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仏教を聞きかじりますと、仏教は悲観主義、厭世主義で、活発な人生生活を厭うて、無気力なあきらめ主義、又は安っぽい卑屈な善人の養成、あるいは不合理な社会や権力にも無頓着なお人よし製造の教のようにとられます。確かに老人ばかり集まって陰気くさい本堂での悲しそうなあきらめ的な空気は、いやなものにちがいありません。だがそれがはたして真の仏教でありましょうか。釈尊の真意であり、大乗仏教の真面目でありましょうか。私どもは容赦なくそんなものではないと申します。
特に親鸞聖人の世界は決してそうでないことを言いきります。ことに教行信証の中に盛られた大信の世界には、はちきれるような力とよろこびのあふれていることを認めます。
人生の肯定!!それはあまりに仏教より遠い言葉のように見えて、これほど仏教をはっきり把握した言葉はありません。
それならばなぜ仏教が悲観的、厭世主義の教えと見えるかということです。これには理由があります。そもそも釈尊が、仏陀となられます前、釈尊は人生の無常に泣き、矛盾に苦しみ、厭世のために、王城も父王も妃も愛児も捨てて出家せられました。確かにそれは徹底的な悲観厭世から生まれ出たものであります。しかし、かくして出家された釈尊はついに釈迦牟尼仏として更生せられました。仏陀釈迦は決して悲観厭世の人ではなくて、道の体得者であり、智恵と慈悲との円成せる救世主であります。人生の大肯定者でありました。仏教が悲観的に見えて、しかも永遠にショウペンハウエルの悲観哲学と異なる所以はそこであります。仏陀としての釈尊の上には、暗黒はありません。ないどころか、いかなる禍、不幸、生死動乱もかき消すことのできない光の把持者、燈明台であり、病める者の大医王であり、弱き者の父であり、道のための真の力の生活者でありました。まことに深い意味での人生の大肯定者でありました。すなわち暗黒より光明へが仏教であります。
昨日まで暗い顔をしていた着が、今日百円ほど手に入るともう明るい人生の肯定者になる。やれ人が悪く言った、やれ病気した、やれ何と、肯定したり否定したりぐらぐらして暮らしていると、七面鳥どころか、生きるということは、ただ人生の波にもてあそばれていることになります。
過去の聖者たちは、一様に一度、深刻に人生の深い暗につきあたりて、およそ知るべきことを知りつくされました。否定さるべきものを否定しつくし、いっさいのものを清算しつくして、しかもその最後において、天地の相、心理に徹底して、いっさいの畏怖を去り、迷妄をしりぞけ、無明を滅ぼして、智恵光に更生して人生の大骨定に達せられました。しかるに凡人は、泣くべきことも真に泣かず、苦しむべきことも真に苦しまず、徹民約に求道もせず、いっさいの事についてあきらかにみきわめもせず、その時の見まかせでいいかげんなあさはかな人間の肯定の上に立っているので、ちょっとしたことにでもすぐぐらついて泣かねばならないのであります。そこに人生を肯定したとも否定したともつかない、気まぐれな生存がつづけられてゆくのであります。
しかしそうした不徹底の生活では満足ができません。どうしても「破壊せざること金剛のごとき」生活者になりたいものであります。人生の大肯定者となりたいものであります。人生の大肯定者となりたいものであります。
いかにしてそれに至りうるでありましょうか。親鸞聖人の言葉をもってすれば「信」を獲るよりほかにはありません。信を獲るのにはいかにしたらいいのでしょうか。それに対しての答えは、「聞く」ということであります。真実の教を聞くことであります。私は「その生活を通して、教を聞け。」と申しましょう。
生活と教、我が生きるのは生活であります。なされていくのは生活であります。生活を問題にせずして教を頭の中に入れたのでは、単なる観念の遊戯となり、全く教を受けない生活は無価値な生存でしかありません。
生活でもって教えを聞く時、まちがった生活が発見されただされてゆきます。教育は人を文化人として解放します。正しい考え方や生活がはじまってくる時、教を我として体認することが出来ます。ある地方では、石碑に年がほってあるのを月の霊として祭り、これに金を供えると幸運がむいてくると信じ、又そのお金を借りて来て商売するとよくもうかる、返す時には二倍にして返さないと罰があたるとしています。その月の石碑を見た時、かかる信心のおこることはその人にとって正しいとされることであります。そしてかかる生活者は、他の日常生活においてこれに類似した低級な生活相をとっております。問題は月の霊を信ずることによって代表されるそのいっさいの生活の野蛮低級さであります。しかもかかる人を、真実の教以外に導くものはありません。けれどもこの人にとっては、直ちに我らが人間最高の教として信ずる仏教の真髄をもって行ってもだめであります。教によって生活自体が高まらない以上、教そのものも信じられません。しかも教にたよらねは生活は転回してきませぬ。ここに教の上にも方便の我ができるゆえんであります。
もしここに長年、仏教について開いて、一見聖人と同じような信念に住したように見える人があっても、それがさらに月の霊を信じていたとするならば、彼はまだ真実には教そのものも聞かなかったのであります。何と現在までに、かかる観念のみの仏教の多かったことでしょう。すなわち頭が仏教・本願でかためられて、その生活は何でもない。かかる人には、真実の仏教は生きていないのであります。私が本格的生活を強調するゆえんであります。
親鸞聖人は人生の大肯定者であります。それはまちがった人生生活の大否定に即してなされた、大肯定であります。この全否定を通さない肯定は、あさはかな夢におわってしまいます。多くの人は聖人の人生の大否定の一面のみを見て、大肯定の一面を見ませぬ。念仏によって見出された真実生活の大肯定が、無明による迷いの生活の大否定をともなったのであります。聖人はただ人生の否定のみによって悲観的虚無的な、懐疑的な世界に永遠に泣いたお方ではなくて、如来の本願に更生し、真に生くべき世界として大地を肯定されました。
いったい単なる肯定は無意味であり、単なる否定も気まぐれであります。真の生活は大否定をはらむ大肯定であります。仏教の根本思想にわけ入れば、いとうべきなく、悲しむべきなく、捨つべきなく、取るべきなく、与うべきなく、天地本来、ただ仏ならぬはなしと言ったぐあいに大肯定すべきが、仏教の真面目であります。この大肯定を直ちに持って来て、娑婆がすなわち浄土だ、この身がそのまま仏だとやるのが聖道門であります。しかるにあまりにも、大地の現実の痛ましい闘争の相に直面し、かつ自己内観における凡夫意識の結果は、ここにかかる肯定を悲痛に裏切ります。やがて、極端なる現在否定の理想主義の浄土教が生まれてきたゆえんであります。思いをただ西方浄土にかけ、現実はいやな所、住むべからざる所、現実はただ、極楽に入る準備場所にすぎぬと、ここに人生の逃避、悲観的厭世的な浄土教が生まれてきました。
聖人はここに出現して、この聖道門と浄土教(※79)とを、どちらもとり、一方の現実主義、一方の理想主義、それを止揚してここに真宗を発揮したのであります。これ聖人独特の信境であり生活であります。すなわち、現実は決して無価値なものではなくして、如来本願の輝くべき正定聚不退転(※80)の菩薩の生くべき世界であり、薗林遊戯地(※81)として、やがて光を背に還り来る菩薩の普賢の行願(※82)に生くべき天地でありました。
聖人は生話基調としての、純粋文化の根源、彼岸の浄土を肯定しつつ(理想、浄土教的)現実にとるべきなく、捨つべきなく、求むべきなく、いとうべきなき大肯定(聖道門的)に生きられたのであります。
これ聖人が人生の大肯定者であったと言うゆえんであります。
しかし聖人の人生の肯定は、
1 人生は人間の単なる享楽的本能の百パーセントの満足場としての肯定ではなかった。
2 したがって自己清算のない者、勝手利己的無道義者にとって肯かれる世界ではない。
3 したがって、今少し待て、五年か十年、乃至は幾百年待っていたら、地上は楽園になるぞ。それまでのしんぼうだ。我らはその「願望への喜悦」に生くべきだ。そしてその欲楽を地上に建築することが「荘厳浄土の喜悦」であるなどとのでたらめな希望によって今日を肯定されていたのではない。
4 人生には永久に、苦もあれば楽もあり、悲しみも愉快もあり、幸福者もいれば、不幸者もいる。「生死の苦海(※83)ほとりなし。」である。この永劫輪廻の諦観(※84)のただ中における、新しい人生の大骨定であった。
5 生きることの喜びは、ついに大地永遠の生死動乱によっては消えることのない境地、すなわち衆禍の波なくして大願の大船なく、道そのものなし。衆禍はそのまま、本質的生活のためのよき縁であり、本格的生活者にとって、衆禍こそ転じて、生きがいを感ずる喜びとなるという大肯定……。
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