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BOOK REVIEW (書評)


2008年
*5月up作品:「容疑者Xの献身」

2007年
*12月up作品:「あなたのためのスピリチュアル・カウンセリング」
*11月up作品:「長崎ぶらぶら節」
*10月up作品:「世界の日本人ジョーク集

*過去のup作品:ア行カ行サ行タ行ナ行ハ行マ行ヤ行ラ行ワ行


「容疑者Xの献身」
東野 圭吾 著

東野圭吾さんの直木賞受賞作であり、昨年フジテレビ系で高視聴率をマークしたドラマ『ガリレオ』の湯川学が登場するシリーズでもある。
ラマ『ガリレオ』は短編集である『ガリレオ』『予知夢』が原作。物理学の知識をもとに謎解きをするガリレオ先生=湯川助教授の活躍譚、といった要素が強かった。しかし、この『容疑者Xの献身』は350ページに及ぶ長編で、主人公は湯川や刑事の草薙よりも、むしろ容疑者とそれを庇う人物たち。短編集で見られた科学的な謎解きは一切なく、容疑者側の数学の天才と刑事や湯川たちとの知恵比べが見どころだ。
推理小説というよりも、容疑者がやむなく犯罪を犯す過程やその後の周囲の人間たちとのやりとりは、人間ドラマそのもの。都会の片隅で肩を寄せ合い地道に生きている母子の姿に、人生の縮図を見る想いの読者も多いのではないだろうか。
東野さんの小説を読んでいると、理系の知識にも驚かされるが、人物描写の確かさや、物語のはじめから人をグイグイ引っ張っていく展開の巧みさに感服する。その構成力のすごさは『白夜行』でも堪能した。
私は東野作品をごく一部しか読んでいないので、本作が東野文学の最高傑作かどうかはわからない。しかし、新幹線の中でラストの部分を読みながら、不覚にも泣いてしまった。犯人の動機に、謎解き以上に心を動かされた。本書によると、愛する女性の美しさは数学の問題が解かれていく美しさと本質的に同じらしい。高校の数学Tで挫折してしまった私には数学の世界を理解することはできないが、未知の世界を知る理系の人たちが少々うらやましくなった。

文藝春秋・1600円(税別)
2008430 宇都宮)

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「あなたのためのスピリチュアル・カウンセリング」
江原 啓之 著

書店に行くと、スピリチュアルコーナーが書棚の一角を占めている。ブームが続いていることは感じていたが、想像以上に根強い。その大きな理由が、この人の存在ではないだろうか。中でもテレビ朝日系『オーラの泉』の力が大きいのでは? 私の友人などは「江原さんてスゴイのよ。なんでもアテちゃうんだから!」と、興奮気味に教えてくれた。そんなにスゴイのかと思い、1度番組を見てみたが、当たり前のことを穏やかに話しておられるだけ。結局のところ、あのやさしいしゃべり口調にみな癒されて、納得してしまうように思えた。
それでもやはり気になる存在には違いない。1冊ぐらい著書を読んでおこうと思い、本書を手にした。『婦人公論』の連載「江原啓之のスピリチュアル講座」の後半部分を人生相談風にまとめたものだ。結構深刻な内容が多く、医療的なカウンセリングを受けた方がいいものもある。江原さんはこれらの相談に対し、「スピリチュアルの法則」を駆使しながら回答する。スピリチュアルな法則には守護霊やカルマなど、それらしき言葉が登場するが、江原さんはこの法則を「物質主義的価値観を捨てなさい」という一言を言うために用いているように見える。「現世の人生は短いもの。あなたの悩みや苦労は大変なものだろうが、天はその人に耐えられる悩みや苦労しか与えない。幸せを信じて毎日を懸命に生きていけば、必ず報われる」・・・といったところだろうか。江原さんには霊能もあるそうだが、それは二の次の話。霊能者が幸せにしてくれるわけではなく、幸せは1人1人の生き方次第だと力説する。
いや、まったくそのとおり。「人生は短い」というのは私も常々感じている。現世の人生だけじゃ空しいから、来世があってほしいと思うのも、ごく普通のことだと思う。そして江原さんが賢いのは、霊能を前面に押し出さない点。誰にも証明できないものを根拠にしても、いかがわしさが増すばかり。それよりも人の話をうまく聞いてあげる才能があれば、カウンセラーとして成功できる。カウンセリング中にスピリチュアルな話をちょっと挟めば、他のカウンセラーとの差別化も図れるというものだ。
カウンセリングという作業は、実に忍耐力を要するものだと思う。私もよく友人知人から相談を受けるが、話を聞いた後は疲れるし、内容次第では相手の話にアタマに来ることもある(これは私の人間ができていないせいなのだが)。江原さんは何万件というカウンセリングを経験されたそうだ(現在は休止中)。それだけの件数をこなしていたら、相手の顔を見ただけでどういう人かわかるだろうし、中には「なんでこんな当たり前のことがわからないの?!」と言いたくなるような相手もいることだろう。江原さんに限らず、世のカウンセラーのみなさんの苦労と努力にアタマが下がる思いだ。

中央公論新社・1200円(税別)
(2007・11・14 宇都宮)

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[長崎ぶらぶら節」
なかにし礼 著

いわずと知れた作詞家・なかにし礼さんの直木賞受賞作。明治から昭和初期にかけて、長崎の花街・丸山に生きた芸者・愛八の生涯を描いた小説だ。
貧しい漁村から10歳で花街へ売られた愛八は、不器量ながら芸を磨いて丸山でも三本の指に入る売れっ子芸妓となる。歌も三味線も踊りも大好きな愛八にとって、芸者は天職。楽しく毎日を送っていたが、50歳になろうとする頃、郷土史家の古賀十二郎と出会い、片思いに身を焦がすことに。古賀から「長崎の古い歌を探すのを手伝ってくれ」と頼まれた愛八は、三味線片手に古賀と長崎の古老や切支丹部落を訪ね歩く。やがて、「長崎ぶらぶら節」を歌える91歳の老妓に巡りあい、埋もれていた名曲の発掘に成功するが・・・
著者の歌に対する愛情や尊崇の念が伝わってくる力作だ。師匠から弟子へ口伝えで教える三味線の世界には、西洋音楽のような楽譜がない。歌われなくなった歌はやがて忘れ去られ、痕跡も残さず消えていく。長崎を愛する郷土史家が古い歌を発掘して後世に残したいと考えたのは当然だろう。芸達者の愛八をパートナーに選んだのも慧眼だ。
物語に息吹を与えているのは、やはり愛八姐さんの人となりだろう。きっぷがよくて面倒見がよく、金に執着しない。売れっ子芸妓だから収入はかなりあるのに、毎日のように花売り娘から売れ残りの花を全部買い上げるため、財産なんてまるでない。世話してくれる旦那もついたが、気がつけば49歳。その年齢で古賀にうぶな娘のような恋をする。この下りを読めば、誰でも愛八が愛しくなることだろう。
それにしても、昔の日本人はこんなにも高潔で、通すべき筋はきっちり通し、礼儀を知る人たちだったのか。モノや財産にまったく執着がなく、弱い者・貧しい者に分け与える愛八の生き方もそうだし、数多くの見習い芸妓の面倒を見る料亭の女将もそうだ。妹芸者たちも受けた恩は忘れないし、人助けするときも恩着せがましくない。「自分のためにやっているんだ」という意地とプライドが見える。「日本人は貧しい。しかし高貴だ。世界でただひとつ、どうしても生き残ってほしい民族を挙げるとしたら、それは日本人だ」と言ったのは、同時代の駐日フランス大使ポール・クローデルだが、本書に登場するような人が多かったとすれば、まさにそのとおり!だと思う。今の日本人に該当しないのが、とても残念だが・・・
失われていくのは歌だけではなく、日本人のよさそのものだという著者のメッセージを感じた。

文芸春秋 1600円(税込)
(2007・10・24 宇都宮)

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「世界の日本人ジョーク集」
早坂 隆 著

妻の浮気現場を目撃した各国の男たちの行動は?
アメリカ人は男を射殺し、ドイツ人は法的措置を宣言した。フランス人は自分も服を脱ぎはじめ、日本人は紹介されるまで名刺を手にして待っていた・・・

これは本書の中の「浮気現場にて」と題されたジョークの中身。
本書には、こんなふうに日本人をネタにしたジョークが詰まっている。「日本人ってこんなふうに見られているのか」と目からウロコのものもあれば、相変わらずメガネ&出っ歯の東洋人イメージに支配されていてガッカリさせられるものもある。ただし、メイド・イン・ジャパンの品質のよさや経済大国のイメージ、マンガやアニメなど日本発のサブカルチャーが世界を席捲していることもあって、日本へのリスペクトも感じられる。おかげで変なストレスを感じることなく、読後感がとてもいい。
冒頭のジョークを取り上げたのは各国人の特徴がわかりやすいことと、日本人の「名刺」へのこだわりを私も常日頃から感じているから。万が一、妻の浮気相手が大切なビジネス相手だったら・・・? 実にビミョーだ。

著者は東欧や中東に長く滞在したルポライター。特にルーマニア滞在が長いようで、東ヨーロッパの人々の視点から見た日本人像を知ることができた。これがアメリカ滞在経験だけで書いたジョーク集だと、もっとうすっぺらなものになっていた気がする。
それにしても、アメリカ人や日本人をネタにしたジョーク集もいいが、ロシア人や中国人をネタにしたジョーク集もおもしろそうだ。ジョークの世界もBRICsが主役の時代なのかもしれない。

中公新書ラクレ・760円(税別)
(2007・8・26 宇都宮)

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「ワーキングプア 日本を蝕む病」
NHKスペシャル『ワーキングプア』取材班 編

昨年放送されたNHKスペシャル「ワーキングプア」を観て、衝撃を受けた人は多いのではないだろうか。
真面目に働いているのに生活保護水準以下の暮らししかできない人々が、この日本には少なからず存在する。たとえば、時給の安いパートの仕事しかない地方の若者。無年金の高齢者。母子家庭の母親。正社員の職をリストラ後、定職につけない中年の父親・・・・・・
みんな、一生懸命働いている。アルバイトを2つ3つ掛け持ちする例も少なくない。高齢者以外は必死で安定した職を探しているのだが、まるで見つからない。明日の保障もないまま、身を粉にして働く毎日が続く。

正直、他人事ではないと思った。
特に身につまされたのは、無年金の高齢者のエピソードだ。ある80代のご夫婦は若い頃、大家族の家計を維持するのが大変で、国民年金保険料を払えない時期があった。そのため最低25年の払込期間に届かず、無年金に。動かないからだをムチ打って夫婦で空き缶を拾い集め、最低限の暮らしを維持している。息子が2人いるが、どちらも住宅ローンと教育費の負担が大きく、経済的に頼ることはできない。
私も国民年金加入者だが、月々受け取れる金額は6万円程度だと聞いている。「6万円じゃ生活できないやん」と常々思っていたが、月6万円あればあのご夫婦は救われるのだ。これは年金保険料の払込をおろそかにできないなと思っていたところに、あの5000万件の浮いた年金データ騒動。怒りも倍増するというものだ。

本書は2回に渡って放送されたNHKスペシャルに、その後の取材などを加えて単行本化したもの。
放送には家庭の都合で進学できなかった北海道の20代女性が登場したが、20代で生活に追われ、将来の希望をなくしかけている姿には、私も胸を締めつけられた。若者が夢を描けない社会が今後発展するとは思えない。その後放送を見た視聴者から援助の申し出が複数あったことを知り、人の善意はまだ生きているんだと、少しほっとした。

しかしこの問題、解決の糸口はあるんだろうか?
今、史上最長の好景気などと言われているが、潤っているのは大企業だけで、正社員も非正社員もその恩恵をほとんど受けていない。非正社員の低賃金の労働力と正社員の過剰労働があって、初めて成り立つ黒字経営。このままグローバル化が進めば、ますます低賃金化は進行する。「個人の問題」で片付けられない社会構造の問題なのだから、誰もが「他人事ではない」という意識を持つべきだと思うのだが、いかがだろう?

ポプラ社・1200円(税別)
(2007・8・12 宇都宮)

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「ざらざら」
川上 弘美 著

二十三編からなる短編小説。ごくフツーの女の子の語り口が、そのまま小説の文体になっている。そこで語られるのは驚くような出来事やドラマチックな話ではなく、ごくフツーの日常だ。小説といえば、ストーリー展開にハラハラするような長編ものが好きな私にとっては、このゆったりとしたスペースはもどかしかった。でもそれは最初のうちだけ。この本の魅力は、筋書きや人物像ではなく、誰もが持っているけれどうまく表現することのできない、心の微妙な動きをふわりと描いているところにあると分かったから。

《淋しい、とか、悲しい、とかいうのと、ちょっと違う感じ。そうだ。中林さんが、かわいそう、とあたしは思ったのだ。あんなに好かれていたのに。もう、ひとかけらも好かれていない。ひとかけらも嫌われていない。何の感情も、あたしにいだかれていないんだ。》(「山羊のいる草原」)

ややもすると、主人公の“あたし”による退屈な日記に陥りがちなところを、魅力的な短編にしてしまうのはさすが。失恋した時でさえも“あたし”はどこか楽観的であるという、ユーモアセンスのまぶし具合がまたいいのだ。
そして彼女の小説には食べ物がよく出てくる。食べ物が雰囲気づくりの小道具になっているのだ。

 《少しでも体が暇になると中林さんのことを思ってしまうので、あたしは料理もたくさんした。鯵の南蛮漬けと、しいたけ昆布と、塩漬け豚をつくった。金時豆を琺瑯の小さな鍋にいれて、(略)》(「コーヒーメーカー」)

この短編小説の中で出てくる食べ物は、どれもさりげなく登場する淡い存在だけれど、例えば、今時の若い女の子がしいたけ昆布に金時豆を作る?しかも恋人に会えなくて淋しい時に、などとつっこみたくなるのは、これまたユーモラスな雰囲気の小道具となっているからだろうか。
「淋しいな」で挿入されている、食べ物による表現はまたちょっと面白い、“あたし”がふられるのは、火曜日。その火曜日は、清潔で、ちょっとよそよそしくて、きりっとしたフルーツトマトみたいな、一週間の中でいちばん好きだという曜日。
 
《月曜日はまだ熟していない、青くさいメロンみたいな日。水曜日木曜日は、少し熟しはじめたバナナ。金曜土曜ならば、今にも枝から離れようとしているパパイヤ。よりにもよってその火曜日の晩に(略)》

私たちが過ごす毎日は、さほど変化のある毎日ではないけれど、それでも心はちょっとしたことに揺れ動き、一喜一憂もする。そんな誰もが持つ当たり前の感情を、極上の言葉でつむいだ短編群だからこそ、一気に読み終えるのではなく、毎日一編か二編ずつ、ゆっくりとページをめくることを楽しむのがいい。

マガジンハウス・1300円(税別)
(2007・6・30 伊藤)

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「裁判官の爆笑お言葉集」
長嶺 超輝 著

日本では近く裁判員制度がはじまる。そうなれば、ある日いきなり裁判員として法廷にあがり、被告人と向き合うことになる。「裁判なんてよく分からないしー」なんていう言い訳は通用しない。20歳以上ならいつか直面するかもしれないのだ。
確かに裁判所は“敷居が高く、向こうの世界”との印象がある。法律のプロである裁判官が、無味乾燥に判決文を読み上げる、そんな印象もある。けれど、裁判は人間が犯した(かもしれない)罪を裁く場所。いろんなドラマがあるのも事実。つまり、そんな悲喜こもごもが渦巻く法廷で、思わず裁判官が本音をこぼすということもあるらしい。この本は、多くの裁判を傍聴してきた著者が、裁判官の発言、いうなれば裁判官が被告人へ向けたメッセージともいえる言葉を集めた一冊だ。
熟年夫婦が対立した離婚裁判で、「二人して、どこを探しても見つからなかった青い鳥を身近に探すべく、じっくり腰をすえて真剣に気長に話し合うよう、離婚の請求を棄却する次第である。」と、愛を語るかのように二人を諭した裁判官。「暴走族は、暴力団の少年部だ。犬のうんこですら肥料になるのに、君たちは何の役にも立たない産業廃棄物以下じゃないか。」と、過激な発言で物議をかもした裁判官。さらには、スナック乱射事件に際して、「死刑はやむを得ないが、私としては、君には出来るだけ長く生きていてもらいたい。」と、その真意が推し量れない発言も。
裁判官も人間、判決を出すまでは量刑について悩むことも、被害者に代わって怒りを爆発させることもあるのだろう。この本を読むと、これまでの裁判官像が吹っ飛んでしまう気がする。
けれどその一方で、被害者や遺族を無視するかのような言動や判決が問題視される裁判官もいるらしい。裁判員制度がはじまれば、それもよい方向に変わっていくのだろうか。裁判は、無料で誰もが傍聴できるもの。趣味としてでも、司法を知るためでも、理由は何でもいいが、実際の裁判を傍聴することで感じるものは大きいだろう。
この本と合わせて、フリーライターで傍聴マニアでもある著者の公判リポート「裁判長! ここは懲役4年でどうですか」(北尾トロ・著/文春文庫)を是非。こちらは裁判ドラマを楽しむ野次馬根性と、傍聴マニアならでは鋭い突っ込みに唸らされる。

幻冬舎新書・720円(税別)
(2007・6・30 伊藤)

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「子供をゆがませる『間取り』」
横山 彰人 著

著書は、「間取り」が子どもや家族関係に与える影響に警鐘を鳴らしてきた一級建築士。凶悪事件を起こした少年が暮らした家の「間取り」を研究してきたが、犯罪検証は主に「心の病」に焦点があてられ家族との関わり合いが問題とされるも、その家族を包んでいる「家」、なかでも「間取り」はあまり言及されないと指摘する。
機能性というハード面が重要な「家」に対し、「間取り」は人間心理にも影響を及ぼすソフト面としての空間をいかに使うかということ。快適な暮らしに直結するだけに、誰もが頭を悩ますところだ。さらに、家を求める大人の多くは、子供部屋を確保することにもこだわるもの。でも、親の願いを形にした間取りが、家族をゆがませ、子どもを追い詰める結果になるとしたら、こんな不幸なことはないだろう。

第一章では、世間を震撼させた「宮崎勤・連続幼女誘拐事件」や、「女子高生コンクリート詰め殺害事件」など6件の事件を取り上げ、罪を犯した少年たちの部屋の間取りを提示しながら、事件を引き起こすに至った要因を検証している。4人もの幼い少女を誘拐し殺害した宮崎勤。彼が育った家では、子ども達に個室を与えるために2回以上リフォームされ、母屋とは別棟の個室が用意された。彼はそこでビデオ鑑賞にふけり、幼女の遺体を運び込んだとされる。増築のために食堂が狭くなり、6人家族なのに椅子は4脚しかなかったというのも、家族間のコミュニケーションの希薄さの現れかもしれない。
著者が繰返し指摘するのは、リビングや親の部屋を通らずに自室に直行できる間取りの問題点だ。子どもは環境に働きかける力が少なく、空間の物理的環境を受けやすいもの。著者は、親は1階、子どもは2階という固定観念にとらわれず、子どもの成長にあわせて部屋を改築するぐらいの発想をもつことが必要だと説く。
具体的な方法として第4章で、マンション13例、一戸建て6例を取り上げ、家族が豊かに暮らせる間取りの改善案を紹介。子どもが小学校低学年なら寝室は親と共有し、勉強机だけを本棚で仕切ったリビングに置く。勉強時間に大人がテレビを見るならイヤホンを使ったり、読書するなど音を発しないようにするなど、間取りの変更ばかりではなく家族ルールを作ることも必要だという。また年齢が近く性別が違う子ども達の場合、それぞれ広さも環境も違う部屋しか用意できなければ、それらを定期的に交換し合うことで、相手の立場を考えたり協調性も学ぶことができる、とアドバイスしている。
子どもを部屋に引きこもらせないためには、子ども部屋に機能を集中させず、勉強と就寝に関係ないものは誰もが出入りできるプレイルームに置くといった、プレイルームの活用にも触れている。その上で、「個室を与えた以上はその空間は子どものテリトリーとして尊重すべきであり、ふとんや洗濯物を運ぶのに子ども部屋を通り抜けする形で使うのはルール違反。親にとっては大した事ではないけれど、子どもは自分の領域を侵されたと感じ、自主性を養うのに逆効果になる」とも。まったくその通りだが、さて自分の家に当てはめてみると、その現実に反省させられるばかりである。
さまざまなリフォームの改善案に共通しているのは、「子ども部屋のスペースは最小限で充分」という考え。著者は、3畳あればよいと言う。さらに、「間取りで優先されるのは子ども部屋ではなく夫婦の寝室」という考えだ。日当たりのいい部屋を子ども部屋にしたくなるのが親心だが、一番いい場所は夫婦の部屋であるべきで、空間は親が子どもに分け与えているものだという意識を子どもに持たせる、つまり大きな買い物である住宅は親が苦労して手に入れたものだということを子どもも理解することが必要だというのだ。

さて、知恵をしぼって準備した間取りで子ども部屋も確保。でも親子関係はそれで安心できるほど簡単ではない。家はそこに住む家族で育て上げていくもの、間取りによってできた空間も、人と人との交わりでさらに快適になっていくものではないだろうか。
ある調査によると、親が子ども部屋に入る理由として、欧米では会話をしたりおやすみの挨拶をするためであるのに対し、日本では掃除や寝具の整理のためというのが多くを占めている。日本では子どもが大きくなるに従って親子のコミュニケーションが少なくなると言われるが、親のかかわりが子どもの世話に大きく占められるから、と考えると悲しいものである。
家は雨露をしのぐためのものではなく、年齢とともに自分を、そして家族を育んでいくところ。これからどう暮らしたいのか、どんな人生を歩みたいのか、もう一度家の中を見渡してじっくりと考えたくなった。
情報センター出版局・1500円(税別)
(2007・6・30 伊藤)

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「こんな夜更けにバナナかよ〜筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」
渡辺 一史 著

以前から気になる本だった。
重度障害者である筋ジストロフィー患者の男性が在宅で暮らしたいと望み、病院側の制止を振り切って、在宅生活をスタートさせた。人工呼吸器を装着した彼は、24時間介護が必要なからだ。公的扶助では当然まかなえず、学生を中心にした数十人のボランティアを自ら調達し、365日他人の介護のもとで暮らしはじめる・・・・・・
ここで日本人にありがちな想像は、“心やさしいボランティアたちに支えられて生きる謙虚な障害者”・・・といったところだろうか。
しかし、この実話はのっけからそんな甘っちょろい想像をひっくり返してくれる。
すべての中心である鹿野靖明が、とにかく自己主張のかたまりなのだ。「のど渇いた。コーヒー!」「シリ痛い。体交!(体位交換のこと)」と、矢継ぎ早に指示を出す。慢性的な不眠症で夜も眠らず、深夜ボランティアたちをも眠らせない。
障害者とボランティアの関係は、「世話になってる」「世話してやってる」というお決まりの感情に流されがちだ。しかし、鹿野邸にはそんな雰囲気はなく、わがままに君臨する鹿野とボランティアたちが裸の感情をむき出しにしてぶつかりあう。

「障害者が本当に暮らしやすい社会とは?」「ボランティアっていったいなに?」 
そんな疑問に続いて頭を占めるのは、やはりこの永遠の問いだ。
「生きるっていったいどういうこと?」
命の危険を承知で病院を飛び出し、自らビラを配ってボランティアを募集し、人手不足のときは電話で直接出動要請する鹿野。次から次へとやってくる若い女性ボランティアに恋をし、迷わず告白してあっさりふられる鹿野。女性とつきあった末に結婚もし、離婚も経験したという彼の人生は、ベッドの上で過ごすことが多かったとはいえ、普通の人以上に充実しているように見える。人生の中身の濃さがかかわった人の数に比例するとすれば、鹿野ほど濃い人生を送れた人も少ないだろう。この稀有な存在なしには、本書は誕生しなかった。
そして、2年半に及ぶ取材の末に本書を世に送り出した著者の存在なくしても。

463ページに及ぶ大作で、障害者福祉にかかわる専門的な内容も含むだけに、この本を途中で投げ出した読者も多いかもしれない。しかし、私はまったく飽きることがなかった。鹿野とボランティアたちのやりとりが生き生きと描かれていて、しかも新鮮。登場人物がみな若いだけに変な先入観が少なく、言葉もカラフルだ。著者が多くのボランティアに納得できるまで取材して書いているのも伝わってくる。
それにしても、同じフリーのライターとして、この本を産みだすために著者が犠牲にした仕事やお金や人間関係が忍ばれる。もちろん、こうして大宅壮一ノンフィクション賞や講談社ノンフィクション賞を受賞したわけだから、失った分を上回るものを得られただろうが。
月並みだが、障害者が安心して暮らせるだけの保障制度のある社会になってほしい。そして、力のあるライターが食いっぱぐれないですむだけの、余力のある社会になってほしい。そう願わずにいられない。

北海道新聞社・1800円(税別)
(2007・1・31 宇都宮)

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「国家の品格」
藤原 正彦 著

著者は数学者でお茶の水女子大学教授。作家の新田次郎氏と藤原てい氏の次男でもある。これまでにも多数の著書を著しておられるが、この「国家の品格」は最大のベストセラー。ごくフツーの地方企業である私の夫の会社でも「会社推薦図書」に指定されたらしい。
どんなものかと開いてみると・・・確かに読みやすい。もともとが著者の講演記録を加筆訂正したものだから、話し言葉で著者の経験が平易に語られる。身近にいるちょっとえらい先生の話を、家の応接間で聞いているようなイメージだ。
「すべての日本人に誇りと自信を与える画期的日本論」と帯にあるように、語られる内容も日本人には心地いい。「日本は世界で唯一の“情緒と形の文明”である」「日本は異常な国であれ」「世界を救うのは日本人だ」・・・などなど、日本を世界の中でも“特別な国・特別な存在”と位置づけ、その理由を語る。そして、欧米式の“論理”だけでは世界が破綻する、とも。
海外生活が長く、欧米のインテリ層と交流の多い著者の体験にもとづいた1つ1つのエピソードは面白いし、「なるほど」と思わせる。小学校の英語教育は亡国のはじまりという説も、それなりに説得力がある。英語が話せたからといって、“国際人”になれるわけではない。自国の文化を深く知り、相手の文化を学ぶ気持ちがある人が英語を学んでこそ、“国際人”に近づける。自分たちの文化を語れない者は、欧米の本物のエリートからは相手にされない。私自身、言葉を知らない若者(もちろん若い世代だけではないのだが)に会うたびに、この国の将来が心配になる。しょっちゅう漢字を読み間違える若者から「ライター志望」だと聞かされると、早く別の業界に就職する方が本人のためなんだけどな、と思ってしまう。
しかし、本書の核となる“武士道精神”については、勉強不足でなにも語れない。日本人に、論理とは異なる美学があることは重々承知している。これが欧米人には理解しがたく、そのために新渡戸稲造が英文で『武士道』を書いたことも。宗教教育のない日本で武士道精神が果たした役割は大きいし、そこに心地よさを感じるのは理屈抜きに日本人である証拠。でも、武士道精神だけでこれからのグローバル社会を乗り切っていけるのだろうか・・・?
爆発的に売れた分、さまざまな批判も受けている本書だが、読んで損はない。半日ぐらいでさっと読めて、間違いなく話のネタになる。また、いろんな政治的意図に利用されそうな本でもある。

新潮社・680円(税別)
(2006・07・23 宇都宮)

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「嫌われ松子の一生」
山田 宗樹 著

いわゆる“女の一生もの”には古今東西の名作が多い。たとえば日本の作家なら、遠藤周作さんの「女の一生」や有吉佐和子さんの「悪女について」などが心に残っている。「嫌われ松子の一生」の著者の作品はこれまで読んだことがなく、不勉強で名前も知らなかった。どんなものかと読んでみたら・・・
東京の下町のアパートで、中年女が殺されているのが発見された。被害者の名は川尻松子。30年も前に故郷を追われ、親族からも絶縁された孤独な死だった。松子の甥で大学生の笙は松子の生涯に興味を持ち、松子に関わる人々を訪ね歩くようになる。
松子は国立大学を卒業し、地元の中学の教師となるが、修学旅行先の窃盗事件の責任を負わされ、職を失ってしまう。故郷を追われるように去った松子は都会で作家志望の男と同棲をはじめ、ヒモ同然の男のためにソープ嬢となる。しかし、男は自殺。その後、ソープ嬢として店のナンバーワンとなった松子に、さまざまな男が近づいてくる。いつも男との幸せな生活を夢見る松子だが、幸せはなかなか彼女の上に訪れず、ついには殺人を犯してしまう・・・
すべり出しはやや期待外れ。大学生の男の子が中年女の生涯に興味を持つようになるまでの経緯にムリがあり、同時に描かれる教師時代の松子があまりにも愚かで同調できないのだ。面白くなるのは松子がソープ嬢になったあたりからだ。天性の美貌と、なんでも集中して取り組む優等生の性格が幸いして、松子はソープ嬢でもスーパーのレジ係でも美容師でも、その腕を認められ、周囲からは一目置かれる存在になる。
ところが、男がいつも松子の人生を狂わせる。相手は文学青年、妻子ある会社員、典型的なソープ嬢のヒモ、妻子を亡くした美容師、ヤクザになった元教え子と、ひと癖もふた癖もある人物。一旦恋に落ちると、その相手一筋となり、せっかく身につけた技術も仕事も放り出してしまうのがパターン。恋愛体質の女なのだろうが、次から次へといろんな男に入れ込んでいくことができるのもフシギだ。本物の恋愛なんて一生のうちにそう何度もあるものではないし、死んだ男をすぐに忘れるのも白けてしまう。相手を愛しているのではなく、恋愛している自分を愛しているだけでは? そして、幸せをつかみかけては、いつも松子はひとり取り残される。
松子の愚かさに同性としては納得できないのだが、ラストは泣けた。孤独な一生。でも、誰もがそうなる可能性はあるのだ。故郷によく似た荒川の風景を見て、中年女がひとりで泣くシーンを想像すると哀れさが募った。

小学館・1300円(税別)
(2006・05・20 宇都宮)

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「語られなかった皇族たちの真実〜若き末裔が初めて明かす“皇室が2000年続いた理由”〜」
竹田 恒泰 著

皇室典範改正の動きがここ数年目まぐるしい。小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」では男系女系を問わず、長子に皇位を継承させる案を統一見解として発表。これに異論反論が続出した。
いろんな立場の人が意見を述べているが、異色だったのがこの本の著者で、旧皇族・竹田宮の子孫の竹田恒泰氏だ。 “旧皇族”という立場の人がマスコミに登場することがこれまでほとんどなかったため、私も興味しんしんで本書を手に取った。著者は30代半ばの会社員。皇族の歴史をよく研究していて、皇族の存在意義をたっぷりと本書で説明している。
過去125代の天皇で(神話時代は不明としても)、女帝は複数存在するが、男系以外でその地位を継いだ者は1人も存在しない。要するに、男の子が生まれなければ家が途絶えてしまうわけで、2000年近い歴史の中で皇統断絶の危機は何度もあった。その危機を救ったのが、「側室制度」と「世襲親王家」だ。世襲親王家とは、男子が生まれる限り永遠に続いていく宮家のことで、戦前には11宮家あったが、戦後GHQの方針で皇族の地位を剥奪された。竹田宮もその1つ。過去、天皇直系に男子がいない場合は、世襲親王家の男子が“血のスペア”となり、皇位を継いできた。その際、天皇の内親王と結婚し、より濃い血を残すことで、皇室を断絶させない知恵としてきたという。
側室制度は今の時代話にならないので、世襲親王家の復活を著者は主張しているわけなのだが、これも正直、違和感がある。新聞の論調にもよく登場するが、まず旧皇族が皇籍を離れてから60年という年月がたち、すっかり一般人化してしまっていることがネックだ。著者のような若者が突然、「皇位を継いでもいい」と発言したところで「はい、そうですか」というわけにはいかないし、「内親王と結婚してもいい」なんて言われた日には「そんな時代を読めない人間に、皇位を任せられるわけがないだろう」と思ってしまう。
では、なぜ著者はそこまで女帝や女系を否定するのか?
まず、女帝は配偶者選びが大変だし、外戚(!)に力を持たれても困ること。天皇は神事を司る立場だが、女性は生理期間に神事ができないこと。この2つが理由らしい。
これも首をかしげてしまう。皇族の配偶者選びが大変なのは、男でも女でも変わらない。今の皇族は政治不干渉が原則だから、外戚問題も考えにくい。イギリスのエリザベス女王の夫エジンバラ公は旧ギリシャ王家の出身だが、なにかイギリスの政治に影響を及ぼしただろうか? 芸能マスコミにネタを提供する程度だ。
生理期間の神事については、いくらでも特例を設けられるのでは? 伝統的に生理が不浄とされるのはよく聞く話だが、一般人を天皇にすることに比べればまだ抵抗感が少ない。女性に生理があるから、男も女もこの世に生まれてこれたのだ。大上段にふりかざす理由でもないだろう。
世界に類を見ない2000年続いた皇室。その根本的なルールをわずか1年や2年の論議で変えてしまっていいのか、とは私も思う。しかし、当の天皇・皇后も皇太子も、自分たちの家のことなのだからいろいろ思うところはあるだろうに、この問題に関して沈黙を守っている。その忍耐力が皇族の皇族たる所以かもしれない。
現在のところ、秋篠宮紀子さまのご懐妊で棚上げ状態になった女帝論議だが、もし生まれてくるお子さんが女の子だったら、さらに激しく再燃するのは間違いない。2000年続いた家系はどこに向かうのだろうか。

小学館・1300円(税別)
(2006・05・20 宇都宮)

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「チョコレート工場の秘密」
ロアルド・ダール 作
田村 隆一 訳

「チョコレート工場の秘密」という本がメチャクチャ面白いと、ある日友人がメールに書いてきた。折りしも、ジョニー・デップ主演の映画「チャーリーとチョコレート工場」が封切される頃のこと。それでは、映画と原作両方を楽しもうかと、本書を手にとってみた。
読み始めてすぐ、映画が原作の世界を大切にしていることがわかった。世界一のチョコレート工場で繰り広げられる荒唐無稽なストーリー。個性的な登場人物、アイデアに満ちたチョコレート工場の様子、お菓子に対する子どものあこがれ、そして子育てにまつわる痛烈な風刺などを絡ませながら、物語はテンポよく進む。貧しく家族思いのチャーリー少年が“よい子”だから最後に幸せがやってくるという典型的な善行報恩型物語。チョコレート工場の描写が秀逸で、次々に登場する新しいお菓子のアイデアは、ハリー・ポッターに登場する魔法のお菓子に影響を与えたのではないだろうか。
1964年の出版なのでしかたがないのだが、差別的表現(特にウンパ・ルンパに関して)にはドキッとした。いつも思うのだが、差別する側にはなんの悪気もないのだが、される側は自らの存在を根底から否定されたような気分になる。1960年代なら、なんの疑問も持たずに読んでいたのだろうが。

評論社
(2006・05・20 宇都宮)

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野村ノート
野村 克也 著

プロ野球選手として27年、監督として20年。いずれも一流の実績を残し、ヤクルト時代は3度の日本一に輝いた野村克也さんが、選手育成に使っていた自筆のマニュアル「ノムラの考へ」。これをベースに、野球生活50年の経験をまとめたのが本書だ。
現役プロ野球選手の間でコピーして伝えられているというだけあって、ある程度野球を知っていないと読みづらい内容だ。打者は4つのタイプに分けられること、投手の「原点能力」は外角低めへのコントロールだ・・・など、数十年の経験に基づいた分析が冴える。4番打者ばかり集める巨人がなぜ勝てないのか。南海時代に関わった3人の強烈な個性の持ち主・江本、江夏、門田に指導者として基礎を鍛えられたこと。阪神の監督時代に結果を残せなかった理由。そんな野球好きにはたまらないエピソードがふんだんに盛り込まれている。
一読して思うのは、野村さんという人は本当に野球が好きなんだということ。選手への接し方、マスコミの利用(悪用?)方法、ブツブツとボヤキ節を続けるスポーツマンらしくない態度、そして本人には関係ないがサッチーという強烈な妻の存在など、野村さんを取り巻く評判は決してプラス面ばかりではない。しかし、阪神で3年連続最下位に終わった後、社会人の監督を引き受けたり、戦力が大きく劣る楽天の監督としてプロ球界に復帰したりと、野球界が野村さんを求めて止まない理由はよくわかる。これだけの経験と知識を野に埋もれさせるのは、日本の野球界にとっても大きな損失。なにより本人が野球が好きでたまらないのだから、オファーがあったら受けてしまう。
好きなことを仕事にし、高い評価を受け、古希を過ぎてもなお第一線。なんて幸せな人生だろう。長嶋茂雄を一方的にライバル視し、“月見草”なんて卑下してみせても、今どきの一般人はだまされないよ、野村さん。

小学館・1500円(税別)
(2006・3・13 宇都宮)

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下流社会〜新たな階層集団の出現
三浦 展 著

最近、周囲にフリーターやニートが多くないか? おまけに30過ぎても結婚する気が全くない男性が増えている。彼らの多くは正規雇用者ではなく、収入が安定しないから家族を養えない。だから、学生時代から変わらないライフスタイルで、気ままな独身生活を続けている。でも、そんな彼らって40歳や50歳になったとき、いったいどうなるの? 貯金もないし、病気したとき看病してくれる家族もいない。老後の年金ももちろん貰えない。そんな人たちが数十万人、数百万人になったとき、日本社会はいったいどうなるの?!
・・・と、私たちが日頃感じているこんな疑問を、世代別・収入別・雇用形態別調査などのデータを駆使して裏づけて見せたのが本書。読み始めてすぐ、「こりゃベストセラーになるわ」と思った。誰もが薄々感づいている事象を固定化させ、その背景をわかりやすい言葉で説明してくれるのだから。
それにしても、今後下流社会を形成していくであろうフリーターやニートたちを生んだ社会とは、いったいなんなんだろう? 豊かであることは間違いない。明日にも飢え死にするかもしれない状況なら、ニートなんてやってられないはずだから。本書によると、子ども時代に物質的豊かさを最大限に享受した世代が、「がんばっても今以上の暮らしはできないから」と上昇志向をなくしたことがフリーターの増大を生んでいるらしい。しかも、彼らは生活コスト意識が著しく欠如しているため、「フリーターの収入では家族を養えない」ことに、実際結婚するまで気がつかないそうだ。こんな甘い(というかアタマの悪い)若者を育てたのは、どこの誰? 
以前から、今の20代〜30代前半の若者はかわいそうだと思っていたが、下流への道をなんの疑問も持たずに進んで行く姿は哀れでさえある。数十年後、彼らが働けなくなり、年金も貰えず生活保護を受けるようになる頃、それを支える若い世代が果たして存在するのだろうか? 団塊の世代、それに続く(私も含まれる)新人類世代の老後は安泰なのか? 
そんな疑問と不安ばかりが駆け巡る。

光文社新書・819円(税込)
(2006・2・16 宇都宮)

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「アッコちゃんの時代」
林 真理子 著

バブルの頃、“地上げの帝王”の愛人となり、その後著名な空間デザイナーを有名女優の妻から略奪した女子大生が存在した。彼女の名は“アッコ”。若さと美貌を武器に六本木の夜をとことん楽しみ、金と権力を持つ男たちはみな競ってアッコの心を得ようとした・・・
アッコは実在の人物。現在ではもう40近いが、いまだにその美貌は衰えず、中学生の息子とともに何不自由なく暮らしているらしい。
林真理子さんはアッコのような美人で魅力的な女性を好んで描く。今回はそれにプラスして、あの狂乱の時代を描きたかったのだろう。六本木で夜ごと繰り広げられる贅沢な遊びやパリでのブランドショッピングなど、ディテールがこれでもかこれでもかとばかり盛り込まれている。
しかし・・・残念ながら、作品にいつもの面白さがない。なぜだろう?
そもそもアッコの魅力が読者に伝わりきっていない。林真理子さんの作品に登場する女性は、仕事をもってこそ輝いている人が多い。アッコは女子大を卒業してもこれといった仕事をするわけでもなく、働こうとも考えない。かといって、別段自分から愛人を志願したわけでもなく、相手の金に目が眩んだわけでもない。相手がアッコに夢中になって口説きに口説き、断りきれなくなるだけ。要するに、人生にこれといったビジョンがなく、なりゆきに任せていたら男が寄ってきて贅沢させてくれただけなのだ。
これこそ“前時代の遺物”ではないだろうか。バブル直前、“お嬢さまブーム”というものが起こり、ブランドものをパパに買ってもらい、名門女子大に通うお嬢さまがもてはやされた。当時は私も「そんなものか」と思ったが、今では「人に買ってもらったブランド品で着飾って、いったいなにを自慢してるのか。自分で稼いで買え!」と考えてしまう。アッコの人生はお嬢さまブームの発展形に過ぎないのではないか。
時代は変わったのに、アッコは変わらない。それはそうだ。住まいも生活費も男が勝手に与えてくれる。今さら時給800円でパートに出られるわけもない。日課といえば、夜な夜な遊び友だちとともに酒を飲んで楽しく騒ぐだけ。ちなみに、アッコは有名人やIT長者など遊び友だちには事欠かないが、友人と議論したりすることは絶対ないという。表面的な人づきあいがとてもうまく、それが男を引き寄せる一因でもあるのだろう。・・・しかし、つまらなそうな毎日だ。
もうひとつ、アッコが魅力的に見えない理由、それは人を心底愛していないことだ。男たちからは愛されるばかりで、アッコもキライではないが、たいして愛してもいない。唯一愛したのは息子だろう。しかし、このあたりもあまり描けていない。
そんなこんなでやや期待外れな作品だった。

新潮社・1500円(税別)
(2006・1・8 宇都宮)

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「柔らかな頬」
桐野夏生 著

あの「OUT」の翌年に出版され、1999年に直木賞を受賞した作品。
のっけから物語に引き込まれ、最後までほとんど一気読み。読後感は、「とにかく疲れた」。いろんな意味でヘビーだ。
主人公のカスミは夫の友人・石山と不倫をしている。しかし、その不倫行為のさなかに、5歳の娘・有香が行方不明になった。不倫中は「子どもを捨ててもいい」と思ったカスミだが、現実に娘がいなくなると不倫相手との関係も自然消滅。その後の人生は、いなくなった娘を捜し続けるためだけに費やされ・・・
まず、カスミの人物描写が実によくできている。失踪事件が起きる前も決して恵まれた人生ではないが、強くたくましく、時にははるか年上の男性とも渡り合いながら生きていく。不倫も浮気ではなくお互いに本気。いずれは双方離婚して・・・と考えていた矢先の事件。事件さえなければ、彼女はもっともっと幸せになれたかもしれない。
そして、なんの手がかりもなく失踪した娘を捜し続ける数年間の描写がたまらない。「おそらく生きていない」と誰もが思っているのだが、母は捜さずにはいられない。なにもしないでいると気が狂いそうになるのだろう。夫は捜し疲れた様子が見える。捜索資金も底をついた。残された下の娘も不憫だ。だが、あきらめきれない。自分が「子どもを捨ててもいい」と思ったばかりに・・・という良心の呵責がカスミを責め立てる。
私には子どもがいないが、5歳の女の子がどんなに愛らしくて、どんなに頼りないか知っているし、その幼さで苦難にあうことを想像しただけで耐えられない。これを描いた著者の強さと勇気には感服だ。全体に冷徹な人間描写なのだが、冷徹なだけではここまで描けないし、想像力も働かない。
後半に登場する死病を患った元刑事の人物描写も面白い。娘を捜す母と、出世しか頭になかった元刑事。偶然が重なって交錯した人間関係だが、孤独な者同士、こういった関係もあるかもしれないと思った。
それにしても、この小説を読んで北朝鮮の拉致問題を思い出す人も多いのではないか。カスミは6年という年月を経て、人生の次のステップへ進む決意をした。しかし、拉致被害者家族は20年以上に渡って捜し続けた人たちばかり。途中であきらめた家族も少なくないとなにかで読んだが、ムリもない。残された人々にも人生を楽しむ権利がある。まさに事実は小説より奇なり、だ。

講談社・1800円(税別)
(2005・9・19 宇都宮)

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「電車男」
中野 独人 著

キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!
今、アキバ系男が大ブームだ。
その原因はもちろん本書。ネットから始まり、書籍→映画→テレビドラマ→舞台と、「電車男」のメディアミックスぶりには目を見張る。掲示板のスレッドやブログが本になる時代。プロのもの書きには生きにくい時代だが、シロートさんのカキコが面白いんだからしかたがない。読み始めた当初はオタク独特の用語に戸惑ったが、慣れると実に便利。気付いたら自分も普段の会話に使っていたりするから面白い(本物のヲタはそんなことしないか)。
年齢=彼女いない歴のオタク男だって、ちょっと勇気を出せば夢のような美女と恋人になれる。ストーリー&テーマはこれに尽きるが、そんなことは言われなくてもわかっている。ほんのちょっとの勇気と変わらぬ誠意、これがあればどんな女だってオチるに決まってる。確かにオタクは女性にバカにされる存在だろうが、つまらないプライドを持ちすぎるのもその原因のひとつ。本当にモテる男はつまらないプライドなんて、さらさら持ち合わせていない。
しかし、本書の成功は編集者の勝利だ。2ちゃんねるのスレという、いかにも手強そうな相手(しかも著作権のありかが相当あいまい)を本にし、それが売れると踏んだのだから。アスキーアートというネット上の絵文字が多出し、ヲタでない私にはこれも目新しかったのだが、印刷会社は苦労したそうな。スレの会話を出版できないかという発想は持てたとしても、未開拓の分野にあえて手を出し、予想外の苦労を乗り越えていける勇気と気概のある編集者は、実はそんなに存在しないと思う。「企画は欲しがるが、リスクは受け入れない」というのが、ここ最近の私の編集者観だから。

新潮社・1300円(税別)
(2005・8・29 宇都宮)

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「世界の中心で、愛をさけぶ」
片山恭一 著

2004年、売れに売れたベストセラーをやっと読むことができた。
ストーリーはみなさんご存じのとおり。海の近くの小さな町で暮らす男子高校生・朔太郎には、中学時代からつきあっている恋人・アキがいる。幼いながら真剣に愛を育む2人だが、アキが白血病に倒れ、朔太郎は永遠に彼女を失ってしまう。
とにかく今どきの高校生が見たら信じられないぐらい純な関係だが、作者の片山恭一さんは愛媛県出身の40歳代。70年代の四国の小さな町が舞台だとしたら、そんなものかもしれないと思った。
ウブで純真な交際をする2人にも最後の一線を越えるチャンスはあるのだが、朔太郎はアキに強要することができない。まあ、そうだろう。本当に好きなら、強要なんてできるもんじゃない。ただ、アキの言葉「ゆっくりと一緒になっていきましょうね」は、高校生どころかオトナの女にも言えないセリフだ。性急に結果を求めるご時世だから、ゆっくりしていては男女の仲も進まない。まだまだ2人には時間がたっぷりあるという前提のセリフで、結末を考えると悲しみが増す効果もあるが。
それにしても、この小説がなぜここまで売れたのか?
ストーリーはありきたり。構成もフツー。しかし、ラストでは私も思わず涙してしまった。アキが亡くなるシーンも朔太郎が号泣するシーンもないのだが、朔太郎の淡々とした1人称語り口調に、語られていないシーンを想像させる力があるのだ。あえて文字にしなかったシーン、行間で泣かせるというか。また、1つ1つのエピソードが目に浮かぶようにやさしく語られる。このあたりは作者の文章力としか言いようがない。
ひとつ違和感を覚えたのは、アキの両親の描写だ。ひとり娘を亡くすという人生最大の不幸に直面しながら、妙に冷静で(特に母親が)淡々とし過ぎている。正直言って、恋人を亡くすより子どもを亡くす方が絶対ツライと思う。恋人の代わりは見つかるかもしれないが、子どもの代わりなんて絶対見つからない。現に朔太郎はアキを美しい思い出にして、現実の恋人と手を取り合って未来へと歩いていこうとするではないか。もちろん、生きている人間はそうあるべきなのだが。
「マディソン郡の橋」を読んだときも感じたのだが、"純愛"がこうももてはやされる。世の中、そんなに"純愛"が少ないのか? 相手のことが本当に好きなら、誰にだって"純愛"はできると思うんだけど。

小学館・1400円(税別)
(2005・8・15 宇都宮)

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「収容所から来た遺書」
辺見じゅん 著

今夏は戦後60周年記念ということで、太平洋戦争を振り返るお芝居が多かった。そのひとつ「ダモイ〜収容所から来た遺書」というお芝居を見た後、登場人物のもっと詳しい背景が知りたくなり、原作である本書を読んだ。
第二次大戦後、ソ連軍によってシベリアに連行された日本人捕虜は約65万人。軍人だけでなく、満州に住んでいた民間人も少なくなかったという。彼らは酷寒のシベリアで肉体労働に従事させられ、次々と死んでいった。抑留期間が数年に及ぶと、帰国への希望を失い、自暴自棄になる者も現れる。そんな中、あくまでも明るく希望をもってダモイ(帰国)の夢を語っていたのが、満鉄に勤務していた山本幡男さん。ロシア語に堪能でありながらソ連側に媚びず、あくまでも自分の信じる道を進んだ山本さんは、収容所では異彩を放っていた。しかし、その姿に、人への信頼や希望を失いかけていた仲間たちが勇気を与えられ、長い捕虜生活を耐え抜いた様子が関係者の証言をもとに再構成されている。
残念ながら、山本さんは病に倒れ帰国することができなかったが、その遺書は仲間たちによってあらゆる方法で遺族に手渡す努力がされた。文書を残すことはもちろん、文字を書くことも許されなかった収容所生活で、遺書を日本に持ち帰ることがどれほど困難で危険だったか、読み進めるうちにその苦労がしのばれる。しかし、わが身の危険を冒してでも遺書を届けたいと仲間たちに思わせた山本さんの人柄、才能には、感服のひとこと。ぜひ1度、生きておられる間にお会いしたかったと、誰もが思うのではないだろうか。
過酷な収容所生活の中、山本さんは密かに俳句の句会を毎週開いていた。文字を書くこと自体が禁止されているから、木の枝で地面に句を書いたり、土嚢袋の切れ端を綴ってお手製ノートを作ったりと、涙ぐましい工夫がされたという。それでも句会は大盛況。仲間のひとりが句会に参加することで人間らしい心を取り戻し、シベリアにも美しい青空が見えることにやっと気づいた下りは感動的だ。
また、正月には日本を思い出して鏡餅の代用品を作ったり、インテリ層出身の捕虜がロシア語講座を開いたりしていた事実を知り、どんなに抑圧された環境でも、人間は人間らしい営みを求めるのだと再認識した。腹の足しにもならない句会や講座などの文化活動が、飢えや病苦、無気力をやわらげることもある・・・本当に人間って素晴らしい。地獄にあっても、人生捨てたもんじゃない。素直にそう思った。
戦後60年たち、シベリア抑留経験者の方々は少なくとも80歳を超えるだろう。10年以上前に出版された本書を今ごろ読んだ私が言うのもなんだが、1人でも多くの抑留経験者がご存命のうちに、1人でも多くの日本人に読んでもらいたい本だ。

文藝春秋
(2005・8・15 宇都宮)

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「私たちの愛」
田原 総一朗・田原 節子 著

「サンデープロジェクト」「朝まで生テレビ」などの仕切り役でおなじみのジャーナリスト・田原総一朗さんと妻・節子さんが、自分たちの27年間の愛の軌跡を語った。
田原さんと節子さんは再婚同士。節子さんは元日本テレビのアナウンサーで、ウーマンリブ運動にも傾倒した、当時としては時代の先端を行くキャリアウーマンだった。
20代後半に仕事を通じて知り合い、お互い気になる存在だったという2人だが、当初はどちらも結婚しており、それぞれ娘も生まれていた。にもかかわらず、度々2人で会っては仕事上の意見を交換するうちに、やがて不倫の関係へ。お互いの家庭は壊さず、しかし周囲の目を気にすることなく続いた関係は20年にも及び、節子さんの離婚、田原さんの前妻の乳ガン死の後、双方の娘の許しを得て再婚することになった。ところが、やっと夫婦になって10年もたたないうちに、今度は節子さんが乳ガンに。限りある命を睨んで、2人の恋愛物語を残そうと本書の出版に至ったらしい。
それにしても、この関係をどうとるか? 読む人によって、大きく意見が分かれるところだろう。
ただの不倫にしては長く続いているし、「魂が呼び合う関係」と言ってもいいような、密な人間関係だ。要するに「出会うのが遅すぎた」のだろうが、2人とも家庭があり、子どものためにもこれは壊せない。かといって別れることは考えられず、結局2人で過ごせるアパートを借り、そこで気兼ねなく会うようになった。
お2人とも私の親の世代に相当し、結婚時期が今よりもずっと早かったことがアンラッキーだったかもしれない。特に節子さんは将来を嘱望されたエリートサラリーマンと結婚し、その背景には計算もあったと自ら認めておられるのだから、「それなら家庭が壊れてもしかたないよね」と思ってしまう。一方、田原さんは下宿先の年上の従姉と結婚したというから、もう「そういう時代だったんだね」と言うほかない。やはり結婚は晩婚の方がいい。これだけ少子化が問題視されてもそう思う。
それにしても、男と女の関係ってムズカシイ。特に田原夫妻のように、仕事でお互いを認め合い、尊敬しあう気持ちが男女の愛に変わった場合、「運命の相手」だと思い込むのもムリはない。いや実際、「運命の相手」なんだろう。そう判断できるのは、本人たち以外いないんだから。
本書を読んだ人はみんな思うことだろうが、田原さんの亡き前妻の話をぜひ聞いてみたい。年下の従弟がわが家に下宿し、やさしく気遣ううちに男女の愛に変わったという前妻にとって、田原さんがやはり「運命の相手」だったのではないのだろうか。

講談社・1575円(税別)
(2005・6・19 宇都宮)

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「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」
J.K.ローリング 著
松岡 佑子 訳

ようやく「ハリー・ポッター」第5巻を読み終えた。
去年9月の刊行直前、地元の図書館に予約を入れた本書が私の手元にやってきたのは9ヵ月後。その間、書店には「不死鳥の騎士団」のショッキングピンクの上下巻セットがスペースというスペースに平積みされ、「売れ残っているんだなぁ」としみじみ感じさせられた。初版290万部という強気の数字と、出版界の常識を超えた買取制度を採用した結果が、書店の店頭をピンクに染める異様な風景につながったわけだ。
最新情報によると、作者のJ.K.ローリングはすでに第6巻を書き終えたらしい。すると1年後、またあの風景が書店で見られるのか? 小説の内容以外にこんな話題も提供してくれる、やはりハリポタはオバケシリーズだ。
場外の話題が先行したが、ハリポタ自体の質は落ちていない。
相変わらず綿密に計算された伏線。しっかり練られた人物描写。クライマックスへと導く起伏をつけた構成。
もし、ハリポタの売上部数が年々落ちているとすれば、安定した手法が飽きられてきたのかもしれない。クィディッチで勝つのはいつもグリフィンドールだったり、ラストに必ずヴォルデモード卿との対決があったりする、お約束の展開が。
しかも、ハリーは思春期の難しい時期を迎え、作者はこのあたりもきちんと描こうとした(ハリーのそうした姿を読みたくない読者も存在するだろうが)。しかし、ハリーをあくまでも等身大のヒーローとして描く姿勢に、私はエールを送りたい。書き手にしてみれば、理想のヒーローにしてしまった方がよほどラクだろうに。
ところで、第6巻のタイトルは「ハリー・ポッターと混血のプリンス(仮題)」らしい。混血のプリンスっていったい誰のこと? と、早くも次を読みたくなってしまう。ハリポタシリーズの膨大な登場人物を実は私はあんまり覚えていないのだが、すでに登場した人物か? 未知の人物か? それともハリー自身のことなのか? 
その答えが判明するまで、また発売から9ヶ月を要するのかもしれない。

静山社・上下巻4200円(税別)
(2005・6・19 宇都宮)

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「プロ論。」
B-ing編集部 編

カルロス・ゴーン、三木谷浩史、櫻井よしこ、古舘伊知郎、糸井重里、秋元康、鈴木光司、高橋がなり、和田アキ子・・・各界の錚々たるメンバー50人にインタビューした内容をコンパクトにまとめた1冊。もとはリクルート刊行「B-ing」の「巻頭インタビュー 21世紀を働く」に掲載されたものなので、内容は仕事論が中心だ。語り手は功なり名遂げた有名人ばかりなので、当然成功へのアドバイスを尋ねることになる。自分はいかにして今のポジションについたか。転職に悩んだときはどうすればいいか。どんな20代を過ごしたか、などなど。
これだけのメンバーなので、ひとりひとりにストーリーがあり、50人分読んでも全く飽きることがない。むしろ、もっと深く聞いてほしい、これだけの字数ではとても語り尽くせていないと感じるページが多かった。しかし、そもそもが各人の仕事論で本が1冊書ける人ばかり。それを就職情報誌の巻頭インタビューにまとめたんだから、語り尽くせるわけがない。むしろ3000字程度の原稿にまとめたライターの力量をほめるべきだろう。
私もライターの端くれなのでわかるが、中身の濃い取材をしたときは「あれも書きたい、これも書きたい」で、結果的に焦点のボケた原稿になりがちだ。惜しいと思う気持ちを抑えてエピソードを削り、純度の高いエキスだけを搾り取る作業が繰り返されたと推測した。
各インタビューの最後にまとめ的に入れられた「成功の哲学」も、わかりやすい言葉だが内容は示唆に富んでいる。転職に悩む20代の人に読んでもらいたいが、20代ではわからない真実も多いかも。私がそうだったように。
個人的には堤幸彦氏、北村龍平氏のインタビューが印象に残った。奇しくも両氏とも映画監督。過酷な競争を勝ち残ってクリエイターとして名を馳せた生き様に惹かれるのかもしれない。

徳間書店・1600円(税別)
(2005・5・23 宇都宮)

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「ハッブル望遠鏡の宇宙遺産」
野本 陽代 著

子どもの頃から天体写真を見るのが好きだった。当時見たもので印象に残っているのは、こと座のリング星雲、オリオン座の馬頭星雲、そしてアンドロメダの渦巻銀河といったところ。星雲や銀河の写真数は限られていたし、ピントがボヤけていたりモノクロだったりしたが、それでも子どもの空想力をかきたてる力が天体写真にはあった。
本書に掲載されている天体写真は、とにかく種類が豊富でバラエティに富んでいる。数十億光年かなたの深宇宙の銀河団を見ることができるようになったし、超新星爆発の名残りや衝突する2つの銀河の様子も見ることができる。画像処理技術の進歩のおかげで、それぞれの写真は細部まで鮮明かつクリアだ。
しかし、宝石のような銀河や星団は何千光年・何百万光年の彼方にあることがほとんど。人類は最後までそこに行き着くことができず、今の私と同じように眺めるだけで終わってしまうのではないかと、切ない気持ちになる。それに比べて太陽系の惑星たちは親しみやすい。近い将来、きっと人類は木星や土星を訪れるはずだから。
人々の想像力を刺激し、天文学の発展に大いに貢献してきたハッブル望遠鏡だが、今年で15年の寿命を迎え、近くミッションを終了する。スペースシャトルの宇宙飛行士によるバッテリー交換やジャイロ(姿勢制御に必要な装置)修理も検討されたが、予算不足を理由に現在のところハッブルはこのまま打ち捨てられていく運命だという。宇宙探査を阻むのは、いつもいつも「予算不足」だ(国際宇宙ステーション計画に莫大な予算がかかるのも、もちろん理解できるのだが)。アメリカだけに頼らずに、もっと予算面での国際協調はできないものか。

岩波書店・1000円(税別)
(2005・5・20 宇都宮)

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「テンダー・ラブ〜それは愛の最高の表現です。」
日野原 重明 著

日野原重明さんはすでに200冊ほど著書を出版されたという。それだけ本が売れるから出版できるわけだが、売れる理由もよくわかる。私の場合、精神的に疲弊したときの癒しに、日野原さんの本が読みたくなるから。あのやさしい語り口調の文章が読みたい。「人を赦す」「人を責めない」姿勢に触れたい。そう思っている読者が、日野原さんの新刊で、しかも「テンダー・ラブ」なんてタイトルがついている本を見つけたら、それはすぐに手に取って読むだろう。私がそうだったように。
それにしても、なぜこうも次から次へと日野原さんの本を読んでしまうのか? 60過ぎて第二の人生を前に戸惑う人が、理想的な年のとり方をされている"スーパー90歳=日野原先生"からなにかを学ぼうと、次から次へと読み続けていくのはわかるのだが。こうなると、もはや日野原中毒? 90歳を過ぎた日野原さんがいつまで著作活動を続けられるのか、不安に思っている読者も多いのではないだろうか。
内容はいつもと同じく、ホスピスで出会った患者さんや友人・知人から得たエピソードを綴ったもの。テーマが「テンダー・ラブ」なので、さまざまな愛のかたち(親子愛、夫婦愛、友情、師弟愛など)の実話を紹介し、コメントする。若くして末期ガンに冒された母親が幼い子どもたちに遺した愛情話には泣けるし、長年連れ添った夫婦がお互いに示す愛情にも心が温まる。
愛情に包まれて育って、今も愛情が"不足"するということもないはずなのに、やっぱりもっと愛情がほしい。人間というのは、愛情に対して本当に欲深い。幼い子どもは親の愛や周囲の愛をしゃにむに独占したがるが、大人になってもたいして変わらない自分に気づかされる。そして、そんな人間(たぶん大多数がそうなんだろう)が、日野原さんのような他人に向けて愛情や労力を注げる人の心に触れたがる。
やっぱり売れるわけだ。

ユーリーグ・800円(税別)
(2005・4・18 宇都宮)

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「介護入門」
モブ・ノリオ 著

2004年度芥川賞受賞作。受賞作品ばかり狙って読む趣味はないのだが、テーマが「介護」とあって手に取った。
下半身不随の祖母を、母と2人で自宅介護する「俺」は、30歳前の無職の金髪男。祖母の介護の合間に好きな音楽に耽溺し、マリファナを吸う毎日。祖母の様子に一喜一憂し、無理解な親族を罵倒し、いつ終わるとも知れない介護生活が続く・・・
介護の現場の描写がリアル。想像で書けるものではないので、ほとんどすべて実体験に基づくのだろう。
いちばんの読みどころは、ラップの歌詞をそのまま小説にしたような文体。独特の持ち味なのだが、これだけではすぐに飽きられてしまう。著者にとって本作は正真正銘の処女作らしいので、2作目以降が苦労しそうだ。
小説の中には、介護の現場を知る者にとってドキッとするような一節もあった。以下はその引用。
「介護入門 一、誠意ある介護の妨げとなる肉親には、如何なる厚意も期待するべからず。仮にそのような肉親が自ら名乗り出て介護に当たる場合は、赤の他人による杜撰さを想定し、予め警戒の目を光らせよ」
「介護入門 一、派遣介護士の質は人間の質である」
確かにヘルパーの質は人間の質だ。いい例も悪い例も、私だって見てきた。
さらに身につまされたのは、おむつ交換時の体位変換が原因で母が腰痛に苦しむ下り。昇降機能のある介護ベッドの床面をアップさせ、腰痛を起こしにくい体位変換のコツを知ったとき、「俺」はこう叫ぶ。
「間一髪、俺は死を逃れた! 俺は覚醒した!」
なにも知らない人は「なにをおおげさな」と思うかもしれないが、慢性の腰痛を逃れたときの気持ちは確かにこれに近いだろう。20代男性にしてこの感慨なのだから、老々介護の介護者はどんな状態だろうとため息が出る。本文中にあるように、昇降ベッドの高さ調節をしっかり行い、ラクな方法を学ぶのがいちばんなのだが。
それにしてもこの小説、介護を知らない人にはどんなふうに読めてしまうのか? そのあたりが知りたい。

文芸春秋・1000円(税別)
(2004・11・11 宇都宮)

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「負け犬の遠吠え」
酒井 順子 著

いや〜、とにかく面白かった。ベストセラーになるのもナットク!
著者の定義によれば、負け犬とは未婚、子なし、30代以上の女性のこと。
現在都会に生息するキャリアウーマンの中に負け犬は多く存在し、それなりの職と収入を得て、「いい人がいれば結婚したい」と口癖のように言いながら、負け犬友だちとツルんで過ごす。
対して勝ち犬とはそれ相応の男性と結婚し、子供を産み育てている女性のこと。裕福な家庭の有閑マダムからパートに明け暮れる人まで勝ち犬の生活レベルは幅広いが、勝ち犬は勝ち犬。負け犬は「私の方が経済力もあるし、人に見られる分小ギレイにしてるわよ!」などとキャンキャン吠えず、素直に負けを認めるべし。いや、もう認めちゃった上で、なぜ負け犬は負け犬になったのか、自分たちを分析してみましょう。・・・という内容だ。
負け犬女性の典型的立場である著者は現在30代後半。自らの人生を振り返って、「30ン歳にもなって結婚もしてないし、子どもも産んでない。こんなはずじゃなかったのに!」と思う気持ちはよくわかる。しかし、若い頃からキャリアを積み上げて、それなりの収入も評価も得、ファッションにも趣味にも自由にお金を使うことができ、独身生活が長い分、恋愛経験も勝ち犬より豊富。そんな負け犬生活が面白くないわけがない。ただ単に「夫」「子ども」というアイテムが欠けているだけ。・・・つまり、負け犬は勝ち犬のことを全く羨ましいと思ってないわけで、負け犬人生から降りるつもりもない。徹底的に卑下して見せるのは、家庭の維持や子育てという地道な作業を髪振り乱して続ける勝ち犬に突っかかってこられたら面倒だから。
本書中で挙げられる負け犬の特徴も、「そうそう、そうなんだよね」「いるいる、こんな友だち」という内容ばかりで笑えた。曰く、「"やらずに後悔するぐらいなら、やって後悔した方がいい"は負け犬の口癖」。これを座右の銘にしている負け犬は私の周りにも多い。
ちなみに、私は未婚ではないがメンタリティは本書に描かれている負け犬そのもの。ぜひ負け犬の仲間に入れてほしい。勝ち犬の中に入ったところで、浮きまくっている自分が目に浮かぶ。友人にも負け犬が多いし、勝ち犬友だちより負け犬友だちの方がおしゃべりしていても面白いのだ。
余談だが、「オスの負け犬」についても大きく5つに分類されるそうで、その下りもうなずける内容ばかり。私の周りでいつも話題になるのだが、30代以上の独身女性は「どうしてこの人が結婚できないの?!」と不思議に思うぐらい素敵な人が多いのに比べ、独身男性は「やっぱりね。そりゃあんた残るわ」と納得できる人が多いのだ。ここで少しその答えがわかったような気がする。

講談社・1400円(税別)
(2004・10・10 宇都宮)

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「蹴りたい背中」
綿矢 りさ 著

2004年度の芥川賞・直木賞が先日発表されたが、残念ながら2003年度ほどのインパクトはなかった。第130回芥川賞授賞式の映像はそれほど強烈だった。受賞者は19歳と20歳の女の子。今風のミニスカスタイルで堂々と会見した結果、本は売れに売れた。滅多に純文学を読まない層まで買って読んでいた。そんな読者層のひとりから、まわりまわって私のところにこの本はやってきた。
ストーリーはどこにでもいる、ごく普通の女子高生の学校生活だ。孤独とプライド、どこからともなく湧き起こる感情を自ら何度も吟味しつつ、ときどき抑え切れなくて走り出す主人公。そんな彼女の平凡な日々の出来事を繊細な筆致で丹念に描き、しかも退屈せずに最後まで一気に読ませる力がある。なるほど、これは確かに「才能」だと思った。
振り返ってみれば、私の高校時代も学校生活が人生のすべてだった。クラスでの友だち関係や自分の位置づけに、今から思えばバカバカしいほど敏感に反応した。授業の合間の10分間の休憩時間を、死ぬほど長く感じた経験もある。まさに、この主人公のように。おしゃべりする友だちがいないなら、本を読めばいいし、机に突っ伏して昼寝をしてもいい。探せばやることはあるはずだ。ところが、この世代は他人の目が異様に気になる。他人の目に自分がどう映るかが、価値判断の基準だったりする。だから、息苦しい。
つまり、それほど10代という時代は視野や活動範囲が狭い。過ぎてみればどうってことないのだが、真っ只中にいる本人は夢でうなされるぐらい悩んでいる。こうした過ぎてみればどうってことない事柄を、過ぎていない10代の作家が書いたことに意味があるのかもしれない。主人公が感じる息苦しさを、著者(この場合、主人公とイコールだ)の中できっちり消化しないと小説というカタチにはできないし、視野の狭さはところどころに感じられるものの、視野の壁を超えた真実の方向性もきちんと見えている。
著者の綿矢りささんは現在大学生。若くして世に出たことの大変さを、これからずっと受け止めていかなければならない。願わくば順調に成長して、今度は大人の女を主人公にした小説で私たちを楽しませてくれますように。

河出書房新社・1000円(税別)
(2004・7・25 宇都宮)

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「死の壁」
養老 孟司 著

昨年、大ベストセラー「バカの壁」を読んだのだが、正直に告白すると私にはどうもピンとこなかった。ひとつひとつのエピソードはわかるのだが、全体になにが言いたいのかストレートに伝わってこないのだ。しかし、マスコミの書評では絶賛の嵐。お堅いイメージの新書が売れに売れ、著者はテレビCMにまで登場する勢いだ。
当然のことながら、私は自分がこの本をすんなり理解できない原因を考えた。哲学的思考に慣れていないのか、文章の理解力が足りないのか、はたまたアタマが悪いのか? これぞ"バカの壁"?! そうこうするうちに第2弾が発売され、「今度こそすんなり理解できるかしら」と手にとったのが「死の壁」だ。ひょっとして出版社の戦略にすっかり乗せられているのかもしれない。
著者は解剖学者という職業柄、数え切れないほどの死体を見ている。"死"について考える機会は、普通の人よりはるかに多い。そこで導き出したのが現代生活は"死"を想定せずに営まれているという考え。なるほど、書かれているとおりだ。現代人は"死"を身近に感じて生活していない。それは社会の裏の面にひっそりと息づいている。どんな人間でもいつかは必ず遭遇するものなのに。
この本を読んだ直後、同世代の友人がガンで亡くなっていたことを知った。家族以外に病気を知らせず、半年間の闘病生活で亡くなった彼女の仏前に参ったが、仏壇に飾られた写真を前にしてもまだ実感が湧かない自分が不思議だった。かくも"死"は現実感を伴わない。自分の"死"を前にしても、やはりそうかもしれない。まるで夢の中の出来事のように。こうして、"死"はますます現代人の目の届かない場所に追いやられてしまう。
こんな風に"死"を実感できないから、自殺も他殺も現実感を伴わず、小学生が自殺したり殺人事件を引き起こしたりしてしまうのか。なるほど、確かにそのとおりかもしれない。でもそんなことは養老さんに云われるまでもなく、みんな知っていた。
ところで先日、朝日新聞の書評欄にこの本が取り上げられた。つかみどころのない書評だったが、それは本書につかみどころがないせいか。いずれにせよ、書評が書きにくくてしかたない。

新潮社・680円(税別)
(2004・6・4 宇都宮)

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「僕が最後に言い残したかったこと」
青木 雄二 著

昨年秋、「ナニワ金融道」の著者・青木雄二さんがガンとの闘病生活の末に亡くなられた。そして、青木さんが黄泉路に立たれる前後に著書が次々と出版された。本書はそんな中の1冊。関西弁の語り口調で、青木さんの人生観・マルクス主義論・仕事観などが綴られている。
青木さんがマルクス主義者であることは有名だが、一体いつどこでマルクス主義の薫陶を受けたのか、本書で初めて知った。「今更マルクス主義?」と思う向きも多いだろうが、なるほど、「資本論」をここまで深く読んでのことなのだから、論調にも熱がこもるはずだ。「資本論」も読まずに批判する資格は誰にもない。
最も面白く読ませていただいたのは、仕事論と恋愛論。
版下業者として一時的に成功したものの、結局商売をたたんで長年の夢だった漫画家になったのが40過ぎのこと。漫画家としてはかなりの遅咲きだが、決して達者といえないあの絵柄に、なんともいえない個性とパワーを感じる人は多いはず。世に出るべくして出た人である。 版下業者としての独立のいきさつも廃業のいきさつもすべて参考になる。「今から思えば部下5人ぐらいの規模のときが、いちばん効率がよかった」と書かれていたのが印象的だ。会社というものはムダの宝庫。経営者の目が従業員全員に行き渡らなくなり、そこにムダと甘えが生まれたとき、利益は下降線を辿る。零細企業を営む人には身につまされる話ではないだろうか。
クリエイターをめざす若者には、「『いまどき何かを創ろうなどと思うヤツはそれだけで立派なもんや。好きにしたらええ』ということに尽きる。まあ『やめておけ』ということやな。そしてあえて言うけれど、『ただし表現するということの贅沢さは、忘れたらあかん』」と、辛口のエールを送る。
漫画家は若くして世に出る人が多い。なりたくてもなれない人は年齢とともに憧れが色褪せ、あきらめが心に覆い被さってくるもの。そんな中で中年になってから成功した青木さんが言うのだから勇気が出る。中年に至るまでの人生経験があってこそ、漫画家としての作品にも輝きが増したわけだから。
恋愛観は賛否両論分かれるだろうが、私は「こんな考え方があるのか!」と目からウロコが落ちる思いだった。結果として、若く美しい理想の妻をゲットでき、可愛いひとり息子まで恵まれたのだから、青木さんは勝ち組なのかも。
それにしても、亡くなられる前後にこうして著書の出版が相次いだのは、残された家族への精一杯の愛情表現だったのではないだろうか。全編にその思いが感じられる1冊だ。

小学館・1300円(税別)
(2004・4・23 宇都宮)

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「バカの壁」
養老 猛司 著

2003年のベストセラーで200万部以上の売り上げとか。何とも強烈なタイトルであり、それも売れた要因の1つではないかと思うが、このタイトルを思いついたのはベテラン編集者らしい。編集者大いに貢献というところだ。
話せばわかるなんて大嘘で、「バカの壁」があるために自分の知りたくない情報には耳をかさなくなると著者は言う。専門の脳の解剖学的なところから、教育・思想・哲学的なところにまで踏み込んでいる。簡単に流して読むこともできるし、深く熟考しながら読むこともできる。1つの話を深くというよりも様々なジャンルを取り上げているので、自分が特に関心を持ったところを念入りに読むというスタイルもとれるだろう。
私自身は「バカの壁」を読むまでは、この壁は外にあるものだと感じていたのだが、実は自分自身の中にあるものだと気づかされた。一元論に陥ってしまうことの怖さ、そして自分自身もいつそうなるかわからないことを意識していきたい。世の中に確実だと言い切れることなんてそうそうないのだ、と改めて感じさせられた。
ベストセラー必ずしも良書ではないが、この本はオススメである。

新潮新書・680円(税別)
(2004・3・21 藤原)

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「森まゆみの大阪不案内」
森まゆみ 文
太田順一 写真

著者の森まゆみさんは、暮らしの記録とイキのいい町づくりを目的に84年から地域雑誌「谷中・根津・千駄木」を発行。作家活動としての著書も多い。その東京生まれの彼女が、大阪都市協会の北辻稔さんの案内で大阪の町を歩き倒して綴ったものがこれ。
「大阪は見るとこおまへんなー」というアメリカ村の居酒屋主人の言葉に、「見るとこはないけど、歩くこと、やることはいっぱいある」と、鶴橋でチジミを食べたり、新梅田食堂街でビーフカツをほお張ったり、京橋で大トロに舌鼓をうったり、空堀でお好み焼きにパクついたり・・・。いやいや、食べてばかりではない。上町台地の寺や坂を巡ったり、平野の町人から町づくりへの思いを聞いたりと、さすがに地域雑誌の編集人だけあって、そこに根付く文化やそれを守っている人々への眼差しはともて温かいものがある。そして船場ではアラベスク模様の近代建築や、歴史的建造物と屋上緑化という2つの魅力を持つ船場ビルディング、大卒の初任給が40円の時代に150万円もの寄付で建てられた綿業会館など、たくさんの近代建築も訪ねている。
大阪生まれ、大阪育ちの人にとっては「こんなの誰でも知ってるよ」の世界かもしれない。でも奈良県に住む私にとって、メインストリートから一歩入った路地裏や繁華街から外れた場所にうれしい驚きを見つけることは少なくなく、それゆえフツーの長屋などガイド本には載っていない庶民の生活臭が感じられるこの本は、読みながら一緒に歩いているような感覚をおぼえるのである。歩いた先々でその土地に詳しい地元住民の生の声から、そこに伝わる歴史をうかがい知ることができるのもポイントだ。
名所だけでなく、そんな、自らが楽しみながら歩いて感じたことを、素直に綴った本書は、こう言うと失礼だが、見た目はそこらへんのオバチャンといった彼女ならではの、親近感が湧くばかり。そして大阪をよく知る写真家・太田順一さんが捉えた1枚1枚のスナップがまたいい。

筑摩書房
(2004・3・21 伊藤)

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「職人気質をひとつ」
小山 織 著

大量生産による安くて手に入れやすいモノに囲まれた現代の暮らし。そこにひとつ加わるだけでいつもの生活がぐんと温かくて心地よいものに変わるという、職人の手仕事が全部で27アイテム紹介されている。
そのいくつかを挙げると―。刷毛引きによる格子模様が入った手漉き和紙を木の檜のフレームに張り巡らせた「江戸からかみのあかり」、無駄なものを一切省いた用の美が毎日いただくお茶の時間をより豊かなものにしてくれる「銅の茶筒」、優しいフォルムにほどこされた手縫いのステッチが味わいのある「手縫いの革バッグ」などなど。リビングで、食卓で、よそおいの場面で、と生活のいろんなシーンで活躍してくれるものたちは、長く手元に置いて慈しんでいきたいものばかりだ。
同時に各アイテムを手がける職人さんの言葉からは、ちっとも気負いの感じられない素朴な、でもモノ作りにかけた強い意志が感じられ、これぞ日本人の心なりという思いを起こさせる。こんな素晴らしい手仕事はもちろん観賞用ではなく、使ってこそ生きてくるもの。私自身も、大切にする塗りの椀やちょっとしたアンティークものの類も、飾っているだけでなくどんどん使っている。そこからまた自分なりの味わいが加味され、もっともっと大切になっていくのだ。
生活を、そして心を豊かにしてくれるのはやっぱり人の手の温もりによって誕生したもの、ということなのだろう。

日本放送出版協会・1500円(税別)
(2004・3・21 伊藤)

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「サッカー移民」
加部 究 著

1993年のJリーグ発足以来、日本サッカーは世界的に見ても飛躍的な進化を遂げた。
その要因はさまざまだが、サッカー王国ブラジルからやって来た助っ人外人たちの存在を見過ごすことはできない。メジャーどころでは現日本代表監督であるジーコや、日本に帰化して代表に選ばれた三都主アレッサンドロがすぐに頭に浮かぶが、その裏には一般に知られていないブラジル人選手たちがたくさんいたことをこの本で知った。
日本サッカーが低迷していた70年代、ブラジルでは南米サッカーが花開き、その影響を受けた日系人たちのリーグが存在した。親世代が日本から移住し、子どもの頃からブラジルサッカーの洗礼を受けて育った日系二世たちのアマチュアリーグだ。ウィークデイは学生やサラリーマン、自営業の日系二世たちが、土日はいろんなアマチュアチームに参加し、草サッカー試合をする。アマチュアとはいえ、日系人リーグの優勝チームは当時の日本代表より確実に強かった。それほど日本サッカーは低迷し、ブラジルでは底辺まで裾野が広くレベルの高いサッカーが展開されていたのだ。
日本リーグのスカウト担当者が日系人リーグに目をつけたのは至極当然の流れで、そこからネルソン吉村さんやセルジオ越後さんら日本でプレイする日系人選手が誕生した。「日本人にサッカーは向かない」と真顔で語られていた時代、同じ体格の日系人選手のテクニックは人々に衝撃を与えた。やがて日系人に限らず、ブラジルでプロ契約していた選手たちが日本リーグに所属するようになり、Jリーグ誕生に至るサッカーの土壌を徐々に固めていく。
スポーツの強化といえば国や組織ぐるみの強化策が注目されるが、地球の反対側から単身やって来て、選手生命が終わった後は少年相手のサッカー教室をコツコツ続ける元選手たちが存在するーーその事実に感動した。
言葉はさっぱりわからない。食べ物は口に合わない。文化があまりにも違う。サッカー環境も劣悪・・・そんな状況下で日本に馴染み、日本に住みついた選手が少なくないことも、日本人として嬉しかった。
本書中に登場する多くのインタビュイーの中で、最も印象に残ったのは元ブラジル代表キャプテンで日本リーグの日産(現・横浜Fマリノス)で活躍したオスカーの言葉だ。 「俺たちは硬い肉を食べたよな。それからJリーグが始まって、ジーコやリネカーたちが柔らかい良質の肉を味わえたんだ」
硬い肉を食べる人間が存在して初めて、後に続く者が柔らかい肉にありつける。サッカーに限らず、全てに通じる真理だ。

双葉社・1800円(税別)
(2004・2・11 宇都宮)

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「ゲームの名は誘拐」
東野 圭吾 著

広告代理店の敏腕プロデューサー・佐久間は渾身の企画をクライアントの葛城につぶされてしまう。葛城を恨んで荒れる佐久間の前に、偶然に現れたのが家出した佐久間の娘・樹里。親から遺産を先取りしたいと言う樹里と佐久間の狂言誘拐ゲームが始まる。
2003年に公開された映画「g@me」の原作。しかし、映画の原作だから手に取ったというよりは、「犯人の側からのみ描かれる誘拐小説」という帯コピーにつられて読んだ。狂言誘拐自体はそんなに目新しいネタではないが、誘拐事件といえば被害者・警察側から描かれるのが普通。犯人側は人質という最強の切り札を手中にしているわけだから、事件を進める上では絶対有利のはず。ところが、この小説は犯人側の焦燥感を細かく描き、犯人が知り得ない事実も山ほどあることを教えてくれた。
そもそも私たちの一般常識では、誘拐罪は罪状が重いわりには成功例がほとんどなく、「割りに合わない犯罪」だ。そのため、いくら人質が狂言だからといっても、アタマの切れる主人公がわざわざ割りに合わない犯罪に手を染める動機が必要。その点、佐久間が葛城に対して恨みを抱いていく過程は充分納得できるし、誘拐事件以外にも佐久間と葛城の間に接点を設けていく設定もウマイ。狂言誘拐=ゲームだと佐久間に思わせ、ゲームへと彼を駆り立てていく前半の細工が見事だ。
しかしゲームにほぼ勝利した時点から、佐久間はなんともいえない不安に苛まれる。それと同時に、読む側もラストのオチの不安に苛まれるのだ。頼むからオチは●△×■○▼だなんてことはなしにしてくれよ、と内心祈るようなキモチで次ページを開き・・・が! 見事にやってくれた。私も見事にだまされた。そういうオチを用意していようとは・・・!
東野圭吾さんの小説は「名探偵の掟」と「白夜行」しか読んでないが、どちらも傑作だった。特に「白夜行」では類まれなる構成力も堪能させていただき、本作で「読んで失敗のない作家」という確信がますます深まった。

光文社・1600円(税別)
(2003・12・31 宇都宮)

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「『クビ!』論」
梅森 浩一 著

今、リストラの恐怖に晒されている人、漠然と不安感のある人、そしてリストラとは縁のない職場にいる人、とにかくすべての働く日本人にオススメしたい本である。
リストラに向き合っている人には実務上の参考になるだけでなく、「自分だけではないのだ」と心の慰めになる。漠然と不安を抱いている人には、将来のリストラに備える指南書となる。リストラと縁のない人にも、外資系企業とはどういうところか、今日本が向かいつつあるビジネス社会はどういう世界なのか、垣間見ることができる。
著者は外資系企業でキャリアを重ね、若干35歳で外資系銀行の人事部長に就任。1000人に及ぶ社員のリストラに携わってきた「クビ切りのスペシャリスト」である。
ある日突然人事部に呼び出された社員に、どのようにクビを宣告するか。抵抗する相手をどう説き伏せるか。社員がどのように抵抗すれば、リストラを回避できるか。具体的に「そのとき人事部長室でやりとりされる会話」を再現し、典型的ケースからレアケースまで要所を押さえて説明してくれる。
私自身、「もっと早くこの本を読んでいれば」と思う知識もあった。また、それまで遠くてよくわからない世界だった外資系企業が、ようやくリアル感を持って想像できるようになった。そういう意味では「外資系企業の実態入門書」としても価値が高い。ちなみにごく一部をご紹介すると…
著書曰く、「外資系企業でリストラを回避することは、ほぼ不可能」だ。企業は社員を納得させ、次の職場へ向かわせるための方策をあの手この手で用意している。クビを宣告した瞬間、日本人は涙を流したり情に訴えたり、ウェットな反応を示すが、外国人社員は実に現実的。雇用保険から本国に帰る航空券のグレードアップまで、詳細に渡って会社側と交渉する。そして、これまでのキャリアを活かし、次の職場を探すことに全精力を傾ける。
外資系企業と日本企業の比較文化論も興味深い。
個人的な結論を述べさせていただくと、私は日本企業に勤めることができてよかった。外資系企業はスペシャリストを育成する。人事なら人事、営業なら営業と、最初に選んだ職業から離れることは、これまでのキャリアを放棄することになる。ところが、日本企業はジェネラリストを育てようとする。人事から営業への異動も珍しくない。社員は働きながら自分の適性を発見し、広い視野を持つことができる。なにより、能力云々以前にドラスティックな考えについていけそうにない。
若い頃は男尊女卑の職場の空気やアフター5の宴会の強要、働きの悪い年配社員にアタマにきたこともあった。が、今「外資か日本企業か、どちらか選べ」と迫られれば、選ぶのはおそらく日本企業。トシのせいなのか、経験から学んだためか、それとも骨の髄まで日本人なのか。自分の仕事人生を改めて見つめなおすきっかけにもなった。

朝日新聞社・1200円(税別)
(2003・10・24 宇都宮)

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「家族」
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会 著

北朝鮮による拉致被害者家族連絡会が初めて編纂した、それぞれの家族の物語。2002年10月に帰国を果たした5人の被害者の家族はもちろん、北朝鮮から「死亡」と連絡された被害者たちの家族7組の拉致前後の様子や、救出活動のいきさつがよくわかる。
本の構成は、2人の男性ライターが家族に取材を繰り返し、三人称で語るかたちをとっている。読み進むにつれ、取材に相当な時間をかけ、家族による綿密なチェックが繰り返された様子がひたひたと伝わってくる。1人の被害者には当然のことながら、2人の親がいる。兄弟姉妹も6人兄弟だったり8人兄弟だったり、現在の平均より多い人がほとんどだ。両親だけでなく、救出活動の中心になった兄弟にも何度も取材を行った形跡が文中から窺えた。
この問題に対し、政治家がいかにいい加減で無責任だったか、世間がいかに無関心だったかは、蓮池透さん著「奪還」でも実感していたが、さらにその確信が深まった。冷たい世間の対応にもめげず、救出を訴え続けた家族の愛情には改めて感動する。20数年という月日は長い。たとえ細々とでも活動を続けてきたから(残念ながら被害者の一部ではあるが)5人を取り戻せたのだと思う。
本書の中で特に印象に残ったのは、寺越昭二さん・外雄さん・武志さんのケースだ。日本海に出漁中に北朝鮮に拉致された3人は叔父と甥の間柄。漁村を挙げての捜索活動でも発見されず、葬式も済ませた3人だが、20年近くたってから北朝鮮より武志さんの手紙が届く。手紙は寺越家の人々に思わぬ事態を招いた。「漂流中を救出され、北朝鮮で幸せに暮らしている」という手紙の内容を、信じる者・信じない者に家族は分断。武志さんの母・友枝さんは最も熱心に東奔西走し、武志さんを訪ねて10数回も北朝鮮を訪問する。やがて武志さんは39年ぶりに一時帰国。「朝鮮労働党平壌市委員会副委員長」としての帰国は、行方不明の真相に遠い、欺瞞に満ちたニュアンスで報道された。武志さんは今だに真相を語ろうとせず、母の友枝さんも息子の言葉を信じている。一方、故・昭二さんの息子たちは脱北者・安明進氏の証言から「父は拉致当時に殺された」と疑い、家族会に参加。武志さん・友枝さんとは相容れない関係になってしまった。
息子可愛さに奔走する母の心情もわかるし、真相を知りたい息子たちの気持ちもわかる。最も報道される時間が少ないこの家族に、北朝鮮の国家犯罪がひとつの家族をズタズタにした典型例があったわけだ。それにしても書き手のスタンスが難しいこのケース、失礼ながらライターの苦労が忍ばれた。

光文社・1524円(税別)
(2003・10・13 宇都宮)

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「理由」
宮部みゆき 著

今や「国民的作家」とまで評される宮部みゆきさん。彼女の数年前のベストセラーを読んだ。
東京都心の超高層高級マンションで、一家4人皆殺し事件が起きる。被害者の身元はすぐ判明するものと誰もが思ったが、殺された4人は管理人すら把握していない人々だった。彼らはいったいどこの誰で、なぜ他人のマンションで暮らし、誰によって殺されたのか? 
本書の目新しい点は、マンションの部屋で殺されているのだから、当然被害者はマンションの住人だろうという先入観を打ち破ったこと。タネを明かせば、ローン返済が滞ったマンション名義人が計画的に夜逃げをし、「占有屋」と呼ばれる人たちを代わりに住まわせたことが発端なのだが、都心の高層マンションで近所づきあいがないため、住人の入れ替わりに誰も気づかない。
構成も目新しい。本書はミステリーの分野に属するが、いわゆる推理小説ではない。探偵役の人物も登場しないし、謎解きもない。ストーリーは事件が全面解決した後で、ルポライターが取材相手にインタビューするかたちで進行する。だから読者にも「もうおわかりでしょう」といった調子で、あっさりと犯人が判明してしまう。
しかし、これだけドラマティックな要素を盛り込まずに淡々と事件を描いて、なおかつ最後まで一気に読ませる面白さはいったい何なのか? 考えたのだが、宮部小説の面白さはやはり登場人物のリアルさにあるのではないか。数多くの人物が登場するが、ひとりひとりが息をして、日本のどこかで本当に暮らしているかのよう。つまり、紙背に登場人物の体温を感じる小説なのだ。
たとえば、私も都会の高層マンション住まいだが、隣近所とのつきあいがほとんどない。隣の住人が入れ替わっても、表札が変わらない限り数ヶ月は気づかないだろう。だからこそ、事件の設定も管理人の驚きもリアルに受け取れる。また、見栄を張って高級マンションを購入したものの、長引く不況でローン返済に行き詰まった家族のディテールも現代的。この、どこにでもいそうな一家の人物描写が特に秀逸だ。
要するに、宮部小説に登場する設定・人物はみな現代社会の縮図。これもまた、宮部さんが「国民的作家」と呼ばれる所以だろう。

朝日新聞社・1800円(税別)
(2003・8・29 宇都宮)

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「ニッポン人には日本が足りない。」BR> 藤 ジニー 著

公共広告機構のCMで一躍有名になった銀山温泉のアメリカ人女将・藤ジニーさんの自伝。
金髪女性が和服を着こなし、古びた温泉町で活躍する様子を描いたCMを初めて見たとき、正直度肝を抜かれた。東北地方の山間部の老舗温泉旅館に嫁ぐということは、日本人女性にとっても相当な覚悟を要する。そんな旅館女将の仕事を、子どもの頃から自由な気風と自己主張を叩き込まれたアメリカ人女性がこなしているのだ。本書は、ひとりのアメリカ人女性が一人前の女将になるまでの様子を、ジニーさんの語りで綴られている。
ジニーさんが山形で暮らしはじめたのは、派遣指導教師助手の仕事で2年間の赴任を命じられたため。日本文化に興味を持ち、京都や奈良を夢みていた彼女にとっても、「YAMAGATA」は未知の土地。そんな山形での生活に慣れた頃、スキー場で出会った藤旅館の跡取り息子に恋をし、人生が大きく変わった。周囲の驚きをよそに1991年に結婚。今年で女将業13年目になる。
全体を通じて最も驚き感心したのは、やはりジニーさんの適応能力だろうか。言葉の異なる異文化の国でひとり暮らしをするだけでも、普通の人ならかなり参る。ジニーさんがたまたま嫁いだ老舗旅館は、いうなれば日本文化の一大集合体。生活面の衣食住だけでなく、着物の着付けや華道・茶道の心得、郷土料理や歴史風土の知識など、学ぶことに際限がない。
胃の上を締め付けられる着物は最初は苦しくてしかたなかったこと。日本料理の美味しさはわかるが、作るのはやっぱり苦手であること。旅館での公私の区別のない生活がたまらなく辛かったこと。・・・そんな日本女性にもよくわかる苦労を乗り越えて、なおかつ自分流を貫こうとするアメリカ女性の気概がキモチいい。旅館経営の立場から自らがアメリカ人であることを積極的に利用している点も、合理的でわかりやすい。おかげで藤旅館は日本中から客が訪れ、大繁盛なのだという。
私がジニーさんの立場なら結婚当初は不安だらけだろうし、頼りにできるのはやはり夫しかいない。ジニーさんも同じだったようだが、本書によると「夫は結婚すると豹変した」。結婚した途端につきあいの酒席で毎晩の帰宅が午前3〜4時。新婚当初からほったらかしにされたジニーさんは、夫の両親と一緒にTVを見て夜を過ごしたという。釣った魚にエサをやらない日本人男性の典型的悪例で、同じ日本人として本当に恥ずかしい。ジニーさんも耐え切れずにアメリカまで家出したこともあったとか。ちなみに写真で拝見する限り、ジニーさんの夫はなかなかのハンサムで、どうやら最初に惚れたのはジニーさんのようだ。
見るからに苦労が多そうなこの結婚も、結婚するまではまだカンタン。やはり結婚後の生活が、よきにつけ悪しきにつけ「話せば長い」物語になりそうだ。

日本文芸社・1200円(税別)
(2003・8・26 宇都宮)

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「人生百年 私の工夫」
日野原 重明 著

90歳を過ぎてなお現役の医師として活躍されている聖路加国際病院理事長・同名誉院長の日野原重明さんは、売れっ子作家顔負けの著述活動でも知られている。新聞の書籍広告で名前を見かけるたびに、「売れる理由はなんだろう?」とフシギに思っていたが、1冊読んで理由がわかった。
本書を一読すると、「60歳」を人生の折り返し地点として捉えられている。一般的な日本企業の定年が60歳であることから、ひと昔前までは60歳=隠居老人だった。ところが、日野原さんは60歳からが新しい人生のスタートだと訴える。人生80年時代、老け込んで余生を過ごすには長すぎる。むしろ60歳を中年真っ只中と考えよう。新たな仕事につくもよし、ボランティアに精を出すもよし、趣味に生きるもよし。とにかく今まで走りつづけてきた疲れを癒しながら、人生を楽しもうというのだ。
定年後をアクティブに過ごす提言はこれまでにもあったが、「現代の60歳は中年だ」と現役医師が言い切る著書はほとんどなかったのではないか。90代にして日本全国を講演会で飛び回っている著者が言うのだから、余計真実味が増すというものだ。おまけに語り口調のような文章がやさしくて、読んでいて癒される。40代の私が「なんだかホッとした」「もっと読みたい」と思うのだから、老後の不安に怯える60代が次から次へと日野原さんの著書を手に取る気持ちがよくわかる。ベストセラーになるはずである。
ちなみに、私たち夫婦は60代以降の人生を楽しみにしている。特に、休日返上の激務に喘ぐ夫は、「年金生活で毎日釣りをしながら遊び暮らしたい」が口癖だ。20年後、果たして暮らしていけるだけの年金額が貰えるのか、夫は毎日遊び暮らして飽きないのか、夫婦ともそれなりに健康でいられるのか、なってみないとわからないが、日野原さんの著書を読むと「60代以降も悪くない」と思わせてくれる。

幻冬舎・1200円(税別)
(2003・7・30 宇都宮)

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「奪還 〜引き裂かれた二十四年」
蓮池 透 著

北朝鮮による日本人拉致問題は、昨年もっとも日本人の関心を惹きつけた事件だった。北朝鮮によって拉致された日本人が20数年ぶりに故国に帰還した映像は、この信じ難い事件が事実であること、20数年という月日が本当に経過したことを私たちに思い知らせた。もちろん、拉致問題はまだまだ解決の端緒についたばかりで、帰国した5人の拉致被害者の家族の問題も解決していないし、他の死亡宣告された被害者たちの生死の真偽も確認が進んでいない。そんな状況の中、「北朝鮮による拉致」被害者家族連絡会事務局長・蓮池透さんの手になる本書は、拉致問題がいかに遅々として解決に進まないものであるかを痛感させられる内容だ。
24年前、弟の薫さんが恋人の祐木子さんと忽然と姿を消してから、蓮池さん一家の闘いが始まった。通常の家出人捜索扱いでなにもしてくれない警察に頼るのをあきらめ、家族は写真片手に聞き込みを始めたが、一片の手がかりも得られない。やがて87年の大韓航空機爆破事件で拉致が確定的となり、97年の亡命工作員による横田めぐみさん拉致情報を受けて、初めて拉致被害者の家族が一堂に集まった。      
捜索活動に決定的な契機を与えたのが、拉致被害者家族連絡会の結成だ。ひとりひとりが声を挙げても国にも自治体にもマスコミにも相手にされなかったが、家族連絡会として登場すると俄然マスコミの注目が集まりはじめた。一方、著者たち家族連絡会は国だけでなく、自治体の議会にも陳情や働きかけを繰り返していたという。数年前は相手にもしてくれなかった議員が、薫さんの帰国後はまるで旧知の仲のように歩み寄って来、著者の背筋が寒くなったという下りには、読んでいる私も背筋が寒くなった。これだけ長期間に渡り無為な努力を重ねさせられてきたことを思えば、北朝鮮を「無法国家」、日本を「無能国家」と呼ぶ気持ちも痛いほどわかる。
結局私たちは、世論が動かないと自国民も守らない国の国民なのだ。そして、これだけ世論が動いたのは、家族を突然奪われて嘆き悲しむ親たちの声に、見る人が心を動かされたからだ。私も何度も想像した。もし自分が拉致されていたら・・・? この身の不幸を嘆き、いっそ死んでしまいたいと思うだろう。もし弟や妹が拉致されていたら・・・? 取り戻す活動を地道に続けるだろうが、暗中模索の毎日にやはり絶望的な気分になるだろう。
著者の語り口は淡々としていて、むしろ男兄弟特有の距離感すら感じる。北朝鮮に残してきた子どもたちのことを思い、なかなか本音をしゃべれない被害者たちへの配慮もあるだろう。ひょっとしたら、弟が手の届くところに帰ってきたのに心はまだどこか遠くにある感覚なのかもしれない。
余談だが、実名で登場する政治家たちのエピソードが興味深い。政治家の資質は案外こんなところに正直に現れるのだろう。読み終えた後、日本には真の政治家がいないのか? と暗澹たる気持ちになるが。

新潮社・1300円(税別)
(2003・6・26 宇都宮)

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「小美代姐さん花乱万丈」
 群 ようこ 著

激動の時代を駆け抜けた、花柳界の人気芸者の波瀾万丈な半世紀を書き下ろした小説。
きれいで華やかな世界に憧れて自ら芸者となり、持ち前の明るさと達者な芸で一躍売れっ子となった主人公、美代子。まさに天職として活躍するが、戦争のために花柳界は衰退し、とうとう閉鎖。その後、結婚するも幸せは長く続かず、病気がちの両親と幼い子ども二人を抱え、果ては借金を背負うことに・・・。でもこんな辛いことでさえ、そのチャーミングな性格ゆえか、すべてがコミカルなエピソードになってしまうのがなんとも面白い。
実はこの主人公は、群ようこの三味線のお師匠さんなのである。練習の合間に聞く先生の経験談がそのままネタになるくらい面白いと思っていたところに、今回の本づくりの話がまとまりインタビューを開始。2年を費やしてようやく1冊になったという。だから物語はすべて実話。横田大観画伯の前で調子に乗って富士山を描いてしまったり、質の悪い客が素足の指に盃を挟んで「1杯飲めよ」と言ったのに対し、自分も足袋を脱いでニッコリ笑いながら「偏平足なので挟んでいただけますか」と返し、相手に「おめえ、怖い」とびっくりされる話などが次から次に出てくるが、どれもこれ本当?と思えるくらいにユニークである。
芸者というと、艶っぽい、もしくは貧しさのために売られた可哀想な女性というイメージがあるが、美代子はそのどれにも当てはまらない。サバサバしていて太っ腹で、でも情が深く、そして何にも増して芸1本で身を立ててきた度胸と自負がある。小説は50代のところで終わっているが、78歳の今も現役で三味線を手にしている彼女。その生き方は実に格好いい。

 集英社・1400円(税別)
(2003・7・4 伊藤)

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「負けてたまるか 〜肺ガン刑事の長生き闘病記」
腰原 常雄 著

著者は元神奈川県警捜査一課長。敏腕刑事として仕事一筋に邁進していた42歳のとき、職場の検診で、肺に黒い影が発見される。医者の診断は「手術しなければ3年、しても5年の命」。思いも寄らない宣告に著者はガンノイローゼ状態になり、仕事へと逃避した。しかし3年後、ついに覚悟を決めて片肺切除手術を受ける。以来5度の入院、7度の手術を繰り返しながら、刑事職に復職。病院通いとは片時も縁が切れない状態で、捜査一課長、横浜市内の署長と昇進を続けて退職。現在、71歳という。
退職後に綴った自分史が賞を受け、今回の出版につながったという。ベストセラー作家の作品でもなく、特に宣伝されたわけでもない本書を世に広めたのは朝日新聞の天声人語。私も天声人語で本書の存在を知り、30年間に渡って肺ガンと闘い続けた刑事のことが知りたくなったクチだ。
著者が最初に入院したのは昭和40年代。肺の影がガンと確定できないまま、結核病棟に数ヶ月間送り込まれたという。本書に描かれた当時の結核病棟の様子は、患者の権利や尊厳などどこにも見当たらず、医療の理想と現実の差に慄然とする。
病との闘いに立ち向かう活力源となったのは仕事への執着心だ。親友と信じていた同僚から退職勧告を受けたことが「あと3年」の余命宣告より辛かったと綴る彼は、骨の髄まで刑事。手術の後遺症で声を失い、刑事として役に立たない日々が病院での闘病より辛かったのも頷ける。後日、中国鍼の治療でしわがれ声が少し戻り、第一線へと復帰する足がかりになった。
「あきらめなければ、奇跡は必ず起きる」
何度も文中で繰り返されるこのフレーズに、現在闘病中の人々やその家族がどんなに励まされることだろう。「あと3年」と宣告されたにもかかわらず30年間生きた人が言うのだから、説得力が違う。人間、精神力だ。現在闘病中でなくても、生きる目標を持つ大切さを教えられた思いだ。

二見書房・1500円(税別)
(2003・6・16 宇都宮)

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「ラッキーマン」
マイケル・J・フォックス 著
入江 真佐子 訳

80年代後半から90年代初めにかけてコメディ映画で一世を風靡した役者が、突然スクリーンから姿を消した。多くの人々が抱いた「なぜ?」という疑問は数年前に小さな新聞記事で解けた。30そこそこの若さでパーキンソン病という難病に冒されたのだという。役者の童顔とパーキンソン病のイメージがどうにも重ならない私のような人も多いと思うが、本書には病の進行の様子が克明に綴られている。
マイケル・J・フォックスがパーキンソン病の最初の徴候である手のふるえを感じたのは91年。映画の撮影中のことだった。その後7年間、病気を隠しながらテレビの仕事を続け、98年にカミングアウトするまでの心の葛藤は想像を絶する。60〜70代で発症するケースが多いパーキンソン病に30歳・役者としてキャリアの絶頂に立っていたときに罹病したことも含めて、マイケルは「それはとてもラッキーなこと」だという。妻や子どもたち、親、兄弟、友人など周囲の人々の支えがあり、病気に前向きに立ち向かえる自分はラッキーマンだと語る下りに感動した。
カナダ西部で生まれ育った少年時代のこと、ハリウッドでの下積み時代、TVシリーズ「ファミリータイズ」で全米の人気者になり、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズで世界中にその名を知られるスターになったこと、ハリウッドスターならではの"びっくりハウス"のような毎日など、闘病以外のエピソードも興味深い。
私はマイケル・J・フォックスと同世代なので、彼の人生がそのまま自分の人生に重なるような気がする(彼自身、ファンからそう言われることが多いらしい)。86年お正月公開の映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は、結婚前の夫と映画館で見た。90年に初めてニューヨーク旅行したときは、タイムズスクエアで「ハード・ウェイ」の撮影現場に出くわした。本書によると、当時の彼は自分の将来への不安におののいていたという。いつまでこの人気が続くのか。いつまでスターでいられるのか。成功した者のみが味わう痛烈なプレッシャーに脅かされながら、次から次へとオファーに飛びついた挙句の「ハード・ウェイ」は完全な失敗作だったと振り返る。このあたりの正直な告白にも心が動いた。
もう10年以上、彼の姿をスクリーンで見ていないが、映画俳優以外の道でも常にラッキーマンであってほしい。彼だけでなく世界中のパーキンソン病患者のためにも、1日も早く特効薬が生まれることを祈らずにはいられない。

ソフトバンクパブリッシング・1600円(税別)
(2003・5・30 宇都宮)

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「アースシーの風 ゲド戦記X」
アーシュラ・K・ル=グイン 著
清水 真砂子 訳

ファンタジーの傑作として知られるシリーズの最新作。四半世紀前に出版された3部作で完結したものと思っていたが、数年前に第4部「帰還」が書き下ろされ、今年本書が出版された。
主人公の魔法使いゲドが生まれ故郷のゴントに隠居して数年。アースシー世界に竜が現れ、新たな危機の予感が走る。レバンネン王は竜との話し合いを持つべく、ゲドに使いをやるが、ゲドは自ら動かず、妻のテナーと養女のテハヌーを王のもとへと遣わす。テハヌーは竜の言葉=太古の言葉を生まれながらに話すことができた。
著者の筆力はあのSFの名作「闇の左手」でも堪能済みだが、死者の世界を描くときにあますところなく楽しめる。にしても、アースシー世界の創造の逸話や竜の存在、死者の国のありようなど、哲学的に語られ過ぎてファンタジーとしては難解だ。それでも最後まで面白く読ませてしまうのは、シーンごとの情景の豊かさ・ストーリーの意外性がなせるワザか。
25年前、初めてゲド戦記を読んだときには、ゲドが黒い肌の持ち主であることにも気づかなかった。数年前に読み返す機会があり、相変わらずの面白さだったが、なぜかストーリーが記憶に残らない。これも間接表現が多く、難解で淡々とした描写のせいか。本書を読んで、やっとアースシー世界全体のなりたちが少しわかった。西の島々には竜が住み、東の島々には白い肌の人々が住み、世界の中心を黒い肌の人々と魔法使いが統べる多島海。ひょっとして、最終巻を読み終えたときがゲド戦記のスタートではないか。ここからもう1度、第1部から読み返すことで、私のような不肖の読者は初めてゲド戦記の世界が理解できるのではないだろうか。

岩波書店・1800円
(2003・5・12 宇都宮)

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「プレイ坊主 〜松本人志の人生相談」
松本 人志 著

新聞や雑誌の人生相談コーナーを読むのが好きだ。読者からの質問内容にはその人の人生が透けて見えるものもあるし、質問がつまらなくても答える側の人生経験や洞察力、社会に対する知識が深ければ、回答に読み応えが出るのがいい。
本書はダウンタウンの松ちゃんが週刊プレイボーイ誌に2000年5月から1年半に渡って連載した人生相談コーナーを単行本にしたもの。若い読者をターゲットにした娯楽性の強い雑誌が媒体だし、松ちゃんはお笑い芸人だ。クソまじめに作っても面白くないという配慮か、質問69問中19問が下ネタというページ構成。下ネタ以外の質問も「松本さんは『パールハーバー』をどう思われますか?」といった人生相談とはほど遠い内容だ。本当に深刻な悩みはほとんどない。つまり、芸人・松本人志になにか「お題」を与えて、松ちゃんの価値観を思いっきり発露してもらおうという本なのだ。
そのため、回答も松ちゃんが原稿を書いたわけでは決してなく、編集者かライターが松ちゃんに質問を投げかけ、その場で答えてもらったものをしゃべり口調で原稿にしている。まあ、こういう手法もあるんだな、という感じだ。
それにしても、こうした手法でも松ちゃんの人となりがある程度見えてくるから、人生相談はオソロシイ。お笑いに関しては真剣。女性に関しては「理想の女はまだヤッてない女」がモットーだけあって、結婚には明らかに向いてない。外出するにも他人の目を常に気にし、人しれず気をつかうあたりは繊細な人だと思う。「自由気ままに行動できた時代は金がない。金が手に入ると、好きなときに好きな場所に行ける自由がない。世の中うまくできている」と何度も繰り返すあたりは、思わず同情してしまった。
「8割は真剣に答え、残り2割は『おまえの人生なんか知らんがな』と考えるのがスタンス」という点もごもっとも。8割真剣に答えてあげられればたいしたものだ。大体いくら相談に乗ったところで、本人が自分の人生を変える気がなければ、相談効果など上がるわけがない。グチを聞かされて終わるだけである。

集英社・1100円(税別)
(2003・4・21 宇都宮)

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「ホビットの冒険」
J.R.R.トールキン 著
瀬田 貞二 訳

30年ぶりに「ホビットの冒険」を読み返した。古い読者なら誰もが知る「指輪物語」の前日譚である。
昨年から映画「ロード・オブ・ザ・リング」が大ブレイクし、書店には必ずコーナーが設けられているほど。その昔、夢中で読んだ読者のひとりとして、思わず関連本を手にとって眺めることが少なくない。しかし、どうせ読み返すなら「ホビットの冒険」から始めるのが順序というものだ。映画3部作で人々の争いの焦点となる指輪が、なぜホビットの手に渡ったのか。これを読めば一部始終が書いてある。
「ハリー・ポッター」に欠けているのは「指輪物語」のような物語世界の構築だ、とよく指摘される。確かに「指輪物語」の世界は壮大だ。それは「ホビットの冒険」にも垣間見える。ホビットと呼ばれる小人族、ドワーフ、エルフ、人間、魔法使い、ゴブリン、トロルなど、次から次へと登場する種族の多彩さでも圧倒される。
主人公は平和なホビット庄を離れて霧ふり山脈を越え、やみの森のかなたへと旅をするが、「指輪物語」の舞台設定はさらに広い。広大なやみの森も世界のごく一部。人間の王国があり、闇の帝王の国があり、海があり、海のかなたには永遠の命を約束する土地がある。そんな丁寧な世界造形が、読む者をより深く物語の中へと引きずり込むのかもしれない。
トールキンが亡くなって30年。「ホビットの冒険」が出版されて50年近く。瀬田貞二さんの訳本は子どもの頃山ほど読んだが、今読み返すとさすがに文体が古い。内容もかなり想像力を要する。しかし、1度物語世界に足を踏み入れれば、あとはトールキンの圧倒的な情景描写に心を奪われる。実際、30年ぶりに読んだ後も、私はホビットと食卓を囲み、荒地を旅する気分になれたのだから。

岩波書店
(2003・4・15 宇都宮)

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「トクする女」
 みちづれのススメ

わかぎゑふ 著

著者のわかぎゑふさんは、劇団「リリパットアーミーII」の座長で数多くのエッセイでも有名。
この本には、『婦人公論』に連載された彼女のエッセイがまとめられている。
子供の頃から個人主義だったという彼女が、大人になって他人との交流に頭を打ちながら次第に分かってきたこと、それは他人とみちづれることは楽しいということだった。
「みちづれ道」における約束事は、一人でも十分やっていける大人同士が集まることである。と、この本では書いておられるが、一人でも十分やっていけるということころが、ミソであろう。
いろいろ難しいこともあるだろうが、大人になれば、できるだけ自分である程度の金を稼ぐことができ、自分の身の回りのことはへたでも一通りはできるというのが男女を問わず必要なのではないかと思う。お金を稼ぐと言うことはそう簡単なことではないし、洗濯や掃除、料理などの身の回りのことも、生きていくためには誰かが必ずしなければならないことだから。両方やってみてこそ、人の立場も分かるというものだろう。
この本は、大阪のおかしさを書いてある本でもある。大阪生まれ大阪育ちで一時東京に住んだことのある彼女ならではの観点から見た大阪のおかしさなのである。
大阪で生まれ、大阪で育ち、大阪以外には住んだことがない私から見ると、別にアホなこととも感じていないことがアホなことなんだと分かっておもしろかった。

中央公論新社・1450円(税別)
(2003・4・5 森)

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加藤シズエ 凛として生きる
   104歳の人生が遺したもの
加藤シズエ 加藤タキ 著

元国会議員の加藤シズエさんの103歳の誕生日から最晩年を綴ったもの。執筆は娘のタキさん。彼女はシズエさんが48歳の時に生まれた子供だ。もうそれだけで、加藤シズエという人は並々ならぬ人だという気がする。再婚後で初産ではないとはいっても、48歳で子供を産むということは現代でも難しい。
加藤シズエさんは17歳で男爵夫人となり、その後産児制限などの運動をし、離婚後、再婚。104歳で2001年に亡くなられた。その介護の記録である。
かつては使命感に燃えた優秀で理性的な女性でも、やはり晩年はがんに苦しみ痴呆の症状が出て娘のことが分からなくなることがあったようだ。
しかしこんなに濃い人生を長くおくることができた女性がいたというのは、ただただ驚くばかりだ。
「人間にはその人なりの使命というものが必ずあるのです。……私は若いときから使命感を持つことができたために、いまこうして老いの重みにどうにか耐えていくことができるのです」と102歳の時に語られたとのことだが、その使命のために活動することが自分自身をも高めて、長く元気でいられる原動力になるのだろう。
私自身の使命についても、もうちょっと考えなければと、この本を読んで思った。

大和書房・1700円(税別)
(2003・4・5 森)

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嘘つき男と泣き虫女
アラン・ピーズ&バーバラ・ピーズ 著
藤井 留美 訳

ベストセラー「話を聞かない男、地図が読めない女」の続編。前作は全世界で600万部を売り上げ、なんとそのうち200万部が日本で売れたという。男脳と女脳の違いに戸惑う日本人がなぜこんなに多いのか。著者はその原因を戦後一気に女性の社会進出が進んだためと分析する。そんなお得意さまの日本社会分析も前作より増えて、ますます面白い内容だ。
前作は男と女の違いを脳の違いと説明することにかなりのページを割いていたが、今回は「なぜ男は嘘をつくのか?」「なぜ女はすぐに泣くのか?」といったテーマから、異性にアピールするためのポイント説明まで、より実践的な構成になっている。セックスアピール度テストもなかなか楽しめた。
女はただ話を聞いてほしいだけなのに、男は本能的に問題解決しようとしてケンカになるパターンなど、私も身に覚えがあり過ぎるほど。それも脳の構造の違いだとわかっていれば、ムダなケンカや誤解が避けられるというものだ。女性の部下が理解できない男性上司、恋人の心が読めずに悩んでいる女性にオススメしたい。
それにしても、世の中の女性はこんなに男の嘘に悩んでいたのか。私の場合、バカ正直な夫を持ってしまったので、男の嘘に悩んだことがない。・・・てなことを書くと、「それが騙されてるんだ」と指摘されそうだが。

主婦の友社・1600円(税別)
(2003・4・1 宇都宮)

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「金持ち父さんの子供はみんな天才 
ロバート・キヨサキ/シャロン・レクター著 白根美保子訳

「金持ち父さん 貧乏父さん」がベストセラーとなった投資家ロバート・キヨサキの第4弾。副題につけられた―親だからできるお金の教育―のタイトル通り、子どもにお金に関する知識や技能を学ばせることがいかに大切かが、大人が手助けしてやれる具体的な方法とともにまとめられていてとても参考になった。
ただ、友人の話として紹介されていた14歳の少年が投資信託を買ったりちょっとしたアイデアでビジネを始めたりするといった話など、アメリカでの例がそのまま日本に当てはまるかといえば疑問だが、親が管理するばかりでなく、子どもがマネーリテラシー(お金を読み解く力)を身に付けるという考えにはおおいに賛成できた。
自分自身を振り返ってみれば、お金について教育を受けたことは学校でも家庭でもほとんどなかったように思う。幸いなことに金銭トラブルに合ったことはないが、それでも小さいうちから節約したり貯蓄する自己管理も含めた、生きたお金の使い方を学ぶに越したことはない。そうすれば、若者のカード破産なんて問題も回避できるだろう。
もうひとつ心に残ったのが、学校教育に対する考えである。著者は子どものころ、「今だったら注意欠陥障害(ADD)のレッテルを貼られていただろう」と自ら言うように、授業に神経を集中していられる時間が極端に短く、興味もあまり持てなかった。ところが、ハワイ州の教育局長も務めた彼の父親は子どもそれぞれの独自の才能と学習方法を見つけることが大切だという信念の持ち主で、そのおかげで彼はずっと学習意欲を保つことができたのだという。そしてこれが本書のもうひとつのテーマとなっている。教育を意味するeducationという英語はラテン語で「引き出す」という意味のeducareからきているそうだが、日本の教育現場を考えると人事ではない。

筑摩書房・1900円(税別)
(2003・3・5 伊藤)

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「夫と妻のための新・専業主婦論争」<
中公新書ラクレ編集部 編

この2,3年、専業主婦を巡る論争が再び活発化しているらしい。新聞や雑誌、新刊書などで発表された各界の論説・対談などを集めた構成で、いろんな意見を知ることができ、とても興味深い内容だった。
石原里紗さんの著書「くたばれ専業主婦」の抜粋を掲載する一方、イギリスの専業主婦ブームのリポートや専業主婦への憧れを綴った漫画家みつはしちかこさんのエッセイも掲載し、バランスの取れた構成にすべく編集部がアタマを絞った様子が伺える。朝日新聞に掲載された小倉千加子さんの論説「専業主婦は国家の犠牲者である」もきちんと押さえてあり、私個人的には納得の内容だ。
中でも、いちばん心に残ったのは、山田昌弘氏の「専業主婦の歴史的役割は終わったか」(初出・「文藝春秋」2001年2月号)。専業主婦は国策で生まれ、高度成長期に最も機能したが、これからの社会では衰退していくだろうという論説。なぜなら、専業主婦は「職業ではなく、立場だから」。夫の収入が右肩上がりの時代には有効に機能する装置だが、右肩上がりが期待できない時代には、「よほど余裕のある家庭か、無能な女性しかなれない立場」だと断じている。
専業主婦ばかりではない。同じ論説の中で、低収入パート職の主婦やパラサイト・シングルにも未来はないと論じられており、これだけ読んでいると日本の未来はどうなるのかと心配ばかり募る。
主婦が仕事を持つかどうかの選択やパラサイト・シングルの増加は、少子化問題と密接に結びついている。今こうしている間にも、日本社会は世界史に例を見ない勢いで高齢化が進んでおり、なにか打てる手はないのかと焦りを禁じえない。やがて、高齢者と子ども以外はみな働かないと社会が円滑に機能しない時代が来るのかもしれない。

中央公論新社・720円(税別)
(2003・2・17 宇都宮)

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「女優の夜」
荻野目慶子 著

女優の荻野目慶子が深作欣二監督との不倫を告白し、昨年話題になった著書。ワイドショーでの扱われ方からして低俗な暴露本かと思いきや、意外にも女優としての生き方や恋人への心情、仕事にかける情熱を真摯に語った内容で、読み応えがあった。同じ芸能人の告白本でも、郷ひろみの「ダディ」より余程いい。
荻野目慶子といえば、恋人の映画監督に自宅で縊死された事件が思い出される。本書の半分が、故河合監督との出会いや同棲生活を語ることに費やされ、彼女の中で(そして世間一般でも)亡き監督の自殺が女優としても一人の女性としても大きく尾を引く事件だったことを改めて認識させられた。しかし、30代後半の元TVマンが映画監督へと転身し、結果的に失敗し、家庭も仕事も失っていく過程を受け止めるには、22歳の女性では手に余る。女性のマンションで首吊り自殺という悲劇的な最期も、相手の女優生命を考えて踏みとどまるのが大人というものではないだろうか。二人にしかわからない事情は山ほどあったと思うが、男性の才能に惚れて、その才能にキャリアを踏みにじられた哀しさが先に立つ。
深作欣二監督との不倫告白も、監督のガン告白後で衝撃的だった。深作監督の偉大さは逝去後に語られたエピソードからもひしひしと感じているが、葬儀に出席できず供花もできない愛人の立場というのはつくづく切ない(妻の立場に立てば許せない関係だが)。深作監督の葬儀参列者のコメントに「つまらない女にひっかかって・・・」とあったのを新聞記事の片隅に見つけたが、「つまらない女」って荻野目慶子のこと? 本書に描かれたことがすべて真実だとすれば決して「つまらない女」とは思わないが、直接自分の目で確かめる術を持たない私たち一般読者にとって、真相は藪の中だ。

幻冬舎・1400円(税別)
(2003・2・5 宇都宮)

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「コスメティック」
林真理子 著

広告代理店に勤める沙美は、ある偶然から外資系化粧品会社のPR担当にスカウトされる。30代を迎え、仕事でもうひと花咲かせたい彼女にとって、化粧品会社のPR担当は魅力的な職種。思い切って化粧品業界に飛び込んだ彼女の前に、次々と試練が待ち構えていた。多忙な日々に振り回されながらも、沙美はいつのまにか仕事に夢中になっている自分に気づき・・・
久々に面白い小説を読んだ。
まず化粧品業界の内幕が面白い。化粧品会社のPR担当とはこういう仕事をするのか、という新鮮な驚きがあった。成功もあれば失敗もあり、そのひとつひとつに責任と評価がつきまとうことも、読み進むにつれて実感させられる。主人公とともに、読者もPR担当の仕事を学び、奮闘する気分になるのは、ひとえに林真理子さんの筆力によるものだと思う。
もちろん仕事だけでなく恋愛もシュールに描かれる。タイプの違った3人の男が登場し、その誰とも世間一般でいう「幸せ」な結末を迎えないのは、「仕事と寝る女」の真骨頂。そう、仕事って面白いのだ。「面白い仕事なんて世の中にないわ」と心密かに考えているOLたちに、沙美のキモチがわかるだろうか? ひょっとしたら「どうしてエリートの恋人と結婚しないの?」という疑問しか残らないかもしれない。しかし、林真理子さんもあとがきにしっかり書いている。「こういう男(エリートの意)と結婚生活を続けていけるのも、確かにひとつの才能なのだ」と。
女性の生き方の選択肢が増えた今、仕事も恋愛も成就させたい女性は今後も増えていくだろう。しかし世間一般には、カンタンに結婚・出産退職する女性がまだまだ多いように思う。沙美のように、人生の岐路を真剣に考える女性が増えてほしい。なぜなら、よりよい選択肢を選ぶには「自分を知る」ことが必要不可欠だから。沙美も常にそのことを考えている。「私って、自分で思ってるよりズルイ女かもしれない」と。

小学館・571円(税別)
(2003・2・5 宇都宮)

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ベッカム 〜すべては美しく勝つために〜<
デイヴィッド・ベッカム 著
東本 貢司 訳

いやはや今年のベッカム様ブームはスゴかった。最近立て続けにOAされているベッカムCMを見るたびに、ワールドカップの頃のあの熱狂ぶりを思い出す。おそらくサッカーをロクに見たこともなかったはずの女性層がベッカム様のルックスに惹かれ、サッカー中継を見始めたあの頃、私は「どこまでブームが燃え上がるんだ?」と日本人女性の集団ミーハ−化の行く末に興味シンシンだった。
同時期に発売されたこの本も当然ベストセラー。プライベート写真が多くて(しかもビクトリア夫人とのイチャイチャカットが多い)、すんなり読める構成は、俄かファン層にピッタリ。ところが内容を読んでみたら、サッカーフリークでないとわからない人名・地名・チーム名・サッカー事情が盛り込まれており、俄かファンにはいい試練(?)かもしれない。
本書はベッカム自身が書いた原稿にあまり手を加えず、イギリスの出版社から2000年に発売されたものの日本語訳。生い立ちや私生活、クラブチームやイングランド代表での内幕がベッカム自身の手によって書かれたという価値は大だ。ただ、モト本の構成の甘さや訳文の拙さが目立ち、「もうちょっとなんとかならないか?」と商売柄感じてしまうのは否めない。
この本を読むまでもなく、ベッカム人気の理由は明らかだ。まずモデル顔負けのルックス。ブームを作るファッションセンス。派手な私生活と尽きない話題。そしてなによりも大きいのは、華やかな世界の中心にいながら、ベッカムが家庭を大切にするという姿勢を貫いていること。これに尽きる。
それにしても、ベッカムに限らずサッカー選手ってどうしてあんなにカッコいいんだろう?

PHP研究所・2000円(税別)
(2002・12・19 宇都宮)

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ハリー・ポッターと炎のゴブレット
J・K・ローリング 著
松岡 佑子 訳

今度のハリー・ポッターは長い!
たっぷり上下巻の中身は例によってホグワーツでの1年間にクイディッチ・ワールドカップの描写が加わり、ヴォルデモートの復活で終わる。これまた例によって犯人探しのドンデン返しが用意され、例年どおり今年もだまされてしまった。執筆中にトリックの穴が見つかり、大幅に書き直したため「炎のゴブレット」の出版が遅れたらしいが、どこに穴があったのか想像することも難しい。
今作で楽しかったのは、ハリーやロン、ハーマイオニーたちが14歳になり、思春期ならではのトキメキや戸惑いが前面に現れてきたこと。クリスマスパーティでのパートナー選びの下りは、私が思春期だったらきっと何度も繰り返し読んだだろう。物語世界の構築だけでなく、このあたりの心理描写もきちんと押さえてあるのは、作者の力量に感服するしかない。
過去3巻で積み重ねられてきた登場人物の多さ、魔法世界のディテール、ハリーの両親とヴォルデモートの謎には1度読んだぐらいでは迫れない。多くの子どもたちのように私も2度3度と繰り返し読みたいが、なかなかその余裕もない。子どもの頃夢中で読んだファンタジーを大人になってから読み返してみると新しい発見があったように、何十年後かに老人ホームで「ハリー・ポッター」を読み直すのもいいかもしれないと、愚にもつかないことを想像した。

静山社・上下巻セット3800円(税別)
(2002・12・19 宇都宮)

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「学生に語る ジャーナリストの仕事」
早稲田大学人間科学部河西ゼミ編

「学生に語る」とある通り、これはマスコミ志望者の多い早稲田大学の1年生を対象に、同大学のOBを中心としたジャーナリストをゲストに招いて開かれた連続講義の記録である。ゲストの顔ぶれは、江川紹子、鎌田慧、筑紫哲也、元木昌彦ら第一線で活躍中の11人だ。学生に向けての講義であることから、その内容も彼らの大学生活から始まって仕事にいたるまでの自分史と現在の仕事に対する姿勢や思いが分かりやすい言葉で語られている。また、ジャーナリトスと一括りに言ってもテレビや雑誌、新聞とジャンルが違うだけに現場の話はどれも興味深く、当の講義が回を追うごとに聴講生が増え、途中から一般公開されるようになったのも頷ける。
しかし、メディアの媒体や組織人かフリーかの違いはあっても、彼らが語るジャーナリズムには共通するものがある。つまり、「やじ馬根性」=人一倍の好奇心で常に新しい情報を伝えると同時に、社会を鋭く観察する批判的な役割を持つこと。そして自分が決して譲ることのできない事柄に対して真摯に立ち向かい、表現し続けていくこと。言葉では簡単だが実際には非常な困難を伴うこれらを、さらりと言ってのけるのは、これまで培ってきた経験に裏打ちされての信念があってこそだろう。
ひとつ面白く思ったのが、インタビュー術に関する大山真人と吉田司の話である。ノンフィクションの分野で活躍中の2人だが、大山真人の取材コンセプトは「先入観を持たないこと」であり、吉田司は「取材時にはすでに原稿の八割から九割が出来上がっている。そこにいくつかの欲しい答えを引き出す」のだとか。まったく正反対の取材方法だが、我々はいろんな人の術を知ることで、自分なりの方法を導き出せればいいと思う。
マスコミでの仕事を目指す人はもちろん、現在その真っ只中にいる人にとっても、この本を通して今一度立ち止まり、自分の足元を見つめなおす機会を持ってみてはどうだろう。

平原社・306ページ・2,000円(税別)
(2002・12・13 伊藤)

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「マカロニの穴のなぞ」
原 研哉 著

マカロニはどうして穴があいているのか? 日常に転がっている何でもない物品に独自の美の視点を当て、そこに宿る「デザインの神様」を綴ったエッセイ。
著者の原研哉は、ニッカウヰスキーやAGFなどの商品デザインをはじめ、長野オリンピックの開・閉会式プログラムに関わるなど、多方面で注目されているグラフィックデザイナー。2000年に開催された展覧会「リ・デザイン―日常の二十一世紀」では既存のものを新しくデザインし直すというテーマで、総合プロデューサーとしての力量も発揮した。
そんな彼のデザインに対する姿勢は、専門家というより職人という言葉の方が相応しい。概念を振りかざすのではないから、その方面に疎いものでも本書は楽しく読み進められる。そして、身近な具象にデザインの美しさと面白さがあることを示され、思わずハッとさせられるのである。例えば、「考えるに、デザインはある一面ではマヨネーズの穴のようなものだ。生産という遠大な営みの最後の最後の局面で人類のささやかな幸福のためにひと工夫する。(中略)デザインの小さな哲学はそういう場所に潜んでいる」や、「デザインの醍醐味はプロセスにある。何を意図するかという計画の中に感動があり、それはだれもが作者と同じ視点でたどることができる」などなど。
各項とも1,000字あまりの短い内容だが、その短い中にエッセンスがギュッと詰められ、流れるような文章の妙にも感心するばかり。そして最後の"オチ"に思わずクスリとさせられるのも小気味よいのである。

朝日新聞社・980円(税別)
(2002・12・12 伊藤)

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「小さな工夫でゆったり暮らす」
中山 庸子 著

副題に「家事が楽しくなってくる66の方法」とあるように、最近はやりの「家事を楽しむ指南書」だ。
著者は「なりたい自分になる100の方法」(幻冬舎刊)がベストセラーになったイラストレーター兼エッセイスト。38歳まで高校の美術教師を勤めたが、どうしてもイラストレーターになりたくて一念発起した経歴の持ち主。教師をしながら一男一女を育てた生活から、家事をなんとか楽しむ術を考えるようになった。その内容は…
「曜日ごとに重点的にする家事を決める」「お宅拝見日を作れば、家は必ずきれいになる」といった具合。曜日ごとに力を入れる家事を変える知恵は、かのローラ・インガルス・ワイルダーの「大草原の小さな家」シリーズから学んだそうだ。
正直な感想を述べると、(私も働く主婦だが)あまり参考にならなかった。子どもがいないせいか、掃除以外の家事はそんなに苦痛でもないし、すでに無意識のうちに実行していることが多い。「毎日の献立の中に、自分の好きなメニューを一品入れる」など、当たり前のように実行している。むしろ、そうで主婦が世の中には多いのか? と、カルチャーショックを受けた。
家事はとことん手を抜くので、この著者の家事に対するこまめさに感心してしまい、逆に「そこまでしなくてもいいじゃん」と思ってしまう。やはり、この本は家事を自らの使命と自認する専業主婦向けに書かれたものなのだろうか? そういえば、「主婦の忙しさ」に関するページの微妙な言い回しは、メイン読者層への配慮と後難を逃れるための防御策に見えた。
たかが家事、されど家事。家事は誰かがやらねばならない生活の根幹をなすものだが、骨身を削ってやったところで誰も評価してくれない。その点をしっかり認識して、自分なりの折り合いをつければそれでいい。著者のそんな声が聞こえてきそうだ。

大和出版・1300円(税別)
(2002・11・29 宇都宮)

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「不機嫌な果実」
林 真理子 著

数年前ベストセラーになり、たて続けにドラマ化・映画化と話題になった林真理子さんの小説をようやく読んだ。
結婚して6年。夫は一流企業に勤めるサラリーマン。子どもは姑と同居するきっかけになりそうなので、当分お預け。自由気ままな結婚生活なのに、麻也子は不満だらけ。結婚すると誰も私を女として見てくれない。夫は仕事仕事で疲れてセックスもままならないし、おまけにマザコン気味。なんだか私って損してない? 
主人公の麻也子は正直といえば正直だが、それにしてもイヤな女である。そこそこのお嬢様大学出身でバブルの洗礼を受け、ブランドショッピングに走る32歳の女性という設定は、この小説が出版された96年当時にはリアルな女性像だった。彼女の価値基準は、女友だちに羨望のまなざしで見られるかどうか。結婚も仕事も男も損得勘定でしか計れないから、どこまでいっても満足することがない。
しかし、世の中は96年当時よりさらに泥沼不景気の真っ只中。エリートサラリーマンも40過ぎればリストラの対象だ。麻也子もシロガネーゼも夫の収入に頼っていられる時代じゃない。不倫ごっこにワクワクしていられるのも生活の最低保障があるからこそ。せいぜい地道に働けよ、といったところだ。
林真理子さんの小説は例外なく面白いので私は大好きだが、男性にとってはどうだろうか? 女性の計算高い部分、汚い部分ばかり見せつけられるので、避けて通る男性が多いのかもしれない。特にこの小説のラストシーンは、男性にとってはたまったものではない。しかし、鋭い人間観察から生まれるさりげない一文にはいつも唸らされる。ストーリーには直接関係なくても、こうしたディテールの積み重ねが独自の世界を創り上げ、読者を惹きつける源ではないだろうか。

文芸春秋社
(2002・11・12 宇都宮)

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「ユカリューシャ」
斎藤 友佳里 著

「奇跡の復活を果たしたバレリーナ」と副題にあるとおり、東京バレエ団プリマ・バレリーナであり、日本を代表するバレリーナである著者が35年間の半生を振り返った自伝エッセイ。
16歳のときから旧ソ連への短期留学を繰り返し、実績を積み上げてきた彼女は20歳で東京バレエ団に入団。またたく間にプリマへと登りつめ、数々の海外公演で高い評価を受ける。モーリス・ベジャール、ジョン・ノイマイヤーなど当代を代表する演出家との共演も経験し、順調なバレエ人生だったが、29歳のとき本番中に靭帯断裂のアクシデント。バレエをあきらめるほどの大怪我に、その後数年をかけて立ち向かい、ついにステージに復活するまでを描く。
全体から一貫して伝わってくるのは、バレエにかける著者の情熱だ。プリマとしての実績よりも、バレエを始めた幼児時代のエピソードや、高校を休んで旧ソ連へ留学を繰り返していた頃の話が私は興味深かった。ひとつの道を究めるには、どれほどの努力と犠牲が必要か。そして、1度頂点に立った者がその地位を保つのに、どれほど神経をすり減らし、人一倍の努力を重ねるか。彼女のひたむきさ、勤勉さ、今よりもさらに前進しようとする向上心など、すべてが感動させてくれる。さらに、一人のプリマを生み出すには、親、兄弟、師、友、共演者など国境を越えたさまざまな人との出会いや協力が必要であったことを痛感する。彼女を「ユカリューシャ」と呼ぶ、ロシア人の夫ニコライ・フョードロフ氏(彼自身、ボリショイ劇場のプリンシパルダンサーで、著者のダンスパートナーでもあった)も、そうした出会いの中で人生をともにすることになった一人だ。
「試練はそれに耐えられる者のみに与えられる」「人生の良いこと、悪いことにはすべて意味がある」…35歳にして学んだことのすべてを、真摯に告白し、訴えた好著である。

世界文化社・1500円(税別)
(2002・10・14 宇都宮)

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「介護と恋愛」
遙 洋子 著

「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」で自らが学んだフェミニズム論を披露し、続く「結婚しません。」で生まれ育った家庭の不条理を赤裸々に描いた著者が、今度は実の父親の介護と恋人との恋愛の間で揺れ動いた20代(おそらく)をテンポよく描いた。
著者は5男1女の末っ子。若い頃は家庭を顧みず、好き勝手なことをした父親が、痴呆になってしまった。夫を恨み続けてきた母親は介護拒否。同居する長男の嫁を中心に、5人の嫁とひとり娘(著者のこと)が順番に介護に当たるが、週に1度の唯一の休みを介護に費やしてはさすがに疲れる。ましてや著者は関西の売れっ子タレント。フツーのOLよりかなり忙しい立場である。しかも、同時進行で彼女は真剣な恋愛をしていた。「デートしたい」からデートするが、親の介護をほったらかしている罪悪感がぬぐえない。でも恋人とは会いたい。でも親の介護が……堂々巡りのうちに、親はどんどん弱っていく。
介護はキレイごとでは済まない。目が離せない高齢者を抱えていても、家族には生活を楽しむ権利があるし、一時的にでも楽しまないと介護者がノイローゼになってしまう。本書の場合、自分の実家の様子をわざと面白おかしく露悪的に書いているようだが、どこの家庭もデフォルメすればこんなもの。「介護は美徳」とする風潮もある中で、正直な心情を吐露したことは勇気ある行動だと思う。
それにしても、ひと昔前までは、結婚して子育てが一段落した後に介護がやって来た。晩婚化が進んだ今では、介護と恋愛が同時に訪れ、結果的に結婚をあきらめる例も少なくない。著者の場合、恋愛を捨てても介護を捨てても、仕事だけは捨てなかった。人が最終的になにを選ぶか、究極の選択をさせるポイントに「介護」もラインナップされる時代になってしまった。 


筑摩書房・1300円(税別)
(2002・10・14 宇都宮)

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「残像」
乙武 洋匡 著

「五体不満足」でお馴染みの乙武洋匡クン。彼の現在の仕事はスポーツライターである。その乙武クンがFIFAワールドカップKOREA/JAPANを観戦し、執筆した記事をまとめたものが本書だ。
1ヶ月間で21試合を観戦。その中にはもちろん韓国での試合も含まれており、渡韓すること4度。日本国内も含めた飛行機移動は15回という強行スケジュールだ。乙武クンをサポートするスタッフも2名同行するのだが、やはり体力的に大変な1ヶ月だったようだ。
しかしここは若さで乗り切る乙武クン。韓国の夜は焼肉で飲み明かし、日本代表初勝利の夜は街に出て、誰かれとなく祝杯を挙げる。私なんぞ1枚のチケットも手に入らなかったクチだから、ワールドカップをこれほど楽しめた彼が心底羨ましい。
全体から親しみやすい著者のキャラがにじみ出るような観戦記で、特に代表選手とのやりとりが興味深い。試合前や試合後、電話やメールで交わされる会話には、仕事を超えた人間関係を感じさせる。選手たちと同世代というのも大きなメリットかもしれない。
ひとつ苦言を呈するとしたら、サッカーそのものに対する知識の浅さだ。この手の本を読むとき、私は自分にはないサッカーの知識を期待するが、乙武クンの記事はあくまでも等身大。私と同レベルなのだ。それではスポーツライターとしてモノ足りない。金子達仁氏をはじめとする実績あるライター陣とは違った切り口から、サッカーの魅力に肉薄する乙武クンの記事が読める日を楽しみにしている。

ネコ・パブリッシング・1600円(税別)
(2002・10・6 宇都宮)

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「iモード以前」
松永 真理 著

iモードサービスの仕掛け人として一気に有名人となった著者が、20年間のリクルート勤務時代を振り返ったエッセイ。
女子大生の就職氷河期に苦労して就職した会社が、当時急速に伸びつつあったリクルート。不遇の時代も何年かあったが、女性向け就職情報誌「とらば〜ゆ」の編集に携わったところから、"仕事モード"全開の人生がスタートした。「就職ジャーナル」編集長、「とらば〜ゆ」編集長などのポストを歴任しながら、40代前半まで思う存分働いた様子が文面から伝わってくる。
「ビジネスのヒント満載」と新聞広告で宣伝されていたが、煮詰まった現状を打開したいと思う人には、確かに参考になる内容だ。特に廃刊寸前の「就職ジャーナル」を立て直した下りは興味深い。30代前半の女性にこれだけの大任を任せる会社もスゴイが、思い切って体制を切り替え、1年で立て直した著者の努力もスゴイ。編集者のいない、編集長と外注のみの週刊誌、という話にも驚いた。その一方で、「あの会社なら、それぐらいやるよなぁ」と妙にナットクする自分がいた。
私も以前、リクルートの某編集部に定期的に出入りしていた時期があったのだが、人の入れ替わりの早さにアゼンとしたものだ。また、業務の中枢を担って働いていた人が、実はアルバイトだったと後に知って、ビックリしたこともあった。(本書の中ではアルバイト出身の役員のエピソードが登場しており、そういうことがあり得る社風だということは、よく理解できる)
著者はそんな環境の下、どんどん"働き者"になり、ビジネス社会に地歩を固めていったわけで、まさに社風が合ったというところか。その蔭に、何千、何万というリクルートを去った人たちが存在するわけだ。
いずれにせよ、ガンバル女性の姿を見るのは気持ちがいい。どうすれば頑張れるのか、どうすれば成功できるのか、そのヒントも行間に読み取れる1冊だ。

岩波書店・1400円(税別)
(2002・8・26 宇都宮)

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