「二千石」
暇も乞わずにどこかへ出掛けていた下人(太郎冠者)が、昨夜帰ったにもかかわらず、顔を見せないので、主人が彼の家に叱りに行く。主人の訪問に驚いた冠者であったが、「暇を乞いたかったが、暇を下さらないと思い、そっと京内参りをいていた」というと、主人は腹立たしい気持ちはあるが、都の事も知りたいので冠者を許し、都の話をさせる。冠者は都では流行っている謡を習ってきたと、謡を謡うと主人の機嫌がにわかに悪くなる。その謡は自分の家に伝わる大事な謡だと言って、その由来を語り、冠者を手討ちにしようとする。冠者はその姿が先代に似ていると言って泣き出し、主人も亡き父を思い出して泣く。主人は冠者を助け、子が親に似るのはめでたいと言って、笑っておさめる。
「野宮」
諸国一見の旅僧(ワキ)あらかたの都見物も終え、嵯峨の野宮の旧跡を訪れる。そこへ一人の美しい女性(シテ)が現れ、しきりに昔を偲んでいるので、声を掛け、身元をたずねると、それには答えず、今日九月七日はここで人知れず御神事を行う日なので、早く帰るように言います。僧がその訳をたずねると女は、昔光源氏が、世をさけて野宮にいた六条の御息所を訪ねたのが、今月今日であった事を告げます。そしてなおも問われるままに、光源氏の訪問をうけた後に伊勢へ下向して行った事など淋しい生涯を語り続ける。さらに僧に尋ねられて、自分こそその御息所であると明かして、黒木の鳥居の柱の陰に消えていく。〈中入〉 僧は来合わせた里の男から御息所の物語を聞き、夜もすがら跡を弔うことにします。やがて御息所の亡霊が網代車に乗って現れ、加茂の祭りの日に、葵上と車争いをして、辱められた身の無力さを嘆き、その妄執を晴らしてほしいと頼みます。そしてあたりの風物を懐かしみ、源氏の訪問を偲び、昔を思いおこして静かに舞を舞う。その後、いつまでも成仏しえない身は、神の意にも添わない事だと述懐し、やがてまた車に乗って立ち去って行く
◎同じ六条の御息所を扱った作品に「葵上」がある。「葵上」は、御息所の激しい嫉妬を表面に出しているが、本曲は、光源氏の愛を失った御息所の寂しさと、愛さずにはいられない女の哀しさを秋の静けさの中に描き出そうとしている。特徴的な事は、彼女は終曲まで迷い続け、明確な悟りがみられない点である
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