愛知県海部郡佐織町のホームページの紹介です。
NaiShop
Miracle デザインネールアートチップを販売されています。
ダイハン 町方店 家具とインテリアのお店です。
八木商会 パソコン出張指導、パソコン各種設定、携帯電話の販売
佐織町役場 佐織町の公式ホームページ
佐織町の紹介
○人口:23058人(平成14年1月1日現在)
○町の花:菊
○町の木:松
○佐織町にゆかりのある歴史上の人物
織田信定---織田信長の祖父。勝幡城を築城した。当時の勝幡は室町時代に開発が始まった
低湿地である。信定は尾張の商品流通の中心の一つで伊勢湾の海運の拠点である
津島湊が勝幡の近くにあり、津島の経済力に目をつけ、津島支配を目論んだ。
尾張の守護代清洲大和守達勝の三奉行の一人であり、清洲織田氏の重臣として
力があった。
はやい時期に子の信秀に家督を譲ったようである。子の信秀、孫の信長と続く
織田家発展の基礎を作った。
織田信秀---織田信長の父。主家を凌ぐほどの勢力を持ち、尾張下四郡を制した。
織田信長---説明の必要がないくらい有名な戦国武将。
勝幡城で誕生したと思われる。従来は那古野城誕生説が有力であったが、
父の信秀が那古野城を奪ったのが天文7年であった可能性が高まったので、
信長の勝幡城での誕生はほぼ確定したといってよい。
山田長政---佐織町小津出身の説あり。江戸時代初期タイに渡り活躍する。
津田正生---佐織町根高出身。豪農の生まれ、幼い頃より勉強に励み、地誌・随筆・戯作など、
多分野にわたる著作をした。
代表著書「尾張地名考」「槍ヶ岳日記」など
○勝幡城址 織田信定が佐織町勝幡付近に城を築く。東西114間、南北120間の規模で土造りの
館型の城で、堀は二重堀である。京都の公家も驚くような室町の武家儀礼に則った
御殿があった。織田家の財力と実力を物語る城である。
子の信秀が後に那古野城を奪い、本拠を移したためその後は廃城。
○奥津社 佐織町千引の奥津社には三角縁神獣鏡3面(県指定文化財)がある。3面とも
3世紀の中国の三国時代の魏の鏡。鏡の縁の断面が三角形で背面の中央部分に
中国の神像と獣の飾りがある。三角縁神獣鏡3面のうちの2面は京都の大塚山古墳
から出土したものと、鋳型が同じ鏡であった。
奥津社は直径25〜30m・高さ4mの丘の上に建っている。この高まりが円墳と考え
られている。発掘調査の結果、弥生時代後期の土器、古式土師器やS字状口縁台付甕
などが出土した。
奥津社の鏡は大和政権の勢力がこの地方にも及んでいたことを物語り、古墳の被葬者
がどのような人物であるのかぜひ知りたいと思います。
○釜地蔵寺 佐織町根高に尾張六地蔵の第五番にあたる釜地蔵(真言宗)がある。
寺の言い伝えによると昔この土地に安丸という子どもがいた。継母にいじめられ、虐待
されていた。そしてついに安丸は大きな釜に入れられそうになった。その時、
安丸がいつも深く信心していた地蔵尊が身代わりとなった。そのことにびっくりした
継母とその夫は改心し、釜の上に地蔵尊を置いて供養した。この話が寺の始まりという。
本尊の鋳鉄地蔵菩薩立像(県指定文化財)は鉄釜の上に木蓋を置きその上に安置
されている。
○佐織町諸桑の古舟「木片」 天保9年(1838年)閏4月に諸桑の満成寺で偶然発見。発掘当時は
20mを越える大きさの船であった。日本における船の初めての出土
である(町指定文化財)。
○姥ヶ森神社 佐織町町方新田に、須佐之男命の姥が住んでいたといわれる伝説の森がある
姥ヶ森神社がある。毎年1月4日に、家内安全・無病息災を祈る茅の輪くぐりの
伝統行事が行われる。
○十二城址 佐織町町方新田に、鎌倉時代にこのあたりの地域を治めていたと思われる地頭、
板垣冠者兼信の居城があった。現在は碑があるのみ。
海部津島WEBトップページ|はじめに|ニュース|スポーツ|テレビ・ラジオ・FM|
カレンダー|学校・塾・習い事|グルメ|津島市|祖父江町|平和町|八開村|
立田村|佐織町|佐屋町|弥富町|十四山村|飛島村|蟹江町|美和町|
甚目寺町|七宝町|大治町|イベント|インターネット安全利用のための基本ルール|
インターネットお得情報|その他リンク集|
|