去る6月8日の夜、僕らは都内某所に10人くらい集まって、サッカー・ワールドカップ・アジア地区最終予選「北朝鮮×日本」のTV中継を見ていました。
集まっていたのはいずれもTV局(数社)の社員で、視聴率調査の専門家こそいなかったものの、いずれも毎日毎日視聴率と睨めっこしてる人たちばかりでした。
試合のほうは、後半の後半部分で日本が2点を入れて勝ったものの、前半は締りがなく凡ミスも出て本当にかったるい展開でした。
そんな試合を見ていて自然と話題は明朝発表になるこの試合の視聴率の予想になりました。
誰かが「こんなつまんない試合じゃあ、多分40%行かないなあ」と言い出して、みんな「うん、そうかもね」ということになりました。
翌日会社でこの試合の番組平均世帯視聴率を見て、「ああ、そうか、僕らはともすればこういう勘違いをしてしまうんだ」と思い知りました。
ワールドカップの本戦、あるいは昨日のように勝つか引き分ければワールドカップ出場決定みたいな試合を所謂ゴールデンタイムに編成した場合、関東地区では40%を超えるのが普通です。2002年ワールドカップの「日本×ロシア」はなんと70%近く獲りました。
だから試合前は誰もが40%超を予測したのですが、試合展開を見ているうちに「こりゃ40%は無理だな」と思ったのです。ところが結果的には40%台前半の視聴率を獲りました。関東に比べてサッカー視聴率の低い関西でも40%をぎりぎり超えました(サッカー中継にとって不毛の地である北部九州地区はさすがに30%台に留まりましたが)。
よく考えてみると、我々は素晴らしい個人技やセット・プレーを見たくてサッカー中継を見ている訳ではありません。いや、もちろんそういうものを一心に求めている通の方もいらっしゃいますし、例え素人の俄かファンでもそういう場面を見られるのは嬉しいことです。でも、多くの視聴者にとってそれらは決してメインではないのです。
多くの視聴者は、ただ単に日本が点を入れるシーンを、勝つゲームを、ワールドカップ進出が決定する瞬間を見たくて、その瞬間までの興奮を経験したくて見ているのです。
だから凡試合であっても、0−0が続く限り彼らは目を離すことができないのです。試合が盛り上がりに欠けるからチャンネルを変えるかと言えば、そうではないのです。
例えば逆に(あまり考えにくい例ですが)日本選手がものすごく良いプレーを続出してるのに何らかの不運が重なって0−5のビハインドで前半を終わっていたとしたら、後半の視聴率は一気に落ちたはずです。そういう場合に「ああ、もう今日はダメだ」とチャンネルを変えたりテレビを消したりするのです。
決して試合展開がつまらないからと言って、あるいは中継や解説の仕方が拙いからと言って見るのをやめるのではないのです。
結構プロっぽい仲間が集まっていながら、みんなその点を誤解していました。
それで思ったのは、「この手法を番組作りに逆用(悪用)することができるなあ」ということでした。
最後まで見たって別にたいしたことも起こらない番組なのに、引っ張って引っ張って最後まで見させてしまう手法は充分可能、と言うより既にそういう手法で高視聴率を稼いでいる番組はあるのです。放送開始前の番宣で盛り上げることができていれば効果はさらに増大します。
そういうことってTVだけじゃなくていろんなソフトにあるでしょう?
例えば予告編に釣られて映画を見に行き、結局「ああ、予告編だけで良かったのに」と思うような映画。
これは良いことでしょうか?
確かに行き過ぎてはいけません。だけど制作者たちは行き過ぎないギリギリのきわどい所を狙うものです(しかし、どこまでなら行き過ぎでないのでしょう?)。行き過ぎていないのであればむやみに責められません。
特に収録が思惑通りにうまく進まず見所が作れなかったような場合は勢い「編集勝負」になって来ます。それを編集の技術で乗り切ってあまり面白くないはずの番組が途中までであっても面白いものになったとすれば、それはやはりディレクターと編集マンの手腕なのであって、僕らはそれを評価してやらなければなりません。
でも、その手法にべったり依存してしまうのは良いことでしょうか?
下手するとTV文化を自ら損ねてしまうことにならないでしょうか?
僕らは不断に「どこまでやってしまうと行き過ぎなのか」を考え続けなければならない──そんなことを「北朝鮮×日本」を見て(そしてその視聴率を見て)思いました。
Copyright(c)yama-a Jun.2005
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