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シネマパラダイス(映画・ビデオ評)


2008年

*5月up作品:「キングダム/見えざる敵」「アイアム・レジェンド」「ミス・ポター」「ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛」
*4月up作品:「ボーン・アルティメイタム」、「エリザベス:ゴールデン・エイジ」「マリー・アントワネット」

2007年

*11月up作品:「ドリームガールズ」「007/カジノ・ロワイヤル」「幸せのちから」
*10月up作品:「パンズ・ラビリンス」「トランスフォーマー」
*8月up作品 : 「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」「ナイトミュージアム」

過去のup作品: ア行カ行サ行タ行ナ行ハ行マ行ヤ行ラ行ワ行


「ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛」
監督 アンドリュー・アダムソン
出演 ベン・バーンズ
    ジョージー・ヘンリー
    スキャンダー・ケインズ
2008年/アメリカ)

前作の「第1章:ライオンと魔女」から約2年。「ナルニア国物語」の第2章「カスピアン王子の角笛」をさっそく観に行った。
原作を忠実に再現した第1章に比べて、第2章は構成を大幅に変えている。
冒頭のシーンは4人の子どもたちがナルニアに戻るシーンではなく、カスピアン王子がミラース王の城を脱出するシーン。原作の3分の1を占める回想シーンをセリフと映像で説明し、リアルタイムなストーリー展開に構成し直している。そのため、カスピアン王子がなぜナルニアの民にすぐ心を許すのか、映画だけ観ている人には伝わりにくいかもしれない。
また、人間対ナルニアの民の闘いに説得力を持たせるためか、ミラース王の城に奇襲をしかけたり、戦闘場に仕掛けを作ったりするのも映画ならではのオリジナル。創り手たちが知恵を絞って映像化しているのがわかる。
そんな作品を生み出す苦労に加えて、映画の成否を決める大きな要素がカスピアン王子のキャスティングだ。原作では10代の金髪の少年というイメージだが、これは原作シリーズの挿絵の影響がとても大きい。しかし、父王を殺した叔父への復讐と人間との戦闘に勝利するという事業を10代の少年がなし得るにはムリがあるため、映画では20代の青年に設定。1年がかりのオーディションで、イギリス人の若手俳優ベン・バーンズを抜擢したらしい。新聞広告で初めて彼を見たときは原作のイメージと違うので驚いたが、映画では冒頭から違和感がない。映画界では新人なので、まだ色がついてないせいだろうか。ハムレット的苦悩を抱く王子そのものだ。
4人の子どもたちはそれぞれ成長していたが、特に下の2人・エドマンド役のスキャンダー・ケインズとルーシィ役のジョージー・ヘンリーがずいぶん大きくなっていた。子役が登場するシリーズは、子役の成長を親戚のおばさん(?)のように見守れるのがうれしい。スキャンダー・ケインズは数年後にはすごくカッコよくなるんじゃないか、なんて予想するのも楽しみのひとつだ。
いずれにせよ、世界的なロケと大掛かりな城のセットまで建てて再現した空想の国は見ごたえがある。ストーリー展開も早く、ナルニアを知っている人も知らない人も、充分楽しめるのではないだろうか。人々が待ち続け信じ続ける存在“アスラン”が、(ライオンの姿を借りてはいるが)実はいったいなにを指すのか。原作シリーズを最後まで読めばわかるのだが、本作でも暗喩を含んだセリフがあちこちに登場する。そこまで掘り下げることができれば、もっと楽しめるかもしれない。
次は「第3章:朝びらき丸、東の海へ」。私は7冊あるシリーズの中で、実はこの第3章がいちばん好きなのだが、主役のベン・バーンズも同じらしい。カスピアン王子の夢と冒険にあふれる航海を、きっとディズニーが最新VFXCGを駆使して見せてくれることだろう。
2008524 宇都宮)

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「ミス・ポター」
監督 クリス・ヌーナン
出演 レニー・ゼルウィガー
    ユアン・マクレガー
    エミリー・ワトソン
2006年/アメリカ・イギリス)

ピーター・ラビットの作者ビアトリクス・ポターの半生を描いた作品。20世紀初頭のイギリス上流階級を舞台に、自分の意思を貫く女性の姿が印象的だ。
1902年、ロンドン。ベアトリクス・ポター(レニー・ゼルウィガー)は、子どもの頃から描きためた動物たちの絵本を出版社に持ち込み、出版が決定する。しかし、上流階級を自認する両親は、30歳を過ぎた娘が結婚もせず、アーティストとして生きようとすることが理解できない。親の勧める縁談を断り続け、創作活動に励む彼女は、やがて担当編集者のノーマン(ユアン・マクレガー)と恋に落ちる。しかし、ノーマンとの結婚に反対する両親を説き伏せるためロンドンを離れているあいだに、ノーマンが病に倒れ・・・・・・
ミス・ポターと両親とのやりとりを観ながら、「ジェネレーションギャップの悩みは、いつの時代も同じなんだな」と思った。自分たちの世代と同じ生き方を娘に強要する両親。しかし、娘にはクリエイティブな才能があり、それを活かすだけの意思の強さがあった。仕事をはじめてみたら当然世界が広がるし、出会いも生まれる。自分のいちばんの理解者である編集者と恋に落ちるのに時間はかからなかった。これって、現代の日本でもよくある構図だ。
印象に残ったのは、父親と母親の対応の違い。母親は娘がいくつになっても自立を認めようとしないが、父親は娘がベストセラー作家になったことを認知し、娘を経済力のある自立した人格として認めていく。社会性の違いというか、視野の広さの違いというか、社会でもまれている人と家の中しか知らない人の差が顕著に描かれている。
物語のキモは、ノーマンが亡くなってから。唯一無二と思える恋人を亡くした後のミス・ポターの生き方が素敵だ。あえて両親から離れ、心のふるさとともいえる湖水地方に農場を購入して自立する。それもこれも経済力があるからできること。やはり、女性の自立はまず経済力だ。
作品中にはピーター・ラビットの舞台である湖水地方の風景がよく登場する。私も1度だけ行ったことがあるのだが、とにかく美しいところで、わずか1泊だけで移動するのが惜しくてしようがなかった。いつかまたゆっくりと滞在したい場所だ。
2008512 宇都宮)

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「アイ・アム・レジェンド」
監督 フランシス・ローレンス
出演 ウィル・スミス
    アリーシー・ブラガ
    ダッシュ・ミホック
2007年/アメリカ)

2012年、人類は新種のウィルスにより絶滅に瀕していた。米軍に所属する科学者ロバート・ネビル(ウィル・スミス)は、ウィルスに先天的な免疫を持つ稀有な男。人々が死に絶えた後も、たったひとり無人となったニューヨークで愛犬とともに生き抜いていた。彼の願いは人類を救うワクチンを開発すること。昼は食料探索とワクチン開発に打ち込みながら、生存者からの連絡を待つ。夜はウィルスで変異した感染者が、人肉を求めてニューヨーク市街をさまよう中で、ひたすら息を潜めて朝を待つ。感染者は太陽の光の中には出て来られないため、彼の安息は昼間にしか存在しない。そんな日々が3年間も続いていたある日、愛犬が感染犬に襲われ、ネビル自身も危機に瀕し・・・
有名なSF小説の3度目の映画化らしい。
作品の前半を覆うのは、たったひとりの生き残り・ネビルの壮絶な孤独感。唯一の家族であり友人であるのが愛犬。マネキン人形たちも友だちだ。「毎日正午、サウスポートで待つ」と、どこかにいるかもしれない生存者に向けて終日AM電波を流し続け、約束どおりサウスポートに日参するのだが、もちろん誰も現れない。3年前に亡くした家族の思い出も悲しい。
後半は襲いかかる感染者の群れとのアクションシーンの連続。SFというより、アクションホラーの趣が強い。このまま登場人物はウィル・スミスだけなのかと思いきや、後半で意外な展開がある。
私は「人類最後の1人」という設定に、手塚治虫さんの『火の鳥 未来篇』を思い出しながら観ていた。
これ以上の孤独はない、究極の孤独――
私自身の経験でも、家にこもる仕事で誰とも話さず誰とも会わない日が34日も続いたら、精神的に煮詰まってくる。そんなときは友人に連絡し、食事やおしゃべりをして発散するのだが、それがムリならせめてマンションから外へ出て、街を歩いている人たちを見るだけでもいい。コンビニで「いらっしゃませ」と言われるだけでも、多少の気晴らしになる。人間とは、かくも孤独に弱い。
ゾンビたち(本当は生きている人間の感染者たちだが)との死闘シーンも面白いが、この作品が人の記憶に残るとすれば、孤独と闘うウィル・スミスの表情だと思う。登場する人間は彼だけだから、独白のようなセリフが多く、難しい演技だったのではないだろうか。そういえば、無人島で4年間過ごす設定の『キャスト・アウェイ』のトム・ハンクスの演技もすごかった・・・
今、新型インフルエンザ流行に備えて、国が準備をしているらしい。人類誕生以来、絶えることなく続いてきた人間とウィルスの闘い。最終的にどちらが勝つのだろうか。
2008511 宇都宮)

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「キングダム/見えざる敵」
監督 ピーター・バーグ
出演 ジェイミー・フォックス
    クリス・クーパー
    ジェニファー・ガーナー
2007年/アメリカ)

サウジアラビアの外国人居留区で自爆テロが発生。100人を超えるアメリカ人やサウジアラビア人が殺された。同僚のFBI捜査官を殺されたフルーリー(ジェイミー・フォックス)は、優秀な部下を選抜してチームを組み、現地へ乗り込む。しかし、犯人を突き止めようと意気込むフルーリーたちを妨害するのは、味方であるはずのアメリカとサウジアラビアの機関。フルーリーは知恵を絞り、コネクションを最大限に利用しながら障壁を1つ1つ乗り越え、犯人に迫っていくが・・・
地味な映画だが、よくできている。サウジアラビアという新米派の王国、アメリカが最大の敵とする国際テロ組織、そして彼らに干渉し、コントロールしようとするアメリカ合衆国。三者の微妙な関係が「FBI捜査官による自爆テロ捜査」というストーリーを通して、三者三様の顔が見えるように描かれていた。
フルーリーはじめ、個性あふれるFBI捜査官たち。たたみかけるような展開。要所要所に散りばめられた印象的なセリフ。ラストの銃撃戦まで観る人をぐいぐい引っ張るテクニックはお見事。監督のピーター・バーグは聞き慣れない名前だが、トム・クルーズ主演の『コラテラル』などに役者として出演していた人らしい。この作品で、監督としての評価が一気に高まったのではないだろうか。
それにしても、アメリカに代表される欧米文化とイスラム文化の相容れない関係はどうしたものだろう。どちらも「目には目を」とばかり、受けた攻撃には必ず報復で返すから、諍いに終わりがない。目の前で家族をアメリカ人に殺された子どもは、長じて自爆テロ犯になる。ラストのセリフにこの作品のテーマがはっきりと見え、作品全体の価値を上げているのだが、同時に絶望的な気持ちにさせられる。
命が軽く扱われる世界に生きる子どもたちに、本当の意味で平和な暮らしをさせてあげたい。何代も続く紛争や戦争で、誰も平和を知らない地域が21世紀になってもなお、地球上に存在することがやるせない。
2008511 宇都宮)

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「マリー・アントワネット」
監督 ソフィア・コッポラ
出演 キルスティン・ダンスト
    ジェイソン・シュワルツマン
    リップ・トーン
2006年/アメリカ)   

言わずと知れたマリー・アントワネットの生涯を描いた作品。絢爛豪華なロココ文化の世界を描いた従来の作品と異なり、ポップでキュートな映像と音楽で見せる。
オーストリア皇女マリー・アントワネットはわずか14歳でフランス王太子ルイ・オーギュスト(ジェイソン・シュワルツマン)に嫁ぐ。母国から彼女に課せられた使命は、1日も早く跡継ぎを産み、両国の絆を深めること。しかし、夫ルイは彼女に指1本触れようとしない。アントワネットは宮廷の好奇の目にさらされながらも、フランスで生きていこうと懸命に努力を続ける。しかし、孤独を忘れようと取り巻きとのパーティが続くにつれ、宮廷の出費がかさんでいき・・・
14歳で親元を離れ、異国の宮廷で1人闘う女性像というのは、見ていて心が痛む。オーストリアの女帝マリア・テレジアの末娘として生まれ、愛情を注がれて育った女性だけに、余計嫁ぎ先との落差がつらい。しかし、尊敬する母のため、故国のために、夫の関心を惹きつけようと幼いながらも懸命に努力する姿は、「ああ、ぜいたくな暮らしができるとはいえ、王族も大変なんだな」と思わせる。
フランス革命に至った国の窮状や民の暮らしの実情を知らなかったのは、教えなかった周囲にも問題があるし、知ろうとしなかった本人たちの資質の欠如もある。この作品では、想像を絶する貧困に喘いでいたフランスの民衆が描かれていないのだが、アントワネットがぜいたくをすればするほど空しさが募り、破滅の足音が近づいてくる。
いちばん驚いたのは、なんといっても作品の終わり方だ。誰もが歴史上有名な最期を知っているだけに、あの残酷な死に方と本作のキュートな映像が相容れない。それに、国家のために嫁いだ先で殺されることになる女性の最期というのは、やはり見たくないものではないだろうか。そんないろいろな配慮があってのラストシーンだとは思うが、終わった瞬間、「えっ、ここで終わるの?!」と思った人が9割以上存在するはず(と、私は思う)。
ほかに意外だったのは、主演のキルスティン・ダンスト。子役の頃から知っており、これまで美人と思ったことがなかったが、この作品の彼女は本当に美しい。細身のからだで14歳のあどけない少女の役もこなしており、年齢不詳の演じっぷりはお見事。売れっ子女優になった理由がよくわかった。
また、フェルゼン伯爵が女たらしの外交官として登場するのが、『ベルばら』で育った世代としては、ちょっと寂しい。
2008410 宇都宮)

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「エリザベス:ゴールデン・エイジ」
監督 シェカール・カプール
出演 ケイト・ブランシェット
    ジェフリー・ラッシュ
    クライヴ・オーウェン
2007年/イギリス・フランス)

前作「エリザベス」から早や9年が経過したと聞き、時のたつ速さに驚いた。前作ではケイト・ブランシェットの演技力に圧倒されたものだが、本作もその点はまったく同じ。しかも9年たってもトシをとっていない。その美しさと演技力に脱帽だ。
物語はエリザベスがイングランド女王に即位し、スペイン無敵艦隊を破ってイングランドの黄金時代を築くまで。独身の女王を狙って次々と求婚者がやって来る。味方からも跡継ぎを望む声が上がるのだが、「国家との結婚」を貫くエリザベスの意思は変わらない。明晰な頭脳と自分の信念を貫く意思の強さは見ていてホレボレするが、デキる女が孤独なのはいつの時代も同じ。ましてや国家のトップに立つ人は、底なし沼のような孤独をいつも見ていることだろう。
そんなエリザベスの心を動かしたのが、新世界帰りの航海士ローリー(クライヴ・オーウェン)。これが水もしたたるセクシーな男ぶり。宮廷の干からびた男たちばかりの中であんな自由な海の男に出会えば、エリザベスでなくとも惹かれてしまうに違いない。結局、この淡い恋は成就しないが(そんなことはエリザベス自身、最初からわかっていることなのだが)、ローリーはイギリス海軍の一員としてその後大活躍する。現代にたとえるなら、女社長は孤高の独身を貫くが、有能な幹部候補をしっかり社内に取り込んだ、といったところだ。
サブストーリーとしてスコットランドのメアリー女王の運命の変転も織り込み、この時代のイギリスは映画や戯曲の題材に事欠かないと実感させられた。
2008410 宇都宮)

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「ボーン・アルティメイタム」
監督 ポール・グリーングラス
出演 マット・デイモン
    ジュリア・スタイルズ
    デヴィッド・ストラザーン

2007年/アメリカ)

ジェイソン・ボーンシリーズは、私の中で「絶対見逃せない」存在だ。
「ボーン・アイデンティティ」でマット・デイモンが初めてカッコよく見え、「ボーン・スプレマシー」で恋人マリーを亡くしたボーンの傷心に胸をしめつけられた。本作「ボーン・アルティメイタム」は物語上の時間でも「ボーン・スプレマシー」のラストシーンにつながっている。過去の登場人物が意外なシーンで次々に現れ、シリーズ全体の総決算であることを感じさせる。
アクションシーンは相変わらず息もつかせぬ展開で、アイデア満載。モスクワ→パリ→ロンドン→モロッコ→ニューヨークと舞台を次々に変えながら、CIAとボーンの知恵&体力比べが続いていく。例によってCIA上層部の過去の機密事項隠しがあり、「ボーン・スプレマシー」に続いて登場したCIA女性幹部パメラ(ジョアン・アレン)が内部機密を探りながらボーンを追う。このパメラの切れ者ぶりが見ていて実に爽快。男性上司の無能ぶりもリアルだ。
愛国心から志願した仕事なのに、いったん命令に背くと命を狙われる。上司も同僚も友人も、誰も信じられない。この“誰も信じられない”という状況がいかにつらいものか。これほどの孤独とひきかえに得るものは、いったいなに? 現実のスパイがどういうものかは知らないが、どんなに報酬がよくてもやりたくない仕事だ。もちろん、私みたいなボンヤリした人間にできるわけもないが、優秀な人材がこんな仕事で命を落としているとすればもったいない話だと思う。
2008410 宇都宮)

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「幸せのちから」
監督 ガブリエレ・ムッチーノ
出演 ウィル・スミス
    ジェイデン・クリストファー・サイア・スミス
    タンディ・ニュートン
(2006年/アメリカ)

ホームレスから億万長者になった実在の人物をモデルにしたサクセス・ストーリー。
新型医療機器のセールスマン・クリス(ウィル・スミス)はこれと見込んで買い込んだ医療機器が思うように売れず、妻も愛想を尽かして家を出る。経済的に安定した生活を夢見て、証券会社の幹部社員養成コースに申し込むが、研修期間中は無給。家賃を滞納したため、幼い息子とともに家を追い出され、ホームレス生活に突入してしまう・・・
いわゆる薄っぺらなサクセス・ストーリーではなく、主人公の奮闘ぶりと苦悩を丁寧に描いているので、予想以上に楽しめた。
大の男でもホームレス生活はキツイのに、幼い子どもを連れてなんてムチャにもほどがある。・・・と思うのだが、主人公のクリスは安宿や福祉施設を泊まり歩き、それにもあぶれたときは公衆トイレで一夜を明かす。子どもだけなら預かってくれる施設もあるのだが、「親子一緒じゃなきゃダメ」という強い信念を貫き通すところがスゴイ。私だったら、「せめて子どもだけでも屋根のある場所に寝かせてあげたい」と、児童福祉施設に預けてしまうだろう。たいがいの人は私と同じでは?
しかし、子どもというものはものすごく順応性があるので、守ってくれる大人がそばにいれば貧乏にも慣れてしまうのかもしれない。掛け値なく自分を愛してくれる存在が、身近にいてさえくれれば。
証券会社研修中の奮闘ぶりも身につまされる。研修といっても、実践型の電話営業。あの手この手でターゲットに近づき、自社の商品を売ろうとするのは、どこの国のセールスマンも同じこと。同時に証券会社の現役幹部たちに忠義を尽くす必要もあり、きれいごとを言っていられない世界だ。・・・が、クリスはぐっとこらえて正社員への採用をめざす。
これって80年代のアメリカが舞台だが、現在の日本社会に通じるものがある。身分の安定しない非常勤労働者同士が結婚し、子どもが生まれる。思うように働けなくなると、とたんに家賃に困り、生活に行き詰まる。めざすは正社員なのだが、その道は険しい。この作品ではクリスが頭がよく目端が利くので、変なストレスなく観終えることができるが、実際にはクリスみたいに優秀でない人の方が多いはず。現実のその他大勢はどうしているのか。クリスのように億万長者になれなくても、親子揃って平和に暮らせれば、私はそれで充分幸せだと思うのだが。
(2007・10・21 宇都宮)

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「007/カジノ・ロワイヤル」
監督 マーティン・キャンベル
出演 ダニエル・クレイグ
    エヴァ・グリーン
    マッツ・ミケルセン
(2006年/アメリカ・イギリス)

007シリーズの21作目。ジェームズ・ボンド役は6代目となり、ダニエル・クレイグが演じている。
ジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)が殺しのライセンス“00(ダブルオー)”を手に入れ、最初に向かった任務はテロ組織の資金源ル・シッフル(マッツ・ミケルセン)と接触すること。モンテネグロのカジノのポーカー対決でル・シッフルの資金を巻き上げたボンドだが、パートナーの女性ヴェスパー(エヴァ・グリーン)を誘拐され・・・
最新兵器やハイテクカーに彩られたこれまでのシリーズと違い、人間くさいジェームズ・ボンドを見ることができた。作品の中枢を占めるのも、豪華なカジノルームでのポーカーシーン。マシーンvsマシーンではなく人間同士の情念がぶつかる闘いや、誰が味方で誰が敵なのかわからない心理合戦を楽しめた。最近の007シリーズの中では、かなりの秀作では?(全シリーズを観たかどうか定かではないので、断言できないが)
また、ボンド役のダニエル・クレイグがいい。演技力も確かだし、身のこなしもちょっとした感情表現も板についていて、“生身の男性”感がある。まだ青いボンドがパートナーの女性と真剣な恋に落ちるシーンでも、男の切なさみたいなものを感じさせてくれた。撮影時に40歳近いので、“若き日のボンド”というには外見的にちょっとムリがあるが。
ボンドガール役のエヴァ・グリーンはやや垂れ目でカンペキな美人ではないのだが、アメリカの女優さんにはない艶っぽさ、ミステリアスな雰囲気の持ち主。若い頃のシャーロット・ランプリングを思い出してしまった。
オフィシャル・ホームページを見ると、「ボンドを原点に戻す」のはプロデューサーの狙いだったらしい。その点でも狙い通りの成功作と言えるのではないだろうか。
(2007・10・20 宇都宮)

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「ドリームガールズ」
監督 ビル・コンドン
出演 ジェイミー・フォックス
    ビヨンセ・ノウルズ
    エディ・マーフィ
(2006年/アメリカ)

トニー賞6部門を受賞したブロードウェイ・ミュージカルの映画化。
歌手を夢見るディーナ(ビヨンセ・ノウルズ)、エフィー(ジェニファー・ハドソン)、ローレル(アニカ・ノニ・ローズ)の3人は「ドリーメッツ」を結成。やり手マネージャーのカーティス(ジェイミー・フォックス)の目に止まり、ビッグスターのアーリー(エディ・マーフィ)のバックコーラスに抜擢される。ところが、落ち目のアーリーに代わり、「ドリーメッツ」を売り出そうとするカーティスの思惑や、歌唱力のあるエフィーよりルックスのいいディーナをメインボーカルに起用したことでメンバーに亀裂が走り・・・
歌手を夢見る少女たちがトップスターになり、それぞれの人生を歩んでいく様子を描いた“ミュージカル大河ドラマ”といった作品だ。売れるまでの苦労もきちんと描かれているし、売れた後の不協和音や家庭不和、空しさもちゃんと押さえてある。「歌手デビューできるだけで幸せ」だった少女たちが、次から次へとステップを上るうちに見たくないものまで見えてしまう。どんな世界にもありがちな話だが、舞台がショービジネスというこれ以上ないゴージャスな世界だけに、光と影の落差が激しい。
合間に挟まれる歌やショーのシーンはさすがで、見ごたえ聴きごたえたっぷり。ジェニファー・ハドソンの歌唱力には圧倒されるし、ビヨンセの美しさにも改めて脱帽。ジェニファー・ハドソンはこの作品でアカデミー賞助演女優賞をはじめ数々の賞を総ナメにしたが、納得の歌と演技だった。“実力はピカイチだが、わがまま”な女性を、「いるいる、こんな子」と実感を伴う演技で見せてくれる。彼女のボーカルを聴き慣れた後でビヨンセの歌を聴くと、正直もの足りない。現実のトップスターであるビヨンセが、よくこの役を引き受けたものだ。ちなみに、ビヨンセの役どころはダイアナ・ロスがモデルだそうだ。
男性陣では、エディ・マーフィの歌のうまさにも驚いたが、ジェイミー・フォックスの演技がいい。やはり今、ノリに乗ってる俳優さんという印象である。
同じトニー賞から映画化されたミュージカル『シカゴ』よりも、私はこちらの方が楽しめた。
(2007・10・20 宇都宮)

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「トランスフォーマー」
監督 マイケル・ベイ
出演 シャイア・ラブーフ
    ミーガン・フォックス
    ジョン・ヴォイト
(2007年/アメリカ)

製作総指揮がスティーブン・スピルバーグ、監督がマイケル・ベイという豪華組み合わせが実現したSF超大作。
今までいろんなエイリアンが地球侵略を試みたが、今度は“あらゆるハイテク機器に変身できる金属生命体”が相手だ。あっという間に携帯電話に、中古車センターのクルマに、果てはジェット戦闘機にまで変身してしまう。
ストーリーはこの手の映画によくあるパターン。中東のアメリカ軍基地で、海兵隊の精鋭は次々に姿を変える未知の生命体との闘いを経験する。同じ頃、アメリカの小さな町で、どこにでもいる高校生が父親から中古のカマロを買い与えられた。このカマロが地球の存亡を賭けた闘いで重要な鍵を握ることになり・・・
よくあるストーリーが予想どおりに展開する。前半はそれなりに見ごたえがあるものの、後半に入るとマンガっぽくなってしまう。いつも思うのだが、エイリアンがなんで英語をしゃべるのか?(今回はインターネットで学んだらしい) エイリアンがなんで性格や仕草までアメリカ人なのか? 謎解きもそれなりにあるのだが、あまりにもマンガちっくで正直後半は白けてしまった。これなら「インディペンデンス・デイ」の方が見ごたえがあった。
楽しめるのは世界最大のVFX工房ILMが手がけた最新の映像。あっという間にロボット(?)がハイテク機器に変身していく様子は、これまで見たことのない世界だ。でも、映像というものは呆れるほど早く見慣れてしまう。常に新しいものを求められる映像クリエイターという仕事の過酷さが想像できる。
私は知らなかったのだが、トランスフォーマーのネタ元は日本製のオモチャらしい。スピルバーグの子どもたちがまだ幼いころ、日本製のロボットのオモチャで一緒に遊ぶうちに、スピルバーグの方が夢中になってしまったのだとか。そのためか日本製品や日本文化へのリスペクトが感じられて、日本人としては素直にうれしく思った。
(2007・10・14 宇都宮)

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「パンズ・ラビリンス」
監督 ギレルモ・デル・トロ
出演 イバナ・バケロ
    セルジ・ロペス
    マリベル・ベルドゥ
(2006年/メキシコ・スペイン・アメリカ)

各メディアで「これまで見たことのないファンタジー」と絶賛されていたせいか、平日の昼間にもかかわらず、映画館はほぼ満員。うわさに違わず、観終えた後のこの感触(感覚というより、感触という言葉が近い)。ハリウッド製のファンタジーとはまるで違う。確かにこれまでに見たことのない作品だ。
1944年、内戦のスペイン。大尉(セルジ・ロペス)と母が再婚し、オフェリア(イバナ・バケロ)は母とともに大尉の駐屯地に住まわされる。山間部の駐屯地は独裁国家の前線基地で、ゲリラの攻撃や虐殺が日常茶飯事。そんなある日、オフェリアは森の中に古い迷宮を発見する。そこは牧神パンが支配する、この世とは異なる世界だった。オフェリアはパンから「あなたは長く行方不明になっていた王国の姫君」と告げられ、自分の王国へ帰るための3つの試練に耐えることになる・・・
ここに描かれるファンタジー世界はハリウッド作品と違って、1度も陽光が射さない地下の王国というイメージ。パンをはじめ登場する生き物も不気味だし、気持ちがなごむことがない。幻想の国の様子やクリーチャーは確かに見たこともない世界で、“ダーク・ファンタジーの傑作”という意見ももっともだと思う。
しかし、それ以上にこの作品、現実世界の描写が秀逸だ。その証拠に、ファンタジー世界の映像時間は現実よりもかなり短い。現実世界は専制君主の大尉が支配し、大尉の子を妊娠した母は無力で、オフェリアの感受性が理解できない。そんな現実に絶望し、決して夢のようでも美しくもない幻想の世界に逃避する少女が切なくて、ラストは涙が止まらなかった。心やさしい天使にも恐ろしい怪物にもなることができる生き物、それが人間なのだ。
オフェリアを演じた12歳のイバナ・バケロが名演! 大尉役のセルジ・ロペスもうまかった。大人にはぜひ見ていただきたいが、子どもたちには残念ながらオススメできない。というのも、私も思わず目をそむけてしまうほど、残酷なシーンが多かったから。R-12指定されているのも当然だろう。逆に中学生ぐらいでこの作品を見たら、一生記憶に残るのではないだろうか。
(2007・10・14 宇都宮)

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「ナイトミュージアム」
監督 ショーン・レヴィ
出演 ベン・スティラー
    カーラ・グギーノ
    ディック・ヴァン・ダイク
(2006年/アメリカ)

博物館で動物の骨格標本や剥製を見ながら、「この標本が実は生きていて動き出したら・・・?」と想像したことはないだろうか。
私は、ある。子どもの頃の話ではない。今だって想像する。特に恐竜の骨格標本は圧巻だ。あの威容、あの迫力。「もし、この生物が今、動き出したら?」と、気がついたら考えている。
だからこの作品を知ったとき、「私だけの妄想じゃなかったんだ」と少しホッとした。しかも舞台はニューヨークの自然史博物館! 自然史博物館は私の大好きなスポットで(とはいっても、まだ2回行っただけなのだが)、時間さえ許せば終日滞在したい場所。恐竜骨格のコレクションがとにかくオススメだ。
自然史博物館に行った気分になれるだけでもうれしいのに、その上、展示物たちが動いてくれるというこの映画、どんなふうにストーリーが味つけされているのか観てみると・・・
予想どおり、典型的なドタバタコメディ。夜間警備員に雇われたダメ男が、閉館後に館内警備をしてみてビックリ。ティラノザウルスの骨格が、セオドア・ルーズベルト大統領のろう人形が、西部開拓時代のミニチュア人形が、みんなみんな動き出す。展示物たちに振り回されて死ぬ思いをした男は、一念発起して彼らのことを調べはじめる。するとそこには、歴史と知識の玉手箱のような世界が広がっていた。
ドタバタするにも理由が必要だから、博物館のヒミツを狙う犯罪や、ひとり息子に博物館のヒミツを見せてあげたいと思う親心が絡んで、ストーリーは進行する。ドタバタぶりも最後のオチも、バカバカしいが楽しめた。
セオドア・ルーズベルト役にロビン・ウィリアムズ、先輩警備員役にディック・ヴァン・ダイクやミッキー・ルーニーなど往年の名優をそろえたところもよかった。
それにしても、また自然史博物館に行きたくなった。あんなスゴイ場所が身近にあるニューヨーカーがうらやましい。
(2007・8・12 宇都宮)

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「硫黄島からの手紙」
監督 クリント・イーストウッド
出演 渡辺 謙
    二宮 和也
    伊原 剛志
(2006年/アメリカ)

クリント・イーストウッド監督の硫黄島2部作のひとつ。日本から見た硫黄島攻防戦を描いた。
太平洋戦争末期の1945年2月、硫黄島に栗林中将(渡辺謙)が赴任する。アメリカ留学経験もある栗林は米軍の底力を知っており、部下の将兵たちに従来の戦法を捨てて地下要塞を築き、ゲリラ戦を展開するよう指示。しかし、本土からの応援はなく、部下たちは次々と息絶えていき・・・
硫黄島の激戦でなにがあったかは知らないが、日本軍が玉砕したことは知っている。だから、ストーリーの大筋は見る前から見当がつく。
栗林中将の存在はこの映画で初めて知った。一軍の将として負けるとわかっている戦闘を繰り広げながらも、部下には「自決するな。生きろ」と言い続けた。将校も一兵卒も、みんな生きて家族のもとに帰りたい。しかし、「捕虜の屈辱を味わう前に自決せよ」と教えられてきた日本の兵士たちは、次々と自決していく。中には部下に自決を強要する軍曹もいる。
物語は妊娠中の妻のもとへなんとしてでも生きて帰りたい西郷(二宮和也)の目を通して描かれる。戦場では生と死は本当に紙一重。死にたくなくて降伏した兵士が、アメリカ兵の気まぐれであっさり殺されたりもする。生きて帰れるのは、運がよかったごく一握りの人間たち。しかし、「生きたい」という強い気持ちがなければ、運もついてこないのではないかと思わせられた。
本作と「父親たちの星条旗」を続けざまに観て感じたのだが、どちらも戦闘シーンは悲惨で、相手をやっつけるより、やられる場面が多い。戦争には勝者も敗者もないというメッセージだろうか。アメリカでどのような評価を受けたのかは知らないが、この作品がアメリカ映画として創られたことがとてもうれしい。
(2007・8・12 宇都宮)

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「父親たちの星条旗」
監督 クリント・イーストウッド
出演 ライアン・フィリップ
    ジェシー・ブラッドフォード
    アダム・ビーチ
(2006年/アメリカ)

クリント・イーストウッド監督の硫黄島2部作のひとつ。アメリカから見た硫黄島攻防戦と、戦後のエピソードが語られる。
硫黄島のすり鉢山にアメリカ兵たちが星条旗を立てる有名な写真。ピューリッツアー賞を獲得し、誰もが知っているあの写真には、華々しい勝利だけでなく戦争の悲惨な現実を語るエピソードがあった。
星条旗を立てたのは、5人の海兵隊員と1人の衛生兵。その写真はアメリカのマスコミが大々的に取り扱い、厭戦気分が広がっていたアメリカ国民に勇気を与え、戦争の勝利を確信させた。しかし、硫黄島ではその後も35日間戦闘が続き、旗を立てた6人のうち半分が戦死。生き残った3人はアメリカで「硫黄島の英雄」として戦争国債募集キャンペーンに駆り出され、戦争の記憶から逃れることができないまま人生を踏み外していく・・・
あの有名な星条旗はアメリカ軍の硫黄島制圧を示しているのかと思いきや、実は海兵隊上官の気まぐれだったことにまず驚いた。しかも、最初に立てた旗を随行していた議員がほしがり、旗を交換したところを撮影したショットがピューリッツアー賞に。中学生の頃、歴史の教科書で見て以来、劇的な戦争の勝利を想像していた私の長年の思い込みは見事に打ち砕かれた。
しかも、生き残った3人が国家と軍によって「硫黄島の英雄」に仕立て上げられ、国債募集キャンペーンに利用されていく様は、見ていて痛々しい。戦争が終われば「英雄」だって使い捨て。「英雄」の1人アイラ(アダム・ビーチ)はネイティブ・アメリカン出身のため、戦中も戦後も人種差別にさらされ、酒で身を持ち崩してしまう。
ところでこの作品、秀作には違いないが、ちょっとストーリー構成がややこしい。物語の語り手は、「英雄」の1人・衛生兵のドク(ライアン・フィリップ)の息子。父親が生前決して語ろうとしなかった硫黄島の真実を、息子が生存者を訪ねて調べ、書籍にしたものが映画の原作らしい。ところが、戦後数十年を経た息子の調査と硫黄島での戦闘シーン、国債募集キャンペーンの3つの時間軸の物語が同時進行するので、慣れないうちは「今、どの時間軸のシーンなのか」がわかりづらい。しかも、よく登場する兵士が7、8人おり、名前も顔も覚えられないうちにそれぞれの親や婚約者が登場したりして、余計ややこしくなる。ご覧になる前に、映画の公式ホームページで登場人物だけでも確認した方が理解が早いかもしれない。(私は見終えた後でホームページを見て、「あ、この人がそうだったの?!」的な理解度の低さを自覚したが)
構成はややこしいが、テーマは明確。「戦争に英雄などいない」。まさにその通り!負けた日本軍にはもちろん、勝ったアメリカ軍にもヒーローなどいなかった。あるのは虚構で塗り固められた国家の戦略と、それに振り回された人々の悲劇だけだ。
(2007・8・12 宇都宮)

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「マイアミ・バイス」
監督 マイケル・マン
出演 コリン・ファレル
    ジェイミー・フォックス
    コン・リー
(2006年/アメリカ)

80年代アメリカのテレビシリーズの映画化を、オリジナルのエグゼクティブ・プロデューサーだったマイケル・マン監督が手がけた。
マイアミ・バイスとはマイアミ警察特捜課のこと。そこでコンビを組むソニー(コリン・ファレル)とリカルド(ジェイミー・フォックス)は、南米の麻薬組織に潜入する特別危険な任務につく。捜査の目的は、合衆国司法機関・FBI・マイアミ警察合同捜査陣に潜む内部通報者をあぶりだすこと。やり手の運び屋に扮した2人は麻薬組織のアジトに乗り込み、次々に危険な仕事をこなしていくのだが・・・
小型ジェット機を自ら操縦したり、パワーボートを飛ばしてハバナで休日を過ごしたりと、とにかくド派手な動きっぷりだ。「マイアミ警察ってそんなに予算があるの?」という疑問と「ハリウッド映画って予算があるのね」という納得を交互に繰り返しつつ、ストーリーはテンポよく進む。
2人の刑事はとにかくカッコいい。プレイボーイのソニーとまじめなリカルドという好対照なコンビは、のちのちの刑事ドラマに大きな影響を与えていそう。なによりオドロキなのは、「こんな危険な仕事を自ら志願する人間がいるのか?」ということ。裏社会の人間は危険とひきかえに莫大な富をつかめるから理解もできるが、公務員である刑事やFBI捜査官にいったいどんなメリットがあるのか。正義感? スリルと冒険? いやいや、ちょっと私たち凡人の想像を超えている。
しかし、ストーリー的にはやや拍子抜け。特にラストは「もうひとオチいるだろう!」と、画面に向かって突っ込んでしまった。マイケル・マン監督って「コラテラル」でも、ひとオチ足りなかったような気がするのだが。
(2007・1・31 宇都宮)

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「愛の流刑地」
監督 鶴橋康夫
出演 豊川悦司
    寺島しのぶ
    長谷川京子
(2006年/日本)

渡辺淳一のベストセラー小説を、鶴橋康夫監督が映画化した。
ある男が情事の末に女の首を絞めて殺し、逮捕される。男は小説家の村尾(豊川悦司)。女は彼の不倫相手の人妻・冬香(寺島しのぶ)。村尾のファンだったという冬香は知人の紹介で彼と知り合い、逢瀬を重ねていた。村尾は冬香により枯れかけていた創作意欲を刺激され、冬香は夫とのあいだにはない濃密な愛を知る。しかし、やがて情事のたびに冬香が村尾に「殺してください」と懇願するようになり・・・
見終えた最初の感想は、「『失楽園』と同じじゃないか」。
ただし、心中シーンで終わった「失楽園」とは違い、なぜ愛する女を殺したのか、その理由が法廷で明らかにされていく。「失楽園」ではなぜ心中したのかさっぱりわからない観客が多かったろうが、本作では少しわかった気分になれる。本当に愛されるとはどういうことかを知り、愛のない夫との生活に絶望する人妻が、「愛しているなら殺してくれ」と繰り返す。愛するがゆえに願いをかなえてやりたいと思う男。しかし、願いがかなえられたとき、待っていたのは厳しい現実だ。
聞くところによると、渡辺淳一さんは若いころ、恋人に自殺された経験があるという。彼の作品には、その恋人が少しずつかたちを変えて繰り返し登場しているようだ。「阿寒に果つ」もそうだった。「失楽園」ももちろんそうだし、昔読んでタイトルすら忘れた短編にも同じような主人公が登場していた。
しかし、殺された人妻は願いがかなったからいいが、残された遺族はたまらない。本作でも夫役の仲村トオルや母親役の冨司純子が大事な役どころを担っているが、それ以上に幼い3人の子どもたちが不憫でたまらない。子どもにとって母親の代わりはいない。母としてより女としての人生を選んだといえばそれまでだが、そのあたりの視点が描かれていないのだ。むしろ、子どもとの関係を描くことを、あえて避けているように感じた。
濡れ場の多さが話題先行気味だが、演技陣はトヨエツも寺島しのぶもよかったし、みな熱演だった。検事役の長谷川京子ががんばってはいるものの、やや役不足。佐藤浩市の使い方がいかにももったいない。
(2007・2・11 宇都宮)

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「ブロークバック・マウンテン」
監督 アン・リー
出演 ヒース・レジャー
    ジェイク・ギレンホール
    ミシェル・ウィリアムズ
(2005年/アメリカ)

1963年アメリカ西部。夏じゅう羊を放牧し、野宿して過ごすカウボーイの仕事で出会ったジャック(ジェイク・ギレンホール)とイニス(ヒース・レジャー)。雇い主の横暴に耐えながら自然と闘い、毎日ともに過ごすうちに、2人の間に友情以上の愛が芽生える。しかし、同性愛には厳しい視線が注がれた時代。カウボーイ仕事が終わると2人は別れ、それぞれに結婚。子どもも誕生するのだが、やがて家族に隠れて会うようになり・・・
男2人の20年に及ぶ恋物語を美しい自然を背景に描き、最後はじーんと泣かせる。同性愛嗜好を隠し通さねば社会から抹殺されてしまう土地柄で、結婚し、普通に暮らしているように見えても、心はお互いのもの。やはり障害のある恋ほど燃え上がるものなんだなと再認識した。
特に、イニスの不器用な生き方が痛々しい。同性愛に対して人一倍禁忌と感じているにもかかわらず、ジャックへの想いが抑えきれない。仕事も牧場勤め以外考えられず、どんなに働いても貧乏なまま。おまけにジャックとのことで妻をうまくごまかせず、家庭も失ってしまう。
一方、ジャックは金持ち娘と結婚し、生活の不安はなくなるものの、その状態に満足できないのが人間の悲しい性。積極的にイニスを求め続けるが、不器用なイニスにはうまく応える術がない。
考えてみれば、2人が求め続けたのは、ともに静かに暮らすこと。特別金持ちになりたいわけでもなく、自然の中を馬で駆け回り、牧場暮らしができればそれでよかったわけだ。これって男女のカップルにも通じるもの。好きな仕事をして、好きな人と静かに暮らせれば、こんな幸せなことはない。大多数の人は異性がその対象になるが、ジャックとイニスはたまたま同性だったために困難な恋になった。
舞台となるブロークバック・マウンテンの大自然が美しい。しかし、そこで働くカウボーイの仕事は実に過酷だ。ベッドもお風呂もない原野で野宿生活なんて私はひと晩もムリだが、その暮らしをずっと夢見続ける人もいるのだと知った。
(2006・11・08 宇都宮)

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「ダ・ヴィンチ・コード」
監督 ロン・ハワード
出演 トム・ハンクス
    オドレイ・トトゥ
    イアン・マッケラン
(2006年/アメリカ)

今年の夏の「ダ・ヴィンチ・コード」旋風はすごかった。書店に行くと入口付近に「ダ・ヴィンチ・コード」の文庫本の山、山、山。出張先に行く新幹線に乗る前に、つい私も上巻を買ってしまった。それぐらい問答無用の勢いだった。
そんなわけで映画を見る前に原作を読んだのだが、正直、読んでおいてよかったと思った。映画だけでは読み取れない暗喩や、蔭のストーリーが多すぎるので。集中力が途切れると、映画だけでは途中でストーリーが追えなくなっていたかもしれない。
逆に、あのウンチクの塊みたいな小説を、よくここまで整理してみせたと思う。図像による象徴の説明は、むしろ小説より映画の方が映像で見せる分わかりやすく、記憶に残る。
ストーリーはご存じの方も多いのであえて書かないが、なにはともあれ「キリスト教世界の作品」だ。
イエス・キリストに子孫がいても、神でなくても、異文化圏の私には衝撃でもなんでもない。ブッダも結婚していたし、子どももいた。その後で悟りを開いたところで、なんの問題もないのでは・・・?
ヨーロッパの歴史上、見え隠れしながら登場する秘密結社については、ちょっと理解の範囲を超えている。「本当に存在するの?」というのが最初の感想なのだが、あれだけ文学や歴史に登場するんだから本当に存在するんだろう、きっと。
キリスト教世界の人々が幼いころから信じこまされているさまざまな“常識”や“歴史的事実”。さらにはキリスト教の教えもまた「誰かに作り上げられたものだ」と明言していることが興味深い。キリストが神かどうかなんて、なぜ後世の会議で決められるのか。権力者が社会を治めるための方便に、宗教もまた利用されているということ。この構図は21世紀の今も変わらない。
トム・ハンクスはいい熟年になってきたが、なにを演じさせてもその職業に見えるからスゴイ。イアン・マッケランも実に元気に、次から次へと大作に登場している。また、世界的ベストセラーの映画化だけあって、脇役も主役級が揃った。刑事役のジャン・レノや、色素欠乏症の暗殺者役のポール・ベタニーなど、見ているだけで楽しい。
(2006・11・08 宇都宮)

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「私の頭の中の消しゴム」
監督 イ・ジェハン
出演 チョン・ウソン
    ソン・イェジン
    ペク・チョンハク
(2004年/韓国)

“純愛”をテーマにして大ヒットした韓国映画を見た。
お嬢様育ちのスジン(ソン・イェジン)は、ふとしたきっかけで建築工事の現場監督を務めるチョルス(チョン・ウソン)と出会い、惹かれていく。暖かな家庭を知らずに育ったチョルスは愛に懐疑的だったが、スジンのひたむきさに、やがて心を開きはじめる。スジンの親の反対も乗り越えて結ばれた2人だったが、幸せもつかの間スジンに若年性アルツハイマー病が襲いかかり・・・
前半はスジンとチョルスの出会いから結婚までを綴った恋愛もの。後半は若いカップルを襲った病魔との闘い。といった具合に前後半でストーリーががらりと変わる作品なので、見る人が「なにを求めるか」で印象がまるで違うものになりそうだ。
私の場合、アルツハイマー病との闘いを期待していたので、前半の恋愛ストーリーがやや退屈だった。確かにチョン・ウソンはカッコいい。足は長いし、セクシーだし、顔もキレイ。韓流ブームについぞ乗れなかった私も、チョン・ウソンだけはチェックした。さらに、ソン・イェジンがもうとにかく可愛くて可愛くて、文句のつけようがないアイドル女優ぶりだ。
女の子が最初に好意を持ち、相手に近づく方法を一生懸命考えてアプローチ。それに対して、男が“女がしてほしいと思っていること”を全部やって応えてくれる。「タイタニック」のジャックとローズみたいなものだ。そりゃあ見ている女性はキモチいいし、ヒットもするだろう。
しかし後半、スジンが若年性アルツハイマー病の宣告を受けてから、話がシビアになる。夫の顔もわからなくなったスジンが昔の恋人を夫と間違え、チョルスが妻の愛を疑うシーン。家族の前でおしっこを漏らしてしまうスジンをチョルスが世話をするシーン。もう、甘く愛を語っている場合ではなく、毎日毎日が病気との格闘。今まで当たり前にできていたことができなくなると、人はうろたえ、悩み、周囲に当り散らすことだってある。そんなとき、若い夫がどこまで耐えられるのか? 私はこのあたりが見たかったのだが・・・
残念ながら、ここから先はなかった。
介護の修羅場を迎える前の段階で、ストーリーは終わりを告げる。妻の思い出は美しいまま。来る日も来る日も下の世話に追われたり、いくら献身的に介護しても感謝されない空しさを誰かにグチったり、「いっそのこと早く死んでくれないか」とひっそり願うこともない。
若く美しい2人のラブストーリーが美しいまま幕を閉じたという印象。このあとの修羅場こそ、本当の人間性が出てくるものだと思うのだが。
(2006・08・27 宇都宮)

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「エリザベスタウン」
監督 キャメロン・クロウ
出演 オーランド・ブルーム
    キルスティン・ダンスト
    スーザン・サランドン
(2005年/アメリカ)

「ロード・オブ・ザ・リング」「パイレーツ・オブ・カリビアン」など、歴史ものの出演が多かったオーランド・ブルームが傷ついた現代アメリカ人青年を演じた作品。
シューズ・デザイナーのドリュー(オーランド・ブルーム)がデザインした新作は大失敗。これが原因で会社は倒産寸前となり、ドリューは解雇される。人生に絶望し、自殺しようとしていた彼のもとに、父の急死の知らせが飛び込む。急遽、父の故郷であるエリザベスタウンに向かったドリューは、ありのままの自分を受け入れてくれる場所があることを知り・・・
ひとことで言えば「癒し」の物語。仕事に大失敗して傷ついた青年が、子ども時代以来訪れたことがなかった父の田舎=エリザベスタウンに行く。エリザベスタウンには親戚やら従兄弟やらが大勢おり、久々に訪れたドリューを温かく迎える。さらに、その途上で出会ったフライト・アテンダントのクレア(キルスティン・ダンスト)と互いに惹かれあい、多くの時間をともに過ごす。
キャメロン・クロウは「あの頃、ペニーレインと」で注目し、“いい脚本を書く監督”というイメージだったが、今回はちょっと期待はずれ。主人公が大失敗する→父の故郷に行く→癒される、というストーリーはありきたりだし、癒されてからなにか動きがあるのか?とかすかな期待を抱いて見ていたのだが、あっさり癒されて終わってしまった。
ストーリーのキモは、ドリューとクレアの恋がはじまるあたり。ちょっとした会話からスタートし、次から次へとエピソードをつなげていく。エリザベスタウンには短期間の滞在だから2人には密な時間が必要なのだが、クレアが仕事の合い間を縫って頻繁にドリューに会いに来るのはストーリー的に苦しい。
気のある相手に適度な距離を保ちながら近づき、ウィットに富んだ会話や小物を次から次へと繰り出すクレアって、ひょっとしてアメリカ人の理想の女性像? 日本人の私から見れば、ものすごく芝居がかって見えるのだが。ドリューの心の傷を癒すためにカウンセラー的な役割まで果たしてしまうのだが、これって一歩間違えたら、とんでもないカンチガイ女になってしまわないか?
全編が小さなエピソードの積み重ねのような物語なので、脚本を書いたクロウ監督の苦労は想像できる。アイデアをこれでもかこれでもかと搾り出したのに、できあがった全体像が面白くない。そんな印象だ。
(2006・08・22 宇都宮)

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「みなさん、さようなら」
監督 ドゥニ・アルカン
出演 レミ・ジラール
    ステファン・ルソー
    マリー=ジョゼ・クローズ
(2003年/カナダ・フランス)

2003年度アカデミー賞外国映画賞をはじめ、数々の映画賞を受賞した佳品。
ロンドンで証券ディーラーとして活躍するセバスチャン(ステファン・ルソー)のもとに、カナダに住む父が余命いくばくもないという知らせが届く。大学教授だった父レミ(レミ・ジラール)は女癖の悪さが原因で母とは別居状態。セバスチャンも父を許せない気持ちのまま成人したが、劣悪な公立病院に入院している父の姿を見て、最初で最後の親孝行をはじめる。
女好きで口が悪く、ひとすじ縄ではいかないガンコな病人。誰もがお手上げの相手なのだが、「親孝行する」と決意した息子の行動力がすごい。環境の整ったアメリカの病院に行こうとしない父親のために、公立病院に多額の寄付をし、ミニキッチンまで備えた個室をリフォーム。そこに北米やヨーロッパから父の古い友人たちを呼び寄せ、病室はさながら洒落たサロンとなった。恩師が入院しても見舞いに来ない学生たちには、ひそかにアルバイト代を渡して見舞いに来させる(しかし、これは父親も裏を読んでいたのでは?)。さらに痛みに苦しむ父のために違法なドラッグを調達するのは、お金だけでなく身の危険も伴う行為だ。
言葉は交わさなくても行為でわかる父子の愛情。「おまえのような息子をもて」という父の最期の言葉が泣ける。延命処置を受けず、痛みを抑えながら、人生でいちばん幸せだったという湖畔の家で家族や友人に見守られながら最期を迎える。たくさんの管にがんじがらめにされて、病院で迎える最期よりはるかに幸せに見える。
親を見送るとき、どうするか? そして、自分がこの世を去るとき、どうしたいか? 
この両面から考えさせられ、重いテーマなのに作品そのものの空気は重くない。脚本がよくできてるし、役者もうまいせいか。
それにしても、父を見送るために数ヵ月の休暇をとれる社会環境がうらやましい。日本では絶対不可能だ。死にゆく人には家族がつねについていてあげるべきだと思うが、見送った後の生活を考えるとそれすらできない現実が空しい。
(2006・08・21 宇都宮)

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「秘密のかけら」
監督 アトム・エゴヤン
出演 ケヴィン・ベーコン
    コリン・ファース
    アリソン・ローマン
(2005年/カナダ・イギリス・アメリカ)

1950年代のアメリカ。人気絶頂のエンタテイナーデュオ・ラニー(ケヴィン・ベーコン)とヴィンス(コリン・ファース)が宿泊していたホテルの部屋で金髪美女の死体が発見された。事件の真相は謎に包まれ、これが原因でコンビは解散。15年後、若きジャーナリスト・カレン(アリソン・ローマン)は殺人事件の真実を探り、ラニーやヴィンスをはじめ、その周辺に取材を敢行する。しかしやがて蜘蛛の巣のような秘密の帳に取り込まれていき・・・
15年前の殺人事件の容疑者は、子どもの頃自分があこがれていたスターたち。彼らに取材する若い女性ジャーナリストの目を通して、少しずつ事件の真相が見えてくる。マフィア絡みやドラッグ、乱れた女性関係、果てはヴィンスの同性愛志向まで顔を出し、ショウビズ界の裏側を見せつける。
それにしても真相を暴いていく役どころのカレンが、いかにも若くて頼りない。ジャーナリストを名乗り、出版社や著名人を相手にするだけあって、同世代の女性と比べればやり手だが、百戦錬磨のラニーやヴィンスにしてみれば狼のもとにウサギが飛び込んできたようなもの。いくらネタがほしいからといっても、いくら相手に惹かれたからといっても、取材相手とカンタンに寝てはいけないんじゃないか? それに取材に行くのに、なぜあんな胸の開いたドレスを着ていく必要があるのか??? 若い女性の魅力を振りまけば確かに取材相手の口が割れやすいかもしれないが、それに伴う有象無象が必ず執筆のジャマになる。しかもドラッグを飲まされて、夢だか現実だかわからない世界で遊ばれてしまうんだから、どうしようもない。
それでも、物語のラストでカレンは真実を発見する。行動力はあるが、ジャーナリストとしてはお粗末な彼女が真実を手に入れたのはなぜ? そして、それが公表できないものであるのもお約束。
セクシーで、フシギな雰囲気に満ちていて、映画としては面白い。ただ、推理サスペンスを期待しない方がいい。
コリン・ファースが今までとは違った役どころに挑戦しており、コアなファンには少々ショックかも。アリソン・ローマンは体当たりの熱演。「ホワイト・オランダー」のイメージが強かったので、大人の女の演技にちょっと驚いた。
(2006・08・21 宇都宮)

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「ある子供」
監督 ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
出演 ジェレミー・レニエ
    デボラ・フランソワ
    ジェレミー・スガール
(2005年/ベルギー・フランス)

2005年度カンヌ映画祭パルムドール受賞作。
20歳のブリュノ(ジェレミー・レニエ)は定職につかず、盗品を売りさばいてのその日暮らし。恋人ソニア(デボラ・フランソワ)との間に男の子が生まれるのだが、まるで盗んだカメラを売りさばくように赤ん坊を売ってしまう。その事実を知って卒倒するソニアの様子に、ブリュノは初めて事の重大さを悟り、赤ん坊を取り戻しに向かうのだが・・・
舞台はヨーロッパの地方都市。高校生のような若いカップルに、赤ちゃんが誕生する。母親の自覚にめざめる少女と比べて、父親である若者はあまりにも幼かった。赤ん坊が高く売れると知り、生活のためにあっさり手放してしまう。
驚いたのは、父親のブリュノにまったく悪気がないこと。ソニアから「あなたにそっくりでしょ?」といわれても、なんの感慨も持てない。赤ん坊が売られたことを知り、パニックを起こすソニアを「また子どもはできるから」と大真面目に説得しようとする。しかし、父親の自覚はなくても、ソニアへの愛は本物。彼女が悲しむ様子を見て、必死で赤ん坊を取り戻そうとする姿は愚かだが憎みきれない。ほかにも、こそ泥で生計を立てながらもワルになりきれないブリュノの人間像が丁寧に描かれている。
冒頭から思わず画面に見入ってしまうのは、若さが危ういストーリーだけではない。まるで現実の出来事のような映像に引き込まれた。見る者がブリュノとともにバスに乗り、取引場所の廃屋に向かっているかのようなリアルさ。冬の川辺の冷たい空気が見る者の肺に突き刺さるような臨場感。これはいったいどういう画面の作用なのだろう?
ダルデンヌ監督の母国であるベルギーの若者の失業率は20%に達しているという。ブリュノの生活基盤のなさ、競争に敗れた若者が放置されている現状は、そんな社会環境の上にある。経済力もないまま親になってしまう若者たち。これは対岸の火事ではない。
日本の若者も同じ感覚で同棲し、たまたま子どもができてしまい、持て余す人が少なくないのでは? 経済力のない夫婦に子どもは育てられないから、結局親を頼ったり施設に預けたり、ひどい場合は虐待を加えたり・・・若いカップルだけならなにをやっても食べていけるが、子どもは責任重大な現実。そこをわからないまま親になった者に共通の悲劇を見せてもらった。
(2006・08・12 宇都宮)

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「オリバー・ツイスト」
監督 ロマン・ポランスキー
出演 バーニー・クラーク
    ベン・キングズレー
    ハリー・イーデン
(2005年/イギリス・フランス・チェコ)

いわずと知れたチャールズ・ディケンズの名作を、ロマン・ポランスキー監督が映画化した。
これまでさんざん映画化・舞台化されている作品だが、恥ずかしながら原作を読んだことがない。最後までストーリーを追ったのは本作が初めて。よくある“世界名作物語”のようなストーリーだが、オリバーの純真さ・ひたむきさに心惹かれ、それなりに最後まで楽しめた。
この映画の成功は主役のオリバー役次第。11歳の男の子には荷が重い大役だが・・・オリバー役のバーニー・クラークはまあとにかく健気でかわいい。必殺技は“憂いを含んだ表情”だ。オリバーがいろんなところで大人に気に入られる理由のひとつが“顔のきれいさ”だから、いつの時代も男も女も美形はトクである。
脇は名優ベン・キングズレーがすごい演技を見せているし、舞台となる19世紀ロンドンのバックストリートも、『戦場のピアニスト』の戦災で破壊されたワルシャワ並みに再現されている。この街並みの色合いが、なんともいえずヨーロッパ的。
それにしても、なぜポランスキー監督は『戦場のピアニスト』の次に『オリバー・ツイスト』を選んだのか? 公式HPによると、『戦場のピアニスト』があまりにも個人的な作品だったので、まったく視点を変えて子どもたちも楽しめる作品を、と考えたらしい。頻繁に映像化されているような気がするが、忠実な映画化は1948年のデヴィッド・リーン監督以来ないそうだ。なるほど、だから私もこれまでに全編を通して見たことがなかったのかと納得した。
(2006・07・21 宇都宮)

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「ニュー・ワールド」
監督 テレンス・マリック
出演 コリン・ファレル
    クオリアンカ・キルヒャー
    クリスチャン・ベイル
(2005年/アメリカ)

「黄金の日々」「シン・レッド・ライン」のテレンス・マリック監督が久々にメガホンを取ったのは、イギリス人冒険家ジョン・スミスとネイティブ・アメリカンの娘ポカホンタスの有名なラブ・ストーリー。
1607年、黄金を探すイギリス海軍の艦隊が新大陸に上陸した。その一員であるジョン・スミス大尉(コリン・ファレル)は、ネイティブ・アメリカンの族長の娘ポカホンタス(クオリアンカ・キルヒャー)と恋に落ちる。しかし、イギリス人とネイティブ・アメリカンの関係は徐々に悪化し、ついには戦争状態に。双方の間に立ったポカホンタスは族長より追放され、イギリス軍の捕虜となる。ポカホンタスはスミスとの恋の成就を願うが、スミスはインド航路発見の旅へと出発し、やがて彼の死の知らせが届く。絶望の淵に沈んだポカホンタスを支えたのは、イギリス貴族ジョン・ロルフ(クリスチャン・ベイル)だった。彼のプロポーズを受け、やがて息子にも恵まれたポカホンタスは穏やかな日々を送っていたが、ある日スミスが生きていることを知る・・・
私自身、ポカホンタス伝説をよく知らないので、ストーリーそのものが新鮮だった。ストーリーは落ち着くべきところに落ち着くのだが、注目すべきは映像美と抒情詩のようなセリフとシーン展開。「黄金の日々」もそうだったが、新大陸の風景があくまでも美しく、数少ないセリフひとつひとつに深みがあり想像力をかきたてる。この時代のネイティブ・アメリカンの暮らしぶりは記録にほとんど残っていないだろうから、村での生活の様子やイギリス軍との戦闘シーンなどは、製作側もかなり苦労したのではないだろうか。自然の恵みに感謝し、穏やかに生きるネイティブの人々と、欲に目がくらみ権力闘争を繰り返すイギリス軍が対照的に描かれ、スミスの苦悩が重く伝わってくる。
異文化の初遭遇という歴史的にも稀有な瞬間に、偶然生まれてしまったポカホンタスの恋。時代や文化の違いを考えると、やはり成就は難しい。スミスがもっと家庭的な男だったら話は違っていたのかもしれないが。一方、クリスチャン・ベイル演じるジョン・ロルフは妻子を亡くした男で、ポカホンタスの喪失感を理解できた。一生を穏やかに愛されて過ごしたいなら迷うまでもない。
しかし、それでも迷うのが、やはり人間。ポカホンタスにイギリス流の生活を強いることができず、自分の死を計画的に伝えさせた男。自分をあきらめさせるためとはいえ、その残酷さは女性には耐えがたい。愛する男を亡くすぐらいなら、異文化の生活になじむ方がよほどラクなことをわかってない。
実は私もコリン・ファレルに惹かれてこの映画を見に行ったので、どうやってもスミスは魅力的に見える。生まれ育った種族と訣別してまで選ぶ相手は、やはりロルフではなくスミスなのだ。
異文化遭遇の歴史の中には、きっと無名のポカホンタスがたくさんいたことだろう。
(2006・05・27 宇都宮)

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「Mr.&Mrs.スミス」
監督 ダグ・リーマン
出演 ブラッド・ピット
   アンジェリーナ・ジョリー
   ヴィンス・ヴォーン
(2005年/アメリカ)

ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーが殺し屋の夫婦を演じたアクション・コメディ。
南米のホテルで出会ったジョン(B・ピット)とジェーン(A・ジョリー)。2人はあっという間に恋に落ち、結婚した。ところが、2人にはそれぞれ相手に決して明かすことのできない秘密があった。それは、彼らが別々の組織に属するプロの殺し屋であること。しかし、ある凶悪犯の殺害指令が2人に同時に下され、ヒットポイントで偶然相手に遭遇したことから、互いの職業を知ってしまう。ここから壮絶な夫婦の殺し合いがはじまるのだが・・・
あり得ない設定ながら、面白おかしくストーリーが進行し、アクションシーンも満載。B・ピットとA・ジョリーがとにかく美男美女でセクシーでカッコいい。凄腕の殺し屋が6年間の夫婦生活で相手の職業に気づかないはずはないだろうと思うのだが、主人公2人があり得ないぐらいカッコいいから、もうあり得ない設定も超越して楽しんでしまう。ちなみに、秘密の武器庫は夫が地下室で、妻はキッチンの電子レンジ。こんな超越した夫婦にも、性別によって役割分担されているのが笑える。
この映画がきっかけで親しくなった2人は、現在アフリカで出産に備えている。まさか本当にくっついてしまうとは・・・いったいどんな美形の子どもが誕生するのか。こんな想定外のエピソードまでついたオイシイ作品だ。
(2006・05・21 宇都宮)

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「チャーリーとチョコレート工場」
監督 ティム・バートン
出演 ジョニー・デップ
   フレディ・ハイモア
   デヴィッド・ケリー
(2005年/アメリカ・イギリス)

チャーリー(フレディ・ハイモア)は両親と4人の祖父母と暮らしているが、生活はとても厳しく、大好きなチョコレートも誕生日にしか口にできない。ところが、チャーリーの家の近くには、世界一のチョコレート工場があった。謎に包まれたチョコレート工場だが、創業者のウィリー・ウォンカ(ジョニー・デップ)がある日、抽選で5人の子どもたちを工場に招待すると発表。その5人の中に奇跡的に選ばれたチャーリーだが、工場で見たものは・・・
監督がティム・バートンだから、荒唐無稽でファンタジックな作品なのだろうと思っていたら、まさに予想どおりの内容だった。おとぎ話の感覚で話がテンポよく進み、最後まで退屈しない。
ウィリー・ウォンカ役のジョニー・デップが個性的な人物を相変わらず上手に演じている。おかっぱ頭にシルクハットをかぶり、白塗り気味の顔、芝居じみた動き。原作のウィリー・ウォンカはもっと年配のイメージだが、J・デップが演じると可愛らしさが先に立つ。
また、チャーリー役のフレディ・ハイモアをはじめ、子役5人が好演。それぞれ個性を発揮し、憎たらしい子は本当に憎たらしく見えてしまうので、ウィリー・ウォンカならずとも懲らしめたくなる。
原作ではやや差別的なイメージのあるウンパ・ルンパについても、架空の種族に設定し、難を逃れた。このウンパ・ルンパの動きやダンスがビジュアル的に楽しい。
お子様向きの映画かと誤解される方もいるかもしれないが、大人でも充分楽しめる。気軽に色彩豊かな夢の世界を味わってみてはいかがだろうか。
(2006・05・20 宇都宮)

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「ネバーランド」
監督 マーク・フォスター
主演 ジョニー・デップ
    ケイト・ウィンスレット
ダスティン・ホフマン
(2004年/アメリカ・イギリス)

世界中の人々に愛される「ピーターパン」。その原作者ジェームズ・バリが「ピーターパン」を執筆したのは、ある一家との交流がきっかけだった。
人気劇作家として確固たる地位を築いていたバリ(ジョニー・デップ)だが、新作の評判は散々。スランプに悩む彼は、ある日公園を散歩中に4人兄弟とその母親(ケイト・ウィンスレット)と出会う。豊かな想像力を発揮して仲良く遊ぶ兄弟の中にあって、ひとり父親の死をひきずり、空想の世界を否定する三男ピーターが、バリの心を捉え・・・
「ピーターパン」が生まれた背景に、こうした実話があるとは知らなかった。空想の世界を否定する少年が、決して大人にならない永遠の少年ピーターパンのモデルになるとは面白い。ラスト近くに初演の舞台が再現されており、これも感動モノだ。
それにしても、ジョニー・デップはどんな役でもこなしてしまう。あるときはカリブの海賊。あるときはヤク中の刑事。そして今回はインテリ劇作家役で、静かに抑え目の演技を披露してくれた。ラダ・ミッチェル演じる妻との確執や、ケイト・ウィンスレット演じる未亡人への想いも、静かだが確実に観る者に伝わってくる。
「ピーターパン」を愛する人には、ぜひ押さえておいていただきたい作品だ。
(2006・03・13 宇都宮)

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「ステルス」
監督 ロブ・コーエン
主演 ジョシュ・コーエン
    ジェシカ・ビール
ジェイミー・フォックス
(2005年/アメリカ)

舞台は近未来のアメリカ。3機のステルス戦闘機に3人の鍛え上げられたトップガンが乗り込み、テロ対策チームの極秘任務を遂行することになった。ところが、抜群のチームワークを誇る彼らの前に、4人目の仲間が登場する。彼の名はEDI(エディ)。人工知能を搭載した新型ステルスだった・・・
コンピュータが操縦する戦闘機の登場に、訓練を重ねてきた人間たちが反感を持つのはお約束どおり。しかもこのEDI、経験を積んで自分で判断する能力まで搭載していたものだから、やがて人間の言うことを聞かなくなる。まるで「2001年宇宙の旅」のハル。ビジュアル表現までちょっと似ていて、40年近く昔のあの作品がいかに偉大だったか再認識した。
トップガンに女性が1人加わっているのもお約束なら、トップガン同士に恋愛感情が生まれるのもお約束。今どきの敵国は北朝鮮と国際的テロ組織しかないから、この2つ相手に闘うのもお約束。と、お約束どおりの作品である。
途中からややマンガじみた展開になるので、「トップガン」的な雰囲気を求める方にはお勧めできない。ただし、戦闘機マニアにはたまらない映像の連続だろう。
(2006・03・13 宇都宮)

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「ヴェロニカ・ゲリン」
監督 ジョエル・シュマッカー
主演 ケイト・ブランシェット
    ジェラルド・マクソーレイ
シアラン・ハインズ
(2003年/アメリカ)

1996年、アイルランドの女性記者が麻薬問題を告発し、麻薬組織に銃殺され殉職した。彼女の名はヴェロニカ・ゲリン。その実話の映画化だ。
ヴェロニカ・ゲリンを演じるのは、ケイト・ブランシェット。もう彼女以外にはあり得ない配役で、製作のジェリー・ブラッカイマーもケイトありきの作品だったとインタビューに答えている。
辣腕記者として仕事に邁進する一方、幼い男の子の母でもあったヴェロニカ。「おまえの子どもをさらって犯す」と脅されたとき、そして一人で家にいるところを突然の侵入者に撃たれたとき、仕事を辞めようとは思わなかったのだろうか。仕事はもちろん彼女の生きがい。しかし、それにも増して治安が悪化する一方の故郷ダブリンや、麻薬に溺れ壊れていく若者たちがいる反面、大儲けしている裏社会のボスがいることを考えたとき、ひとりの人間として行動せずにはいられなかったのだろう。その勇気。意志の強さ。そして仕事人としての才能・優秀さ・タフネスぶりには感服してしまう。子どもを持つ女性が人並み以上に働くためには周囲の協力が欠かせないが、ヴェロニカを支える夫や母親など彼女を取り巻く人々の愛情が感動的だった。
役者陣では、主役のケイト・ブランシェットはもちろん、悪役を演じたアイルランド人俳優ジェラルド・マクソーレイ、シアラン・ハインズがいずれも印象に残った。ジョエル・シュマッカー監督と「フォーン・ブース」で組んだコリン・ファレルがチョイ役で出演しており、アレキサンダー役との落差に笑えた。
(2006・03・10 宇都宮)

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ナルニア国物語 第1章:ライオンと魔女
監督 アンドリュー・アダムソン
主演 ジョージー・ヘンリー
    ウィリアム・モーズリー
    ティルダ・スウィントン
(2005年/アメリカ)

「ディズニーがナルニアを映画化している」。その情報を最初に聞いたのは、「ロード・オブ・ザ・リング」第3部がロードショーされていた頃だったか。C.S.ルイス原作のナルニアシリーズはイギリスが誇るファンタジーの傑作で、私の中ではトールキンの「ロード・オブ・ザ・リング」と双璧の存在。「ロード・オブ・ザ・リング」が映画化できたのだから、ナルニアシリーズも映画化できないわけがない。そう思っていたら、春の訪れとともにナルニアがやって来た。
そんな状況だから、作品を観ての感想はどうしても「ロード・・・」と重なってしまう。子どもの頃に夢中で読んだ本の世界が、目の前にビジュアルとなって広がる。その感動というのは、ナルニアの愛読者なら誰もが味わうものだろう。衣裳ダンスを見ただけで泣けてくるし、街灯を見たときは子どもに返った気分。戦闘シーンは原作ではもっとあっさりと描かれているが、映画ではクライマックスになってしまう(「ロード・・・」もそうだったが)。現代のこどもがいきなり剣で闘うなんて所詮ムリがあるのだが、ナルニアの場合、作品そのものの持つ夢の力(魔力と言い換えてもいいが)がそれを許してしまう。
役者についえは、白い魔女役のティルダ・スウィントンが素晴らしい。フォーンのタムナスさん役のジェームズ・マカヴォイもまさにイメージ通り! この2人を否定するナルニアファンはいないのではないか。
映画の出来を左右するのは、4人の子役のキャスティングだろう。2年間かけてイギリス全土から探し出した4人は、いずれも素朴で、どこにでもいそうな子どもたちだ。末っ子のルーシィ役のジョージー・ヘンリーが本当に表情が豊かで、ナルニアにいる喜びを全身で表現している。原作のルーシィとはイメージが違うと感じる方もおられるだろうが、私は彼女の表情を見て「このルーシィもありだな」と思った。最後まで決まらなかったのがエドマンド役だったらしいが、それも納得できる。エドマンドが持つ影の部分と、それを乗り越えての成長を予感させるキャスティングというのは難しい。
当初、現代アメリカを舞台にハリウッドの有名子役を使う案もあったそうだが、「ロード・・・」「ハリー・ポッター」シリーズの大成功がこれに歯止めをかけてくれた。イギリスで生まれた作品をイギリスを舞台にイギリスの子どもたちが演じる。この当たり前の構図も危うい状況だったと知ったときは、背筋が寒くなった。現代アメリカからナルニア? もうそれだけで興醒めだ。優れた文学作品が生まれるには、必ずその土壌となる文化があるはず。背景となる文化を無視して、いい映画ができるわけもない。
今のところ、第3部までの映画化が決定している本シリーズ。「ハリー・ポッター」シリーズを見ても明らかなように、子役は映画よりも早く成長する。スピーディに撮影し、じっくり編集して、第2部を届けてほしい。第2部はどんなカスピアン王子が登場するのか楽しみだ。
(2006・03・10 宇都宮)

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アレキサンダー
監督 オリヴァー・ストーン
主演 コリン・ファレル
    アンジェリーナ・ジョリー
    ヴァル・キルマー
(2004年/アメリカ)

オリヴァー・ストーン監督が製作費200億円をかけ、アレキサンダー大王の生涯を描いた大作。
誰もが知っているアレキサンダー大王の伝記映画なのだが、オリヴァー・ストーンだけあってフツーには作らない。父フィリッポス2世の暗殺により20歳で王位についたアレキサンダーが、そのわずか5年後にガウガメラの戦いでペルシャ帝国を滅ぼすまでの経緯をあっさりとナレーションですませ、その後の東征の様子が詳しく語られる。フツーに描けば、ペルシャ帝国滅亡までがアレキサンダーの生涯で最も輝かしい時期。その後の東征は部下たちの離反を招き、彼の突然の死に至るまで孤独と葛藤が続くため、ストーリー的には盛り上らない。しかし、人間としての彼の苦悩を描くために、敢えて晩年(といっても30前後の若さだが)にスポットを当てたのは面白い。
10年以上に渡る遠征に部下の将兵は疲れ果てているというのに、なぜ彼はどこまでも軍を進めようとしたのか? 個人的な征服欲や名誉欲のために各地で征服と虐殺を繰り返したと、歴史上の評価は低い。しかし、本作では飽くなき好奇心・探究心のようなものが主役のコリン・ファレルから感じ取れた。さらに、強烈な個性の持ち主である母オリンピアスから逃れようとする逃避願望も。
また、ストーリーの随所にアレキサンダーの同性愛志向が顔を出す。小学生の頃に彼の伝記を読んだ私は、「えっ、そうだったの?」と旧知の人間に意外な一面を見せられた気分だった。
そんなこんなで200億円かけた割にはアメリカでの評判が悪く、日本でもあまりヒットはしなかったが・・・・・・個人的には結構ハマッた。まず、コリン・ファレルとアンジェリーナ・ジョリーが熱演だ。この2人が親子役というのはかなりムリがあるのだが、A・ジョリーは“妖女”ぶりをいかんなく発揮していたし、C・ファレルが役の年齢とともに演技をどんどん変え、ストーリーが進むにつれ当初の違和感が薄れていく。アレキサンダー役にC・ファレルと最初に聞いたとき、「イメージじゃない。金髪のコリンなんて見たくない」と思ったが、ラストにはアレキサンダーそのものに見えていた。
そしてセリフ。歴史ものだから最初はとっつきにくいが、その詩的な表現に惹かれる。
各種レビューでも評判が悪い構成は、確かに1シーンが長過ぎる。父王暗殺の真相をラスト近くに持ってきたことは、アレキサンダーの謎を解く上で私は面白いと思ったが。
ちなみに、次はバズ・ラーマン監督+レオナルド・ディカプリオ主演のアレキサンダーが封切りされるらしい。比べるなと言われても絶対比べられるこの対決。ディカプリオのアレキサンダーが今から楽しみだ。
(2006・03・09 宇都宮)

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コンスタンティン
監督 フランシス・ローレンス
主演 キアヌ・リーブス
    レイチェル・ワイズ
    シア・ラブーフ
(2005年/アメリカ)

キアヌ・リーブスがスゴ腕の悪魔祓いに扮し、地上で繰り広げられる天使と悪魔の戦いを描く。
コンスタンティン(キアヌ・リーブス)は2分間だけ自殺に成功し、あの世を見たことで特殊な能力を持つようになった男。エクソシストとして活動するが、ある日友人の神父に頼まれた悪魔祓いで、天国と地獄の均衡が破れかけていることを知る。そこへ双子の妹の死の真相を調べる女刑事アンジェラ(レイチェル・ワイズ)が助けを求めにやってきた。コンスタンティンはアンジェラこそ地上の平安を守る鍵となる人物と知り・・・
「マトリックス」シリーズで一世を風靡したキアヌ・リーブスが、次に選んだ作品はエクソシスト。「マトリックス」に勝るとも劣らぬ破天荒なストーリーで、映像も似通っている。
神と悪魔の代理戦争とでもいうのか、天使も悪魔も人間の姿を借りており、やることも人間っぽい。確か聖書では、人は神の姿に似せて創られたことになっていたので、人間くさいのも当然なのか。このあたり、神に超越した存在を求める東洋的発想のアタマには違和感があるかもしれない。
面白い作品だが、「マトリックス」ほどのパワーはない。キアヌ・リーブスはこの手のヒーロー役ばかりで、すっかり色がついてしまった。ヒーローはどうしても年齢制限があるので、これからはヒューマンドラマでも新境地を開いてもらいたい。
(2006・02・26 宇都宮)

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「21g
監督 アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
主演 ショーン・ペン
    ナオミ・ワッツ
    ベニチオ・デル・トロ
(2003年/アメリカ)

人が死ぬとき、21gだけ体重が減ると言われている。21gとは、魂の重さなのだろうか。
ショーン・ペン、ナオミ・ワッツ、ベニチオ・デル・トロと演技達者3人を主役に据えた、重い重いテーマの人間ドラマ。
建築家の夫、2人の娘と幸せに暮らしていた主婦クリスティーナ(ナオミ・ワッツ)は、突然のひき逃げ事故で夫と娘たちを失う。夫の心臓は余命1ヵ月の患者ポール(ショーン・ペン)に移植された。やがてポールは自分を救ってくれた心臓の持ち主を突き止め、ひとり残された美しい妻に心惹かれていく。一方、交通事故を起こしてその場から逃走したジャック(ベニチオ・デル・トロ)は人生の大半を刑務所で過ごし、今はボランティアの神父として奉仕活動をする男。養わねばならない妻と子どもたちを前に、ジャックは自首すべきかどうか苦悶し続け・・・
突然の事故で家族を奪われ、不幸のどん底に突き落とされた女性。数ヵ月後、彼女の前に見知らぬ男が現れ、やがて夫の代わりとなっていく。しかし、ひき逃げ犯が明らかになったとき、3人は破滅の淵へと一直線に進んでいく。
主役3人が実によく描けた脚本で、感服した。3人それぞれの家族や暮らしぶり、これまでの生活背景が細やかに描かれていて、単純に人の善悪を割り切れないもどかしさのようなものが常にひっかかる。でも、人間なんてそれが当たり前。勧善懲悪ドラマのように、善と悪がハッキリ分かれることなんて、実生活では滅多にない。また、脚本に応えてか、主役3人の演技が素晴らしかった。
主役3人のうち、女性の立場だと、どうしてもクリスティーナに感情移入してしまう。絶望的なラストシーンの中で、彼女に小さな希望が芽生えたことがうれしかった。ジャックの人物像も面白い。底が見えない無気味さを感じさせる。124分の1/3では、彼の裏側までとても描ききれないだろうが。
それにしても、時間軸をバラバラにした構成はいかがなものか。私はあらかじめストーリーを知っていたから勘違いすることなく見られたが、なにも情報がないまま観た人はなにがなんだかわからないだろう。ラストシーンを冒頭に持ってきて、あとはそのまま見せても充分ドラマチックだと思うのだが。
(2006・02・26 宇都宮)

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永遠のマリア・カラス
監督 フランコ・ゼフィレッリ
主演 ファニー・アルダン
    ジェレミー・アイアンズ
    ジョーン・ブロウライト
(2002年/イタリア・フランス・イギリス・ルーマニア・スペイン)

伝説の歌姫マリア・カラスと親しかったというフランコ・ゼフィレッリ監督が、カラスへの想いを映画にした。ストーリーは、事実に監督の想像を加えているという。
1977年、マリア・カラス(ファニー・アルダン)は自慢の声を失い、愛人であるオナシスとも死別し、パリで隠遁生活を送っていた。プロデューサーのラリー(ジェレミー・アイアンズ)はそんなカラスを復活させようと、オペラ「カルメン」映画化の主演を持ちかけるが・・・
「蝶々夫人」「椿姫」「トスカ」など名だたるオペラの名曲が、全編カラスの歌声で楽しめるので、オペラ好きにはそれだけで値打ちがありそう。また、劇中劇のかたちで演じられる「カルメン」のシーンで、ゼフィレッリ監督の手腕がここぞとばかりに発揮されている。現代劇では古臭く感じられる映像が、歴史劇になるとなぜあんなに生き生きと描かれるのだろうか。
カラス役のファニー・アルダンは、とにかく華がある。孤独でわがままな女王さま役だが、彼女が演じると「この人がそうしたいなら、しかたないか」と納得させられてしまう。ジェレミー・アイアンズは派手でリッチで多忙なプロデューサー役を好演。作品のたびに違う人物になりきる役者っぷりに、ため息が出た。
(2006・02・19 宇都宮)

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名もなきアフリカの地で
監督 カロリーヌ・リンク
主演 ユリアーネ・ケーラー
    メラーブ・ミニッゼ
    レア・クルカ
(2001年/ドイツ)

1938年、ナチスがユダヤ人迫害政策を露わにしはじめた時代。ホテル経営者の祖父、弁護士の父のもと、何不自由なく暮らしていた少女レギーナ(レア・クルカ)は、両親とともにアフリカ・ケニアの地に移住することになる。サバンナの貧しい小屋で、ケニア人使用人とともに暮らす生活に、母イエッテル(ユリアーネ・ケーラー)は拒否反応を示すが、レギーナは現地の子どもたちともすぐに馴染み、言葉を覚え、アフリカの子としてたくましく育っていく。
少女の成長物語だと思って鑑賞しはじめたのだが、真の主人公は母親のイエッテルなのだと、しばらくして気がついた。故郷の生活や残してきた父や妹を懐かしがり、ケニアの暮らしになじもうとしない女性。自ら蒙ってきた差別意識をケニア人に対して抱いていた女性。そんな女性が農園経営に生きがいを見い出し、やがてケニアの人々と心を通わせるようになっていく。
夫婦の関係もストーリーの隠れた縦軸だ。ドイツではインテリ弁護士だった夫も、ケニアではなんの役にも立たない。愛する妻から拒絶され、孤独と猜疑心に苛まれる姿は見ていて切ない。しかし、結果的にこの夫の選択が一家の命を救った。ドイツに残った祖父たちはみな強制収容所で命を落とし、その悲報は遠くアフリカまで届く。
重い内容なのに映像は明るく、淡々とした演出でストーリー展開も速い。なにより救われるのは、子どもたちが明るく元気なことと、ケニアの人々があくまでも優しく、心広く描かれていること。特にケニア人使用人とレギーナの心の交流が胸を打つ。
鑑賞後に知ったのだが、本作は第75回アカデミー賞最優秀外国語映画賞を受賞していたらしい。そんなことを抜きにしても、多くの人に観ていただきたい作品だ。
(2006・02・18 宇都宮)

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キングダム・オブ・ヘブン
監督 リドリー・スコット
主演 オーランド・ブルーム
    エヴァ・グリーン
    ジェレミー・アイアンズ
(2005年/アメリカ)

「ロード・オブ・ザ・リング」で注目され、「パイレーツ・オブ・カリビアン」「トロイ」で大スターたちと共演を果たしたオーランド・ブルームが、ついに初主演した歴史スペクタクル。
12世紀のフランス。鍛冶屋の青年バリアン(オーランド・ブルーム)は、十字軍の将の1人であるイベリン卿(リーアム・ニーソン)から実の息子であることを告げられる。父の跡を継いで十字軍に参加することになったバリアンが訪れたエルサレムは、キリスト教の国王とイスラムの英雄サラディンとの間に、危うい和平が保たれていた。イスラムとの共存を望む国王に反して、エルサレムの利権を狙う騎士たちが暗躍。決戦が避けられない状況になり、バリアンはイベリン卿としてキリスト教軍の先頭に立つことになる。
全編に渡り、「とにかくオーリーを見ろ!」と言われ続けているような作品だ。
オーリー演じる主人公が人徳に優れ、生まれついての将軍の器という設定らしく、あれよあれよという間に鍛冶屋の青年がエルサレム防衛軍の将となる。鍛冶屋の教育しか受けていないはずなのに、なぜか剣術や軍略を身につけているのも不思議。
さらに、波乱万丈の物語のはずなのにストーリー自体に起伏があまりない。寡黙な無言実行型の主人公にひきずられてか、演出を抑え過ぎた感がある。リドリー・スコット作品と鑑賞後に知って驚いたぐらいだ。
まあしかし、美形を鑑賞するなら、こういうのもアリか? エルサレムの風景や戦闘シーンはさすがの出来なので、十字軍時代にタイムスリップ気分を味わう手もある(この時代を舞台にした映画ってあまり見かけない気がする。そもそも、十字軍は西洋世界でも恥ずべき歴史的事跡だから、映画にしづらいのかも)。昨今の中東情勢を見るにつけ、西側世界とイスラム世界の対立は、十字軍の時代からなにも進歩していないのではないかと思わせる。
役者陣では、オーリーの相手役を演じたエヴァ・グリーンがエキゾチックな美貌で今後も活躍しそう。ジェレミー・アイアンズも相変わらずウマイ。サラディン役のシリア人俳優ハッサン・マスードが渋い演技で一見の価値あり、だ。
(2006・02・19 宇都宮)

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イン・ハー・シューズ
監督 カーティス・ハンソン
主演 キャメロン・ディアス
   トニ・コレット
   シャーリー・マクレーン
2005年/アメリカ)

姉のローズ(トニ・コレット)は堅物の弁護士で、恋がうまくいかない。妹のマギー(キャメロン・ディアス)は美貌と抜群のプロポーションの持ち主だが、無職で無収入。2人は幼い頃に母を亡くし、父は再婚。仲のよい姉妹なのだが、マギーがローズの家に居候をはじめた頃から不協和音が聞こえはじめ・・・
美貌の妹は難読症のため、まともな職に就けない。姉のもとにころがりこみ、姉の靴だけでなく彼氏まで寝取ってしまうのだから、姉が怒るのも当たり前。一方、弁護士として認められていた姉も仕事仕事の毎日に空しさを感じてしまい、ついに法律事務所を辞めてしまう。
つまるところ、自分探し・生きがい探しに悩む女性の姿を、上手に描いた作品だ。妹の突飛な行動にやや驚くが、難読症という病気が明らかになると頭脳明晰な姉と比べられ続けた妹を哀れに思わされる。2時間11分を退屈させず、メリハリある構成に仕上げたのは、やはり監督と脚本の腕だろうか。ちなみに監督は「L.A.コンフィデンシャル」「8Mile」、脚本は「エリン・ブロコビッチ」を書いた人らしい。
ストーリーの転機となるのは、シャーリー・マクレーン扮する祖母のもとをマギーが訪れたときから。しかし、シャーリー・マクレーンのような経済力のあるサバけた祖母が、果たして現実にどれほど存在するのだろうか。このあたりは「やっぱり映画だねぇ」と、つぶやいてしまう。
2006・01・09 宇都宮)

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ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月
監督 ビーバン・キドロン
主演 レニー・ゼルウィガー
   ヒュー・グラント
   コリン・ファース
2004年/アメリカ)

あのヒット作「ブリジット・ジョーンズの日記」がキャストもストーリーもそのままに復活した。
物語は前作から6週間と4日後からはじまる。ブリジット・ジョーンズ(レニー・ゼルウィガー)は恋人の弁護士マーク(コリン・ファース)とラブラブの毎日。ところが、ひょんなことからマークの浮気を疑い、2人はケンカ別れ。そこにTVレポーターに転職した昔の恋人ダニエル(ヒュー・グラント)が現れ、タイ長期ロケに同行することになり・・・
「恋は邪魔者」でナイス・バディーを披露していたレニー・ゼルウィガーがここでも女優根性を発揮し、10kg以上は太って(あくまでも推定だが)しっかり役づくりしている。ブリジットは相変わらずキュートでオッチョコチョイで好感度大。コリン・ファースもヒュー・グラントも期待を裏切らない役どころで、いわばお約束どおり。
そのためか、なにも起きない平穏な日常にあえて波風を立たせてみたような、わざとらしさがストーリー全体に付きまとう。ダニエルがTVリポーターに転職すること自体があり得ない設定に思えるのだが・・・
セリフに含まれるウィットも前作を超えることはなく、全体に平凡な出来だった。前作は20代30代の女性にすすめると好評だったので、ちょっと残念だ。
(2006・01・08 宇都宮)                                                       

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「モンスター」
監督 パティ・ジェンキンス
主演 シャーリーズ・セロン
    クリスティーナ・リッチ
    ブルース・ダーン
(2003年/アメリカ・ドイツ)

シャーリーズ・セロンが醜い中年の娼婦を演じきり、アカデミー主演女優賞を受賞した話題作。
現在ハリウッドNo.1の正統派美人女優と私が思っているシャーリーズ・セロンが演じたのは、実在の連続殺人犯アイリーン。彼女になりきるため13キロも体重を増やし、本来の美人とはほど遠い容姿に変身しての演技は女優魂のカタマリだ。からだのラインは崩れ、顔も腫れぼったく肌も荒れ放題(もちろん特殊メイクが施されているが)の彼女を見ていると、「美しくなるのは大変だけど、醜くなるのは簡単かも」と思わないでもない。
身寄りもなく金もない娼婦アイリーンは、わずか数十ドルでからだを売って日銭を稼ぐ毎日だ。そんな夢も希望もない日々の中、バーで同性愛者の少女セルビー(クリスティーナ・リッチ)と出会い、人生が変わる。純粋に愛を求める彼女と、1日でも長くともに過ごそうと最後の客を取ったのだが、これがとんでもない暴力客でアイリーンは身を守るために銃で撃ち殺してしまう。その後もセルビーを養うためにアイリーンは客を取り続け、最初の犯罪を隠すために2度目の犯罪に手を染め、次から次へと罪を重ねていく。
アイリーンという人間像をどこまで描けるかが作品の出来の分かれ目だ。
家庭に恵まれず、愛情に飢え、愚かだが情が深いアイリーン。しかし、その愚かさが暴走をはじめると、見ていて居たたまれなくなる。
連続殺人を犯したことに言い訳はきかない。最初の犯罪は正当防衛でも、2度目以降は良心的な市民も殺している。一方、セルビーと暮らすために娼婦をやめて、まともな職業につきたいと、慣れない就職活動をする姿が痛々しい。学歴もコネもなく、娼婦の経験しかない中年女ができる仕事なんて、所詮限られている。その現実がわからず、とにかく行動する女性像が、(同世代としては)妙に心に迫るのだ。
セルビーの人間像も面白い。恵まれた家庭に育つが、同性愛者であることが普通の家庭に収まらせてくれない。しかも、感情的にも経済的にも依存心が強い。アイリーンに「おなかがすいた」と訴えるだけの彼女を見て、「おまえも働け!」と言いたくなった人は多いのではないだろうか。
求めるだけの者と、与え方を知らない者。最初から破綻は見えていた。
映画としては見終えた後の爽快感がないので、アイリーンに少しでも同調できる人しか厳しいかもしれない。
(2005・10・10 宇都宮)

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「キングアーサー」
監督 アントワン・フークワ
主演 クライヴ・オーウェン
    キーラ・ナイトレイ
    ヨアン・グリフィス
(2004年/アメリカ)

あのジェリー・ブラッカイマー製作の歴史スペクタクル。さぞや絢爛豪華な戦闘シーンが続くのだろうと予想していたら、意外なストーリーにも驚かされた。
モチーフはもちろんアーサー王伝説。しかし、この作品では伝説の解釈を従来とは大きく変え、アーサーはローマ帝国からブリテンに遣わされた司令官。ローマからやって来た司教の命令に従わねばならない中間だ。ほかにも、魔法使いマーリンはアーサーの補佐役ではなくブリテン島原住民の長。グウィネヴィアはその娘で男勝りの戦士と、バンバン設定を変えている。
もちろん、伝説通りのアーサー王を今更見せられても面白くないので、新解釈は大歓迎。卑弥呼と同じでおそらく実在したのだろうが、詳しい史実はほとんど残っていないアーサー王だからこそ、大胆に設定変更もできる。この作品のアーサーや円卓の騎士たちはいかにも人間らしいし、戦いばかりの人生で女性に奥手のアーサーやランスロットを見るのも悪くない。
役者は全員イギリス出身者にこだわったそうで、アーサー王のクライヴ・オーウェン、ランスロットのヨアン・グリフィスはともに適役。キーラ・ナイトレイは18歳とは思えぬ妖艶さと美しさで、今後ますます活躍しそうだ。私は英語と米語の違いがよくわからないのだが、イギリス人俳優とアメリカ人俳優の違いはなんとなく嗅ぎ分けられる。持っている空気の違いなので、うまく表現できないが。日本人の私にわかるんだから、イギリス出身者に絞るのは大正解。アーサー王時代の物語にヤンキーがいたら、それはおかしいに違いない。
(2005・09・19 宇都宮)

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「宇宙戦争」
監督 スティーヴン・スピルバーグ
主演 トム・クルーズ
    ダコタ・ファニング
    ティム・ロビンス
(2004年/アメリカ)

「ジョーズ」で人を怖がらせることにかけては天才的な手腕を見せたスピルバーグ監督が、巨大ザメを宇宙からの突然の侵略者に替えて、久々に怖がらせてくれた。
港湾労働者のレイ(トム・クルーズ)が別れた妻から2人の子どもを預かった日、アメリカ東部は異常な天候に見舞われる。突然青空に暗い雲が巻き起こり、同じ場所に何度も雷が落ちる。やがて落雷場所の地中から、それまで見たこともないタコ足型の戦闘機械が現れ、人類に無差別攻撃を加える。これはアメリカだけでなく、世界16カ国で同時に開始されたエイリアンの侵略行為だった。
これまでのインベーダーものと決定的に違うのは、主人公が学者でも空軍パイロットでもFBIでもない、一介の労働者だということ。すべての電力が落ち、テレビもラジオもない世界で、一介の庶民はなんの情報ももたないまま、エイリアンの攻撃から逃げ惑うだけだ。反撃体制が整うまでは政府も軍隊もアテにならないから、主人公は自分のカンと才覚だけで子どもたちを守ろうとする。
当然ながら、観客も主人公とともに必死で逃げ回りながら、「あれは一体なに?」とその正体をいぶかり続けなければならない。答えは時折、断片的にもたらされる。偶然出会ったテレビクルーから、生き残りの住民から、戦闘中の州兵から。エイリアンの詳しい背景を知りたい向きにはフラストレーションがたまる展開だが、相手の正体がわからない方が恐怖感は間違いなくアップする。これもスピルバーグがデビュー作「激突!」で用いた手法と同じ。観客の恐怖は娘役のダコタ・ファニングが代弁するが、この演技がメチャクチャうまい。
SFアドベンチャーを期待して見に行ったら肩透かしを食う。これはSFというよりホラーだ。小学生以下のお子さんは悪い夢を見るかもしれないから、避けた方が無難かも。
(2005・08・22 宇都宮)

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「スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐」
監督 ジョージ・ルーカス
主演 ユアン・マクレガー
   ナタリー・ポートマン
   ヘイデン・クリステンセン
(2004年/アメリカ)

ついにスター・ウォーズが完結した。
最初にエピソード4を見たとき、私は高校生だった。特撮(当時はそう呼んだ)技術のすごさにビックリしたが、ストーリー自体は単純な冒険活劇で、エピソード6で「ルークとレイアは双子の兄妹」というオチがついたときは、「そりゃないだろう。少女マンガじゃあるまいし」と思ったものだ。
しかし、文句を言いつつ6作すべて映画館に足を運んで見たシリーズというのは他にない。しかも20数年という長い時間をかけて。
映像技術は作品ごとに進化し、本作ものっけからスゴイ。まるで自分がジェダイの騎士になって空中戦を闘っている気分が味わえる。次から次へと登場するエイリアンたちも作り物っぽさが少なくなった(でもCGよりマペットのヨーダがなつかしいのは私だけではないだろう)。懐かしい顔ぶれも多数登場するので、SWファンにはたまらない内容だ。
ストーリーも全6作のうちで、いちばん見ごたえがあった。善意の人間が悪に落ちていく過程という、深いテーマを扱ったためかもしれない。でも、ワタシ的にはアナキンがダース・ベイダーになっていく過程に、もうひとつ説得力がほしかった。愛する女性を救うためという動機はいいのだが(というか、それしかないだろう)、悪に落ちるまでにもっと逡巡や疑問がなかったのか。評議員になれないという不満も俗っぽすぎるような・・・ジェダイの騎士なのに単純すぎやしないか。
本作がSW第1作に続くことは誰もが承知しているのであえて書くが、ラストシーンは砂の惑星タトゥーイン。ここでオビワンが赤ん坊のルークを叔父夫婦に預けるところで物語は完結する。おなじみの砂漠にポツンと建つ丸屋根の家を見たとき、なんともいえない懐かしさが胸に迫った。高校生だった私が見た風景が、今そこにある・・・時間をかけて創り上げたシリーズは、観客の人生とも重なるもの。エピソード7以降が見れないのは残念だが、ジョージ・ルーカスに「お疲れさま」と言ってあげたい。
(2005・08・22 宇都宮)

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「メリンダとメリンダ」
監督 ウッディ・アレン
主演 ラダ・ミッチェル
    クロエ・セヴィニー
    キウェテル・イジョフォー
(2004年/アメリカ)

恋愛映画の達人・ウッディ・アレンの最新作。
ニューヨークのレストランで劇作家たちが議論を繰り広げていた。テーマは「人生は喜劇か? それとも悲劇か?」。コメディ作家は喜劇だといい、シリアス作家は悲劇だと主張し、結論が出ない。そこで、彼らは同じ設定から喜劇と悲劇のストーリーを即興で展開した。主人公の名はメリンダ。ニューヨークのとあるマンションで開かれているパーティに、突然やって来る。喜劇編のメリンダは、たちまちパーティのメンバーを魅了し、その家の夫のハートまで掴んでしまう。でも、メリンダはなかなか彼の気持ちに気づかない。一方、悲劇編のメリンダは、離婚した夫との親権争いの真っ只中。精神が不安定な上に、心配する親友が紹介してくれた男に興味がもてない。しかし、ある日出会ったピアニストと恋に落ち、一時は幸せをつかんだかに見えたが・・・
喜劇編と悲劇編が交互に進み、主役のメリンダだけ同じ女優が演じる。ついでに脇も同じキャストにしても面白かったのでは?
通常なら観客は自分をメリンダと重ね、喜劇の人生を選ぶか、それとも悲劇の人生を選ぶか考えながら見ると思うのだが、悲劇の人生がひどすぎて迷う対象にもならない。かといって、参考にするほどの教訓もない。人生楽しいに越したことないではないか。悲劇のメリンダ、いったいなにやってるわけ?という印象だ。
おそらく人生は悲劇でも喜劇でもない。運のいい人悪い人は確かに存在するが、本人がどう感じるかだけの問題。ウッディ・アレンもそんなことは百も承知でこの映画を作り、ドラマづくりのメソッドを楽しんでいるだけに思えるのだが。
(2005・08・18 宇都宮)

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「世界の中心で、愛をさけぶ」
監督 行定 勲
主演 大沢 たかお
    柴崎 コウ
    森山 未來
(2004年/日本)

2004年に大ヒットした日本映画をようやく見た。
あれだけヒットしたんだから、さぞかし感動させてくれるんだろうと思ったら、正直なところ期待外れだった。
ビデオを観た後、原作も読んでみたのだが、原作の持つ泣きたくなるような切なさや繊細さ、主人公の心のひだの描写が、残念ながら映画では表現しきれていない。大好きな人がこの世からいなくなる・・・それが悲しいのは当たり前。未来ある若者が心ならずも死んでいくシーンを見せられたら、誰だって悲しくなるし涙も出る。死んでいく人から「悲しまないでね」と云われたら、余計悲しくなるのが人情というもの。しかし、映画はそこから先の主人公の喪失感が描けていないように思う。
また、原作にはなく映画にだけ登場するファクターとして、恋人たちが自分の想いを吹き込んだカセットテープがある。原作の一人称で淡々と語られる想いをどうにか表現しようと、テープという手段をとったのかもしれないが、「私ならやらないだろうな」という距離感が残った。論理的に話す訓練をしていない人が、テープを前になかなかしゃべれるものではないのでは? むしろ手紙に書いた方がいい(と思うのは、私が書く仕事をしてるせい?)。
この作品があれだけヒットしたということは、やっぱり世の中では"純愛"が求められているんだろう。そんなに少ないのか、"純愛"?
(2005・08・15 宇都宮)

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「シティ・オブ・ゴッド」
監督 フェルナンド・メイレレス
出演 アレキサンドレ・ロドリゲス
    レアンドロ・フィルミノ・ダ・オラ
    セウ・ジョルジ
(2002年/ブラジル)

1960年代、リオデジャネイロ郊外の町シティ・オブ・ゴッド。そこにはスラムから流れてきた者たちが住み、ドラッグ、強盗、強姦、殺人など犯罪ならなんでもありの極悪地帯だ。シティ・オブ・ゴッドに住む子どもたちは幼い頃から凶悪犯罪を目の当たりにして育ち、いつかこの町を出てまともな暮らしをすることを、あるいはギャングのボスになることを夢見る。カメラマン志望の少年ブスカベと、子どもの頃からリオ一のギャングになると公言し、殺しを繰り返してきたリトル・ゼを中心に、シティ・オブ・ゴッドの10数年間に渡る権力闘争を描く。
・・・・・・いやはや仰天した。
2時間10分の上映時間中、とにかく銃乱射と殺戮の繰り返し。しかも、10歳になるかならずの子どもたちがマフィアの手先になって殺し合いを演じるのだ。良識もへったくれもあったもんじゃない。
しかし、悲惨なシーンの連続を軽いタッチでテンポよく見せる演出は面白い。一見オムニバス風の構成も斬新だ。登場人物が多すぎて覚えきれないところもあったが、勢いで最後まで見せてしまう。
ドライで抜け目がなくて、でも人なつこくて底抜けに明るい。南米というのは魅力的な風土だと改めて感じた。
(2005・05・24 宇都宮)

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「アイ,ロボット」
監督 アレックス・プロヤス
主演 ウィル・スミス
    ブリジット・モイナハン
    ブルース・グリーンウッド
(2003年/アメリカ)

アイザック・アシモフの名作「われはロボット」をベースに、近未来のロボットと人間との共存をテーマに描いたSF作品。
「われはロボット」はロボット3原則※を、初めて世に送り出したエポックメイキングな短編小説。ロボット3原則は小説の中の定義だったのに、今や現実のロボット工学でも基本方針となっているそうだ。本作は守られるべきロボット3原則が守られなくなったときの、人間社会の危うさを描く。
2035年、日常生活の中でロボットは欠かせない存在になっていた。そんな折、全米一のロボットメーカー・U.S.ロボティックス社で、ロボット開発の第一人者が殺される。殺人容疑で拘留されたのはNS-5型ロボットのサニー。しかし、ロボットに人は殺せないはず。疑問を持った刑事のスプーナー(ウィル・スミス)は、やがて人類存亡がかかった事実に突き当たる。
最近、SF映画が少なくなったと感じていたが、久々に本格的で面白い作品に出会えた。
アシモフはSF界きってのストーリーテラーで、私も子どもの頃から大好きな作家。しかし、「われはロボット」は短編だからどう肉付けしているんだろう、と思ったら・・・よくできた脚本で、最後のドンデン返しまで息もつかせず見せてくれた。最初の脚本が書き下ろされたのが10年前というから、長きに渡って練りに練られた結果だろう。
NS-5型ロボットの動きをここまでなめらかに、躍動的に見せることができたのはCG技術の進歩のおかげ。しかし、CGのロボットになにか淋しさを感じてしまうのは私だけだろうか? 人型ロボットは現実世界でももう動き始めている。いつか本物のロボットがキャスティングされた映画が見られるようになるのだろう。
主役のウィル・スミスがロボット嫌いの殺人課刑事を熱演。コメディタッチの作品が多かっただけに、シリアスな演技が印象的だった。
※ロボット3原則・・・「1、ロボットは人に危害を加えてはならない。2、ロボットは人の命令に服従しなければならない。ただし、1に反する命令はこの限りではない。3、1または2に反するおそれのない限り、ロボットは自己を守らなければならない」
(2005・05・23 宇都宮)

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「ホワイト・オランダー」
監督 ピーター・コズミンスキー
主演 ミシェル・ファイファー
    レニー・ゼルウィガー
    アリソン・ローマン
(2002年/アメリカ)

15歳のアストリッド(アリソン・ローマン)は美しい母イングリッド(ミシェル・ファイファー)と2人暮らし。ところが、イングリッドが恋人殺しの容疑で服役し、アストリッドは里親のもとを転々とすることに。1人目の里親はオトコに入れあげてばかりの中年女。2人目は売れない女優。3人目は里子たちに酒やドラッグを教える。そんな中でも新しい環境に慣れ、大人になっていく娘を見て、イングリッドは「他人を信じちゃダメ。私だけを信頼して」と自分につなぎとめようとするが・・・
後味があまりよくないドラマだ。
美しく、男性にモテる母。美しさを受け継いだものの、母に対するコンプレックスや依存心が抜けない娘。そのままなら共依存の関係が続いていったのだろうが、母の犯罪で母子が無理やり引き裂かれたところから、娘の成長物語になる。
里親の個性もそれぞれ強烈だ。「こんなところでマトモな子どもが育つのか?」と、たまらない気持ちになるが、子どもはたくましい。それなりに居場所を見つけ、新しい環境に懸命に馴染もうとする。それだけに、娘の足を引っ張る母親の言動が許せない。自分は育児放棄をしながら、いざ子どもが離れようとすると、どうにかして自分の影響下に置こうとするのは、洋の東西を問わず同じらしい。
ミシェル・ファイファーは相変わらずキレイで、家庭的でない女がよく似合う。レニー・ゼルウィガーは意外な役どころで登場し、個性を発揮していた。しかし、この映画の主役はなんといっても娘役のアリソン・ローマン。堂々とした演じっぷりで、ラストまで飽きさせなかった。
(2005・05・23 宇都宮)

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「デブラ・ウィンガーを探して」
監督 ロザンナ・アークエット
(2002年/アメリカ)

「グラン・ブルー」などで知られる女優ロザンナ・アークエットは6歳の娘を持つ母親。幼い子どもに「ママ、仕事に行かないで」と足にすがりついて泣かれたとき、女優と家庭の両立は無理なのかと深く悩んでしまう。その答えを探して、34人の有名女優を訪ねて質問する様子を撮影したのがこの作品。デブラ・ウィンガーはその象徴的な存在で、「愛と青春の旅立ち」などで若くしてトップ女優に君臨したものの、人気絶頂時に女優業を引退。その後、銀幕に復帰することなく現在に至っている。
家庭? それとも仕事? こんなありふれた質問に、ハリウッドの有名女優たちが真剣に悩み続けている姿にまず驚く。ハリウッドで女優として成功すること自体が、世界中の憧れであり、数百万人に1人の幸運のはず。それなのに、彼女たちはわが子のために魅力的な仕事を断り、断った作品が世界的な大ヒット作になったときは1人で落ち込んでしまう。
また、引退を考えた経験のある女優が少なくないことにも驚いた。子どものために一時的に引退したら、復帰したくとも2年間オーディションの話すら来なかったという現実。あのバネッサ・レッドグレーブが「引退はできない。生活があるから」と語ったのにもビックリ。ハリウッドで成功すれば、一生遊んで暮らせるぐらいの財産が残ると思っていたが、どうもそうではないらしい。
家庭と仕事の両立というテーマで始まったロザンナの旅だが、やがてその話題は「40を過ぎて女優を続けるのは、なぜこんなに難しいのか?」という方向に進んでいく。若くてキレイな頃はいろんな役が来る。年老いて性格女優になれれば、それなりに居場所がある。ところが、その間の40代、50代の女優は仕事がない。かといって、生活のためにつまらない作品に出るのも、クリエイターとしては辛い・・・こんな悩みをハリウッドの有名女優たちが口々に語るのだから、もうこたえられない! 容姿が武器のひとつなだけに、その問いは実に深刻だ。インタビュー相手にシャロン・ストーンやメグ・ライアン、エマニュエル・ベアールあたりを入れたのも憎い。いずれも美貌やセックスアピールでは通用しない年齢に差しかかっており、女優としての方向転換を迫られているから。
最後まで見て、質問の答えを得られるかどうかは、見る人次第。私自身は子どもがいないので両立に悩むことはないが、等身大の女優をかいま見れたのがとてもよかった。トリを飾ったジェーン・フォンダが女優業の素晴らしさを熱っぽく語ったのが印象的だ。こんなに創造的で評価を与えられる仕事を持っている34人の女性たち。それだけでとても素敵に見えた。
(2005・05・08 宇都宮)

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「シャーロット・グレイ」
監督 ジリアン・アームストロング
主演 ケイト・ブランシェット
    ビリー・クラダップ
    マイケル・ガンボン
(2001年/イギリス・ドイツ・オーストラリア)

ケイト・ブランシェットの出演する映画にハズレはない。最近、そう確信するようになった。第二次大戦中の女スパイを描いたこの作品も、地味ではあるが見ごたえがあった。
ロンドンで看護婦をしていたシャーロット・グレイ(ケイト・ブランシェット)は、フランス語に堪能なことから、イギリス諜報部にスカウトされる。折から恋人のパイロットがフランス戦線で行方不明になり、シャーロットはフランスでの作戦に志願。フランス人になりすまし、現地の共産党員ジュリアン(ビリー・クラダップ)とともにレジスタンス活動に身を投じる一方、恋人の消息を探し続けるが、彼の死亡の知らせが届く。いつ誰に密告され、抹殺されるかわからないスパイ活動を続けるうちに、やがてシャーロットの中に「自分にもなにかできるはず」という想いが芽生え・・・
第二次大戦、特にナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺は、戦争というものの悲惨さをあますところなく伝えてくれる。「戦場のピアニスト」もそうだったし、「僕の神さま」も「シンドラーのリスト」もそうだった。本作でもジュリアンが匿ったユダヤ人兄弟が大きなエピソードを占めており、幼い子どもにこんなに辛い想いをさせる戦争への憎しみが消えない。
その戦争を終わらせるべくレジスタンス活動をするシャーロットとジュリアンが、命がけの行為を経て愛し合うようになるのは必然的な流れ。お互いの能力や情熱、人間性に対する尊敬が根底にあるから、薄っぺらな恋愛とはまるで違う。ネタバレになるので書けないが、ラスト近くで胸を打つシーンが連続し、恋愛・戦争・人生について考えさせてくれる。
監督のジリアン・アームストロングとケイト・ブランシェットは「オスカーとルシンダ」の名コンビ。そういえば「オスカーとルシンダ」も、淡々とした演出なのに心に残る作品だった。
(2005・05・06 宇都宮)

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「白いカラス」
監督 ロバート・ベントン
主演 アンソニー・ホプキンス
    ニコール・キッドマン
    ゲイリー・シニーズ
(2003年/アメリカ)

大学の古典教授にして学部長でもあるシルク(アンソニー・ホプキンス)は、黒人差別発言の汚名を着せられ、大学を追われてしまう。失意の日々を送る彼が出会ったのは、大学の掃除婦・フォーニア(ニコール・キッドマン)。身寄りもなく肉体労働に明け暮れる彼女との関係が深まるにつれ、シルクの周囲の雑音は増していき…
老教授と34歳の孤独な女の恋愛ストーリー、と一概に言えないのがこの作品のミソ。
シルクの若かりし頃の回想シーンが随所に挟まれ、彼がなぜ大学を追われてしまったのか、その遠因と彼が一生背負うことになった秘密が徐々に明かさ