終わると2人は別れ、それぞれに結婚。子どもも誕生するのだが、やがて家族に隠れて会うようになり・・・
男2人の20年に及ぶ恋物語を美しい自然を背景に描き、最後はじーんと泣かせる。同性愛嗜好を隠し通さねば社会から抹殺されてしまう土地柄で、結婚し、普通に暮らしているように見えても、心はお互いのもの。やはり障害のある恋ほど燃え上がるものなんだなと再認識した。
特に、イニスの不器用な生き方が痛々しい。同性愛に対して人一倍禁忌と感じているにもかかわらず、ジャックへの想いが抑えきれない。仕事も牧場勤め以外考えられず、どんなに働いても貧乏なまま。おまけにジャックとのことで妻をうまくごまかせず、家庭も失ってしまう。
一方、ジャックは金持ち娘と結婚し、生活の不安はなくなるものの、その状態に満足できないのが人間の悲しい性。積極的にイニスを求め続けるが、不器用なイニスにはうまく応える術がない。
考えてみれば、2人が求め続けたのは、ともに静かに暮らすこと。特別金持ちになりたいわけでもなく、自然の中を馬で駆け回り、牧場暮らしができればそれでよかったわけだ。これって男女のカップルにも通じるもの。好きな仕事をして、好きな人と静かに暮らせれば、こんな幸せなことはない。大多数の人は異性がその対象になるが、ジャックとイニスはたまたま同性だったために困難な恋になった。
舞台となるブロークバック・マウンテンの大自然が美しい。しかし、そこで働くカウボーイの仕事は実に過酷だ。ベッドもお風呂もない原野で野宿生活なんて私はひと晩もムリだが、その暮らしをずっと夢見続ける人もいるのだと知った。
(2006・11・08 宇都宮)
「ダ・ヴィンチ・コード」
監督 ロン・ハワード
出演 トム・ハンクス
オドレイ・トトゥ
イアン・マッケラン
(2006年/アメリカ)
今年の夏の「ダ・ヴィンチ・コード」旋風はすごかった。書店に行くと入口付近に「ダ・ヴィンチ・コード」の文庫本の山、山、山。出張先に行く新幹線に乗る前に、つい私も上巻を買ってしまった。それぐらい問答無用の勢いだった。
そんなわけで映画を見る前に原作を読んだのだが、正直、読んでおいてよかったと思った。映画だけでは読み取れない暗喩や、蔭のストーリーが多すぎるので。集中力が途切れると、映画だけでは途中でストーリーが追えなくなっていたかもしれない。
逆に、あのウンチクの塊みたいな小説を、よくここまで整理してみせたと思う。図像による象徴の説明は、むしろ小説より映画の方が映像で見せる分わかりやすく、記憶に残る。
ストーリーはご存じの方も多いのであえて書かないが、なにはともあれ「キリスト教世界の作品」だ。
イエス・キリストに子孫がいても、神でなくても、異文化圏の私には衝撃でもなんでもない。ブッダも結婚していたし、子どももいた。その後で悟りを開いたところで、なんの問題もないのでは・・・?
ヨーロッパの歴史上、見え隠れしながら登場する秘密結社については、ちょっと理解の範囲を超えている。「本当に存在するの?」というのが最初の感想なのだが、あれだけ文学や歴史に登場するんだから本当に存在するんだろう、きっと。
キリスト教世界の人々が幼いころから信じこまされているさまざまな“常識”や“歴史的事実”。さらにはキリスト教の教えもまた「誰かに作り上げられたものだ」と明言していることが興味深い。キリストが神かどうかなんて、なぜ後世の会議で決められるのか。権力者が社会を治めるための方便に、宗教もまた利用されているということ。この構図は21世紀の今も変わらない。
トム・ハンクスはいい熟年になってきたが、なにを演じさせてもその職業に見えるからスゴイ。イアン・マッケランも実に元気に、次から次へと大作に登場している。また、世界的ベストセラーの映画化だけあって、脇役も主役級が揃った。刑事役のジャン・レノや、色素欠乏症の暗殺者役のポール・ベタニーなど、見ているだけで楽しい。
(2006・11・08 宇都宮)
「私の頭の中の消しゴム」
監督 イ・ジェハン
出演 チョン・ウソン
ソン・イェジン
ペク・チョンハク
(2004年/韓国)
“純愛”をテーマにして大ヒットした韓国映画を見た。
お嬢様育ちのスジン(ソン・イェジン)は、ふとしたきっかけで建築工事の現場監督を務めるチョルス(チョン・ウソン)と出会い、惹かれていく。暖かな家庭を知らずに育ったチョルスは愛に懐疑的だったが、スジンのひたむきさに、やがて心を開きはじめる。スジンの親の反対も乗り越えて結ばれた2人だったが、幸せもつかの間スジンに若年性アルツハイマー病が襲いかかり・・・
前半はスジンとチョルスの出会いから結婚までを綴った恋愛もの。後半は若いカップルを襲った病魔との闘い。といった具合に前後半でストーリーががらりと変わる作品なので、見る人が「なにを求めるか」で印象がまるで違うものになりそうだ。
私の場合、アルツハイマー病との闘いを期待していたので、前半の恋愛ストーリーがやや退屈だった。確かにチョン・ウソンはカッコいい。足は長いし、セクシーだし、顔もキレイ。韓流ブームについぞ乗れなかった私も、チョン・ウソンだけはチェックした。さらに、ソン・イェジンがもうとにかく可愛くて可愛くて、文句のつけようがないアイドル女優ぶりだ。
女の子が最初に好意を持ち、相手に近づく方法を一生懸命考えてアプローチ。それに対して、男が“女がしてほしいと思っていること”を全部やって応えてくれる。「タイタニック」のジャックとローズみたいなものだ。そりゃあ見ている女性はキモチいいし、ヒットもするだろう。
しかし後半、スジンが若年性アルツハイマー病の宣告を受けてから、話がシビアになる。夫の顔もわからなくなったスジンが昔の恋人を夫と間違え、チョルスが妻の愛を疑うシーン。家族の前でおしっこを漏らしてしまうスジンをチョルスが世話をするシーン。もう、甘く愛を語っている場合ではなく、毎日毎日が病気との格闘。今まで当たり前にできていたことができなくなると、人はうろたえ、悩み、周囲に当り散らすことだってある。そんなとき、若い夫がどこまで耐えられるのか? 私はこのあたりが見たかったのだが・・・
残念ながら、ここから先はなかった。
介護の修羅場を迎える前の段階で、ストーリーは終わりを告げる。妻の思い出は美しいまま。来る日も来る日も下の世話に追われたり、いくら献身的に介護しても感謝されない空しさを誰かにグチったり、「いっそのこと早く死んでくれないか」とひっそり願うこともない。
若く美しい2人のラブストーリーが美しいまま幕を閉じたという印象。このあとの修羅場こそ、本当の人間性が出てくるものだと思うのだが。
(2006・08・27 宇都宮)
「エリザベスタウン」
監督 キャメロン・クロウ
出演 オーランド・ブルーム
キルスティン・ダンスト
スーザン・サランドン
(2005年/アメリカ)
「ロード・オブ・ザ・リング」「パイレーツ・オブ・カリビアン」など、歴史ものの出演が多かったオーランド・ブルームが傷ついた現代アメリカ人青年を演じた作品。
シューズ・デザイナーのドリュー(オーランド・ブルーム)がデザインした新作は大失敗。これが原因で会社は倒産寸前となり、ドリューは解雇される。人生に絶望し、自殺しようとしていた彼のもとに、父の急死の知らせが飛び込む。急遽、父の故郷であるエリザベスタウンに向かったドリューは、ありのままの自分を受け入れてくれる場所があることを知り・・・
ひとことで言えば「癒し」の物語。仕事に大失敗して傷ついた青年が、子ども時代以来訪れたことがなかった父の田舎=エリザベスタウンに行く。エリザベスタウンには親戚やら従兄弟やらが大勢おり、久々に訪れたドリューを温かく迎える。さらに、その途上で出会ったフライト・アテンダントのクレア(キルスティン・ダンスト)と互いに惹かれあい、多くの時間をともに過ごす。
キャメロン・クロウは「あの頃、ペニーレインと」で注目し、“いい脚本を書く監督”というイメージだったが、今回はちょっと期待はずれ。主人公が大失敗する→父の故郷に行く→癒される、というストーリーはありきたりだし、癒されてからなにか動きがあるのか?とかすかな期待を抱いて見ていたのだが、あっさり癒されて終わってしまった。
ストーリーのキモは、ドリューとクレアの恋がはじまるあたり。ちょっとした会話からスタートし、次から次へとエピソードをつなげていく。エリザベスタウンには短期間の滞在だから2人には密な時間が必要なのだが、クレアが仕事の合い間を縫って頻繁にドリューに会いに来るのはストーリー的に苦しい。
気のある相手に適度な距離を保ちながら近づき、ウィットに富んだ会話や小物を次から次へと繰り出すクレアって、ひょっとしてアメリカ人の理想の女性像? 日本人の私から見れば、ものすごく芝居がかって見えるのだが。ドリューの心の傷を癒すためにカウンセラー的な役割まで果たしてしまうのだが、これって一歩間違えたら、とんでもないカンチガイ女になってしまわないか?
全編が小さなエピソードの積み重ねのような物語なので、脚本を書いたクロウ監督の苦労は想像できる。アイデアをこれでもかこれでもかと搾り出したのに、できあがった全体像が面白くない。そんな印象だ。
(2006・08・22 宇都宮)
「みなさん、さようなら」
監督 ドゥニ・アルカン
出演 レミ・ジラール
ステファン・ルソー
マリー=ジョゼ・クローズ
(2003年/カナダ・フランス)
2003年度アカデミー賞外国映画賞をはじめ、数々の映画賞を受賞した佳品。
ロンドンで証券ディーラーとして活躍するセバスチャン(ステファン・ルソー)のもとに、カナダに住む父が余命いくばくもないという知らせが届く。大学教授だった父レミ(レミ・ジラール)は女癖の悪さが原因で母とは別居状態。セバスチャンも父を許せない気持ちのまま成人したが、劣悪な公立病院に入院している父の姿を見て、最初で最後の親孝行をはじめる。
女好きで口が悪く、ひとすじ縄ではいかないガンコな病人。誰もがお手上げの相手なのだが、「親孝行する」と決意した息子の行動力がすごい。環境の整ったアメリカの病院に行こうとしない父親のために、公立病院に多額の寄付をし、ミニキッチンまで備えた個室をリフォーム。そこに北米やヨーロッパから父の古い友人たちを呼び寄せ、病室はさながら洒落たサロンとなった。恩師が入院しても見舞いに来ない学生たちには、ひそかにアルバイト代を渡して見舞いに来させる(しかし、これは父親も裏を読んでいたのでは?)。さらに痛みに苦しむ父のために違法なドラッグを調達するのは、お金だけでなく身の危険も伴う行為だ。
言葉は交わさなくても行為でわかる父子の愛情。「おまえのような息子をもて」という父の最期の言葉が泣ける。延命処置を受けず、痛みを抑えながら、人生でいちばん幸せだったという湖畔の家で家族や友人に見守られながら最期を迎える。たくさんの管にがんじがらめにされて、病院で迎える最期よりはるかに幸せに見える。
親を見送るとき、どうするか? そして、自分がこの世を去るとき、どうしたいか?
この両面から考えさせられ、重いテーマなのに作品そのものの空気は重くない。脚本がよくできてるし、役者もうまいせいか。
それにしても、父を見送るために数ヵ月の休暇をとれる社会環境がうらやましい。日本では絶対不可能だ。死にゆく人には家族がつねについていてあげるべきだと思うが、見送った後の生活を考えるとそれすらできない現実が空しい。
(2006・08・21 宇都宮)
「秘密のかけら」
監督 アトム・エゴヤン
出演 ケヴィン・ベーコン
コリン・ファース
アリソン・ローマン
(2005年/カナダ・イギリス・アメリカ)
1950年代のアメリカ。人気絶頂のエンタテイナーデュオ・ラニー(ケヴィン・ベーコン)とヴィンス(コリン・ファース)が宿泊していたホテルの部屋で金髪美女の死体が発見された。事件の真相は謎に包まれ、これが原因でコンビは解散。15年後、若きジャーナリスト・カレン(アリソン・ローマン)は殺人事件の真実を探り、ラニーやヴィンスをはじめ、その周辺に取材を敢行する。しかしやがて蜘蛛の巣のような秘密の帳に取り込まれていき・・・
15年前の殺人事件の容疑者は、子どもの頃自分があこがれていたスターたち。彼らに取材する若い女性ジャーナリストの目を通して、少しずつ事件の真相が見えてくる。マフィア絡みやドラッグ、乱れた女性関係、果てはヴィンスの同性愛志向まで顔を出し、ショウビズ界の裏側を見せつける。
それにしても真相を暴いていく役どころのカレンが、いかにも若くて頼りない。ジャーナリストを名乗り、出版社や著名人を相手にするだけあって、同世代の女性と比べればやり手だが、百戦錬磨のラニーやヴィンスにしてみれば狼のもとにウサギが飛び込んできたようなもの。いくらネタがほしいからといっても、いくら相手に惹かれたからといっても、取材相手とカンタンに寝てはいけないんじゃないか? それに取材に行くのに、なぜあんな胸の開いたドレスを着ていく必要があるのか??? 若い女性の魅力を振りまけば確かに取材相手の口が割れやすいかもしれないが、それに伴う有象無象が必ず執筆のジャマになる。しかもドラッグを飲まされて、夢だか現実だかわからない世界で遊ばれてしまうんだから、どうしようもない。
それでも、物語のラストでカレンは真実を発見する。行動力はあるが、ジャーナリストとしてはお粗末な彼女が真実を手に入れたのはなぜ? そして、それが公表できないものであるのもお約束。
セクシーで、フシギな雰囲気に満ちていて、映画としては面白い。ただ、推理サスペンスを期待しない方がいい。
コリン・ファースが今までとは違った役どころに挑戦しており、コアなファンには少々ショックかも。アリソン・ローマンは体当たりの熱演。「ホワイト・オランダー」のイメージが強かったので、大人の女の演技にちょっと驚いた。
(2006・08・21 宇都宮)
「ある子供」
監督 ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
出演 ジェレミー・レニエ
デボラ・フランソワ
ジェレミー・スガール
(2005年/ベルギー・フランス)
2005年度カンヌ映画祭パルムドール受賞作。
20歳のブリュノ(ジェレミー・レニエ)は定職につかず、盗品を売りさばいてのその日暮らし。恋人ソニア(デボラ・フランソワ)との間に男の子が生まれるのだが、まるで盗んだカメラを売りさばくように赤ん坊を売ってしまう。その事実を知って卒倒するソニアの様子に、ブリュノは初めて事の重大さを悟り、赤ん坊を取り戻しに向かうのだが・・・
舞台はヨーロッパの地方都市。高校生のような若いカップルに、赤ちゃんが誕生する。母親の自覚にめざめる少女と比べて、父親である若者はあまりにも幼かった。赤ん坊が高く売れると知り、生活のためにあっさり手放してしまう。
驚いたのは、父親のブリュノにまったく悪気がないこと。ソニアから「あなたにそっくりでしょ?」といわれても、なんの感慨も持てない。赤ん坊が売られたことを知り、パニックを起こすソニアを「また子どもはできるから」と大真面目に説得しようとする。しかし、父親の自覚はなくても、ソニアへの愛は本物。彼女が悲しむ様子を見て、必死で赤ん坊を取り戻そうとする姿は愚かだが憎みきれない。ほかにも、こそ泥で生計を立てながらもワルになりきれないブリュノの人間像が丁寧に描かれている。
冒頭から思わず画面に見入ってしまうのは、若さが危ういストーリーだけではない。まるで現実の出来事のような映像に引き込まれた。見る者がブリュノとともにバスに乗り、取引場所の廃屋に向かっているかのようなリアルさ。冬の川辺の冷たい空気が見る者の肺に突き刺さるような臨場感。これはいったいどういう画面の作用なのだろう?
ダルデンヌ監督の母国であるベルギーの若者の失業率は20%に達しているという。ブリュノの生活基盤のなさ、競争に敗れた若者が放置されている現状は、そんな社会環境の上にある。経済力もないまま親になってしまう若者たち。これは対岸の火事ではない。
日本の若者も同じ感覚で同棲し、たまたま子どもができてしまい、持て余す人が少なくないのでは? 経済力のない夫婦に子どもは育てられないから、結局親を頼ったり施設に預けたり、ひどい場合は虐待を加えたり・・・若いカップルだけならなにをやっても食べていけるが、子どもは責任重大な現実。そこをわからないまま親になった者に共通の悲劇を見せてもらった。
(2006・08・12 宇都宮)
「オリバー・ツイスト」
監督 ロマン・ポランスキー
出演 バーニー・クラーク
ベン・キングズレー
ハリー・イーデン
(2005年/イギリス・フランス・チェコ)
いわずと知れたチャールズ・ディケンズの名作を、ロマン・ポランスキー監督が映画化した。
これまでさんざん映画化・舞台化されている作品だが、恥ずかしながら原作を読んだことがない。最後までストーリーを追ったのは本作が初めて。よくある“世界名作物語”のようなストーリーだが、オリバーの純真さ・ひたむきさに心惹かれ、それなりに最後まで楽しめた。
この映画の成功は主役のオリバー役次第。11歳の男の子には荷が重い大役だが・・・オリバー役のバーニー・クラークはまあとにかく健気でかわいい。必殺技は“憂いを含んだ表情”だ。オリバーがいろんなところで大人に気に入られる理由のひとつが“顔のきれいさ”だから、いつの時代も男も女も美形はトクである。
脇は名優ベン・キングズレーがすごい演技を見せているし、舞台となる19世紀ロンドンのバックストリートも、『戦場のピアニスト』の戦災で破壊されたワルシャワ並みに再現されている。この街並みの色合いが、なんともいえずヨーロッパ的。
それにしても、なぜポランスキー監督は『戦場のピアニスト』の次に『オリバー・ツイスト』を選んだのか? 公式HPによると、『戦場のピアニスト』があまりにも個人的な作品だったので、まったく視点を変えて子どもたちも楽しめる作品を、と考えたらしい。頻繁に映像化されているような気がするが、忠実な映画化は1948年のデヴィッド・リーン監督以来ないそうだ。なるほど、だから私もこれまでに全編を通して見たことがなかったのかと納得した。
(2006・07・21 宇都宮)
「ニュー・ワールド」
監督 テレンス・マリック
出演 コリン・ファレル
クオリアンカ・キルヒャー
クリスチャン・ベイル
(2005年/アメリカ)
「黄金の日々」「シン・レッド・ライン」のテレンス・マリック監督が久々にメガホンを取ったのは、イギリス人冒険家ジョン・スミスとネイティブ・アメリカンの娘ポカホンタスの有名なラブ・ストーリー。
1607年、黄金を探すイギリス海軍の艦隊が新大陸に上陸した。その一員であるジョン・スミス大尉(コリン・ファレル)は、ネイティブ・アメリカンの族長の娘ポカホンタス(クオリアンカ・キルヒャー)と恋に落ちる。しかし、イギリス人とネイティブ・アメリカンの関係は徐々に悪化し、ついには戦争状態に。双方の間に立ったポカホンタスは族長より追放され、イギリス軍の捕虜となる。ポカホンタスはスミスとの恋の成就を願うが、スミスはインド航路発見の旅へと出発し、やがて彼の死の知らせが届く。絶望の淵に沈んだポカホンタスを支えたのは、イギリス貴族ジョン・ロルフ(クリスチャン・ベイル)だった。彼のプロポーズを受け、やがて息子にも恵まれたポカホンタスは穏やかな日々を送っていたが、ある日スミスが生きていることを知る・・・
私自身、ポカホンタス伝説をよく知らないので、ストーリーそのものが新鮮だった。ストーリーは落ち着くべきところに落ち着くのだが、注目すべきは映像美と抒情詩のようなセリフとシーン展開。「黄金の日々」もそうだったが、新大陸の風景があくまでも美しく、数少ないセリフひとつひとつに深みがあり想像力をかきたてる。この時代のネイティブ・アメリカンの暮らしぶりは記録にほとんど残っていないだろうから、村での生活の様子やイギリス軍との戦闘シーンなどは、製作側もかなり苦労したのではないだろうか。自然の恵みに感謝し、穏やかに生きるネイティブの人々と、欲に目がくらみ権力闘争を繰り返すイギリス軍が対照的に描かれ、スミスの苦悩が重く伝わってくる。
異文化の初遭遇という歴史的にも稀有な瞬間に、偶然生まれてしまったポカホンタスの恋。時代や文化の違いを考えると、やはり成就は難しい。スミスがもっと家庭的な男だったら話は違っていたのかもしれないが。一方、クリスチャン・ベイル演じるジョン・ロルフは妻子を亡くした男で、ポカホンタスの喪失感を理解できた。一生を穏やかに愛されて過ごしたいなら迷うまでもない。
しかし、それでも迷うのが、やはり人間。ポカホンタスにイギリス流の生活を強いることができず、自分の死を計画的に伝えさせた男。自分をあきらめさせるためとはいえ、その残酷さは女性には耐えがたい。愛する男を亡くすぐらいなら、異文化の生活になじむ方がよほどラクなことをわかってない。
実は私もコリン・ファレルに惹かれてこの映画を見に行ったので、どうやってもスミスは魅力的に見える。生まれ育った種族と訣別してまで選ぶ相手は、やはりロルフではなくスミスなのだ。
異文化遭遇の歴史の中には、きっと無名のポカホンタスがたくさんいたことだろう。
(2006・05・27 宇都宮)
「Mr.&Mrs.スミス」
監督 ダグ・リーマン
出演 ブラッド・ピット
アンジェリーナ・ジョリー
ヴィンス・ヴォーン
(2005年/アメリカ)
ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーが殺し屋の夫婦を演じたアクション・コメディ。
南米のホテルで出会ったジョン(B・ピット)とジェーン(A・ジョリー)。2人はあっという間に恋に落ち、結婚した。ところが、2人にはそれぞれ相手に決して明かすことのできない秘密があった。それは、彼らが別々の組織に属するプロの殺し屋であること。しかし、ある凶悪犯の殺害指令が2人に同時に下され、ヒットポイントで偶然相手に遭遇したことから、互いの職業を知ってしまう。ここから壮絶な夫婦の殺し合いがはじまるのだが・・・
あり得ない設定ながら、面白おかしくストーリーが進行し、アクションシーンも満載。B・ピットとA・ジョリーがとにかく美男美女でセクシーでカッコいい。凄腕の殺し屋が6年間の夫婦生活で相手の職業に気づかないはずはないだろうと思うのだが、主人公2人があり得ないぐらいカッコいいから、もうあり得ない設定も超越して楽しんでしまう。ちなみに、秘密の武器庫は夫が地下室で、妻はキッチンの電子レンジ。こんな超越した夫婦にも、性別によって役割分担されているのが笑える。
この映画がきっかけで親しくなった2人は、現在アフリカで出産に備えている。まさか本当にくっついてしまうとは・・・いったいどんな美形の子どもが誕生するのか。こんな想定外のエピソードまでついたオイシイ作品だ。
(2006・05・21 宇都宮)
「チャーリーとチョコレート工場」
監督 ティム・バートン
出演 ジョニー・デップ
フレディ・ハイモア
デヴィッド・ケリー
(2005年/アメリカ・イギリス)
チャーリー(フレディ・ハイモア)は両親と4人の祖父母と暮らしているが、生活はとても厳しく、大好きなチョコレートも誕生日にしか口にできない。ところが、チャーリーの家の近くには、世界一のチョコレート工場があった。謎に包まれたチョコレート工場だが、創業者のウィリー・ウォンカ(ジョニー・デップ)がある日、抽選で5人の子どもたちを工場に招待すると発表。その5人の中に奇跡的に選ばれたチャーリーだが、工場で見たものは・・・
監督がティム・バートンだから、荒唐無稽でファンタジックな作品なのだろうと思っていたら、まさに予想どおりの内容だった。おとぎ話の感覚で話がテンポよく進み、最後まで退屈しない。
ウィリー・ウォンカ役のジョニー・デップが個性的な人物を相変わらず上手に演じている。おかっぱ頭にシルクハットをかぶり、白塗り気味の顔、芝居じみた動き。原作のウィリー・ウォンカはもっと年配のイメージだが、J・デップが演じると可愛らしさが先に立つ。
また、チャーリー役のフレディ・ハイモアをはじめ、子役5人が好演。それぞれ個性を発揮し、憎たらしい子は本当に憎たらしく見えてしまうので、ウィリー・ウォンカならずとも懲らしめたくなる。
原作ではやや差別的なイメージのあるウンパ・ルンパについても、架空の種族に設定し、難を逃れた。このウンパ・ルンパの動きやダンスがビジュアル的に楽しい。
お子様向きの映画かと誤解される方もいるかもしれないが、大人でも充分楽しめる。気軽に色彩豊かな夢の世界を味わってみてはいかがだろうか。
(2006・05・20 宇都宮)
「ネバーランド」
監督 マーク・フォスター
出演 ジョニー・デップ
ケイト・ウィンスレット
ダスティン・ホフマン
(2004年/アメリカ・イギリス)
世界中の人々に愛される「ピーターパン」。その原作者ジェームズ・バリが「ピーターパン」を執筆したのは、ある一家との交流がきっかけだった。
人気劇作家として確固たる地位を築いていたバリ(ジョニー・デップ)だが、新作の評判は散々。スランプに悩む彼は、ある日公園を散歩中に4人兄弟とその母親(ケイト・ウィンスレット)と出会う。豊かな想像力を発揮して仲良く遊ぶ兄弟の中にあって、ひとり父親の死をひきずり、空想の世界を否定する三男ピーターが、バリの心を捉え・・・
「ピーターパン」が生まれた背景に、こうした実話があるとは知らなかった。空想の世界を否定する少年が、決して大人にならない永遠の少年ピーターパンのモデルになるとは面白い。ラスト近くに初演の舞台が再現されており、これも感動モノだ。
それにしても、ジョニー・デップはどんな役でもこなしてしまう。あるときはカリブの海賊。あるときはヤク中の刑事。そして今回はインテリ劇作家役で、静かに抑え目の演技を披露してくれた。ラダ・ミッチェル演じる妻との確執や、ケイト・ウィンスレット演じる未亡人への想いも、静かだが確実に観る者に伝わってくる。
「ピーターパン」を愛する人には、ぜひ押さえておいていただきたい作品だ。
(2006・03・13 宇都宮)
「ステルス」
監督 ロブ・コーエン
出演 ジョシュ・コーエン
ジェシカ・ビール
ジェイミー・フォックス
(2005年/アメリカ)
舞台は近未来のアメリカ。3機のステルス戦闘機に3人の鍛え上げられたトップガンが乗り込み、テロ対策チームの極秘任務を遂行することになった。ところが、抜群のチームワークを誇る彼らの前に、4人目の仲間が登場する。彼の名はEDI(エディ)。人工知能を搭載した新型ステルスだった・・・
コンピュータが操縦する戦闘機の登場に、訓練を重ねてきた人間たちが反感を持つのはお約束どおり。しかもこのEDI、経験を積んで自分で判断する能力まで搭載していたものだから、やがて人間の言うことを聞かなくなる。まるで「2001年宇宙の旅」のハル。ビジュアル表現までちょっと似ていて、40年近く昔のあの作品がいかに偉大だったか再認識した。
トップガンに女性が1人加わっているのもお約束なら、トップガン同士に恋愛感情が生まれるのもお約束。今どきの敵国は北朝鮮と国際的テロ組織しかないから、この2つ相手に闘うのもお約束。と、お約束どおりの作品である。
途中からややマンガじみた展開になるので、「トップガン」的な雰囲気を求める方にはお勧めできない。ただし、戦闘機マニアにはたまらない映像の連続だろう。
(2006・03・13 宇都宮)
「ヴェロニカ・ゲリン」
監督 ジョエル・シュマッカー
出演 ケイト・ブランシェット
ジェラルド・マクソーレイ
シアラン・ハインズ
(2003年/アメリカ)
1996年、アイルランドの女性記者が麻薬問題を告発し、麻薬組織に銃殺され殉職した。彼女の名はヴェロニカ・ゲリン。その実話の映画化だ。
ヴェロニカ・ゲリンを演じるのは、ケイト・ブランシェット。もう彼女以外にはあり得ない配役で、製作のジェリー・ブラッカイマーもケイトありきの作品だったとインタビューに答えている。
辣腕記者として仕事に邁進する一方、幼い男の子の母でもあったヴェロニカ。「おまえの子どもをさらって犯す」と脅されたとき、そして一人で家にいるところを突然の侵入者に撃たれたとき、仕事を辞めようとは思わなかったのだろうか。仕事はもちろん彼女の生きがい。しかし、それにも増して治安が悪化する一方の故郷ダブリンや、麻薬に溺れ壊れていく若者たちがいる反面、大儲けしている裏社会のボスがいることを考えたとき、ひとりの人間として行動せずにはいられなかったのだろう。その勇気。意志の強さ。そして仕事人としての才能・優秀さ・タフネスぶりには感服してしまう。子どもを持つ女性が人並み以上に働くためには周囲の協力が欠かせないが、ヴェロニカを支える夫や母親など彼女を取り巻く人々の愛情が感動的だった。
役者陣では、主役のケイト・ブランシェットはもちろん、悪役を演じたアイルランド人俳優ジェラルド・マクソーレイ、シアラン・ハインズがいずれも印象に残った。ジョエル・シュマッカー監督と「フォーン・ブース」で組んだコリン・ファレルがチョイ役で出演しており、アレキサンダー役との落差に笑えた。
(2006・03・10 宇都宮)
「ナルニア国物語 第1章:ライオンと魔女」
監督 アンドリュー・アダムソン
出演 ジョージー・ヘンリー
ウィリアム・モーズリー
ティルダ・スウィントン
(2005年/アメリカ)
「ディズニーがナルニアを映画化している」。その情報を最初に聞いたのは、「ロード・オブ・ザ・リング」第3部がロードショーされていた頃だったか。C.S.ルイス原作のナルニアシリーズはイギリスが誇るファンタジーの傑作で、私の中ではトールキンの「ロード・オブ・ザ・リング」と双璧の存在。「ロード・オブ・ザ・リング」が映画化できたのだから、ナルニアシリーズも映画化できないわけがない。そう思っていたら、春の訪れとともにナルニアがやって来た。
そんな状況だから、作品を観ての感想はどうしても「ロード・・・」と重なってしまう。子どもの頃に夢中で読んだ本の世界が、目の前にビジュアルとなって広がる。その感動というのは、ナルニアの愛読者なら誰もが味わうものだろう。衣裳ダンスを見ただけで泣けてくるし、街灯を見たときは子どもに返った気分。戦闘シーンは原作ではもっとあっさりと描かれているが、映画ではクライマックスになってしまう(「ロード・・・」もそうだったが)。現代のこどもがいきなり剣で闘うなんて所詮ムリがあるのだが、ナルニアの場合、作品そのものの持つ夢の力(魔力と言い換えてもいいが)がそれを許してしまう。
役者についえは、白い魔女役のティルダ・スウィントンが素晴らしい。フォーンのタムナスさん役のジェームズ・マカヴォイもまさにイメージ通り! この2人を否定するナルニアファンはいないのではないか。
映画の出来を左右するのは、4人の子役のキャスティングだろう。2年間かけてイギリス全土から探し出した4人は、いずれも素朴で、どこにでもいそうな子どもたちだ。末っ子のルーシィ役のジョージー・ヘンリーが本当に表情が豊かで、ナルニアにいる喜びを全身で表現している。原作のルーシィとはイメージが違うと感じる方もおられるだろうが、私は彼女の表情を見て「このルーシィもありだな」と思った。最後まで決まらなかったのがエドマンド役だったらしいが、それも納得できる。エドマンドが持つ影の部分と、それを乗り越えての成長を予感させるキャスティングというのは難しい。
当初、現代アメリカを舞台にハリウッドの有名子役を使う案もあったそうだが、「ロード・・・」「ハリー・ポッター」シリーズの大成功がこれに歯止めをかけてくれた。イギリスで生まれた作品をイギリスを舞台にイギリスの子どもたちが演じる。この当たり前の構図も危うい状況だったと知ったときは、背筋が寒くなった。現代アメリカからナルニア? もうそれだけで興醒めだ。優れた文学作品が生まれるには、必ずその土壌となる文化があるはず。背景となる文化を無視して、いい映画ができるわけもない。
今のところ、第3部までの映画化が決定している本シリーズ。「ハリー・ポッター」シリーズを見ても明らかなように、子役は映画よりも早く成長する。スピーディに撮影し、じっくり編集して、第2部を届けてほしい。第2部はどんなカスピアン王子が登場するのか楽しみだ。
(2006・03・10 宇都宮)
「アレキサンダー」
監督 オリヴァー・ストーン
出演 コリン・ファレル
アンジェリーナ・ジョリー
ヴァル・キルマー
(2004年/アメリカ)
オリヴァー・ストーン監督が製作費200億円をかけ、アレキサンダー大王の生涯を描いた大作。
誰もが知っているアレキサンダー大王の伝記映画なのだが、オリヴァー・ストーンだけあってフツーには作らない。父フィリッポス2世の暗殺により20歳で王位についたアレキサンダーが、そのわずか5年後にガウガメラの戦いでペルシャ帝国を滅ぼすまでの経緯をあっさりとナレーションですませ、その後の東征の様子が詳しく語られる。フツーに描けば、ペルシャ帝国滅亡までがアレキサンダーの生涯で最も輝かしい時期。その後の東征は部下たちの離反を招き、彼の突然の死に至るまで孤独と葛藤が続くため、ストーリー的には盛り上らない。しかし、人間としての彼の苦悩を描くために、敢えて晩年(といっても30前後の若さだが)にスポットを当てたのは面白い。
10年以上に渡る遠征に部下の将兵は疲れ果てているというのに、なぜ彼はどこまでも軍を進めようとしたのか? 個人的な征服欲や名誉欲のために各地で征服と虐殺を繰り返したと、歴史上の評価は低い。しかし、本作では飽くなき好奇心・探究心のようなものが主役のコリン・ファレルから感じ取れた。さらに、強烈な個性の持ち主である母オリンピアスから逃れようとする逃避願望も。
また、ストーリーの随所にアレキサンダーの同性愛志向が顔を出す。小学生の頃に彼の伝記を読んだ私は、「えっ、そうだったの?」と旧知の人間に意外な一面を見せられた気分だった。
そんなこんなで200億円かけた割にはアメリカでの評判が悪く、日本でもあまりヒットはしなかったが・・・・・・個人的には結構ハマッた。まず、コリン・ファレルとアンジェリーナ・ジョリーが熱演だ。この2人が親子役というのはかなりムリがあるのだが、A・ジョリーは“妖女”ぶりをいかんなく発揮していたし、C・ファレルが役の年齢とともに演技をどんどん変え、ストーリーが進むにつれ当初の違和感が薄れていく。アレキサンダー役にC・ファレルと最初に聞いたとき、「イメージじゃない。金髪のコリンなんて見たくない」と思ったが、ラストにはアレキサンダーそのものに見えていた。
そしてセリフ。歴史ものだから最初はとっつきにくいが、その詩的な表現に惹かれる。
各種レビューでも評判が悪い構成は、確かに1シーンが長過ぎる。父王暗殺の真相をラスト近くに持ってきたことは、アレキサンダーの謎を解く上で私は面白いと思ったが。
ちなみに、次はバズ・ラーマン監督+レオナルド・ディカプリオ主演のアレキサンダーが封切りされるらしい。比べるなと言われても絶対比べられるこの対決。ディカプリオのアレキサンダーが今から楽しみだ。
(2006・03・09 宇都宮)
「コンスタンティン」
監督 フランシス・ローレンス
出演 キアヌ・リーブス
レイチェル・ワイズ
シア・ラブーフ
(2005年/アメリカ)
キアヌ・リーブスがスゴ腕の悪魔祓いに扮し、地上で繰り広げられる天使と悪魔の戦いを描く。
コンスタンティン(キアヌ・リーブス)は2分間だけ自殺に成功し、あの世を見たことで特殊な能力を持つようになった男。エクソシストとして活動するが、ある日友人の神父に頼まれた悪魔祓いで、天国と地獄の均衡が破れかけていることを知る。そこへ双子の妹の死の真相を調べる女刑事アンジェラ(レイチェル・ワイズ)が助けを求めにやってきた。コンスタンティンはアンジェラこそ地上の平安を守る鍵となる人物と知り・・・
「マトリックス」シリーズで一世を風靡したキアヌ・リーブスが、次に選んだ作品はエクソシスト。「マトリックス」に勝るとも劣らぬ破天荒なストーリーで、映像も似通っている。
神と悪魔の代理戦争とでもいうのか、天使も悪魔も人間の姿を借りており、やることも人間っぽい。確か聖書では、人は神の姿に似せて創られたことになっていたので、人間くさいのも当然なのか。このあたり、神に超越した存在を求める東洋的発想のアタマには違和感があるかもしれない。
面白い作品だが、「マトリックス」ほどのパワーはない。キアヌ・リーブスはこの手のヒーロー役ばかりで、すっかり色がついてしまった。ヒーローはどうしても年齢制限があるので、これからはヒューマンドラマでも新境地を開いてもらいたい。
(2006・02・26 宇都宮)
「21g」
監督 アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
出演 ショーン・ペン
ナオミ・ワッツ
ベニチオ・デル・トロ
(2003年/アメリカ)
人が死ぬとき、21gだけ体重が減ると言われている。21gとは、魂の重さなのだろうか。
ショーン・ペン、ナオミ・ワッツ、ベニチオ・デル・トロと演技達者3人を主役に据えた、重い重いテーマの人間ドラマ。
建築家の夫、2人の娘と幸せに暮らしていた主婦クリスティーナ(ナオミ・ワッツ)は、突然のひき逃げ事故で夫と娘たちを失う。夫の心臓は余命1ヵ月の患者ポール(ショーン・ペン)に移植された。やがてポールは自分を救ってくれた心臓の持ち主を突き止め、ひとり残された美しい妻に心惹かれていく。一方、交通事故を起こしてその場から逃走したジャック(ベニチオ・デル・トロ)は人生の大半を刑務所で過ごし、今はボランティアの神父として奉仕活動をする男。養わねばならない妻と子どもたちを前に、ジャックは自首すべきかどうか苦悶し続け・・・
突然の事故で家族を奪われ、不幸のどん底に突き落とされた女性。数ヵ月後、彼女の前に見知らぬ男が現れ、やがて夫の代わりとなっていく。しかし、ひき逃げ犯が明らかになったとき、3人は破滅の淵へと一直線に進んでいく。
主役3人が実によく描けた脚本で、感服した。3人それぞれの家族や暮らしぶり、これまでの生活背景が細やかに描かれていて、単純に人の善悪を割り切れないもどかしさのようなものが常にひっかかる。でも、人間なんてそれが当たり前。勧善懲悪ドラマのように、善と悪がハッキリ分かれることなんて、実生活では滅多にない。また、脚本に応えてか、主役3人の演技が素晴らしかった。
主役3人のうち、女性の立場だと、どうしてもクリスティーナに感情移入してしまう。絶望的なラストシーンの中で、彼女に小さな希望が芽生えたことがうれしかった。ジャックの人物像も面白い。底が見えない無気味さを感じさせる。124分の1/3では、彼の裏側までとても描ききれないだろうが。
それにしても、時間軸をバラバラにした構成はいかがなものか。私はあらかじめストーリーを知っていたから勘違いすることなく見られたが、なにも情報がないまま観た人はなにがなんだかわからないだろう。ラストシーンを冒頭に持ってきて、あとはそのまま見せても充分ドラマチックだと思うのだが。
(2006・02・26 宇都宮)
「永遠のマリア・カラス」
監督 フランコ・ゼフィレッリ
出演 ファニー・アルダン
ジェレミー・アイアンズ
ジョーン・ブロウライト
(2002年/イタリア・フランス・イギリス・ルーマニア・スペイン)
伝説の歌姫マリア・カラスと親しかったというフランコ・ゼフィレッリ監督が、カラスへの想いを映画にした。ストーリーは、事実に監督の想像を加えているという。
1977年、マリア・カラス(ファニー・アルダン)は自慢の声を失い、愛人であるオナシスとも死別し、パリで隠遁生活を送っていた。プロデューサーのラリー(ジェレミー・アイアンズ)はそんなカラスを復活させようと、オペラ「カルメン」映画化の主演を持ちかけるが・・・
「蝶々夫人」「椿姫」「トスカ」など名だたるオペラの名曲が、全編カラスの歌声で楽しめるので、オペラ好きにはそれだけで値打ちがありそう。また、劇中劇のかたちで演じられる「カルメン」のシーンで、ゼフィレッリ監督の手腕がここぞとばかりに発揮されている。現代劇では古臭く感じられる映像が、歴史劇になるとなぜあんなに生き生きと描かれるのだろうか。
カラス役のファニー・アルダンは、とにかく華がある。孤独でわがままな女王さま役だが、彼女が演じると「この人がそうしたいなら、しかたないか」と納得させられてしまう。ジェレミー・アイアンズは派手でリッチで多忙なプロデューサー役を好演。作品のたびに違う人物になりきる役者っぷりに、ため息が出た。
(2006・02・19 宇都宮)
「名もなきアフリカの地で」
監督 カロリーヌ・リンク
出演 ユリアーネ・ケーラー
メラーブ・ミニッゼ
レア・クルカ
(2001年/ドイツ)
1938年、ナチスがユダヤ人迫害政策を露わにしはじめた時代。ホテル経営者の祖父、弁護士の父のもと、何不自由なく暮らしていた少女レギーナ(レア・クルカ)は、両親とともにアフリカ・ケニアの地に移住することになる。サバンナの貧しい小屋で、ケニア人使用人とともに暮らす生活に、母イエッテル(ユリアーネ・ケーラー)は拒否反応を示すが、レギーナは現地の子どもたちともすぐに馴染み、言葉を覚え、アフリカの子としてたくましく育っていく。
少女の成長物語だと思って鑑賞しはじめたのだが、真の主人公は母親のイエッテルなのだと、しばらくして気がついた。故郷の生活や残してきた父や妹を懐かしがり、ケニアの暮らしになじもうとしない女性。自ら蒙ってきた差別意識をケニア人に対して抱いていた女性。そんな女性が農園経営に生きがいを見い出し、やがてケニアの人々と心を通わせるようになっていく。
夫婦の関係もストーリーの隠れた縦軸だ。ドイツではインテリ弁護士だった夫も、ケニアではなんの役にも立たない。愛する妻から拒絶され、孤独と猜疑心に苛まれる姿は見ていて切ない。しかし、結果的にこの夫の選択が一家の命を救った。ドイツに残った祖父たちはみな強制収容所で命を落とし、その悲報は遠くアフリカまで届く。
重い内容なのに映像は明るく、淡々とした演出でストーリー展開も速い。なにより救われるのは、子どもたちが明るく元気なことと、ケニアの人々があくまでも優しく、心広く描かれていること。特にケニア人使用人とレギーナの心の交流が胸を打つ。
鑑賞後に知ったのだが、本作は第75回アカデミー賞最優秀外国語映画賞を受賞していたらしい。そんなことを抜きにしても、多くの人に観ていただきたい作品だ。
(2006・02・18 宇都宮)
「キングダム・オブ・ヘブン」
監督 リドリー・スコット
出演 オーランド・ブルーム
エヴァ・グリーン
ジェレミー・アイアンズ
(2005年/アメリカ)
「ロード・オブ・ザ・リング」で注目され、「パイレーツ・オブ・カリビアン」「トロイ」で大スターたちと共演を果たしたオーランド・ブルームが、ついに初主演した歴史スペクタクル。
12世紀のフランス。鍛冶屋の青年バリアン(オーランド・ブルーム)は、十字軍の将の1人であるイベリン卿(リーアム・ニーソン)から実の息子であることを告げられる。父の跡を継いで十字軍に参加することになったバリアンが訪れたエルサレムは、キリスト教の国王とイスラムの英雄サラディンとの間に、危うい和平が保たれていた。イスラムとの共存を望む国王に反して、エルサレムの利権を狙う騎士たちが暗躍。決戦が避けられない状況になり、バリアンはイベリン卿としてキリスト教軍の先頭に立つことになる。
全編に渡り、「とにかくオーリーを見ろ!」と言われ続けているような作品だ。
オーリー演じる主人公が人徳に優れ、生まれついての将軍の器という設定らしく、あれよあれよという間に鍛冶屋の青年がエルサレム防衛軍の将となる。鍛冶屋の教育しか受けていないはずなのに、なぜか剣術や軍略を身につけているのも不思議。
さらに、波乱万丈の物語のはずなのにストーリー自体に起伏があまりない。寡黙な無言実行型の主人公にひきずられてか、演出を抑え過ぎた感がある。リドリー・スコット作品と鑑賞後に知って驚いたぐらいだ。
まあしかし、美形を鑑賞するなら、こういうのもアリか? エルサレムの風景や戦闘シーンはさすがの出来なので、十字軍時代にタイムスリップ気分を味わう手もある(この時代を舞台にした映画ってあまり見かけない気がする。そもそも、十字軍は西洋世界でも恥ずべき歴史的事跡だから、映画にしづらいのかも)。昨今の中東情勢を見るにつけ、西側世界とイスラム世界の対立は、十字軍の時代からなにも進歩していないのではないかと思わせる。
役者陣では、オーリーの相手役を演じたエヴァ・グリーンがエキゾチックな美貌で今後も活躍しそう。ジェレミー・アイアンズも相変わらずウマイ。サラディン役のシリア人俳優ハッサン・マスードが渋い演技で一見の価値あり、だ。
(2006・02・19 宇都宮)
「イン・ハー・シューズ」
監督 カーティス・ハンソン
出演 キャメロン・ディアス
トニ・コレット
シャーリー・マクレーン
(2005年/アメリカ)
姉のローズ(トニ・コレット)は堅物の弁護士で、恋がうまくいかない。妹のマギー(キャメロン・ディアス)は美貌と抜群のプロポーションの持ち主だが、無職で無収入。2人は幼い頃に母を亡くし、父は再婚。仲のよい姉妹なのだが、マギーがローズの家に居候をはじめた頃から不協和音が聞こえはじめ・・・
美貌の妹は難読症のため、まともな職に就けない。姉のもとにころがりこみ、姉の靴だけでなく彼氏まで寝取ってしまうのだから、姉が怒るのも当たり前。一方、弁護士として認められていた姉も仕事仕事の毎日に空しさを感じてしまい、ついに法律事務所を辞めてしまう。
つまるところ、自分探し・生きがい探しに悩む女性の姿を、上手に描いた作品だ。妹の突飛な行動にやや驚くが、難読症という病気が明らかになると頭脳明晰な姉と比べられ続けた妹を哀れに思わされる。2時間11分を退屈させず、メリハリある構成に仕上げたのは、やはり監督と脚本の腕だろうか。ちなみに監督は「L.A.コンフィデンシャル」「8Mile」、脚本は「エリン・ブロコビッチ」を書いた人らしい。
ストーリーの転機となるのは、シャーリー・マクレーン扮する祖母のもとをマギーが訪れたときから。しかし、シャーリー・マクレーンのような経済力のあるサバけた祖母が、果たして現実にどれほど存在するのだろうか。このあたりは「やっぱり映画だねぇ」と、つぶやいてしまう。
(2006・01・09 宇都宮)
「ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月」
監督 ビーバン・キドロン
出演 レニー・ゼルウィガー
ヒュー・グラント
コリン・ファース
(2004年/アメリカ)
あのヒット作「ブリジット・ジョーンズの日記」がキャストもストーリーもそのままに復活した。
物語は前作から6週間と4日後からはじまる。ブリジット・ジョーンズ(レニー・ゼルウィガー)は恋人の弁護士マーク(コリン・ファース)とラブラブの毎日。ところが、ひょんなことからマークの浮気を疑い、2人はケンカ別れ。そこにTVレポーターに転職した昔の恋人ダニエル(ヒュー・グラント)が現れ、タイ長期ロケに同行することになり・・・
「恋は邪魔者」でナイス・バディーを披露していたレニー・ゼルウィガーがここでも女優根性を発揮し、10kg以上は太って(あくまでも推定だが)しっかり役づくりしている。ブリジットは相変わらずキュートでオッチョコチョイで好感度大。コリン・ファースもヒュー・グラントも期待を裏切らない役どころで、いわばお約束どおり。
そのためか、なにも起きない平穏な日常にあえて波風を立たせてみたような、わざとらしさがストーリー全体に付きまとう。ダニエルがTVリポーターに転職すること自体があり得ない設定に思えるのだが・・・
セリフに含まれるウィットも前作を超えることはなく、全体に平凡な出来だった。前作は20代30代の女性にすすめると好評だったので、ちょっと残念だ。
(2006・01・08 宇都宮)
「モンスター」
監督 パティ・ジェンキンス
出演 シャーリーズ・セロン
クリスティーナ・リッチ
ブルース・ダーン
(2003年/アメリカ・ドイツ)
シャーリーズ・セロンが醜い中年の娼婦を演じきり、アカデミー主演女優賞を受賞した話題作。
現在ハリウッドNo.1の正統派美人女優と私が思っているシャーリーズ・セロンが演じたのは、実在の連続殺人犯アイリーン。彼女になりきるため13キロも体重を増やし、本来の美人とはほど遠い容姿に変身しての演技は女優魂のカタマリだ。からだのラインは崩れ、顔も腫れぼったく肌も荒れ放題(もちろん特殊メイクが施されているが)の彼女を見ていると、「美しくなるのは大変だけど、醜くなるのは簡単かも」と思わないでもない。
身寄りもなく金もない娼婦アイリーンは、わずか数十ドルでからだを売って日銭を稼ぐ毎日だ。そんな夢も希望もない日々の中、バーで同性愛者の少女セルビー(クリスティーナ・リッチ)と出会い、人生が変わる。純粋に愛を求める彼女と、1日でも長くともに過ごそうと最後の客を取ったのだが、これがとんでもない暴力客でアイリーンは身を守るために銃で撃ち殺してしまう。その後もセルビーを養うためにアイリーンは客を取り続け、最初の犯罪を隠すために2度目の犯罪に手を染め、次から次へと罪を重ねていく。
アイリーンという人間像をどこまで描けるかが作品の出来の分かれ目だ。
家庭に恵まれず、愛情に飢え、愚かだが情が深いアイリーン。しかし、その愚かさが暴走をはじめると、見ていて居たたまれなくなる。
連続殺人を犯したことに言い訳はきかない。最初の犯罪は正当防衛でも、2度目以降は良心的な市民も殺している。一方、セルビーと暮らすために娼婦をやめて、まともな職業につきたいと、慣れない就職活動をする姿が痛々しい。学歴もコネもなく、娼婦の経験しかない中年女ができる仕事なんて、所詮限られている。その現実がわからず、とにかく行動する女性像が、(同世代としては)妙に心に迫るのだ。
セルビーの人間像も面白い。恵まれた家庭に育つが、同性愛者であることが普通の家庭に収まらせてくれない。しかも、感情的にも経済的にも依存心が強い。アイリーンに「おなかがすいた」と訴えるだけの彼女を見て、「おまえも働け!」と言いたくなった人は多いのではないだろうか。
求めるだけの者と、与え方を知らない者。最初から破綻は見えていた。
映画としては見終えた後の爽快感がないので、アイリーンに少しでも同調できる人しか厳しいかもしれない。
(2005・10・10 宇都宮)
「キングアーサー」
監督 アントワン・フークワ
出演 クライヴ・オーウェン
キーラ・ナイトレイ
ヨアン・グリフィス
(2004年/アメリカ)
あのジェリー・ブラッカイマー製作の歴史スペクタクル。さぞや絢爛豪華な戦闘シーンが続くのだろうと予想していたら、意外なストーリーにも驚かされた。
モチーフはもちろんアーサー王伝説。しかし、この作品では伝説の解釈を従来とは大きく変え、アーサーはローマ帝国からブリテンに遣わされた司令官。ローマからやって来た司教の命令に従わねばならない中間だ。ほかにも、魔法使いマーリンはアーサーの補佐役ではなくブリテン島原住民の長。グウィネヴィアはその娘で男勝りの戦士と、バンバン設定を変えている。
もちろん、伝説通りのアーサー王を今更見せられても面白くないので、新解釈は大歓迎。卑弥呼と同じでおそらく実在したのだろうが、詳しい史実はほとんど残っていないアーサー王だからこそ、大胆に設定変更もできる。この作品のアーサーや円卓の騎士たちはいかにも人間らしいし、戦いばかりの人生で女性に奥手のアーサーやランスロットを見るのも悪くない。
役者は全員イギリス出身者にこだわったそうで、アーサー王のクライヴ・オーウェン、ランスロットのヨアン・グリフィスはともに適役。キーラ・ナイトレイは18歳とは思えぬ妖艶さと美しさで、今後ますます活躍しそうだ。私は英語と米語の違いがよくわからないのだが、イギリス人俳優とアメリカ人俳優の違いはなんとなく嗅ぎ分けられる。持っている空気の違いなので、うまく表現できないが。日本人の私にわかるんだから、イギリス出身者に絞るのは大正解。アーサー王時代の物語にヤンキーがいたら、それはおかしいに違いない。
(2005・09・19 宇都宮)
「宇宙戦争」
監督 スティーヴン・スピルバーグ
出演 トム・クルーズ
ダコタ・ファニング
ティム・ロビンス
(2004年/アメリカ)
「ジョーズ」で人を怖がらせることにかけては天才的な手腕を見せたスピルバーグ監督が、巨大ザメを宇宙からの突然の侵略者に替えて、久々に怖がらせてくれた。
港湾労働者のレイ(トム・クルーズ)が別れた妻から2人の子どもを預かった日、アメリカ東部は異常な天候に見舞われる。突然青空に暗い雲が巻き起こり、同じ場所に何度も雷が落ちる。やがて落雷場所の地中から、それまで見たこともないタコ足型の戦闘機械が現れ、人類に無差別攻撃を加える。これはアメリカだけでなく、世界16カ国で同時に開始されたエイリアンの侵略行為だった。
これまでのインベーダーものと決定的に違うのは、主人公が学者でも空軍パイロットでもFBIでもない、一介の労働者だということ。すべての電力が落ち、テレビもラジオもない世界で、一介の庶民はなんの情報ももたないまま、エイリアンの攻撃から逃げ惑うだけだ。反撃体制が整うまでは政府も軍隊もアテにならないから、主人公は自分のカンと才覚だけで子どもたちを守ろうとする。
当然ながら、観客も主人公とともに必死で逃げ回りながら、「あれは一体なに?」とその正体をいぶかり続けなければならない。答えは時折、断片的にもたらされる。偶然出会ったテレビクルーから、生き残りの住民から、戦闘中の州兵から。エイリアンの詳しい背景を知りたい向きにはフラストレーションがたまる展開だが、相手の正体がわからない方が恐怖感は間違いなくアップする。これもスピルバーグがデビュー作「激突!」で用いた手法と同じ。観客の恐怖は娘役のダコタ・ファニングが代弁するが、この演技がメチャクチャうまい。
SFアドベンチャーを期待して見に行ったら肩透かしを食う。これはSFというよりホラーだ。小学生以下のお子さんは悪い夢を見るかもしれないから、避けた方が無難かも。
(2005・08・22 宇都宮)
「スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐」
監督 ジョージ・ルーカス
出演 ユアン・マクレガー
ナタリー・ポートマン
ヘイデン・クリステンセン
(2004年/アメリカ)
ついにスター・ウォーズが完結した。
最初にエピソード4を見たとき、私は高校生だった。特撮(当時はそう呼んだ)技術のすごさにビックリしたが、ストーリー自体は単純な冒険活劇で、エピソード6で「ルークとレイアは双子の兄妹」というオチがついたときは、「そりゃないだろう。少女マンガじゃあるまいし」と思ったものだ。
しかし、文句を言いつつ6作すべて映画館に足を運んで見たシリーズというのは他にない。しかも20数年という長い時間をかけて。
映像技術は作品ごとに進化し、本作ものっけからスゴイ。まるで自分がジェダイの騎士になって空中戦を闘っている気分が味わえる。次から次へと登場するエイリアンたちも作り物っぽさが少なくなった(でもCGよりマペットのヨーダがなつかしいのは私だけではないだろう)。懐かしい顔ぶれも多数登場するので、SWファンにはたまらない内容だ。
ストーリーも全6作のうちで、いちばん見ごたえがあった。善意の人間が悪に落ちていく過程という、深いテーマを扱ったためかもしれない。でも、ワタシ的にはアナキンがダース・ベイダーになっていく過程に、もうひとつ説得力がほしかった。愛する女性を救うためという動機はいいのだが(というか、それしかないだろう)、悪に落ちるまでにもっと逡巡や疑問がなかったのか。評議員になれないという不満も俗っぽすぎるような・・・ジェダイの騎士なのに単純すぎやしないか。
本作がSW第1作に続くことは誰もが承知しているのであえて書くが、ラストシーンは砂の惑星タトゥーイン。ここでオビワンが赤ん坊のルークを叔父夫婦に預けるところで物語は完結する。おなじみの砂漠にポツンと建つ丸屋根の家を見たとき、なんともいえない懐かしさが胸に迫った。高校生だった私が見た風景が、今そこにある・・・時間をかけて創り上げたシリーズは、観客の人生とも重なるもの。エピソード7以降が見れないのは残念だが、ジョージ・ルーカスに「お疲れさま」と言ってあげたい。
(2005・08・22 宇都宮)
「メリンダとメリンダ」
監督 ウッディ・アレン
出演 ラダ・ミッチェル
クロエ・セヴィニー
キウェテル・イジョフォー
(2004年/アメリカ)
恋愛映画の達人・ウッディ・アレンの最新作。
ニューヨークのレストランで劇作家たちが議論を繰り広げていた。テーマは「人生は喜劇か? それとも悲劇か?」。コメディ作家は喜劇だといい、シリアス作家は悲劇だと主張し、結論が出ない。そこで、彼らは同じ設定から喜劇と悲劇のストーリーを即興で展開した。主人公の名はメリンダ。ニューヨークのとあるマンションで開かれているパーティに、突然やって来る。喜劇編のメリンダは、たちまちパーティのメンバーを魅了し、その家の夫のハートまで掴んでしまう。でも、メリンダはなかなか彼の気持ちに気づかない。一方、悲劇編のメリンダは、離婚した夫との親権争いの真っ只中。精神が不安定な上に、心配する親友が紹介してくれた男に興味がもてない。しかし、ある日出会ったピアニストと恋に落ち、一時は幸せをつかんだかに見えたが・・・
喜劇編と悲劇編が交互に進み、主役のメリンダだけ同じ女優が演じる。ついでに脇も同じキャストにしても面白かったのでは?
通常なら観客は自分をメリンダと重ね、喜劇の人生を選ぶか、それとも悲劇の人生を選ぶか考えながら見ると思うのだが、悲劇の人生がひどすぎて迷う対象にもならない。かといって、参考にするほどの教訓もない。人生楽しいに越したことないではないか。悲劇のメリンダ、いったいなにやってるわけ?という印象だ。
おそらく人生は悲劇でも喜劇でもない。運のいい人悪い人は確かに存在するが、本人がどう感じるかだけの問題。ウッディ・アレンもそんなことは百も承知でこの映画を作り、ドラマづくりのメソッドを楽しんでいるだけに思えるのだが。
(2005・08・18 宇都宮)
「世界の中心で、愛をさけぶ」
監督 行定 勲
出演 大沢 たかお
柴崎 コウ
森山 未來
(2004年/日本)
2004年に大ヒットした日本映画をようやく見た。
あれだけヒットしたんだから、さぞかし感動させてくれるんだろうと思ったら、正直なところ期待外れだった。
ビデオを観た後、原作も読んでみたのだが、原作の持つ泣きたくなるような切なさや繊細さ、主人公の心のひだの描写が、残念ながら映画では表現しきれていない。大好きな人がこの世からいなくなる・・・それが悲しいのは当たり前。未来ある若者が心ならずも死んでいくシーンを見せられたら、誰だって悲しくなるし涙も出る。死んでいく人から「悲しまないでね」と云われたら、余計悲しくなるのが人情というもの。しかし、映画はそこから先の主人公の喪失感が描けていないように思う。
また、原作にはなく映画にだけ登場するファクターとして、恋人たちが自分の想いを吹き込んだカセットテープがある。原作の一人称で淡々と語られる想いをどうにか表現しようと、テープという手段をとったのかもしれないが、「私ならやらないだろうな」という距離感が残った。論理的に話す訓練をしていない人が、テープを前になかなかしゃべれるものではないのでは? むしろ手紙に書いた方がいい(と思うのは、私が書く仕事をしてるせい?)。
この作品があれだけヒットしたということは、やっぱり世の中では"純愛"が求められているんだろう。そんなに少ないのか、"純愛"?
(2005・08・15 宇都宮)
「シティ・オブ・ゴッド」
監督 フェルナンド・メイレレス
出演 アレキサンドレ・ロドリゲス
レアンドロ・フィルミノ・ダ・オラ
セウ・ジョルジ
(2002年/ブラジル)
1960年代、リオデジャネイロ郊外の町シティ・オブ・ゴッド。そこにはスラムから流れてきた者たちが住み、ドラッグ、強盗、強姦、殺人など犯罪ならなんでもありの極悪地帯だ。シティ・オブ・ゴッドに住む子どもたちは幼い頃から凶悪犯罪を目の当たりにして育ち、いつかこの町を出てまともな暮らしをすることを、あるいはギャングのボスになることを夢見る。カメラマン志望の少年ブスカベと、子どもの頃からリオ一のギャングになると公言し、殺しを繰り返してきたリトル・ゼを中心に、シティ・オブ・ゴッドの10数年間に渡る権力闘争を描く。
・・・・・・いやはや仰天した。
2時間10分の上映時間中、とにかく銃乱射と殺戮の繰り返し。しかも、10歳になるかならずの子どもたちがマフィアの手先になって殺し合いを演じるのだ。良識もへったくれもあったもんじゃない。
しかし、悲惨なシーンの連続を軽いタッチでテンポよく見せる演出は面白い。一見オムニバス風の構成も斬新だ。登場人物が多すぎて覚えきれないところもあったが、勢いで最後まで見せてしまう。
ドライで抜け目がなくて、でも人なつこくて底抜けに明るい。南米というのは魅力的な風土だと改めて感じた。
(2005・05・24 宇都宮)
「アイ,ロボット」
監督 アレックス・プロヤス
出演 ウィル・スミス
ブリジット・モイナハン
ブルース・グリーンウッド
(2003年/アメリカ)
アイザック・アシモフの名作「われはロボット」をベースに、近未来のロボットと人間との共存をテーマに描いたSF作品。
「われはロボット」はロボット3原則※を、初めて世に送り出したエポックメイキングな短編小説。ロボット3原則は小説の中の定義だったのに、今や現実のロボット工学でも基本方針となっているそうだ。本作は守られるべきロボット3原則が守られなくなったときの、人間社会の危うさを描く。
2035年、日常生活の中でロボットは欠かせない存在になっていた。そんな折、全米一のロボットメーカー・U.S.ロボティックス社で、ロボット開発の第一人者が殺される。殺人容疑で拘留されたのはNS-5型ロボットのサニー。しかし、ロボットに人は殺せないはず。疑問を持った刑事のスプーナー(ウィル・スミス)は、やがて人類存亡がかかった事実に突き当たる。
最近、SF映画が少なくなったと感じていたが、久々に本格的で面白い作品に出会えた。
アシモフはSF界きってのストーリーテラーで、私も子どもの頃から大好きな作家。しかし、「われはロボット」は短編だからどう肉付けしているんだろう、と思ったら・・・よくできた脚本で、最後のドンデン返しまで息もつかせず見せてくれた。最初の脚本が書き下ろされたのが10年前というから、長きに渡って練りに練られた結果だろう。
NS-5型ロボットの動きをここまでなめらかに、躍動的に見せることができたのはCG技術の進歩のおかげ。しかし、CGのロボットになにか淋しさを感じてしまうのは私だけだろうか? 人型ロボットは現実世界でももう動き始めている。いつか本物のロボットがキャスティングされた映画が見られるようになるのだろう。
主役のウィル・スミスがロボット嫌いの殺人課刑事を熱演。コメディタッチの作品が多かっただけに、シリアスな演技が印象的だった。
※ロボット3原則・・・「1、ロボットは人に危害を加えてはならない。2、ロボットは人の命令に服従しなければならない。ただし、1に反する命令はこの限りではない。3、1または2に反するおそれのない限り、ロボットは自己を守らなければならない」
(2005・05・23 宇都宮)
「ホワイト・オランダー」
監督 ピーター・コズミンスキー
出演 ミシェル・ファイファー
レニー・ゼルウィガー
アリソン・ローマン
(2002年/アメリカ)
15歳のアストリッド(アリソン・ローマン)は美しい母イングリッド(ミシェル・ファイファー)と2人暮らし。ところが、イングリッドが恋人殺しの容疑で服役し、アストリッドは里親のもとを転々とすることに。1人目の里親はオトコに入れあげてばかりの中年女。2人目は売れない女優。3人目は里子たちに酒やドラッグを教える。そんな中でも新しい環境に慣れ、大人になっていく娘を見て、イングリッドは「他人を信じちゃダメ。私だけを信頼して」と自分につなぎとめようとするが・・・
後味があまりよくないドラマだ。
美しく、男性にモテる母。美しさを受け継いだものの、母に対するコンプレックスや依存心が抜けない娘。そのままなら共依存の関係が続いていったのだろうが、母の犯罪で母子が無理やり引き裂かれたところから、娘の成長物語になる。
里親の個性もそれぞれ強烈だ。「こんなところでマトモな子どもが育つのか?」と、たまらない気持ちになるが、子どもはたくましい。それなりに居場所を見つけ、新しい環境に懸命に馴染もうとする。それだけに、娘の足を引っ張る母親の言動が許せない。自分は育児放棄をしながら、いざ子どもが離れようとすると、どうにかして自分の影響下に置こうとするのは、洋の東西を問わず同じらしい。
ミシェル・ファイファーは相変わらずキレイで、家庭的でない女がよく似合う。レニー・ゼルウィガーは意外な役どころで登場し、個性を発揮していた。しかし、この映画の主役はなんといっても娘役のアリソン・ローマン。堂々とした演じっぷりで、ラストまで飽きさせなかった。
(2005・05・23 宇都宮)
「デブラ・ウィンガーを探して」
監督 ロザンナ・アークエット
(2002年/アメリカ)
「グラン・ブルー」などで知られる女優ロザンナ・アークエットは6歳の娘を持つ母親。幼い子どもに「ママ、仕事に行かないで」と足にすがりついて泣かれたとき、女優と家庭の両立は無理なのかと深く悩んでしまう。その答えを探して、34人の有名女優を訪ねて質問する様子を撮影したのがこの作品。デブラ・ウィンガーはその象徴的な存在で、「愛と青春の旅立ち」などで若くしてトップ女優に君臨したものの、人気絶頂時に女優業を引退。その後、銀幕に復帰することなく現在に至っている。
家庭? それとも仕事? こんなありふれた質問に、ハリウッドの有名女優たちが真剣に悩み続けている姿にまず驚く。ハリウッドで女優として成功すること自体が、世界中の憧れであり、数百万人に1人の幸運のはず。それなのに、彼女たちはわが子のために魅力的な仕事を断り、断った作品が世界的な大ヒット作になったときは1人で落ち込んでしまう。
また、引退を考えた経験のある女優が少なくないことにも驚いた。子どものために一時的に引退したら、復帰したくとも2年間オーディションの話すら来なかったという現実。あのバネッサ・レッドグレーブが「引退はできない。生活があるから」と語ったのにもビックリ。ハリウッドで成功すれば、一生遊んで暮らせるぐらいの財産が残ると思っていたが、どうもそうではないらしい。
家庭と仕事の両立というテーマで始まったロザンナの旅だが、やがてその話題は「40を過ぎて女優を続けるのは、なぜこんなに難しいのか?」という方向に進んでいく。若くてキレイな頃はいろんな役が来る。年老いて性格女優になれれば、それなりに居場所がある。ところが、その間の40代、50代の女優は仕事がない。かといって、生活のためにつまらない作品に出るのも、クリエイターとしては辛い・・・こんな悩みをハリウッドの有名女優たちが口々に語るのだから、もうこたえられない! 容姿が武器のひとつなだけに、その問いは実に深刻だ。インタビュー相手にシャロン・ストーンやメグ・ライアン、エマニュエル・ベアールあたりを入れたのも憎い。いずれも美貌やセックスアピールでは通用しない年齢に差しかかっており、女優としての方向転換を迫られているから。
最後まで見て、質問の答えを得られるかどうかは、見る人次第。私自身は子どもがいないので両立に悩むことはないが、等身大の女優をかいま見れたのがとてもよかった。トリを飾ったジェーン・フォンダが女優業の素晴らしさを熱っぽく語ったのが印象的だ。こんなに創造的で評価を与えられる仕事を持っている34人の女性たち。それだけでとても素敵に見えた。
(2005・05・08 宇都宮)
「シャーロット・グレイ」
監督 ジリアン・アームストロング
出演 ケイト・ブランシェット
ビリー・クラダップ
マイケル・ガンボン
(2001年/イギリス・ドイツ・オーストラリア)
ケイト・ブランシェットの出演する映画にハズレはない。最近、そう確信するようになった。第二次大戦中の女スパイを描いたこの作品も、地味ではあるが見ごたえがあった。
ロンドンで看護婦をしていたシャーロット・グレイ(ケイト・ブランシェット)は、フランス語に堪能なことから、イギリス諜報部にスカウトされる。折から恋人のパイロットがフランス戦線で行方不明になり、シャーロットはフランスでの作戦に志願。フランス人になりすまし、現地の共産党員ジュリアン(ビリー・クラダップ)とともにレジスタンス活動に身を投じる一方、恋人の消息を探し続けるが、彼の死亡の知らせが届く。いつ誰に密告され、抹殺されるかわからないスパイ活動を続けるうちに、やがてシャーロットの中に「自分にもなにかできるはず」という想いが芽生え・・・
第二次大戦、特にナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺は、戦争というものの悲惨さをあますところなく伝えてくれる。「戦場のピアニスト」もそうだったし、「僕の神さま」も「シンドラーのリスト」もそうだった。本作でもジュリアンが匿ったユダヤ人兄弟が大きなエピソードを占めており、幼い子どもにこんなに辛い想いをさせる戦争への憎しみが消えない。
その戦争を終わらせるべくレジスタンス活動をするシャーロットとジュリアンが、命がけの行為を経て愛し合うようになるのは必然的な流れ。お互いの能力や情熱、人間性に対する尊敬が根底にあるから、薄っぺらな恋愛とはまるで違う。ネタバレになるので書けないが、ラスト近くで胸を打つシーンが連続し、恋愛・戦争・人生について考えさせてくれる。
監督のジリアン・アームストロングとケイト・ブランシェットは「オスカーとルシンダ」の名コンビ。そういえば「オスカーとルシンダ」も、淡々とした演出なのに心に残る作品だった。
(2005・05・06 宇都宮)
「白いカラス」
監督 ロバート・ベントン
出演 アンソニー・ホプキンス
ニコール・キッドマン
ゲイリー・シニーズ
(2003年/アメリカ)
大学の古典教授にして学部長でもあるシルク(アンソニー・ホプキンス)は、黒人差別発言の汚名を着せられ、大学を追われてしまう。失意の日々を送る彼が出会ったのは、大学の掃除婦・フォーニア(ニコール・キッドマン)。身寄りもなく肉体労働に明け暮れる彼女との関係が深まるにつれ、シルクの周囲の雑音は増していき…
老教授と34歳の孤独な女の恋愛ストーリー、と一概に言えないのがこの作品のミソ。
シルクの若かりし頃の回想シーンが随所に挟まれ、彼がなぜ大学を追われてしまったのか、その遠因と彼が一生背負うことになった秘密が徐々に明かされていく。フォーニアも子どもの頃から性的虐待を受け、結婚後もDV夫に苦しみ、子どもを自らの過失で亡くした過去を持つ女。お互い簡単には口にできない過去を持つ者同士、偶然出会って惹かれあって…となると恋愛映画なのだが、アメリカ社会の根強い黒人差別が背景にあり、その理不尽さがあまりにも強烈なため、恋愛部分がぶっ飛んでしまった感がある。
シルクの秘密に関してはネタバレになるので敢えてここには書かないが、フォーニアとの恋愛シーンも結構生々しい。孤独な女が初対面の老人をベッドに誘い、老人とのセックスを「完璧」と言い切る。一方、老人はバイアグラを飲んで若い女性と関係を持ち、別れ話には「別れられない」と首を振る。私の理解の及ばない部分もあるが、理屈抜きで魂が惹かれあうのが恋というもの。一緒にいるだけで生涯背負うと思っていた心の傷が癒されるとなれば、それは離れられないだろう。むしろ、そうした運命の相手に出会えないまま一生を終える人も多いはず。年齢や立場を超えて出会い、貫き通した姿は確かに純愛かもしれない。
アンソニー・ホプキンスはすっかりおじいちゃんになってしまったが、演技の幅が広いので役柄を固定されることがなく、毎回楽しませてくれる。ニコール・キッドマンはやはりこういう蔭のある役の方がいい。「コールド・マウンテン」のお嬢様役にはムリがあった。
監督・主演の男優、女優ともアカデミー受賞組となると、脇もいい役者が揃うのか。語り役のゲイリー・シニーズは相変わらずいい味出してるし、DV夫役のエド・ハリスはしっかり役にはまりきっている。エド・ハリスは毎度悪役で、オイシイところを持っていくと改めて実感させてくれた。
(2005・01.07 宇都宮)
「オーシャン・オブ・ファイヤー」
監督 ジョー・ジョンストン
出演 ヴィゴ・モーテンセン
オマー・シャリフ
ズレイカ・ロビンソン
(2004年/アメリカ)
19世紀、約4800キロのアラビア砂漠を馬で横断するレースが存在した。砂漠の民にしか完走できないと言われたこの死のレースに、ひとりのアメリカン・カウボーイが愛馬とともに参戦。現地部族の王族や高貴なアラブ馬ばかりが参加するレースは、相手を出し抜くための謀略や駆け引きだらけ。そんな命がけの罠をかいくぐった先に見えたものは……
信じがたいのだが、実話がもとになっているらしい。
主人公はアメリカ原住民を母に持ち、西部の原野を駆けめぐる早馬速達便を生業としていた。騎兵隊に自ら届けた速達が、亡き母の部族を皆殺しにしたことを知り、失意の底に沈んでいたときに舞い込んできたレース参加の話。アラビアの砂漠を知らない者は優勝どころか生きて帰ることすら難しいと思うのだが、実話と言われてしまうとどうしようもない。
主役を演じるのは、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのアラゴルン役で知られるヴィゴ・モーテンセン。どうも王様役の印象が強過ぎて、金髪の彼に違和感もあるのだが、アクション・シーンはさすが。
「アラビアのロレンス」でやはりアラブの王族を演じていたオマー・シャリフは、若い頃の脂ぎった印象が消え、上品で高潔な王族役がぴったり。その娘役のズレイカ・ロビンソンも愛らしい。
全体に駄作でもないが、特にオススメするほど面白いわけでもない。なんとも捉えどころのない作品だ。
(2004・12・27 宇都宮)
「デイ・アフター・トゥモロー」
監督 ローランド・エメリッヒ
出演 デニス・クエイド
ジェイク・ギレンホール
イアン・ホルム
(2004年/アメリカ)
地球環境問題で最大の懸念といえば、温暖化現象。このまま温暖化が進めば、地球は急激な氷河期に襲われる。一見逆説的に見えるが、実は気象学者の間では定説らしいこの設定を、大作づくりに長けたローランド・エメリッヒがきれいにまとめてみせた。
見終えてまず思うのは、「地球寒冷化」という地味な設定をうまくパニック映画に仕立て上げたということ。小惑星の衝突やエイリアンの来襲といった派手な理由ではないだけに、観客に危機感を持たせるのがむずかしいはず。氷河期が来たところで現代の暮らしをもってすれば、すぐに生命の危機にさらされるわけでないし、時間があればそれなりの対策も立てられるはず。…そう思いつつ鑑賞しはじめたのだが、ニューヨークに押し寄せる大津波(このシーン、「ディープ・インパクト」とどうしてもカブって見える)や急速冷却による凍死(冷気に数秒晒されただけで人間が凍死する。本当にあり得るのだろうか?)で危機感を煽り、アメリカ北中部に住む人々への全員避難命令へと力ワザで持っていく。
最初に警告を発した気象学者を主人公にする設定や、彼を中心とした家族愛や男女の愛、友情をストーリーの横軸にするあたりは、これまでのパニック映画の類型から逃れられていない。
人間関係を丁寧に描くのも常道だ。人間ドラマがしっかりできていないと、作品そのものが嘘っぽく見えるし、2時間超の長丁場が退屈なので当然といえば当然だが。
しかし、同じ監督の「インデペンデンス・デイ」(1996)より、監督自身の心境の変化が窺えて興味深い。「インデペンデンス・デイ」は"エイリアンの来襲"という下手すれば安っぽく見えるテーマを莫大な費用と手間をかけて料理し、ある意味エポックメイキングな作品だった。ただ、人間ドラマが少々薄っぺらだったことや、アメリカ大統領が「世界を救うのはアメリカだ!」と演説するシーンには辟易したものだ。
見終えた後、ド迫力の映像には満足したものの、「世界を救うのはアメリカって、いったいいつ誰が決めたの?」「その発想だから、スーダンでもアフガンでもイラクでも失敗を繰り返すんだ」と誰もが思ったのではないだろうか。
ところが、本作に登場するアメリカ大統領は途中でジミ〜に事故死してしまうし、「アメリカはもう大国の看板を下ろさなくてはならない」といった意味のセリフも飛び出した。無能に見えた副大統領が改心し、祖国の復興に立ち上がるのも面白い。アメリカの自省と「悪役だって変わることがあるんだ」という前提条件が、如実に見えた。これがアメリカ国民全体の内的変貌の現れだったらうれしいのだが。(監督自身はドイツ人であるものの)
キャストに関してひとこと。気象学者の息子役のジェイク・ギレンホールは面白い役者さんなのだが、高校生には見えない。その点、ちょっとムリがあった。
(2004・12・27 宇都宮)
「カレンダー・ガールズ」
監督 ナイジェル・コール
出演 ヘレン・ミレン
ジュリー・ウォルターズ
(2003年/イギリス)
イギリスの片田舎で暮らすクリス(ヘレン・ミレン)とアニー(ジュリー・ウォルターズ)は数十年来の親友。あるとき、白血病で亡くなったアニーの夫を追悼するために、クリスは毎年恒例の婦人会のカレンダーで資金集めをしようと思い立つ。そのためにはありきたりの風景写真では売上が見込めない。それなら・・・とクリスが思いついたのは、自分たちのヌードカレンダー。彼女の熱意に少しずつ協力者も現れ、40?50代の熟女ばかり7人のヌードカレンダー制作が始まり・・・
イギリスで実際にあった話をもとに制作されたそうだ。
ヌードといっても露出の少ない芸術的な写真。本物の主婦が自宅で家事をする姿をヌードで撮影するのは、確かに面白いアイデアだと思う。しかも変に色気を感じさせない年代なので、見ていてエグさがない。
もともとが慈善目的だし、友人のためにひと肌脱ごうとする女同士の友情も見ていてキモチがいい。いいトシした妻がヌードになれば家族は心穏やかではないだろうが、妻を信じ、その行動を支持する夫の姿に感動してしまった。
「ブラス!」「フル・モンティ」などイギリス映画には平凡な庶民が一念発起して頑張る内容のものが多いが、どれもみな心温まる作品ばかり。舞台となるヨークシャー地方の風景も緑ゆたかで美しく、こんな場所で親しい人たちに囲まれ、静かに暮らす人生も悪くないだろうと思わせる。十年一日のごとく、単調な毎日が続くにしても。
(2004・11・29 宇都宮)
「マスター・アンド・コマンダー」
監督 ピーター・ウィアー
出演 ラッセル・クロウ
ポール・ベタニー
マックス・バーキス
(2003年/アメリカ)
1805年、イギリス海軍の帆船サプライズ号は、祖国を遠く離れた洋上で宿敵フランスのアケロン号と闘い続けていた。サプライズ号を率いるのは、伝説の船長ジャック・オーブリー(ラッセル・クロウ)。乗組員はみなオーブリーの意志と判断を信じ、満身創痍の船で太平洋上の決戦に挑む。
何ヶ月も何年もかけて大洋を航海する船は、言うなればそれだけでひとつの国のようなもの。船長はすべての方針を決定し、乗組員の命を守り、任務を遂行する絶対的責任者だ。戦いに勝利すれば乗組員の賞賛の視線を集め、部下の死に面したときは悲しみを抑え、黙って孤独に耐える。そうしたリーダーシップの塊であるオーブリー船長を、R・クロウが堂々と演じている。
船内の造りといい、船上での生活習慣といい、おそらく綿密な時代考証に基づいて作られたのだろう、ディテールまで丁寧に描かれてリアル。特に驚かされるのは、少年仕官候補生の存在。英国軍人を養成するための慣習とはいえ、12歳の男の子が戦闘の真っ只中におり、結果として命や片腕をなくすのは、現代の私たちには過酷に見える。しかし、それを当然にようにサラリと描いたことで、より史実に近いと思わせる。
アケロン号との戦闘シーンもよくできているし、重厚なつくりの作品なのだが、全体に盛り上がりに欠けるのが惜しい。特にラストは、ここからがストーリーの始まりなのではないかと思わせ、少々不完全燃焼だ。
脇役では船医役のポール・ベタニーがいい。「ビューティフル・マインド」でもR・クロウと組んでいたが、役へのハマリ切り方がどちらも見事だった。
(2004・11・21 宇都宮)
「フリーダ」
監督 ジュリー・テイモア
出演 サルマ・ハエック
アルフレッド・モリーナ
ジェフリー・ラッシュ
(2002年/アメリカ)
メキシコの女流画家フリーダ・カーロの生涯を、メキシコ人女優サルマ・ハエックが演じた話題作。
快活で自由奔放な少女フリーダ(サルマ・ハエック)は、学生時代にバス事故で全身に大怪我を負い、数年間に渡る闘病生活を送る。壮絶な努力の末にようやく歩けるようになった彼女は、絶望の中で描いた自画像を壁画家のディエゴ・リベラ(アルフレッド・モリーナ)のもとに持ち込み、画家としての才能があるかどうかを問う。ディエゴは芸術家仲間に彼女を引き入れ、ともに政治運動に参加。やがて2人は結婚するが、それはサルマにとってディエゴの浮気癖に苦しめられるスタートでもあった・・・
フリーダ・カーロの絵画を少し見たことがあるが、技術的にはさほど上手くないと感じた。しかし、絵画全体から見る者に迫ってくるあの情念、あのパワーは一体なんなのか。絵画にも登場する夫・ディエゴは、彼女の人生に絡みつき、離れようにも離れられない運命的な相手。彼女を画家として世に送り出してくれた人物だが、病的な浮気性で新婚早々からフリーダは夫の浮気に悩むことになる。また、絵画には胎児も描かれているが、これは事故で子どもを産めないからだになったはずの彼女が奇跡的に妊娠し、結局流産してしまった"この手に抱けなかった子ども"。ホルマリン漬けの胎児をスケッチするシーンでは、その強さ・感情の激しさに畏れすら感じた。
心に響いたのは、要所要所で挟まれるフリーダの言葉。
「私は人生で2つの大きな事故に見舞われた。ひとつはバス事故。もうひとつはディエゴ」
「私が死んだら焼いてちょうだい。もうこれ以上横になっていたくないから」
フリーダの苦痛とは比較にならないが、私も腰痛がひどいときは「痛みのないからだがどんなものだったのか、もう忘れた」状態になる。だから、死んでまで横になっていたくない気持ちはよくわかる。もうひとつの事故=浮気性の夫を持ったことは功罪相半ばする事実。ディエゴあってこそのフリーダだし、浮気癖もわかっていて結婚したはず。ディエゴではなく、普通の男性と結婚していたら画家として世に出たかどうかは疑問だし、なによりあんなに刺激的な人生は送れなかった。よくも悪くもディエゴしかあり得ない・・・そうとしか言いようがない夫婦関係だ。
女性の生き方、芸術への情熱など、いろいろ考えさえられることの多い作品だ。若い人から年配の方まで、広い世代の女性にぜひ観ていただきたい。
(2004・10・17 宇都宮)
「月のひつじ」
監督 ロブ・シッチ
出演 サム・ニール
ケヴィン・ハリントン
トム・ロング
(2000年/オーストラリア)
この物語は事実に基づいているそうだ。
1969年7月のあの日、人類が初めて月に立ったとき、自分はどこでなにをしていたのか覚えている人は世界的に見ても多いのではないだろうか。当時8歳だった私ですら、特別な1日だったことを記憶している。授業中、先生はアポロ11号の説明に力が入っていたし、夜中のテレビ生中継は今から思えば信じられないほどひどい画像だったが、眠気をガマンして必死で見たものだ。翌日の教室は、「こちらヒューストン、こちらヒューストン」とみんなマネしていた。
そんな月面着陸の衛星放送を全世界に中継したのが、オーストラリアの小さな町・パークスのパラボラアンテナだった。ひつじしかいない小さな町が中継地に選ばれ、町長をはじめ町の人々や中継センターのスタッフは大騒ぎ。この世紀の瞬間を無事全世界に伝えるために、アポロ11号が月に近づくにつれ、人々の興奮が高まっていく・・・
中継前に停電が起き、アポロ11号の位置を見失ったり、気候が安定しているから選ばれたにもかかわらず、月面着陸の直前に強風が吹いたりと、アクシデントはやっぱり起きる。ところが――
オーストラリアの人々のなんとのんびりしていること! 日本で同じことが起きたら、間違いなく「プロジェクトX」で緊張とプレッシャーに打ち克つ精神ドラマにされてしまう。ところが本作は、あくまでもユーモラスに穏やかに描き切る。一大プロジェクトなのに、アンテナの周りはひつじしかいない。知り合いばかりの小さな町で、セキュリティチェックもなにもあったもんではない。中継スタッフも直前までケンカしてるし、責任者は町長宅で奥さんの料理に舌鼓を打つ始末。
でも、終わりよければすべてよし。アームストロング船長が月面に立った映像は全世界に無事配信され、あの映像を見て人生が変わった人が世界中に数え切れないほどいることだろう。
35年後に責任者がもう一度アンテナを再訪するシーンがあるのだが、35年たってもやっぱり周囲にはひつじしかいない。これでいいのだ。
(2004・7・25 宇都宮)
「陰陽師U」
監督 滝田洋二郎
出演 野村 萬斎
伊藤 英明
中井 貴一
(2003年/日本)
3年前大ヒットした「陰陽師」の続編。
都に再び鬼が現れ、次から次へと人が喰われる事件が発生した。同じ頃、右大臣藤原安麻呂(伊武雅刀)の娘・日美子姫(深田恭子)が夜な夜な無意識のうちに歩き回ることが鬼と関係あるのではないかと、源博雅(伊藤英明)を通して安倍晴明(野村萬斎)に相談がある。晴明は日美子に隠された秘密を感じとるが・・・
3年前のパート1はそれなりに新鮮だった。陰陽師のワザがどういうものか想像がつかなかったし、野村萬斎の演技や所作も面白く見せてもらった。
その点、パート2はどうも二番煎じの感が拭えない。大和朝廷に恨みを抱く悪役も同じような設定だし、演じる中井貴一も上手いのだが、1作目の真田広之と役柄がカブって見える。
出雲王朝の王族が大和朝廷に滅ぼされた恨みを晴らすというのがストーリーの骨子だが、これって時代的にムリはないのか? 天照大神を天の岩戸から引きずり出したときのメンバーの子孫を鬼が順に狙うという設定は面白いが、天照大神の子孫と言われて最初に思い浮かべるのはなんといっても皇室だ。てっきり帝を鬼が狙うのかと思ったら、狙われたのは出雲の王族。ということは・・・万世一系を否定した設定? 継体王朝交代説を支持していると思ってOK?
そんな疑問に苛まれつつ観終えたのだが、結局いちばん印象に残ったのは野村萬斎の魅力だった。この次は彼主演の舞台でも見に行こう。
(2004・7・11 宇都宮)
「ラブ・アクチュアリー」
監督 リチャード・カーティス
出演 ヒュー・グラント
コリン・ファース
エマ・トンプソン
(2003年/イギリス)
「ノッティングヒルの恋人」「ブリジット・ジョーンズの日記」の製作スタッフが、豪華なキャスティングでアンサンブル形式の作品を創った。登場するのは独身の英国首相から、片思いに悩む小学生まで総勢19人。数多い登場人物紹介とエピソードを同時進行で進めながら、最後は見事にまとめてみせた。
こういう形式のストーリーは、最初の人物紹介が大変だ。お互いの相関関係を少ないセリフで説明し、観る者にキャラクターを覚えさせなければならない。人物紹介があまり平凡だと「面白くない」と途中で投げ出す観客もいるだろう。この作品の場合、その最初の関門さえクリアすれば、物語は格段に面白くなっていく。ラストの「みんなハッピーエンド」は話が出来過ぎだが(特に女性にモテまくりたいとアメリカに渡った青年のエピソード)、クリスマス公開の映画はこれぐらいハッピーでいいのかもしれない。
登場する人物は首相から小学生に至るまで、誰ひとりとして遊びの恋愛をしていない。みんな愛に純粋。片思いに悩み、どうやって打ち明けようかと悶々とする様はとても可愛く、好感が持てる。また、男女間の恋愛だけでない広い意味での愛も含まれているのもいい。
それにしてもヒュー・グラントの英国首相が、私には最後まで首相に見えなかった。年齢的には現ブレア首相とそんなに離れていないと思うのだが、ヒュー・グラントのこれまでのイメージや軽さがそう見せるのか。それに比べて、ビリー・ボブ・ソーントンのアメリカ大統領が妙にサマになっていて笑えた。
(2004・7・10 宇都宮)
「すべては愛のために」
監督 マーティン・キャンベル
出演 アンジェリーナ・ジョリー
クライヴ・オーウェン
テリー・ボロ
(2003年/アメリカ)
イギリス上流社会で何不自由のない生活を送っていた人妻サラ(アンジェリーナ・ジョリー)。彼女の人生は難民キャンプで働く医師ニック(クライヴ・オーウェン)の主張を聞いて以来、大きく変わった。ニックのいるエチオピアの難民キャンプに食料品と医薬品を自ら持ち込んで救済活動を始め、最初は半信半疑だったニックも少しずつ彼女を認めるようになる。5年後、ロンドンの国連高等難民弁務官事務所に勤務するサラのもとに、再びニックから連絡が入り・・・
タイトルが「すべては愛のために」。キャッチコピーは「一度だけ抱かれた男に命を捧げる。たとえ道に背いた愛だとしても」とくれば、こりゃ一大不倫メロドラマだろうと誰だって思う。確かに4カ国を舞台に10年間の愛の軌跡を描いてはいるが、それだけのストーリーでもない。タイトルとキャッチコピーを見てドロドロのメロドラマを予想していた人には、肩透かしをくらったような内容だろう。
舞台となるのはイギリス上流社会と、エチオピア・カンボジア・チェチェンの悲惨な難民キャンプ。ひとりの女性が自我にめざめ、難民救済活動を生きがいとする自己実現ストーリーはとてもわかりやすい。リッチな生活を捨てて極悪環境に自ら乗り込む勇気はすばらしいが、特に目新しい話でもない。
主人公が難民救済活動にのめり込むきっかけを作り、なおかつ秘めた愛の対象となったのがニックだ。ニックとの心の交流はうまく描かれており、上流社会のひ弱なお坊ちゃんである夫よりもニックに惹かれる気持ちはよくわかる。結局1度だけ結ばれたものの、その後も彼女はロンドンの夫のもとに戻り、子どもたちと普通の家庭生活を送る。
最大の疑問は「なぜ夫と別れなかったのか?」という点。とうに愛情は冷め、心はニックのものなのだから、離婚する方が自然な流れだ。サラには経済力もあり、母親だけの子育ても可能だったろう。しかもこの夫、決してガチガチ頭の横暴なヤツでもない。サラが最初にエチオピア難民キャンプに持ち込んだ援助物資の資金も、もとはといえば夫が出したもの。さらに(ネタバレになるので書けないが)ラストのオチも夫にはヒドイ話だ。自己実現を図るなら、夫に頼らず独力でやれ!と言いたくなる。
最後になったが、エチオピア難民キャンプを再現したセットは臨場感に溢れていて、さすがハリウッド。
(2004・7・10 宇都宮)
「キル・ビル vol.1」
監督 クエンティン・タランティーノ
出演 ユマ・サーマン
ルーシー・リュー
ダリル・ハンナ
(2003年/アメリカ)
クエンティン・タランティーノ6年ぶりの新作は、やっぱりタランティーノだった。
結婚式の際中、毒ヘビ暗殺団に夫とおなかの子どもを殺され、復讐の鬼と化した女闘士ザ・ブライド(ユマ・サーマン)。毒ヘビ暗殺団のメンバー5人に復讐を果たすため、血なまぐさい旅が始まる・・・
ストーリーなどあってないようなもの。ひたすらアクションシーンを追求し、アクションを面白く見せるための舞台設定に工夫をこらす。
今回、東京のヤクザ組織が大きなターゲットとなり、日本刀を振りかざしての決闘シーンがクライマックスだったのは、タランティーノ監督自身が東映ヤクザ路線の大ファンだったから。他にも日活アクション映画や日本アニメの影響が色濃く出た作品だ。
主人公のために名刀を作った刀鍛冶の名が服部半蔵というのもいい加減なネーミングだし、ラストの決闘シーンの料亭らしきセットは「これ一体どこの国?」状態。吉原の遊郭と「千と千尋の神隠し」の湯屋に、「蒲田行進曲」の池田屋を足したような場所だ。特に大階段のセットは、どう見ても池田屋の階段落ちをイメージしている。そういえばこの作品自体が、深作欣二監督に献呈されていたっけ。
要するに、いちばん楽しんだのはタランティーノ自身なのだ。観る側はむずかしいことなど考える必要は一切ない。アホな展開やあり得ない設定に突っ込みを入れながら、「好きやなぁ、タランティーノも」と言いながらゴロ寝しながら見るに限る。タランティーノだって、きっとそれを望んでいるんだろう。
(2004・7・11 宇都宮)
「サハラに舞う羽根」
監督 シェカール・カブール
出演 ヒース・レジャー
ウェス・ベントリー
ケイト・ハドソン
(2002年/イギリス・アメリカ)
1880年代、大英帝国のエリート士官・ハリー(ヒース・レジャー)は恋人エスネ(ケイト・ハドソン)との結婚を目前に幸福の絶頂にいた。ところが、そんな彼にスーダンへの出兵命令が下り、ハリーは悩んだ末に軍隊を辞めてしまう。この時代、祖国のために命を投げ出さない者は臆病者と蔑まれ、家族からも縁を切られるのが常識。ハリーもまた、エスネや親友ジャック(ウェス・ベントリー)たちから臆病者を表す羽根を贈られ、世間から断絶される。失意のハリーは単身スーダンに渡り、仲間の軍団を蔭で支えるために行動を起こすが・・・
著名な英国文学の数度目の映画化らしい。サハラ砂漠の風景があくまでも美しく、「イングリッシュ・ペイシェント」を思い起こさせた。役者もみな熱演だったが、どうもストーリーに理解に苦しむ部分がある。
臆病者の羽根を贈られ、すべてを失ったハリーが単身スーダンに赴くあたりからが見どころなのだが、この時代に言葉も通じないアフリカにひとりで行くことがいかに危険か、想像がつくだけにハリーの行動が解せないのだ。ひとりで行くよりも軍隊で派遣された方がよほど安全なのは、現在のイラク情勢を見ていてもわかる。軍隊での出征を拒否したハリーに、単身乗り込む勇気が果たしてあるのだろうか?
予想どおりハリーも砂漠で死にかけるのだが、アフリカ人戦士アブ―と出会い、何度も危機を救われる。この無敵の戦士アブ―が自らの命を危険に晒してまで、なぜハリーを助けるのか、これまた理解できない。ブラックアフリカの戦士と元大英帝国士官、どちらもイスラム勢力を敵とみなすことに共通項はあるが、アブ―がハリーを助ける必然性はない。むしろこの設定に、有色人種を僕として見てしまう当時の白人社会の先入観が如実に表れているようで気分が悪い。
また、ハリーを失い悲しみにくれるエスネも、同じ女性としてまどろっこしい。名誉と体面を重んじる社会とはいえ、な〜んにもできないで祈るだけ。女性の地位の低さと社会の狭さ・窮屈さに同情する。「あの頃ペニー・レインと」で行動力あふれる女性を演じていたケイト・ハドソンも、ややムリをして演技している感があった。
結局、いちばんカッコよかったのはアブ―。皮肉な結果だが、シェカール・カブール監督はそうなるとわかっていて敢えて描いた確信犯のような気がする。
(2004・7・9 宇都宮)
「トゥームレイダー2」
監督 ヤン・デ・ボン
出演 アンジェリーナ・ジョリー
ノア・テイラー
クリス・バリー
(2003年/アメリカ)
第1弾に続き、「トゥームレイダー2」も予想どおり荒唐無稽だった。なんてったってめざすお宝がパンドラの箱である。聖書ですらない、ギリシア神話の世界。逸話は感動的だが、実在するとはとても思えない。しかし、アンジェリーナ・ジョリー扮するお宝ハンター、ララ・クロフトは秘宝を求めて世界中を飛び回る。
今回のララの敵はバイオ化学者。ノーベル賞まで受賞したのに、人類を滅ぼすバイオ兵器を高値で売りさばく悪党である。彼の手下たちと対決するべく、ララは昔の恋人である傭兵テリーに協力を求めるのだが・・・
このテリーがビミョーだ。ララ・クロフトほどの女なら、並みのオトコとつきあってはいけない。相手のオトコがララを魅了するほどの一体なにを持っているのか、という視点から見ると・・・テリーの場合は「戦闘能力」。社会的地位や財産よりはよかったが、テリーの戦闘能力はララを大きく上回るほどでもなく、いかにも中途半端。容姿もフツー。だから捨てられたといえばそれまでだが、いい女というのは孤独なもんである。
それにしても、相変わらず気になるのは貴重な古代遺跡がなんのためらいもなく破壊されていること。アレクサンダー大王の神殿が新たに発見されたら、トロイ遺跡並みの大発見だ。お宝を愛するハンターなら壊しちゃいけないだろう。
(2004・7・9 宇都宮)
「北京ヴァイオリン」
監督 チェン・カイコー
出演 タン・ユン
リウ・ペイチー
チェン・ホン
(2003年/中国)
チェン・カイコー監督といえば「さらばわが愛/覇王別姫」、そしてハリウッド進出後の「キリング・ミー・ソフトリー」が脳裏に浮かぶ。その彼がホームグラウンドに戻り、中国という文化の中で中国人を描いた。それだけでハリウッドにはない人間くささや生活感が感じられ、のびのびとした開放感すら感じさせる。
息子チュン(タン・ユン)のヴァイオリンの才能を信じ、全財産を処分して田舎町から北京に出てきたコックのリウ(リウ・ペイチー)。なんとか名門の北京中央音楽学院に入学させ、世界に通じるヴァイオリニストにしようと、大都会の片隅で父と子の奮闘が始まる。父と子を巡る人間関係に登場するのは、しがない音楽教師と、男たちを手玉に取るようでいて実は恋に傷つく美女。やがて父は世界的に有名なヴァイオリニストを育てた音楽教授に息子を売り込み、成功への足がかりを手に入れる。ところが息子は父に反発し・・・
改革開放が進む中国で、音楽家への立志伝もここまで来たかと思った。息子の才能に惚れ込み、一流のヴァイオリニストに育てることに人生を捧げる父。似たような話は日本でも聞いたことがあるが、実際に成功する人は少ないことだろう。しかも、成功すれば音楽に専門知識のない父は微妙な立場になる。
期待を一身に背負い、揺れ動く息子を演じたタン・ユンが初々しい。彼自身も北京中央音楽学院に所属する学生だという。どおりでヴァイオリンを弾く姿がサマになっていた。しかし、この作品の最大のテーマは父親が息子に注ぐ無償の愛だ。ときにぶつかり合いながらも、息子を一流のヴァイオリニストにするという目標に揺るぎのなかった父に感動した。実は物語の中核である父子の関係に意外な真実が隠れているのだが、残念なことにこれは消化不良気味に終わっていた。
ラストの北京駅でのシーンが泣ける。それにしても、父親役のリウ・ペイチーがどうも吉本新喜劇の石田靖さんとカブって見えたのは私だけだろうか?
(2004・7・3 宇都宮)
「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」
監督 アルフォンソ・キュアロン
出演 ダニエル・ラドクリフ
ルパート・グリント
エマ・ワトソン
(2004年/アメリカ)
実は、ハリー・ポッターの新作には心密かに期待していた。理由は3つある。1つ目の理由は、これまでに刊行された原作シリーズ4作の中で私がいちばん好きな作品だということ。いつも以上に伏線の張りめぐらせ方の気が利いていて、後半のどんでん返しも秀逸なのだ。2つ目は監督が交代したこと。前2作の監督クリス・コロンバスはどうもイマイチだった。「原作に忠実に」というルールがあるのはわかるのだが、ストーリー全体が盛り上がりに欠け、平板な印象が拭えない。3つ目に、シリウス・ブラック役があのゲイリー・オールドマンというではないか! 悪役のイメージが強いからまさにハマリ役。ゲイリーが一体どんな悪役を見せてくれるかワクワクする。そんなこんなで期待しつつ見たのだが・・・
見終えて、シリーズではいちばんの出来だと感じた。
ストーリーはあらかじめわかっているのだが、やっぱり面白い。ルーピン教授とシリウス・ブラックという新たな登場人物がいいし、ハリーの両親の死を巡る謎が少しずつ明らかになっていくのも楽しみだ。
また主役の3人の子役が少しずつオトナになり、演技も安定してきた。第1作の「ハリー・ポッターと賢者の石」が先日テレビ放映されていたが、それと比べても妙な間がなくなり、受け答えが自然になってきた。彼らを取り巻く脇役に名優を揃えたのも全体を引き締めている。占い教師役のエマ・トンプソンの演技が特にブッ飛んでいて笑えた。
お目当てのゲイリー・オールドマンはやや抑え目の演技だったが、やっぱりいい。小柄なのにあの存在感。シリウス・ブラックは今後もシリーズに登場するだろうから、またゲイリーに会えることだろう。
ハリポタに限らず、子役が登場するシリーズというのは、その成長が楽しみのひとつ。まるで久々に会う親戚の子どもたちのように、「よしよし、大きくなったな」と話しかけたくなる。ハリー、ロン、ハーマイオニーの3人もそれぞれ成長し、ハリー役のダニエル・ラドクリフ君は期待に違わぬ美形になりそう。同じように、ドラコ・マルフォイ役の金髪の男の子も成長したし、ネビル・ロングボトム役はなんと子役の中でいちばん背が高くなっていた。原作のネビルは小柄なイメージがあるのだが。
9月には原作シリーズの第5作「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」も発売される。しばらくはハリー・ポッターの原作と映画を毎年交互に楽しめそうだ。
(2004・7・3 宇都宮)
「トロイ」
監督 ウォルフガング・ペーターゼン
出演 ブラッド・ピット
エリック・バナ
オーランド・ブルーム
(2003年/アメリカ)
オールスターキャストに膨大な数のエキストラ、金と手間と時間を存分につぎ込んだ「大作らしい大作」。それが「トロイ」だ。
タイトルからおわかりのように、古代ギリシアの詩人ホメロスによる叙事詩「イリアス」の映画化。トロイの王子パリスがスパルタの王妃ヘレンを自国に連れ帰ったことで起きる大戦争を、発端からトロイ陥落まで描いた。原作では確か10年に渡る長い戦争だったように記憶しているが、映画ではそういうわけにもいかず短期間で決着させている。他にも映画ならではのアレンジがそこかしこに見られる。
ギリシア神話好きとしては、有名な神話のエピソードをどう処理するのかに興味があった。パリスと3人の女神のエピソードは? 半神半人の勇者アキレスの弱点は? 預言者カッサンドラは? オデュッセウスやその他たくさん参加したはずの英雄たちは?
さすがにギリシアの神々を登場させるわけにはいかず、あくまでも人間たちの欲望の果ての戦争に描いているが、アキレスの弱点のエピソードはやはり捨てがたかったようだ。謂れの説明が一切なかったので、ギリシア神話を知らない人には不思議な死に様だったかもしれない。
主役をアキレス(ブラッド・ピット)とヘクトル(エリック・バナ)に置いたのは当然のこととして、全体にトロイ寄りに描いているのが興味深い。トロイは和平に応じてもらえず攻め込まれた国。他国に攻め込んでばかりの現在のアメリカ政府が、必ずしもアメリカ人の心情に沿うものではないのだろうと少し安心した。
ブラッド・ピットが果たしてアキレスのイメージに合うのか疑問だったが、そこはハリウッドのトップスター。筋骨隆々のからだをビルドアップし、その上におそらく映像加工技術を加えて古代ギリシアの英雄らしいからだつきに変身。意外にハマリ役だった。アキレスの人物像の解釈も面白い。
ヘクトルとパリス(オーランド・ブルーム)、そしてトロイ王プリアモス(ピーター・オトゥール)はさもありなんという人物像。最愛の息子を失い、国も失ってしまうトロイ王役のピーター・オトゥールがさすがの名演だ。あの演技を見せられたら、誰だってトロイに同情する。
脇ではオデュッセウス役を「ロード・オブ・ザ・リング」でボロミアを演じたショーン・ビーンが演じており、渋い魅力を放っていた。大作ついでにショーン・ビーン主演で「オデュッセイア」も制作してほしいものだ。
(2004・6・4 宇都宮)
「トーク・トゥ・ハー」
監督 ペドロ・アルモドバル
出演 レオノール・ワトリング
ハビエル・カマラ
ダリオ・グランディネッティ
(2003年/スペイン)
「オール・アバウト・マイ・マザー」のペドロ・アルモドバル監督がまたまた佳作を届けてくれた。
バレリーナをめざすアリシア(レオノール・ワトリング)が事故で昏睡状態に。彼女にひそかに想いを寄せていたベニグノ(ハビエル・カマラ)は彼女の介護係として病院に就職。4年間、すべての世話を引き受けていた。ある日、同じ病棟に女闘牛士が競技中の事故で昏睡状態となって運び込まれた。その恋人のジャーナリスト・マルコ(ダリオ・グランディネッティ)は悲嘆にくれるばかりだが、ベニグノと知り合い、彼のような生き方もあることに衝撃を受け・・・
バレリーナ×看護士、女闘牛士×ジャーナリストという2組の男女が交差し、互いに影響を及ぼしあいながら、ストーリーは進む。キャラ設定も独特だが、ひとつひとつのシーンが印象的でテーマが深い。無償の愛とは? 家族とは? 友情とは? ・・・考えだしたらキリがない。
観る者の度肝を抜くのはベニグノのキャラクター設定ではないだろうか。外で働くことなく、家で年老いた母親の介護を続けてきた青年が、自宅の窓から見かけたバレエ教室の美少女を見初める。彼女が昏睡状態になった後は、下の世話までかいがいしく行い、毎日の出来事を枕もとで語ってきかせる。ひょっとしたら彼女の心に届いているかもしれないという、奇跡を信じて。
普通の男性はとてもここまでできない。その代表格がマルコだ。意識不明の恋人の枕もとで悲嘆にくれるだけ。そんな普通の男性がベニグノのような人物と出会って、なにが起きるのか。難しいテーマだが、さらりと描いて違和感のないところがスゴイ。クライマックスのベニグノの行動も賛否両論分かれるだろうが、私は責められない。人生の哀しさと喜びがない混ぜになったラストもよかった。
(2004・5・21 宇都宮)
「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」
監督 ピーター・ジャクソン
出演 イライジャ・ウッド
ヴィゴ・モーテンセン
イアン・マッケラン
(2003年/アメリカ)
2004年度アカデミー賞11部門を受賞した「ロード・オブ・ザ・リング」3部作の完結編。
「ロード・・・」のすごさは前2作ですでに体験済みなので、この「王の帰還」は映像を楽しむというよりも、あの壮大なストーリーがいかに完結するかに主眼を置いて見るといいかもしれない。
滅びの山に近づくほどに心身の消耗度がひどくなるフロドと彼を支えるサム。一方、サウロンとの最終決戦に臨むため、ガンダルフとアラゴルンたちは人間たちの力を結集しようと奔走する。人間の国ゴンドールは長く執政の家系が治めており、執政デネソールは正統な王家の嫡流であるアラゴルンの出現が面白くない。デネソールの息子・ファラミアは亡くなった兄のボロミアを偏愛する父に認められようと、死を覚悟でオークとの戦いに挑むが・・・
第3作では、第1作・第2作に登場した数多いキャラクターの人間模様が掘り下げられる。トールキンの原作には背景となる歴史やお家事情がいろいろと書き込まれているが、映画ではそこまで描ききれないため説明不足の面はあるが、映画としてここまで見られる作品にまとめた構成力はスゴイ。「ロード・・・」3部作を通じて、いちばん感心したのはまさにこの構成力だった。
もちろん、世界中の「指輪物語」ファンが「まさかこの目で見ることができるとは」とわが目を疑った映像も相変わらず素晴らしい。金と時間と労力を惜しげもなく注ぎ込んだ末の映像なので、画面の端から端まで中つ国の風景を楽しんでいただきたい。デジタル映像技術の進歩がトールキンの頭の中で生まれた異世界の大陸を誰でも見られるようにしてくれた。私なんぞ画面を拝みたくなったぐらいだ。
この3年間、「ロード・・・」を見るのが楽しみのひとつだった。さて、来年からなにを楽しみにすればいいのやら。今後のことをいえば、「ロード・・・」が大成功だっただけに、監督も役者もさぞ次回作がプレッシャーだろう。このシリーズでいちばんの売れっ子になったオーランド・ブルームは別として、イライジャ・ウッドは役者としての今後の展開がかなり大変だろうと思う。フロドがまたとないハマリ役だっただけに、余計つらい。ヴィゴ・モーテンセンやショーン・ビーンは次回作が楽しみだ。
(2004・5・14 宇都宮)
「真珠の耳飾りの少女」
監督 ピーター・ウェーバー
出演 コリン・ファース
スカーレット・ヨハンソン
トム・ウィルキンソン
(2003年/イギリス)
17世紀フランドル地方の画家・フェルメールは大好きな画家のひとりだ。寡作で知られ、現在に残る作品数は30数点。同じアトリエを舞台にした人物画が多いが、そこに描かれるのは左側の窓ガラスから入る光。土壁の質感、木製の机・いす、壁にかかった大きな地図、モデルが手にするミルク壷、黄色い上着、青いターバン・・・そんなフェルメールの絵画に描かれたモノたちが、現実に画面に登場する。初めてアトリエの扉が開かれるシーンでは、フェルメール好きなら思わず声を挙げそうになるだろう。
物語はフェルメールの代表作のひとつ「真珠の耳飾りの少女」が描かれるまでを静かに辿る。盲目のタイル描きの娘・グリート(スカーレット・ヨハンソン)は、住み込み奉公にやってきたフェルメール家の主人が画家だと知り、彼の仕事に興味を持つ。フェルメール(コリン・ファース)もまた絵心のわかる彼女を可愛がり、絵の具づくりやモデルをさせるようになるが、2人の仲を疑う妻がグリートに辛く当たるようになり・・・
フェルメールの生涯に関する資料はほとんど現存しないので、グリートという少女もこの絵画にまつわるエピソードも100%フィクションなのだそうだ。ファン・ライフェンというパトロンがいたこと、妻と妻の母、たくさんの子どもたちと暮らしており、生活が苦しかったことは史実らしい。
しかし、作品で描かれる妻の嫉妬や、フェルメールのいかにも芸術家らしい生活感のなさ、パトロンの色オヤジぶりは「現実もこうだったのでは?」と思わせる"らしい"設定だ。
主人の才能に惹かれていくグリートの健気さに、見ている側は思わず応援してしまうのだが、一方で同じ女性として妻のカタリーナが切ない。次から次へと子どもを孕まされ産み育てているのに、夫は赤ん坊の薬より絵の具の買物を優先させる男。若い頃は絵のモデルにもなったが、若く美しいグリートが目の前に現れると、夫の興味は彼女に移る。涙ながらになじった挙句に「おまえは絵がわかっていない」と言われた日には同情するしかない。絵心なんて天賦の才能以外のなにものでもないのだから。
フェルメール役のC・ファースが不器用で生活力のない天才画家を好演。しかし、それ以上にグリート役のS・ヨハンソンが素晴らしい。使用人の辛い生活の中でも絵画への夢や憧れを失わず、画家の才能に静かな愛を捧げる少女というのは、かなり難しい役どころだと思うのだが、この映画を見た人がみんなグリートを実在の人物だと思い込んでしまいそうな存在感だった。
余談になるが、真珠の耳飾りはフェルメールの絵画の中に度々登場する。「真珠の耳飾りの少女」が描かれた1665年以降の作品にも描かれているので、あのラストシーンは史実ではあり得ない。それでも、「こういう話が本当にあったかもしれない」と思いたくなる作品だ。
(2004・5・14 宇都宮)
「クリスティーナの好きなコト」
監督 ロジャー・カンブル
出演 キャメロン・ディアス
クリスティーナ・アップルゲイト
セルマ・ブレア
(2002年/アメリカ)
若い頃はカジュアルな恋愛を繰り返してきたものの、30歳を目の前にするとなぜか本気の恋がしたくなる。そんなある日、クラブで出会った素敵な男性に一目惚れしたクリスティーナ(キャメロン・ディアス)は、本物の恋の予感に怯えながらも親友コートニー(クリスティーナ・アップルゲイト)に励まされて彼に告白しようと出かけるのだが・・・
「メリーにくびったけ」を彷彿とさせるドタバタ恋愛コメディー。軽〜く観る分にはいいが、観た後にな〜んにも残らないのもこうした作品の特徴か。しかし、この手の分野にはこの手の分野しか受け付けない固定客層が存在する。女同士の"本音の会話"とか(本当にあれが本音なのか?)、セクシーなクラブファッションなど、そうした固定客層を狙い撃ちした企画はわかる。
それにしても30歳前後の女性の焦りを、最近急に老けてきたキャメロン・ディアスの容姿が雄弁に語っている。どんなにセリフを尽くすよりも、キャメロンのシワの方が印象に残るのだから映像というのは恐ろしい。
(2004・4・23 宇都宮)
「マイ・ビッグ・ファット・ウェディング」
監督 ジョエル・ズウィック
出演 ニア・ヴァルダロス
ジョン・コーベット
マイケル・コンスタンティン
(2003年/アメリカ)
ニューヨークに住むギリシア系移民の娘トゥーラは、30歳過ぎても恋人もおらず、親が経営するレストランを手伝うだけの張り合いのない毎日を過ごしていた。ところがある日、レストランに客としてやってきた男性を見てひと目惚れ。自分を磨くべくオシャレをし、大学のコンピュータ講座に通い、人が変わったように生き生きとしはじめたトゥーラは見事意中の彼と恋に落ちる。ところがいざ結婚となると、ギリシアならではの風習が次から次へと降りかかり・・・
アメリカでは大ヒットした作品だが、日本ではもうひとつだった。地味なテーマに美形がほとんど出演しないキャスティング。いちばん大きな要因は「アメリカのギリシア系移民」という存在が日本人には遠すぎたことか。
それでもトゥーラの心情はとても身近に感じるし、ギリシアという固有の文化を持つ親や親戚たちの姿は私たち日本人の姿とも重なるものがある。なにかにつけて集まる家族・親戚。次から次へと料理を作っては「とにかく食べろ」とすすめる母親たち。少し前まで日本もそうだった。そして30過ぎた娘がいつまでも結婚しないでいることのプレッシャーも。
トゥーラの恋愛が少しうまく行き過ぎる感もあるが、結婚までの行事や障害を少しずつ2人が乗り越えていく様子がほほえましい。洋の東西を問わず、円満な結婚生活は男性側の譲歩が大きくモノを云うことも再確認した。
(2004・3・18 宇都宮)
「ヘヴン」
監督 トム・ティクヴァ
出演 ケイト・ブランシェット
ジョヴァンニ・リビージ
(2002年/アメリカ・ドイツ・イギリス・フランス)
不思議な作品だ。地味なテーマなのに、心に残るストーリーと映像。ラストシーンの空の青さが、見終えた後もいつまでも脳裏に焼きつく。ラストシーンの続きは観客それぞれの心の中で描いていくものとわかっていても、続きが見たい。そんな映画だ。
舞台はイタリアのトリノ。英語教師のフィリッパ(ケイト・ブランシェット)は夫を死に追いやり、生徒たちを麻薬漬けにする男を暗殺しようと爆弾をしかけたが失敗。爆弾は罪のない4人の人々を殺し、麻薬の元締めを殺すことはできなかった。警察での取り調べ中、その事実を知ったフィリッパを支えたのは、若き刑務官のフィリッポ(ジョヴァンニ・リビージ)。彼はフィリッパに恋をし、すべてを捨てて彼女との逃避行へ走る・・・
麻薬元締めという裏の顔を持つ実業家は明らかに警察と癒着しており、正義感に燃えるフィリッパがいくら捜査嘆願書を提出しても警察は動こうとしない。やむにやまれず強硬手段に出た彼女に、運は味方しなかった。人を思いやる心を持つ彼女にとって、罪もない市民を4人も殺してしまった事実はどれほど辛く身体を貫くことだろう。このあたりのC・ブランシェットの演技も見どころのひとつだ。
刑務官としてのスタートを切ったばかりの若いフィリッポが彼女に恋してしまう過程も、セリフはほとんどないのだが2人の表情がいい。彼が前途洋洋たるキャリアを捨て、彼女の逃亡を手引きし、トスカーナ地方へと逃避行する下りはあくまでも切ない。トスカーナの風景の美しさも切ないし、彼らを取り巻く人々の優しさも切ない。"逃避行"というのは、大概失敗するもの。どんどん狭められていく包囲網に、「逃げて! 逃げて!」と声を発したくなる衝動にかられた観客が多いのではないだろうか。
監督はあの「ラン・ローラ・ラン」のトム・ティクヴァ。どおりでカメラワークが非凡なはずだ。脚本はポーランドの巨匠クシシュトフ・キェシロフスキの遺稿だとか。この脚本を読む込み、映像に表現するのはなかなかの難行だったろう。
(2004・3・18 宇都宮)
「英雄 〜HERO〜」
監督 チャン・イーモウ
出演 ジェット・リー
マギー・チャン
トニー・レオン
(2002年/中国)
「あの子を探して」「初恋のきた道」の名匠チャン・イーモウが、人・モノ・金を惜しみなく注ぎ込んで創り上げた大作。
天下統一を目の前にした秦の始皇帝は、数多くの暗殺者にその命を狙われていた。中でも凄腕としてその名を轟かす3人の剣客を1人の若者が打ち倒し、始皇帝に拝謁を許された。たった1人で3人の暗殺者を殺したいきさつを尋ねた始皇帝に、若者は長い物語を語り始める・・・
まず目を奪うのはその映像の美しさだ。複数のエピソードを赤・青・黄・白に染め抜いた衣装で区別し、マーシャルアーツの動きに合わせて色が乱舞する様はため息が出るほど美しい(ちなみに、衣装担当はワダ・エミさん)。エピソードを色分けする手法はソダーバーグ監督の得意技だが、美しさではこの作品の圧倒的勝利。同じ登場人物が何度も違うエピソードに登場するため、見る人の頭を混乱させないためにも色分けは効果的だった。ややバトルゲームっぽくはなったが、寺や砂漠、森など背景にバリエーションを持たせた点もよかった。
ストーリーについては、ハリウッド映画を見慣れた人はやや戸惑うかもしれない。あくまでも勝利すること、生き残ることを強調するハリウッド映画に比べて、「英雄」では勝利よりも己の身を犠牲にして理想を追求することが尊ばれる。私は「これぞ東洋!」と中国人と日本人の価値観の近さを堪能したが、西洋人には理解できない思考回路ではないだろうか。しかもこの価値観がストーリーの最も重要な部分を貫いているのだから、理解できないとストーリー展開にもついていけない。このあたり、西洋の人にぜひ感想を伺いたいものだ。
改めて「スゴイ!」と思ったのはロケ地の多彩さ。始皇帝の宮殿に北京の故宮を使って大規模ロケを行い、奇岩だらけの砂漠で剣客同士の決闘シーンを撮影した。時代考証も場所設定もおかしいが、事実をもとにした物語ではないことだし、細かいことは言いっこなし。
最後に役者について云わせていただくと、主役のジェット・リーよりトニー・レオンとマギー・チャンがいい。この2人、なんて色っぽい組み合わせなんだろうと、画面を見ながらドキドキしっぱなしだった。
(2004・2・20 宇都宮)
「8mile」
監督 カーティス・ハンソン
出演 エミネム
キム・ベイジンガー
ブリタニー・マーフィー
(2002年/アメリカ)
アメリカ・ラップ界のカリスマ・エミネムが初主演した自伝的映画。ラップという音楽分野について私は特別興味もない代わりに拒否反応も示さなかったが、この作品はちょっとしたカルチャーショックだった。
1995年のデトロイト。スラム街の生活から抜け出すために、B・ラビット(エミネム)は毎週ラップバトルに出場していた。ラップミュージシャンとして成功し、リッチな生活をするのが彼の夢。自分では働かず、男に頼る生活を繰り返す母親(キム・ベイジンガー)。「コネがあるんだ。売り出してやる」と親切顔で近づく男。夢ばかり追って、現実の生活力のない仲間たち・・・出口のない貧しい日々にヤケになりながらも、B・ラビットは寸暇を惜しんでメモに詩を書きつづける――
デトロイトという街は「アメリカ人が最も住みたくない街」だと、アメリカ在住の友人から聞いたことがある。この作品を観ると確かにナットク。とてもじゃないが、日本人旅行者が歩けたもんじゃない。
つくづく感じるのは、アメリカという国は自由なようでいて、実はシビアな階級社会だということ。スラムで育った子どもたちはもちろん大学教育なんて受けさせてもらえないし、成り上がるとしたら芸能やスポーツなど個人の才能に頼る分野しかない。ラップで巨万の富を得ようと盛り上がる青年たちの姿は、オトナから見れば「なに夢みたいなこと言ってんだ」の一言だが、現にエミネムのような成功者が数十万、数百万分の1の確率で存在する。スラムから脱出するためなら、私だって夢を追いかけるだろう(ちなみにラップの才能はないが)。
それにしてもラップというのは、まるで日本の連歌のようだ。ラップバトルは2人の対戦者が45秒ずつの持ち時間でお互いを言い負かすラップを即興で展開する。より美しい韻を踏み、リズムに乗って自分の意見を主張し、観客の支持を得た方が勝ち。トーナメントを勝ち抜いて優勝すれば街のヒーローだ。残念ながら英会話の素養がないのでエミネムのリリックがどれほど優れているのか、私にはわからない。ただ、即興で韻を踏むには日頃のボキャブラリーの積み重ねが欠かせないはず。血の滲むような経験を積んできたからこそ、人の心を打つ詩も書ける。隠れた努力を惜しまない姿も共感できたし、「成り上がるには、まず地道に働くこと」というメッセージもよかった。
ところでエミネムの演技力には?マークだったが、母親役のキム・ベイジンガーがいい味を出している。母親としての愛情を持ちながら、愚かで情けない女を演じてサマになっていた。
(2004・2・24 宇都宮)
「ソラリス」
監督 スティーブン・ソダーバーグ
出演 ジョージ・クルーニー
ナターシャ・マケルホーン
ウルリッヒ・トゥクール
(2002年/アメリカ)
SF好きならタイトルだけでおわかりだろうが、スタニスワフ・レムの名作「ソラリスの陽のもとに」の映画化。製作がジェームズ・キャメロン、監督がスティーブン・ソダーバーグ、主演がジョージ・クルーニーとくれば、SFファンでなくても期待が膨らむのではないだろうか。
惑星ソラリスを探査する宇宙ステーション・プロメテウスから突然連絡が途絶えた。リーダーであるジバリアン(ウルリッヒ・トゥクール)から送信されてきたビデオは、親友の心理学者ケルヴィン(ジョージ・クルーニー)に助けを求めており、ケルヴィンは単身ソラリス行きを決意する。プロメテウスに到着したケルヴィンが見たものは、自殺した親友と心を病んだ科学者たちの姿だった・・・
ソラリスの周回軌道を回る宇宙ステーションで一体なにが起きたのか? 大事故が起きたわけでもエイリアンが暴れたわけでもない。クルーは自殺するか、自閉的になるだけ。しかし、事態を全く理解できなかった主人公も、ある朝目覚めて「真相」に気がつく。そこには普通の神経では耐えられないシチュエーションが仕掛けられていた。
ソラリスでなにが起きたかはネタバレになるので書きにくいが、ケルヴィンが味わったゆっくりと真綿で首を締められていくような感覚を画面全体から感じることができる。このあたりは原作に惚れこんだ末に初のSF作品に挑戦したソダーバーグの演出力だ。
私は中学生の頃に原作を読んだのだが、難解でよく理解できなかった一方、妙に心に残る小説だったと記憶している。他にないアイデアと、主人公vs「ソラリスがもたらしたモノ」の対決が鮮明に浮かび上がる筆力に子どもながら圧倒された。原作には映画が描いていない、もっと深い世界があったと思うのだが、2時間あまりの映像にそこまで期待するのは酷なことかもしれない。
SFだからと派手なメカニックや戦闘シーンを予想すると期待外れ。濃密な謎に満ちた宇宙の神秘を、じっくりと体験したい方にオススメだ。
(2004・1・29 宇都宮)
「エニグマ」
監督 マイケル・アプテッド
出演 ダグレイ・スコット
ケイト・ウィンスレット
サフロン・バロウズ
(2001年/イギリス)
1943年ナチスドイツとの悲惨な戦争が続く中、イギリス諜報部は数学者、言語学者などを集めた"暗号解読チーム"を結成。ドイツが誇る暗号システム「エニグマ」を解読させることに成功した。ところがUボート総攻撃直前に、ドイツ軍が突然エニグマの暗号コードを変更したため、再び解読チームが召集された。メンバーのひとり・天才数学者ジェリコ(ダグレイ・スコット)は解読を進める一方、恋人のクレア(サフロン・バロウズ)が姿を消したことに疑念を抱き、諜報部を出し抜いて独自に真相を探るのだが・・・
消えた恋人を追ううちに、思わぬ真相に行き当たるストーリーはいかにもスパイものらしく、面白い。研究一筋の学者に海千山千の美女が近づく下りは、どう見ても男がだまされているのだが、本人がそうと気づかないのは現実にもありがち。美人局は本当に古くて新しい、成功率の高いスパイ方法だと改めて認識した。
美女の正体が怪しいのは最初から見る側にもわかっているが、ラストのドンデン返しは意外性たっぷり。それを見抜く主人公のアタマのよさに少々ついていけなかったりもするが。
ちなみに、製作はあのミック・ジャガー。最初にキャスティングを見たときはてっきりケイト・ウィンスレットが美女役かと思ったが、「タイタニック」の頃からは想像もつかないくらい太ってしまった彼女には美女役はもうムリなようだ(ローズを演じていたときも二の腕の太さから将来の太りっぷりが予想できたが)。しかし、彼女が演じたクレアのルームメイト役は、地味だが頭脳明晰で好感の持てる役柄だった。
(2004・1・29 宇都宮)
「チャーリーズ・エンジェル フルスロットル」
監督 McG(マック・ジー)
出演 キャメロン・ディアス
ドリュー・バリモア
ルーシー・リュー
(2003/アメリカ)
2000年に公開された第1弾に引き続き、同じキャストで製作された第2弾。
ご存知のとおり、とにかくド派手に、セクシーに、明るく女性エージェントが活躍するストーリー。マーシャルアーツからカーアクションまで、あり得ないシーンの連続でバカバカしく思える人にはバカバカしいだろうが、頭をカラッポにして楽しむためにはそれなりに役に立つ映画だ。
今回の見どころは、"伝説のエンジェル"としてデミ・ムーアが久々にスクリーンに登場した点だろうか。かつてはエンジェルのひとりとして正義のために闘った女性が、悪の道に走ってしまったという設定。この役づくりのために、デミ・ムーアは6000万円かけて全身美容整形をしたらしい。確かに40代にしては絞れたボディラインだったが、それでも若いエンジェルたちと比べると容姿の衰えはツライ。本人がいちばんツライだろうが(女優がトシをとると明らかに出演機会が減るだろうし)、見ている同世代の私もツライ。しかも、比べる対象のキャメロン・ディアスが30を超えて最近明らかに老けてきた。これもキョーフだ。それにひきかえ、もともと老け顔のドリュー・バリモアは貫禄がついてきた。少々太り気味なのが気になるが、今後とも役柄が広がりそうだ。ルーシー・リューは前作を機に主演格の女優になり、東洋系アクション女優として定着した感がある。
3人の女優のコスプレ要素も強い映画だが、なんと用意された衣装は1000着以上だとか。そして製作費170億円をかけて撮影されたアクションシーンを、私たちはストレス発散に利用する。なにはともあれ、ハリウッドはスケールがでかい。
(2004・1・29 宇都宮)
「キューブ2」
監督 アンドレイ・セクラ
出演 ケリー・マチェット
ジェラント・ウィン・デイビス
グレース・リン・カン
(2002年/アメリカ)
98年に公開され、カルト的な人気を誇ったカナダ映画「キューブ」の続編。
登場人物はみな、ある朝正体不明の正立方体=キューブの中で目覚める。キューブには水も食料もなく、各面に1つずつ隣のキューブへとつながる出入り口があるのみ。隣のキューブに移動しても、前後左右上下に終わりのない連続体があるのみ。数人の見知らぬ男女が出口を求めてキューブからキューブへと移動しながら、キューブからの脱出方法を模索するのだが・・・
設定からストーリーの展開は前作とほぼ同じ。登場人物の組み合わせもリーダー格の男性やエンジニア、医者、ハンデを背負った人など、イヤになるぐらい前作と似ているので、もう少し変化をもたせてもよかったのでは。前作がとてもナイスな組み合わせだったので、ひょっとしてこれを超えるものが考えつかなかったのか?
キューブはありとあらゆる方法で内部にいる人間を殺そうとするが、知恵を絞れば脱出することができる。このあたりの知恵の絞り方がストーリーの面白さなのだが、残念ながら前作を超える知恵は見られない。むしろ新しいアイデアを考案することを放棄して、キューブがもたらす異世界を描くことに走ってしまった。残念ながらこれが失敗のもと。異世界が荒唐無稽過ぎると、恐怖感まで目減りしてしまう。
「キューブ」ファンにとって最大の疑問は、「そもそもキューブは誰がなんのために創ったのか」ということ。本作のラストで少し謎解きが行われているが、これを納得するかどうかは見た人次第。全編を通して、ハリウッドがカナダ映画に完敗したことだけは確かだ。
(2004・1・23 宇都宮)
「ファム・ファタール」
監督 ブライアン・デ・パルマ
出演 アントニオ・バンデラス
レベッカ・ローミン=ステイモス
(2002年/アメリカ)
カンヌ映画祭の会場で、数億円のダイヤがある女によって盗まれた。女のせいで7年間の刑務所暮らしを送る羽目になった共犯者の男は、復讐の鬼となって彼女をつけ狙う。名前を変え、経歴を隠してアメリカで過ごした後、その女はアメリカ大使夫人となってパリに戻ってきた・・・
スーパーモデルのレベッカ・ローミン=ステイモスが抜群のプロポーションとファッショナブルな衣装で悪女を演じる。男はほとんど彼女の虜となり、利用されるのだが、その過程が面白い。パパラッチ役のアントニオ・バンデラスがその最たるもの。ただし、バンデラスクラスになると翻弄されるだけで終わるわけにはいかないようだが。
監督がブライアン・デ・パルマなので、あちこちに伏線を仕込んでいるのではないかと推測できるのだが、残念ながら私の眼力では完全には見抜けなかった。特に後半、思いもよらない方向に話が進むので、このあたりの把握がポイントだ。同じシーンが2度登場するので、1回目と2回目の違いを確認するといいかもしれない。
それにしても小ズルイ女なら私のまわりにもいるが、ここまでの悪女にはなかなかお目にかかれたものじゃない。アタマの回転が速くて行動力・演技力があり、順応性も高い美女。これだけ揃えばなにも悪いことをしなくても人生で成功しそうなものだが、いい人より悪女の方が女の目から見ても魅力的なのだから始末が悪い。それにしても、男ってホントにバカばっかり・・・この作品を見ている限り、そう思える。
(2004・1・23 宇都宮)
「パイレーツ・オブ・カリビアン」
監督 ゴア・ヴァービンスキー
出演 ジョニー・デップ
オーランド・ブルーム
ジェフリー・ラッシュ
(2003年/アメリカ)
ディズニーランドの人気アトラクション「カリブの海賊」をモチーフに、ディズニー映画が制作した海洋アドベンチャー。「海賊ものは成功しない」と言われるらしいが、退屈することなく大人も子どもも楽しめる作品だ。
海賊が横行するカリブ海の港町ポートロイヤル。領事の娘エリザベス(キーラ・ナイトレイ)は、子どもの頃ウィル(オーランド・ブルーム)から受け取った金のメダルを大切に持っていた。そんなある日、ポートロイヤルは海賊バルボッサ(ジェフリー・ラッシュ)に襲われる。バルボッサのめざすものはただひとつ、エリザベスが持つ金のメダルだった・・・
金のメダルは一体なんなのか。なぜウィルが金のメダルを持っていたのか――これが作品全体を貫く謎になっている。
ストーリーは途中からホラーじみてくるが、荒唐無稽な展開もディズニーランドのノリで流した方がいい。なんとなく違和感を覚えるのは、主人公の海賊ジャック・スパロウ(ジョニー・デップ)の位置づけ。味方なのか敵なのか、強いのか弱いのか、そもそも正体がわからないのにウィルが手助けを頼むのも不自然だ。ジョニー・デップの演技力があってこそ、2時間強の長尺にもスパロウ船長のキャラが持ちこたえたのだと思う。J・デップ自身はこの役柄をとても楽しんで演じているように見えた。
ジェフリー・ラッシュはなにをやらせても上手いし、悪役は演技上手でないといけないと改めて思い知らされる。オーランド・ブルームは「ロード・オブ・ザ・リング」のレゴラス役の印象が強いが、ブルネットの彼も金髪のときとはまた違った美形ぶりだ。「ベッカムに恋して」「スター・ウォーズ エピソード2」に出演後、大役を得たキーラ・ナイトレイはウィノナ・ライダーを思わせる美貌で、今後が楽しみだ。
(2004・1・23 宇都宮)
「ザ・コア」
監督 ジョン・アミエル
出演 アーロン・エッカート
ヒラリー・スワンク
ブルース・グリーンウッド
(2003年/アメリカ)
人類滅亡を描いた映画は数多い。彗星や小惑星の衝突、核戦争、エイリアンの来襲・・・思い出すだけでも結構あるものだが、「地球のコア(核)の異常」という設定には初めてお目にかかった。
アメリカでペースメーカーを装着した人々が突然死した。同じ頃スペースシャトルが原因不明の制御不能に陥り、ロサンジェルスの真ん中に不時着する。ロンドンではハトが方向感覚を失い、ビルに激突して死亡する事故が多発した。地球物理学者のキーズ(アーロン・エッカート)は、これらの原因を地球のコアの回転異常だと見抜き、政府に直訴する。コアの近くで複数の核爆発を起こし、再びコアに正常な回転を取り戻そうとする彼の計画に、アメリカ政府は巨額の資金を投資し、6人の選ばれたメンバーが地底1600マイルの旅に出発する・・・
どんな風に危機が起こり、どんな風に解決するのか。なんてったって相手は地球のど真ん中にあるのだ。「一体どうやって・・・?」という素朴な疑問にひきずられて、最後まで真剣に見入ってしまった。
物語のクライマックスは地底の旅だが、そもそも地底がどうなっているかなんて誰も見たことがない。中学の理科で習ったように「金属も溶かすほど超高温のマグマがドロドロ動いている」という程度の認識だ。
ところが、本作の中では地底でも溶けない金属でできた地底探査船が建造され、6人の人間が乗り込み、コアに接近する。地底の条件を考えて設計された探査船なのだろうが、それでも子どもの頃に刷り込まれた常識というのは恐ろしい。「ホントに溶けないの? そもそもマグマの中を進めるの? 乗ってる人間が生きてられるの?」と作品を観ながら疑問が爆発しそうになった。
ラストも「そんなのあり?」と思わせたが、こうした話はハッピーエンドにしなくては後味が悪い。無理やりのハッピーエンドを考えついた監督・脚本家・プロデューサーに「お疲れさん」と云いたい。
登場人物では、ヒラリー・スワンク扮するNASAの女性宇宙飛行士が面白い。常に冷静沈着、素晴らしくアタマがいいので、同じ女性として見ていて気分がいい。全体にビッグネームのスターを使わず、ストーリー主体で勝負した点はよかった。
(2004・1・23 宇都宮)
「8人の女たち」
監督 フランソワ・オゾン
出演 カトリーヌ・ドヌーブ
エマニュエル・ベアール
ファニー・アルダン
(2002年/フランス)
大雪の朝、片田舎の屋敷で主人が死体で発見された。屋敷の住人は、主人の妻(カトリーヌ・ドヌーブ)、オールドミスの妹(イザベル・ユペール)、その母(ダニエル・ダリュー)、高校生の次女(リュディヴィーヌ・サニエ)、2人の家政婦(エマニュエル・ベアール、フィルミーヌ・リシャール)。そこに長女(ヴィルジニー・ルドワイヤン)が帰省し、おまけに主人の生き別れの妹(ファニー・アルダン)まで登場する。彼女ら8人の女たちが犯人探しをするうちに、一家の秘密がだんだん暴露され・・・
まずは豪華女優陣に、「こんなキャスティングが可能なのか?」と圧倒される。もとは舞台劇だったのか、屋敷の1階リビングに場を固定した古びたつくりの作品。しかもミュージカル仕立てとあって、劇中8人の女優が1人ずつ歌を披露する。ようやく作品のテイストに慣れたところで、ストーリーがどんどん面白さを増していく。「そんなのアリ?」と思う点も多々あるが、劇場でお芝居を見る感覚で楽しめる映画だ。
女優陣の演技合戦も見せ場のひとつだが、イザベル・ユペールがやっぱりウマイ。「ピアニスト」の演技もそうだったが、作品ごとに別人になりおおせ、観る者を楽しませてくれる。存在感があったのはファニー・アルダン。なぜフランス女性はああも粋なのかと感服。エマニュエル・ベアールは相変わらず小悪魔の魅力で男をたぶらかす役どころがピッタリ。もう30代後半のはずだが、年をとっていないのが不思議。そういえばイザベル・アジャーニもそうだったが、フランスの女優は年をとらない。なにか秘訣でもあるのか。(思うに、老け始めの頃、一旦スクリーンから姿を消し、カトリーヌ・ドヌーブぐらい熟れてから再び映画出演を始めるためか?)
それにしてもこれだけの女性パワーに囲まれる男性は、この屋敷の主人でなくても早死にしそう。主人役の男優が最後まで顔を出さなかったのも大正解だ。
(2003・12・31 宇都宮)
「ベッカムに恋して」
監督 グリンダ・チャーダ
出演 バーミンダ・ナーグラ
キーラ・ナイトレイ
ジョナサン・リース・マイヤーズ
(2002年/イギリス)
ジャス(バーミンダ・ナーグラ)はサッカーが大好きなインド系イギリス人の女の子。町で男の子相手にストリートサッカーをするうちに、地元の女子サッカーチームから誘いがかかった。好きなサッカーを思う存分やりたいジャスだが、伝統的なインドの慣習を重んじる両親は「女の子がサッカーなんて」と拒否感を募らせ・・・
タイトルは「ベッカムに恋して」だが、当然ながらベッカムはテレビ映像でしか出てこない。予想どおり主人公の憧れの選手がベッカムなわけだが、10代の女の子がベッカムファンと言えばミーハーにしか解釈してもらえないのは日本もイギリスも同じらしい。
面白いのは、主人公がインド系という設定。イギリス人と同じように学校に通い、サッカーに興じる一方で、伝統的なインド料理を覚えさせられ、行事ともなればサリーを着る。お父さんはターバンを巻いているし、お母さんは「女の子は学校を出たら嫁に行くもの」と決めつけ、結婚相手は親の意見が大きくモノを云う。作品中でジャスも恋に落ちるが、インド系以外の男性との恋愛は本来ご法度のようだ。
全体に爽やかでほんわか気分にさせる作品だが、女子サッカーの描き方がちょっと甘いのでは。特にサッカーシーンはつらい。今年開催された女子ワールドカップでは、女子でも男子並みのシュートシーンが見られた。役者さん的には大変だろうが、クライマックスの試合シーンはもう少し本格的なサッカーが見たい。(CGを使えばそれもできるのだろうが、敢えて使わなかった姿勢は評価したい。ひょっとして予算がなかった?)
また、主人公の恋愛もスムーズに運び過ぎ。恋もサッカーも成功するとなると、ちょっと話が上手すぎる。特に、ライバル役のキーラ・ナイトレイが誰が見ても美人なだけに苦しい。
(2003・12・30 宇都宮)
「ラスト・サムライ」
監督 エドワード・ズウィック
出演 トム・クルーズ
渡辺 謙
真田 広之
(2003年/アメリカ)
2004年お正月映画の中で最も話題を呼んでいるトム・クルーズ最新作を見た。
南北戦争の英雄オールグレン大尉(T・クルーズ)は、明治維新さなかの日本に西洋式の軍隊指南役として来日。折りしも明治政府の重臣である勝元(渡辺謙)が、新政府に冷遇されている侍たちの復権を唱えて反乱をおこし、オールグレンは政府軍を率いて勝元征伐に乗り出す。が、西洋式の武器を持つ政府軍は敗れ、オールグレンは勝元の捕虜に。勝元はオールグレンを殺さず、自分が統治する村で半年間暮らしをともにする。そこでオールグレンが見たものは、誇り高きサムライの精神=武士道だった・・・
ハリウッドがサムライを描くと、どうにも面白おかしなモノができてしまうのが従来のパターン。ところが、本作は監督自身がハーバード大学で日本文化を学んだ本格派。日本人アドバイザーも複数採用し、徹底的に時代考証を重ね、ロケ地も姫路の書写山円教寺など歴史ある建造物で行ったとあって、本物の日本、本物の古さを感じさせてくれ、西洋製時代劇のいかがわしさをほとんど感じさせない。(なぜ勝元や明治天皇があんなに英語がペラペラなのか?という疑問はあったが)
また、全編を通じて日本文化への深い畏敬の念を感じることができるのも、日本人としてうれしい。この映画を通じて、サムライ→ハラキリといった欧米の通俗概念が少しでも変わってくれれば、と願う。
そんなしっかりした背景に加えて、日本人俳優陣の熱演がいい。特に渡辺謙。T・クルーズと1対1のシーンでは、T・クルーズが完全に霞んでしまっていた。真田広之もセリフは少ないが存在感があったし、唯一の女性キャラ・小雪も清楚で美しい。明治天皇もそれらしい風貌だ。
そんなこんなで私の周りでは評判の高い作品だが、果たしてアメリカでヒットするのだろうか。日米同時公開の初日3日間は初登場1位だったようだが、アメリカ人が見て面白い映画かどうかは少し疑問だ。世界のナンバー1を自認するお国柄に、異文化への畏敬の念(特に東洋人の)を素直に持つことができるのか? アメリカの懐の深さを計るためにも、結果を見守りたい。
(2003・12・8 宇都宮)
「裸足の1500マイル」
監督 フィリップ・ノイス
出演 エヴァーリン・サンビ
ローラ・モナガン
ケネス・プラナー
(2002年/オーストラリア)
1931年のオーストラリア西部。当時、オーストラリア政府は先住民アボリジニと白人との混血児を隔離し、白人に同化させるための"保護"政策を行っていた。
アボリジニの母と白人の父との間に生まれた14歳の少女モリーは、妹と従妹とともに、先住民対策局の手に捕らえられ、故郷から遠く離れた収容所に入れられる。「母さんのもとに帰りたい」――その一念でモリーたち3人は90日間1500マイルの砂漠を歩いて故郷をめざすが・・・
裸で狩猟生活を営むアボリジニが"野蛮"で、ナイフとフォークで食事をする白人は"文化的"。世の中全体のその恐ろしい思い込みを体現した、ムーアリバー収容所の光景がうそ寒い。1500マイルとひとことで云っても、東京〜サイパン間の距離に相当するらしい。飛行機で3時間半かかる距離を、追っ手から逃れながら、食料も持たずに歩き通したその意思の強固さ・家族への思いの強さに泣けた。
親から引き離された少女たちは故郷に戻ることもなく、親とも二度と会えなかったという。親子という強い絆を引き裂いて、無理やり白人の慣習を押し付けることのどこが"文化的"なのか。収容所で従順に"学んだ"ところで、混血少女たちの行く末は決して明るくない。作品中でも描かれていたように、白人家庭の家政婦になり、本人の意思に反して主人の情婦にされるのが典型だったのかもしれない。
こんな"非文化的"で"野蛮"な混血児隔離政策が1960年代まで行われていたというのだから、オーストラリアという国が恐ろしくなる。ゴールドコーストやシドニーの観光名所ではわからない暗部があるのだと、映画が残酷なまでに教えてくれた。
これからオーストラリアに行く人、お子さんのいる人にぜひ見てもらいたい作品だ。
(2003・12・8 宇都宮)
「小さな中国のお針子」
監督 ダイ・シージエ
出演 ジョウ・シュン
チュン・コン
リィウ・イエ
(2002年/フランス)
1971年、中国では文化大革命の嵐が吹き荒れていた。医者を父に持つマーとルオは「反革命分子の子」として、奥深い山村に「思想改造」のために送り込まれる。過酷な労働の日々の中で、彼らの心の救いとなったのは美しいお針子の娘だった。やがて、お針子はルオと愛し合うようになり・・・
中国を舞台に中国語で描かれているが、物語の原作はフランスのベストセラー小説である。「西洋文化は反革命的」とされ、インテリであるだけで「反革命分子」と責められた文革下の中国。幼い頃から西洋文明に触れて育った2人の青年はそれでも文化の香りに飢え、フランス小説(特にバルザック)の翻訳本を盗み出し、密かに読み耽る。彼らは自分たちが読むだけでは飽き足らず、文字も読めないお針子を西洋文化に目覚めさせようと、毎日小説を読み聞かせた。それが後に思いも寄らない運命へと彼らを導いていくことも知らずに。
見終えて、やはりこれはフランス映画だと思った。山村の風景の美しさ、少女たちの可憐さなど、あまりにも美し過ぎて、ファンタジーに見える。中国人が文革を描いたらこんなものじゃない。もっとリアルで、もっと生々しい内容になる。なぜなら、それだけ煮え湯を飲まされるような思いを国全体が体験しているから。山村の生活ももっと苦しくて辛いはず。アルプスの村とはワケが違う。また、中国にはフランスよりはるかに長い歴史を持つ文化がある。文革という異常な時代だったとはいえ、西洋文化を美化し過ぎているのも気になった。
いずれにせよ、1人の女性を巡る2人の男性の物語は恋愛ストーリーとして面白い。映像の美しさ、マーが弾くバッハのバイオリンソナタが効果的に使われ、観る者の心に少しずつしみいるような作品だ。
最後の結末もファンタジックだ。若者たちの輝くような青春の地はどこへ消えてしまったのか。ネタバレになるので書かないが、印象的なラストだった。
(2003・12・8 宇都宮)
「アニマトリックス」
監督 アンディ・ジョーンズ、前田真宏、渡辺信一郎、川尻善昭、小池 健、森本晃司、ピーター・チョン
(2002年/アメリカ)
「マトリックス」3部作をつなぐ9つのオムニバスストーリーを、日本人5人を含めた7人が監督。クオリティの高いアニメ作品集に仕上がっている。
そもそも「マトリックス」の世界には謎が多い。いつから人間は機械の奴隷になり、マトリックス世界に囚われているのか。現実世界の人間たちはどうやって機械と戦っているのか。ニューヨーク以外の地域でも同じことが起きているのか・・・等々。本編のマトリックスでも多少説明はあるが、アクションシーンの映像の斬新さに力を注ぎすぎてストーリーが二の次になっている感は否めない。そこで、「リローデッド」公開前に登場したのが「アニマトリックス」だ。
一部の脚本に「マトリックス」シリーズ監督のウォシャウスキー兄弟も参加しているが、日本人アニメ監督が脚本を担当しているものもある。なにより監督7人中5人が日本人という寡占状態に驚いた。「マトリックス」シリーズにも日本文化が色濃く顔を出すが、ウォシャウスキー兄弟はかなりの日本アニメフリークのようだ。
それにしても日本人監督ひとりひとりの作品を鑑賞すると、日本アニメのレベルの高さに驚かされる。実写の映画はお寒いが、アニメの充実度は世界一。生身の人間の迫力とスケールの大きさでは勝てないが、セル画に描かれた仮想空間は世界を魅了する。まるで今の日本文化そのものだ。
(2003・10・31 宇都宮)
「メラニーは行く!」
監督 アンディ・テナント
出演 リース・ウィザースプーン
ジョシュ・ルーカス
パトリック・デンプシー
(2002年/アメリカ)
「キューティ・ブロンド」で名を馳せ、ポスト・メグ・ライアンの一番手と言われるリース・ウィザースプーン主演のロマンチック・コメディ。
ニューヨークでデザイナーとして成功したメラニーは、市長の息子からのプロポーズも受け、幸せの絶頂。ところが、メラニーには人に言えない秘密があった。7年前に家出したきりの南部の故郷の町に、夫を残してきたのだ。早速7年ぶりに夫のもとに戻り、離婚を迫るのだが・・・
ニューヨークで最も注目される独身男性を選ぶか、それともアラバマの田舎でサエない生活を送る夫を選ぶか。ストーリーはほぼこの1点に集約されている。ハイスクール在学中に初恋の相手の子を妊娠し、卒業と同時に結婚してしまった過去は若気の至り。南部の田舎娘が競争社会のニューヨークに単身乗り込み、7年間必死で頑張って有望新進デザイナーの地位を掴んだことは立派だし、この7年間の苦労を棒に振ってはいけないと思う。一方、田舎でのんびり暮らす人々の人生を否定する権利は誰にもない。要はその人の価値観の問題だ。
メラニーがどちらを選んだかは完全ネタバレになるので書かない(ストーリーの焦点がそこにしかないことだし)が、夫の描き方がちょっと微妙だ。市長の息子よりもハンサムだし、実は夢も野心も胸に秘めている。メラニーが都会に出てから変わったのかもしれないが、「こんないい男捨てて都会に出るか?」と思わせるし、にもかかわらず都会に出た女性が「今更、昔の夫に心が動くか?」と二律背反した疑問が湧いてくる。
全体に「キューティ・ブロンド」ほど面白くなかったのが残念。でも、これはそもそもの設定にムリがあり、脚本が面白くないせいだ。コメディの表情ができる女優さんにはなかなかお目にかかれないので、リース・ウィザースプーンには今後とも期待しよう。
(2003・10・31 宇都宮)
「サラマンダー」
監督 ロブ・ボウマン
出演 マシュー・マコノヒー
クリスチャン・ベイル
イザベラ・スコルプコ
(2002年/アメリカ)
ロンドンで母とともに暮らす少年クインは、母が働く地下鉄工事現場で火を噴く翼竜を目にする。6500万年の眠りから覚めた翼竜=サラマンダーはあっという間に繁殖し、人間や動物を貪り食い、地上を炎で焼き尽くしてしまう。20年後、成人したクインはイギリスの片田舎で数十人の仲間とともにコロニーを作り、サラマンダーと戦いながら生き残っていた・・・
恐竜時代を支配したサラマンダーが、ロンドンの地下で6500万年も眠っていたというムリな設定を、まず受け入れる必要がある。地下鉄工事で目覚めたサラマンダーが繁殖し、人類を滅亡寸前にまで追いやった経緯は作品の冒頭で簡単に説明されるのだが、その手法もなんだかお安い。なぜなら舞台として登場するのはロンドンの一部とクインのコロニーのみで、後はセリフによる説明だけだから。こうした貧乏くささが全編を覆っているため、「ホントに人類滅亡の危機なのか?」「サラマンダーの生態は?」といった疑問が常につきまとい、危機感や哀しみがリアリティを持って胸に迫ってこない。「ロード・オブ・ザ・リング」が壮大な指輪の歴史をVFXと実写で丁寧に説明し、物語に奥行きを持たせたのと好対象だ。
まあそれでも役者の熱演とサラマンダーの恐ろしさは感じることができる。子どもの頃、恐竜に追いかけられて逃げ惑う夢をよく見たが、「恐竜に食べられて死ぬこと」に対する恐怖感というのは万国共通のようだ。6500万年前、我々哺乳類の先祖は恐竜が闊歩する世界でどうにか生き延びてきたが、それと同じことが繰り返されただけかもしれない。原始哺乳類にない知恵がたまたま人間にあったというだけで。
(2003・10・31 宇都宮)
「戦場のピアニスト」
監督 ロマン・ポランスキー
出演 エイドリアン・ブロディ
トーマス・クレッチマン
(2002年公開/アメリカ)
年間100本以上の映画を見るが、「言葉を失う」作品にはなかなか巡りあえない。しかし、この作品はエンドクレジットを見終えた後もしばらく言葉が出なかった。実話の持つ重みなのか、ロマン・ポランスキー監督の原体験が生み出したものなのか。
ナチスドイツがポーランドに侵攻し、あっという間に支配体制を敷いた時代。若き名ピアニストとして知られていたシュピルマン(エイドリアン・ブロディ)はユダヤ人であることを理由に、家族とともにゲットーでの生活を強いられる。財産をすべて失い、食べ物にも事欠くゲットーでの生活は2年間続き、シュピルマンは食物を得るために命の次に大切なピアノまで売り払ってしまう。が、家族揃って暮らせるだけゲットーでの生活はまだましだった。やがてナチスはユダヤ人大量虐殺のためにゲットーの住民を強制収容所へと送り込みはじめる。強制収容所への護送列車が出発する間際、ユダヤ人警察官に救われたシュピルマンは、たったひとりワルシャワの街で潜伏生活を送るのだが、それは飢えや孤独と闘うサバイバルの日々だった。
愛する家族と裕福な暮らしを送っていたピアニストが、ある日突然ゲットーに隔離される。ナチスに逆らうことは即、死を意味する時代。ユダヤ人たちはひたすら耐えるが、やがてゲットーよりも恐ろしい強制収容所に送られ、家族はバラバラに。主人公シュピルマンも強制収容所に送られれば、命がなかった可能性が高い。しかし、ナチスが支配する街で協力者が週に1度運ぶ食物だけを頼りに暮らす隠れ家生活も、見ていて胸を塞がれる。協力者なき後の、廃墟のワルシャワでのサバイバル生活はさらに過酷だ。
なぜ、ここまで苦しみながらも人は生きようとするのか。動物としての本能もあるだろう。「生きてさえいれば、家族と再会できる」と微かな希望にすがる気持ちもあるだろう。しかし、本人には何の罪もない、国家による大量虐殺という事実を目の前にしたとき、靴の革を食べてまで生き残ろうとする意思が果たして自分にあるのか。画面全体から「人が生きる」ことへの根源的な問いかけを受け取り続ける2時間余りだった。
これはもう自らもゲットー生活を経験し、強制収容所で母親を失くしたというポランスキー監督にしか創れない作品なのかもしれない。ポランスキーの期待に応えて10数キロ減量し、極限生活を表現したエイドリアン・ブロディの演技も鬼気迫るものがあった。2003年度アカデミー賞監督賞と主演男優賞の受賞は至極妥当で、作品賞も「シカゴ」よりこちらに受賞させたかった。
(2003・10・23 宇都宮)
「Xメン2」
監督 ブライアン・シンガー
出演 ヒュー・ジャックマン
パトリック・スチュアート
ハル・ベリー
(2002年・アメリカ)
人気アメリカンコミックの映画化第2弾。
人間社会に突然変異として生まれ、特殊な能力を持つミュータントたちは、人間たちの目を逃れてリーダーであるプロフェッサーX(パトリック・スチュアート)のもとに集まり、コミュニティを形成していた。人間に迫害されながらも共存を願う彼らは、人間を殲滅しようとするマグニートー(イアン・マッケラン)と闘い続けているが、さらに新たな敵が登場する。
原作がコミックだけあって荒唐無稽なエスパーがわんさか登場するが、VFX技術と役者のよさでマンガチックな面をあまり感じずにすむ。同じ設定で日本映画を見たら、ちょっと耐えがたいものができそうだが、ハリウッド映画の現実感のなさがSFの場合いい方に作用するようだ。
主役のヒュー・ジャックマンはすっかりスターの仲間入りを果たしたが、彼の容姿は確かにウルヴァリアンに適役。アカデミー賞女優ハル・ベリーにしても「こんなのに出演していていいのか?」と少し心配になるが、彼女が映れば画面が華やかになり、作品としては必要な存在。なによりブライアン・シンガーが監督を務めたためか、ムダのない筋運びや展開のうまさが光る。
新たな種の台頭を恐れる人間との葛藤がもっと描かれれば、もっと見ごたえが増すだろう。
(2003・10・22 宇都宮)
「ギャング・オブ・ニューヨーク」
監督 マーティン・スコセッシ
出演 レオナルド・ディカプリオ
キャメロン・ディアス
ダニエル・デイ=ルイス
(2002年・アメリカ)
19世紀半ばのニューヨークでは、アイルランドから新たに押し寄せる移民と、それ以前からニューヨークに住む"ネイティブス"たちの血で血を洗う抗争が繰り広げられていた。両者はファイブ・ポインツの利権を争い、ついに決戦の時を迎える。アイルランド移民の組織のリーダー・ヴァロン神父(リーアム・ニーソン)はこの決戦で"ネイティブス"のリーダー・ビル(ダニエル・デイ=ルイス)に殺された。父が殺される様子を目の前で見ていた少年アムステルダム(レオナルド・ディカプリオ)は、孤児施設で育ち、成人後ファイブ・ポインツに戻ってくる。彼はそこで父の仇であるビルが、変わらず闇の権力を握っていることを知る・・・
「タクシー・ドライバー」「グッドフェローズ」のマーティン・スコセッシ監督が描きたかった誰も知らない19世紀のニューヨーク。ニューヨークへは3回旅行したが、この作品のセットで再現された19世紀の街並みと歴史は、確かに私の知らないニューヨークだ。作品を通して描かれたギャングの抗争は、まさに戦争状態。警察も治安もあったもんじゃない、問答無用の力の世界だ。
ギャング物はボス役がショボイと作品そのものもショボクなる。その点、すでに俳優を引退していたのを復帰させてまでダニエル・デイ=ルイスにこだわったのは正解だ。あの存在感、あの迫力は一体なんなのか。つくづく引退したのが惜しくなる役者さんだ。
アムステルダム役のレオナルド・ディカプリオは無難な役どころ。彼が演じる役は目端の利く若者が多いが、たまにはスマートな役ばかりでなく、泥臭い演技もしてほしい。未だに19歳のとき演じた「ギルバート・グレイプ」を超えられないのもちょっと残念。
それにしてもファイブ・ポインツって一体ニューヨークのどこにあるのだろう。当時はダウンタウンのみ市街化されており、ミドルタウンから北は郊外の荒地だったらしい。セントラルパークもヤンキースタジアムもなかった時代のニューヨーク。あの街を見ていると、つくづく都市は生き物だと感じさせてくれる。
(2003・10・21 宇都宮)
「レッド・ドラゴン」
監督 ブレット・ラトナー
出演 アンソニー・ホプキンス
エドワード・ノートン
レイフ・ファインズ
(2002年・アメリカ)
FBIを退職し、家族とともに過ごすグレアム(エドワード・ノートン)の元に、再びFBIから声がかかった。彼が逮捕した殺人鬼レクター(アンソニー・ホプキンス)の協力を得て連続一家惨殺事件を解決したいのだが、レクターはグレアムにしか推理を話そうとしないというのだ。否応なく再び事件に巻き込まれたグレアムは、レクターの推理を引き出しながら犯人に迫るのだが・・・
物語は「羊たちの沈黙」の前。グレアムがレクターを逮捕した直後から始まる。時間軸から追えばレクターが「羊たち・・・」より老けているのはおかしいが、アンソニー・ホプキンス以外のレクター博士は考えられないからしかたがない。当初は違和感を感じても、ストーリーが進行すれば物語の中に引き込まれて忘れてしまうので問題なし。
連続殺人鬼を追うFBI捜査陣と、着々と自らの楽しみを追求する殺人鬼の行動が交互に展開される構成に、レクター博士の推理が絡む。表向きはレクターの協力を得ているものの、グレアムはレクターを完全には信用していない。天才博士の協力を引き出しながら、いかに彼から自分の身を守るかも考えねばならない、綱渡りの捜査だ。実際、レクターがグレアムの家族の居所を突き止めるシーンから、本当のクライマックスがスタートする。
レクター博士のシリーズは「羊たちの沈黙」「ハンニバル」「レッド・ドラゴン」と続いてきたわけだが、いずれもハズレがない。「羊たち・・・」が傑作だっただけにパート2以降は制作側の苦労も忍ばれるが、「羊たちの沈黙」の脚本家を再び採用し、前作を超えるクオリティを目指した作品だけあって、「レッド・ドラゴン」も期待を裏切らない秀作である。
俳優陣もレクター博士役には彼以外絶対考えられないアンソニー・ホプキンス、FBI捜査官役に若手演技派のエドワード・ノートン、そして連続殺人鬼役にレイフ・ファインズとキャスティングもスゴイ。他にグレアムの上司にハーヴェイ・カイテル、殺人鬼が近づく盲目の女性役にエミリー・ワトソンと、ひとクセもふたクセもある役者揃い。これだけの面子が揃えば、見ていて楽しくないわけがない。
(2003・10・21 宇都宮)
「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」
監督 スティーブン・スピルバーグ
出演 トム・ハンクス
レオナルド・ディカプリオ
クリストファー・ウォーケン
(2003年・アメリカ)
1960年代に起きた小切手偽造詐欺事件を、スティーブン・スピルバーグが軽妙なタッチで描いた作品。
16歳のフランク(レオナルド・ディカプリオ)は両親の離婚にショックを受けて家を飛び出すが、所持金は瞬く間に底を尽き、生きるために小切手詐欺を思いつく。パイロットという職業が人を信用させることに気づいた彼は、パイロットの制服を手に入れて銀行窓口を見事にだます。小切手偽造の手口はどんどん巧妙化し、数年間で不正に手に入れた金は400万ドル。やがて彼の手口に目をつけたFBI捜査官カール(トム・ハンクス)の追跡を関知するや、医師や弁護士になりすまし、地方検事の娘と結婚までして追跡の手を逃れるが・・・
60年代という郷愁を誘う時代の、郷愁を感じさせる詐欺の手口だ。パイロットの制服を身にまとった金髪の美青年がにっこり微笑めば、大のオトナがあっさり騙されてしまう。人間、やっぱり見かけに騙されるのだ。にしても、16歳でこれをやってのける天賦の才能はスゴイ! 全米の銀行を騙しただけでなくヨーロッパでも偽造小切手工場を自ら運営するなんて、相当目端が利かないとできない芸当だ。
16歳の詐欺師という話のネタ自体は誰が語っても面白い内容だが、スピルバーグがストーリーの整理にかなり苦労しているような印象を持った。詐欺の手口の説明はもちろん必要。さらにフランクがなぜ詐欺に走ったのか、心のうちをしっかり描かないと観客は彼に同調できない。つまり、両親との関係を丁寧に描く必要がある。彼を追うFBI捜査官カールの心情の変化も、これなくしては語れない。・・・その結果、作品は2時間を超える長丁場になり、詐欺を始める以前の冒頭部分がやや退屈になってしまった。
見終えた後は、なんだかとてもウェットな部分のアメリカを見た気にさせられる。こんなウェットな一面が、現在のアメリカにも果たしてあるのだろうか。
(2003・10・16 宇都宮)
「恋は邪魔者」
監督 ペイトン・リード
出演 レニー・ゼルウィガー
ユアン・マクレガー
(2003年/アメリカ)
60年代のニューヨーク。新進女流作家バーバラ(レニー・ゼルウィガー)の著書「恋は邪魔者」が世界的なベストセラーになった。結婚願望と恋愛を否定し、女性の自立を促す内容は世界中の女性のバイブルとなり、プレイボーイの編集者キャッチャー(ユアン・マクレガー)は以来、すっかりモテなくなってしまう。キャッチャーはプレイボーイの沽券にかけてもバーバラを落とし、その主張を誤りと証明するために彼女に近づくが・・・
60年代が舞台とはいえ、ハイテンションな演出と音楽に最初は慣れなくて戸惑った。ストーリーにのめりこめるのは、キャッチャーがバーバラを恋のワナにかけようと策略を練るあたりから。これまでの長い前フリは全てこの設定を導き出すためだったと気づかされる。ドタバタが繰り返された挙句、バーバラはしっかりキャッチャーのワナにはまったように見えるが、実はこれにも裏があった。
ここから先はネタバレになるので書かないが、正直ストーリー展開にかなり無理がある。もともと現実離れしたファンタジックなストーリーなのだが、そうとわかっていても「オイオイそうなるか?」と大概の人が突っ込みを入れたくなるだろう。
友人から聞いた情報では、この映画は60年代にドリス・デイ主演で公開された作品のリメイクだという。どおりで出版業界やニューヨークに対する夢がいっぱいあふれている。当時はウーマン・リブ運動の黎明期だったろうから、こうした女性蔑視の男性が登場する映画もOKだったのだろう。出版社の重役連中が全員男性で、「女性の自立」を謳った本をイヤがる風景は今に通じる。こんな男性は、今も世の中にごまんと存在するのだ。が、恋愛や結婚を否定し、女性の自立を訴えた主人公が変貌するオチは違和感を覚える。
恋愛も結構、結婚も結構。どうして女性の自立と恋愛・結婚が両立できないのか。男性の意識さえ変われば、いくらでも両立できるではないか(もちろん女性側の意識も変えなくてはいけないが)。
最後になったが、ダニエル・オーランディによる60年代ファッションはとてもステキだ。ファッション好きなら、それだけでも楽しめるかもしれない。
(2003・10・13 宇都宮)
「猟奇的な彼女」
監督 クァク・ジェヨン
出演 チョン・ジヒョン
チャ・テヒョン
(2001年/韓国)
原作は韓国で爆発的な人気を呼んだインターネット小説。「猟奇的」という言葉のニュアンスは日本語とは少し違い、「とんがった面白さ」「ちょっと変わってるけどイケてる」ぐらいの意味らしい。
大学生のキョヌ(チャ・テヒョン)はある日、電車の中で泥酔している女の子(チョン・ジヒョン)と出会う。なりゆきで一晩彼女の世話をし、逃げるように帰ったキョヌだが、翌日再び彼女と再会。美人だが酒グセが悪く暴力的な性格に辟易するものの、彼女が深酒をする理由が死んだ恋人を忘れられないためと知り、「亡き恋人を忘れるまで代わりをつとめよう」と思いたつ。
韓国でも日本でも大ヒットしたラブストーリーとあって、なかなか楽しめた。強気の女に弱気の男。コメディのセオリーのような2人の力関係に加え、彼女のキャラクター設定が面白い。暴力的で羞恥心もなく、口癖は「ブッ殺す」。そのくせタバコをポイ捨てする男性には堂々と注意する正義感あふれる女性像は、日本でも新しいし、儒教思想が根強い韓国ならなおさらのことだろう。兵役を終え、ろくに勉強もせずに仲間とナンパばかりしている大学生キョヌ像も、「な〜んだ、韓国の大学生も日本とそんなに変わらないのね」と親近感を覚える。後半、再会を約束するシーンからラストシーンまでの、やや間延びした点が惜しい。
スピルバーグがこの作品の映画化権を手に入れたらしいが、アメリカ人がこのストーリーを料理するとどうなるか。気弱な男はどこにでもいるだろうが、彼女の「猟奇的」な部分がほどよく描けるのだろうか。少々楽しみでもあり、怖くもある。
(2003・9・5 宇都宮)
「007/ダイ・アナザー・デイ」
監督 リー・タマホリ
出演 ピアース・ブロスナン
ハル・ベリー
ジュディ・デンチ
(2002年/イギリス)
ご存知007シリーズの最新作。北朝鮮→香港→ハバナ→イギリス→アイスランドと、世界を股にかけての大活劇だ。
北朝鮮に潜入し、危険人物を暗殺したジェームズ・ボンド(ピアース・ブロスナン)だが、脱出に失敗し、囚われの身となる。14ヵ月後、中国の諜報員を殺して捕虜となっていた北朝鮮のスパイ・ザオ(リック・ユーン)との人質交換で自由の身となった彼を待ち受けていたのは、MI6の冷たい対応だった。ボンドはスパイとしての名誉挽回と復讐を誓い、ザオが画策する大規模破壊の陰謀に単身立ち向かう。
お約束どおり、のっけからアクション、アクション、アクションの連続。007シリーズに欠かせないクルマや小道具もふんだんに取り入れ、ボンドガールにアカデミー賞女優を配した豪華なつくりだ。いかにも華やかなのだが、見終えた後に残るこの空虚感はなんだろう? 時間がたつとストーリーすら思い出せなくなりそうだ。
東西冷戦が終わりを告げたとき、スパイ小説や映画は今後どこを敵にするのだろうと心配したものだ。が、イラク戦争を例に挙げるまでもなく、人間というのは自ら敵を作りたがるものらしい。旧ソ連のような巨大な敵ではないが、北朝鮮を扱ったことが目新しい。しかし、最終的にボンドの敵になったのは、巨大資産を手に入れた元北朝鮮人。ひょっとして国家そのものが相手にならないと見てのストーリー展開だろうか。
(2003・8・11 宇都宮)
「デスペラード」
監督 ロバート・ロドリゲス
出演 アントニオ・バンデラス
サルマ・ハエック
ホアキン・ド・アルメイダ
(1995年/アメリカ)
私事だが、先月ブロードウェイで生バンデラスを拝んできた。フェデリコ・フェリーニの「8 1/2」をリメイクしたミュージカル「nine」で、彼は思いっきり歌い演じ、観衆を感動させてくれた。「nine」の話を最初に聞いたとき、「バンデラスって歌えるの?」と反射的に考えた自分が今はバカに思える。マドンナ主演の「エビータ」で歌いまくっていたし、出世作「デスペラード」の冒頭でもスペイン語の歌を披露している。
ギターケースに銃を隠し、殺された恋人の仇を取るため酒場から酒場へと大暴れを繰り返す男マリアッチ(アントニオ・バンデラス)。凄腕のガンマンだという評判が仇であるブチョ(ホアキン・ド・アルメイダ)の耳にも届き、マリアッチの命を狙う殺し屋が繰り出される。壮絶な死闘の末に、ついにマリアッチはブチョの目の前にまで迫るが・・・
ロバート・ロドリゲスとクエンティン・タランティーノ(作品中にも出演している)のコンビとくれば、ド派手なアクション・はちゃめちゃなストーリーが持ち味。ひょっとして本作はこのコンビの最高傑作なのかもしれない。「一体いつの時代?」と思わせるほど無法地帯の町や、お約束のように主人公にタマが当たらない銃撃戦、当然のごとく登場する美女は思わず笑っちゃうような展開。ラテン系セクシーを体現したかのようなバンデラスがその中を縦横無尽に暴れまくり、身のこなしのしなやかさといい、苦悶を浮かべた表情といい、とにかくカッコいい!
アクションシーンの工夫やキャラの立て方もR・ロドリゲス監督特有。さらにもう少しストーリーにヒネリがあればもっと面白いのだが。ネタバレになるので内容は書かないが、後半にヒネリらしき要素はあるものの唐突過ぎてストーリー的にムリがある。
なお、ヒロイン役のサルマ・ハエックはメキシコの伝説の女流画家を描いた「フリーダ」を製作・主演し、今話題の人。ラテン系美女としてこんな役柄もこなしていたのだと再認識できる。
(2003・8・11 宇都宮)
「キューブ」
監督 ヴィンチェンゾ・ナタリ
出演 モーリス・ディーン・ウィント
ニコール・ドゥボワ
デヴィッド・ヒューレット
(1997年/カナダ)
ある日目覚めたら、見知らぬ男女6人が立方体(キューブ)の中に閉じ込められていた。キューブの前後左右上下の6箇所にハッチがあり、隣のキューブに移動することができる。ただし、人を殺すワナを仕掛けたキューブもあり、移動には細心の注意を要する。なぜ自分たちが閉じ込められたのか、その理由もわからないまま6人は脱出口を求めて延々と続くキューブの連続体の中を移動していくが・・・
キューブの連続体に見知らぬ男女が閉じ込められるという設定がまず秀逸。キューブの正体は結局明かされないままだが、たったひとつの出口を求めて知力と体力を尽くす過程は、ホラーとしてもサスペンスとしても一級品。「どうやって脱出できるのか?」、そして「いったい誰が生き残るのか?」という興味に引きずられ、ラストまで一気に見せる。
キューブのデザインも目を楽しませてくれる。無機質に過ぎず、かといって有機的ともいえない正立方体が不気味でもあり、魅力的でもある。6箇所のハッチのうち、どこを選んで移動していくか。ワナのために犠牲者を出した後、数学を専攻する女子大生がキューブの製造番号(?)に素数の法則を発見し、安全な通路を確保する知恵を得る。6人の中には非協力的な者、横暴な者、足を引っ張る者もいるが、助かりたいという本能は共通。警官の男が自然にリーダーシップをとるようになるが、彼の心もまた強烈なエゴに囚われ、正気を失っていく。
6人の登場人物はかなりデフォルメされたキャラクターばかり。実際にこの状況に置かれたら、フツーはもう少し力を合わせて脱出方法を考えるだろう。なぜなら1人より6人の方がいい知恵も浮かぶし、励ましあえるし、なにより孤独に苛まれるよりマシである。しかし、極限状況でのエゴというものにまだ出会った経験がないのも事実。あくまでも想像で創り上げるしかない世界だが、そのあたりヴィンチェンゾ・ナタリ監督(まだ20代らしい)の手腕に拍手だ。インディペンデンス系の映画祭で絶賛されたというのもナットクできた。
(2003・8・11 宇都宮)
「運命の女」
監督 エイドリアン・ライン
出演 リチャード・ギア
ダイアン・レイン
オリヴィエ・マルティネス
(2003年/アメリカ)
会社経営者の夫と結婚11年目。8歳の息子がひとり。ニューヨーク郊外の高級住宅街に住み、家事やボランティア、エステと優雅な毎日を送る主婦コニー(ダイアン・レイン)。満ち足りているはずなのに、彼女は偶然出会ったフランス人の若い男ポール(オリヴィエ・マルティネス)と深い関係になる。家族への後ろめたさから何度も別れようとするコニーだが、ズルズルと関係を続けるうちに、やがて夫リチャード(リチャード・ギア)の知るところとなり・・・
家族思いで稼ぎもよい夫を持ち、なに不自由ない幸せな家庭を築いていたはずの妻が、半ば確信犯的に不倫への道を歩んでいく。不倫相手からは関係を強制されたわけでもなく、特別口説かれたわけでもない。用もないのに相手の家に足を運んだだけ。1度関係ができれば今度は別れられない。
ありきたりのパターンだが、女性の立場から見ると、ついフラフラと危険な方向に行ってしまった主婦の気持ちはわからないでもない。リッチな暮らしというのは、慣れてしまえばきっとたいしたことないのだ。平和な家庭も退屈と表裏一体。街で見かけたセクシーな異性に心惹かれるのは、きっと誰にでもあることだと思う。
"フランス人の若い男"という設定と、図書室のような生活感ゼロの彼の住まい(不倫の現場でもある)はウマイ! 生活感のある相手では、不倫する意味がない。相手が変わっただけで、また同じ生活が始まるだけではないか。
一方、誠実な夫を演じたリチャード・ギア。"らしくない"役どころだが、これほど理想的な夫はなかなかいるもんじゃない。世の中の独身女性はみな理想的な夫になる男を日々捜し続けて、ため息をついているというのに、手に入れた妻のなんと贅沢なこと・・・! しかし、人間とはそういうものだという(理想とはまた別の)事実も厳然としてある。
エイドリアン・ライン監督は「危険な情事」で世の浮気夫たちを震え上がらせたが、この作品ではどうなのか? 「不倫は必ず不幸に終わる」と登場人物にも語らせているが、世の不倫妻たちはだからといって浮気をやめるだろうか? 「私ならもっとうまくやるのに」とうそぶく妻もいるかもしれない。結婚制度がある限り、不倫は永遠のテーマだと改めて思う。
(2003・8・7 宇都宮)
「ボーン・アイデンティティー」
監督 ダグ・リーマン
出演 マット・デイモン
フランカ・ボテンテ
(2003年/アメリカ)
嵐の地中海である男が漁船に拾われた。背中に銃弾を受け、尻にはスイスの銀行の隠し口座ナンバーを秘めたカプセルを埋め込まれた男は語学も堪能。しかし、自分が何者かの記憶だけがない。自らの手がかりを求めて訪れた銀行の隠し口座には、ジェイソン・ボーン名義の山ほどのパスポートと一生食べていけるだけの現金があった。しかし、銀行を出た彼はなぜか命を狙う男たちにつけ狙われ・・・
自分が何者かは全く覚えていないが、人間兵器として養成されたワザと知識は身体に染み付いている。武装警官に襲われようが殺し屋に襲われようが、身体が自然に反応して相手を倒す。・・・そんなCIAエージェントをマット・デイモンが演じて、かなりカッコよかった。格闘技や拳銃扱いの鍛錬をみっちり積んで撮影に臨み、用意したスタントマンも使わずに全てのアクションシーンを演じきったらしい。決してハンサムとはいえないルックスだが、それだけに妙に親近感があって、つい作品を観てしまう役者さんだ。
ストーリーは自らのアイデンティティーを求めるボーンと、ボーンを消そうとするCIAの動きが同時進行で展開され、少なくとも観る者にはボーンが腕利きのCIAエージェントでアフリカ某国の独裁者がらみの任務に失敗したことがわかる。次々と襲いかかってくるかつての味方から、果たして逃げ切れるのか。偶然にも行動をともにすることになった女性とのロマンスは成就するのか。最後までハラハラさせながら見せてくれ、アクション映画としてもスパイ映画としても満足度が高い作品だ。
それにしてもスパイなんてロクな商売じゃない。プライバシーはないし、孤独だし、「記憶をなくした」と言っても誰も信じてくれない。ボーンほど目端の利く男なら、どこでなにをやっても食べていけるのだから、世界のどこかで静かに暮らさせてあげたい・・・そう願わずにはいられないスパイ像だった。マット・デイモンを起用した理由は、ひょっとしたらこのあたりにあるのかもしれない。
(2003・8・7 宇都宮)
「ゆりかごを揺らす手」
監督 カーティス・ハンソン
出演 アナベラ・シオラ
レベッカ・デモーネイ
マット・マッコイ
(1992年/アメリカ)
10年前の作品だが、サスペンスファンの間でいまだに話題になるのが「ゆりかごを揺らす手」。評判どおりの秀作だった。
夫と幼い娘と幸せな日々を過ごす主婦クレア(アナベラ・シオラ)は、第2子妊娠の診察に訪れた産婦人科で医師からわいせつ行為を受ける。クレアが警察に訴えたことで問題の医師は自殺。残された医師の妻ペイトンはショックのあまり流産し、2度と子どもを産めないからだになってしまう。数ヵ月後、男の子を出産し、ベビーシッターを探していたクレアの前に、素性を隠したペイトンが現れる。なにも知らないクレアはペイトンを雇い、ひとつ屋根の下で暮らしはじめるが、次々に一家の平和を乱す出来事が起こり・・・
そうとは知らずに我が家に招き入れた敵が穏やかな家庭に波風を立たせていくが、主人公はなかなかこのことに気づかない。そのあたりの見る側の焦燥感やイライラがこの手の設定の面白いところ。ペイトンの復讐はいきなりクレアや赤ちゃんを襲うのではなく、クレアを一家の主婦の座から追い出し、妻と2児の母という立場に取って代わろうとする計画だ。だから幼い娘の心を掴むことや、夫に妻への不信感を芽生えさせることなど、日常のほんの小さな積み重ねから復讐がはじまる。
女性の立場から見ると、こういう手口は本当にムカツク。専業主婦ほどその気持ちが強いのではないか。裕福で優しい夫と可愛い子どもたち。家事とボランティア、趣味のガーデニングで過ぎていく毎日に、幸せいっぱいの妻。この幸せをいきなり外から入ってきたベビーシッターに奪われてしまうことは、専業主婦にとって人生のすべてを失うことに匹敵するのでは。
脇役ではジュリアン・ムーア演じるクレアの親友マリーンが面白い。クレアがおっとりした専業主婦であるのに比べ、こちらはやり手の不動産セールスレディ。キャラクターを誇張し過ぎている感はあったが、事態を解決しようと最初に動くのはこういう行動力のあるタイプ。私にとって、いちばん感情移入しやすいキャラだった。
それにしても、アメリカ女性にとっても、クレアのような暮らしが一種の理想なのだろうか。趣味のガーデニングに打ち込むために、住み込みのベビーシッターを雇うという設定にも驚いた。これがアメリカ地方都市のホワイトカラー家庭のスタンダードなのか、ちょっと判断できないでいる。
(2003・7・30 宇都宮)
「奇跡の海」
監督 ラース・フォン・トリアー
出演 エミリー・ワトソン
ステラン・スカルスガード
カトリン・カートリッジ
(1996年/デンマーク)
1970年代スコットランドの海辺の町。宗教の重い枷がいまだに人々に覆い被さる小さな町で、ベス(エミリー・ワトソン)は海底油田採掘労働者のヤン(ステラン・スカルスガード)と結婚した。全身全霊でヤンに愛情を捧げるベスは、ヤンが仕事で長く不在になるのが耐えられない。「1日も早くヤンを返して」と神に祈ったベスの願いは、ヤンが事故で全身不随になるというかたちで叶えられた。罪の意識に苛まれながら懸命に看護す3.
るベスに、ヤンは他の男との肉体関係をすすめる・・・
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のラース・フォン・トリアー監督作品とあって、重いテーマである。
テーマをひとことで表現すれば、「愛とはなにか?」。身体障害者の夫の看護を続けるうちに、精神障害を再発させる妻。夫の願いをかなえるために売春婦の真似事を始めるのだが、宗教色の強い田舎町でこの行為はとてつもない勇気が必要だ。夫への愛のためという妻の動機はまだ共感できるが、妻に浮気をすすめる夫の気持ちはハッキリ言って理解できない。妻の命とひきかえに夫が奇跡的な回復を遂げるラストも、「愛の奇跡」と呼ぶには痛々しすぎる。「ダンサー・・・」でもそうだったが、監督自身が「自己犠牲」という設定に囚われているようだ。
それにしても「アンジェラの灰」を引き合いに出すまでもなく、エミリー・ワトソンはこの手の役をやらせたら天下一品。夫婦を支える義姉役のカトリン・カートリッジも上手い。不幸を両肩に背負ったような役柄だったが、地に足をつけてしっかり生きている印象にホッとした人も多いのではないだろうか。
(2003・7・30 宇都宮)
「スズメバチ」
監督 フローラン・エミリオ・シリ
出演 ナディア・ファレス
ブノワ・マジメル
サミー・ナセリ
(2002年/フランス)
最近、フレンチアクションという分野が目につく。(昔からあったが、あまり話題にならなかっただけ?)内容はハリウッド並みのガンアクション、カーチェイス、カンフーなど。フランスを舞台にフランス人俳優がフランス語で演じるのだが、感覚はハリウッド映画そのもの。こうでないとフランスでも若者に支持されないのだろうか? 「男と女」の時代とは隔世の感がある。
マフィア売春組織のボス・アベディンを護送する特殊部隊は、ストラスブール郊外でアベディン奪還を企むテロ部隊に急襲される。やむなく逃げ込んだ工場には警備員2人と、たまたま忍び込んだ素人窃盗団がいた。彼らも巻き込んで、工場を舞台に特殊部隊とテロ部隊との壮絶な攻防戦が始まる。
最近の映画によくある傾向だが、特殊部隊のリーダーは女性でシングルマザー。体力・判断力とも秀でているが、軍隊並みに武装されたテロリストを相手に苦闘する。役に立つ素人がいれば役に立たない素人もいるのはお約束。面白いのは初老の警備員を演じたパルカル・グレゴリーの役どころ。単なるガードマンにしては冷静さとアタマの切れ方が尋常ではない。テロ部隊の実体が見えないのもお約束といえばお約束だが、不気味さまでは演出しきれていないのが残念。
(2003・6・30 宇都宮)
「モンテ・クリスト伯 〜巌窟王〜」
監督 ケヴィン・レイノルズ
出演 ジム・カヴィーゼル
ガイ・ピアース
リチャード・ハリス
(2002年/イギリス・アイルランド)
アレクサンドル・デュマの名作「モンテ・クリスト伯」の映画化。
ストーリーは今更説明するまでもないが、無実の罪で地獄の牢獄生活を13年間強いられた青年の復讐物語。親友と信じていた男に罪をなすりつけられ、父親は自殺。婚約者まで奪われた恨みは相手に死を与えるだけでは気がすまない。同じ牢獄生活を味わうよう、周到な復讐劇を練る。
ひとりの男が地獄の底からどうやって立ち上がるのか。裸一貫の脱獄囚から財宝を得て成り上がっていく過程が痛快。150年近く昔の小説だと思うが、サスペンスの基本をしっかり創り上げている点がスゴイ。そもそも死体袋に潜んで脱獄する手口は、デュマが最初に考えたのではないだろうか。現代のように模倣できる小説が周りに山ほどある時代ではなかったろうに、このオリジナリティは稀代の才能としか言いようがない。
映画に限って言えば、主人公がモンテ・クリスト伯と名を変えてパリ社交界に登場するパーティシーンはひとつの見せ場だが、やや貧乏くさくて迫力に欠けた。「宮廷料理人ヴァテール」や「王は踊る」など、フランス歴史物の絢爛豪華なパーティシーンを見慣れたせいか。モンテ・クリストの復讐劇が大仰なのに比べ、ヒロインである元婚約者メルセデスのしたたかさがキツイ。19世紀も現代も、いちばんしたたかなのはやはり女なのか。
「メメント」「タイムマシン」で注目されたガイ・ピアースが悪役で登場しており、サマになっている。このまま悪役道を邁進し、いずれはゲイリー・オールドマンのような味のある悪役俳優になってもらいたい。他に重要なキャラクターではファリア司祭役にリチャード・ハリスが登場し、年齢を感じさせない演技を披露している。
(2003・6・30 宇都宮)
「ハリー・ポッターと秘密の部屋」
監督 クリス・コロンバス
出演 ダニエル・ラドクリフ
ルパート・グリント
エマ・ワトソン
(2002年/アメリカ)
ハリー・ポッター第2弾を見た。
第1弾に引き続き、原作に忠実。あの膨大な原作に忠実にしようと思うと、当然2時間41分という長尺になる。次から次へとストーリーが進み退屈することはなかったが、果たして原作を読んでいない人に理解できるのか。第1弾のときの疑問が今回も脳裏をよぎった。
今作の見どころは、ハリーたちが秘密の部屋の謎をどうやって解くか。50年間開かれなかった部屋を見つけるまでの過程に、トム・リドルの日記やハグリッドと巨大蜘蛛アラゴグの関係、蛇の言葉がわかるハリーの能力など、全編に渡って伏線が張り巡らされている。ロンの妹ジニーやハリーを崇拝する下級生など、映画ではほんの一瞬しか登場しない脇役が重要な役割を果たすのも、映画オンリー派には大変だ。
長いシリーズ物を映画化する場合、第1弾は舞台設定や登場人物の紹介に時間を多く割かねばならず、どうしても説明調になってしまう嫌いがある。ましてハリー・ポッターの場合子役を多く使うので、その演技力の問題もあるだろう。にしても、第1弾に続き第2弾もどうも全般に盛り上がりに欠けるのは、やはり監督の腕のせい?
「なにを言う。あれだけ大ヒットした映画はそうそうないぞ」と言われそうだが、原作のファンが映画館に足を運んだ故のヒットではないか。そして原作ファンというものは、映像が原作に忠実に再現されていれば、それなりに満足してしまうものだ。だって、ハリー・ポッターの面白さは原作で十二分に堪能済みだから。
ところで、ダニエル・ラドクリフ君を中心とした子役たちは次回作が見納めらしい。現実の人間の成長に映画の製作が追いつかないため、第4弾以降は子役が総入れ替えになるんだとか。確かに第1弾に比べると、みな本当に成長している。ハリーやハーマイオニーがどんな美形に育つかは今後の楽しみだが、第4弾以降の子役選びはさぞ大変だろうと今から心配してしまう。
(2003・6・27 宇都宮)
「イナフ」
監督 マイケル・アプテッド
出演 ジェニファー・ロペス
ビリー・キャンベル
ジュリエット・ルイス
(2002年/アメリカ)
ウェイトレスのスリム(ジェニファー・ロペス)は、裕福な実業家ミッチ(ビリー・キャンベル)に見初められて結婚。娘にも恵まれ、なに不自由ない幸せな毎日のはずだった。が、夫の浮気に気づいて責めたことから、理想的な夫は暴力夫に豹変。暴力に耐えかねたすリムはついに娘を連れて家を出るが、夫は彼女の行方を異常なまでの執念を見せて追いかける。娘とともに名前を変え、全米を転々とするスリムだが、やがて逃げ回るよりも正面から対決することを考えはじめ・・・
今、アメリカでも日本でもその対策が叫ばれるドメスティック・バイオレンス(DV)がテーマ。圧倒的な体力・財力を持つ夫から逃れ、必死で娘と2人で生きようとする妻の姿に、女性の立場としてはいつのまにか肩入れしてしまう。夫が偏執狂的な人格であることが徐々に暴露されていくにつれ、「逃げろ! 早く!」と心の中で叫びながら見ていたが、一生逃げ回るわけにいかないのも事実。ラストは出来すぎの感があるが、女性から見ると溜飲の下がる幕切れだった。
DVを語るとき、夫のDVを許してしまう妻の共依存がよく話題に出る。共依存する人間がいるからDVは収まらないし、悲劇は後を絶たないのだと。この映画の主人公スリムの場合、共依存は見られないが、夫を逮捕する勇気を最初に持てなかったことが事態を悪化させた。そのあたりの教訓的エピソードも抜け目なく挿入してある。
それにしてもジェニファー・ロペスは身体を張っての熱演だった。「165cm、62kg」と作品中で自らの体格を語っていたが、スクリーン上ではもっと骨太に見える。あれぐらいのガタイがないと男と対等に闘えないのか。マスコミが賞賛するほどナイスバディとも思わないが、強い女路線で行くのなら思わず応援してしまう。
(2003・6・27 宇都宮)
「マイノリティ・リポート」
監督 スティーブン・スピルバーグ
出演 トム・クルーズ
コリン・ファレル
マックス・フォン・シドー
(2002年/アメリカ)
2054年のワシントンDC。殺人の完全予知システムにより、アメリカから殺人事件が消えた。予知能力者が事件直前に殺人を予知し、犯罪予防局が殺人を未然に阻止。殺人を犯そうとした容疑者は特殊な刑務所に送られ、廃人同様の余生を強制されるのだ。殺人課の腕利き刑事として捜査に奔走するジョン・アンダートンは、このシステムにほのかな疑問を抱き始めていた。そんなとき、こともあろうに彼自身が殺人犯だと予知される。「なぜ自分が・・・?」納得できないアンダートンは犯罪予防局に単身立ち向かうが・・・
この映画の公開当初、スピルバーグ監督の最近の作品に「往年のキレがない」と嘆く評論を読んだ。この作品もいくつかの謎が残されたまま終わってしまう。そもそも、予知だけを根拠にまだ犯してもいない殺人の犯人にされたら? 誰だって「殺人なんか犯してない!」と叫ぶだろうし、廃人同様の終身刑務所に送り込まれることにも納得できないだろう。原作はフィリップ・K・ディックの短編SFだそうだが、脚色の段階でかなり肉付けされているはず。にもかかわらずシステムの是非といい、予知能力者の扱われ方といい、設定そのものに最初からかなりムリがあり、作品中で消化しきれていない。
しかし、細かい部分にこだわらず、SFの醍醐味を堪能するには決して悪い作品ではない。2054年という時代設定のせいか、科学の先端をいく犯罪予防局と、古色蒼然とした郊外の住まいとの対比も面白い。最新鋭テクノロジーを使いこなす者もいれば、昔ながらの生活を続けている者もいる。実際、私たちが今見ている21世紀の世界は、鉄腕アトムで描かれた世界とは違っていた。21世紀になっても私たちは満員の通勤電車に揺られて会社に向かい、畳の上で生活している。この調子でいけば、2054年もきっと畳の上でゴロ寝しているのだろう。こんな具合にSFにノスタルジーを感じることができるのも、21世紀ならではかもしれない。
(2003・6・26 宇都宮)
「運動靴と赤い金魚」
監督 マジッド・マジディ
出演 ミル=ファロク・ハシェミアン
バハレ・セッデキ
アミル・ナージ
(1997年/イラン)
9歳の少年アリは、お使いの帰りに妹ザーラの運動靴をなくしてしまう。運動靴がなくては学校に行けないと泣くザーラに、アリは自分の運動靴を交代で使おうと提案。授業が終わったらザーラが走って下校し、途中で待ち受けるアリに運動靴を渡す毎日を繰り返す。そんなある日、アリはマラソン大会の3位の商品が運動靴だと知り、なにがなんでも3位に入賞しようと考えるが・・・
かねてから評判のいい作品だとは思っていたが、観てナットク! 幼い兄妹を演じる子役たちがとにかく可愛くて魅力的だ。貧しいながらも懸命に家族を守ろうとする両親と、幼くても立派な家事の担い手である子どもたちは、数十年前の日本の家族の姿。土壁が続く路地裏の住まいや共同水栓で洗濯物をする様子も生活感たっぷりで、行ったこともないイランにノスタルジーを感じるほどだ。ザーラがなくした靴を求めて、全校生徒の足元を観察するシーンを見るうちに、ン十年前私が小学生の頃、ひまわり柄の運動靴を買ってもらい、同級生に羨ましがられたことを思い出した。運動靴や筆箱や下敷きがあの頃はとても大切な持ち物で、いいモノを持っていれば自慢できたし、持っていなければ子どもなりに惨めだった。そんな子どもの気持ちを同じ目線に立って描いた点で、マジッド・マジディ監督に好感を持ってしまう。
また、M・マジディ監督は素人の子どもたちを発掘し、主役級で使うという。そういえば、「あの子をさがして」のチャン・イーモウ監督もそうだ。子どもたちはもちろんのこと、自分の国の文化や暮らしを暖かな目線で描くことで、第三世界の2人の巨匠に共通点があった。
(2003・6・19 宇都宮)
「男と女」
監督 クロード・ルルーシュ
出演 アヌーク・エーメ
ジャン・ルイ・トランティニャン
(1966年/フランス)
最近、某自動車メーカーのテレビCMで「男と女」のメインテーマがよく流れる。知らぬ者のないあのフランシス・レイの名曲に惹かれて、初めて映画を見た。
妻を自殺で失ったカーレーサーのジャン・ルイと、スタントマンの夫を撮影中の事故で失ったアンヌ。1組の男と女が、子どもの寄宿舎の面会日に偶然出会う。2人は面会日のたびに交流を深め、やがて恋に落ちるが・・・
冬の荒れた海をバックに、浜辺を散歩する男と女、その子どもたち。映画ファンなら1度は目にしたことのある映像が、そこかしこに散りばめられたフランス映画らしいフランス映画だ。
内容はごくスタンダードな大人の恋物語。出会いの後、徐々に気持ちが深まり、男のカーレース優勝で愛の告白がされる。ところが女は死んだ夫の影がぬぐいきれない・・・見事なまでのパターン化だ。男の職業がカーレーサー、女の職業が映画関係者というのも出来すぎ。60年代にこれを見た日本人はますますフランスに憧れと幻想を抱いたのだろうが。
しかし、ひとつひとつの映像の印象度といい、モノクロとカラーをシーンごとに使い分けた手法といい、時代を象徴する映画であることは間違いない。60年代のフランスは意外に保守的だったのだな、という新しい発見もあった。
それにしてもアヌーク・エーメの美しいこと! ジャン・ルイ・トランティニャンもこんなにハンサムだったとは。中年以降の彼しか知らない身としては、驚きの連続だった。
(2003・6・16 宇都宮)
「シカゴ」
監督 ロブ・マーシャル
出演 レニー・ゼルウィガー
キャサリン・ゼタ=ジョーンズ
リチャード・ギア
(2003年/アメリカ)
今年のアカデミー賞主要部門を獲得したミュージカル映画。ブロードウェイ・ミュージカルのヒット作を華麗に映画化した。
ショービジネスのスターを夢見る主婦ロキシー(レニー・ゼルウィガー)は情夫殺しで刑務所へ。そこにはスターでありながら夫殺しの罪で服役中のヴェルマ(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)がおり、刑務所の中でも特別待遇。ロキシーは死刑を逃れるため、腕利き弁護士のビリー(リチャード・ギア)を雇い、彼の策で一躍マスコミの寵児となる。しかし、彼女の夢は死刑を逃れるだけでなく、ショービジネスで成功することだった・・・
歌とダンスは見ごたえたっぷり。特にアカデミー助演女優賞を受けたC・ゼタ=ジョーンズがピカイチだ。この作品を見るまで知らなかったが、彼女はロンドンのウェストエンドで舞台経験があるという。R・ギアも同じくウェストエンドで舞台に出ていたというから、おなじみの俳優でも意外な一面があるものだ。一方、レニー・ゼルウィガーはC・ゼタ=ジョーンズほどのダンスはできないものの、チャーミングな魅力がいっぱい。美人ではないが、フシギに人を惹きつける女優さんだ。声の可愛らしさ、表情のコケティッシュさでトクしているのかもしれない。
私たちがミュージカル映画を見て違和感を覚えるのは、普通の演技の途中で突然役者が歌い出したり踊り出したりすること。ロブ・マーシャルはそのあたりを考慮してか、ミュージカルシーンのほとんどをロキシーの空想シーンとして処理している。それでもまだ多少の違和感は残るのだが、構成の新しさを評価したい。が・・・アカデミー作品賞・監督賞を取るほどの出来かどうかは疑問。女たちがあくまでもたくましく強い点はいいのだが、なんだかストーリーの後味が悪いのだ。フツーのことをやっていては成功しない世界だとわかっちゃいるが、人殺しを見に集まる観客に歌とダンスを披露することが生き甲斐といわれても、「はい、そうですか」と素直に納得できない部分があった。
(2003・6・10 宇都宮)
「インソムニア」
監督 クリストファー・ノーラン
出演 アル・パチーノ
ロビン・ウィリアムズ
ヒラリー・スワンク
(2002年/アメリカ)
ロス市警のやり手刑事ウィル(アル・パチーノ)は、アラスカで起きた女子高生殺人事件を捜査することになった。が、捜査の過程で相棒の刑事が射殺され、ウィル自身にも疑いがかかる。一方、ウィルは独自の調査で地元の作家ウォルター(ロビン・ウィリアムズ)を犯人と確信するが、逆にウォルターは相棒殺しをネタに脅しをかけてきた。
アル・パチーノ、ロビン・ウィリアムズ、ヒラリー・スワンクと、アカデミー賞俳優が3人揃ってのサスペンス。ロビン・ウィリアムズが初めての悪役とあって期待したが、静かなインテリのワルで、あまり恐怖を感じなかった。ヒラリー・スワンクは地元警察の優秀な女性刑事役。尊敬するウィルに疑念を抱きはじめる役どころだ。芸達者ばかりの中にあって、やっぱりA・パチーノの演技がスゴイ。白夜と事件捜査でインソムニア(不眠症)に陥った初老の刑事を熱演し、彼の目を見ていると本当に何日も眠っていないのではないかと思わせる。観ているこちらまで目がショボつくほどだ。
監督のクリストファー・ノーランは「メメント」で注目された俊英。「メメント」の演出がイケていたので期待したが、この作品はさほど目新しいところはない。ただ、日が沈まないアラスカの夜、夏でも凍てつくような風景の連続は見ごたえがあった。
(2003・5・19 宇都宮)
「チェンジング・レーン」
監督 ロジャー・ミッチェル
出演 ベン・アフレック
サミュエル・L・ジャクソン
シドニー・ポラック
(2002年/アメリカ)
若手弁護士のギャビンは自動車の接触事故を起こすが、法廷へ急ぐあまり白紙の小切手を事故相手のギブソンに渡し、その場を走り去る。ところが、ギブソンもまた親権裁判に向かう途中で、事故のせいで遅刻し子どもたちに会えなくなってしまう。一方、ギャビンは大切な証拠書類を誤ってギブソンに渡してしまったことに気がつく。あわてて彼を探し当て証拠書類を返すよう求めるが、ギブソンの気持ちは収まらずギャビンの願いを拒否。怒り心頭のギャビンは裏社会の手を借りて反撃に出、ちょっとした行き違いから生まれた事態は思わぬ方向にエスカレートしていく。
どこにでもありがちな接触事故。その場での対応を誤ったばかりに、どんどん窮地に追い込まれていく様子がリアルに描かれる。サミュエル・L・ジャクソン演じるギブソンは決して悪人ではないが、ギャビンがハッカーの手を借りてギブソンの預金口座をゼロにしてしまったことが原因で豹変。このあたりの両者のボタンのかけ違いがリアルだ。
現実のトラブルでも、強硬な態度を続けて頭の下げどころを失うケースはよくある。謝罪しても受け入れられないことが続けば、人間はやがて怒りに転じる。その結果、怒りで振り上げた拳を簡単には下ろせないまま、したくもない諍いを延々続ける羽目になる。
ウォール街の法律事務所の汚い手口や、子どもの親権を巡る周囲の先入観など、アメリカ社会の理不尽な部分を絡ませて描いた点も面白かった。
ベン・アフレックはヒーロー的な役どころが多かったが、こういうイヤなヤツを演じてもウマイ。「スターウォーズ」「トリプルX」とおエライさん役の続いたサミュエル・L・ジャクソンも、くたびれた中年サラリーマンが板についていた。
(2003・5・19 宇都宮)
「砂の器」
監督 野村 芳太郎
出演 丹波 哲郎
加藤 剛
緒方 拳
(1974年/日本)
何百本、何千本と映画を見てきた中で、いちばん泣けたのがこの作品だ。「タイタニック」も「ニュー・シネマ・パラダイス」ももちろん大泣きしたが、ラスト30分間の長きに渡り泣かせっ放しの映画は「砂の器」だけ。しかも、2度目の「シネパラ」はフシギなほど泣けなかった。さて、25年ぶりに観る「砂の器」はどうだろう?
・・・などと構えてみたものの、やっぱり大泣きした。日本人の琴線に触れるように創っているといえばそれまでだが、「いちばん泣けるのは親子の情愛」というドラマの定説は真実なのかもしれない。
内容は言わずと知れた松本清張の同名推理小説の映画化。東京の国鉄蒲田操車場で起きた殺人事件を追う刑事の渾身の捜査を描く。捜査の過程では松本作品らしく鉄道を存分に使い、東北から出雲まで旅情たっぷりのシーンの連続だ。そこに描かれる日本の田舎の風景はもちろんノスタルジックだし、東京・大阪の大都会の風景もすでに30年近く過去になり、時代を感じさせる。旧国鉄大阪駅がロングショットで映ったときは懐かしさに思わず巻き戻し、もう一度鑑賞してしまった。
捜査会議・犯人が演奏するコンサート会場・親子の放浪の旅の3つのシーンをカットバックで描くラスト30分間の手法は、当時としては斬新だったのだろう。ハンセン氏病で生まれ故郷を追われた親子が放浪するのは冬の日本海。雪深い山村。花咲く野辺。長雨にぬかるむ道。2年半に渡り日本海沿岸を放浪する父と子の姿はそれだけで雄弁な物語だし、セリフがない点もいい。加藤剛演じる犯人の弾くピアノ協奏曲がバックに流れるのも効果的だ。
25年前、「緒方拳さんって、なんていい役者なんだろう」と感嘆した。今でもその思いに変わりはないが、改めて丹波哲郎さんの演技にも目を見張った。霊界がらみで妙なイメージがついてしまわれたが、ラストの捜査会議シーンは丹波さんが光っている。
(2003・5・12 宇都宮)
「愛と精霊の家」
監督 ビレ・アウグスト
出演 ジェレミー・アイアンズ
メリル・ストリープ
ウィノナ・ライダー
(1993年/デンマーク・ドイツ・ポルトガル)
最近になって、ようやく自分のメロドラマ好きに気がついた。
成り上がり一代記や女の一生ものに特に弱い。作品に没頭すると、自分も登場人物とともに一生分生きた気がするからフシギだ。10年前のこの作品も、タイトルといいオールスターキャストといい、メロドラマの匂いをプンプン放っている。観てみると、予想に違わぬ一大メロドラマだった。
金鉱で得た資金をもとに農場経営を成功させたエステバン(ジェレミー・アイアンズ)は、予知能力を持つ娘・クララ(メリル・ストリープ)と結婚。ひとり娘ブランカ(ウィノナ・ライダー)を得て、幸せな家庭を築いたはずだった。が、やがてブランカは小作人の息子ペドロ(アントニオ・バンデラス)と身分違いの恋に落ち、彼の子どもを宿してしまい・・・
映画の中ではハッキリしないが、舞台は南米のチリ。金鉱でひと山当てて結婚資金を稼いだり、地主と小作人の身分差や搾取の構造があからさまだったり、軍事クーデターで人権無視の拷問を受けたりと古色蒼然とした内容だが、ほんの30年前の出来事らしい。しかし、この時代錯誤にも見える設定が、メロドラマを盛り上げるのに欠かせない。
主人公のエステバンは裸一貫から国いちばんの大地主に成り上がり、上院議員にもなるが、軍事クーデターで地位も財産も失ってしまう。意志強固な成り上がり男にふさわしく、家庭でも頑固で横暴な存在だ。妻や娘を愛する気持ちは誰よりも強いのに家族に疎まれ、娼婦に癒しを求める孤独な男。J・アイアンズは悪役が似合うだけあって、そのあたりの演技は抜け目がない。
M・ストリープ演じるクララの予知能力はストーリーにたいした影響を与えない。ストーリーを動かすのは、エステバンやブランカのような行動力のある人間。人生を切り開く原動力は予知能力より行動力だ。映画の中だけでなく現実もそうであるように。
エステバンの姉役のグレン・クローズもいい味を出している。ビンセント・ギャロも「らしい」役どころで出演しているので要チェックだ。
波乱万丈の一生を一気に見せるので、この手の作品はどうしても深い描写ができない。たとえば子育ては現実には大変な仕事なのに、映画の中ではあっという間に大人になる。かいつまんで説明されている感が拭えないのに、この手の作品がなくならないわけは、私のようなメロドラマ好きが世の中にはたくさんいるということなんだろう。
(2003・5・7 宇都宮)
「ジョン・Q」
監督 ニック・カサヴェデス
出演 デンゼル・ワシントン
ロバート・デュバル
ジェームズ・ウッズ
(2002年/アメリカ)
貧しいながらも妻と息子と幸せに暮らしていたジョン・Qだが、突然息子が不治の病に見舞われ、命を救う方法は心臓移植しかない。ところが、移植者リストに名前を載せるだけで 7万5千ドルの大金が必要。当然、健康保険が適用されると思いきや、会社の都合で健康保険の適用枠を変更されており、自費で25万ドルを集めなくてはならなくなる。あらゆる手段を尽くした末にジョン・Qが選んだ手段は、人質をとって病院に立てこもり、息子の手術を要求することだった。
アメリカの健康保険制度のことはほとんど知らないが、保険料がとても高く、金持ちでないと充分な医療を受けられないと聞いたことがある。監督のニック・カサヴェデス自身も心臓に難病を抱える娘を持つという。医療保険制度の矛盾や病院経営の裏側を真正面から暴き、社会性もさることながら、息子を想うデンゼル・ワシントンの熱演が泣ける。昨年のアカデミー主演男優賞を受賞した「トレーニング・デイ」の演技もすごかったが、この作品も画面から彼のパワーがあふれ出る印象だ。
人質になった患者や医師たちがジョン・Qに同情し、徐々に協力的になっていく過程はヒーロー好きなアメリカ人ならでは。思い切った手段に出た人間を遠巻きにしてしまいがちな日本人には、ちょっと違和感があるかもしれない。
脚本が書かれた10年前、ダスティン・ホフマンが興味を示したが実現しなかったらしい。本作のN・カサヴェデスが監督の名乗りを挙げたとき、ジョン・Q役はブラックアメリカンかヒスパニック系を想定し、D・ワシントンにアプローチしたという。脚本に人種の想定がなかったのはフシギだが、D・ワシントンはまさにハマリ役。同じブラックアメリカンでもウィル・スミスではちょっと線が細い。ここはキャスティングに拍手だ。
(2003・5・7 宇都宮)
「バースデイ・ガール」
監督 ジェズ・バターワース
出演 ニコール・キッドマン
ベン・チャップリン
ヴァンサン・カッセル
(2002年/アメリカ)
アカデミー賞もゲットし、今や押しも押されぬ大女優となったニコール・キッドマンが、インターネットで結婚相手にあてがわれるロシア人妻を演じるーーその設定を面白く感じ、早速観てみたが・・・
イギリスの田舎町に住む銀行マン・ジョンには女性と出会う機会がない。ロシア人女性との結婚を仲介するインターネットサイトに興味を惹かれ、ナディアという女性をイギリスに迎えるが、予想に反して彼女は英語が全く話せない。ロシアに送り返そうと一時は考えたものの、結局彼女の肉体の魅力に溺れてしまい、言葉が通じないまま同棲生活に。やがてナディアの幼馴染と称するロシア人2人組の登場で、平穏に見えた日々が一転する。
ロシア人の男2人が突然やってくるあたりからは予想どおりの展開。典型的な美人局パターンである。あまりにも典型的なので、ひっかかるジョンがバカに見えてしまう。人が好いのはわかるのだが、そんなんで銀行マンが勤まるのか?とツッコミのひとつも入れたくなった。
ヤクザなロシア男を演じたヴァンサン・カッセルも、この役どころではいかにももったいない。ロシア語の演技しかないし、単なるDV男にしか見えず、彼のセクシーさが活きていない。
ただ、ラストは予想外の結末だった。「そんなのあり得ないでしょ」と言いたくなるが(税関にお勤めの方にぜひご意見を伺いたい)、あのままではジョンがあまりにも気の毒なので、少し救われた気分だ。
(2003・5・7 宇都宮)
「至福のとき」
監督 チャン・イーモウ
出演 チャオ・ベンシャン
ドン・ジエ
(2002年/中国)
「あの子をさがして」「初恋のきた道」に続く、チャン・イーモウ監督の人間ドラマ。しかし、舞台は前2作のような山奥の寒村ではなく現代中国の都会で、趣きがやや異なる。
勤めていた工場が倒産し、金はないが結婚はしたいチャオは、見合いで知り合った子持ちの女をなんとか口説き落とそうと、自分は金持ちの旅館経営者だとウソをつく。ところが、相手の女は前夫が残していった盲目の娘ウー・インを旅館のマッサージ係として住み込み労働させてくれとチャオに押し付ける。困ったチャオだが、工場仲間の協力を得て、工場の片隅にマッサージ室に見せかけた部屋をつくり、ウー・インをごまかそうとするが・・・
現代の都会が舞台だが、描かれるストーリーはファンタジック。チャオ役のチャオ・ベンシャンがフランキー堺さんを彷彿とさせ、古きよき人情喜劇に仕上がっている。チャオを巡る工場仲間の金はないが情はある交流ぶりは、昔の日本の長屋づきあいを思い出させた。チャン・イーモウ監督の「活きる」もそうだったが、暮らしぶりに大差がなければ日本人も中国人もそう変わらないということか。
5万人のオーディションから選ばれたドン・ジエは、ひと目見たら忘れられない美少女。盲目の難役をかなり達者にこなしている。まだ子どもだが、将来が楽しみだ。
ネタバレになるのでここには書かないが、ラストシーンは意外だった。日本人監督ならこうは創らないだろう。「あの子をさがして」でも見られた中国の子どものたくましさに、やっぱり21世紀は中国の時代かと再確認させられた。
(2003・5・7 宇都宮)
「ゴースト・オブ・マーズ」
監督 ジョン・カーペンター
出演 アイス・キューブ
ジェイソン・ステイサム
クレア・デュヴァル
(2002年/アメリカ)
テラフォーミング(地球化)が進んだ22世紀の火星。火星警察のメラニーは凶悪犯ウィリアムズを鉱山の町から鉄道で移送する任務に向かう。到着した町は荒廃し、鉱山労働者はみな特異な表情に変貌し、人間たちに襲いかかってきた・・・
ジョン・カーペンターといえば「遊星からの物体X」。確かにあの作品は、その後のSFホラーに多大な影響を与えた傑作だった。しかし、監督独自のカラーは存分に出ているものの、あの恐怖を超える作品を創るのはむずかしい。
本作の恐怖の正体は火星先住民の幽霊。先住民の遺跡を偶然開放してしまったために、目に見えない霊魂が人間たちに乗り移り、殺戮を繰り返す。舞台は応援部隊の来ない辺境の町。立てこもった基地からいかに脱出し、ひとりでも多く生き残るかがポイントだ。ところが、ストーリーは生き残ったメラニーの証言というカタチで進行するので、誰が生き残るかあらかじめわかってしまうのがやや興醒め。しかも、彼女の回想シーンの中に他の登場人物の回想シーンが混じり、構成的にもまわりくどい。あれほど追い詰められながら、1度も警察本部に救援を呼ぼうとしないのも不自然だ。
そもそもこの作品、火星を舞台にする必然性があったのか? テラフォーミングで大気が生まれ、気温も人間が過ごせる程度になった火星なら、わざわざ火星にする必要もないのでは。助けを呼べない極限状態なら地球上でも設定できる。また、敵となる相手にもうひとつ怖さがない。質より量に走ったようだ。
それにしても、このVFX全盛の時代に、ほとんどCGを使わずSF映画を撮ってしまうポリシーには感心する。火星鉄道など登場するメカも昔なつかしい。疾走する列車の上でのアクションなんて、30年前の娯楽映画ではないか。よく似た設定の映画「バイオハザード」とは、列車のデザインもアクションも(同じような時期に撮影しているのに)まるで時代が違って見える。
そんなこんな要素を考え合わせると堂々のB級映画なのだが、この手の作品に一種のノスタルジアを感じる気持ちはわからないでもない。
(2003・5・7 宇都宮)
「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔」
監督 ピーター・ジャクソン
出演 イライジャ・ウッド
イアン・マッケラン
ヴィゴ・モーテンセン
(2003年/アメリカ)
子どもの頃、J.R.R.トールキンの「指輪物語」を夢中になって読んだ。そして、あの壮大な物語を映画化するなんてとてもムリだと心中ひそかに思っていた。ところが、さすがに21世紀を迎えただけのことはある。デジタル映像技術の進歩が、中つ国を目の前に再現して見せてくれた。これまでは原作読者の想像力の中でしか存在しなかった架空の大地が、鮮やかな映像になって現れたときの感動。これはコアな原作ファンにしかわからない感覚かもしれない。
第1部「旅の仲間」で映画が原作に忠実なことを確認し、ホッと胸をなで下ろした。登場人物のキャラクターも頭に入ったところで、第2部はそれぞれのキャラクターが本領を発揮する。だから、第2部ではよりドラマチックに展開するストーリーを、安心して堪能すればいい。
どのシーンも丁寧に作りこまれていて見ごたえ満点だが、特に圧巻なのはヘルム峡谷の戦闘シーン。人間とエルフの連合軍vsサルマンが生み出したオーク軍の闘いが峻険な砦を舞台に繰り広げられ、作品のクライマックスとなっている。フルCGで作られた映像とはいえ、雲霞のごとく蠢くオーク軍が人間の城を攻略していく様はその場にいるような臨場感。隅々まで丁寧に作られた映像と音響、斬新なカメラアングルに脱帽だ。
それにしても、壮大な原作を3時間にまとめる脚本の苦労がしのばれる。原作に忠実でなければ私のようなコアなファンは納得しないし、かといって全く忠実に再現するのは映画というカタチをとる限り不可能。中つ国の歴史、ゴンドールの歴史、闇の王の力を誰のセリフでどう説明するのか。裂け谷の主エルロンドが繰り返す「エルフの時代はもう終わった」という重要な言葉を、原作を読んでいない観客にどう解釈させるのか。見る側の理解力にもよるが、説明くささを極力排除することには成功している。
次回は来年公開予定の第3部「王の帰還」。力の指輪が滅び、アラゴルンが父祖の王国ゴンドールの王に即位する大団円だ。結末はわかっているが、早く観たい!
(2003・4・30 宇都宮)
「スコーピオン・キング」
監督 チャック・ラッセル
出演 ザ・ロック
マイケル・クラーク・ダンカン
ケリー・ヒュー
(2002年/アメリカ)
ヒットシリーズ「ハムナプトラ」の番外編。「ハムナプトラ2」に登場した怪物スコーピオン・キングを主人公にした冒険ヒーローものだ。
アメリカのエンタテインメントプロレス団体WWEのスターであるザ・ロックが映画初主演。「ハムナプトラ2」では暴れまくるだけで演技らしい演技もなかったが、本作では堂々の主演である。
ストーリーはごく単純。一族をメムノンに殺された男・マサイアスが復讐を誓い、仲間を募ってメムノンに闘いを挑む。
アクションはもちろん、お色気もしっかり押さえ、正々堂々のヒーローを一直線に描く、お約束どおりの展開。マサイアスと恋に落ちる女占い師役のケリー・ヒューが東洋系の美女のため、全編にエキゾチックな雰囲気が醸し出され、キャスティングとして成功している。
ハムナプトラは古代エジプト王朝が舞台だったが、本作はさらに時代を遡り、5000年前の設定。たとえばメムノンの治める町の名がゴモラというように、聖書時代の地名が登場する。ゴモラの町のセットは楽しめたが、実際の5000年前の町や人々の衣装はもっと質素で不衛生だっただろうなと古代ものを見るたびにいつも思う。
プロダクション・ノーツによると、ザ・ロックの最終目標は映画界らしい。アメリカのプロレスラーはマイクパフォーマンスや演技力を要求されるので、実際に映画に出演してもそこそこの演技を見せることが多いが、ザ・ロックもうまいとは言えないが、それなりの熱演である。やはり彼もシュワルツェネッガーの跡目を狙っているようだ。
(2003・4・25 宇都宮)
「リターナー」
監督 山崎 貴
出演 金城 武
鈴木 杏
岸谷 五朗
(2002年/日本)
腕利きの一匹狼・ミヤモト(金城武)は友の仇である中国マフィアの一派・溝口(岸谷悟郎)を追ううちに、未来から来たという少女・ミリ(鈴木杏)に出会う。80年後の未来、エイリアンに追い詰められた人類は最後の抵抗を試みていた。ミリは滅亡に瀕した人類を救うため、タイムマシンで時間を遡り、最初のエイリアンを抹殺する指令を受けてきたのだ。最初は相手にしなかった宮本だが、溝口がエイリアンに目をつけ、金儲けを狙っていることを知り・・・
「ターミネーター」と「マトリックス」と「E.T.」を足して、「スワロウテイル」で割ったような作品だ。和製SFにありがちな貧乏くささはあまり感じさせないが、ストーリーの粗さがちょっとツライ。「ターミネーター」からストーリーの大枠を頂き、「マトリックス」から戦闘シーンの映像表現を頂いているのも、ちょっと見え過ぎ。ただ、擬態宇宙船というアイデアは意外性があって面白い。SFXではハリウッドにかなわないが、CG技術なら対抗できる!・・・そんな気持ちにさせてくれた。
役者さんでは岸谷五朗の怪演がキモチいい。鈴木杏も「日本の子役ではダントツ」と聞いていたが、安定した演技力だ。このまま伸びたら、近い将来は演技派女優ナンバーワンか?
それにしても日本人が描くと、どうして裏社会の一匹狼も「いい人」になってしまうのだろう。しかも相手は16歳の少女。「トリプルX」のようにオトナの女を相手にしないところが、どうも1億総ロリコン化しているようで怖い。
(2003・4・15 宇都宮)
「ロード・トゥ・パーディション」
監督 サム・メンデス
出演 トム・ハンクス
ポール・ニューマン
ジュード・ロウ
(2002年/アメリカ)
1931年冬。マイケル・サリヴァンは親代わりに育ててくれたアイルランド系マフィア・ルーニーの下で働き、妻と2人の息子とともに暮らしていた。が、12歳の長男マイケルがルーニーの息子コナーの殺しを目撃したことから、一家は命を狙われることに。妻と次男は自宅で殺され、残されたマイケル父子はシカゴ近郊を6週間に渡ってさまよいながら、復讐と生き残りを賭けた闘いに挑む。
「パーディション」とは五大湖のほとりの小さな町の名前。その町には殺された母の姉が住み、マイケルは彼女のもとへ息子を預けようと考えた。息子たちに自分と同じ仕事だけはさせたくないと願う彼にとって、パーディションは普通の生活、まっとうな生き方の象徴ともいえる言葉。これがそのまま本作のテーマ・父子愛につながっている。
トム・ハンクス演じる父親は決してマイホームパパではないが、無口で強くて威厳のある、昔なつかしい父親像。甘え上手な弟と違い、どこか父親とうまくいかない息子を、父は命がけで守り通す。スキンシップや愛情あふれる言葉のやりとりもほとんどないのだが、息子は父の愛情を全身に感じながら最後まで生き延びる。そのたくましさにラストは救われた。
トム・ハンクス、ポール・ニューマン、ジュード・ロウの競演で話題を呼んだ作品だけあって、3大スターの演技合戦が一見の価値あり。P・ニューマンはさすがにオイシイ役どころを貰って見せ場を作っている。J・ロウは猟奇的な死体愛好者の殺し屋を熱演。頭髪を1本1本ハサミで切り、あの2枚目ぶりを敢えて貶めるハゲキャラに挑戦し、背筋をぞっとさせてくれた。T・ハンクスは今更云うまでもないだろう。作品中セールスマンのふりをするシーンがあるのだが、さっきまでマフィアにしか見えなかった男が本当にセールスマンに見えてしまうのだから、役者ってオソロシイ。
それやこれやで、いい映画なんだけどアカデミー賞に手が届かなかったのもある意味ナットク。サム・メンデスの演出も悪くはないけれど、正統派に描きすぎて新しさがない。それにしてもマフィアを描いて「ゴッドファーザー」を超える作品がいまだにないことも、改めて思い知らされた。
(2003・4・14 宇都宮)
「アバウト・ア・ボーイ」
監督 ポール・ウェイツ&クリス・ウェイツ
出演 ヒュー・グラント
トニ・コレット
レイチェル・ワイズ
(2002年/アメリカ)
父親が遺した音楽の版権で、働く必要もなく悠々自適の独身生活を送るウィル。女性とも遊びでしかつきあえないから2ヶ月と続かず、別れ際に必ず「中身のないサイテー男」と罵られるのがパターンだ。そんな彼がひょんなことから知り合ったのが12歳の少年マーカス。シングルマザーの母に元気になってもらうために、ウィルとのデートを持ちかけた だが、見事失敗。しかし、マーカスとのフシギな友情が思わぬ方向にウィルの生き方を変えていく。
無職の独身男のひとり暮らしといえば、ムサいアパート生活を思い浮かべがちだが、 の生活は実に優雅である。家事はすべて自分でできるし、残りの時間は音楽を聴いたりビデオを見たり、はたまた女性をナンパしたりと思いのまま。こんな生活を空しいとも感じず、38歳まで続けられるのも才能だと思う。
ところが、長く続いた優雅な独身生活も、12歳の少年との妙な友情と本気である女性を好きになったことから変化の兆しが見え始める。大切なものを手に入れるため代わりに、人は責任を負わねばならない。38にして、やっとウィルが「家族を持つ」「人と真剣に関わる」という魅力的なシチュエーションに気づいたところでストーリーは終わる。
それにしても、ハンサムなヒュー・グラントがロンドンのモダンなアパートを舞台に演じるから多少うらやましくもあるわけで、フツーの日本人の男が2DKのアパートで暮らしてる姿を見せられても貧相なだけだろう。私の周りも独身の友人は多いが、男も女も口を揃えて「好きで独身やってるわけじゃない」と証言する。ウィルのような確信犯的独身にはなかなかお目にかかれないが、サビつきかけた自分の価値観をリフレッシュさせるためにも、そんな方にぜひお友だちになっていただきたいものだ。
(2003・4・14 宇都宮)
「トリプルX」
監督 ロブ・コーエン
出演 ヴィン・ディーゼル
アーシア・アルジェント
サミュエル・L・ジャクソン
(2002年/アメリカ)
またまたアメリカン・マッチョなヒーローが誕生した。シュワルツェネッガーもブルース・ウィリスももうトシだから、次世代のアクションヒーローはこの男でキマリなんだろう。
バイク、スノボ、スカイダイビングとエクストリーム・スポーツならなんでもござれの男・トリプルX。NSA(国家安全保障局)がその才能に目をつけ、エージェントとして採用。旧ソ連の生物兵器をヨーロッパにバラ撒こうと計画するテロ組織の内部へと潜入させ・・・
「ワルにはワルを」の発想で生まれた外部エージェントが主人公だから、そんなワルをどうやって国家のお役に立とうという気持ちにさせるのか。このあたりがストーリー的にはむずかしいと思っていたが、やっぱり描ききれていない。金にも名誉にも動かないトリプルXが、「人を救う」ことにスポーツを楽しむ以上の快感を覚えて命がけの任務を果たすわけだが、結局ワルではなくていいヤツなのだ。ま、そうするよりほかないだろうが。
アクションシーンはとにかくスゴイ。バイク、スノボ好きにはたまらないシーンの連続だ。スタントを使ったバイクシーンは迫力満点。スタントでもムリなシーンはきっちりCGで作っている(でなきゃ雪崩より早くスノボですべり降りるのって、絶対ムリ)。
007の昔からエージェントにはいい女がつきものだが、相手役のアーシア・アルジェントもかなりイケている。スチール写真で観るより映像の方がはるかに魅力的なので、その点も要チェックだ。
(2003・4・14 宇都宮)
「恋におちたシェイクスピア」
監督 ジョン・マッデン
出演 ジョセフ・ファインズ
グウィネス・パルトロウ
ジュディ・デンチ
(1998年/イギリス)
久々に「恋におちたシェイクスピア」を観た。いわずと知れた1998年のアカデミー賞7部門受賞作。初めて観たときは、「ロミオとジュリエット」がシェイクスピア自身の経験をもとに書かれたという大胆な発想と、実際の恋愛と舞台上の恋愛物語が交錯する構成の面白さに驚いたものだ。5年ぶりの鑑賞では、ストーリーのディテールと練られた脚本に魅せられた。
いちばん感動的なのは、シェイクスピアとローズ座を巡る人々がみな、芝居を心から愛していること。その典型が劇場主ヘンズローに金を貸した高利貸し。血も涙もなく借金を取り立てるのかと思いきや、ヘンズローに新作芝居のあらすじを聞かされると、芝居見たさに取り立てを先延ばしするのだ。この冒頭シーンが、先のストーリーを暗示していたことを観終えてから理解した。高利貸しは(その必要はないだろうに)毎日芝居の稽古に姿を見せ、感動したり批評したり役者同士のケンカを仲裁したりする。そのこうするうちロミオに毒薬を売る薬屋の役を貰い、感動的な演技を見せるのだ。
ヘンズローや役者たちが新作芝居を前にして酒場で気勢をあげるシーンも楽しい。「役がほしいヤツは来い!」「ギャラは出るのか?」「おまえが払え!」・・・こんな会話はまるで現代の小劇団の宴会のよう。お金にならなくても、芝居が好きで好きでたまらない連中が集まって、新作芝居の計画に目を輝かせる。ただひとり、ホンができてないシェイクスピアの憂鬱な表情が、これまた他人事とは思えない。
全体のストーリーには確かに無理がある。男性のふりをしてシェイクスピアに近づくグウィネス・パルトロウは、どう見ても女性に見えるし、男装・女装両方の彼女を見て劇作家のシェイクスピアが同一人物と気がつかないのも不自然だ。しかし、そんな大きな欠陥を押しのける勢いでテンポよくストーリーは進行し、細部に渡る暗喩が効いている。「十二夜」とのひっかけも面白いし、チョイ役の割に気になるネズミを連れた少年は、後に戯曲家として活躍したジョン・ウェブスターの子ども時代という設定だ。
脇役の豪勢さがさらに楽しめる。エリザベス1世役のジュディ・デンチ、劇場主ヘンズロー役のジェフリー・ラッシュ、売れっ子俳優役のベン・アフレックはもちろんのこと、ウェセックス卿役のコリン・ファース、劇作家マーロー役のルパート・エヴェレット等々・・・彼らひとりひとりの役柄や役者本人から演劇への情熱がほとばしり出ていて、とにかく芝居好きにはたまらない作品である。
(2003・4・11 宇都宮)
「乱気流/タービュランス」
監督 ロバート・バトラー
出演 ローレン・ホリー
レイ・リオッタ
(1997年/アメリカ)
ニューヨークからロサンジェルスへ囚人2人と護送役の刑事を乗せて離陸したトランス・コンチネンタル航空47便。ところが、高度1万メートルの上空で、冷酷な連続殺人犯ウィーバーの手によって刑事たちが殺され、飛行機はハイジャックされる。機長・副操縦士も殺され、生き残ったのはスチュワーデスのテリーとウィーバーだけ。どうせ死刑になる身ならロサンジェルスの中心に飛行機ごと突入すると宣言するウィーバーに、テリーは命がけで立ち向かう。
飛行機パニックものの定番。操縦不能の飛行機に残されたのは、か弱いスチュワーデスただひとり。もうひとりいるにはいるが、なんとか飛行機を墜落させようと目論む連続殺人犯で、スチュワーデスは墜落と殺人という2つの恐怖にさらされる。
かつてヒットした「エアポート'75」シリーズを懐かしく思い出した。飛行機を操縦できる人間がいなくなる点も、スチュワーデスが活躍する点も、さらにそのスチュワーデスがあまり美人でない点もソックリ。主演のローレン・ホリーは賛否両論分かれるだろうが、小柄できゃしゃなところがカレン・ブラックよりは同情を誘う。レイ・リオッタのような大男(阪神の伊良部に似ていると思うのは私だけか?)に命を狙われれば、迷走する飛行機の上でなくてもパニックになるのは当たり前。限られたスペースと設定を最大限に使い、飽きさせずに見せるのはたいしたものだ。
それにしても飛行機の自動操縦技術というのは、実際にここまで進んでいるのだろうか? あれなら誰でも操縦できるではないか。私でもできそうな気がしたくらいだ。(実際にはしたくないが)
(2003・4・11 宇都宮)
「プリティ・プリンセス」
監督 ゲーリー・マーシャル
出演 アン・ハサウェイ
ジュリー・アンドリュース
(2002年/アメリカ)
サンフランシスコで母と暮らすミアは内気で地味な女の子。ところがある日、死んだ父がヨーロッパのジェノヴィア王国の皇太子だったと知らされる。突然目の前に現れた祖母の現女王から、後継ぎの王女として新たな人生を踏み出すよう促されるが・・・
少女マンガの王道(しかも30年前の)を行くようなストーリーで、夢があるにもほどがある!とツッコミたくなるが、ディズニー映画とくれば、それはそれでしかたがない。監督のゲーリー・マーシャルは「プリティ・ウーマン」「プリティ・ブライド」と女性の夢を描きつづけてきた人。それにしても前2作と比べても、「フツーの女の子が実は未来の女王さまだった」という設定は、どうにも現実感をつけるのが難しい。アメリカの中では比較的ロマンチックな町並みのサンフランシスコを舞台に選んだのも苦肉の策か?(これがニューヨークなら全然違った話になる)
サナギが蝶になるように、サエない女の子が美しく生まれ変わる設定のアン・ハサウェイ(最近LUXのCMでよく見かける)も、日本人の目から見ると美人なのかそうでないのかビミョーな線だ。少なくとも王女様には見えない。
女子中高生が楽しむには手ごろな作品だが、ヒネたオバサンの観る映画ではなかった。
(2003・4・11 宇都宮)
「ウォーターボーイズ」
監督 矢口 史靖
出演 妻夫木 聡
玉木 宏
竹中 直人
(2002年/日本)
部員が3年生の鈴木1人で、廃部寸前の唯野高校水泳部。ピチピチの新卒女教師・佐久間が赴任した途端、佐久間目当ての男子生徒が大挙入部し、一転水泳部はにぎやかに。ところが、佐久間の本当の目的は、シンクロナイズドスイミングを教えること。ほとんどの入部者はこれを聞いて逃げ出してしまうが、鈴木を含めた5人が逃げ切れずに残ってしまい、文化祭でシンクロを発表することになり・・・
男子校でシンクロ。このムチャな状況設定を、とにかく軽く描いて本番まで持っていく演出のタッチが面白い。プールを釣り堀にしようとするバスケ部から奪還するエピソード。水族館でイルカ調教のアルバイトをしながら、シンクロの極意をつかむエピソード。なぜか鈴木にかわいいガールフレンドができるのだが、シンクロのことを彼女に打ち明けられないエピソード。「そんなアホな・・・」と思うシーンも多いが、高校生のひと夏のファンタジーと思って笑い飛ばそう。
真っ青な空と学校のプール。文化祭の打ち合わせ。お金もないし、恋人もいない。でも毎日元気いっぱいだった高校時代。あの3年間をなつかしく思い出した。なにはともあれ若いってすばらしい。
それにしても、クライマックスで見せるシンクロシーンは、シンクロというより水中ショーに近い。シンクロは1ヶ月特訓したからといって、できるもんじゃない。しかし、この水中ショーもかなり練習しなければできないだろうし、役者さんも若さでがんばったのだろう。やっぱり若いってすばらしい。
(2003・4・4 宇都宮)
「ウィンドトーカーズ」
監督 ジョン・ウー
出演 ニコラス・ケイジ
アダム・ビーチ
クリスチャン・スレーター
(2002年/アメリカ)
第二次世界大戦下の1942年。太平洋戦線で、アメリカ軍は日本軍に暗号コードを解読され、苦境に陥っていた。起死回生の策として、ナバホ語を暗号に利用することになった軍は、ナバホ族の若者を暗号通信兵として教育し、最前線へ送り込む。その一人・ヤージー(アダム・ビーチ)の護衛任務についたエンダーズ(ニコラス・ケイジ)は、激戦地・サイパン島で彼を守り続けるうちに、ヤージーへの友情と尊敬の念が生まれはじめる。ところがエンダーズは、暗号の秘密を守るため、ヤージーが日本軍の捕虜になったときには速やかにその命を奪うよう軍上部から指令を受けていた。
戦争映画といえばアメリカの国威発揚目的が多い昨今、あまり期待せずに見たのだが、意外に面白かった。「MI:2」のジョン・ウー監督らしくアクションシーンは相変わらず派手だが、生粋の軍人である主人公とナバホの若者の心の交流をきちんと描いている。エンダーズ自身もイタリア移民の子孫という設定だし、同じ隊には他にギリシア移民の子孫もいる。その一方、有色人種への差別で凝り固まったWASPを登場させ、ストーリーの進行とともに彼の心に差別への疑念を抱かせた。それもこれも香港からハリウッドに進出した中国人監督ならではの配慮かもしれない。
N・ケイジのどうにも聞き取れない日本語や、ナバホと日本人は区別がつかないという設定は「???」だったが、笑ってスルーしよう。
(2003・4・4 宇都宮)
「バイオハザード」
監督 ポール・アンダーソン
出演 ミラ・ジョヴォビッチ
ミシェル・ロドリゲス
エリック・メビウス
(2002年/アメリカ)
私はゲームをしない。だから、「バイオハザード」の内容も全く知らないし、予備知識もまるでない。しかし、この映画は楽しめた。記憶を消された特殊工作員が迫り来るゾンビとひたすら闘い続ける単純なストーリーだが、最後までハラハラドキドキさせてくれる。
大企業アンブレラ社の地下にある秘密研究所ハイブでは、未知の殺人ウィルスが開発中だった。ところがウィルスが何者かの手によって空気中に散布され、ハイブは閉鎖。中に閉じ込められた数百人の従業員はウィルスに感染し、ゾンビになり果てる。一方、ハイブの入り口の番人として任務についていたアリスは、なぜか記憶をなくした状態で発見され、特殊部隊とともにハイブへと乗り込むが・・・
誰が味方で誰が裏切り者か、ストーリーはすぐ読める。しかし、地下の秘密基地、人を支配しようとするコンピュータ、二重三重の防護システム、次から次へと現れるゾンビと、SFホラーに欠かせない小道具が効いている。これだけのイマジネーションを生み出すもととなった日本のゲーム文化は全くたいしたものだと思う。
作品全体の出来がよかったのは、主演のミラ・ジョヴォビッチに負うところが大きいと感じた。「フィフス・エレメント」では可憐な少女、「ジャンヌ・ダルク」では戦う女を演じ、作品ごとに違う顔を見せてくれたが、大人の女なのにどこか少女の面影があるのが魅力的だ。「バイオハザード」の映画化を知り、自ら売り込みに行ったそうだが、確かにハマリ役だった。
(2003・4・1 宇都宮)
「サイン」
監督 M・ナイト・シャマラン
出演 メル・ギブソン
ホアキン・フェニックス
ローリー・カルキン
(2002年/アメリカ)
「シックスセンス」のM・ナイト・シャマラン監督の最新作。脚本も兼ねる監督は、史上最高の脚本料500万ドルをこの作品で獲得したらしい。
農場に次々と現れるミステリー・サークル。不気味な予知をはじめた娘。姿の見えない侵入者・・・妻が交通事故死して以来、元牧師のグラハム(メル・ギブソン)の周囲では、説明のつかない不可解な現象が続く。やがてミステリー・サークルは未知の宇宙人が訪れるサインだと世界中をニュースが駆け巡り・・・
平凡な日々を送る元牧師一家に、静かな予兆が続く。恐怖のレベルが少しずつ少しずつ上がっていく。・・・ここまではいつものM・ナイト・シャマラン調。ところが、事態がアメリカの片田舎ですまされず、全世界に広がる宇宙人騒ぎになるところでストーリーは荒唐無稽になってしまう。宇宙人から家族を守る闘いの合間に、妻の死の様子がフラッシュバックしていく構成は面白い。しかし、妻の死の全容が甦ったところで、宇宙人との闘いにヒントが出る(つまり、これがサイン)オチは、ちょっとムリがある。妻の死で信仰を失った元牧師が、再び神を信じる気持ちを取り戻すための重要なファクトであったとしても。
そもそもミステリー・サークルという「道具」が古い。「信仰を取り戻す」というテーマを際立たせるなら、妻の死にもう少しヒネリがあってもよかったかもしれない。その方が神の奇跡を信じる気持ちにさせるのではないか。
前作の「アンブレイカブル」、そして本作でつくづく感じたが、M・ナイト・シャマランという監督は半径5キロの生活圏の恐怖を描く才能は飛び抜けているのだが、話が大きくなると処理が荒くなる。そういう意味で、「シックスセンス」を超えるのは、なかなか難しいことなのかもしれない。
(2003・3・31 宇都宮)