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外舘和子さん
(茨城県つくば美術館主任学芸員)
制作・発行
ギヤラリー 目黒陶芸館
〒521-8065四日市市千代田町201-2
TEL・FAX0593(64)9798
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| 平川鐵雄の陶芸-茶碗という自由 |
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| 1.はじめに |
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亜平川鐵雄は茨城県守谷市在住の陶芸家である。1978年に
千葉県の沼南町(現・柏市)からここに移住。日本各地に土や
紬薬の灰の原料を求め、その土や紬薬を組み合わせた際の性質
を最大限に生かした瑞々しい食器の数々で知られている。
その作家が、近年、茶碗に取り組んでいる。昨年、2007
年には那須塩原の大黒屋で「平川鐵雄 抹茶椀100展」を開
催、今年1月には小田原のうつわ菜の花の企画展「茶碗考」に
も出品している。
2008年2月12日、久しぶりに工房を訪ねると、自宅の
展示室の棚上段が四方全て茶碗であった(註1)。「300個く
らいはあります」という、その圧倒的な量と多様さは、平川の
趣味でもあるミニ盆栽や書、俳句とも通じるようだ。
しかし「茶の世界みたいなところから一番遠いところにいよ
うと思っていた」平川が、なぜ今、茶碗なのだろうか。本稿で
は、作家の作陶史を振り返りつつ、その豊かな茶碗世界の意図
するところを考察してみたい。
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| 2.生い立ち-原点 |
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平川鐵雄は1943年、東京の小岩に生まれている。半世紀
ほど前の小岩、江戸川付近には傘屋の集落があった。平川の家
もその一つで、父親は和傘の製造・販売を行っていた。1991
年に茨城県(とロサンゼルス)でクリストが実施したアンプレ
ラ計画の現揚を作家は3度訪れているが、その光景に、平川は
少年時代の原風景を見たという。天気のいい日には、竹と紙で
作った和傘が辺り一面干されていたーのどかな雰囲気の中で、
平川少年は昆虫採集に明け暮れる。オサムシなど甲虫の類いに
は特に惹かれた。傘の集積と昆虫の収集。好きなものにはどこ
までものめり込む作家の視界には、興味深いものがしばしば、
“群で”存在していた。
しかし、平川が高校生の頃には、その和傘の風景が消えてい
く。平川の家も傘屋をたたみ、平川は高校卒業後、昆虫学者の
夢を諦め運送会社に就職した。
ところで十代の平川が昆虫以外に興味を持ったものがもう一
つあった。隣の寺の住職がしていた楽焼である。住職の弟とは
友人であった。最初は茶碗のかたちを作って焼いてもらい、程
なく楽焼用の窯を買って自分で焼くようになった。つまり、平
川にとって最初のやきものは自己流の「茶碗」だったのである。 |
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| 3.オブジェから「用の器」へー「クラフト」と青磁 |
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運送会社に勤務していた1960年代、平川は原宿の日本陶
芸クラブに通い、趣味のやきものを続けていたが、テレビで偶
然、愛知県の窯業訓練校を知り、秋に補欠入学する。ここで茶
碗以外の様々なやきものを知るとともに怒涛のようにオブジェ
を制作していく。
同校で「こういうものは作っちゃいけないって、いつも怒ら
れながら、作っちゃ壊し、作っちゃ壊し」していた。
初めて制作した、いかにも60年代風のオブジェだけは手元
に残し、今も作家の自宅に飾られている。
1968年に訓練校を卒業すると、瀬戸の霞仙陶苑に就職。
当時、同苑には鈴木五郎をトップ・デザイナーに、30人前後
の若者が精力的に仕事をしていた。
夕方5時以降は皆それぞれに競争で好きな仕事をする。ロク
ロ盤はいつも泥だらけであった。折しも1970年、71年と
京都国立近代美術館でヨーロッパや、アメリカ・カナダ・メキ
シコの陶芸が日本にも本格的に紹介され、平川は金子潤のレク
チャーも聴いている。茶碗のことなど忘れてしまうような、幅
広いやきものの表現が日本に押し寄せて来たのだった。
霞仙陶苑をやめて1年近くフィリピンで窯業指導にあたった
後、1972年頃には、平川は関東に仕事場を移す準備をはじ
め、千葉県の沼南町に決まるまで、しばらく瀬戸の洞で制作し
た。オブジェの傍ら73年から日本クラフト展に出品、「食べて
いくための」やきものを模索し始める。
走泥社の人達が<クラフト>をやってた影響も大きい。オブ
ジェじゃ食えないし」。
仕事場が隣であった栄木正敏が「すごくいい仕事」をしてい
た。1976年には、銀座・松屋で栄木と二人展をしている。
しかし「クラフト」の理想は、平川にとって必ずしも現実的
ではなかったようだ。
「値段は安く、ほどほどの量で、手作りの洒落た器っていって
もね。そんなの、それこそ学校の先生でもやってなきや、続か
ない。かたちもカキッ、カキッとしたもんか、真ん丸だとか」
日本独特ともいえるカタカナのクラフトは平川にとって、非
現実的な一種の「スタイル」のように思われた。確かに、平川
が会員であった70年代の日本クラフトデザイン協会の名簿を
見ると、平川のような個人で食器を少量一貫制作する作家のほ
か、一貫制作とプロダクトデザインを両方手掛ける作家、工房
ディレクターを主とする作家、あるいは製陶メーカーまで、実
用陶磁器を扱うという点では共通だが、創造のシステムからす
れば実に多様なクリエイターたちが名を連ねている(註2)。
そこにはいわゆる「クラフト運動」に関する一つの現実があ
る。実は用の器こそ、“創造のシステム’’を多角的に検討する
事なくしては、理想的実現は難しい。多様なプロダクトのあり
ようの中で、それぞれの器の内容に即した“創造のシステム”
の工夫が必要なのである。作家サイドでは、栄木正敏ら瀬戸を
中心にその方法を研究し、具現化してきている者が何人かいる
が、学識サイドで従来そこに言及しているのは、僅かである
(註3)。
「クラフト」に見切りをつけ、自分のやきものの方向を模索し
ていたおり、平川は展覧会で見た耀州窯の青磁に感銘を受け、
青磁に片切彫りを施した和食器に取り組んでいく。80年代の
好景気にも助けられ、平川の端正な彫り文様のある大鉢や大皿
などの青磁のうつわは、雑誌にも次々に取り上げられた。
当初は「食べていくための」器であったが「青磁の和食器を
始めたら、器も面白いなあと思って。そこに何かが盛られたり、
誰かが大事にしてくれるのも嬉しかったし。壊さなくていいし
(笑)」。
器への開眼。最初は写しのような作風であったが、間もなく
平川流の青磁和食器を精力的に作っていった。
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| 4.土のダイナミズムと向き合う |
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青磁の器を作るに際し、平川はふさわしい土を愛知県の豊田
などに探し求めた。ゴミひとつあってはならない美しい青磁。
採取してきた土をテストする。最初はイメージする青磁に合っ
た土を探すことに躍起になっていた。
しかし、テストピ-スを見ているうちに、「(青磁とは違うけ
れども)これも面白いじやないか」と思われるものが次々に現
れる。「青磁」「黄瀬戸」「織部」などといった既存のイーメ}ジと
は違うけれども、こっちの方が面白いのではないか。こっちの
方が自分らしいのではないか。最初は作りたいものに合う土を
探していた平川であったが、逆に、面白い土や粕薬の発見から
それを生かすうつわを作るという方向へと変わっていった。丁
度、「技術だけが鼻に付くようになった」青磁の彫り文様にも行
き詰まりを感じていた時期であった。
土ものに転向してしばらくは、見つけた土でただ「ドーンと
分厚いもの」をロクロで挽いていた。うつわがたをしてはいる
が「使うことなんてあんまり考えてない。20キロくらいある
から重いし」。つまり当初は、見つけた土をやきものという姿に
変えることにほぼ終始していた。しかし、次第に採取した土や
紬薬を最大限生かすかたちやサイズのものを考えながら制作し
ていく。また、この数年は100%採取土を使うことにこだわ
らず、採取した土をベースに、それを生かすような「繋ぎの土」
も調整して使う。
「必ずしもそば粉100%でなくても巧く繋げばおいしいでしょ」。
ただし、食器はその用途ゆえに、制約もある。「食べ物を入れ
ることを考えると、色はどうしても白っぽく、とか。石や砂粒
もある程度とらなきやとか。少し大きいサイズ、例えば大皿な
んかだと、面白いなと思う土でも、切れたりして使えなかった
り。でも茶碗なら使える」。
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| 5.究極の自由としての茶碗 |
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平川に言わせれば、茶碗は「一番自由なやきもの」である。
黒いもの、赤いもの、ざらりとしたもの、艶のあるもの。大物
では思うかたちになりにくい土でも、茶碗のサイズなら無理も
きく。食器にも使用していたサルスベリなどの灰のほか、桜島
の火山灰など、あらゆる素材を試すことができる。かたちも、
土に合わせ太い筒形や平たいタイプ、様々だ。組み物食器など
では使えないような“はみ出し者”の土でさえも、一個の茶碗
としては逞しく自律する。逆に、個性が際立つことが長所にな
る。土のダイナミズムが茶碗の姿の中に弾けてし)るのである。
近年、平川が住む守谷付近は開発が盛んだ。つくばエクスプ
レスが開通し、近隣は日々、造成が進められている。崖から鬼
板と呼ばれる褐鉄鉱が取れる。黒い茶碗の幾つかは、この地元、
守谷の鬼板である。鬼板をかけて焼成し、さらに松灰をかけて
もう一度焼くと(二度焼きすると)侘びた質感になり、鬼板の
上に松灰を重ねて一度だけ本焼成すれば漆黒のつやが生じる。平
川の茶碗に一つとして同じものはない。
「食器と違って一個一個作るから手間はかかる」。
しかし値段は桐箱入りで箱書きした上、驚くべきリーズナブ
ルな設定である。殆どお茶の世界に殴り込みのような、といっ
てもよい。無論、本人には茶陶の歴史に挑戦しようなどという
気はさらさらない。
「箱代を抜いたら食器と一緒かな。茶室でも使ってもらいたい
けど、縁側でちょっと抹茶を立てて、庭を見ながら飲むような
時にも気軽に使ってほしいから」。
この作家らしい、のびのびとした感性そのままの茶碗は、確
かにこれまで平川が手掛けてきた土もの食器の延長に生まれた
ものだ。それらは守谷という今日的な新興住宅地に誕生し、現
代という時代を生き生きと呼吸する器たちである。
註1:筆者インタビュー、2008年2月12日、於守谷市、
平川鐵雄宅。本文中の作家の言葉はこれによる。
註2:外舘「実用的生活芸術としての陶磁器を考える−デザイ
ンとクラフト」『暮らしのうつわ一デザインとクラフト
小松誠・平川鐵雄・佐藤剛』茨城陶芸美術館、2002年。
註3:例えば、出原栄一『日本のデザイン運動[インダストリ
アルデザインの系譜]』ぺりかん社、1989年。
平 川 鐵 雄 展
2008年4月6日(日)〜13日(日)
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