NTVの視聴率買収事件に絡んでTBSの社長が良いことを言ってます。
「視聴率は傾向値であって絶対値ではない。彼はその点を取り違えてしまった」
(僕の記憶によるものであって一言一句正確ではありませんので念のため)
今回の事件の報に接して、たくさんの偉い人がいろいろなコメントを述べましたが、僕はこの発言が一番まっとうではなかったかなと思っています。
そう、視聴率は傾向を示す値ではあっても、絶対的な尺度ではないのです。
「この時間帯はHUTが低いなあ」とか、「この番組は随分人気があるなあ」とか、そういう判断をするためのものであって、「あの番組はこの番組より1.2%高い」とか「先週より0.9%上がった」などと、まるで身長体重や最高気温のように2つの点と点を比較するものでは本来ないのです。
視聴率は平均を取ってこそ意味があります。平均を取れば誤差が小さくなるからです。
平均を取れば誤差が小さくなるというのは何となく理解できるでしょう?
平均を取ることによって1回ごとの誤差が均される訳です。
例えば10組(52枚×10=520枚)のトランプから20枚だけ抜き出すとします。理論上はスペードが5枚あるはずです。ところが実際やってみると7枚がスペードだったとします。スペードの占める割合は35%になります。誤差は10%もあります。次に、抜き出した20枚を元に戻し、全く同じことを繰り返します。今度はスペードは4枚かもしれませんし8枚あるかもしれません。しかし、それを10回繰り返して平均を取ってみると、スペードの割合は驚くほど25%に近づいているはずです。
TV番組も似たようなものです。ただ、番組が上のトランプの例と違うのは全く同じことが繰り返せないという点です。
「トリビアの泉」という番組の平均視聴率を取ることはできますが、今週の「トリビアの泉」と先週の「トリビアの泉」は全く同じ内容ではありません。しかし、全く同じではないものの主演者の大部分と企画内容や進行は同じでネタが異なるだけ、もっと解りやすく言えば、いずれにしても毎週同じ時間に放送している「トリビアの泉」という1つのタイトルの番組なのです。だから、平均を取ることに意味がない訳ではありません。
そういう風に平均を取ることによって、我々は番組の傾向を知るのです。
今回のような事件があると、とかく「視聴率崇拝の悪弊」みたいなことが指摘されます。残念ながら、僕にもそれを完全に否定することはできません。
でも、少なくとも我々の多くは、毎回の視聴率に一喜一憂しないようにしていますし、視聴率で全てを量ろうとしている訳でもなくて、時には「視聴率は良くなかったけど、良くできていたね」と言って制作者を力づけるだけの良識は保っているつもりです。折に触れて「視聴率は高かったけど、内容的には感心しない」と指摘する勇気を捨ててはいないつもりです。
そして、もうひとつ問題があるとすれば、それはスポンサー・サイドです。
彼らは視聴率と料金で効率計算をしています。まさに視聴率を絶対値として扱っていると言えるのかもしれません(下註)。しかし、彼らは、どの局のどの時間帯を買うか判断するために何らかの比較が必要なのです。自分たちの宣伝方針や判断に対して会社のお墨付きをもらうためには他案との比較が必要で、それを比較するために尺度が必要なのは当然です。
そして、その尺度になり得る科学的な要素としては、今のところ視聴率以外に何も存在しないのです。残念なことかもしれません。仕方がないのだとも言えます。いずれにしても、このスポンサー・サイドのシステムに問題があるのは確かです。
そして、我々放送局はそのシステムに100%乗っかって100%振り回されてしまってはならないのです。勿論営業は振り回される可能性が強いです。スポンサー・ニーズに応えるために、同じように視聴率を絶対値として扱っているのかもしれません。でも、編成や制作までが同じように振り回されてしまってはいけないのです。
編成マン・制作マンにとってはキツイ要求でしょうか?
でも、踏みとどまってください。自分の良識を信じながら、淡々と進んでしっかりと踏みとどまる──それ以外に手はありません。それがマス・メディアに勤める者(勿論営業マンも含む)の矜持なのですから。
[註]
誤解のないように書いておきますが、TVのスポット・セールスに用いられているのは「4週平均視聴率」という値であって、つまり必ずしも毎回の視聴率を「絶対値」として扱っている訳ではありません。
Copyright(c)yama-a Nov.2003
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